【大阪】「邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力…」 百舌鳥・古市古墳群をテーマにした特別講演会に300人★2
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百舌鳥・古市古墳群をテーマにした講演会=大阪府河南町大字東山の府立近つ飛鳥博物館で、山本夏美代撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/08/09/20190809oog00m010032000p/9.jpg
世界遺産「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の登録決定を記念する特別講演会が先月、河南町東山の府立近つ飛鳥博物館であった。古墳研究の第一人者、同館名誉館長の白石太一郎さんが同古墳群について「古代日本の歴史を考える上でも貴重な歴史遺産、歴史資料」と語り、約300人が熱心に耳を傾けた。
白石さんは「エジプトのピラミッドや中国の秦始皇帝陵と並ぶ巨大で特異な古代の帝王墓群で、人類共通の文化遺産であることは言うまでもない」と語り、百舌鳥・古市古墳群出現の背景に迫った。
当時の日本は古墳時代(3〜7世紀)。大和や河内の大首長(後に大王・天皇と呼ばれる)が中心のヤマト王権が、各地の首長たちと政治連合を形成していたとされる。この時代、規模の違う前方後円墳が北と南を除く日本列島各地に存在、それらは同じ設計により造営されたと考えられることから、政治連合を形成した様子がうかがい知れるという。
古墳は、政治勢力の本拠地に造られるのが原則であったと考えられるという。大王墓と思われる巨大な前方後円墳の造営場所をみると、古墳時代初期には奈良盆地東南部のオオヤマト古墳群に、同北部の佐紀古墳群を経て、4世紀末以降、大阪平野南部の古市と百舌鳥古墳群へと移った。
この変遷から、河内(大阪平野)の勢力がヤマト王権の盟主権を掌握したことが分かるという。王朝の交代や大和の勢力の打倒ではなく、ヤマト王権内部での盟主権の移動であることを白石さんは強調。朝鮮半島の北に位置した高句麗が南下策を取り始めるなど、激しく変化する東アジア情勢の影響をあげた。
情勢の変化に、邪馬台国以来の呪術的、宗教的な性格の強い大和の勢力では対応しきれず、古くから朝鮮半島との外交や交易を担当していた大阪湾岸の河内、和泉の勢力が、外交や政治の実権を掌握するようになったと考えられ、当然の成り行きだったとした。
白石さんは「百舌鳥・古市古墳群が世界遺産になり喜ばしいが、今後どのように活用するべきか、議論が必要」と締めくくった。【山本夏美代】
毎日新聞 2019年8月9日
https://mainichi.jp/articles/20190809/ddl/k27/040/276000c?inb=ra
★1:2019/08/13(火) 23:47:56.91
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1565707676/ あの形は日本だけなの?(´・ω・`)ちょっと変わってるけどどういう意味があるの? マナの壷 以外のデータ無し
製作日 1850年ごろ
ただのモニュメント
大阪府は江戸同様に過疎地 不思議だね
邪馬台国などの呪術的統治国家は九州にあったのに、奈良との間にある
河内、和泉に外交を任せるのは無駄にバックステップ踏んでるよね
何なのこの異端珍説w
当時から江戸期の開港に至るまで、九州が外交の窓口であり続けたのにね 邪馬台国は朝鮮半島からの渡来人によって建国されました >>7
汚らしいエラ張りブサイク整形レイプ民族チョン。
整形なしには人前に出られないほど醜悪なパンスト朝鮮顏をしてるくせに、
日本人のふりをして性犯罪を犯しまくりやがって。
朝鮮民族は、歴史的によそ様の国でも凶悪な性犯罪を繰り返してきたゴミクズ民族。
東南アジアの女性たちに最も忌み嫌われている。
ベトナムでは朝鮮人による連続強姦で生まれたライダイハンが大量発生して社会問題になっている。
日本人女性たちは戦中も戦後も、朝鮮人による性犯罪に苦しんできた。
いまも日本人女性を汚しまくっているAV男優とAV撮影者のほとんどが在日朝鮮人だ。
●●● 深刻化する在日朝鮮人の性犯罪 ●●●
http://seihanzai.tripod.com
. >>4
丸い方に御神体入ってんのか
四角いのは舞台?線香立てるとこか。 >>1
邪馬台国論争は畿内で決着済みです
良い子のみなさん、九州説みたいな学術的根拠のない俗説を信じてはいけません
俗説をごり押しするおかしな人たちには注意してください
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c 古墳群からは決まって韓国製の鉄がでる。
