【歴史】女王卑弥呼は阿波にいた?邪馬台国論争、徳島が名乗り。古代史ブームに乗り、「ひょっとしたら…」の町おこしへ
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190906-00000041-asahi-soci
女王卑弥呼は阿波女だった?! 「畿内説」と「九州説」が対立する邪馬台国の所在地論争に、新たに徳島が名乗りを上げた。
「新説」を唱える徳島商工会議所の若手経営者らが22、23の両日に徳島市内でイベント「第1回卑弥呼フェス!」を開き、
「ひょっとしたら……」の町おこしに乗り出す。
きっかけは、卑弥呼が中国王朝に献上したとされる鉱物の採掘場所だった「若杉山辰砂(しんしゃ)採掘遺跡」(徳島県阿南市)が、
国の史跡に指定される見通しになったことだ。辰砂とは朱色の原料となる鉱物で、この遺跡は辰砂の採掘場所として調査が進む全国唯一の遺跡。
朱は古代、権力の象徴とされ、中国の三国時代の歴史書「魏志倭人伝」には、倭(日本列島)の山で採れた丹(辰砂)を、卑弥呼が中国王朝に献上したと記されている。
阿南市と県教委の2018年度の調査で、遺跡の坑道跡から弥生時代後期(1〜3世紀)の特徴を持つ土器片が複数見つかり、
卑弥呼の時代にも辰砂が採掘されていた可能性が高まった。国の文化審議会は6月、遺跡を国史跡に指定するよう文部科学相に答申した。
徳島商工会議所青年部はこうした動きに注目。歴史ロマンあふれる町おこしをしようと考えた。
大阪の百舌鳥(もず)・古市古墳群が世界文化遺産に登録されたこともあってか、県内の古墳を巡るバスツアーも盛況といい、「古代史ブーム」に乗る狙いだ。
歴史好きで今回のフェスを担当する同部事業委員会の山本高弘委員長(45)は「歴史を通して徳島を再発見したい」。
若杉山辰砂採掘遺跡
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190906-00000041-asahi-000-view.jpg 『女性セブン』が「いちばん嫌いな男」というアンケートをやったら、
第4位の江頭2:50や第7位の出川哲朗をぶっちぎりで抜いて、第1位は安倍晋三だった。 日本人は認めたくはないだろうけど邪馬台国は韓国にあった >>11
今の価値観でカルトと言って矮小化する阿呆w ぎしわじんでんを訳したら九州北部のやまいち国だったし
訳されて残念だな 正直どうでもいいw
町おこしの為に言ってみただけかも知れないがねw 町おこしとか意味不明な日本だけのイベント、何か恥ずかしいよ 九州のアイドル卑弥呼ちゃん
関西の大手芸能プロが強引な引き抜きに掛かってる
そのいざこざに利用して四国も狙い始める 単なるシャーマンが国家の代表とか、邪馬台国は滅んで当然 やっと徳島の連中も歴史的なものを掘り起こす重要性に気付き始めたか。
マチアソビ(笑)とか東京の真似事みたいな
イベントやっても意味ねえんだよ。 「ひょっとしたら……」程度で名乗り上げても、
遊びでやってるんじゃない他の地域に瞬殺されるんじゃね 徳島が本命で、だから今までスルーしていたんだと思ってた 阿波踊りと言うか徳島はイメージダウンしたわ
昨年地元の企業と地元民で阿波踊りの運営権で争っていたよね
金に汚いイメージ やっとでたー、畿内がまったく見込み違いとわかれば四国に鞍替えすると昔から言われてたやんw
畿内説終了まで五秒前w ヒミコじゃなくてオオケツヒメだろ
無理やりヒミコに結びつけようとするからチープになる こういうことやるから徳島はセンスがない、民度が低いと言われるんだよ
まるで名古屋みたい ソロモンの秘宝、卑弥呼、つちのこ、恐竜の骨
しかし、全部が中途半端な徳島県 甥っ子がおたふく風邪になって
徳島旅行が取りやめになったのだが
どうやら正解だったようだな 淡路島は銅鐸がたくさんでたから可能性はあるかもしれないけど
四国はちょっと 昔は本州と陸続きだったんだろ
しかも寒冷な気候
奈良とか寒いと思うわ 今年は阿波おどりも台風で半分駄目になったんだから
ちょっと位乗っかっても良いじゃない >>47
言ったもん勝ちを最強に実践してるのが
焚書不比等の偽書記紀だけどな
土人どもが!
ヤマトの神功皇后による三韓征伐の時代に、
何で土人のような邪馬台国の卑弥呼が
日本列島にあったのだ。そんなはずが無いわ!
もうすでにこの時代に、ヤマトは
日本列島の九州から北海道まではおろか、
朝鮮半島も征服していたのだぞ!
いかにも土人のような邪馬台国の卑弥呼がいたとしたら、
それはアムール河流域にいる、ツングース族だ!
なぜ邪馬台国は見つからないのか。
日本人の意識には四国を軽んじる傾向がある。
だから四国説の言い分なんて最初から鼻で笑われ考慮してもらえない。
だから邪馬台国は永遠に見つからない。
だって邪馬台国は四国なんだから。 >>1朝鮮人韓国人テロリスト!
公安に通報した
土人どもが!
ヤマトの神功皇后による三韓征伐の時代に、
何で土人のような邪馬台国の卑弥呼が
日本列島にあったのだ。そんなはずが無いわ!
もうすでにこの時代に、ヤマトは
日本列島の九州から北海道まではおろか、
朝鮮半島も征服していたのだぞ!
いかにも土人のような邪馬台国の卑弥呼がいたとしたら、
それはアムール河流域にいる、ツングース族だ!
無駄無駄、魏誌倭人伝は
「余所よりウチの皇帝の方がスゴイんだぜ!」ってホラ話だから もうとっくに邪馬台国の遺跡掘り出されてるよ
工事の邪魔だから潰されて無かったことになってるけど 東は海に面して、千余里行けば倭種の国があると記載があるから鹿児島市や
横浜市、横須賀市、川崎市も候補地になるwww いつまで中華が蔑んだ字を当てた読み方で読んでるんだか呆れる 占いや天変地異や戦で国ごとあちこち転々としながら暮らしてたんだろ (ヾノ・∀・`)ナイナイ
魏志の倭人伝にある道程距離があてにならないのは今や常識として、書いてある国名と順番がある程度正しいとしても、
ほぼ正しいだろうと推定されている北九州の伊都国 (博多辺り)から数えても邪馬台国はすぐ近くであり、徳島は遠すぎる。
おそらくは北九州の小倉から山口県辺りの海岸近くにあった小都市だろうと東アジア史専門の岡田英弘氏は言っている。 辰砂が取れたからといってそこが邪馬台国とはこれいかに 邪馬台国は1つじゃなかった可能性も移動した可能性もあるし卑弥呼(女王)が1人だったとも限らない 日本語のハ行音は昔はパ行音だったから、ピミコさまですね (´・ω・`) 無理やり卑弥呼をもちだして、金儲けに利用しようとするな!
徳島には宇宙人基地があったんだから、そっちを美味く利用しろ。
宇宙人が運んできたイスラエル人が徳島の祖谷に住み着いたんだから
イスラエルはじめ、世界の金持ちユダヤ人を観光客として呼べるじゃん。 邪馬台国を九州とすると、徳島は裸国か黒歯国だろう。
→女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり、また侏儒國その南にあり。
〜女王を去る四千余里、また裸國、黒齒國、
その東南にあり。船行一年にして至る けっこう昔から説はあったよ
邪馬台国はまちがいなく四国にあったって本も出てる 当時は地軸が傾いていて東西南北は90°ずれてたという設に当てはめると行くかも お願いだから参加するなよw
近畿九州論争だけでも推論を根拠とした更なる推論ばかりなのに 天照大神の岩戸隠れ伝説の天宇受売命が岩戸の前で舞った踊りを阿波踊りにつなげるなら分からん事も無いけど…
卑弥呼はどう考えても阿波じゃないだろとみんな考えるし 卑弥呼は死なぬ!
私を倒しても第二第三の卑弥呼が出てくるであろう!
ワハハハハハ そういや魏志倭人伝にすだちが美味かったって書いてあったな。 徳島は卑弥呼でなく聖柩だろ?
剣山にアークが眠ってるって昔は一時期ブームになったぜ
かごめかごめの唄の謎を解くと人払いの封印が解除されてアークの納められてる扉が開くらしい
で、アークを護ってるのがツチノコ
今思うとスゲーごちゃ混ぜ感がするなw 倭の五王は倭国王、日本王、百済王、新羅王、高句麗王 これまでもこれからも徳島の時代は来ねえ〜(;´д`) 歴史と照らしあわせると邪馬台国では
吉野ヶ里に王がいた時期もあったみたいだし タイムマシン開発されて卑弥呼見に行ったらドブスだったら途端にどうでも良くなるやろ? >>109
ねーだろ。
そもそも倭人がチビ言い出してるから新羅とか高句麗とかのツングース系とは別の存在を指してる。奴ら背が高いし。
漢人が野蛮人みたいなくくりじゃなくチビ野郎みたいな言い方をするんだから周が王朝を築いた時からいたんじゃね倭人って。
同様の存在が殷で、奴らは周に敗れたあと離散し交易を始めたことから商人と蔑まれた。
周の南方で稲作やってた小柄の連中のことを倭人て言ってたんじゃねーの?
呉越との関係はハッキリしないけど。 だろうね
阿波踊りこそが邪馬台国の卑弥呼が
いた事を証明するのだもんね 邪馬台国を朝鮮半島南部とすると大体位置関係に矛盾がなくなる
邪馬台国は半島と九州にまたがる国家勢力だったんだろ
後に半島から駆逐され残党の任那も潰され完全に日本列島に主軸が移った 阿波踊りの市長と徳島新聞の騒ぎみりゃわかることだが
チョンだらけだからな
捏造劇場はっじまっるよ〜〜 宮崎県が西都原古墳群の男狭穂塚古墳、女狭穂塚古墳の被葬者を
瓊瓊杵尊、木花開耶姫と決めつけて明治政府に働きかけたように
町おこし目的で名乗りを上げるのは迷惑なんだよね 人は記憶型と思考型に大別できる
卑弥呼と同時代の大陸の話
趙雲の映画 「三國之見龍卸甲」
https://www.youtube.com/watch?v=H0DPeGu9n64
前半は若き日の趙雲
後半は老将となり北伐、押し寄せる魏の大軍
そして趙雲、最後の戦いへ・・・・ まー仙谷とジャストシステムしか
ないんだから
卑弥呼ぐらいいいじゃん
言うだけなら 百済の意味は「主食は穀物」
新羅の意味は「主食は鶏」
高句麗の意味は「主食は鹿」
韓=朝とは違う=未熟では無い
朝=未熟
鮮=不毛
馬韓、辰韓、弁韓は倭人の国 >>128
大分県、耶馬渓町に、台与って地名も、岩戸ってのもあるんだが
三つも該当語句があるのに、なんの動きもない。 >>101
さど←⇒とさ
| |
とやま←⇒さど
名前も1回転、ちょうど日本列島が1回転した証拠だよ。w えらい学者さんならともかく一般庶民にはどうでもいい事だしな、町おこしで賑わうならガンガンやればいい 徳島市の隣、石井町には天照大神の墓という伝承がある古墳が存在。
イザナギ・イザナミを祭る神社は全国にたくさんあるが、
イザナミを主祭神としていた神社は徳島にだけ存在。
天岩戸伝説地有り
五神名地神塔がやたらとたくさんある、神社には必ずあるし、
明治まで神社だった故地にも五神名地神塔だけ残存している場合がある。
阿波忌部の末裔三木家は天皇の代替わりに大麻を育てて作った特別な衣を調進・・・。
大嘗祭の供え物の一つもも阿波から調達・・・。
土佐に流された天皇が、その後、阿波に移って滞在・・・。
大和朝廷とのかかわりは強い模様。 日本って卑弥呼と言い、天照大御神と言い、女性が中心の社会なのね
江戸時代になってから女性が小粒になってくるんだけれどもね
更に明治の時代になると悲惨としかいいようがないわけね そのうち徐福が不老不死の法を得て卑弥呼を名乗ったとか出てくるぞ 儒教が入って来てから、本当に男尊女卑が酷いものだとは思うわけね 金儲けのために妄言を吐いて他人を騙そうとするって
詐欺の定義そのままでは? >>145
徳島では長曾我部は残虐な侵入者という扱い。
戦には勝って占領したが、統治していた期間が短すぎて、
長曾我部の世話になったという人間が皆無。 だけど科挙みたいな権力者にとって都合の良い、形式的なつまらない孔子になってしまったけれども、
孔子は元々大変に身分の低い巫女から産まれて来て、沢山の改革と、沢山の失敗を繰り返した
野生児ではあったのね。沢山の母性に囲まれていたのでしょうね
ただの形式になってしまって残念ね・・ >>154
やっぱうろ覚えになってるか
突っ込みありがと >>133 の続き
BC770年 春秋戦国 ←問題はここだ。大陸との関係がどうなっていたのか?
BC221年 秦
BC206年 漢に朝貢
184年 三国時代、公孫から魏に朝貢
265年 晋に朝貢 国生み神話の一番目おのころ島、2番目淡路島、3番目四国だし四国でおのころ島に一番近い徳島はありかもしれないがそれならおのころ島神社のある淡路島のほうが分があるということに >>78
この議論で馬鹿らしいのは邪馬台国が大和朝廷の先駆けとして位置づける人々がいることだね 写楽だったか、本当に女性を愛していたのね
ヘンテコな科挙みたいな儒教が入って来ると男尊女卑で大変ね 九州でも畿内でもなかったら
邪馬台国学者全員死亡www 島国日本に船で移動しているのに陸路一月って、考えられるのはただ一つだろ。
登山したんだよ、だから日数だけで距離は書かれていない。
剣山が卑弥呼のいた場所。
当然徳島がその本拠地だろ、水銀も取れたし。 邪馬台国論争は畿内で決着済みです
良い子のみなさん、徳島説とか九州説みたいな学術的根拠のない俗説を信じてはいけません
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c 卑弥呼なら俺の隣で寝てるよ
昨日ペロペロした
これからは俺んちが邪馬台国なー
おわり! 江戸時代を決して全部は否定しないけれども、やはり春日局を最後に
女性が小粒化したのが悔やまれるでしょう
家康も、お嫁さんが判断を間違ってしまって、自分の息子を処分しなければいけない
事態に巻き込まれたという悲劇があったのだろうけれども、それにしても残念だわ
明治維新は語る気にもならない 北海道名物きびだんご
宮崎のういろう
徳島の邪馬台国 お坊さんとの仲で話題になっている女性の天皇だけれども、
彼女は本当に平等な世の中を目指そうとしたのよ
元々あのお坊さんは身分を落とされた方でしょう
それで彼女は母親とその不倫相手の間で大変な葛藤を持っていたのね
自分の親から政治の駒として利用される事に、心の底から反対して、そして自らの思うままに生きようとしたわけね 朱ナンバーワン地域の伊勢や大和を差し置いてなぜ徳島? >>1
>古市古墳群が世界文化遺産に登録されたこともあってか
平成の政権と江戸初中期の政権を比較して意味あるか?
遺跡ももっと科学的に分析ができるはずだし やれ 確かに、藤原氏からしたら、彼女の暴走は大変なものではあったわけよ・・
だから何もかも悪者にされているのだけれども、彼女が目指した平等は
誰も咎められないわけでしょう? 糞ド田舎の雑魚は黙って小躍りしてろwwwwwwwwwwwwwww 阿波おどりで負のイメージついたからムリ糞入れてないかw >>14
日巫女または日御子という太陽に関係した名前では? 香川県田村神社なら記されているが!