何故だか、わかるな??? >>13
韓国なんてまだないじゃん?w
朝鮮半島製って正確に書こうな。 仁徳天皇陵のスレだし堺の謎に迫るか
サカイは、ギリシャ語でサカの人という意味
アサカは聖なる人という意味、サカ族の国家名、民族名そのものらしい
サカ族のとんがり帽子は烏帽子そっくり
堺には浅香アサカがある
偶然の一致にしろ興味深い サカ族は中国でいう塞
日本の塞の神はクナトの神
延喜式 祝詞
道饗祭には、八衢彦、八衢姫、クナトが登場する
サルタヒコは姫神の幸神とクナトの神の子
サルタヒコが発見されたのは天の八衢
八衢は道が幾つにも分かれるところ、方違
堺に方違神社があって、方違幸大神が祀られている
伊勢でサルタヒコに関係するのが
阿射加神社、大阿坂、小阿坂
上町台地〜泉北丘陵
大阪オオサカ、浅香アサカ、小阪コサカが並んでいる
大阪は神紋が白鷺の坐摩神社、百舌鳥、大鳥大社など鳥と関係が深い
サカ族のとんがり帽子は烏帽子にそっくり
とんがり帽子のサカ族、鳥をモチーフにした遺物がたくさん残っている
アカ族、ミャオ族、女性のとんがり帽子、元は既婚女性が被るものだったとか
鳥居に似たゲートに鳥形、鳥信仰かと思いきやそうではなくアミニズム
長江辺りでサカ族と出会っていた可能性もあるな
オスのニワトリの頭にある赤いやつ、元はサカと呼ばれていた
今でもトサカのことを烏帽子と呼ぶ地方もある
サカ族、塞、クナト、八衢、アサカ、烏帽子、鳥
全部繋がるのだ
偶然にしろ興味深い 堺の由来は和泉、摂津、河内三国の境界にあるから。
三国ヶ丘などもそう。
オカルト説を連投するバカはNG登録推奨 首長たちによる政治連合
近畿辺りは様々な集団が共存していた地域
弥生時代後期は特に顕著で全国に先駆けて環濠が無くなった
守山の伊勢遺跡は正に首長連合を象徴する遺跡
倭国大乱で一旦その理想郷は潰えたが
多民族を受け入れ合議制をしく
この辺は遊牧民的であるし、一方で水田を中心とした農耕民的な面もある
上手く融合して、活力ある政治集団が作られていったのかもしれない 人は記憶型と思考型に大別できる
帯方郡(平壌)
狗邪韓国(釜山、海 7千里)
────────────────確定
対馬国 (対馬、海 千里)
一大国 (壱岐、海 千里)
────────────────九州北部
末廬国 (海 千里)
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東行 百里)
────────────────不明
投馬国 (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月) 大阪は商人と農民文化の融合
遊牧民と農耕民の融合とも言える >>21 の続き
平壌から釜山までの直線距離520km
よって7千里は短里の80mとなる >>21
魏志倭人伝には総距離が12000里だとも書いてあって、狗邪韓国までの7000里で既に全行程の半分以上
この時点でもう畿内とかいう寝言とはサヨウナラ >>23 の続き
短里80mにする
帯方郡(平壌)
狗邪韓国(釜山、海 560km)
────────────────確定
対馬国 (対馬、海 80km)
一大国 (壱岐、海 80km)
────────────────九州北部
末廬国 (海 80km)
伊都国 (東南 40km)
奴国 (東南 8km)
不弥国(東行 8km) >>24
こうなるね
帯方郡(平壌)
│
│7000里
│
狗邪韓国(釜山)
│
│5000里
│
女王國 古代史て
いつも思うけど
いい加減なんだよな
いいたい放題w
思い込み画像激しくて >>1
▼梅原猛(愛知県出身・哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』
▼中上健次(和歌山県出身・作家)
『大阪はね、ほとんど韓国と一緒の土地だと思うんです。着るものとか街並みだとか、ものすごく韓国に似てますね』
▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』
▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』
▼レヴィン(旧ソ連・人類学)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』
▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』
▼埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』
▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』
▼松村博文(札幌医科大学准教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』
▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』
▼ハシゲ徹(大阪民國総統)
『大阪の人たちは韓国人と非常によく似ている』
▼網野善彦(山梨県出身・歴史学者)
『以前サントリーの会長が東北には未開なクマソが住んでると言って問題になりましたが、あれは関西人の発想です』
▼戸田恵梨香(神戸市出身・女優)
『神戸って大阪と一緒にされるの凄い嫌なんですよね〜大阪は下品!汚い!』
▼堤真一(西宮市出身・俳優)
『兵庫は大阪と違って洗練された町なんで』
▼森喜朗(石川県出身・元首相)
『大阪は日本のタンツボ』
▼ローラ(東京都出身・モデル)
『関西弁で挨拶します。アニョハセヨ!』
わたな 古墳の大きさ (比例) 余剰労働力 (比例) 兵力 (比例) 人口 (比例) 国力。
当時の魏国が、親魏倭王の称号(親魏大月氏王と同格)を授ける相手が、九州の小国のはずがない。
大月氏(だいげつし)というのは、クシャーナ朝のこと。そしてこれがクシャーナ朝の領域。↓
https://www.y-history.net/map/0201/india_2_kusyan.gif
当時の魏国が、この巨大なクシャーナ朝と同格の称号を与えたのが、親魏倭王・卑弥呼。
その候補となり得るのは、当時の倭国の中で一二を争う大国(畿内勢力または東海勢力)。
そして畿内勢力が邪馬台国であり、東海勢力が邪馬台国と争った狗奴国。 >>25 の続き
実際の直線距離
釜山-対馬 110km
対馬-壱岐 76km >今後どのように活用するべきか、議論が必要
何もするな。
特に観光客は絶対呼ぶな。
はりまや橋は別格の殿堂入りにしても札幌時計台や守礼門クラスのがっかりには間違いないわ。 三世紀のデカい古墳がない所に、邪馬台国は存在しない。
http://kamnavi.jp/log/k11426.png
卑弥呼の墓は、現時点での考古学的年代比定によれば、纏向石塚。
後円部の大きさ(魏志の記事にある径百余歩と完全に一致)と4段築成(注)、
今後の考古学的年代比定の変更(現時点で箸墓は本体が調査されていない)を視野に入れれば、箸墓。
注:ウェディングケーキの段数のような、古墳の段数のこと。
段数の多さが被葬者の格付けを表す。
日本中の古墳は、唯一、箸墓古墳だけが4段築成。
それ以外はいわゆる仁徳天皇陵、大仙陵古墳も含めて全て3段以下。
つまり、箸墓は大王や天皇よりも格上の人物の墓であると言うこと。
それは倭の五王(安東大将軍倭国王)よりも格上であった、親魏倭王卑弥呼しかいない。 >>30 の続き
短里でやるとここまでは合ってる
平壌-釜山-対馬-壱岐 奈良の纒向遺跡の外来系土器の半数が東海系
大和と東海は弥生時代末期の時点では一心同体
ヤマト政権は東海勢が主体の政権 弥生自体後期の倭国は、祭祀の様式により大きく5つの勢力に別れていた。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/25/76b989b4194ac362008ba711ee0dd388.jpg
@銅矛(北九州)
A四隅突出型墳丘墓(出雲)
B双方中円墳・特殊器台(吉備)
C近畿式銅鐸(近畿)
D三遠式銅鐸(東海)
そして倭人伝の行程記事に見える大国の戸数は、
ア.奴国(博多湾):2万戸
イ.投馬国:5万戸
ウ.邪馬台国:7万戸
エ.狗奴国:戸数の記載はないものの、邪馬台国と抗争していることから、邪馬台国と同等と考えられる。
となる。両者を対応させると、
ア.(奴国) → @(北九州)
イ.(投馬国) → A(出雲)
ウ.(邪馬台国)→ C(近畿)
エ.(狗奴国) → D(東海)
となる。
九州説論者は、ア.イ.ウ.エ.の全てが九州に存在したと主張するが、
そんな途方もない大人口は九州に収容出来ないし、南九州にはそれを示す遺跡も存在しない。
ちなみに、行程記事の最後に投馬国から「水行十日陸行一月」で邪馬台国に到達するが、
その「陸行一月」は、丹後半島から奈良盆地までの行程を指す。
若狭湾→琵琶湖ルートの方が近くはあるが、もしかすると卑弥呼の時代も狗奴国の勢力下にあり、
そのルートを使えなかったのかも知れない。 >>34
その東海の支配者である尾張氏は北部九州から日本海と瀬戸内海沿岸を制していた海人族・安曇氏と同じく
海神・豊玉彦=大綿津見を氏神とするいわば兄弟氏族で皇室ともごく近い親戚である
(神武天皇の母も父方の祖母も豊玉彦=大綿津見の娘)
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
また、後に大和の地を治めた倭国造の祖・珍彦も同祖氏族