欠史八代説は冒涜罪で逮捕された津田左右吉の所説で第二次大戦後GHQの統治下にあった文部省が採用を余儀なくされて当時の教科書から応神天皇以前の天皇の名前を全て削除した。その後、GHQの推挙で文化勲章を受賞。
歴代天皇は奈良県橿原市にある神武天皇陵の参拝に訪れる。近くにある多神社の宮司が多氏で神武天皇第二皇子、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫も存在する。 昔の阿波は超有名だわ
淡路島って大きな島なのに
名前は「阿波へ行く路にある島」という意味だし 前方後円墳の初期の墳墓は徳島と香川東部が最初で、
そのご大和や吉備〜日本各地に広まった可能性。
墓制を変えるほどの力を持った集団がかつて居たのは確実視されている。 YouTubeでも動画あるけど出演しているアシスタントの女の人が好み 奈良県民なんだが、もうみんないい加減にしてくれよ
ちゃんとした証拠があるのは奈良だけ
九州があほみたいな妄想を長年ずっと続けたせいでこんな事態になった
九州勢がこの事態を終息させろ 徳島県の旅館に阿波踊りの格好をしたおばさんの幽霊が出るのは有名な話 顔を手ぬぐいで
隠したおばさんがスッチャスッチャを静かな音をたてながら踊り続ける あまり真剣に踊っているので
熱心だなと思い声をかけずに旅館の人に尋ねると「また……出ましたか……」と答える ひょっとしたらで まかり通るなら 全国各地に卑弥呼だな 新潟県民だがここは敢えて卑弥呼=沼河比売ということにして
邪馬台国は越後にあったことに… 日本各地に弘法大師の伝説があるのは
こういう人らが日本各地にいた結果の産物なんだろうな 邪馬台国とか卑弥呼なんて中国の神話かなんかに書いてあっただけ >>198
あの人、もうただの井戸掘り人夫みたいにされてるもんなw ぶっちゃけ畿内だけど、阿波は九州よりは確率が高い
畿内→吉備→滋賀→阿波の順かな ソープランド卑弥呼
当姫は皆、阿波おどりを特技としております。 >>1
徳島県の剣山は日本のミステリー
古代史になにやら大きな影響を及ぼしそう
秦氏=ユダヤ系説も根強い
建築様式や神社に残ってるユダヤ教との共通点
剣山は最初発掘した際、多数のミイラが出てきたりユダヤ的な祭祀道具も出てきたという噂
以降は政府によりストップが掛かり調査も禁止
剣山には謎が多い 馬韓→百済
馬韓の意味は「主食が馬の倭人の国」
百済の意味は「主食は穀物」
馬韓に稲作を教えたのは日本人
弁韓の意味は「鉄が出る倭人の国」
辰韓の意味は「主食が貝の倭人の国」 >>180
ナショナリズムは家族愛の変形だから、家族や集団や所属を知性で切れる人じゃないと扱いは難しい。
つまりは、超人以外に統制はさせてはならない。
時代は超人の知性を求めている。 >>159 の続き
統一勢力は畿内の大和
だが卑弥呼は統一前の話
それも俺のものと畿内が強引に主張、そして四国も出てきやがった
なんなん? >>199
いや、まあ神話じゃなくてちゃんとした史書ではあるんだけどな。 >>184
「卑弥呼」の読み方は「ヒミカ」すなわち「日向(ヒムカ)」なのよ ひと月ごとに持ち回りで47都道府県卑弥呼まつりやれば円満解決 徳島の商工会議所って糞しかおらんよ
風俗経営者とかもいてめちゃくちゃだから かつて九州説の牙城であった東大がギブアップしたときに、
学問の世界での邪馬台国論争は終わった
素人連中がファンタジー小説を作って、九州だの徳島だの騒いでるだけ 福岡で確定だろ
何物にも成長期間ってのが必要なんだよな
いきなり奈良とかないから
あんな山の中で何も生まれないんだよ
そもそも奈良も京都も中国の丸パクだしな
中国朝鮮に近い福岡で日本王朝が誕生し
福岡でじっくり成長して、
そこから中国朝鮮の軍事的脅威をかわすために
奈良盆地に遷都した
これが日本の古代史ですわ お遍路で散々儲けているのに卑弥呼で町おこしとか銭ゲバも甚だしいな
阿波は卑弥呼よりももっとヤバいの隠してるだろ
皇室は徳島には全然行幸しないよね 徳島を含む関西人は朝鮮人と同じ遺伝子。縄文人の遺伝子が殆ど入っていない 魏志倭人伝に書かれてるのをそのまま計算すると邪馬台の場所は鹿児島南方の海の中になるんだっけ 「えびすさんがみてる」にて、蛭子さんが卑弥呼にインタビューした内容だと、中間市出身だった。 奈良で決まりなのに、九州土人がごねてるから、俺も俺もでこういうことになるw もう日本各地にいたでいいよ
ご当地卑弥呼ちゃんとか作ればよい 倭人伝を真面目に読めば理解出来るが邪馬台国の東には海があり、海を渡れば
倭種の国があるとの記載がある、従って邪馬台国は現在の横浜市で倭種の国は
千葉県の君津市付近と言う事になる。 徳島県には神山町という町がある
名前的になにかありそうだろ。どうだこの説得力! たまには狗奴国の卑弥弓呼のことも思い出してやってくれ 卑弥呼の鬼道は神に捧ぐ踊り
卑弥呼が阿波踊りの起源(キリッ >>211 の続き
帯方郡(平壌の下)
http://inoues.net/study/rakuroh05.jpg
『晋書』
宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見
司馬懿(魏の臣、後の宣帝)が公孫氏を平らげるとその女王(卑弥呼)は帯方に使いを寄越し朝見した
で、その司馬懿と諸葛孔明の対決
孔明の空城の計
https://www.youtube.com/watch?v=zdYAwC7FXI8 卑弥呼はうちの近所の小学校のニワトリ小屋に居る。
そこにはファラオというニワトリも居る。大物揃いのニワトリ小屋です お遍路始まりの地だからな
歴史的に何かあるのは確かだと思う 卑弥呼の正体は八岐大蛇
だから邪馬台国は出雲にあった どうみても奈良に決まってるのに九州だの阿波だのウケるww
こいつら自分でも信じてないだろ >>78
ふんふん
伊都国 (博多辺り)
邪馬台国(八幡辺り)→後のヤワタ
で、正解ですわ
博多と八幡は
有史以来の交通の要衝
人が集まる場所 邪馬台の意味は「ラクダが多い台形状の国」
つまり邪馬台国はエジプト >>211
阿波は畿内の傍流だよ。モモソ姫の伝承が最も多い 小野妹子も男だし卑弥呼という響きで女と決めつけるのはなんなの? 何故か邪馬台国の勢力範囲は矮小化されるからなぁ
本拠地が九州にあるにしろ近畿にあるにしろ
濃尾平野から九州北部までの豪族を傘下に持つ
ヤクザの親分くらいのものだから
そりゃ阿波にも構成員おるやろ 邪馬台国は川崎市〜横浜市付近で狗奴国は鎌倉市や湘南市付近、海を渡って
1千余里にある倭種の国とは木更津市や君津市を指している訳だ 阿波は辰砂をヤマト国に収めてたんだろ
採れる量が少ないので採掘までした下っ端が阿波 >>218
福岡があの当時人養えるくらい米とれるかとなると若干の疑問でな
旧都福岡で
2世紀末の寒冷化で宮崎→近畿へ移動もそれなりに成り立つ 日本を統治していたんだから
どこにいたとか無意味よ >>259
ヤマト王権と連続性を持たせないと都合の悪い一族が居るだろ
自称126代続いてるお家とかさ >>255
奈良が政治を覚えたのは4世紀末以降だな
↓
産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。
遺構は、すでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。 >>246
次にお前が何を言うかなんだが。
329: 09/06(金)13:30 ID:8IlU4OhA0(1) AAS
優秀なのは空自かカイジいくだろう。陸軍はどの国も似たようなもんds路。 >>245
そういえば日本書紀に兄弟国みたいなことが書いてあったな 邪馬台国産業の人は曹操の墓にお参りくらいいけよ
毎年儲けさせてもらってからに >>1
「ひょっとしたら」で町おこしw
恥ずかしさはバカ@阿波と同じだな
阿波が真性のアホということか >>261
ありがとうございます。勉強になりますm(_ _)m 欠史八代の頃を邪馬台国とするならば、吉備あるいは阿波が邪馬台国。
崇神のときを邪馬台国とするなら畿内となる。
そういう話でそんなにとんでも説ではないよ。 >>258
寒冷化で宮崎→奈良にどうしてそうなるのか?暖かい宮崎から寒い奈良になぜ行くのか
逆なら判るが、支離滅裂な事を書くなよアホ。 >>1
プロパガンダしてなんとか主張してってのは
桃の種の連中と同じで笑える >>1
邪馬台国は丹が出る山にあったとぎしわじんでんにハッキリ載ってるよ
距離だの方角だのと違ってストレートなヒント
ちなみに土偶も縄文時代は丹で赤く塗ってた >>274
宮崎は土壌の関係で
鹿児島ほどではないが当時はあまり米取れんぞ
平安末期あたりでようやくだ すべてはこの宇宙が誕生する前から決まっていたこと。
この世のありとあらゆる出来事が。 決定的な証拠が出るわけないことをいいことに好き放題だな
もはやウリナラ起源主張となんら変わらん 九州のせいで邪馬台国が終わったよ
これを売りに客呼べるのは畿内だけなのに ┏( .-. ┏ ) ┓
【京急事故🇦🇹】
*神奈川新町駅に行く途中
8ch両編成の電車がトラックと衝突して脱線した
衝突したのはレモン660ケースを積んだ
12トンの大型トラックだった
--
【国旗と車輪カラーに付いての感想】
*オーストリア国旗と同じカラーの京急車両が
新世界(NWO)か、大阪の新世界に行こうとした処
トランプ勢力(キング、女王)が、ストップを掛けた動きになった
そして両者共倒れの結果に終わっている at
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1169711700179742721/photo/1
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 大和朝廷が奈良で誕生して天皇は奈良の文化が北部九州に比べてあまりに遅れているので
これを解消する為に朝鮮半島に使いを送り畿内地方に移住を説いてまわり大勢の百済人が
畿内地方に移住した訳だ。それまで住んでいた先住民は天皇の古墳造りにこき使われ
農業は移住してきた百済人が担った訳だ、現在の関西人の先祖と言う事になる。 >>14
肥の国なら九州北部だが、卑弥呼は名前だと思うぞ
そもそも巫女みこが当時単語があったかわからん
中国の発音だとピミウォらしいし >>281
日朝関係史…シャーマニズム…真偽は置いておいてとりあえず調べてみようと思います ひょっとしたらで問題の種増やすとか、こいつら朝鮮人だろw もうちょっと徳島の事を話してあげようよ
阿波踊り以外何も思い浮かばないけどさ >>240
九州の八幡は読みが「やはた」
1889年(明治22年)に3つの村が合併した時に、その3つの村が八幡神社を祀っていたので
そこから取って八幡村(やはたむら)という名前にした。それが由来なので邪馬台国は関係ないぞ
下がソースな(PDF3枚目の左ページ、区名のゆらいを参照)
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/page/dayori-arc/dayori1963/630901_pageall.pdf >>271
ID:oKaYDB560はいつも邪馬台国スレに居座って、
「天皇は古墳時代に朝鮮半島から来た」というデマを繰り返してるやつだから
信用してはダメ >>282
奈良は農繁期は暑いぞ
だから邪馬台国発見直前の
寒冷期まっさかりにここに移るのは
説明はできる >>288
古代半島は朝鮮人も倭人も一緒クタだろうから、半島から帰化した倭人がヤマトを立てたと考えりゃいいんだよ。
縄文人は階級社会を作るような人種じゃなかったんだから。 卑弥呼の占いをどうして、日本国内の100余国は当然、
魏の皇帝までが信じるにいたったか?
日本国内の治世はこの占いで決められていたが、それのみならず魏の皇帝までが信じて従った。
この意思決定過程には何か不可思議な力がある。
意思決定が不可思議なのでなく、意思決定過程が従うことが不可思議なのだ。
まあ、哲学、思索の領域だから高知能限定の話題か。 >>288
おい糞朝鮮人
おまエラエベンキの非差別民は百済と関係ないんだよ
ウリナラファンタジーやめろボケ >>165
全員死んでいいよ、バカばっかりだから
九州で決まり、間違いない
なんだけど、九州論者も近畿派、四国派と同等にバカだからな >>305
そこはどうでもよい話で。ナショナリズムから離れて高知能の話題に移行しなければならない。
高知能とは、すなわちおれのレベル。 >>307
半分正解。歴史上、中国以外に東アジアに思考力は存在しなかった。
しかし、その思索を超えた意思決定過程が、卑弥呼の占いの中にはある。
たぶん、AI が辿り着けないintelligence。 卑弥呼より以前が瀬戸内海から太平洋沿岸に至る政権があって
津波災害を契機に内陸部の大和に遷都したんだよ
だから卑弥呼の時代は阿波国ではない >>291
シャーマニズム、じゃない。同集団内の決め事の話じゃないから。
現代的に言えば、イスラム教国もプロテスタント国も、カソリック国もその意思決定に従うという
極めて不可思議な力。過程の存在。
自分の集団の占い師差し置いて、他集団の占い師を女王として従うか? 既に北部九州の小国の連合体が邪馬台国で決着済だからな。 今のところこのスレにはIQ 130レベルはいなかった。 >>309
お前のようなアホが縋りたがるAIってなんだ? >>317
6(1): 09/06(金)06:52 ID:UwYIKOHj0(1) AAS
手コキ必死やなw 邪馬台国論争はある史書をガン無視する前提によって行われている
この史書は出自の怪しいものとか、最近ポッと出てきた書物なんかじゃなくて、れっきとした中国の正史なんだけど
日本史学会は「アレはデタラメ」と断定して魏書東夷伝だけを資料としている
わざわざ魏志倭人伝なんて存在しない名前を付けてね
このガン無視されてる史書の名前がわからないようなヤツはそもそもこの手の論争に参加する資格がない >>320
もう少しIQ 上げて。
659: 09/06(金)09:52 ID:TqNvVh2C0(3/4) AAS
>>632
まあ、そういうところ
だよな
子育てしたきゃ地域選ばなきゃ >>321
あまり意味はないな。成立年代だし、いくつか写本によって変わってたろ。 >>271
それ単に奈良が列島を大体統一し、大和朝廷として、
半島に遠征し出した時期。4世紀後半からの「三韓征伐」だわ。
5世紀頭に高句麗に大敗して、大和朝廷の半島経営は守りに入る。
遡って、奈良が列島の覇権国を地位を邪馬台(九州)から奪ったのが、
倭国大乱(≒2世紀末)。 180〜300年ぐらいの間でもっとも巨大な都市があった場所だよ。
場所は、考古学に依存する。歴史は考古学では語れない。
やっぱりどうでもいいや、有能理系登場待つ。 >>48
>淡路島は銅鐸がたくさんでたから可能性はあるかもしれないけど
倭国(阿波)では、「其山有丹」の「丹」がたくさん出てるよ。 わははははは @阿波 >>61
>じゃあ、あわつながりで、千葉の館山もどうでしょ?
あっ、それ、関東忌部の開拓地。 @阿波 高IQ 的に言うと、なぜ卑弥呼の占いが、他集団多集団を従えられたか?
これはいったい、どのような意思決定過程を踏んでいるのか?
そして魏の皇帝まで信じるに至った根拠はどこにあったか?