つまり大和政権というのは東征した北部九州の海人たちの政権なんだよ 日本最初の超巨大型古墳が箸墓古墳だ。
恐らく、従来の王とは違う特別な存在、あるいは従来にないほどの力を持った存在がそこには被葬されていると考えられる。
そして箸墓古墳の年代推定が西暦250頃と卑弥呼が死んだとされる年代に一致した。
それなら箸墓古墳の被葬者が倭国大乱で共立された王卑弥呼だと推測するのは無理なからぬことである。
しかし年代推定の精度がまだ卑弥呼の死に一致するかどうかはまだ断定できるものではない。
箸墓古墳の被葬者は卑弥呼が有力だとは思うが、まだそう断言できない。 『梁職貢図』 2011年に倭関係の欠損部を発見。
魏時曰新羅,宋時曰斯羅,其實一也。『或屬韓或屬倭』
と有って、記紀、日本の歴史観と合う。
526年から539年までの間に作成されたとあるから、
応神朝、倭の五王の時代に作成された。 >>21
>人は記憶型と思考型に大別できる
こいついつも意味不明なコピペしてるな
自分の奇妙な論理が他の人に伝わるかどうかも判断できないんだから
根本的に知能が低いんだろう >>6
九州にあったのは朝鮮の王朝では?
邪馬台国は近畿 >>41
頭悪い子なんだから放置かNGでしょ。
近畿も九州もどちらも都合のいいところだけ切り取って喚いているだけ。 >>42
残念だがその可能性はゼロ
魏志韓伝に倭人が弁韓に来て鉄を採掘していると書かれているが、邪馬台国時代の鉄製品は九州が圧倒的
輸入した鉄はまず都に回されたはずだから、当時は九州に都があり畿内は鉄を回してもらえない下流の国に過ぎなかった
畿内が都ならそちらに鉄を運んだはずだからね
当時の鉄の出土状況
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png 魏志倭人伝の勝手読みはひどいね。
私は別にどっちかの説を贔屓してるわけではないけど、特に九州説のアマチュアは酷すぎる。
まぁ、考古学的アプローチは専門的になるので、仕方のない側面はあるが。 >>47
>>46のとおり、文献学的にも考古学的にも九州だよ
勝手読みは南を東に勝手に読み替える畿内説とかいう戯言 >>46
絹なんてもっと酷いよな
魏志倭人伝には倭人が養蚕を行い絹織物を作っていると明記されているのに畿内での出土はほとんど皆無に近い
九州では庶民が着られたほどに普及していたというのに
http://inoues.net/nyumon/amagi_kuriyama.jpg
こう言うと畿内信者は魏志倭人伝は邪馬台国伝じゃないとか苦し過ぎる言い訳をするけど
九州では庶民にまで普及していたものがどうして女王の都には無かったのかを聞くとアバババって喚きながら逃げちゃうんだよねw 鉄について
http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg
古墳時代初め(三世紀初め〜中頃)で比較すれば、(※数字はグラフからの目分量読み取り)
・奈良:約100
・福岡:約400、佐賀:約300、熊本:約300
・石川:約100、長野:約150、千葉:約100
・東京、神奈川、埼玉、茨木、群馬:約10〜30
であり、近畿で鉄が出土しないと言う事実はない。
卑弥呼が共立され前方後円墳体制が成立した後に、鉄は奈良のみならず、
関東や信越まで広く普及していることが見て取れる。
また弥生後期(一世紀後半〜二世紀)で比較しても、
・福岡:約450、熊本:約400、長崎:約150
・広島:約150、岡山:約200、兵庫:約100
・島根:約100、鳥取:約150
・大阪:約50、奈良:約数点
となっており、弥生後期においても鉄は九州の独占物ではなく、
山陰、山陽、近畿でも相当数が出土している。 >>50
その図で見ても九州が圧倒的じゃんw
都のはずの奈良がどうして辺境のはずだった九州よりずっと少ないんだよw
絹はどうした絹はw >>50
古墳時代が始まったのは邪馬台国以降の三世紀後半だが、ゴッドハンダー畿内は相変わらず年代捏造してるなぁ >>48
鉄の出土数が多いのは九州ではなく日本海側の九州山陰北陸です。
弥生時代の鉄出土数
「弥生時代の鉄器総覧」(川越)
福岡1621
福井1100
熊本774
鳥取671
大分518
京都432
佐賀408
兵庫351
参考、奈良13
鉄が多く出土されるのは墳墓からですが、そもそも山陰九州の墳墓とは違い、大和地方の皇族関係の古墳は発掘調査自体が行われいないという問題もあります。
また、土がシルト状の場合、硬い花崗岩質の土壌よりも鉄が残りにくいという問題もあります。 >>53
で、でたー必殺、奈良では鉄が溶ける説wwwwww
酸性土壌なんてどこも一緒だっての >>19
堺区あたりの人は摂津、泉州、河内のどれに帰属意識があるんだろうね >>54
?
私は上の書き込みで、大和の土壌が鉄の残りにくいものとは述べていません。
また、鉄の残りやすさは酸性云々でなく低湿地であるか乾いた土壌であるかに強く依存します。 >>51
思うだろw
小細工してないのに強いSBとか、どう説明すんだ?wって思ってる。 作るためのマンパワーをどうやって用意したのだろうか? >>55
三国のうちどれというより堺に帰属意識があるのではないでしょうか。
今でもそうですが、堺単体で立派なひとつの街を形成してきたわけですから。 >>53
「鉄器総覧 弥生時代」で画像検索したらぜんぜん違う数字のグラフがヒットするんだが
やっぱり九州が圧倒的で福井が多かったなんて話は無いぞ
どうしてそんなウソをついた?
https://ironna.jp/file/d4c399889c0b962f241b7957292bbe0d.jpg >>46
ハイハイ、いつもの大嘘
・弥生終末期の九州に大量の鉄はなかった
・大量の鉄がなかった北部九州は、鉄がもっと少ない畿内勢力にあっという間に飲み込まれてしまった
・畿内勢力が北部九州へ進出した直後から畿内でも鉄が出るようになる
・九州説が自慢してる九州の鉄なんて、3世紀の畿内の古墳3基から出土した分だけで上回ってしまう
弥生終末期の九州に大量の鉄などなかったんだよ!!!
大事なことだから2度言いました >>61
>>60
どうやら、ウソを100回言って真実にしようというのが畿内説のようだね >>46>>60>>62
九州が総力を挙げて鉄をかき集めても、畿内の古墳3基だけで上回ってしまうのが現実だ
3世紀の九州には鉄が豊富にあったなんて真っ赤な嘘
ホケノ山古墳
素環頭大刀 1口、鉄製刀剣類 10口、鉄鏃 約60本、鉄製農工具
黒塚古墳
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札、U字形鉄製品
椿井大塚山古墳
武器:鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、鉄製甲冑1領、
工具農具:鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上
漁具:鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本 九州の鉄自慢って、100点満点で1点と0.1点で比較すると、1点の方が多いと自慢してるようなもの
弥生時代終末期には畿内も九州も少ない、という評価が正しい >>63
それらは4世紀の古墳だが
相変わらず畿内は年代捏造ばかりやってるな
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku277.htm
> 『調査概報』の年代を見た近畿説の考古学者は、ホケノ山古墳の年代をさまざまな理屈を付けて古く持っていき、
> これが卑弥呼の年代と重なると述べるようになった。
>
> しかし、今回の2008年の研究報告書では、ホケノ山古墳についてかなり新しい年代が報告された。
> 今回の報告書は、樹齢が15年ぐらいの細い木を測定対象として、いわゆる古木効果が入らないように注意深く試料を選んだ。
> これだと、再利用したものではないし、風倒木でもないと言えるので、炭素14年の誤差も15年以内に収まる。
>
> 小枝からとった試料No.1の2σ暦年代範囲は250〜400calAD(95.4%)、 試料No.2の2σ暦年代範囲は320〜420calAD(81.5%)と
> 250〜300AD(13.9%)である。
(中略)
> この結果は、ホケノ山古墳の年代が卑弥呼の時代の3世紀中頃よりも、かなり新しく4世紀後半であることを示している。
> 『調査概報』のデータを見て、ホケノ山古墳の年代を卑弥呼の時代まで遡らせる主張をしてきた考古学者たちは、はしごを外された恰好になった。 >>66
点数で言えば鉄鏃みたいな小物が一番数が多いと思うけど?