これはかなりの力を及ぼしているだろう。後々の日中関係の印象においても。 >>138
いや、大分は本命だから。宇佐神宮が卑弥呼の墓。あと「葦原の中つ国」の中津と豊(とよ)の国。
ついでに高千穂も宮崎というより大分。 >>313
それ魏志倭人伝を読み間違ってる。
邪馬台国は、連合体じゃなくて女王国(首都)が支配する領域国家。
その中に各小国(クニ)がある。
皆が読み間違うのが、女王卑弥呼「共立」という部分。
これは、邪馬台国内の各国(クニ)が女王を共立したのではない。
倭国大乱の当事者たちが「共立」、つまり、邪馬台の覇権放棄(男王禁止)
と引き換えに和議が成ったということ。そして、あたかも、邪馬台が
列島で共立された倭国盟主の如く朝貢してる、大陸向けフィクション。
邪馬台は、おそらく、漢代の列島覇権国。隷下の奴国に朝貢させてた。
邪馬台が魏に朝貢した時、裏に居た覇権国は、大乱の勝者、奈良だろ。 >>293
クズ島の話題なんか必要ない
ただの首狩り族の村だ 中華人民共和国は、日本の何倍かの経済力に発展するから
過去、これだけ国力に差があったにも関わらず、相手国に一定の意思表示ができた過程を知るのは大事。
トランプになんにも言えない日米関係を、この邪馬台国と魏の関係からとらえ直してみよう。
もうすぐ中国は、この東アジア地域の覇権国となる。日本がどんな場所となるかは、日本人次第。 観光誘致するからには邪馬台国のテーマパークくらい用意するんだろうな >>293
徳島に行った時、思ったことは
道路で車を譲らないね。小さな親切も出来ない。
全ての人がそうとは言わないけど
狭い県で、県民性が狭量なんじゃないかな。 本当に現実がつまらない。自分より頭のよい人の話をきいてみたかった。
だいたい偉人で同レベルだな、と感じてたし。
キリストと話したときは、いい人だけど普通っぽかった。あれ、パウロの脚色が大きすぎ。
釈迦は、まあ良かった。こうしのことは忘れてた。 誰か頭よい人、知らない?いや数学者は良かったけど。 阿波説は主張してるご本人達も町おこしのためのシャレと分かってやってるし微笑ましいよね
九州説とかトンデモをガチで信じてやってる人がいそうで笑えない アメリカで生まれれば良かった。英語もう少しやるか。 >>137
馬韓は箕子朝鮮(殷王朝の系譜)らしいよ
元々は倭人というか、倭人のベースとなった照葉樹林文化の人々が定着してたと思うけど
>>48
淡路島には徳島産の辰砂で朱を精製した「二ツ石戎ノ前遺跡」もあるそうだよ 関西人が他の地域の日本人と大きく異なるのは縄文遺伝子を持っている割合が
非常に低い事。朝鮮人と同じレベルなのでヤマト民族とは言いがたい
こう言う事になったのは関西に来た渡来人が縄文人を極度に嫌って縄文人との
混血を避けた事が原因。 まさに、ここ掘れワンワン状態の、阿波考古学。 阿波の遺跡は、他のトンデモ説のチンケな遺跡とは、別格! @阿波
女性の人骨出土 犬山天神山古墳(徳島市)
https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/52348696.html?__ysp=5aWz5oCn44Gu5Lq66aqo5Ye65ZyfIOeKrOWxseWkqeelnuWxseWPpOWis%2B%2B8iOW%2Bs%2BWztuW4gu%2B8iQ%3D%3D
石棺からは、ヒスイ製勾玉(まがたま)1点、青銅製の鏡1枚、水晶製勾玉1点、直刀1振り、
鉄鏃(てつぞく)35点、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)8点なども出土。 @阿波 庄・蔵本遺跡とは
庄・蔵本遺跡は、阿波徳島のランドマーク、眉山の北側山麓に広がる遺跡です。
蔵本キャンパスでは、1982 年に体育館器具庫地点の発掘調査を嚆矢とし、これまで30次にわたる発掘調査が実施されています。
その結果、縄文時代晩期から近代までの幅広い時代にわたる、数多くの貴重な文化財が発見されています。
その中でも、弥生時代前期のそれは極めて豊富で、初期の農耕集落遺跡として、学界で注目されています。
弥生時代の始まりには、2重の大溝が居住地の周りを巡り、その周辺に墓地や畑・水田が広がっていたようです。
そのほか、弥生時代中期の方形周溝墓群、後期の中国鏡、銅鐸片を発見するなどの学術的価値の高い成果をあげています。
旧河道や溝などからは、土器・石器などの道具に加え、木製品・炭化種実といった有機質資料も豊富かつ良好な状態で出土しており、
弥生人の生活誌の復元にも大きく貢献しています。 @阿波
http://tokudaimaibun.jp/s_rist.html 「加茂宮ノ前遺跡(弥生時代)」
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡は、那賀川の右岸、標高24〜26mの自然堤防上に立地している。
発掘調査で弥生〜古墳時代集落の中心部を確認した。
それ以前の調査成果と合わせ、竪穴住居が約100軒発見されたことになる。
県内の他の弥生時代集落では、鉄器が製作されたとみられる竪穴住居は各集落の中で1,2軒程度しかない。
ところが、加茂宮ノ前遺跡の弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居の約半数では、鉄器を生産していたことを示す鍛冶炉が複数設けられていた。
生産に関わる道具類と鉄鏃などの製品も出土した。 背景には、水銀朱の生産との関連が考えられる。
これまでの発掘調査で、石臼や石杵といった水銀朱の生産に使った道具類のほか、原材料となる辰砂が大量に出土している。
その流通ネットワークを通じて、当時の最先端技術だった鉄器の製作法とその原料の鉄が持ち込まれたと推測できる。
加茂宮ノ前遺跡の弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居からは、稀少な装飾品も多数発見された。
この時期の県内の他の遺跡からは、ガラス小玉や凝灰岩製管玉などが数点しか出土していない。
加茂宮ノ前の集落が繁栄していた証といえる。
県内の弥生時代中期末の鍛冶炉の発見例は、県内では加茂宮ノ前遺跡が初めてだ。
それ以外は鳴門市大麻町の光勝院寺内遺跡、徳島市名東町の名東遺跡、徳島市国府町の矢野遺跡など、いずれも吉野川下流域の遺跡に限られていた。
(県埋蔵文化財センター専門研究員・田川憲)
2019年(令和元年)7月 1日 徳島新聞朝刊 >>1
すいません、うちのバアさんの墓が
このあいだぐちから、なんよーなってしもたんじゃけんど
おまはんら知らんで? IQってのは処理スペックであって
知恵や知識は計れんよな
なので、それを盲信してるのは「俺はアホデースwwwwwww」と言ってる様なもん 読んでないけど阿波が一人で数百レスするスレなんだろw まあウザいほどコピペ繰り返すバカがいると余計信用できなくなるのは間違いないw 知能は高くても俺みたいに人の言う事が素直に信じられなくて
真に受けることが出来ないアホウもいるからなw >>368
倭国(阿波)が大きな声を上げられるようになったのも、最新の考古資料の再調査・遺跡の発掘の成果のよるものである。 @阿波 大倭統一の象徴ヤマト。偉大な大和民族は高麗棒子など相手にしない。 >>235 の続き
帯方(平壌)─狗邪韓国(釜山) 沿岸航法で七千里
これで1里の長さが解る
短里で80m 炭鉱労働者がうろつく所に都はつくらん。大率の監視下。 無理がありすぎるw
別に勢力圏内で水銀が採れればいいんであって、都で採れる必要はない >>374
「其山有丹」
「丹」の採れるところが、「女王国」だと。 わははははは @阿波
各府県の発掘調査が進んで
いろいろ見つかってるのは徳島だけじゃないよ
九州北部が手を出さなかった
丹後半島やその周辺て実はすごかったんじゃねてことで
鉄がいっぱい出てる
http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg こう言う事をやると、基本的に嫌われる
その覚悟あってやってるのか >>375
それは『倭地』の説明だから女王国じゃなくて倭国全体の説明だよ 鳴門海峡のうずしおは有名だけど
徳島は舟で近づきにくい地形から孤立するので
どこかの勢力に従ってきた非常に忠実な犬だったと思うよ
3世紀初頭には前方後円墳を作ってたし萩原1号墳、2号墳
纏向のいいなり 阿波「魚と塩持ってきました」
纏向「ほうりっぱな鯛だなよくやった
でも最近は東海と吉備がいいものくれるんだよなあチラッ
ところで辰砂が不足してるんだけど
おまえんとこでなんとかならない?」
阿波「よろこんで」 徳島には大阪や奈良と同じ地名の町が多数ある
また古墳も多数ある
また近畿圏の古墳群よりも古いと分析されるものもある
ありえるかもしれんとは、俺も以前から思っていたよ 邪馬台国は微妙だが天皇のルーツは徳島
でないと三木家の存在を説明できない >>386
もちろん、邪馬台国も倭国(阿波)。 @阿波 奈良県橿原市忌部町には「天太玉命神社」もあります。 わははははは @阿波 ┏( .-. ┏ ) ┓
【ボードゲーム盤、大阪ジュマンジ🎲構想】
--
大阪の主要路線図を眺めて見て下さい
ジュマンジの様なボードゲーム版になって居ます
フジテレビの為の世界です
--
*新大阪駅
*One World(New World Order)勢力のフジテレビや
安倍「晋」三首相が
世界の「王」となるサッカー⚽のワールド・チャンプ構想を夢見る bm
--
続きは、下記のアドレス先のPをクリック
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1169949746624004096
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 島根県松江市東忌部町にも「忌部神社」がありま〜す。 わははははは @阿波 夏王朝、殷王朝、燕王朝、呉王朝、越王朝を作ったのは日本人 岡山県備前市伊部(いんべ)にも「忌部神社」がありま〜す。 わははははは @阿波 この前、讃岐富士が卑弥呼の墓と確定されたところだが 千葉県館山市大神にも天太玉命を主祭神とする「安房神社」がありま〜す。 @阿波 東京都神津島村長浜にも「阿波命神社」がありま〜す。 @阿波 「倭国(阿波)内 忌部一族主要氏族の本拠地」 @阿波
物部氏(後の忌部氏か) :: 旧麻植地域
葛城氏 : 鳴門北灘地域
中臣氏 : 板野地域
蘇我氏 : 石井地域 >>401
>阿波の侵略の足跡か
とんでもない!
全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の輝かしい足跡である。 @阿波 倭国大乱の覇者阿波
倭国大乱の罪を背負いし者阿波忌部 >>405
倭国「乱」も阿波国内での争乱なのである。 @阿波 日本全国、みな「忌部一族」の文化伝承のお陰なのである。 @阿波 >>409
「忌部一族」の恩を忘るるなかれ。 @阿波 ここでいう「忌部一族」とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
「忌部一族」とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
その忌部(斎部)氏は、物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波 泡爺さん頑張ってんな
まあここは泡スレだから好きなだけ語っておk >>414
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 >>44
ソロモンは悪魔に魂売ってたし。卑弥呼は中国に奴隷を売ってたし。
どっちも良いイメージなんて無い。 >>417
狗奴国(長国)も、阿波の南部(阿南市周辺)である。 @阿波 九州で決まりだけど、畿内がうだうだ言うなら四国もうだうだ言う権利はあるよw 阿波おどりの次に観光客を呼ぶイベントがマチアソビだもんな
そりゃ観光資源がほしくて仕方ないわな >>422
>九州で決まりだけど
「丹」の採れない九州に、邪馬台国など在る訳がない。 以上御終い。 @阿波 >>422
>九州で決まりだけど
碌な集落遺跡の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 以上御終い。 @阿波 >>419
そんなちっせえ争いに張政は派遣されたのか
張政カワイソスorz ゴメン、気持ちはわからんではないが、卑弥呼は流石に徳島ではない。
九州にはたくさんの伝説があって、天皇の子孫と言われる人々の居宅があった場所などもあるけどね。 徳島ねえ
そのうち旅行して大塚国際美術館に行こうと思ってるけど
他に大したものも無いから中々行く気にならない >>250
> え!?卑弥呼も阿波おどりを踊ってたの!?
泡踊りだよ >>424
これには同意
倭国の範囲が九州だけというのは、丹だけで否定される あゝ福岡の若杉山の丹と関係あんのか
色んなとこに地名を伝播してんだな筑紫島は 阿波おどりはユダヤ教との繋がりを研究して欲しいですよ? 阿波なら吉備だろ
つーか、あのあたりは今みたいに都道府県どころか旧国に分かれているわけでもなく、東瀬戸内で活動する同一勢力だろ
阿波にあったといってるやつは吉備説同じ
もっというなら、畿内説から考古学的観点を基にして吉備説が生まれたようなもんで、阿波説は畿内説と同じ
徳島のお国自慢野郎は馬鹿じゃなかろうか 古代史が盛り上がるのはいいこと
この感じで、調査できない古墳群も歴史調査してほしいなぁ 福岡県発祥の海神社、綿津見神社、住吉神社、宗像神社、八幡神社は全国に広まっている 八幡神社は全国に四万社あると言われており、総本社は大分県宇佐市の宇佐神宮だが
元宮は福岡県飯塚市の大分(だいぶ)八幡宮と宇佐神宮は言っている。
三大八幡宮の1つである福岡市の筥崎宮は大分八幡宮から分祀した。 関西の大型前方後円墳を調査したら天皇家の出自がバレる恐れがあるから宮内庁が
首を縦には振らない。半島製造の金銀の豪華な冠や首輪などが出土したら困るだろう 宋史新唐書仲哀死から中華は卑弥呼は神功だと考えてると思われ、阿波は出てこない。古代最重要は交通網であり造船技術で船木が上を行く、丹は紀伊半島でも取れ、苧は吉野川上流葛城で紀の川に流れ和歌山に至る。神功の軍船は山口の木材を宇佐で造船した、卑弥呼の都は紀伊。 >>439
(‘人’)つローマ文化王国新羅(笑)
新羅のローマ人が作った金銀財宝だから工ベンキには関係が無いよ(笑) 町おこしのために無理筋なの分かりつつ史実捻じ曲げるのそろそろやめろよ だからなんで海女も丹も真珠もポリネシア遺伝子もすべて本場の伊勢をさしおいて阿波なんだよ 欠史八代とか完全に伊勢や尾張のあたりが中心の話じゃん。
古事記読んだら >>448
後吉備と丹波あたりか欠史八代で出てくるのは >>438
八幡様が日本王朝の起源でしょうな
いや、あのな
日本ってのは、中国の丸パクリで始まった国なんだよ
日本文明とか奈良文明とかないから
地図で奈良盆地を見ろよ
海外から絶対人が入って行かないような山奥の僻地だろ
日本王朝の成立には中国文明の搬入が絶対に必要だったんだよ
「ああ、福岡だな」と小学生でも分かる仕組みだよな
宗像大社とか見たら、ああ、福岡に中国文明を搬入したなと
地名も八幡だけじゃなくて福岡の日向もあるしな
ああ、福岡に神様が舞い降りたんだなと
そこから中国朝鮮の軍事的脅威から逃れるために東の防塞に移ったなと
普通に考えたら分かるだろ、普通に >>451
北九州の八幡は明治時代に村が合併するときにできた地名 >>439
そこだよな
朝鮮との関係を隠蔽したいがために、日本の古代史が闇のベールに包まれる
もう、しょうがないじゃんよ
朝鮮は、中国文明の搬入ルートだから
そりゃ、日本王朝は朝鮮の影響を受けるに決まってるだろうに
そこを隠蔽したい連中が、畿内、畿内、ギャンギャン吠えて
日本の古代史をブラックボックス化してんだよな >>453
>>438が言ってるだろう
北九州の八幡は、八幡信仰の中心地だったと
それが地名に転化したと
邪馬台国が八幡様になったんだよ >>454
朝鮮経由は確かだが、朝鮮人ではなく朝鮮半島の日本人から日本の日本人へと文化は渡った
これが前方後円墳が証拠なってから、韓国では壊しまくってる 地名は記紀や風土記の頃から記録に残ってて由来のよくわからない地名もあるが
文字記録のはっきり残ってる時代になってから何か事件が起こったりして名前がついたとか
殿様がゲン担いで変えたとか、明治以降に市町村合併する時に新しく地名を作ったとか
そういう由来や成立した時代のはっきりしてる地名は珍しくも何ともない
卑弥呼の時代と現代の地名を絡めるなら、最低限地名の由来やいつまで遡れるかを確認して情報の取捨選択が必要
ネットで調べたらすぐソース付きで由来がわかる新しい地名を卑弥呼と絡めるなんて愚の骨頂で
そんなやつはアマチュアどころか、そのへんで子供相手にホラ吹いて都市伝説作ってるおっさんと変わらん
真面目な話には有害でしかない >>226
「今の姫子」が何なのかさっぱりわからない >>456
>>438を見ても北九州市の八幡から10kmぐらい南の飯塚とか
20kmぐらい南西の福岡市の筥崎宮とか40kmぐらい南東の宇佐の事が書いてあるけど
北九州市の八幡なんて全く書かれてないが?
438の話の中心は飯塚市の大分八幡宮だろ?
北九州の八幡は1889年に3つの村が合併した時に、3つの村ともに産土神八幡神社を祀ってたので
そこからあやかって「八幡村(やはたむら)」にしたのが始まり
古い北九州市の市政だよりに書いてある
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/page/dayori-arc/dayori1963/630901_pageall.pdf ああ、10kmじゃないわ
大分八幡宮の位置確認したら八幡から南西方向に20kmぐらい離れてるじゃん >>242
桜井市『何か?」
>>306
何か困ることでも >>461
そこは「まて、安房てるな」でもよい
アワのクニを造った神様(天富命)だけは、ヤマトの支配領域内に2つめのクニを持つことが許されたので、四国の阿波も房総半島の安房も起源は同じ
713年の“諸国郡郷名著好字二字化令”で漢字は別字になってはいるけどね こういうの要らない。阿波踊りの管理だけしてればいいのに。 >>464
八幡っ子からすると、筥崎は遠いけど、飯塚は隣村の感覚ですわ
その八幡になった3つの村は、八幡様を祭ってたわけだろ
だから、現在の八幡・飯塚あたりが邪馬台国の場所だったわけよ
ま、結局政治ですわ
日本王朝が朝鮮風の装飾をしてたら困る人たちが、畿内説を唱えて
そこに予算がたっぷりつくんでしょうな
天皇が、朝鮮風の装飾をまとった日本人だった証明なんかしようがないから
韓国・北朝鮮に天皇朝鮮人説を流布されるだろうしな
だから、本当は福岡にあったものを、奈良にあったことにしないと日本がもたない
しょうがないのかもしれんけどな 邪馬台国と卑弥呼の事は皇室が続く限り判らないだろうね。
単に中華朝鮮と人や文化が流れて来たとかの問題じゃあ無さそう。
何がなんでも隠さないと不味い秘密が皇室に有るんじゃないか? >>469
邪馬台国九州説は、朝廷の先祖が大陸に朝貢していた歴史が都合が悪いので、
邪馬台国は大和朝廷とは直接関係ない別の国ですよ・・・っていう、非常に低レベルの国粋主義が発端だからな。 宣長はこの畿内中心史観と同時に倭人伝の記述を基に論理的・学問的に九州説を考察しているのだが
この論理的考察を外して宣長の畿内中心史観だけを継承しているのが今の畿内説 >>469
元々の八幡村はWikiの遠賀郡の項目の右下見る限り、現在の八幡駅から田代町?あたりの、南北に細長い限られた地域だったようだ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%B3%80%E9%83%A1
>筥崎は遠いけど、飯塚は隣村の感覚
それは交通手段や交通網が整備された現代の感覚でしかない
今みたいに道路整備が行き届いていなくて、基本徒歩移動だった時代の距離感ではない
九州北部沿岸は埋め立て地多いから古代は今より海岸線が内陸にあるはずで、八幡の沿岸部はおそらく大半が海
それに昔の遠賀川流域は低湿地帯が多かっただろう。地形がだいぶ違うので
直線距離の近さよりも移動しやすさが優先される古代では、ルートが現代と大きく異なるはず
まぁ飯塚から船で川を下れば徒歩移動より早いだろうが
八幡は遠賀川流域からはけっこう外れているので、仮に飯塚あたりに邪馬台国の本拠があったら
貿易等の窓口になりそうな都市が栄えるのは、八幡ではなく遠賀川下流域になる可能性が高い
しかし遠賀川下流域は氾濫原だったようなので、古代に長期間都市が栄えたとは考えにくい
じゃあ、そもそも八幡周辺に古代の遺跡ってどれだけあるんだ?と思って調べてみると
やはり少ないようだ。分布図を探してみると、下位のサイトが引っかかった
弥生時代後期から6世紀ごろの金銀装飾品の出土地が下記のマップ
http://www.netpia.jp/history/kofun_07kyushu.htm#map
八幡どころか現在の北九州市一帯は全くの空白域。有力者はいなかったことになる(未発見の遺跡があるかもだが)
そういうわけで、八幡あたりまで邪馬台国の中心だったとは考えにくい
真面目に考えたら飯塚市南部から港に出るには、福岡市の方が距離が近い
到底徒歩では渡れない大きな河川や、それに付随する氾濫原もないので、地形的にも福岡市側に出た方が移動が楽だと思われる
そういうわけで邪馬台国に八幡は関係なさそう
それに、3世紀と明治じゃ1600年ぐらいも時代の開きがある
八幡信仰が全国各地に広がった後の時代に八幡のあたりでも八幡神社が多くあったところで、それが何だという話でしかない
古代から八幡神社が多くあった、古代までさかのぼるような由緒正しい神社が多くある
そのような時間的な検証がなされない限り、結びつけて考えるのは非論理的だ まぁ古代に飯塚と博多の移動だと篠栗線の通ってるあたりの谷間沿いか
峠越えて大宰府〜二日市のあたりに出てから博多に、となるだろうか
後者の方が現実的か >>428
>九州にはたくさんの伝説があって、天皇の子孫と言われる人々の居宅があった場所などもあるけどね。
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
九州各国の風土記編纂時に、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 普通に考えれば、北九州のどこかに邪馬台国があったと思う
魏以前は遼東の公孫氏と交流があったのだから、朝鮮半島に往来出来る場所だったのだろう
魏の使者が安全に邪馬台国連合国内の女王国に行ける場所でないと無理が生じる
あと、筑紫平野の存在は大きいと思う
畿内説だと出雲や吉備の勢力圏内をどう解決するかの話になる
中国地方や瀬戸内海を通って魏の使者は来れないだろうし、魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条に両勢力の記述すら無い
四国北側陸路伝えに畿内に往来したのだろうか?
畿内説は整然と区画された遺構や多くの人口を養えた平野の存在だろう
全国から届いたとされる桃の種等の出土品もあるし、その後の大和朝廷の存在が大きい(個人的に、大和朝廷と邪馬台国の関連は無いと思うが)
文化圏=勢力範囲ではないが、北九州〜四国西半分、四国東半分〜畿内へと出土品が時代的に分かれている
ただ、徳島県は無視出来ない理由が多い
最初期の前方後円墳が存在する、墳墓の数が千基以上、阿波忌部氏、剣山、若杉山辰砂採掘遺跡が存在するしな
親魏倭王の金印や封泥や銅鏡が出てくれたら解決なんだが 邪馬台国論争は真偽不明何だから徳島が参戦してきても何も問題ない
西日本が有力視されてるけど、東日本の可能性を否定するものもないしな 邪馬台国は歴史書に載って名前だけが有名になっちゃった例 >>476
>普通に考えれば、北九州のどこかに邪馬台国があったと思う
「丹」の採れない北九州に、邪馬台国など在る訳がない。 以上御終い。 @阿波 >>1
徳島商工会議所は徳島市の団体だろ
若杉山遺跡は阿南市
徳島市がなに出しゃばってんだよ
だいたい当時は別の国だろ 万万が一徳島が邪馬台国であったとしても徳島のようなクソ田舎には誰も
観光旅行など来る訳無い。悪あがきはみっともないぞ >>481
>万万が一徳島が邪馬台国であったとしても
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 @阿波 >>479
倭国で採れたとあって、邪馬台国と記述にあるのか?
魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条のどこにある? なんだかよく知らないけど、日本語は、明らかに中国語をピジン語的に利用
することによって形成されている。日本語から中国語起源の表現を取り除いて
いったら、日本語の姿形は消失するだろう。 邪馬台国はフィリピンや
エジプトにあったという
説もかつてあったのだから
四国にあったという説が
あっても不思議じゃない。
個人的には邪馬台国は
当初は先進国朝鮮半島
に近い九州北部にあり、
卑弥呼の墓は大分県宇佐に
あり、次のトヨ女王以降
にかけて
西日本全体を侵略し
トヨ女王以降の墓は奈良
ヤマト周辺にあると思う。 >>186
奈良や和歌山や三重の山岳部にはmtDNAハプログループBが居るので、彼らが
中東から移動して、主に太平洋の島々や北米に移住しているが、黒潮の流れに乗って
阿波や紀伊に漂着して定住した、卑弥呼より古い海神族の伝承が残っているのではないかな? そういや和を倭としていたように
卑弥呼って中華の当て字なんだろうけど
本当の日本式の言葉だとどうなるんだろ >>467
黒潮に乗って銚子茨城に来た可能性もあるな
ブラタモリで霞ヶ浦を埋め立てる前には海からの入り口になっていて
正式な神宮が三つの内二つが鹿島と香取にあるとやってたっけ >>484
>魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条のどこにある?
「自郡至女王國萬二千餘里」 以降は、女王国の自然・風俗などの記述である! @阿波 >>487
何が黒潮に乗って、徳島や紀伊だ
そんなもん、航海じゃなくて、遭難してるだろうが
四国の田舎者は、朝鮮海峡を渡る具体的なイメージがないから空想が膨らむんだろうな
一回博多港からビートルに乗って朝鮮に渡ってこいや
https://ironna.jp/article/4548?p=1
遠賀川流域も、出土品はかなり多いじゃねえかよ
でも、筑後川流域が本命か
本命・久留米
対抗・八幡
穴・熊本 >>489
多分「日巫女」でしょう
太陽神に仕えるシャーマン >>490
>正式な神宮が三つの内二つが鹿島と香取にあるとやってたっけ
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。 @阿波 >>490
>正式な神宮が三つの内二つが鹿島と香取にあるとやってたっけ
東京都伊豆諸島 神津島に阿波命が祀られている。 これも、黒潮に乗って阿波から進出した関東忌部が残した痕跡である。 @阿波 >>490
>正式な神宮が三つの内二つが鹿島と香取にあるとやってたっけ
千葉県印旛(いんば)郡栄町の 大鷲神社 天乃日鷲尊を祀り、社殿天井に「金の鷲」が取り付けられている。
社伝によると「天乃日鷲尊はその子孫代々麻植の神として神功があり,麻に係りのある当地においても祭神となっております」という。
『安房志』によると「天日鷲尊の神霊が,天下に異変がある時は,金色の鷲となって現れるので,その霊験を畏敬して小鷹の神と称した」とあり、印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。 @阿波 >>493
陽出る所の巫女だと日の出の早い銚子あるな
これは安房で千葉ですね >>490
>正式な神宮が三つの内二つが鹿島と香取にあるとやってたっけ
千葉県印旛(いんば)郡栄町の 大鷲神社 天乃日鷲尊を祀り、社殿天井に「金の鷲」が取り付けられている。
社伝によると「天乃日鷲尊はその子孫代々麻植の神として神功があり,麻に係りのある当地においても祭神となっております」という。
『安房志』によると「天日鷲尊の神霊が,天下に異変がある時は,金色の鷲となって現れるので,その霊験を畏敬して小鷹の神と称した」とあり、印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。 @阿波 >>490
>正式な神宮が三つの内二つが鹿島と香取にあるとやってたっけ
千葉県印旛(いんば)郡栄町の 大鷲神社 天乃日鷲尊を祀り、社殿天井に「金の鷲」が取り付けられている。
社伝によると「天乃日鷲尊はその子孫代々麻植の神として神功があり,麻に係りのある当地においても祭神となっております」という。
『安房志』によると「天日鷲尊の神霊が,天下に異変がある時は,金色の鷲となって現れるので,その霊験を畏敬して小鷹の神と称した」とあり、
印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。 @阿波 阿波説が唯一説得力があるからな
日本側に物証がたくさんあるし >>491
それ、倭国の話であって、邪馬台国や女王国の話ではないからな >>193
その「百済無い」が「つまらない」という意味の言葉だったら、
その正しい語源は「上方(畿内)から下ってきていない」のほう。 >>502
「郡至女王國萬二千餘里」 以降は、女王国の自然・風俗などの記述である! @阿波 >>505
倭国の話であって、邪馬台国や女王国の話ではないよ
話を捏造してまで女王国にしたいかい? >>469
まあいろんな人から反論が出てるけど、そもそも八幡宮は筥崎が起源だと
されてるからね。他にも四国伊予の今の八幡浜から移されたという説もあるけど。 >>507
倭国がどのような所かを紹介してる例として丹が採取出来るとあるのに、どこから邪馬台国どころか女王国が出てきたの? 天皇家ゆかりでも卑弥呼はないだろw
天皇家は朝鮮とかねつ造されてるが
伝承もDNAも基本的に宮崎だからな >>509
女王国の紹介での一文に「其山有丹」とある。
「郡至女王國萬二千餘里」 以降は、女王国の自然・風俗などの記述である! @阿波 四国は貴族流刑地
で四国は皇族の食糧を生産してきた土地
流刑地なのは間違いではないね 忌部氏のいるところは古代の流刑地で、忌部氏は監視人というか祟りを鎮める部族なのよ。 >>513
>>514
いつ頃から流刑地だったのだろうか? >>508
お前、何をしれっと筥崎宮が八幡様の起源とかウソを書いてんだよ
「延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座」
筥崎宮が公式ホームページで飯塚の大分宮だと言ってるからな
まして、四国の八幡浜とかいう珍説まで紹介してんじゃねえよ
八幡様のバチが当たるぞ、バチが >>512
残念だけど、魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条は基本的に倭の紹介であって、その中で邪馬台国の話が出てくるのよ
倭人条であって、邪馬台国条ではないんだ
>郡至女王國萬二千餘里
知らないようだから連呼してるのだろうけど、これは女王国の地理的説明をしてるんだ
理解出来たかな? >>434
阿波おどりはつい最近あの形になってるから違うと思う 10月の令和新天皇即位の儀式で使われる麻布の衣と、絹布の衣は代々四国徳島に有る神社で作られる
その神社は出雲大社や伊勢神宮より古い日本最上位だ
神社は徳島県剣山の上の平地に有って、水が汚されることがない、これが邪馬台国だ
剣山に点在する集落には古代に都があったことを思わせる祀や遺物が残っている
俺の父方の先祖は700年前、四国から奈良県吉野に移住して、そのご後醍醐天皇天皇にお仕えした
という伝承が有る >>517
あー、ごめん。なんか勘違いしてたわ。
でも、八幡浜説は結構アリだと思ってるんだよねえ。
宗像あたりにもいる海の神様を祀ってた神社が、
いつの間にか応神天皇を祀るようになった時に、
あらたに別のところから名前を引っ張って来た感じ。 https://ironna.jp/article/4548?p=7
鉄の矢じりの出土数
福岡が圧倒的すぎて、涙が出てくるわ
奈良が原始人みたいな石器を使ってた頃
福岡は文明の利器である鉄ですわ、鉄
圧倒的な先進地域が福岡であったことは、間違いない その倭人条から続く随書や梁書やらを経て宋史、新唐書で倭人伝はちょう然の王年代紀を載せ仲哀死となってる訳でこれを説明しにくいでしょ阿波でわ。 ついでにその後黒潮に乗って安房国に上陸したことにしようぜ 邪馬台国などと言わず古代ユダヤの神殿跡にしときゃいいものを
邪馬台国じゃ話が合わなすぎるがユダヤのアークが眠るってネタは
おもしろいぞ >>524
阿波も安房も天富命という同じ神様が開拓した土地だからな >>518
>これは女王国の地理的説明をしてるんだ
だから、「郡至女王國萬二千餘里」 以降は、女王国の自然・風俗などの記述である! @阿波 >>485 うんにゃ日本語は語幹が保存されてる方で環太平洋的に親戚を発見できる
語幹がほぼ全て唐音以降の中国語に置換されてしまったのが朝鮮韓国語 >>522
>福岡は文明の利器である鉄ですわ、鉄
碌な鍛冶炉遺跡の無い福岡に、邪馬台国など在る訳がない。 以上御終い。 @阿波 >>492
えっと、ポリネシアやハワイ人は全て遭難者だとでもいうのかね?
自分は四国とは縁もゆかりも無い九州の人間なのだが。
それに、台湾から与論島に丸木舟で渡る実験なども成功している。
いったい何に怒っているのか、理解できない。 >>522
邪馬台国かどうかは知らないけど、糸島・古賀・大宰府に囲まれた三角地帯に
日本の中心地があった時期は必ずあるだろうね。 元々関東にいたのは鹿島の鹿さんたちじゃないの?阿波や三島は四道将軍として侵略した側だろ >>535
>阿波や三島は四道将軍として侵略した側だろ
「忌部はん」 の関東進出は、四道将軍時代なんだろうね。 @阿波 >>492
残念ながらポリネシア遺伝子は九州が最強ではない東海だよ。 八幡宮の始まりは飯塚市の大分八幡宮かもしれんが、宇佐には比売大神だけを
祀った神社があったはずで、そこに八幡神(応神天皇)と神功皇后を合祀した
と思う。仲哀天皇と神功皇后は香椎宮に来る前に宇佐に立ち寄ったらしいから
恐らくうさつ彦にあいさつと参拝を兼ねて立ち寄ったと思う。
宇佐神宮の祭神の配列は中央に比売大神がいるから本当の主役は八幡神では無くて
比売大神だと考えている。こういう事があるから邪馬台国宇佐説が出るのだが
実際は宇佐神宮の言うように比売大神は卑弥呼では無くて宗像三女神だと思う。 >>534
ふんふん
宗像大社とか筥崎宮とか行ったらビリビリ来るからな
それプラス遠賀川流域もあって、もう福岡が日本王朝の起源であったことは、確実ですわ >>162
マイナー国の一発逆転で
魏に使者送って、箔をつけてもらい偶然にも
歴史に残っただけだろうね、邪馬台国は。 神々がすっぽんぽんで酒飲んで踊ってアマテラスが出てくるの待ったんだよな 阿波さん頑張ってたからね。でも天皇家の守護八神の1つでしょ。 >>470
皇室にあるんじゃなくて、右翼団体にあるんでは >>372 の続き
帯方郡(平壌の南)
狗邪韓国(釜山、海 7千里)
────────────────確定
対馬国 (対馬、海 千里)
一大国 (壱岐、海 千里)
────────────────九州北部
末廬国 (海 千里)
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東 百里)
────────────────不明
投馬国 (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)
里と日では原文が違うと思う
よって日の部分は起点をリセットする必要がある
では起点はというと帯方郡
となると投馬国は帯方郡から水行20日となる
末廬国までが10日と思われるから末廬国から水行10日
邪馬台国は末廬国から陸行1月 >>485
クレオールのことか
万葉、源氏ならそこまでいかない
大野晋の言うように南インドの方がまだしも
>>531
適当だな スマホ画面で毎行必ずおかしなこと書くってのも才能だな >>547 の続き
海千里が1日の距離
よって末廬国までが10日 >>538
>実際は宇佐神宮の言うように比売大神は卑弥呼では無くて宗像三女神だと思う。
比売大神? なに比売か分からない神社ってwww お粗末な神社だねぇ。 倭国(阿波)にはそんなお粗末な神社はない。 わははははは @阿波 >>544
林 博章(はやし ひろあき)
平安時代972年の延喜式大嘗祭式には,阿波国より麻植郡の忌部氏と那賀郡が由加物すなわちお供え物を調進する事になっていました。
この事は古代より忌部の山の世界と那賀郡の海の世界との「人・物の交流」があり,拠点が水運を利用した吉野川中流域山崎の津であったと考えられます。
大分すたれてきましたが,吉野川中流域の人達は,南西の方角,剣山(つるぎさん)を中心とした四国山地の方向を指して「ソラ」または「ソラの人」と呼んでいました。
この場合の「ソラ」とは「山」の事です。旧麻植郡山地部の大半を占める旧種野山内にある三木山の頂上近くにある三木家周辺は,古くより「空地(そらのち)」と呼ばれ,
地名も「大字三ツ木字空地」となっていましたが,近年の国の地名編成で大字が削除され「字」が「貢」に変更された為,地名から「空地」が消えたのです。
この「ソラノチ」への入り口が,吉野川中流域の旧忌部神社がある山崎の地で,山への入り口でもあり,古代より中世まではこのソラ(山)への交通路の起点となっていました。
その為、古くからこの山崎は忌部神社の門前市(いち)を通じて吉野川を経由した海の民・平野の民とソラ(山)の民との物産の交易の場として津が形成され,ソラの世界の発展と共に成長してきております。
船を自由に操り水運にたけた海の民が,交易の場に情報や文化を共に運んで麻植の忌部やソラの民を支えてきたのかもわかりません。 新天皇の即位後、最初に行う皇室の重要儀式「大嘗祭」では、阿波の氏族「阿波忌部」が麻で織った反物「麁布(あらたえ)」を調進してきた歴史がある。
阿波忌部の子孫として大嘗祭に関わった旧家の古文書や貴族の日記から、阿波と朝廷祭事のつながりを紹介する。
阿波忌部の子孫と伝わる旧家は、美馬市木屋平の三木家住宅(国指定重要文化財)当主の三木信夫さんだ。大嘗祭の祭祀具である麁布との関りを示す古文書(県指定文化財)を所有している。
古文書からは、三木さんの先祖が13〜14世紀の亀山・後伏見・花園・後醍醐・光厳・光明の各天皇に、麁布を調進(朝廷から頼まれて作り納める意味)したとされる。
どの文書にも、天皇の命を受けた都の役所が、阿波忌部に麁布の制作を頼むため、阿波国司に天皇の使者、勅使を送るという内容が記されているそうだ。
「大嘗祭の儀式は、平安時代の法令集『延喜式』でわかる。しかし、麁布を調進する際の手順は古文書でしかわからない」と三木さん。
大嘗祭は、南北朝〜江戸時代の政情不安時は中断したほか、行われた時も阿波の麁布が調進されないことがあっという。
「そうした時は、朝廷の役人が阿波忌部の代行を務めたことを示すため、麻布に『忌部所作代』と表示した」 また、南北朝時代の光明天皇以来、577年ぶりに阿波忌部の麁布調進を復活させたのが大正天皇の大嘗祭だった。
信夫さんの祖父宗治郎さんが携わり、昭和天皇にも調進。信夫さんも1990年11月、地域住民の協力を得て今上天皇の大嘗祭で奉仕した。
阿波忌部と麁布を巡る文献では、大和朝廷の初期から51代平城天皇まで麁布を調進したと記している平安時代の「古語拾遺」(807年)もある。
「これら2点が出た後、しばらくは資料が見つからない。そして11世紀になると、貴族の日記から分かるようになる」と言うのは、中世史研究者で県埋蔵文化財センターの福家清司理事長。
後鳥羽天皇に関する「山槐紀」(1184年)には「阿波の荒妙神服(あらたえかむみそ)の事だが、平家が四国に居て交通が途絶。期限のあることについてどうするのか」などと書かれているという。 >>553
「倭大国敷神社」 「倭大国魂神社」 「事代主神社」 「建布都神社」 「伊射奈美神社」 「伊加々志神社」 「宇志比古神社」
「多祁御奈刀弥神社」 「天村雲神伊自波夜比賣神社」 「弥都波能売神社」 「天石門別八倉比売神社」等々
神社名からしても、倭国(阿波)にだけ鎮座する「神名式内社」は、畿内や九州の神社とは別格の風格である。 @阿波 鳴門板野古墳群 「西山谷2号墳」
萩原1号墓の近隣地に所在する尾根を削り出して整形した、墳丘の長径20m、短径18m、高さ約2mの不整形の円墳である。
墳丘の中央部に長さ4.72m、幅 北端で1.05m、南端で0.83mの南北方向を主軸とする長大な竪穴式石室がある。
竪穴式石室は、南北6.5m、東西4.8mの墓壙全体が結晶片岩と呼ばれる阿波特有の青い石で覆うように造られている。
石室内には、粘土床があり、その上に朱を敷き詰めたU字形の刳抜式木棺を安置していたものと推定されている。
斜縁上方作銘獣帯鏡と呼ばれる中国製の青銅鏡1面をはじめ、鉄剣・鉄槍・鉄鏃・土器などが出土している。
鏡は面径12.5cm、重量約157.6gで、右回りに「上方乍鏡竟大工青龍白虎子」の銘文と神仙像と5体の獣形のレリーフがある。
鏡は一部を欠損するが、当時は完全品として副葬されたものとみられる。
同種の鏡は数例出土しているが、そのうち、広島県広島市中子田1号古墳出土鏡が最も類似している。
出土した土器から、3世紀中葉の築造と考えられ、徳島県内をはじめ、畿内でも最古段階の竪穴式石室を持つ古墳として、竪穴式石室の出現過程を考える上でも重要な古墳である。 萩原2号墓:弥生末期の三重構造埋葬施設を確認 徳島
全国で珍しい「積石木槨」構造が確認された萩原2号墓=徳島県鳴門市大麻町萩原
徳島県鳴門市大麻町萩原の萩原2号墓で、板材でつくった墓室・木槨(もっかく)を積石(つみいし)で囲んだ三重構造の埋葬施設が確認された。
県教委と県埋蔵文化財センターによると、築造は弥生時代終末期の2世紀末〜3世紀初頭で、邪馬台国の女王、卑弥呼が活躍した時期に一致する。
石で木槨を囲う例は、他には弥生墳丘墓と前方後円墳の過渡期的存在とされるホケノ山古墳(奈良県桜井市、3世紀前半)だけで、同古墳の構造に影響を与えたのは確実。
前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な資料となる。 墳丘は直径20メートルの円丘に、方形の突出部が付いた形態。円丘の中心に棺を納め、15〜20センチの砂岩を積み重ねた壁で囲ったうえ、その外側に40〜60センチの砂岩を積んで、
全体を覆っていた。埋葬施設は東西6.5メートル、 南北4.1メートル。朱を内側に塗った木槨を、砂岩を積み上げた壁2層で覆った構造だったとみられる。
一方、ホケノ山古墳には中間に石の壁はなく、木槨を石で囲う二重構造。
徳島、香川両県には石清尾山(いわせおやま)古墳群(高松市)など、石を積み上げた古墳時代前期の積石塚が点在。「画文帯(がもんたい)神獣鏡(しんじゅうきょう)」などの中国鏡も出土、
瀬戸内で勢力を広げた有力豪族がいたらしい。 県教委は「阿波や讃岐の墳丘墓が奈良盆地東南部での前方後円墳の発生に大きな影響を与えたことが確実になった」としている。(毎日新聞)
http://www2.odn.ne.jp/kofun/hagiwara.htm まさに、ここ掘れワンワン状態の、阿波考古学。 阿波の遺跡は、他のトンデモ説のチンケな遺跡とは、別格!
女性の人骨出土 犬山天神山古墳(徳島市)
https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/52348696.html?__ysp=5aWz5oCn44Gu5Lq66aqo5Ye65ZyfIOeKrOWxseWkqeelnuWxseWPpOWis%2B%2B8iOW%2Bs%2BWztuW4gu%2B8iQ%3D%3D
石棺からは、ヒスイ製勾玉(まがたま)1点、青銅製の鏡1枚、水晶製勾玉1点、直刀1振り、
鉄鏃(てつぞく)35点、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)8点なども出土。 @阿波 「田井遺跡(縄文時代前期〜中期) 所在地 徳島県海部郡美波町由岐田井」
縄文時代前期〜中期・様々な道具とアクセサリー
田井遺跡は海水浴場として知られる田井ノ浜の北西約300mにある標高約20mの小山のすその微高地上にある。
2001年(平成13年)に道路建設に伴って発掘調査により、縄文時代前期末〜中期(約5,000〜4,000年前)にかけての、主に石器を製作した跡とみられる遺構が発見されている。
出土した遺物として土器・石器類が多いが、なかでも注目されるのは様々な石を材料とした石器の道具やアクセサリー類である。
石鏃にはサヌカイトやチャート、石斧には結晶片岩、けつ状耳飾には滑石や蛇紋岩というように、それぞれの用途に適した石を選んで製作していたことが分かっている。
※縄文人が、海を通じて広く交流をしていた様子が各種の遺物から分かる。 ← 言葉を濁しているが、倭国(阿波)の海人族のこと。 @阿波
「田井遺跡で出土したけつ状耳飾」
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5022996/ 倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 阿波も安房もあるから
表記揺れの範囲で阿房がある
阿呆の語源阿房宮と同じ字になる
踊る阿呆と観る阿呆しかいない >>564
それ、反論したつもり? それとも、白旗を上げたってことかな? 倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 >>564
それ、反論したつもり? それとも、白旗を上げたってことかな?
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 @阿波は、人を小ばかにしたような書き込みさえなければ知識豊富なのに、非常に残念である。
まあでもいかにも阿波の男って感じ、阿波は大物が何故か出にくい、そういう土地柄なのよね。 アホ@阿波
アホ踊りとアホ@阿波と
もしかしたらで町おこしw >>1
徳島って
アホ@阿波 みたいな連中ばかりなんだね >>567-570
それ、反論したつもり? それとも、白旗を上げたってことかな?
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 御用聞きの座に居たからどの支配からも必要とされ続くのよ。代々都だったのか卑弥呼の時代だけなのかしらないが、由緒有る場所が流刑地にはならないよ。紀伊半島からの作業場。 >>567
>阿波は大物が何故か出にくい、そういう土地柄なのよね。
卑弥呼女王が出てるから、もうそれだけでいいよ。 わははははは @阿波 近所の年寄りの会合なんか横目で見てたら良くわかるけど、基本的に、自分の意見は曲げないし、「ほなけんどな!」って割り込んでくるし、
脱線しまくって何の会合だかわからんようになって、まともな結論も出ず、各々自分の意見を言うだけ言って満足して会合はお開きw
なんも決まってないor前例踏襲でチャンチャン、おまはんら、会合したという事実だけが重要で中身はどうでもええんかい?
そんな土地柄なんです、お察しください。 邪馬台国というからには、馬が居たんだろう。
松戸も名乗りを上げるぜ。 >>574
きのう、「G20消費者政策国際会合」が閉幕したところなんだがww @阿波 >>577
>キチガイ死ねよ
出ました! 負け犬の捨て台詞! わははははは @阿波 >>576
その会議は阿波の年寄りの会合ではないでしょがw 阿波の年寄りが居るところが、「G20消費者政策国際会合」にとって、よかったみたいだよ。 わははははは @阿波 >>579
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 >>580
根拠の無い自信がどこから出てくるんか不思議。
だいたい、県知事の飯泉さんもよそから来た人じゃ、よそから来た人や、一旦外に出て帰って来た人には、
徳島の良い所、悪い所が良くわかると思う、年寄りの会合の例は、「とても良くない所」やぞ。 邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。 >>582
>根拠の無い自信がどこから出てくるんか不思議。
ここから。 @阿波
↓
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 >>578
おまえな
死んで黄泉の世界にいってな
確認してこい
ちゃんとな >>584
キチガイそのもの
阿波ってこんなん連中ばかりなんか >>585
またまた出ました! 負け犬の捨て台詞! わははははは @阿波 阿波踊りが赤字だからって邪馬台国フィーバーしようなんて・・・
命知らずにもほどがある >>586
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 >>585
@阿波は、人を小ばかにしてストレス解消してるから、そういう中途半端なレスはせん方がええよ。 >>591
その通り。
まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 >>592
これだけ、小ばかにされて、あおられているのに、トンデモ説としての矜持はないのかね? わははははは @阿波 >>591
ストレス解消というより、トンデモさん相手に暇つぶしだね。 突っ込みどころ満載だからね、トンデモさんは。 ここでもついつい高笑いが出てしまうw わははははは @阿波 マジ、ここでリラックスして楽しんでいるのは、私だけなのでは? ちょっと申し訳ない気分。 だって、まともな反論が一つもないもんだからw @阿波 素人研究者の悲しい所、
自説を補強するのに有利な事例は採用するが、
不利な事例は黙殺か、見ないふり、あえて見ない。
まともな研究者なら、反証も丁寧に検証して、公正に判断する。
邪馬台国論争に関しては、素人研究者がワラワラ出てきて各々自説に合う証拠だけを並べて自分が正しいと言い張っているのが現状。
もう何十年もそんな状態、実証できる証拠が少ないからファンタジーの入り込む余地が大きすぎる。
阿波説に関しては、大和朝廷の成立に大きな関りを持った氏族が、かつて阿波を根拠地にしていたという可能性は大きいと思うが、
邪馬台国が阿波だったかと言われると、そんな証拠はまったく見つかってない(今後見つかる可能性は否定しないが)。
阿波山上説に至っては、ただでさえ険しい四国山地の現状を知らずに立てた説としか考えられない。
いくら尾根筋が主要通路だった時代でも、四国山地は厳しすぎてお話にならない、
山上のハイウェイなど成立しようが無い。 >>596
>邪馬台国が阿波だったかと言われると、そんな証拠はまったく見つかってない(今後見つかる可能性は否定しないが)。
「其山有丹」で決着ずみ。
>いくら尾根筋が主要通路だった時代でも、四国山地は厳しすぎてお話にならない、
>山上のハイウェイなど成立しようが無い。
その通り。 ただし、忌部山から気延山までは尾根筋が主要通路だったのは間違いない。
私が毎月、麻名古道をトレッキングしているので、尾根道の有効性を体験ずみ。 @阿波 若杉山遺跡は、古代最大の辰砂採掘鉱山遺跡では有るが、
紀伊半島にも丹生神社など、辰砂採掘の痕跡が残っており、
若杉山遺跡だけを証拠として断定するのは無理がある。
だいたい、古い時代の阿波国は、粟国と長国に分かれており、若杉山遺跡は長国の領域、
今の徳島市も南側は長国、おそらく勝浦川あたりが境で北側が粟国だからね。 >>598
>紀伊半島にも丹生神社など、辰砂採掘の痕跡が残っており、
辰砂採掘遺跡はない!
>若杉山遺跡だけを証拠として断定するのは無理がある。
全国で弥生時代後期の「辰砂採掘遺跡」が在るのは倭国(阿波)のいみ。 以上御終い。 @阿波 >>598
>だいたい、古い時代の阿波国は、粟国と長国に分かれており、若杉山遺跡は長国の領域、
その通り。 @阿波 >若杉山遺跡だけを証拠として断定するのは無理がある。
全国で弥生時代後期の「辰砂採掘遺跡」が在るのは倭国(阿波)のみ。 以上御終い。 @阿波 三重の丹生山等も古代から辰砂採掘をしているのだが、
古代の採掘遺跡は発見されていない、古代には表面採集程度で、大規模な採掘鉱山で無かった可能性もあるが、
古代〜近代へとより大規模な採掘が続いた結果、古代の採掘遺跡はすでに破壊されて残っていないという可能性も有る。
若杉山が遺跡として残っているのは、中世ごろに採掘が中断した結果でもあることに留意が必要。 >>602
>古代〜近代へとより大規模な採掘が続いた結果、
その近代の大規模な採掘遺跡ってどれ? @阿波 だから奴方がうろついてる所に巫女女王は居ないのよ。大率の監視下か、狗奴国。 で、どんな説を出そうが、宋史新唐書に倭人伝は帰趨するの。これを説明できるか覆す説明が出来なければ難しいと思いますよ。 >>603
丹生鉱山でググって下さい。
いずれにせよ、遺跡はまだ見つかってないか、すでに破壊されて無いという可能性も有りますので。
その点には常に留意が必要です。
徳島県の場合、吉野川や、那賀川、勝浦川流域の平野の遺跡は、堆積層に埋もれてまだ見つかってない可能性も有りますし、
逆に、河川の流れが変わって破壊されている可能性も有ります。
藍住町に現存する日本最古とされる星兜も吉野川の川底から出現したと言い伝えられています。 邪馬台国は朝鮮半島南部のヤマイサミニク遺跡というのが史学上の常識である。 >>606
>いずれにせよ、〜 その点には常に留意が必要です。
その通り。 とりあえず、今、全国で弥生時代後期の「辰砂採掘遺跡」が在るのは倭国(阿波)のいみ。 以上御終い。 @阿波 >>606
>いずれにせよ、〜 その点には常に留意が必要です。
その通り。 とりあえず、今、全国で弥生時代後期の「辰砂採掘遺跡」が在るのは倭国(阿波)のみ。 以上御終い。 @阿波 >>606
>いずれにせよ、〜 その点には常に留意が必要です。
その通り。 とりあえず、今、全国で邪馬台国が在ったと言えるのは、倭国(阿波)のみ。 以上御終い。 @阿波 >>613
>一点突破の勲章
百点ぐらいあるよ、勲章。
行程でも、四国の阿波
海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。 @阿波 阿波に邪馬台国七万戸と対立していた狗奴国が収まるのか? >>376
丹後半島は北部九州の海人の勢力圏だからだよ
高位の海人が身につけた有鉤銅釧が丹後半島からも出土している
尾張氏の本拠地である東海からもな
https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
また由良川水系の宝蔵山古墳からは甕棺墓が見つかっていて九州の影響がはっきり見て取れる 百歩譲って壱与が実は伊予由来で所縁の国だったとかの妄想ならまだわかるけど阿波は全く関係ないだろ >>617
>阿波に邪馬台国七万戸と対立していた狗奴国が収まるのか?
狗奴国も邪馬台国に勝るとも劣らない強大国だよ。 その源泉が、「辰砂鉱山」と「温暖な海の恵み」と「海洋航行技術」。 @阿波 ヤマタノオロチは元々丹後半島にいたんじゃないか?
日本書紀と丹後半島の考古学的結果が一致する
朝鮮半島勢力に敗れたんじゃないか?
丹後半島、丹波、丹庭の歴史は興味深い
紀元前後に中心勢力が変わったんじゃないか?
弥生時代中期までは鉄工房が盛んであった
弥生時代後期になると中心集落の位置が変わり、【朝鮮半島に類似した墓】、【朝鮮半島製と思われる鉄刀】が出土するようになる
丹後半島と入れ替わるように淡路島や池上曽根遺跡、少し遅れて伊吹山など畿内周辺で鉄工房が営まれるようになる
紀元前後丹後半島で鉄工房を営んでいた勢力が畿内に逃れてきたと思われる
ヤマタノオロチ一族だろう
その後畿内の勢力の協力を得て淡路島や伊吹山に拠点を構えたんじゃないか?
気多大社の謂れにある化け鳥のオロチ、八衢のオロチ、風の神、息長
大八段一書三
そこで素戔嗚尊は蛇【韓】鋤之剣(おろちのからさびのつるぎ)を以ちて、頭を斬り、腹を斬る。
その尾を斬った時に剣の刃が少し欠た。
故に尾を裂きて看るとそこにはにひとふりの剣があった。
名を草薙剣と言う。
この剣は昔、素戔嗚尊の許(もと)に在ったもので、今は尾張國に在る。
その素戔嗚尊が八岐大蛇を断ちし剣は、今に吉備(きび)の神部(かむべ)が許に在る。
出雲の簸(ひ)の川上の山、これなり、とある。 同じような変化が尾張の朝日遺跡でも起きている
朝日遺跡は元々畿内と同じ木棺、銅鐸、勾玉の集落だった
紀元前後勢力の交代があったのか、銅鐸は埋葬され甕棺に墓制が変わり、日本海側と共通点の多い集落に変わってしまう >>618
>尾張氏の本拠地である東海からもな
尾張と言えば、東海忌部。 織田信長と言えば、東海尾張忌部。 @阿波 奈良の纒向遺跡
東海山陰吉備の外来系土器が多数
東海や吉備は黥面文化
畿内は元々は黥面ではない
記紀にある通り畿内が征伐されて大和政権、邪馬台国ができたんじゃないか?
黥面文化の勢力に侵略されたんだろう 「土製仮面」はこれまでに全国で約120点見つかっているが、出土地点は阿波国の矢野遺跡が最西端に位置する。
同遺跡は縄文時代から中世にかけての県内有数の複合遺跡で、調査の結果、「土製仮面」は縄文時代後期(約4千年前)のものとみられる。
この「土製仮面」作成時期も国内では最古のクラスにあたる。「貝製仮面」は5000年前の物が九州からも発見されているようだが、土製のモノはこれが最古級である。
「土製仮面」の使われた時期と地域の偏りから、今の状況では四国東部から発生し、近畿・中部・東北方面へと伝播していったことが明確である。
用途としては、土偶、石棒などが同時に出土している事を考えると、祭祀の時に使われたと考えるのが妥当である。
また、仮面表面の多数の穴の跡は、後年の魏志倭人伝にも「男子無大小,皆面黥面文身」とあるように入墨(文身)を表したものであろう。 @阿波 さて、神武東征の際に活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」が黥面だったことが古事記に記載されている。
「大久米命」は神武東征に随行した久米一族の祖神にあたる。
久米一族については、石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。
一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっていた。
一方、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。
さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。
まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。 @阿波
「矢野遺跡」
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%CC%F0%CC%EE%B0%E4%C0%D7 >>620
後追い?
小説「邪馬台国は阿波だった」を堤高数氏が発表したのは昭和49年だし、その底本となった「邪馬台国阿波在国説」を安田兵治郎氏が郷土史研究会で発表したのは昭和39年だぞ。
昭和42年発表の「まぼろしの邪馬台国」より3年早い。
宮崎康平のほうが“後追い”なんだよw >>631
>尾張氏は安曇氏と同祖氏族だからね
いずれにせよ、どちらも「忌部一族」なんだよ。 @阿波 >>621
狗奴国が長国だったと比定すると七万戸は無理。
一戸4人と少なめに見積もっても現在の人口超えてしまう。 >>634
碌な集落遺跡の無いトンデモ説に、邪馬台国など語る資格なし。 以上御終い。 @阿波 海人の最大勢力である安曇の居住地を見ると奈良盆地だけぽっかり空白になっている
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
海から乗り込んできた北部九州の勢力が最後まで手こずったのが山に囲まれた奈良盆地だったということだろう
奈良盆地より先に海から行ける東海を勢力下に置いて、奈良盆地を孤立させた上で土着勢力を降伏させたと見るべきだろうな
土器の状況から見て奈良盆地の勢力と東海勢力は交流が深かったようだから、東海が神武率いる九州海人側についたのは痛かったろう
なにせ東海の尾張氏は北部九州の海人・安曇氏と同じく大綿津見(豊玉彦)を祖神とする氏族なので、東海に対しては武力制圧したわけではなく
元々親戚筋なのであっさり九州側につけることができただろう、あるいは最初から仲間だった可能性さえある
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
ちなみに系図の通り安曇は東征した神武天皇ともごく近い親戚筋であるし、後に大和の地を治めた倭国造の祖・珍彦も同祖氏族
ヤマト政権が在地の勢力なら大和の為政者をよそ者の九州人にするはずもなく、最終的には奈良盆地も九州海人の支配下に入ったのは疑念の余地がない >>636
>海から乗り込んできた北部九州の勢力が
「丹」の採れない北部九州に、海人・安曇氏など居る訳がない。 以上御終い。 @阿波
>最後まで手こずったのが山に囲まれた奈良盆地だったということだろう
湿地帯だから、「忌部はん」 の開拓が後回しになっただけだよ。 へたな妄想、ご苦労さん。 わははははは @阿波 >>635
弥生時代の農耕を主体とする集落遺跡は殆どが平野の地面の下に有ると推定される。
見つかってる遺跡だけで検討するのは危険。
自分だって毎日の様に通過していた川の下に黒谷川郡頭遺跡が埋もれていたとは全く想像もしなかった。
同様の事例が全国各地に有る筈。
もっとも奈良盆地の場合、平城京遺跡よりさらに下の層の発掘は難しいだろうね。 >>638
>見つかってる遺跡だけで検討するのは危険。
その通り。 しかし、発掘の遅れている倭国(阿波)にも関わらず、弥生時代後期集落遺跡群がトンデモ説より突出しているのが現実。 @阿波 >>638
>見つかってる遺跡だけで検討するのは危険。
その通り。 しかし、発掘の遅れている倭国(阿波)にも関わらず、今現在、弥生時代後期集落遺跡群をもって、邪馬台国を主張できるのは、倭国(阿波)のみ。 @阿波 >>639
現状、どこが角かわからない状態のオセロゲームしてるみたいな状態なので、
piece一つで状況がひっくり返る可能性は常にある、もちろん阿波説においても同じこと。 >>641
>piece一つで状況がひっくり返る可能性は常にある
その通り。 しかし、発掘の遅れている倭国(阿波)にも関わらず、今現在、弥生時代後期集落遺跡群をもって、邪馬台国を主張できるのは、倭国(阿波)のみ。 @阿波 >>642
狗奴国の戸数が既に無理な事は無視ですか・・・。 >>643
碌な集落遺跡の無いトンデモ説に、邪馬台国など語る資格なし。 以上御終い。 @阿波 >>644
そうやって都合の悪い所は無視するのよね・・・結局は。 日本史板の結論はこんな感じらしいぞ
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg >>647
スレの内容よく読んでからにしようよ・・・そういうのは。 【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡 こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。 @阿波 【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡 阿波は銅鐸圏だったのに銅鐸勢力を裏切ったのか?
どういう経緯があったのか?謎やな
卑弥呼より前1世紀後半から2世紀半ばの伊勢遺跡。巨大な銅鐸が見つかっている >>647
見てきたが根拠もしっかりしてるし>>646で確定っぽいね 倭国大乱に先駆けて阿波の内乱で、阿波内の銅鐸勢力が敗れ乗っ取られたのかもしれない 互いに矛盾する「根拠のしっかりした説」は共存できる >>8
弁韓地方の小国が場所を偽って朝貢しようとした説か
韓地方の住民は昔から嘘つきだったからあり得なくもない話ではある >>1
>「ひょっとしたら…」の町おこしへ
キチガイ@阿波
といい
徳島はキチガイだな 邪馬台国ファンは高齢者が多いみたいだから、あまり期待しない方がいいと思う。 >>661
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 おいキチガイ
九州説と近畿説を
踏破してからそのセリフは言えよっつの
キ・チ・ガ・イ@阿波@アフォ >>665
碌な集落遺跡の無いトンデモ説に、邪馬台国など語る資格なし。 以上御終い。 @阿波 >>665
碌な集落遺跡の無いトンデモ説(九州説と近畿説)に、邪馬台国など語る資格なし。 以上御終い。 @阿波 捕捉
徳島は、徳島大学医学部敷地内や、環状線建設用地など、公共の工事に伴って発掘調査が行われた地点が多く、
特に、徳島市国府町付近は田んぼの下から重要な遺跡が多数出てきております。
発掘が行われる前は、何の変哲も無いただの田園地帯です。 >碌な集落遺跡の無いトンデモ説
九州、畿内をトンデモ説となw
キ・チ・ガ・イ@阿波@アフォ
は
キチガイすぎる 石棺からは、ヒスイ製勾玉(まがたま)1点、青銅製の鏡1枚、水晶製勾玉1点、直刀1振り、
鉄鏃(てつぞく)35点、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)8点なども出土。 @阿波 >>1
>碌な集落遺跡の無いトンデモ説(九州説と近畿説)に、邪馬台国など語る資格なし。 以上御終い。 @阿波
徳島県ってこんなキチガイばかりなんかな
「ひょっとしたら」で町おこしって社会なめるのもほどほどにしとけよ >>672
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 >>670
こちらの古墳も環状線の工事に関連した発掘調査の成果です。 邪馬台国を主張したい所はみんな仲良く主張すればいいと思う。
たぶん、教科書に載っても地元の人以外行かないよ。 >>673
自説に都合の悪い部分を無視している限り、誰もあなたの説を認めてはくれませんよ。
これだけは忠告させていただきます。 >>676
>自説に都合の悪い部分を無視している限り
自説に都合の悪い部分なんて無いんだけど? わははははは @阿波 >>678
結局そうやって逃げるんですよね、残念です。 >>679
じゃ、自説に都合の悪い部分ってなに? @阿波 >>679
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 2世紀〜6世紀の古墳に使われてる朱は伊勢と大和産だよ >>679
結局そうやって逃げるんですよね、残念です。 @阿波 >>682
>2世紀〜6世紀の古墳に使われてる朱は伊勢と大和産だよ
縄文時代後期〜卑弥呼の時代の古墳に使われてる朱は倭国(阿波)の若杉山産だよ。 わははははは @阿波 >>683
>ちなみに九州の古墳の朱は中国産
ちなみに、九州の「前方後円墳」の朱は、倭国(阿波)の若杉山産だよ。 わははははは @阿波 >>688
>ソースは?
今現在、縄文時代後期〜卑弥呼の時代の「辰砂採掘遺跡」があるのは、倭国(阿波)だけだよ。 わははははは @阿波 >>689
成分分析でどこ産か分かるんだよ。
その分析結果をだせよ。 >>690
大和の前期前方後円墳から出土した朱の、イオウ同位体比は何れもマイナスの値を示す。ホケノ山古墳は-5.4、大和天神山古墳は-6.1、中山大塚古墳は-5.2である。
一方、徳島の弥生時代終末から古墳時代にかけて朱を採掘した遺跡と考えられている若杉山遺跡出土朱は-6.03±2.88%である。
三重県丹生鉱山が-8.88±2.69、奈良県宇陀の大和水銀鉱山が-3.13±3.47で、ホケノ山・大和天神山・中山大塚古墳の値は両者の中間である。
このことからホケノ山・大和天神山・中山大塚古墳の水銀朱は、三重県丹生鉱山と奈良県宇陀の大和水銀鉱山との中間値である、徳島若杉山の水銀朱の可能性が高い。 「朱の産地を探る科学のメス」
http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/2011-07-03
「4 萩原2号墓出土の赤色顔料一朱ーのイオウ同位体比分析」
https://docs.com/hiroshi-takahashi/1887
徳島県の萩原2号墓発掘調査記録より
「萩原2号墓出土の赤色顔料―朱―のイオウ同位体比分析」
概要
鳴門市大麻町萩原にある萩原2号墓より出土した朱のイオウ同位体比分析を行い、測定が終った辰砂鉱山鉱石や他の遺跡出土朱と比較した。
イオウ同位体比分析は、朱を構成するイオウの質量数32と質量数34の同位体比を測定し、標準物質であるキャニオン・ディアブロ隕石に含まれる硫化鉄のイオウ同位体比と比較する方法である。
朱は2号墓の粘土床上から見つかった石材に付着していた。イオウ同位体比分析を行ったところ、+8.66%であった。
古代日本の主な朱鉱石産地である三重県丹生鉱山産辰砂鉱石は-8.82±2.27%(平均±標準偏差)、奈良県大和水銀鉱山鉱石は-2.24%±5.75%、徳島県水井鉱山産鉱石は-4.56±3.86%を示しており、
古代中国の朱鉱石産地と考えられる陝西省旬陽にある鉱山鉱石は+6〜10.5%、貴州省万山特区の鉱山鉱石は+23.9±4.49%であった。
また、徳島の弥生時代週末から古墳時代にかけて朱を採掘した遺跡と考えられている若杉山遺跡出土朱は-6.03±2.88%であった。
従ってこの測定結果から考察すると、萩原2号墓から出土した朱は国内産ではなく中国陝西省産朱が用いられた可能性が示唆された 「朱の産地を探る科学のメス」
http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/2011-07-03
「4 萩原2号墓出土の赤色顔料一朱ーのイオウ同位体比分析」
https://docs.com/hiroshi-takahashi/1887
徳島県の萩原2号墓発掘調査記録より
「萩原2号墓出土の赤色顔料―朱―のイオウ同位体比分析」
概要
鳴門市大麻町萩原にある萩原2号墓より出土した朱のイオウ同位体比分析を行い、測定が終った辰砂鉱山鉱石や他の遺跡出土朱と比較した。
イオウ同位体比分析は、朱を構成するイオウの質量数32と質量数34の同位体比を測定し、
標準物質であるキャニオン・ディアブロ隕石に含まれる硫化鉄のイオウ同位体比と比較する方法である。
朱は2号墓の粘土床上から見つかった石材に付着していた。イオウ同位体比分析を行ったところ、+8.66%であった。
古代日本の主な朱鉱石産地である三重県丹生鉱山産辰砂鉱石は-8.82±2.27%(平均±標準偏差)、奈良県大和水銀鉱山鉱石は-2.24%±5.75%、
徳島県水井鉱山産鉱石は-4.56±3.86%を示しており、古代中国の朱鉱石産地と考えられる陝西省旬陽にある鉱山鉱石は+6〜10.5%、貴州省万山特区の鉱山鉱石は+23.9±4.49%であった。
また、徳島の弥生時代週末から古墳時代にかけて朱を採掘した遺跡と考えられている若杉山遺跡出土朱は-6.03±2.88%であった。
従ってこの測定結果から考察すると、萩原2号墓から出土した朱は国内産ではなく中国陝西省産朱が用いられた可能性が示唆された 愛媛・・・正岡子規、下灘駅、島めぐり
高知・・・坂本龍馬
香川・・・うどん、島めぐり、サンライズ瀬戸
徳島も何か手に入れないとな >>695
なんかしょぼすぎて阿波踊りだけで勝ってるような >>695
>徳島も何か手に入れないとな
徳島・・・卑弥呼 わははははは @阿波 硫黄だけじゃわからないから鉛の同位体比も調べて伊勢と大和産だと同定したんだと思うよ。
でなきゃ徳島産と書くでしょ。 >>699
>でなきゃ徳島産と書くでしょ。
そんなこと、書く訳ないでしょ! 即、倭国(阿波)が決定するんだから! すこし、落ち着き給え。 わははははは @阿波 >>701
>でなきゃ徳島産と書くでしょ。
そんなこと、書く訳ないでしょ! 即、倭国(阿波)が決定するんだから! すこし、落ち着き給え。 わははははは @阿波 >>636,646
やっぱり九州だったんだ
他の説はちょっと無理があったもんな 卑弥呼はタイムマシンがあったら会いたい
偉人のトップ10に常に入ってるからなぁ 4年間徳島大学で勉学に励んでいた俺から言わせると
絶対にないw >>706
まあね
俺は九州説だし四国はね―わと思ってるけど、それでも畿内説よりはまだマシだと思ってる >>708
ほんな冷たいこと言わんとってよw
常三島は昔は海の底やけど、蔵本の医学部は思いっきり遺跡の上に建っとるんじょ。 >>712
常三島キャンパスしか知らない人を相手にしても仕方なくない? 今でも果てしない僻地なのに
なんで古代に日本の中心勢力がいると
勘違いできるんですかね?
徳島県民って、アホなんですか? やっぱり徳島だったか
俺も昔から邪馬台国は徳島にあったんじゃないかと睨んでたんだよ >>714
奈良・大坂・京都が日本の中心だった時代にはそこまでへき地じゃなかったんよ、
陸路で関東行くよりは遙かに近い、阿波・讃岐は国のランクでいうと遠・中・近のうちの「中国」国の規模でいうと大・上・中・下の「上国」
東京に国の中心が移ったあとは・・・お察しの通り。 卑弥呼は祭祀を司る巫女だ、軍事力や経済力で国を支配したんじゃない、祭祀という権威で日本を統一したんだ
そういう国は侵略者から身を守るために自らの所在地を分からないようにしたい、魏志倭人伝の地理記述は意図的という説もある
淫靡で神秘的な剣山は邪馬台国(山台国)の雰囲気そのものだ、九州の南国的雰囲気は違う
天皇家の分家である平氏も、壇ノ浦で敗れたあと四国に里帰りしている >>717
>祭祀という権威で日本を統一したんだ
そんなオーバーなww 祭祀という権威で倭国(阿波)を統一したんだよ。 @阿波 >>714
アホ&キチガイだね
キ・チ・ガ・イ@阿波がいい例
徳島評判悪くなる一方だ >>717
魏志倭人伝読んで山地を想像するのはあまりにも想像力欠如
あれはどう読んでも海洋民族 >>721
>あれはどう読んでも海洋民族
その通り。 @阿波 加計学園は古墳の上に建てられている
> 6世紀後半(古墳時代後期)の前方後円墳「高地栗谷1号墳」で、獣医学部の校舎はその古墳を破壊して建てられるのだ
加計学園「獣医学部校舎」が貴重な文化財古墳を大破壊|日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/210005 >>714
瀬戸内寂聴という売国尼僧の出身地・徳島。 熊本に狗奴国が・・・ってスレのほうが勢いが良いな。
【歴史】卑弥呼の邪馬台国と争った国「狗奴国」が熊本に? 九州説に新解釈
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567777096/ 当時の連合国って今で言うとどっからどこまで何だろうね
九州のみ?
九州から近畿まで?
九州から関東まで?
各地の豪族って昔から土着してた人たちから出てきたのか
大陸からの移住者たちが先住民を従えたのか
大陸からの移住者が先住民を排除して定住したのか
(´・ω・`) 所で・・・徳島には「国宝」が一つも無いのな。
阿波の法隆寺とも呼ばれる丈六寺も、せいぜい室町時代までしか遡れない。
主要な寺院は戦国時代に長曾我部に燃やされたことになっていて、
江戸時代以降に再興された所ばっかり。
阿佐氏所有の平家の赤旗も、江戸時代に表装されてオリジナルの姿とどめていないし、個人蔵で、もしかして文化財指定されてない?
なんですよね。 >>727
>当時の連合国って今で言うとどっからどこまで何だろうね
東西を貫く、大吉野川流域弥生集落群での卑弥呼共立。 @阿波 邪馬台国は東北の山中にあった!
八幡平はヤマタイと読めるだろう >>727
基本は九州だけど、伊都国の安曇海人は海伝いに各地に進出してる
海なので陸路と違って連続している必要性はなく、飛び地になっていた様子
若狭湾岸など天然の良港があったところを好んで進出したようだ
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg 南の狗奴国(長国)は、那賀川・海部川・勝浦川流域弥生集落遺跡群。 @阿波 >>731続き
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
> 838 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:11:59.00 ID:722R7Je50
> >>825,828
> そういうことだな
> そして安曇は3世紀以前には既に近江に到達しているし、安曇川伝いに京都にも進出している
> 瀬戸内海も安曇が制していたし、はっきり言ってこの後で畿内が九州を支配するなんて夢のまた夢
> 記紀の通り畿内は九州に征服された側
> それは鉄の分布から見ても弥生時代が終わってからで、3世紀末か4世紀初頭ごろの出来事
> 邪馬台国の時点ではまだ九州が本拠地だった
>
> https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> > 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> > 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> > そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> > 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> > また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。
> >
> > しかし、この軌跡は安曇川の中流域から上流域まで延長できるようである。 朽木地域では荒川に「雨乞いの淵」が、支流の北川には、野尻の上野に「天ノ阪」が、
> > 下市に「あまんさか」が川に面してある。 また、京都市左京区百井の集落東方には天ヶ森(標高812m)があり、百井峠の南南東には天ヶ岳(標高788m)が
> > 安曇川の源流を見下ろすようにそびえている。 >>731
>若狭湾岸など天然の良港があったところを好んで進出したようだ
倭国(阿波)を発った、北陸忌部の進出だね。 @阿波 >>731,733続き
> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ
> 308 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 07:29:57.35 ID:nfEZxMc70
> 伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
> 海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
> http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/f012.gif
>
> また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
> http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
>
> 有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
> 製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>86の図のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
> 狗奴国との国境は菊池川だろう
>
> 鉄鍛冶工房の分布は貝輪の分布とほぼ完全に一致しており、鉄加工の技術は半島からの鉄材料とともに海人が各地に進出した際に広めたもの 江戸時代埋蔵金も第二次世界大戦後の埋蔵金も
見つかったためしが無い >>731,733,736続き
これで最後
> 86 :名無しさん@1周年 :2019/09/06(金) 23:46:57.90 ID:953HWZUu0
> >>1
> 最近日本史板で見た内容とおおむね一致してるな
>
> 309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
> >>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
> 総合的に考えた結果こうなった
> https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
> https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg 卑弥呼はわからんが、邪馬台国と称されるものはここだろうね >>738
一周回って割と普通の解釈に落ち着いたって感じだな >>739
>卑弥呼はわからんが、
「其山有丹」は卑弥呼女王国(阿波)の記述。
>邪馬台国と称されるものはここだろうね
その通り。 @阿波 今日は文化の日。
親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。 @阿波 11月3日は文化の日。
親授式で渡される文化勲章は「橘」に「勾玉」をあしらったものという。
その「橘」も「勾玉」も倭国(阿波)の特産物とは此れ如何に。 @阿波 >>736
それ見ると、畿内説の人が言うヤマト政権が北部九州まで版図に収めていたという主張が全く成立しないのがはっきり分かるね
どう見ても古代文化の中心は九州で、西から東に伝わっていってる 畿内から北九州までを支配下に置いてる巨大国家は狗奴国なんかに後れを取らないわな 王、大王、天皇は日本人
始皇帝は中国人
李成桂は朝鮮王代理
朝=未熟
鮮=不毛
呉王朝「我々は日本人だ」 俺も邪馬台国が北九州から近畿までの広大な版図があるとはとても思えない 卑弥呼時代は、瀬戸内海を支配下に置いていないので、汐待施設が整備されておらず、瀬戸内海を通し航行できなかった。 @阿波 >>748
その通り。
邪馬台国=女王国は、大吉野川流域・鮎喰川流域。
卑弥呼時代の倭国は、阿波・讃岐・南淡ぐらいだろう。
ちなみに、狗奴国は、南部の阿南市周辺地域。 @阿波 >>751
??? なにが? ドジョウが? @阿波 >>738
そう大体良い。
侏儒国が間違いだけど。
侏儒国は高知西部の幡多ね。
ワダツミとは「幡多つ宇美」のこと。 実は、ドジョウか鹿か、迷ったんだが、鹿じゃつまらんと思って。 @阿波 >>738
後、不弥国も違う。
今の宇美では無く、海の中道周辺。
擬似倭人伝では多分能古島のこと。 でも、桃の種に対して「いねーよ」はないな。 @阿波 古事記によれば日本で最初にできた陸地は淡路島(阿波)なのだから卑弥呼が阿波にいてもおかしくはないだろう >>738
擬似倭人伝は伊都国基点の放射読みね。
だから不弥国は伊都国から東に百里ちょうど。
能古島(淤能碁呂島)が擬似倭人伝で言う不弥国。 恐らく、宇美は海の語源で、元々は博多湾のこと。
ワダツミとは幡多つ宇美で、元々は宿毛湾のこと。
こういうこと。 「ひょっとしたら・・・」
慌てない、慌てない、阿波だけに、ポクポク( ̄д ̄) 曹操の墓の鏡が大分出土の鏡と似ている
邪馬台国は大分 不弥国は今の宇美では無く、現在の福岡市東区+能古島のあたり。
海の中道とは由来のよく分からない言葉だが、宇美の中道のこと。
金印が志賀島のあの位置から見つかったのは、
淤能碁呂島(能古島)と、奴国の始祖が祀られている吉武高木遺跡とを真南に臨みながら
あの位置で奴国に代わって宇美国が祭祀を取り行ったから。
こういうことね。 >>738
1. 擬似倭人伝は伊都国基点の放射読み
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い
この上で、宇美国と侏儒国とを修正したらほぼ正解になる。
宇美国の住人は砂洲の根元に普段はいて、
重要な祭祀のとき宇美の中道を通って志賀島へ行って、
あの金印公園の位置で真南見ながら祭祀を行ったってことね。
だから宇美の中道なんだよ。
そして宇美が海の語源だから、これが後世に「海の中道」に変化したと。
こういうことな。
>>759
ほんとうは、淡路島じゃなくて、粟島なんだけどね。 大吉野川の中州。 物部氏の本拠地、旧麻植郡・阿波郡にまたがる中洲。 これが最初に支配した島 @阿波 https://i.imgur.com/K6tUoPA.png
若杉山「辰砂採掘遺跡」で、引っ込み思案の阿波人にも火が付いたか。 @阿波 >>775
>淡路島がアワシマなわけが無いだろアホ
淡路島と粟島は、ぜんぜん別の島だと言ってるだろアホ @阿波 >>776
さすがに引っ込み思案の阿波人でも、若杉山「辰砂採掘遺跡」をほっとく手はないだろ? わははははは @阿波 吉武高木遺跡へ行くと面白いよ。
最古の王墓だとか言ってるわけで、それならアメノミナカヌシとかタカミムスビとかの墓かも知れないだろ?
当然誰もが考えるはずのことだ。
ところがとっくの昔に掘り返して、上にただの農道が通ってるwww
その農道と最古の王墓と、どっちが大切なものか小学生でも分かるはずなのに、
実際はサッサと掘り返して野ざらしで上をしょーもないどうでもいいただの農道が通ってる。
その農道ちょっとズラして作ればいいだろ?
なんで真上通す?
は?
誰もが(本来は)思うはず。
九州の王朝と近畿日本の王朝が無関係なのバレバレ。
行動がおもいっくそゲロってる。
wwwww
九州の王朝と
近畿日本とは
全く無関係。
吉武高木遺跡へ行けばマル分かり。
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
まあいいから一度吉武高木遺跡行って見れ
九州の王朝と近畿日本とは全く無関係なのを
思いっ糞ゲロってくれてるから。
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
ここは誰?私はどこ?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
>>769
今の海の中道が「海の中道」と呼ばれるようになったのは江戸時代半ばからな。
元々は福津市勝浦〜渡の砂洲を海の中道と呼んでいたんだけどいつのまにか奈多〜志賀島の間を指すようになった。
益軒先生も用いるべからずって書いてるから、筑前国続風土記読むと良いよ。
https://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/archive05/ Wikipedia
奈多の村民がすでに現在の通り「海の中道」と呼んでいたことが記されている。
対して『続風土記』はここを奈多の浜と呼び、十数キロメートル北にある福津市勝浦から津屋崎付近のかつての砂州をもって「海の中道」とした[10]。
奈多の人間自体が奈多の浜などとは言わずに海の中道と呼んでいたんだとwwwwww
猿がなんか慌てふためいているが
いいからお前ら吉武高木遺跡へ行って見ろ。
九州の王朝と近畿日本が全く無関係なの、肌に擦り込むように良く分かるから。
証拠べっちょり残してやんのwwwwwwwwwww
>>788
恐れ入谷の鬼子母神ってか? わははははは @阿波 即位の大嘗祭で着用されるあらたえは、徳島で作られている >>786
恣意的抜き出しが酷すぎるな。
"18世紀初めに貝原益軒により編纂された『筑前国続風土記』では、奈多の村民がすでに現在の通り「海の中道」と呼んでいたことが記されている。
対して『続風土記』はここを奈多の浜と呼び、十数キロメートル北にある福津市勝浦から津屋崎付近のかつての砂州をもって「海の中道」とした"
なんですぐわかるごまかしするのかねぇ Wikipedia
奈多の村民がすでに現在の通り「海の中道」と呼んでいたことが記されている。
対して『続風土記』はここを奈多の浜と呼び、十数キロメートル北にある福津市勝浦から津屋崎付近のかつての砂州をもって「海の中道」とした[10]。
奈多の人間自体が奈多の浜などとは言わずに海の中道と呼んでいたんだとwwwwww
猿がなんか慌てふためいているが
いいからお前ら吉武高木遺跡へ行って見ろ。
九州の王朝と近畿日本が全く無関係なの、肌に擦り込むように良く分かるから。
証拠べっちょり残してやんのwwwwwwwwwww
ここに書いてある「続風土記」は先に書いてある「筑前国続風土記」のことな。
糟屋郡のこと語りたいなら17〜19巻くらいはちゃんと読もうね。 まあ日本人はちょっと落ち着いて素に戻って良く考えたほうがいい。
しょーもないただのベタなウソつき野郎が美味しい思いをする社会なんてやって行けるわけが無いだろ。
そんなことも分からないただのバカがこれから先生き残れるかよ。
低脳も大概にしろよ猿ども。
>>803
神功皇后とかの事績が既にウソだらけだから
そんなものは根拠にはならんね。 ひょっとしなくても汚水処理人口普及率は徳島県が堂々の全国ワーストです >>800
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
九州各国の風土記編纂時に、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 >>804
海の中道の由来と神功皇后はまったく関係ないけどね。
18世紀の事情についてなら筑前国風土記の信頼性は高いよね。益軒先生の私見が入ってたりはするだろうけど。 >>807
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
九州各国の風土記編纂時に、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 >>806
筑前国続風土記は江戸時代に書かれた物なのでいわゆる風土記とは全くの別物なのよ。
古風土記編纂時に温泉が九州にないってことは無いと思うよ。 >>阿波
「邪馬壹国は阿波から始まる」って本がちょい前に出たけど読んだ? 邪馬台国を主張している佐賀県・奈良県・徳島県の共通点・・・
うーん、新幹線が停まらないって事ぐらいしか思いつかない。 >>809
>古風土記編纂時に温泉が九州にないってことは無いと思うよ。
だよね。 では、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 >>809
>古風土記編纂時に温泉が九州にないってことは無いと思うよ。
だよね。 では、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 >>811
多分ね。確証は無いがそう考えるのが一番座りがいい。
狗奴国のは彦御子だろうな。
御子がいつか女が主になって巫女になったんだろう。 伊都国基点の放射読みはねえわ
他の文献にそんな行程で記載してるの一件もないからね
中国は中世まで日本を南北に長い列島だと思ってたから(地図もあり)
方位を間違えたか、書き写す人が、これ間違えてるだろと思って
勝手に書き換えたかの可能性が高いわ 卑弥呼は日御子なんだろう。
本来は男女は問わなかったのが卑弥呼とトヨで次第に御子が巫女になって行ったんだろうな。
イタコが女ばかりなのも結局はイチキシマヒメ(恐らくトヨ)が
女だからだ。 >>817
お前が無いわ猿
魏志倭人伝に放射読みだと事実上書いてあるのに >>817
>伊都国基点の放射読みはねえわ
その通り。 @阿波 結局は畿内は大和朝廷
邪馬台国は九州、しかし!ノックアウトされた畿内に変わり阿波が手を上げた!素晴らしい。
いいよいいよ、、阿波 >>822
>邪馬台国は九州
それは、ない! @阿波 素直に読めば伊都国から北九州に言ってそこから水行
関門海峡や瀬戸内海を通った記載はないから日本海側を行ったと分かる
丹波のあたりに上陸して陸行一月で大和に行ったのだろう
瀬戸内海を通らなかったのは海賊が多いとかそんな理由だろう >>816
奈多の人や近世俗説では今の海の中道を「海の中道」と呼ぶけども、元々海の中道は福津市勝浦〜渡のことなんだよ。
志賀島ともつながってないし、山ともつながってないから「海の中道」を謳った古いうたとも合わんし。
間違えて使っちゃだめよ by 貝原益軒 1703
でOKってことね。 >>826
>元々海の中道は福津市勝浦〜渡のことなんだよ。
その通り。 @阿波 >>817
>伊都国基点の放射読みはねえわ
間違い。 @阿波 >>822
>邪馬台国は九州
それが正しいです
負けました降参 @阿波 >>826
>元々海の中道は福津市勝浦〜渡のことなんだよ。
全く間違い。 @阿波 >>822
何がいいのか三万五千字で説明しなさい。 もう名乗り出た順に「卑弥呼U」「卑弥呼V」とかでいいじゃん。
何だか懐かしAVのタイトルみたいだけど >>826
すまんがイミフだわ。
よくそんだけ意味の通らないクソ文章書けるよな。
脳ミソ腐ってるのが良く分かるわ。 吉武高木遺跡へ行くと面白いよ。
最古の王墓だとか言ってるわけで、それならアメノミナカヌシとかタカミムスビとかの墓かも知れないだろ?
当然誰もが考えるはずのことだ。
ところがとっくの昔に掘り返して、上にただの農道が通ってるwww
その農道と最古の王墓と、どっちが大切なものか小学生でも分かるはずなのに、
実際はサッサと掘り返して野ざらしで上をしょーもないどうでもいいただの農道が通ってる。
その農道ちょっとズラして作ればいいだろ?
なんで真上通す?
は?
誰もが(本来は)思うはず。
九州の王朝と近畿日本の王朝が無関係なのバレバレ。
行動がおもいっくそゲロってる。
wwwww
まあ一度吉武高木遺跡行って見れ。
むしろ笑う。分かりやす過ぎて。
>>UPqDo7Q80
ここ日本史と違ってID表示されるからキャラ変えても意味ないよ。 >>839
@阿波を勝手に使ってるね。 わははははは @阿波 >>839
ごめんなさいもう降参ですわははははは @阿波 >>841
まるで近畿パーみたいだよね
くっそウケるこいつwwwwwww おまえらってホントに保守的というか
今の価値観で考えるんじゃねーよ
おまえらまず教えられた事を信じるな、むしろ疑え、いいか?
・四国徳島は田舎?ダウトだ
なぜなら当時は西日本が文化の中心、交通の主流は陸じゃない海だ、しかも徳島はその要所だ
瀬戸内海、紀伊水道、太平洋といういわば日本の重要海上交通路の交差点が徳島だ
・遺跡、埋蔵文化財、古墳、鉱山跡なぜこの地にこれだけのものが出るのか、おかしいだろ
・天皇家と歴史的に関わりがある謎
・今の尺度で人口を考えるな
当時の人口集積地は大河の周辺だ、日本有数の大河吉野川がある
・多くの人口を養うに十分な山海の恵みは昔も今も同じ、今でも食糧供給地でもある
まあ卑弥呼の件は知らん、その時代ここには何らかの大きな勢力があったってこと ねえもう吉武高木遺跡あるよ
どうすんの?
農道通しちゃってるよ
今更チャイ無理だよ
ステルス遺跡とかにする?
みんなで見えないことにしたらダイジョーブとか?
それともいっそ爆撃する?
地震が起こって全部チャラになるようにみんなで祈祷するとか?? 邪馬台国ってただの負け組連合でたぶん分裂して霧散して消えたんだろうけど
中国に使者送ったって一点だけで中国人の歴史に載って日本の代表みたいになってる >>825
残念でしたw
もうとっくにその嘘バレてますw
> 806 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:37:57.84 ID:PRbsOSjX0
> >>793
> >畿内説ってのは中国語読めない人たちが漢文を曲解してるだけのつまらないお話
> それな
> 畿内のアホどもが散々縋りついていた水行十日、陸行一月の記述も暴かれちゃったしw
> もう畿内説は詰んでる
>
> > 73 :日本@名無史さん :2019/08/22(木) 23:45:04.55
> > 邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
> > 水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
> > これを押さえておかないと正解には辿り着かない
> >
> > 【用例】
> > 通鑑釋文辯誤卷六
> > https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
> > >沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
> > 江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
> > 江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
> >
> > 【嘉興府志】
> > https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
> > >{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
> > 嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
> > やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
> > また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし 日本史板のアラシで町おこしと言うのはご遠慮願いたい。 >>847-848 ID:UPqDo7Q80
この人、頭大丈夫なの? なんか異常。 @阿波 欲張るな。ク奴国くらいにしとけ。邪馬台国は畿内だ。 >>853
自己紹介要らないからw
どの口でほざいてんのかね泡パーがww >>856
碌な集落遺跡の無い畿内に、邪馬台国など語る資格無し! 以上御終い。 @阿波
ねえもう吉武高木遺跡あるよ
どうすんの?
農道通しちゃってるよ
今更チャイ無理だよ
ステルス遺跡とかにする?
みんなで見えないことにしたらダイジョーブとか?
それともいっそ爆撃する?
地震が起こって全部チャラになるようにみんなで祈祷するとか??
吉武高木遺跡はあるけれど無いですとか?
ナイアル〜とか言っちゃうの?
陰陽師は空に向かってほら今追い返しましたとかやってたのが
キツネに化かされるとか博打うちとかのスラングに読み取れる >>861
このひと、なにを騒いでんの? 頭、おかししの? @阿波 >>849
それにしては祭祀や鏡なんかは大和政権に受け継がれてるけどね
しかも30国の盟主となると弱小じゃない。 ナイアル〜でやる?
バカじゃんそれ
じゃどーすんの?
単純にただ気がつかないフリをただみんなでやるの?
吉武高木遺跡wide openなのに?
誰でも見れるのに?
それとも今更囲いして隠す?
それだ!みたいな?
ねえもう吉武高木遺跡あるよ
どうすんの?
農道通しちゃってるよ
今更チャイ無理だよ
ステルス遺跡とかにする?
みんなで見えないことにしたらダイジョーブとか?
それともいっそ爆撃する?
地震が起こって全部チャラになるようにみんなで祈祷するとか??
吉武高木遺跡はあるけれど無いですとか?
ナイアル〜とか言っちゃうの?
最古の王墓なのに更地にして農道通してるよ。
どーすんのこれ?
そうとう、やけくそになってるねぇ。 どうしちゃったんだろう? @阿波 >>869
やけくそになるなよ泡パー
自殺とかすんなよw
ねえもう吉武高木遺跡あるよ
どうすんの?
農道通しちゃってるよ
今更チャイ無理だよ
ステルス遺跡とかにする?
みんなで見えないことにしたらダイジョーブとか?
それともいっそ爆撃する?
地震が起こって全部チャラになるようにみんなで祈祷するとか??
吉武高木遺跡はあるけれど無いですとか?
ナイアル〜とか言っちゃうの?
もう爆撃しようか
他に無くね?
都合良く地震とか無いっしょ 平家=四国だからな
源氏側の安徳天皇によって隠ぺいされててもおかしくない 最古の王墓とかうっそっぴょ〜んで行くか
ああこれいいな 最古の王墓とかウソです!!
これで良かったか
なんだ騒いで損した >>873
安徳天皇は、いつから源氏側になったのでしょうか?
阿波の祖谷の山奥には、伝安徳天皇火葬地もございます。 やっぱ吉武高木遺跡はナイアル〜〜のほうが良くね?
こっちにしようや
決まりだね良かった良かった 決まったかあ
そうかあ
良かった良かった
みんな良かったね これが日本の考古学の現実
学問ではなく好古趣味
ゴッドハンドに騙されて当たり前 >>731
うちの父方の実家が石川県で
海沿いの集落は
飛び飛びで交互に人が住み始めたって言ってたな
ひとつの部族(っていうのか)1がAに住んだら
もうひとつの部族2が隣の可住地Bを拠点にする
すると部族1はBの次のCにも根をはる
だからあそこの集落とあそこの集落はどうのこうのって話だった
まあほんとかどうかわからんけど 瀬戸内海沿岸なら、どこであっても可能性は有ると思うね。
むしろ九州・奈良で限定されてる方に違和感を感じるね
連合盟主ポジなら、当時の日本の真ん中辺り=中国四国地方でも全然おかしくない さっさと古墳発掘させろや
そうすればこんな馬鹿馬鹿しい論争すぐに終わる
古墳発掘できないのはほんと糞 >>883
>さっさと古墳発掘させろや
「前方後円墳」をいくら発掘しても無駄。 卑弥呼の墓は、「前方後円墳」じゃない! 卑弥呼の墓は、有棺無槨の円墳。 @阿波 >>883
盗掘されてない古墳なんてほぼ皆無だと思うよ
今でこそ天皇のお墓を調査するなんて不敬だなんだと
言われてるけど、それまでは盗掘なんて有って
当たり前だったんだしね >>885
>盗掘されてない古墳なんてほぼ皆無だと思うよ
卑弥呼のお墓は、倭国(阿波)で大事に守られているよ。 ご安心あれ。 @阿波 >>887
あ、そうなんや そりゃよかった
阿波って倭国なん?隋書倭国伝や日本書紀とも合わないけど
ま、どうでもええわなw 邪馬臺(やまと)は、「倭大國魂・倭大國敷神社」が鎮座まします倭国(阿波)。 @阿波 >>881
へぇ
そうなると安曇と宗像で交互に進出したりしてたんかね?
出雲は宗像系という説を聞いたことがあるが
建御名方は武宗像(宗像族の勇者)だとかいう説もあるし キッドとか、ソロモンとかの秘宝も徳島にあるんだっけ?
なんでもあるなぁ〜徳島県は(笑) >>891
>建御名方は武宗像(宗像族の勇者)だとかいう説もあるし
建御名方神は、日本で唯一、倭国(阿波)の「多祁御奈刀祢神社 (祭神 建御名方神)」で大事に祀られているよ。 ご安心あれ。 @阿波 もう邪馬台国は西日本全域を治めていた大国だったで良くね? >>897
>もう邪馬台国は西日本全域を治めていた大国だったで良くね?
違う!
あくまで邪馬台国(粟国)は、東西に貫く大吉野川流域に広がる弥生集落遺跡群。
狗奴国(長国)は、県南部の阿南市周辺弥生集落遺跡群。 @阿波 >>897
>もう邪馬台国は西日本全域を治めていた大国だったで良くね?
違う!
あくまで邪馬台国(粟国)は、東西に貫く大吉野川流域に広がる弥生後期集落遺跡群。
狗奴国(長国)は、県南部の阿南市周辺弥生後期集落遺跡群。 @阿波 道は阿波より始まる
を読むと何故阿主張の根拠が分かる。
本屋では売ってない。
銀行の振り込み口座名が異様に長くて
振り込みが失敗するのに手数料だけは引かれる。
地銀のシステムは本当に糞。 >>899
九州説などのトンデモ説では、弥生集落遺跡群を提示して、邪馬台国や狗奴国を説明できないからね。 お話にならない。 @阿波 古事記に書いてある通りなら、日本の誕生は、まず淡路島が生まれ次に四国が出来ている。
徳島の可能性は結構高いと思ってる。 もうどこでもいいから邪馬台国位置論者全員死なないかな 邪馬台国は中国にあったんだろ
わかってても誰も言えないらしいけど 徳島は失われたアーク伝説で金持ちイスラエル人を呼び込んで儲けるしかなかろう
剣山の御輿渡御を見せれば腰を抜かすほど驚愕するだろう
潜在需要はかなりでかい
まずは丹念に旧約聖書をじっくり読み込め、話はそれからだ
残念だが邪馬台国では金は落ちない >>906
>古事記に書いてある通りなら、日本の誕生は、まず淡路島が生まれ次に四国が出来ている。
ほんとうは、淡路島じゃなくて、粟島なんだけどね。 大吉野川の中州。 物部氏の本拠地、旧麻植郡・阿波郡にまたがる中洲。 これが最初に支配した島 @阿波 >>881
石川って人間関係陰湿だよな。能登も金沢も。近所同士で憎み会うなんて
ざらに聞くし >>911
それは、北陸忌部のせいではないからw @阿波 >>908
仮に中国にあったなら、何らかの記録に残ってる
司馬懿の公孫淵討伐時に邪馬台国の使者と接触があったのだから、少なくとも中国には存在しない 粟島って鴨島の?
ずいぶんエリアが狭いんだけど?
あと、やっぱり、長国を狗奴国に比定すると、これもまた規模が小さすぎ。
阿波説は、狭い範囲で色々詰め込まないと説が成り立たなくなるのが最大の欠点。 >>919
つかもう論争になって無いけどね。
畿内説はただのファンタジー。
邪馬台国は移動しているが、卑弥呼の時代は御井で結論出てるから。 普通に考えれば九州説になるが、本拠地が九州→徳島→畿内に移り変わった可能性もあるわな
邪馬台国が大和朝廷へと変化した可能性もあれば、神武東遷の話をそのままに使える
ただ、個人的には邪馬台国と大和朝廷は別勢力だろうと思う
磐井の乱で大和の九州支配が確立したくらいだしな >>917
遺跡が証明しているよ。 わははははは @阿波
トンデモは碌な集落遺跡が無い。 そんなところに、邪馬台国など在る訳がない。 以上御終い。
そして、君は誇大妄想が過ぎるようだ。 卑弥呼当時は、西日本一帯に渡るようなものではないんだよ。 冷静に思考し給え。 @阿波 >>916
山形明郷って人が生涯かけて研究した結果らしいけど >>924
粟島や善入寺島から遺跡は出てたっけ?
川の流れがかなり昔とは変わっているから、
調査は難しいとは思うけど。
その点、神社以外に証拠あるのかい? >>927
>川の流れがかなり昔とは変わっているから、
>調査は難しいとは思うけど。
その通り。 @阿波 タイムマシンで時代を遡れる技術を構築しないと真相が分からない謎のひとつだよね。 八女が邪馬台国の名残の地名だとする人も居るしな
名前根拠は収拾がつかなくなる 邪馬台国ってのは地域の事をさしてるだけで
実際に国としてあるわけではなかったってのが結論だろ
そしてそれは日本の地域を含むだけで中国〜朝鮮〜九州辺りだろうって話。 >>933
首尾一貫しているのは、倭国(阿波)だけ。 @阿波 >>926
その人の人生を否定するワケではないが、残念ながらありえない
司馬懿が公孫淵討伐をして、初めて邪馬台国は魏との交流が可能になったのだから
仮に中国に存在していれば、魏との交流は公孫淵討伐以前から可能だった
遼東程度を支配する公孫淵と巨大な帝国である魏とは比べものにならなかったのに、わざわざ公孫淵氏程度を選んで交流してた理由も不明になる
その人は当時の中国の範囲である魏、呉、蜀の三国以外、つまり三国時代以前の冊封地等も中国と含めて言ってるのかな? 四国は黄泉の国、根。オオナムチ大祓の祝詞。汚れた地ではあるが持ち帰ってきた品々は優れた王を象徴する祭器であり地上に恵みをもたらす生産力の根源の国。つまり労働者の国。 邪馬臺はヤマト
だから臺與は当然トヨ
邪馬臺とヤマイと読むのは間違い
なぜなら古代日本語では連母音は無いから
yamaiは間違い
だから臺與もイヨでは無い >>930
合えてカタカナ表記するなら、古代漢語発音だと卑弥呼は「ピメハ」か「ピメコ」みたいに日本人には聴こえる。 台与はトヨで豊のこと。
宇佐神宮の比売大神がトヨ。
正確には宗方三女神のうちイチキシマヒメが恐らくトヨ。
イチキは斎きで、イタコの語源。 >>1
確かに大陸に対して、日本海を外堀、瀬戸内海を内堀にしたら、四国は日本の本丸になるよな! 魏志倭人伝から推測すると阿波になるらしいね
水銀が取れて周囲を海に囲まれてる
おまけに徳島の遺跡のデカさが半端ない
町中が遺跡
剣山には失われたアークがあるとかでイスラエルが調査してるし、代々天皇家の祭祀を仕切って来た忌部氏が徳島に居る >>946
>宇佐神宮の比売大神がトヨ。
それなら、「トヨ比売大神」とあるはず。 お粗末極まる神社。 わははははは @阿波 日の御子→日御子から
後代になって姫という言葉と巫女という言葉との両方が出たってのが多分真相なのでは?
卑弥呼はそのくらい重要な人物だし。 徳島よりまだ
淡路島の方がましだわ
神話で最初に作られたのが淡路島だし >>958
違う!
淡路島じゃなくて、粟島。 大吉野川の中州。 物部氏の本拠地、旧麻植郡・阿波郡にまたがる中洲。 これが最初に支配した島。 @阿波 >>956
ヒのミコであったことは確定でしょうね。
ヒは「日」「火」「霊」
ミコは「巫女」「御子」「皇子」
古代のヤマト言葉はまだそこまで分化していなかっただろうけど。
因みにこのスレでしばしば話題になる辰砂=丹(ニ)は、ヒが天の霊力を表すのに対して、地に宿る霊力を意味する。
ヒのミコと、ニ(辰砂、朱砂)の産地の繋がりが興味深い。 >>961
奈良の語源は半島固有語のナラ(나라 )という説もある。 >>960
忌部氏が毎年のように洪水が起きて地形が変わる川の中州に根拠地置くような間抜けな訳ないだろ。
阿波(粟)と麻植の地名からして、両地域が忌部氏の拠点だったことは間違いないが、
粟島は既に昔の地形をとどめていない脆弱な中州に過ぎない、
俺は淡路島(阿波路島)を二番目に作った理由は、阿波は既に存在していたから、そこへの通路の島をまず作った説を支持する。
上沼恵美子に怒られるかな? >>965
物部氏の本拠地、旧麻植郡・阿波郡から、開拓地・支配地が始まるのは当然のことだよ。 @阿波 >>882
大分県の姫島は?瀬戸内海の要所だよ
姫島の向こう側は大分県の国東半島くにさきはんとう
国東半島には大分空港がある昔も今も空も海もあのあたりは良き港
大分には曹操の鉄鏡と激似の鏡がある 在日・帰化失語症躁鬱不細工基地外池沼韓国・朝鮮厨房原人でヤフーアメーバニコニコザイニチイーストジョセオ
ンニュース速報+記者で創価学会員で日本共産党員で吉田光雄・秋山幸二・駒田徳広・工藤公康・佐々木健介・
金本知憲・新井貴浩・松井秀喜の熱心なファンで麻生太郎の後援者で力道山式プロレス豚で金田式プロ焼き豚
のナマポ受給電通・博報堂舎弟チャラチャラエラチョンDQNマフィア構成員記憶たどり。がソフトバンク・サイバー
エージェント・カドカワからカネを貰ってヤフーアメーバニコニコザイニチイーストジョセオンニュースのソースでス
レ立てたこのスレッドは孫正義ソフトバンクグループ会長兼社長・藤田晋サイバーエージェント社長兼CEO・松原
眞樹カドカワ社長に認定されますた。記憶たどり。「プロレスニッポン!プロカクニッポン!アベハヤメロ!」 >>960
粟島は、淡路島の前に作った失敗作の蛭小島と淡島の淡島の方だとすれば辻褄が合う。 >>1
歴史上で阿南市といえば
時代は下って戦国末期の平島公方を思い出す ひとつ気になるのは、四国って
越の国とか火の国とか豊の国みたいな上古の国名ないよな
卑弥呼の時代は大部分が海の底だったんじゃないの? >>977
「粟の国」と「長の国」 だと、何度言えばw
二つもあるところなんて、他には無い!
ちなみに「粟の国」が邪馬台国 「長の国」が狗奴国 だと、何度言えばw @阿波 >>977
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 >>978
うるせえな
邪馬台国なんて存在しないんだよ >>981
>うるせえな
そりゃないだろ! そっちが聞いてきたくせに! なんか末期症状だね。 @阿波 >>981
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 解読不能の朱夏文字と同じで、争乱と長い時の経過のうちに消えた歴史のロマンという事で良い。
2〜5世紀の日本史は謎だらけで、いわゆる『暗黒時代』だし。 >>987
あわわわわ・・・言ってる場合じゃないだろうよ! わははははは @阿波 >>974
そういえば徳島には蛭子神社もたくさんあるな。
粟島=淡島(川の中州の不安定な島)も確かにそうだったかも。 >>989
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」です。
御祭神は大日?女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神です。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)です。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われています。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日?女命」=「天照大神」 @阿波
「八倉比賣神社」
https://bqspot.com/shikoku/tokushima/569
http://kamnavi.jp/en/awa/yakura.htm >>989
「阿波の神様 大宜都比売」
大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。
阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、
オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神
豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。
元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。 >>993
駄々こねてもだめ! もう倭国(阿波)で決定済み! @阿波 神武の前、ウガヤの前の出来事という事ですか238年わ? 王年代紀が絶対正しいとは言いませんがアマテラスは神武の前です。 >>996
神武天皇は天照大神の五代孫でしょ。 @阿波 ええですから卑弥呼がアマテラスならアマテラスは親魏倭王になったのは238年ですねという事なんです。 このスレッドは1000を超えました。
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