じゃあ福井にはどの鉄製品が多かったの? 九州説論者が縋るのは、「行程パズル」に、「南」の一文字と、「鉄」。
このうち「鉄」について、魏志倭人伝では、
「邪馬台国/女王国は、倭国の中で一番鉄が出る」
などと、一言も書いてない。
魏志倭人伝に書かれているのは、「倭人は矢に、鉄の矢尻または骨の矢尻を使う」
と言う、たったこれだけだ。
つまり「鉄」の存在は、「親魏倭王の位をもらうほどのクニであれば、大勢の人口がいたはずであり、
であれば鉄製農具や鉄の武器もあったんじゃないの?」と、単にこれだけのこと。
別に、ないならないでも、何も差し支えない。
そして現に、3世紀の奈良盆地では倭国最大の古墳群が築造されており、
奈良盆地の余剰労働力=兵力=国力が、最大であったことは明らか。
そして古墳時代以降は、奈良のみならず東国でも多数の鉄が出土しているのだから、
弥生時代の鉄の出土量など、邪馬台国の所在にとっては何の関係もない。 >>68
工具ですよ。
林・藤島遺跡で一気に大量に見つかったんで1999年頃大きなニュースになりました。
西暦200年頃の遺跡です。 >>66
ちなみに鉄製品全体のグラフもあったけど、やっぱり福井は多くないよ?
URLはおいこらが出るから下記の●をaに置き換えてね
http://www.mueki.sakur●.ne.jp/zui594-yamataikoku/yamataikoku-06.jpg >>72
林・藤島遺跡から鉄の工具が1000点以上出土しました。
証明終 卑弥呼の時代である古墳時代。
それ以前の弥生時代に、どれだけ鉄が出るか。
そんなもの、邪馬台国の所在がどこかを決める理由にはならない。 >>53
そりゃ、鉄器を広めたのは北部九州の海人族だからな
当然海人族の勢力下には鉄器が伝わるさ
海人族の分布を見れば若狭湾岸は北部九州の海人の巣窟
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1559278/18/54429718/img_3
淡路島の製鉄以降も北部九州の技術
要するに海人族が海伝いに鉄を運び各地の拠点で鉄器を製造しただけ
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
中略
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 魏志倭人伝の一体どこに、
「倭国の中で、最も鉄の豊富なクニが邪馬台国である」
などと書いてあるのか?
しかもそれ以前の弥生時代においても、鉄は九州の独占物ではなく、
山陰、瀬戸内、播磨、摂津、河内まで来ている。
それが卑弥呼の時代である古墳時代以降になると、
奈良のみならず東国までも普及する。
弥生時代の鉄の出土量など、邪馬台国の所在には何の関係もない。 >>74
卑弥呼は弥生時代末期の人物だが
畿内は年代の捏造ばかりだな >>76
その言い訳は>>46にもう論破されてるぞw >>77
それは30年前の歴史観だよ。おじいさん。 >>78
それも、30年前の歴史観だよ、おじいさん。 >>67
それ邪馬台国の怪とかいうインチキで有名なド素人の同好会の言い分だろ?
こっちは公式発表だ
ホケノ山古墳
築造時期は庄内3式期の3世紀中頃と考えられています。
http://www.makimukugaku.jp/info/iseki.html
邪馬台国の怪とかいうインチキで有名なド素人の同好会は、
C14年代測定法で異常値が出た試料のみを持ち出してイチャモンつけてるだけ
実際は、他の試料も使って測定している
まあ、このときのC14年代測定法は精度が十分とは言えないが
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1889&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1 >>78
>>79
魏志倭人伝の一体どこに、
「倭国の中で、最も鉄の豊富なクニが邪馬台国である」
などと書いてあるのか?
嘘を100回繰り返して、一般人を騙すのも、そろそろ限界だと思うよ。
魏志倭人伝に書いてあるのは、これだ。
「卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩」
径百余歩。直径145m以上の古墳を造った。
そこが邪馬台国の所在地だ。 >>78
弥生時代終末期の鉄の量では国力とは無関係
現実の歴史で、北部九州は鉄貧乏の畿内勢力に飲み込まれてしまったことで証明している
とっくに論破済みのことを壊れたテープレコーダーのように繰り返してるだけだ >>82
>輸入した鉄はまず都に回されたはずだから、当時は九州に都があり畿内は鉄を回してもらえない下流の国に過ぎなかった
畿内が都ならどうして辺境の九州より鉄や絹が圧倒的に少なかったのか説明してみてくれよw >>84
質問それ自体が無意味。説明の必要など全くない。
弥生時代の鉄の出土量など、邪馬台国の所在には何の関係もないから。 >>84
で、魏志倭人伝の一体どこに、
「倭国の中で、最も鉄の豊富なクニが邪馬台国である」
などと書いてあるのか?
この質問に答えなさい。 >>50
のリンクに示したように、卑弥呼の時代である古墳時代の初め(三世紀初め〜中頃)においては、
九州の鉄は減り、畿内と東国の鉄が増えている。
これは九州の没落と、畿内と東国の興隆を示している。
鉄の多い少ないは、別に邪馬台国の所在には関係はないんだが、
三世紀初め〜中頃には、九州は落ちぶれ始めているんだな、と言う証左の一つにはなる。 >>81
畿内説じゃないと干されてしまう言論統制団体の公式発表とか何の意味があんの?w
全くの無意味じゃん
>C14年代測定法で異常値が出た試料のみを持ち出してイチャモンつけてるだけ
アホ?
木棺や柱の木は伐採がいつだか分からんから参考値でしかない
古木効果の無い小枝資料が一番精度が高い
その小枝資料は2つとも揃って4世紀を示しているので異常値ではなくそれが正解
http://yamatai.cside.com/katudou/image/277-2.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/image/277-3.gif 畿内説を擁護するわけじゃないけど(畿内説もこじつけの人が多い)、さっきの鉄の誤解もそうだけど九州説の人は単純な知識不足、事実誤認や妄想が酷すぎる。
林・藤島遺跡なんて福井で前代未聞の鉄が一度に大量に出土したかなり有名な遺跡のはずなんだが、それすらも知らない。
たのむからちょっとは勉強してくれ。 >>86
都が辺境より有用な資材を手に入れられない理由が無い
ハイ論破 >>87
それは畿内が捏造した年代観
古墳時代の開始は3世紀の後半から 全体的な傾向としては、時代が経るにつれて鉄器はだんだんと増えていくはずだが、
古墳時代に入ってから「鉄器が減る」と言う九州は、
一体何があったんでしょうかねえ?
どうしてそんなに落ちぶれているんですかねえ?
と言う感じがしますな。
あまり「鉄」「鉄」と言いすぎたら、それは「天唾」「ブーメラン」じゃないんですかねえ?
と、老婆心ながら言っておきますよ。 >>90
>>91
それはあなた方が、個人的信条でそう言い張っているだけ。 >>87
それとその図で九州が減ってるように見えるのは設定した期間の違いに過ぎない
真ん中の棒は一世紀後半〜二世紀の150年間であるのに対し、一番右の棒は三世紀初め〜中頃の50年間でしかない
年代観はズレが有るにしろ、対象期間が3倍も違えば絶対数が減るのは当然
畿内が減ってないのは単に真ん中の棒が短すぎた(この頃はまだ鉄を手に入れられなかった)だけ >>90
>>91
で、魏志倭人伝の一体どこに、
「倭国の中で、最も鉄の豊富なクニが邪馬台国である」
などと書いてあるのか?
まずは、この質問に答えなさい。 >>92
>>94を読め
期間の違いにも気づかなかったおバカさんw >>93,95
鉄や絹という有用な資材をどうして都が手に入れられないんですか??
話題逸らしはまずこの基本的な問いに答えてからにしてくださいな >>97
対象期間を考慮しても、
弥生時代から鉄は九州の独占物ではなく、山陰・瀬戸内・摂津・河内まで来ており、
古墳時代以降、畿内と東国の鉄が増えているという傾向は全く変わらない。
何度も繰り返すが、そもそも鉄の量は、邪馬台国の所在地とは関係ない。
しかも弥生時代の出土量は、卑弥呼の時代の前時代であり、ますます関係ない。
で、魏志倭人伝の一体どこに、
「倭国の中で、最も鉄の豊富なクニが邪馬台国である」
などと書いてあるのか?
まずは、この質問に答えなさい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています