【元寇】モンゴル軍が用いた「てつはう」に殺傷能力はあったのか
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■たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた!
※省略
今回は、蒙古襲来の折、モンゴル軍が鎌倉武士を苦しめた「てつはう」をご紹介します。
■「てつはう」に殺傷能力はあったのか
「てつはう」を、漢字で書けば「鉄炮」となる。だが、モンゴル軍が使ったのは火縄銃などの弾丸を発射する火器ではない。現在でいうところの、手榴弾に近い武器だ。
文永の役の戦いの様子を写した『蒙古襲来絵詞』という絵巻物には、肥後(現在の熊本県)の御家人・竹崎季長が単騎でモンゴル軍に突撃するそばで、「てつはう」がさく裂している光景が描かれている。
また、鎌倉時代後期から末期にかけて成立したとされる、八幡神の霊験を説いた寺社縁起『八幡愚童訓』にも、「てつはう」についての短い記述がある。
ただ、「てつはう」に関する記録は、このふたつ以外にほとんど残されていない。
形状としては、鉄製または陶器製の丸い容器に火薬をつめ、導火線に火をつけて使用したと考えられていた。
しかし、中国にも実物がひとつも残っていなかったため、実際に殺傷力があったのか、それとも爆発する音と煙や光で周囲の敵を脅すだけの武器だったのかは長らく謎とされてきた。
ところが21世紀になって、長崎県の鷹島海底遺跡から元の軍船が見つかり、「てつはう」の実物が3つ発見された。
この「てつはう」は陶器製であり、鉄サビの痕跡もあった。
容器の中に鉄片を入れ、爆発する際に鉄片が飛び散るしかけになっていたためと考えられる。
もしそうだとすれば、それなりの殺傷力はあったと推測される。
■長弓 vs. てつはう
実物の「てつはう」が見つかっても、まだこの武器に関する謎は残されている。その謎のなかでも最大のものは、どのようにして投擲(投げること)をしたのかということだ。
鷹島海底から引き上げられた「てつはう」は4キログラムほどの重量であった。これを手で投げる場合、どんなに腕力に自信がある者でも20メートルほどしか飛ばすことができない。この程度の射程では、鎌倉武士たちが主力武器とする長弓に対抗できるはずもない。そもそも、日本の兵にまったく近づくことができないからだ。
攻城兵器としてモンゴル軍が使った投石機などで発射した可能性もある。
だが、巨大な投石器を船で輸送するのはかなり困難であるし、蒙古襲来でモンゴル軍が投石器を使用した記録も残されていない。このように、「てつはう」の実態については、まだわかっていないことのほうが多いのだ。
10/11(金) 12:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191011-00010000-php_r-pol
https://amd.c.yimg.jp/amd/20191011-00010000-php_r-000-3-view.jpg よく教科書にも載っている画像の部分だけ見ると日本が大敗しているように見えるけど、絵巻全体を見ると普通に戦争している構図なんだよな 手榴弾だとすると、相手のところで爆発するようにタイミングとるのはどうやったんだろうな 音だけのはずないだろ
絶対殺傷力あったと思う
あと見つかってないだけで小型のやつもあったはず 殺傷力があるかないかでいえばあるだろうが、主な効果は音と炸裂による威嚇でしょ 人は記憶型と思考型に大別できる
持ち運びも大変だし
費用対効果を考えると今一ってとこなんだろうな ハンマー投げやらいろいろ方法あるだろうに、なぜ限定した話にしてるんだ? なんでオリジナルの絵を貼らずに
へんなアレンジをした絵を貼るんだろう 歴史のロマンを感じるね
大陸の国家と渡来人のふるさとから、倭国征伐の栄光とともに新たな文明がもたらされたことを思うと、カムサハムニダ。と自然に口をついて出てくるよ。 直撃しなければ怪我はしなかったね
馬が音にびっくりするぐらいだったよ 元寇は日本史で最も熱くなるストーリなのに
今一人気ないな
最近、漫画がちょっと話題なったぐらいで 中国の側に記録はないのかね
ないなら後世の書き足しかも 日本刀が鍛造技術で作られていて、オーパーツレベルだったから勝てた(´・ω・`) 威力があったら、捕らえた捕虜に作らせて新兵器になってる。 >>6
モンゴル軍が優勢だったなら
せっかく上陸しているのに船に主力を引き揚げる必要がない。 欧州のバリスタみたいな、可搬サイズのカタパルトは中国にはなかったのか? 朝鮮人はともかく元はいろんな記録を残せる文明を持ってただろう
それなのに参考資料になるものが残ってないならやっぱ使い物にならんかったということか 今の爆発物だって釘を仕込んで殺傷能力倍増させてるじゃん 殺傷能力はあったかも知れないが
それほど優秀な武器とは言えなかったのではないの?
もしそんなに優れた武器であるなら、元の後の明にも継承されても良さそうなものだが
明は使わなかったのだろ?
それを考えると、そんなに有効な武器ではなかったのではないかと思う
まあ、明の時代には大砲が十五世紀ごろから使われだしたっていうからな
それにとってかわられたのかも知れないが >>25
ないない、日本圧勝だよ。
上陸してきた敵軍に対して水城を防衛線にして戦うのは大和朝廷以来の作戦。
幕府軍は伝統的作戦にしたがって戦い勝利しただけ。 >>6
このモンゴル人三人は、誰かが後世に描き足した者モノであることが分かっている >>42
最初の奇襲で漁村男は全滅して女は奴隷になってるけど仕方ないね >>25
文永の役は最初から1日だけ荒らし回ってびびらせてから再度降伏を迫る作戦だった説(当時の文献でも嵐があったのは元が引き上げた翌日)
弘安の役は一歩も上陸させなかったことから、持久戦になればそのうち疲弊して退却した説 >>35
俺が思うに
やはりスリングのような武器で投げたのか
あるいは鉄のバネの原理を用いた投石器を用いて投げたのかのどちらかと思う
接近していた場合は、手で投げる場合もあっただろうがな 使い方によってはボールペンにも殺傷能力があるからなあ・・・ 執権北条氏は偉大だったな
それに比べて皇族や公家はクズばっかだな >>44
竹崎季長は普通に苦戦しているのに
この3人がいなかったら、他の蒙古兵は逃げ腰なのに竹崎季長が何に苦戦しているのか分からないじゃん >>25
当時の鎌倉幕府は三十万の動員力を有していたと言われている
元軍の兵力は十万程度
加えて元軍の強さは軽騎兵のみで編成された部隊の機動性と統一性の高さだ
海を越えての日本への遠征になれば、さすがにそんな戦いも限度がある
それを考えると、日本軍は元軍を充分に撃退出来たのではないかね キングダムなんかより
アンゴルモアの方がだんぜん面白いな スリング式に投げるには4kgは重いなあ
騎馬兵だから馬上で火をつけてポイっとなしか無さそうだが距離が詰められないよな
モンゴル平原でカーチェイスしながらなら地雷みたいに後ろに落とせば良いけどさ メディーバル2トータルウォーってゲームだとロケット花火みたいな武器使ってきたけどそれも史実であるの? フラグメンテーションだっけ
金属の器に火薬をいれて爆発させれば破片が高速で飛び散るし殺傷力はあったんじゃない? 日本の鎧も弓矢を直接通さない仕組みになってたらしい(´・ω・`) >>46
文永の役では暴れまわって元の強さを見せつけたのだろう
早期に撤退したって説が有力だが
弘安の役では、日本軍の強固な守りに海に追いやられ
そこに台風が襲ったって考えられている
そもそも船自体も、高麗で、大慌てで作られたものだしな
充分な強度もなかったのだろう >>25
最近の研究からすると、それはありえないから。
上陸地点付近の御家人の数が少ないから緒戦は日本軍が押されたが、九州各地から軍勢が集結すると
その兵力だけで元軍を押し返し、船に逃げ込ませてる。
台風が襲来したとき、幕府軍の大兵力が山陽道を移動中だったので、日本軍はさらに増強される状況に
あったが元軍には増援など無かった。 カタパルト形式かトリボク形式の投石機で発射すると楽そう。 >>27
朝鮮朱子学のせいで日本史は歪められてるからね
日本人なら日本を守った鎌倉幕府や北条氏を賞賛こそすれ
悪くいうなんてできないはずなのに
ネトウヨこそ朝鮮朱子学の信奉者でほんとは反日なんだよね 調整破片弾頭とかこの頃からあったんだね
この時代のシナは進んでるよな 撤退時に追いかけてくる騎兵の進路に投げて炸裂させる、
馬を驚かせて足止めとかそんな感じの使い方じゃないかなあ
絵巻的にもこれが一番近いと思う >>45
そこを橋頭堡に出来ていれば戦術的にも意味があるけど
それじゃ略奪しただけじゃない? >>61
当時の元軍の弓は、動物の骨や腱と木材などを組み合わせて作られた
合成弓だったと言われている
そのため、小さいながらも威力はあったし
おまけに騎馬民族特有の冷酷さで、毒矢も用いていたからな
かなり苦戦したらしいがね てつはう、てつはう
夢見るアンディさん、おっさんですか?シャアですか?
あはははは、ヘイ! >>54
苦戦したことと、描き足し事は関係無いだろ 着発信管が無いんだし、タイミング良く爆発させられんから、大した脅威じゃなかったろ。 炸薬をテトリル辺りに交換して安倍の口に押し込んで点火したい 日本軍が鹵獲した元軍の鎧や兜がよく残っているよな。 >>58
装甲擲弾兵でも4kgはちょっとねぇ…
ライフルや擲弾筒があるわきゃないし
バリスタかカタパルトかな
射手が鎌倉武士に狙撃されるだろうけど、盾があればなんとか 3mの高さの石築地防塁が20kmに渡って築かれたとか、当時としては大変な
土木作業だったろう。
他の場所に上陸する可能性は、なかったんだろうか?
ここしかないと思わなければ、出来ないだろう? >>45
それで勝利確定なら第二次世界大戦もドイツや日本の圧勝だよw 子供の頃に絵を見た第一印象は日本がモンゴルに対しててつはうを使ったと思っていた。
てつはうをモンゴルが使ったにしては向きがおかしくないか? >>75
殺傷力よりも馬のコントロールを奪うのが目的なんではないだろうか? ヒモをつけて、ハンマー投げみたいに身体をひねって投げたら
4キロだから、今の女子ハンマー投げと同じ重量で
オリンピック選手だと80メートルくらい飛ぶから、
当時は、体力が優れた戦士が投げたら50メートルくらいは飛んだんじゃないかな >>72
二ヵ所カーブしてるとこも、威力アップに貢献してるからね。小型だけど、貫通力も高い。 弘安の役では、台風の災禍から生き残った元軍のうち
旧宋の移民たちは助け。さらに後に帰国も許したが
元人や高麗人は皆殺しにしたと言われている。
旧宋は、元に蹂躙された国として同情があったにしても
同じように蹂躙された高麗の人間は皆殺しにしたのだからな
当時、高麗の王が、元に服属した後、日本への遠征を訴えていたって言うし
船を建造するなどの積極的な協力をしていたそうだから
その情報を日本側も得ていて、高麗人を許さなかったのかも知れないな 大河ドラマだと大男がハンマー投げみたいに遠心力で遠くにブン投げて建物を爆破してたが…… >>74
書き足された兵を除くと逃げてる兵しか居ないぞ。
竹崎季長は騎馬で一方的に敵を蹴散らしてる図だ。 >>25
お前、未だに恐竜がトカゲだと思っている口だろ 鎌倉武者が「やぁやぁ我こそは〜」とか名乗りを上げている隙に20メートル以内に近づいて投げていた >>1
これは俺の中でも長い間の疑問だった
効果は実際の負傷者以上に絶大だったと思うが
投擲手段が分からない
実物も絵もないんだよねー、日本にだけじゃなく
丸太を組んだ投石器で岸に寄せた小舟から発射したと思うんだが 執権北条氏はほんとに立派だったな
それに比べて皇族は傲慢なクズばかりだよ ある意味、今の香港と中国がやり合ってるのを知ってた状況だったのかもしれんな
お前ら、準備しとけ(´・ω・`) >>91
あれ切り取って乗っけてんだよな教科書とかw >>1
太宰府の九州国立博物館に「てつはう」の展示はあるんだが? >>53
政敵を殺しまくってその地位を築いたけどな 砲丸投げじゃなく
ハンマー投げだろう、世界記録は82m越え、重量7kg
火薬は中国で発明されたがモンゴル帝国が様々な形で利用した。
銃はヨーロッパで発明とされてきたがモンゴルが最初。
日本も朝鮮から移入応仁の乱1467年使用された様な
本格的には種子島だな、西洋で工夫された物のまね物。
日本は大陸から離れた孤島だし、戦乱も大陸の様な激しさもなく、
大陸に比べれば平穏だったから、兵器類は常に遅れてる。
秀吉にしても第二次大戦の帝国軍にしても、無謀な戦仕掛けた物だと思う。
井の中の蛙大海を知らず >>55
そもそも銃火器がない時代だから農民に槍さえもたせりゃいくらでも戦えたからな
往来すら不安定な当時の船で大陸から人や馬を運ばなきゃいけないんじゃ勝ち目がない >>72
ところが和弓の方が威力、射程、速射性において勝るんだな、これが 馬が恐怖して逃げたんならそれだけでも十分有効だわなあれ >>78
カタパルトは元はもっていたと思うよ
欧州の記録だが、元軍の装備は、占領地の武器で使えそうなのを片っ端から使っていたそうだ
欧州に攻め込んだ時には、中東の装備まで持っていたとか
そういう、ある意味、柔軟な発想が、これまた騎馬民族らしくあったのだろうな
古代中国でも紀元前から投石器は用いられていたが
その他の国の投石器も鹵獲して用いていたとしても不思議はない >>62
船は粗製乱造でもなく、それなりに強固な構造だったようだけどね
高麗製も南宋製も >>86
八幡愚童記に「蒙古の矢短しといえども・・・」とあるでしょ
射程が短くて貫通力が低いから毒矢を使ってる 向こうは弩じゃね?
弩は矢をつがえるのに時間かかり、連射できない。 当時の技術力じゃ相手側が迎撃の備えしてる上陸戦なんて失敗して当然だからな
個々の強さの話じゃなくて最初から無理な戦いだった >>79
ハドリアンラインとか長城とか、強大な権力があれば作れないことはない しかし、その後火薬を使った武器って、16世紀の種子島の鉄砲伝来
までないからなあ。16世紀は日本が戦国時代だったこともあるが、
伝来してあっと言う間に大量生産して関ヶ原までには、日本が
世界最大の銃保有国になってる。
てつはうは、それに比べるといずれにせよあんま使えそうな物
ではなかったっぽいな。 大鎧着込んだ武士たちには雨霰程の効果しかなかったんかな 木曽馬はがっしりしてて、スタミナがあった。今、絶滅寸前らしいけど(´・ω・`) 当時の鎌倉武士が馬に乗って白兵戦やってたとは考えにくいから
馬をびびらすとかあんま効果ないような
沿岸防衛戦だしな 騎馬民族が渡海して征服ってのは、最初からかなり無理があるよな 爆発するように火薬と毒と一緒に小石や陶片つめてたり
爆発しなくても毒ガス出るように酸と硫黄詰めたり いわゆる原油詰めてたり
当たったり避けたと思っても風下にいたりするとそりゃねえ
その場で死んだ方がどれ程よかったかっていわれるくらいえぐい代物 戦争ばっかしとるんだから
ある程度効果有りじゃないと
わざわざ船に積んでまで持ってこんやろ >>97
司令官クラスは当然、モンゴル人
中国人や朝鮮人だけで戦う訳ない >>121
絵では乗ってたみたいだけどね(´・ω・`) 爆発せずともあんなものが頭上に落ちてきたら頭痛が痛い。 >>113
中国の歩兵なら石弓を使うけど、モンゴルの軽装騎兵ならコンポジットボウだよ >>125
馬のれないチョンが兵隊なんだから地続きだろうが得意の騎馬がとかどうにもならん >>105
那須与一が60m先の標的に当てたように、命中率も高かった
高台から矢の雨を降らすと、元の司令官が負傷し、元は海に退却 殺傷力がなくても音が鳴れば人もお馬さんもビクっとなるし
対応が知れ渡るまでは効果があるだろうよ >>126
指揮官は当然馬乗るけど、主力のほとんどは歩兵ってことでしょ 縄文人から発生した武士とか日本人強すぎだろ
俺たち現代人にもこんな勇敢な血が流れてるのか 何がすごいって
大陸を席巻した元15万が
六波羅本軍が到達する前に海の藻屑
それに引き換え
文禄・慶長の役では
中国四国九州という日本の3割で軍を編成して
肥後半国の小西軍が20日で漢城を落としたこと
まあ朝鮮なんて対馬すら落とせず惨敗する国だけどね
逆に朝鮮が海岸沿いに城壁を張り巡らせて待機してたら
どうなっていたかの歴史は興味がある
すぐに突破されるんだろうな >>1
ねえよ
20年前の中学の授業でも威力はないって教師が言ってたわ
つかこの記事を書いたやつは義務教育うけたのか?
それとも最近の授業じゃ「威力はあった!」って教えてんの? 戦国時代の鉄砲も相手を殺傷するよりも威嚇や脅して士気低下させるのがメインだったそうで。 >>122
当時はマルコ・ポーロが黄金の国ジパングなんて大嘘書いてたから、フビライも腐るほどある金が欲しくて日本に進攻したんだろうな。 >>126
ファンタジー的な宣伝じゃね
時代下って武田の騎馬隊だって戦う時は下馬してたのにこの時代だけ馬に乗って
チャンバラしたとかありえないと思うけど
しかも沿岸防衛戦で馬上から攻撃したら弓矢の良い的 >>79
一応日本海岸も警戒はしていた模様。
それでも博多狙ってきたのは中国人が来たことある場所だったからかと。
あと日本海岸は荒波とリアス式になった地形が多いので大型船の接近が不向きだったんだろ >>110
高麗の船と南宋の船が遺跡で出てけど高麗の
船は竜骨がひん曲がっていてどう考えても
頑丈とは思えなかったけど モンゴル軍なんて昨日のサッカーみたいに侍ジャパンに惨敗したんだろ 馬には効果あっただろな
騒音に慣れてない馬は大きな音にすぐ驚く >>118
驚異ならもっと詳細な記録として
残っているはずだしね 当時は馬から降りて戦ってるぞ?
馬が今みたいな体格立派じゃないから鎧着たまま人が乗ってると馬は疲れてしまう。 絵のはとりあえず名乗ってから本陣もどって戦始まる常識を知らないやつらだったって話だよ
射たれだしたからあわてて救助に行ってるところ あるTV番組で、馬で槍を持って走ると、持ってるだけで刺さるって話だったよ(´・ω・`) >>105
和弓は大きな弓矢を使うので威力は高いけど連射速度と射程が短くなる物だが それほど効果がなかったからモンゴルの本場でも文献に残ってないんじゃないの?
いわゆる黒歴史ってやつ >>139
字も読めねえのか池沼は
>>形状としては、鉄製または陶器製の丸い容器に火薬をつめ、導火線に火をつけて使用したと考えられていた。
>>しかし、中国にも実物がひとつも残っていなかったため、実際に殺傷力があったのか、それとも爆発する音と煙や光で周囲の敵を脅すだけの武器だったのかは長らく謎とされてきた。
>>ところが21世紀になって、長崎県の鷹島海底遺跡から元の軍船が見つかり、「てつはう」の実物が3つ発見された。
>>この「てつはう」は陶器製であり、鉄サビの痕跡もあった。
>>容器の中に鉄片を入れ、爆発する際に鉄片が飛び散るしかけになっていたためと考えられる。
>>もしそうだとすれば、それなりの殺傷力はあったと推測される。 竹崎が自分の手柄を鎌倉に認めてもらうために作った絵巻物だからな
多少は盛ってるだろ >>55
侍以外実働戦闘兵力が居ない時代にそれはない。
というかそんだけの動員兵力抱えてるような御家人いたら反乱企んでる、とみなされてつぶされるがな。 当時の技術力だと、不発しまくったり、空中で爆発したり、自陣で爆発したりしまくってたんだろうな
攻城兵器としては使えたかも知れない
量産するのも難しかっただろうしなぁ >>142
鎌倉武士は弓で戦ったから戦国時代とは
違う 実際に日本を侵略しに来たのは、
モンゴルに降った中国人と朝鮮人なんだが、
そういったことはあまり知られていないような気がする。 >>103
高校生でもその重量で50m超えが普通みたいだし
持ち手になる紐部分を両端から伸ばした形にすれば
括って輪に出来るから運搬も楽そう 日本はなぜこの武器を以降の国内の戦争で用いなかったんだろうか
それは大した威力がなく無用だと判断されたのだろう >>162
九州のやつほとんど集まったからな農民も戦力なのは基本だし まぁよくわからねんね
ミニカタパルト見たいのを持ってきてなげたのかも知れないし
防御線で固定で運用したのかもしれない
でも絵の通りだと飛んでるんだよな >>169
仮に有効な兵器だったとしても火薬を作る技術がない >>6
そもそも竹崎なる御家人が自分の功績を幕府に示すために多分な演出込みの創作モリモリで書かせた絵だから
史実資料としては大分差し引いて考えないといかん >>163
サーベルも振り回さず刀身を保持してるだけで斬れるらしい >>160
構造なんて単純なんだから試せばいい。
個人的には陶器だと脆すぎて起爆の際中の圧力たいしてあがんないからそんなに威力はないと思う。 >>167
モンゴル人もいた
鎌倉幕府の記録に捕虜にした蒙古人は全て斬首、
宋人や高麗人は助命して奴(やっこ、奴隷)にしたとある >>165
弓だけで決まる戦争なんか歴史上1つもないよ
>>166
お稽古と実戦とは違いますよ
平野での機動力戦ならともかく大軍が集約してきて防衛地点が決まってる上陸戦だから
でっかい的が必死に左右に動いてもジェダイの騎士とかじゃないと
さばききれないよ 竹崎さんなんだ。
あんな感じで歴史上の人物になりたいね。 >>180
床下の土とかトイレの土から硝酸カリウムを摂ったんです
ググれば出てくるけど モンゴルとか物凄い平地だから、あの辺だと歩兵は騎兵に嬲り殺される
あらゆる方向から防御壁もなく騎馬部隊が突っ込んで来ただけでなす術なし
距離取られて弓撃たれまくり
敗走したら後ろから追いかけられて狩られる
日本どころか朝鮮半島でもそんな戦術は有効じゃなかったろうな
征服した中国軍が主力だったと思う >>169
明時代までの中国は経済科学軍事とあらゆる面で他を圧倒する最強国家だし、
真似したくても日本には無理だったのでは。
基礎技術とかなさそうだし。 >>117
お、おきりこみ? ( ー`дー´)キリッ >>190
てつはうを使ったのはモンゴル軍だろ
仮に中国で開発されたものをモンゴル軍が接収したとして
その理屈だとモンゴルに侵略されてるのは何なんだよ >>187
実際朝鮮攻めの際にも北部の山岳地帯が突破できず30年ぐらい足止めされてる 地面に転がして使ったんじゃないか?騎馬軍団なら器用によけたりできないし >>190
半分ぐらい北方騎馬民族に征服されてるけどなw >>172
地面に置いて指向性地雷のようにして破裂させているようにも見える >>183
モンゴル帝国やトルコ帝国が何故ヨーロッパを蹂躙できたのか知らんのか
ヒット&アウェイ戦法を武士も使った記述があるだろ これ、日本戦以外では使ってないの?
モンゴル軍って、ヨーロッパでも戦争してポーランドかドイツ辺りまで領土にしたんでしょ? 馬が驚いてこければ十分
脚が傷つけば廃馬になるし、竿立ちになって振り落とされれば乗ってる奴は負傷する >>184
元寇の様子を分かりやすく記録したのが竹崎ただひとりだったからね
英国でも数百年前の官僚が書いた日記が当時を知るうえで
貴重な資料になってたりする
あんたも今の出来事を分かりやすく細かく書いて残してれば
数百年後に「当時を知る上で貴重な資料」とかになって
教科書に載るかもよ >>197
征服されたあとも征服してきた民族を飲み込んでしまうぐらいソフトパワーが強かったわけで ドラクエ5でキングレオの大臣をおびき出すくらいの効果しかないと思ってたが、
ドラクエ3のロマリアへ続く洞窟の封印を解くくらいの威力はあったと… 蒙古襲来絵詞は、攻撃してる3人の兵と騎馬武者姿の竹崎季長だけが輪郭が濃くて、後世に
書き足された形跡がある。どうも書き足されたのはシナで女真族の清朝が成立した頃で、北方
騎馬民族はユーラシアにまたがる帝国を創った、という本がシナで盛んに出版された。日本は
その本を輸入しているから、そんな強力な蒙古を一方的に蹴散らしたのはおかしい、と江戸期
の日本人が考え、攻撃してる3人の蒙古兵と騎馬から血が吹き出してる部分を書き足したと思
われる。これを除くと蒙古兵は逃げてるだけで、竹崎季長は無傷で一方的に敵を蹴散らしている
場面になる。事実は、このオリジナルの蒙古襲来絵詞の通りなんだろう。 鎌倉幕府は徳川幕府の様に権力は絶対的じゃ無かったので、九州の御家人は招集に
非協力的だった。
出陣が自腹だし、何より、自領が留守の間に乗っ取られる。
そこで政権は、所領召し上げ等の脅しをかけ、それが幕府体制の強化にもなったそうな >>208
そんなの発見してないよ
地面から掘り出してただけだから 人馬を轟音と火花で驚かせ怯ませるもんだけど武士も馬もスルー。以後必然でお蔵入り >>200
モンゴルは短弓で一人当たり馬10頭使った長距離機動戦
鎌倉武士は重装長弓騎兵で馬は戦場まで移動のみ >>202 対戦車地雷を持っていたのに、モンゴル機甲師団に
蹂躙されたのは何故だ?とおっしゃってるのかな。 映画の300で魔術師軍団が使ってたやつだろ
当時は普通に効果的だった >>182
そりゃいるだろう。
だがどう考えてもモンゴル人の数はいない。
中心となったのは、中国朝鮮軍でしょ。 >>209
>ドラクエ3のロマリアへ続く洞窟の封印を解くくらいの威力はあったと…
あそこ、まほうのたまじゃなくアバカムで扉を開けたら
そばにいる爺さんの台詞がかわるんだよな >>200
弓騎馬だけで勝ったわけじゃないよ
平野部で弓騎馬を有効に使ったというだけの話
いつの時代も戦争の主役は歩兵
特に上陸戦で騎馬とか何の役にもたたんでしょ
あと鎌倉武士の装備は重すぎてモンゴル弓騎馬のようにはいかない
あれは皮装備だからできること たった一つの会戦で出した死者数では弘安の役の東亜軍が世界最高かね 未知の火薬武器が、心理的含め効果ゼロとは思わないけど、その後の戦闘で発展型が出現してないじゃん。 >>1
吊るす、転がす、埋める、など設置して使うのでは? >>207
権力者の男は皆殺しで女は孕ませてたからね >>1
おそらく、
巨大な投石器は、
分解して船に積んでいたろうな。
つまり、「てつはう」は、上陸後に、組み立てられた投石器によって発射するつもりだったのではないか。
ただ、モンゴル軍がキチンと上陸して橋頭保を確保できなかったということで、
その時点でモンゴル側の勝利の目は無くなったと思われる。
一方、当時の日本の「長弓」は、飛翔兵器としては最強の部類でなかったか。
飛距離が長いし、命中率が高い。
日本の武士は、遠くから蒙古軍の将官を狙い撃ちにしたという。 >>214
そうか
江戸時代かもっと前か遠征中に古いトイレの床の下を掘って集めたという話なら読んだ >>223
たしかアフリカのなんかの合戦が最高らしい10万越えは確実なんだと >>221
アリアハンでそこまでレベル上げかる気合と忍耐力が凄い! >>182 モンゴル人は武装解除で帰還、チョンは海岸で打ち首ぢゃなかったっけ? 大量生産してないだろうし殺傷能力より脅し目的やろね まぁ、後から出てくる鉄砲でさえ雨が降ると使い物にならなかったらしいから、あれなんじゃねぇか(´・ω・`) 鎌倉武士は夜襲したイメージがあるが、夜襲はそんなになかったとか
元は再上陸できず、慣れない船の上にいれば病気にもなるって 後の時代の日本でも、船戦なら炮烙玉みたいの使ってるよなあ
もともとは、船に備え付けの対舟艇用の水軍武器だったんだろか? >>216
竹崎季長がヒット&アゥエイで元軍を蹴散らした
記述が残ってるだろ
理論だけじゃ勝てねえんだよ >>227
そんな風に中国を侵略して我が物にしたはずなのに、
いつの間にかその侵略者たちを中華色に染めてしまうほど、
中国はすごい国だったということだよ。
今じゃ信じられないが。 モンゴルの弓は1mくらいの小さな弓。
小さな矢を使うことで、射程距離を稼ぐ。
効率は良いが、絶対的パワーが足りず、手持ちの盾で防御可能。
日本の弓は2mを越える巨大な弓。
重い矢を使うことで、遠距離でも威力が落ちない。
効率は悪いが、圧倒的パワーで、地面に置くタイプの盾でないと防げない。
モンゴル兵は、楽々と鎧を貫通する日本の弓に、驚愕したそうだ。 明らかに日本側の鎌倉時代の兵士の習慣が問題で
鎌倉時代の兵士は一人一人が名前を名乗って一対一での戦闘習慣があった為
元寇の軍事力の問題ではなく日本側の戦い方に問題があったから日本側が劣勢に
日本人は元々イスラエルやメソポタミアからの中東からのヘブライ人達の弥生人達のアラブの習慣が残ってたわけで
元寇の軍事力とは関係無い >>105
和弓を使っている者としては、
モンゴル製の方が速射に向いてると思うがね
弓ご短くて取り回ししやすい >>6
しかも地元の小学生に指摘されてわかったからな、アカは平気で改竄するからな >>143
最初の元寇ででは馬に乗って名乗ってから戦うという伝統的なやり方だったから
指揮官がぼろ糞にやられて、2回目では問答無用でぶっ殺すことに改めたとか 大体が蒙古軍とか言っても弱兵朝鮮奴隷だろ
関東武士が指揮する九州の防人だぞ最強
負けて涙が台風で飛んで良かったじゃん >>232
モンゴル人指揮官は首実検で
朝鮮兵は皆殺し南宋兵は帰国 >>210
イランの攻城戦のときはシナ人の技術者がカタパルトで投げ込んでる
ただし地上ね 本当に威力があったら太宰府まで占領されてるだろうしな
手榴弾並みの威力あったら中国なら火薬なんていくらでも
調達できるから目と鼻の先でも殺傷能力あるなら
鎌倉武士には対抗できないだろうし
たいした打撃力はないと思うよ これで鎌倉幕府が日本を守ったんだけど、褒賞が少なかったとかで、後々争乱に(´・ω・`) >>206
日蓮が元寇での対馬略奪の様子を記録しているはずなので、
竹崎ただひとりというのは言いすぎじゃないかな。 >>240
楽々はどうかと思うが、
現在も28メートル離れた所から和弓で放った矢は
アルミ製のドア板を打ち抜く威力はある
まあ、矢尻の固さで差が出ると思うが わざわざこのスレを覗きに来る人間には常識だが、
一般人の中には元寇=元が単独で攻めて来たと思ってる人も多い。
朝鮮人の悪行をもっと学校の授業で教えるべきだ。 敵である日本に対して用いたのではなく、突撃しないモンゴルの自軍兵士に後方から投げつけて使ったんじゃないかな。
ソ連とか共産国家だと当たり前に見られた光景だしw >>237
船みたいな狭い範囲に放り込む方式なら当時のショボい手榴弾モドキでも効きそうだね ローマ時代なんぞ船の上にカタパルト積んでたぞ1000年後の連中ができないんかい >>27
神風で勝ったということに
なってしまっているのがいけない
加持祈祷をした社寺は御稜威だなんだと
武家政権による的確な軍事作戦に焦点が当たっていれば
現代でもう少し人気が出るのではと思う >>246 遠的60mぐらいは軽々貫通しますしね。 資料に残ってるのは少数の隊列組んだ鎌倉武士が歩兵で抜刀切り込みして
切り殺しまくってついに全滅したと思ったら生き残りが敵味方の死体の下から
這い出て撤退してたとかあるから
文永の役の基本的なスタンスはこんな感じだったと思われる
弘安の役は壁の後ろから徒歩射手が一斉射撃
馬にのった武士が弓でヒットアンドウェイとか馬が潰れて無理だと思う >>246
まあ、馬上で使いやすいことは間違いない おまいら勘違いしてるが和弓にも、大弓。半弓。短弓が有るの知らないのか?
昔の日本の猟師が大弓で猟をしてたと思ってるのかよ >>253
今ではその説は否定されてる
鎌倉幕府が滅んだのは元寇から約50年で3〜4世代は交代してる
元寇で駆り出されたのは西日本の御家人が主体だが
鎌倉幕府滅亡の時に動いたのは東日本の御家人が主体
今では貨幣経済への移行に耐えられなかったのが原因じゃないかと言われてる >>244
それこそが中国が昔は強かった理由だと思うし、
そのあり方を変えられなかったことが没落の理由でもあると思っている。 >>239
清朝建てた満州人なんて、
満州が清朝300年の間に中国人だらけになって清朝滅んだ時に満州に帰還出来なくなってた
モンゴル人の元朝は100年足らずで滅んだんで、
蒙古が中国人だらけになる前に帰還出来た >>256
朝鮮自体が30年以上も元の侵攻に耐え忍び、
その間に日本も備えることができたということも教えないとね 日教組系の教師達はとにかく日本は全部駄目という論調しか認めない感じだったなぁ。
当時ファミコンウォーズとか大戦略のゲームやってたせいか、学生の時に元寇について
上陸地点から侵攻拠点構築出来ずに船に追い返されてる時点で元側が合戦に負けて
追い返され続けてたんじゃなイカ?って言ったら歴史の教師にめっちゃ怒られて以降
通信簿の歴史の数字が1のままだった。 >>252
いや、爆発力で武士を殺すよりも、
大きな爆発音で日本の騎馬武者の「馬」の方を驚かせて
戦闘不能にする目的だったらしいぞ >>190
元も清も万里の長城の外側から来た。
外国に征服されてたんだよ。
明の初代皇帝は浮浪児。
そのせいか、明の歴代皇帝は横暴なのばかり。 騎兵の一撃離脱がモンゴルの基本なのだから、敵騎兵の大群に追われた時の撤退用じゃないか?
敵の馬が怯めばそれで良いわけで >>154
そうじゃないから恐ろしいんだよ
竹の威力かな
>>183
クラッススはパルティアの軽騎兵に負けてるね
弓騎兵なんて世界中にある兵科だよ
鎌倉武士みたいな重装弓騎兵は珍しいけど 朝鮮人達の元寇時代の対馬の日本人への悪態や現在のベトナム戦争でのベトナム人への悪態は今も昔も変わらない
強い者に巻かれて弱い朝鮮人が強がって弱い敵に悪態の限りを尽くしてるのは昔も今も同じ バトゥの無双っぷりってぶっちゃけモンゴル騎兵だけじゃなく
宋の技術者から吸収したハンドキャノンや大砲のプロトタイプを実戦で用いてたのも大きいんだよな
当時の技術レベルじゃあきらかにオーバーテクノロジー
ちなみにモンゴル軍が使ってたうちの火薬武器に手榴弾っぽい武器も記録されてるからそれじゃね >>246
ただ、短弓は命中率が悪いからな。
矢の発射時に手振れが起きやすい。
短弓の使い方は、良く映画でも見るように、大量の矢を一斉に天空に打ち上げて、それで敵にダメージを与えるってなものだった。 >>270
朝鮮の忠烈王の進言によって日本侵攻が行われたことも含めてね。 鎌倉武士の謎な所は、
馬上から弓を射る場合でも、
巨大な弓を使う所。 >>190
モンゴル帝国(大元ウルス)を「中国」って言っていいのかね?w
まあ確かに中国文明を取り入れはしたが
コーエーがゲーム作ってくれないと、歴史分かんねぇわ(´・ω・`) >>270
アホ
朝鮮人が元の皇帝を何年も繰り返して「日本を武力侵略すべき」って洗脳して、
とうとう朝鮮人を先陣に元の軍団が日本に攻めてきた、
っていう朝鮮人の凶悪犯罪は絶滅に許されない 日本の長弓は下3分の1を持つ構造改革だったので馬上で扱いやすかった。 >>258
対ヒトラー戦でソ連兵のライフルは2人で1丁だってよw >>222
ローマの重装歩兵がオリエントの弓騎兵にフルボッコにされてるっての 殺傷力はあるかも知れないけど学校では威嚇というか馬とか驚かせて撹乱するために使用されたって習った気が >>273
同じことを2回書くが、そんな侵略者たちを飲み込んで中国にしてしまうわけだよ。 >>121
普通に騎馬で戦闘をやってるよ
出来ないと思い込んでる奴がそう主張してるだけで、軍記物を読んでも騎馬戦闘が普通 >>252
太宰府までって歴史家が言うがオチは水城までは海岸線だったと 歩いても行けるやん 博多は埋立地 >>275
和弓は優秀な素材である動物の腱を使う複合弓が作れなかったが故に苦肉の策として大型化したんだぞ
材質的に劣ってるんだから越えられるはずがない ゲリラ戦法の神様楠木正成がもっと早く生まれてきていたらどんな戦いをしてくれただろうか 上陸戦は陣地戦になるだろうから突撃時の手りゅう弾的な使い方だろうけど
実戦でどう使うのかは疑問だよね
馬は多分どっちも移動輸送にはつかったろうけど戦闘では使っていないだろうから
馬をびびらすとかはあんま意味はなかったと思われる >>271
そりゃ小学生がファミコンゲームやって歴史の時間に自分の空想を語ってたら評価1だろww
一歩進んで、夏休みの自由研究で九州や鎌倉の当時の歴史資料や歴史研究家の話をまとめて提出したら、
新聞に掲載されてるよww わざわざ中身用意するのもなんだからって
毒矢に使ったかめを他にもう使い途も無いし捨てるのも困るから
少し毒を残して砂利と混ぜて砕いて廃物利用したんだったけか
毒も遺伝子に異常きたして生き残れて子供つくっても
戦士がこの先うまれないよう奇形ばっかり産まれるヤバイのだったかな あったかないかっていったらあったに決まってるだろアホなのか
実戦でどれくらい役に立ってるかといったらさほどでもないってこと
こんなの至近距離で炸裂したらただじゃ済まないが
扱う側も危険だからな。ほんとアホが書いた記事 >>237
元々は籠城戦において群がる敵兵に向かって城壁の上から投げつけるもの
蒙古兵が持っていたのは火薬入りの筒が付いた矢ではないかとの説あり 音だけじゃなく多少の殺傷能力はあったろ
開発する側だってそりゃあ改良は重ねるだろうし >>295
>和弓は優秀な素材である動物の腱を使う複合弓が作れなかったが故に苦肉の策として大型化したんだぞ
>材質的に劣ってるんだから越えられるはずがない
複合弓をつくろうとすると、小さな弓しか作れないのですよ。
大きな弓を作ろうとすると、木とか竹ぐらいしか、良い材料がない。
イギリスのロングボウも、木で作られている。 世界最大の長弓を馬上で組織的に操る騎馬軍団で、
奥州合戦では合計45万人が戦った。 >>280
ソレは、日本では弓に合うような木は梓とかハゼとかだったが、
余りに湾曲させるとすぐに折れるから、
大弓にして使用中の自己破壊を避けた >>278
ただし長弓と違って連射が出来る
雨あられと射出
騎馬民族の主力武器は当然弓
槍刀が飛び道具を使用した騎馬兵にかなう訳もない
そうしてモンゴルは空前絶後の世界帝国を築き上げた >>260
アイツら「ギリシャ火」とかいうナパーム持ってるチートですから >>13
そや。
信長の大阪本願寺攻めでも、
近づいた毛利の船から
火のついたモノを投げ込まれて、
織田の軍船は炎上してたぞ。
織田軍にも弓はある。でも毛利にだって
弓はあるんだよ。取り囲んで集中射撃して、
そこへ近づいて、投げ込む。常套手段 朝鮮の忠烈王の進言によって日本侵攻とか朝鮮都合の朝鮮人英雄列伝の作り話など誰も信じないが
そもそもシベリア民族エベンキが元寇に取り付いてコウモリしてただけの
みみっちい朝鮮人達
朝鮮人達の元寇時代の対馬の日本人への悪態や現在のベトナム戦争でのベトナム人への悪態は今も昔も変わらない
強い者に巻かれて弱い朝鮮人が強がって弱い敵に悪態の限りを尽くしてるのは昔も今も同じ
地獄の餓鬼の朝鮮人達に未来はない >>293
軍記物はウケ狙いで全般記述が怪しいからなあ
戦国では間違いなく馬は背後取ったら乗り捨てだしな 鎌倉武士は騎馬武者一人に数人の従者つけて
相手が強ければ逃げながらパルテイアンショットで
歩兵を援護して逃げて、こちらが強ければ
突撃してランスチャージしかけて白兵戦しかける
死ぬまで戦うかなり洗練された職業軍人だから
勝つのは無理ゲーだと思う >>22
当時の半島には「カムサ」という言葉はなかったかもなあ…… >>312
>「てつはう」なんて発音するの?
TE
TSU
HA
YU >>307
まあ、それも接近戦だけのこと。
20メートルも離れれば、戦場の短弓はホトンド相手に当たらなかったと言われる。ましてや馬上からではな。 >>280
弓が長いし、弦が鎧兜にひっかかる恐れもあるしで、
しかも馬のてづなから手を離さなくちゃならないから、
相当かなりの練習が必要。那須与一とかは
熟練した武士 >>304
和弓は複数の木材を膠で接着した複合弓だぞ >>312
「てつはう」か「てっばう」か「てっぱう」か「てつほう」か
鎌倉時代の日本だと、「カ行」の他に「クヮ行」とかの発音があったらしいから、分からん
「五十音」じゃない時代 元寇の生き残りが村上水軍になったとか噂あるな(´・ω・`) 攻めてきたのはモンゴル人というよりモンゴル人の手先だった朝鮮人なんだろ。
朝鮮は文字通り万年属国。
朝鮮人は日本に謝罪しろ。 鎌倉武士団はマジでヤバい。ああいうのがいるから
わが薩摩のキ〇集団だろうが抑える事ができた。
日本はいざ戦うとなると相当ヤバいんやで。 >>305
当時の陸奥出羽人口合わせて全部で60万人くらいだぞ
絶対ありえん >>318
モンゴル兵の視力は、恐るべきもので
視力5.0ぐらいもある。夜間にキャッチボールしても平気。
暗くてもボールが見える。
夜襲かけられたら、ひとたまりもないよ。
敵が強ければ、逃げるし・・・。
野生のイノシシみたいなもん。柵や長城つくって防御するのが
精一杯。 いろんな説があるけど、
元寇で略奪されまくった地域を中心に前記倭寇の出身地になっているから、
恨みを買って復讐されてんだろうなと。 >>25
元軍の主力の大半が南宋兵でモンゴルに降伏したばかりゆえに士気も忠誠心も低い
ここで台風が起きなかったら起きなかったで戦争が長期化すれば
内部分裂が勃発して日本に寝返る南宋兵が続出するのは目に見えている
日本も南宋とは昔より交易、交流があったゆえ
元寇終了後の捕虜の処分でもモンゴル兵、朝鮮兵、漢兵は尽く処刑されたが
南宋兵は処刑を免れた >>284
それは30年モンゴルに抵抗してボロボロで降伏した後だしw 勘違いしてる人が多いから言うけど
武士が戦場で多く使ったのは大弓じゃ無く扱いやすい半弓だぞ
おまいら時代劇の見過ぎ 相手が塹壕とか壁に囲まれた場所にいてそこに投げ込むとかならいけそうだが
普通に戦場で使ったら投げた奴も味方も被害出そうなんだよな >>329
北畠の上洛戦では、奥州兵が5000人ぐらい
だったらしいな。 小学校の歴史だったかの教科書には音で相手をびっくりさせるものって書いてあったけどね
やあやあ、我こそはー!なんてくだらんことを言ってる間にこれをぶん投げたんだよね >>318
飽和攻撃って知ってるかい?(笑)
あとモンゴルの弓は短弓と言っても動物の腱を使用してて(当時としては)非常に強靭な弓を放つことができたよ >>271
スターリンや毛沢東が来たら赤旗上げるしか
金将軍でも >>321
そういう勝負じゃなくて屋外拠点や矢盾持っているところなど集団でいるところに投げ込まれたら厄介だけど
日本側もこの爆発物の対策したところがないの見るとたいした損害は出なかったってこと
対策しなかった=手も足もでなかったのではなくたいしたことなかったということ >>339
馬が動転して、制御できんわ。
神経質な動物だからな。 >>334
朝鮮人による進言により、
朝鮮人が中心となって残虐な侵略が行われた事実は変わらない。 日本の長弓は下3分の1を持つ弓だったので、
馬上で扱いやすかった。 >>151
何言ってるだよ
太刀に反りがあるのは馬上片手薙斬りでも使いやすいように改良進化したんだぞ >>6
絵巻のコピー展示してる博物館何か所か見たけど大体見せてるの教科書と同じ場面だけでガッカリする >>337
戦国最強の武田騎馬軍も降りて戦ってたしなw >>328
ミリタリーアニマルのアメリカが「二度と戦いたくない相手」の筆頭だからな >>345
ちがう半弓であってた
ややこしくなって勘違いした 地雷みたいに、仕掛けたところへ日本兵を引きこんで爆発させてたとか?
以前だと、殺傷よりも音でビックリさせることが主目的、みたいに言われてたよね 日本は戦闘民族やで。たち悪い。
叩かれたくないから良い意味でってつけるが。 元寇は高麗がモンゴルをしつこくそそのかして起きたんだろ
連中の特性は昔から同じなんだな >>8
すげー
ここでも起源主張かよ
チョンコの遺伝子すげー
でもチョンコはモンゴルの子孫だから、チョンコの発明でいいよ 元寇って今考えても無謀だったよな。
戦国仕様の甲冑やら馬やら海越えて持ち込むって狂気やろ。 これじゃあまりに楽勝っぽくて軍功の労が伝わらないからと、後から書き足された三人組がすっかりこの構図の定番になってるな 文永の役じゃ矢が尽きて撤退してるわけで
日本側の記録に矢が雨のように降ってきたような記述があるから
モンゴルは大いに撃ったが相手の志気をくじくまでには至らなかったんじゃね 当たらなければどうってことはない
これこそ当たり前 トラガルファーの海戦でもそうだが、
射程が長くて脚が早いっていうのが、
合戦の基本。 日本人が世界でも屈指の戦闘民族であることは、アメリカが戦後の占領政策で
日本人から牙を徹底的に抜いていることからも明らかである。
彼らは日本人を本気で怒らせることの恐ろしさと最も知っているからな。 音と光で馬を驚かせて騎兵の戦力を削ぐものなんじゃないかね
まあ鉄片が入ってるなら殺傷力もあるだろうが
両方の効果狙いだろう あーあと主力部隊じゃなかった説あるな
とりあえず派兵してみようって感じで送ったら大敗したみたいな(´・ω・`) 季節外れの台風と
モンゴル人が乗ってた船がメイドインコリアだったおかげで助かったんだろうな
運が良かったとしか 元寇も実はフビライが仕組んだ粛清策の一環だったかも知れない
勝って日本を制覇出来れば格好の左遷先が確保できて
ボロ負けしても南宋兵を大量に処分できてラッキーと 火炎ビンの威力を考えれば相当な効果はあったはず
燃えやすい油を入れておけば破裂とともに火が飛び散って効果絶大 >>352
日本のサムライは、馬から降りて戦うのが
普通。重武装で重いから、最前線まで
馬に乗って移動するんだよ。
信長も、馬に乗って桶狭間に向かったが、
いざ突撃のときは、馬から降りてヤリで
敵兵を突き刺してる。
あと、本能寺でも弓を使って戦ったが、
長弓だな。 鎌倉時代の日本も火薬使うこと覚えれば良かったのになあ
まあ硝石は、輸入せんといかんが
(便所から採取するやつは、まだ先) >>359
紀元前から馬の輸送やってるぞ
ハンニバルは馬どころか象も船乗っけてアルプス超えてカンナエでローマ軍を包囲殲滅してるしな >>332
多分奥州藤原氏側の動員限界は徒歩の従者階級含めた1万人台が限界と思われる
ちょっと45万の訓練された騎馬武者を1合戦に集めるとか無理よね
荷駄係とかの徒歩勢含めて源氏藤原氏合わせて5万も厳しいと思われる
騎馬武者は両軍合わせて1万もいないはず >>372
船は木で作ってあるから、
最後は火をつけて燃やしてしまうわな まあ、フビライが日本を本気で攻略するなら
文天祥を破ったバヤンを総司令官として派遣するわいな 現代だったらおれら民間人は投石で戦うしかないのか
竹槍は軽犯罪法とかに引っかかりそうだし >>371
1回目は南宋軍関係なしに攻めてきたけどな。 接近戦では当時技術が確立されていた日本刀がキレキレだった。
今でも鎌倉時代の日本刀が最高峰と言われている。 日本に使者送ったらそのたびに首撥ねるんだもん、
元にしたらゆるせねぇってなるよそら。
オレらは頭おかしい戦闘民族の末裔なんやで。 >>372
お前の言うとおり効果絶大なら全ての戦争に勝てたのにそれこそアホ丸出しじゃんモンゴル ( ゚∀゚)
( ∩ミ ほーら、「てつはう」だよ
| ω |
し ⌒J 手榴弾のように投げてた訳じゃないだろ
地面に隠匿して退却時に点火して追撃の足止めとして使用してた可能性もある >>377
太平記のものすごい誇張表現かな。
人数大杉 >>352
本来の意味での竜騎兵だから
別に珍しくもなんともない
ちなみに追撃戦とか必要なら乗ってるからな
>>369
高麗軍が作って乗ってた船は渡海に十分な出来だよ
嵐を避けられた船団は普通に帰還しとるから
とにかく嵐が凄かったって事じゃね >>382
戦国時代の投石は意外とよくある。
宮本武蔵は、石をすねに当てられてしまい、
おぶってもらって退却したという
情けない事態に。実話 >>377
残念、28万vs17万(吾妻鏡)の戦いです。 モンゴル軍いうても半分はモンゴルに顎で使われてた朝鮮人だろ? >>372
油は貴重品で、火炎瓶とか使えなかったんじゃないかな。火矢ぐらいにしとこうみたいな
しらんけど(´・ω・`) 殺傷能力があるか再現してみようよ
中身はオクタニトロキュバンあたりで 鎌倉武士は騎馬武者一気に歩兵数人の
1ユニットで散兵戦術で延々と戦いつずける
職業軍人の集まりだから別に軍団として集まる必要の
ないユニットだからかなり強力だからな
味方が集まるまでは逃げながら戦いつずけられるし
元寇みたいな広大な後背地があるならわざわざあつまって戦う必要ないから
味方の数が集まるまでゲリラ戦しとけばいいから
もともと元軍には勝ち目なし 日本人は昔から巨大な相手と戦う宿命にあったことがわかるよな。
ユーラシア大陸を席捲したモンゴル帝国、ロシア帝国、アメリカ合衆国といずれも巨大な敵。 平安時代頃までの騎馬隊は騎射による戦いが主流
戦国時代と集団戦になるにつれて戦い方も変化していった。
当たり前だよね。有利な戦法で戦うのが普通 >>386
だから日本以外では勝ってただろ
しかし鎌倉武士の日本刀の前には逃げるしかなかったんだよ
弓矢やてつはうなんかで距離があるうちはいいが
接近戦になったときの日本刀のあまりの切れ味に戦慄
たちまち戦意喪失 >>399
甲冑も室町初期までの大鎧から戦国時代はコンパクトな物に変化していったな。 >>350
アホ
外敵が攻めてきたから自衛の戦闘をしただけ >>395
船に引火性の強いものを
投げ込むんだよ。京アニ戦法 今から丁度600年前の1419年フス戦争で
マスケット銃の原型と言える「笛」ピーシュチャラを使って
カソリックの軍勢を打ち破ったチェコの英雄
ヤンジュシカの命日が今日、10月11日なんだよね >>397
集団戦法対一騎打ちと習ったが
むしろナポレオンをこの時代に >>391
石打ち専門部隊すらいたらしい、戦国時代 >>403
大鎧は、やっぱり重過ぎるからな。
とくに足軽にはそんな装備はムリボ。 モンゴルもアメリカも追い払ったベトナム凄すぎだわ
アメリカの場合はアメリカの国内事情が大きいんだろうけど へー鎌倉時代の油販売は特権で守られてたらしい。つまり、元寇で何か知ったんだろうな(´・ω・`) >>412
ふだんおとなしくて温和なのに
いきなり殺人とか強盗だの
豹変する奴がいるからな。ベトナムは。
だからいつまでも関わるのが嫌になってしまう >>351
この前、本物の全体展示を観たよ
アレは巻き絵だね
「自分はこんなに活躍したので、もっと恩賞を下さい」
って絵による事情報告の請願書 使者が恫喝気味だったかは諸説あるらしいで。
なんにしろ、どうであれ首を撥ねる日本。
責めてきたら、やられた振りして夜中敵の
船に乗り込んで首を次々とはねるわが日本軍。
恐ろしい… へー織田信長が出てくるまで、油の特権販売は続いたらしい(´・ω・`) 日本刀も平安時代までの戦は騎乗が多かったので反りが大きい
戦国時代の集団戦で槍のように突く方が有利になって
反りが小さくなっていったんだぞ >>413
漁船には、イワシだのクジラの脂がよくある。 >>417
斉藤道三は若い頃は油売りをやってたらしいな。 >>416
使者の持って来た書面の内容が残っています。
内容は恫喝そのものです。 こけおどしで十分なんだよ
驚天動地で落馬してくれたら最高みたいな
モンゴル軍の誤算は
日本人の馬捌きが巧みすぎて
見込んだの成果が上がらなかったこと
臆病で軟弱ですぐに降伏した朝鮮半島人と
日本人を同一視したのが間違い >>417
菜種油は、高価だぞ。夜にあかりを
つけるのは、出費が多い。ロウソクとか貴重品だし。 昨日のサッカーで思ったけどモンゴル人と日本人て似てないよな >>359
ていうか、「騎馬民族」の海も見たことないモンゴル民族が、
海を越えて日本に攻めて占領する、
って事は気狂い沙汰だよ
日本がロシアに攻め入るよりも無謀だ >>422
朝鮮はモンゴル相手に何十年も戦ってボロボロになりようやく降伏したんだが >>23
集団で密になっている敵に投げつけるなら効果あったけど
鎌倉武士のような騎馬武者とその郎党従者程度の集まりだと
そいつらのそばに投擲するのがムズイから実戦では効果なかっただろw >>421
複数回来たって聞いたが、いずれにしろ恫喝なんかな。
ならオレも見識改めるわ。 >>425
>昨日のサッカーで思ったけどモンゴル人と日本人て似てないよな
ドルゴルスレンみたいなやつかな? フビライ「おまえ次の使者な」
次の使者「えっ、死者!」 >>425
遺伝見ると別だね。
元の支配を受けた地域と、受けなかった地域で、
分かりやすい差が現在も残っている。 >>429
朝鮮は、地形や文明発祥の関係上、
北からには弱く、南からに対しては強圧。 巨大なロケット花火に鏃つけて飛ばしてたのはいつの時代? ナポレオンやヒトラーを撃退した冬将軍も
モンゴルには勝てなかったらしいな >>425
モンゴルもそうだけど中国韓国辺りの顔にもいまいち親近感湧かない
チベットとかブータンとかあのあたりの人はすごく親近感感じる >>389
平家物語によると、源平時代は5万や10万の戦いが普通にあって
太平記によると、20万や30万の戦いが当たり前になる
しかし戦国時代になると数万程度まで下がり、関ケ原は騒がれるほどの人数か?
幕末になると鳥羽伏見の5千vs1万5千が最高、ショボ過ぎ
楠木正成軍と宇都宮軍程度の争いが、天下分け目に落ちぶれる日本の人口
大河ドラマでまた南北朝をやって欲しい、エキストラ数十万使って >>422
蒙古:日本はどんな国か
朝鮮:あれは弟、我々が文明を
といったやり取りが 当時の火薬を使った兵器の情報って、
この絵の他にもあるのかね
音と炸裂したときの衝撃は凄いけど、試作兵器であんまり使い勝手はよくなかったんじゃないかな ハンマー投げだろ
昔の人は馬鹿力だから50メートルは投げただろ >>423
人口200万の小国
中ロに挟まれて全く取るに足らない
800年前で民族的エネルギー使い果たしたんだろう 子供の頃「てつはう」だと弱そうだから
「てつはどう」と、脳内変換してた >>433
あー神風特攻隊の神風はここからだったね(´・ω・`) モンゴルと言えば馬の印象だが、ヨーロッパ戦線では攻城兵器の使い方も巧みだったし、攻城兵器の運搬が出来なかったのはデカいんだろうなあ てつはうの中に陶器の破片が入っていたのが確認できていたはずだから、
殺傷能力はあったのだろう。 >>401
日本刀の性能については確かに元の司令官が特筆してたな 実際はてつはうが飛んでくる前に日本武士の長弓に射殺されていたようだが >>450
つか
当時は必要なら素材を現地調達して作るんだよ
それが出来るような猶予が無かったってだけ
橋頭堡も維持できずに逃げてるわけだから お馬がびっくりひひんひーん!!!! 乗ってる武将が落馬ばばーーん!!!!
落馬で死亡(´・ω・`) >>453
良い意味でその辺に居そうなおっちゃん感すごくあるよね そもそも、
なぜ台風の季節にやってきたのか?
春先に来ればいいのに。 >>442
大坂の陣は徳川方が大坂城を数十万の大軍で重包囲した >>450
攻城兵器も何も主力のモンゴル弓騎兵が武士の弓に手も足も出ずに逃げ帰ったんだが
2度目なんて上陸すらさせてもらえなかったしな 元軍からしたらしゃれにならん戦闘集団を相手にしたって感じだとは思う。
てつはうがどうのとかどうでもよろしいというか… >>433
世界最初の爆弾って言ってるぞ。外人が(´・ω・`) >>447
人口、資源、科学技術のどれか
が無いときついなw >>454
実はのちの明や朝鮮でも特筆されてんだよな
すげえ切れる怖いって あまりにも勝ちすぎて鎌倉は叱責して没収する領地もなければ
満足させられる与える領地もなくて
鎌倉の滅亡招くからなぁ
おまえらが勝ったのは台風のお陰だろ?という無茶苦茶な理屈を採用したのもこのため 近所に元寇防塁跡がある。かなりの距離に石積み積んで馬に乗って戦い日本を守ろうとした当時の日本人達に畏敬の念を抱く。 >>457
源頼朝の死因も落馬だったらしいから、
馬を驚かすのは効果的戦法 >>467
女として好きなんだけど異常者扱いされる >>461
半年で900隻作った高麗船に乗ってきたモンゴル馬とか
まともに走れないだろw Mongol Invasion of Japan (1281)弘安の役
https://youtu.be/1w0DlyP-fgE >>433
日本の海賊対策だと言ってるな
さもありなん ジンギスカンも落馬死因説がある
正しくはよくわからんらしいけど よ〜わからんけど
すぐのちの中華にはロケット槍や
ロケットランチャー的な
矢もあったらしい
材質が木なのと火薬の精度も
怪しいので飛距離と殺傷力は推定レベル
に過ぎないけど
動きまわり鎧武装の対人殺傷力としては
弓や弩や連弩を超えず
中世の鉛弾マスケット銃を
待つ事になる
たぶん、てつはうは脅し混乱目的で
普通の服きながらウケるwww
とか油断してると大怪我するレベル
鎌倉武士は油断しなかったと思われる 一応あったけど、日本ではあまり実用的ではなかったようだ >>466
その暴論に腹立って竹崎季長が作ったのが蒙古襲来絵詞なんだよな >>471
そんな駄馬しかいなかったのか
モンゴル雑魚だなw 記事で自分達で答え書いてるじゃん
近距離での殺傷力はあった
投擲距離は短く弓が主武装の武士団へ効果は薄く内陸部に侵攻できるような要因にはなり得なかった モンゴル帝国、大日本帝国、ベトナムの米軍
チョンが味方につくとなぜか負けるよなw 朝鮮兵がモンゴル部隊を先導して非武装の婦女子を強姦し放題 >>482
味方として便りにならないから、任せた方面から総崩れになるんだ アンゴルモア 元寇合戦記に出てきた
それこそ鉄砲みたいな武器は無かったのかな? 日本側は討ち死にしたら恩賞がでるから
年寄りの当主や家をつげない次男三男が死にに来てるから
だいたい死兵と化してるからかなり強力
死んでもらわないと困るやつらが集まってるから
結果的に北条家は壊滅したけどね 近距離の威嚇用兵器だったんだろう
音で馬を脅かして仕留めるための武器だが、
最低限の殺傷力もあるから単なるブラフでもなく、
敵は警戒せざるを得なくなる その最強の鎌倉を一方的にぼこぼこにした楠木正成が日本史最強ということでいいよな 明は秀吉から朝鮮を守れたんじゃないのか
秀吉が死んだので撤退したという日本側の事情があるんだろうけど >>462
当時の日本の戦闘能力知らんかったんやろな
貿易で多少の交流はあったが、日本と大陸の戦いはしばくら無かった
最初3万で攻めて、すぐ引き下がる
次は当時レコードの人数の海軍で攻めてるので、手ごわいとは思ってただろうが
平家を倒し、朝廷軍を倒し、元軍まで倒した鎌倉武士団
そんな最強軍団も、新たな戦法の楠木軍に敗退
平家滅亡、豊臣滅亡、徳川滅亡、こららは連戦連敗で終わった感があるが
比較すると鎌倉滅亡は、なかなか倒れない巨大感が健在だったように感じる 中国なんて三国志の時代には既に投石機とか使ってるんだから投げる方法なんてそれなりに考えてるだろ >>495
モンゴルをぼっこぼこにしてやった勇姿を見て評価しろや!って絵なので
苦戦してるはずもない >>491
大阪の兵は歴史的に見て弱いイメージが強い
河内源氏って言われても、ほとんど板東兵が主力だし
その中で楠木軍は誇れる戦歴だよな >>401
昼間の戦闘では飛び道具が有利でも
日本刀で夜襲をやられるときついわな
海上に逃げてたのはそれが理由だろう
明治維新のときも列強は武士による夜襲を恐れた >>464
内モンゴル自治区は2625万人とwiki >>449
多分ソレは後付け都市伝説と思われ
カミカゼ言ってるけどシンプウが特攻隊だからね
天皇は勲章を出してるけどどんな気持ちだったんだろう
自殺とカミカゼが結びつくのかね 爆弾三銃士とかあったはずだし 朝鮮人に唆されて日本を襲ったが日本人は朝鮮人のように屈服する民族ではなかった 日本軍は20世紀にこれを使ったからそれなりに威力はあったんだろ ヨーロッパに侵攻した時には鉄炮は使わなかったのか? >>186
白川郷あたりでその方式で作ってたね
戦国時代だけど 弓矢があるのに手榴弾が有効なリーチに入ることなんてあるのか? >>6
拙者が逃げ惑う敵を追いかけてる絵が後世描きたたされ、ボコボコにやられている絵にされたでござる >>240
どうせ矢なんて実際には数十発撃って一発当たるかどうかなんだから、数持てたほうがいいって割り切ったんだろ。
毒塗ってるし。 頭おかしい我が薩〇を従えさせてる時点で、島津含めた
大和の連中は闘争集団なんだよ。
だから戦争はやめましょうってなってる。 教科書だと神風でジ・エンドだが
海で休憩中の船に武士が乗船して
鎧に切れ味いい日本刀で
超接近戦で斬り込んでいくのが
めちゃくちゃ怖かったらしいね
機動戦主体だと
鎧の防御力や剣の切れ味に
工業力振らないから なんかの漫画にあったけど
持て余したモンゴル軍老兵の一斉処分説が好き
最初から勝つつもりは無かったとかなんとか >>442
20万や30万
兵站どうしたのよ
この当時記録残しているのは公家や坊主だけど
伝聞だろw聞いたままに大げさに記録残しただけだろw
軍隊で兵数を水増ししてほこるのは常道w ラグビーWCが台風のおかげで、一次予選1位通過が決定
また日本に神風が吹いた
決勝リーグで日本が負けそうになると、また神風が吹き
相手チームが神風で吹き飛ばされる >>505
マスケット銃装備の戦列歩兵全盛期でも擲弾兵(手榴弾兵)はエリート兵科だったぜ >>488
中華大河ドラマのフビライ・ハンで出てくる
アリクブカとフビライの争いの時にアリクブカが使う
史実かどうかは分からん
ミサイルはインドが最初だったと思う
亀甲船には火薬で矢を飛ばす武器が搭載されていた
上の動画の前半部分 >>512
モンゴルは世界の7割りを手中に納めてる征服具合から
やる気はあったけど
日本海の荒波と日本の山岳地形では全く勝負にならなかっただけやで
上陸しても一日で海に押し返されてる
元々上陸戦というのはめちゃくちゃ大変で一度確保したら全滅覚悟で維持しないといけない >>312
恐らくは、てつほう、あるいはてっぽうと呼ばれていたと推測されてるものの
文字だけでは読み方がこうだと100%断言できないから、みんな仕方なくてつはうとそのまま呼んでいる
こればかりはどれだけ時代か過ぎても変わらない >>459
元寇・文永の役
年月日:1274年11月11日-26日(文永11年10月5日-20日:至元11年10月5日-20日)
元寇・弘安の役
年月日:1281年6月16日-8月29日(弘安4年5月21日-閏7月7日:至元18年5月21日-8月7日)
台風シーズンに来たわけじゃないみたいだし やっぱ台風関係無く日本武士の勝ちですよ 台風来たは言い訳でしょ >>515
>矢は盾で防ぐことが出来る。
モンゴル式の小さな弓なら、手持ちの盾で防ぐことが出来るが、
日本の巨大な弓では、簡単に貫通してしまう。
日本の弓を防ぐ事が出来る盾を作ろうとすると、
重くなってしまうので、地上に置く形式の盾になってしまう。 どのみち大野城の鉄壁の防御網で全滅ですけどね
10万程度じゃ話にならない
100万でも難しいのに >>523
シーズンでもないのに台風に見舞われたから、「神風」なんだよ
台風シーズンだったら、単に地の利を知悉していなかったってだけになる >>450
海を制するのが世界を制する
帝国主義時代の大英帝国なんかそうだしな
まあやつらバイキング(海賊)の末裔だしなw 過去の歴史があるから中国は大国になっても日本を常に警戒している
対して朝鮮はいつの時代も日本を侮る 4kgなら、腹筋の頑丈な奴がスローイン方式で投げたら30mは飛ぶか
でも、殺傷半径10mとした場合危なくてしょうがないな >>500
少なからず、戦争なんだから、戦略上、死んでくれる奴もいないと困るわ(´・ω・`) >>530
元々モンゴルの人口比がえげつねえから頑張ってもモンゴル兵は5%程度と言われてるぞ
あいつらは装備と戦術で圧倒してきた >>465
だってモンゴルやチョンは革の鎧だからなw 昔からカミカゼの嵐が来たからで話を終わられせてたけど
実際は鎌倉武士がゲリラ戦法使ってかなり善戦したらしいな >>525
そうでもないよ。
和弓は上下の長さが違う変則的な弓で、熟練が必要な代わりに距離の使い分けができる。
敵が遠くにいるときは、一斉に斜め上に放ち、敵の頭上から雨のように降らせる。
近づいてきたら直射に切り替えて使う。
長弓の直射はそもそも盾では防げないし、盾は遠距離の矢の雨を回避するのに使う。 >>513
その20万や30万って馬を引く奴とか旗印を持つ者とか一人の武士に付いてる
数人の家来まで含めた数だから戦闘員としての真の兵力はその数分の一。
もちろん兵糧も個々の武士が用意して家来が持つ。
この時代は足軽なんていないから、集団で兵糧を用意してるわけじゃないはず。 >>469
メットもかぶらず頭から落ちれば致命傷になるだろw
馬に乗れない武士は引退するのが筋w >>535
結構な数が疫病で死んでるそうだしなぁ
不潔な船内で何ヵ月も船上で暮らしてたらそりゃあそうなるわと >>1
投石器だろ。
モンゴル軍は野戦でも投石器を多用したからな。
モヒの戦いでも橋の向こう側から投石器を使われてもたもたしているうちにモンゴル軍別動隊に回り込まれたわけだから。 >>529
中国の授業では、日本の町には軍人が闊歩していると教えられるが
観光で日本に来たら、軍人なんて全然見ないと驚いてしまう
過去の元寇から始まり、倭寇や朝鮮出兵さらに近代の中国進出などで
中国では日本脅威論が根強いてるんやろな
満州辺りの民族に何度も侵略され、それで万里の長城を築いたように
東北部民族への脅威論もあっただろうが >>439
でもチベットとモンゴルは元々同じ民族が分かれたんじゃなかったっけ? >>531
ハンマー投げのようにして投げたらもっと飛ぶかな? 我々は世界大戦で負けたから、すぐ降伏したがるけど、負けてない奴って降伏を渋るからね(´・ω・`) >>542
モンゴルの強さはスパルタも真っ青な武力と革新的な装備と
ハンニバルに比類する戦術で
世界史を塗り替えたのが大きいなぁ 敗戦国やから
一騎討ちしようと名乗ったら
集団戦でボコられ
神風のおかげでって
日教組歴史のが
国際的にカド立たない
初戦押されたが対応しきった
はアカンのよ、警戒されちゃう >>11
モンゴル軍は低威力で連射速度重視の短弓がメインだろ。
4kgもある球を遠くまで飛ばせるとは思えないが。 >>537
あれスケイルメイルだし、刃物や鈍器への防御は捨てて、矢への防御へ特化させたシロモノ >>443
なるほどそれでモンゴルが油断してなーんだ朝鮮レベルかー
と勘違いして日本を攻めたら痛い目にあったと
やっぱり朝鮮を味方にしたらいかんな >>7
やっぱりそうか
三人が加筆なら血も加筆のほうが筋が通る >>549
降伏させた他民族の技術を柔軟に取り入れていた様子ですよね。 ドラクエに例えたら小さな島国にスライムやドラキーみたいな雑魚がいると思って攻めたら、ベリアルやアトラスみたいなのがウヨウヨいたようなもんか >>555
統治も現地人任せ、宗教も思想も自由
あがりだけよこせという
わりと良心的な統治だしなぁ
人手がないのもあるけど >>542
その話は根拠が弱い
沈没した元の船が見つかったから「てつはう」の現物を見られたというのに、
その沈没船に投石機が一緒に積載されていない時点で話が少々おかしいからだ。 >>553
勝手な思い込みで納得してないで歴史を調べろ
高麗は30年もの間抵抗しモンゴルも苦戦してた国で最後は南端の島にまで籠城し徹底抗戦だぞ モンゴル帝国の合成弓の射程は500mあったと、動画では言っている
ただ、元寇に使用されたのは高麗や南宋の弓だったと思われる
古代びっくりトップ10 - 古代の殺人兵器 3/4
https://youtu.be/z0otO1HgmVc?t=602 現在、世界で一番威力のある弓はトルコ弓らしいけど。
そのトルコ弓の原型であるモンゴルの弓も飛距離はそれほど短くは無いと思う。
ただ、トルコ弓もモンゴル弓も動物性の膠を使っているからね。
日本の高温多湿な気候でしかも長期間海上にいたとすると、あっというまにバラバラになっていたと思うwwwww >>539
東北から北畠軍が上洛したときは
通過した東海で略奪して草も生えてなかったと
記録があるがその当時の民力で略奪しても20万や30万の兵站を
まかなえるわけないだろw
小田原征伐で秀吉が兵站維持したのは本物だけどよw どのみち春日原の湿地帯に進行して
水城まで進行なんて不可能ですけどね
大野城で壊滅でしょ >>556
15万もいるのに上陸すらさせてもらえず2ヶ月も九州武士の玩具にされてりゃ台風くらいくるw 正假名遣ニ於イテ、濁點半濁點ハ記載セス、ハ行ハ四段活用。
テ在ルカラシテ「鐵砲」ハ「テツハウ」ト假名ヲ振ル。
正假名遣ニ於ケル例外ナライサ知ラス、正假名遣ニ於ケル
原則的假名遣テ在ルニモ拘ラス現教育ニ於イテ取立テテ「鐵砲」ノミ
「テツハウ」ト書キタ事ヲ強調スルノハ如何ナル料簡カ。 >>537
ラメラーアーマーなので、鉄片と革の混合。初期はともかく、この時代だと胴体も小札と呼ばれる鉄片で覆ってるので、防御力は格段に高いよ。 >>532
特攻隊は戦略でも戦術でもない自殺 異論は認めない 知りたければ急降下ポンピング爆撃でググれカス 敵軍や女子どもに対しては残虐だというイメージをほしいままにしていたモンゴル軍も、
味方の兵士については人命を大事にして無理に戦わないという独特の価値観をもって
いたようなので、命を惜しまない鎌倉武士の士気にはカルチャーショックを受けたかもしれない。
ハンガリーのモヒの戦い(1241年)は、ほとんどモンゴル側の完全試合ののようにも見えたが、
そのなかでも、ハンガリー軍の猛反撃に耐えかねてモンゴル軍のバトゥが撤退を考えるなど、
弱気に陥っての逡巡があったらしい。 山ばっかの日本の中でも九州なんか土地も痩せててクソ隘路しか無い
大陸仕込みの騎兵戦術が通じる道理は無い
土地勘も無いのにどこを騎兵で迂回するんですかね >>1
このスレざっと読んだら画像の3人も馬から出てる血も
後から書き足したってマジかよ
日本の武将が呑気に名乗りを上げてる間に
蒙古兵が容赦なく矢を浴びせる図
って習った訳だが
完全に嘘っぱちだったって話? 秦の始皇帝が
兵士に配備したという連弩が最強だと思う
弓矢のマシンガン
あんな武器はモンゴルにも日本にもないよな
中国人のアイディアはすごいわ
投石機も中国人のアイディアだし
火薬も中国人
これだけ古代中国は武器の発明しているのに
なぜかモンゴル人に支配されてしまうという不思議 >>561
冗談だよーそんなにムキにならないでくれよー >>572
単純な戦力の強さより、築城や城攻めが光る珍しいタイプだよね。
ヒト、モノ、カネの流れで勝敗を支配する天才だよ。 >>576
そもそもが竹崎が一番乗りして敵を蹴散らしました!
その勇姿を絵にしたのでこれを見て恩賞下さいっていう絵だから
モンゴルにぼこぼこにされてた様子を絵にするわけがないという >>577
連弩はその・・・・威力が残念でな・・・
連射機構に拘ったせいで、弦の絞りも弱いし
しかも機構が複雑でデリケートだからすぐ壊れるし直せないっていう >>570
お前は剣道やれ。時に死を覚悟してシチューにカツを見出さなければならない(´・ω・`) >>571
ハンガリー軍が緒戦の勝利で宴会を開いて油断したのが敗因だっけ? >>525
木製の盾なら貫通することがあるかもしれんが
いくら日本の長弓といえども、鉄製の盾は貫通できんよ
ボウガンとかクロスボウなら鉄製の鎧も貫通可能だけどね
実際、中世のドイツ(神聖ローマ帝国)では、
フルプレートアーマーを着た領主が、農民兵が放ったボウガンで殺されてるし 鎌倉武士が持つ長巻が脅威だろな
あんなもんまともに喰らったら太刀の比じゃない 胴体両断されるわ >>577
秦代に連弩なんざねぇよ!
後漢に記述があるが、果たして本当かどうか >>587
まあ鉄製の盾なんか存在しないんだがな?
だいたい木製です。重いからな >>573
日本が負けたと言われている文永の役でも、元帥クラスの劉復亨が鎌倉武士の矢で射られて大怪我してるんですよねwww
いかに九州がヤバい地形かってことですよw >>577
鎌倉の源氏は板東で独立を保ったが
群馬人の足利が京に攻め入り、群馬人足利は京都人になった
愛知県民の織田豊臣も、京都人になった
京都は色んな地方の人が攻められたが、それを取り込み同化させたように
漢民族もそんな感じで、攻めて来た民族を同化させたんやろな >>580
軍をぶつけたら勝てませんでしたーっていう徳川家康も
結局下にしてる時点で、秀吉は化け物だと思う。
集団戦闘の逸話が好きなのが多いと思う日本人は。 台風ってことでスレが立っていて
なんか このあと日本人かなり死ぬという予感もするけど
あれだね 自衛隊がすぐ出るように準備とか
官邸に対策室をもう設置するとかしてほしいね。 洋上退避で台風がくりゃ当時の船なんてひとたまりもないが
元は全滅したのか? 博多沿岸でぼこられてるのに
太宰府占領なんて絶対無理
長距離砲台かつ薙刀で重武装した鎌倉武士が数十万後詰でいるのに
突破なんて無理ゲー
そのあとで春日原と大野城突破なんて無理 >>591
上杉謙信が初陣を飾った栃尾城の戦いでは、阿賀北衆が鉄の盾を使って攻め寄せてきたって何かで読んだよ? >>577
モンゴルは金さえ寄越せばあとは好きにしていいよ
逆らえば皆殺しスタイルなので
抵抗するメリットがあまりなかった
平地においては魔王
城攻めは中国を吸収するまではお話にならなかったのにな >>583
ググれカス 特攻とかしないでも敵艦に換装無しで爆弾を長距離で命中させる技術がある 剣道ちゃう
なんで針金で絶対に外れないようにして敵に突っ込むアイデア考えたかそれは死ぬため殺すため生きのこると殺された 剣道違う >>585
それ以前に、王に勝たせたくない貴族だらけだったから最初から勝つのは無理www >>57
「やあやあ我こそはハイネ・ヴェステンフルス専用ブレイズ・ゾディアック・アライアンス・オブ・フリーダム・トリーティ・アーマード・キーパー・オブ・ユニティ・ファントム!」 >>585
モンゴル軍が少ないので油断してしまい、ハンガリー側は戦争の準備ができてなかったみたいね。 昨日のサッカーモンゴル代表を見れば遊牧民が大したことないのがわかる
地続きだと馬の扱いが上手いってだけで。元兵一人に対して2人3人でかかれば船に引き揚げざるを得ない >>603
急降下爆撃じゃ上部構造しか壊せないじゃないか
せいぜい中破だな
軍艦を沈めたきゃ喫水狙わなきゃ駄目だよ
魚雷でそれが出来るのは最精鋭だけだよ
新兵ならそのまんま突っ込ませた方がマシだ どうせ上空飛ばせても敵に撃墜されんだからな 騎馬民族だもの。あれで欧州やアジア征服したが日本では十八番だった馬使えないし戦いようがないw >>610
贈られた鎌倉だろ?
あいつらが金払いたくなかったから
日蓮宗の俺らが呪ったお陰で台風が来て大勝利できたんやでという意見を採用した モンゴル兵は防御の意識がない軽装だな。兜はかぶってるけど。 >>571
>命を惜しまない鎌倉武士の士気
日本では見た事ないような武器で攻撃しても、鎌倉武士団は果敢に攻めていったらしいからな
大陸での他民族との争いでは例が無かったんだろう
日本では同胞同士の戦いで、他民族との戦闘はほとんど経験してこなかった
お互い勝手の違う戦だったんだろう >>603
ミッドウェー海戦から、埋め合わせで特攻させられたんだよ。その辺、分かれよ(´・ω・`) >>55
日本は弱い弱いと教えられてきたがやっぱりここでもウソだったのか? 腐った死体を解体して元の船に投げ込んで戦意を喪失させてたって本当なのかね? >>525>>536>>563
そう言えば和弓とモンゴル弓はどっちが飛んだか?という議論があったなあ
某学研の歴史漫画のページ横の豆知識欄に
「モンゴルの弓矢は200m飛んだ。日本の弓矢は80mしか飛ばなかった」
なんて書いてあったりする
しかし別の説がいくらでもある
三十三間堂で矢を飛ばしていた話とか、那須与一とか、これは特殊だが源為朝とか
また、ヨーロッパでイングランドの長弓が長射程で有名だったように
日本の弓の方が大きかったのだから飛んだに決まっている!
というのだ
そこに究極の解決策を与えるのが膠の話なんだよなあ
日本は長大なしかも合成弓という本来は射程を伸ばしやすい要素を幾つも使いながらも、
ノリとして膠を使えない気候であったため射程をあまり長く得られなかった、という結論だったか
どうなんだろうね? >>618
当時の朝鮮が「チョッパリ弱いからやっつけちゃってくださいよ!」と進言したらしい >>620
揺れる船の上からうってどんだけあたんねんっていうね >>611
マジマヌケの自殺志願者だな 反跳爆撃でググれカス
東郷がテスト(世界初)してたんだぞ真珠湾前だ どれだけの兵士が助かったか >>587
貫通力なら和弓はクロスボウと互角かそれ以上だが。
フライパンの貫通実験とか知らないの? 強い弱いはわからんが、鎌倉武士団は頭おかしい。
いやいい意味でだぜ。
わが薩摩隼人も大概頭おかしいが、それを超えてる。 >>613
最近見た歴史教養番組「新発見によって分かった新たな元寇の実情」
では神風の由来は、そんな理由だったのでは?と語られてたな >>623
助かるどころか実験した機体が自爆してるようだが
それを新兵にやらせて効果があったと思うか? >>620
そのために出来たのが、近づいてくる敵に向かって一斉に斜め上に撃つ、という集団戦術。
斜め上に放物線状に放てば実際の飛距離よりも距離が出るし、
鎧を着こんだ武将の鎧の隙間や、馬には当たるからね。 >>611
>新兵ならそのまんま突っ込ませた方がマシだ どうせ上空飛ばせても敵に撃墜されんだからな
違うよ爆撃してこいだと適当にやってごまかすだろうとか疑ってたんだよ てつはうだって本当に初見だったかわかんねえというね
大半は九州の防人先見部隊
海賊やらなんやらの大陸連中との戦闘をしてきた連中だから 「やあやあ我こそは…」なんてダンカンが叫んでいたら、ヒュ〜ドカーン!で即時してしまう大河ドラマのシーンを思い出すなw 海岸堡を確保した後の、夜間の防衛用だよ。
かなり大きいが防御手りゅう弾だけが存在し、攻撃型手りゅう弾は存在しなかった時代ということになるのだろう。 >>634
それで即死した侍は実際いたかもな
それで逆鱗に触れて猛攻食らって壊滅したのが元軍 >>620
イギリスのテレビ番組で実験をやっていたが、
イギリスの長弓より日本弓の方が高性能だってよ。 意外と日本の馬の方がモンゴルより大きかった可能性がある。
また日本の弓はモンゴルの鎧を貫通したが、モンゴルの弓は日本の鎧を貫通しなかった。
日本の勝因は馬、弓、鎧の物理的な差だと思う。 >>620
日本は弓だけじゃなく使う矢も大きい
これは短距離においてはその重量で破壊力を発揮するけど長く飛ぶと減速が著しいので射程も短くなる てつはう→台風→神風→特攻隊の話は変だろ。技術的には原爆の話になるはず(´・ω・`) 元のやつらはバカだから補給とか全然考えてなかったんだろうな
どうせ補給作戦も現地調達予定して「北条時宗給与」とかバカなこと言っちゃってさw 「やあやあ我こそは…」は平安から鎌倉のスタイルでそ?
当時の戦いは、
軍隊同士が距離を置いて睨みあう
↓
明らかに勢力差があった場合、敗走
↓
同じくらいなら武将が出てきて「やあやあ…」をやる
↓
気が済むまで一騎討を繰り返す
↓
負けた側が逃走 もうこの時代に鉄砲をモンゴル軍も高句麗軍も持ってるからな
日本には鉄器すらない時代で >>111
その本が当時より、かなり後世に書かれたものであてにならない。 >>618
日本は古来より一貫して敵に回すとタチが悪い >>620
別の元寇本だと引き尺が大きい方が遠くまで飛ぶと言うことで和弓に歩があったと書いてたぞ >>645
実際、騎馬でも集団戦闘してたみたいだしね。 >>641
高麗がクソ弱かったから日本もいけんじゃね?と思った >>186
九州の大名は女子供を奴隷として宣教師に売って、明から硝石買い付けてたしな。 >>643
装備の質にかんしては当時世界最先端の中国をそしてヨーロッパまで荒らし回ってる辺り
モンゴルは相当なレベルにあると思うわ
日本だって負けてない部分もあったという話 >>630
バカか?エースパイロットがやるに決まってるだろ
まず最初にベテラン兵が生贄みたいに死んでいって
引っ込みつかないから自殺者選抜したら新兵になっただけだぞアホ
お前が氏ね名誉の為 でも死なないで爆弾命中させる技術がすでにあったの犬かよ アイン・ジャールートの戦い(1260年)では、モンゴルのキト・ブカ将軍率いる遠征軍をマムルーク朝
エジプトが頭脳を使った戦術で撃退してる。
先鋒が敵に突っ込んだのちに計画的に退却し、敵をおびき出して待ち構えている主力で叩きつぶすという
戦術はモンゴル軍の十八番でもあったそうだが、それをうまくやってのけてお株を奪った。 >>649
高麗は地続きだけど日本は海があるっていうのをすっかり忘れているよな
2回も来ちゃってさ
あれ元というよりチョンが大多数だったんじゃね? >>645
鎌倉後期から室町以降の日本のイクサスタイルって、正々堂々とは程遠いからねw
戦国まで来るとガチンコのKOROSHIAIだから
逆に、それが怖いから、負けそうになると一斉に逃げていく よぼよぼの年寄りとか死ににいかされてるんですけどね
そりゃ、勇敢ですよ、死んだら恩賞がでるから
年寄りや次男三男は死ににいかされてるから
死んでくれないと恩賞がでないからね 紐にくくりつけてハンマー投げみたいに使ったんじゃね? なんか最近、ネトウヨ軍オタどもが「鎌倉武士団最強説」を唱えて
いかに日本軍が強かったか、蒙古がヘタレだったかをホルホルと喚いているが
このことからもネトウヨ軍オタの本質がニホンスゴイ連呼の夜郎自大な視野狭窄の
鳥目野郎だということがわかる。
だったらそもそも攻められてんじゃねえよ。壱岐対馬は陥落してんじゃねえかw
それどころか防戦一方で領土が取れず新恩給与の見込みもなく御家人の不満はたまり
北条王朝の、鎌倉時代のオワリのハジマリになってんじゃねえかw 元寇www
あれはね、征服されなかったという点では勝利かも知らんが
王朝滅亡っていう点では間違いなく敗北なんだよwww
それどころか元寇のカミカゼ信仰により600年後のジャップ国をWW2で
ものの見事にホロンぼしてるじゃねえかw どこが勝利なんだよ。元寇のwww まー、チョンは当時から痔痛がひどかったらしいから、
モンゴル軍は戦闘するどころではないだろ。 >>9
スリングな日本語にすると投石紐
スリングショットはいわゆるパチンコ
この2つは名前が似てるだけの全く別物だぞ
あとリが1個多い >>659
Wってハングルではどう読むの?クルクルパ―? >>658
他ではカタパルトだったようだ。日本に来た時は知らんけど。 >>639
それは、嘘
蒙古資料館に元軍の弓矢も残ってるが
大きさも長さも一緒だそうな 鎌倉武士団は最強ってレスしてないで、頭おかしいとは思うが(良い意味で)。
日本はそもそも闘争民族なんだよ。最強というわけではないが荒っぽい。 >>659
チョンの国民病は痔だ。
マンセーとはチョンの痔は慢性という意味だ。
チョンが主体のモンゴル軍が武士に勝てる要素がない。 原爆に比べれば、大した殺傷能力じゃないのは確か(´・ω・`) 坂東武者だろ 後の関東軍 強いけど勝ち逃げかもしれんね
西郷ドンが最強ラストサムライで歴史物語は終わりなんだろう >>46
三万も連れてきてそれはない
欧州征伐だってそんなもんだぞ
たったそれだけのために強行偵察みたいな事をするわけはない 弓にも種類があるし、矢にもいろんな種類が有る
貫通力の良い矢から遠射向きの矢
相手によって最善な組み合わせで戦うのがセオリー >>665
論理的に考えてみろ
和弓はモンゴル弓と比較して極端に大きいんだから小さい矢じゃ番えられないだろ
サイズそのものが違うのに重量が変わらないのはおかしい そいや、火炎瓶を投げる時はアンダースローだと聞いた。
オーバースローだと自分がガソリンかぶっちゃう。 モンゴル軍、西はヨーロッパのポーランドあたりまで攻め込んでいて
てつほうと軽装騎兵でヨーロッパの重装騎兵をボコボコにしたというお話 >>620
和弓は湿気に弱くてせっかくヒゴ(竹の表裏の表面の間に挟み込む梓とかハゼとかの細く長い角材)
を膠で接着したのに剥がれてバラバラになったりするから、
弓を作ってからある程度使いこんで、
発射する矢の軌道に狂いが出ない様に歪みとかを取って矯正が済んだら、
上から漆を塗って藤のツルで巻いて完成品として扱った
ソレが「重藤の弓」
位の高い武士が持っている弓は大抵が弓に間隔を開けてツルを巻いているモノが多い >>659
残念だが壱岐対馬とっただけじゃモンゴルの負けなんで。 >>104
何言ってるんだ
足軽が戦力になるのは鉄砲ができたからだぞ
刀や槍主体なら足軽は使えん 戦闘に参加したかどうかは知らんが
船は朝鮮人に作らせた
そしてその船は沈んだ そんなことより俺のてつはうをみてくれ、こいつをどう思う? >>656
関東で兵を挙げた足利が京に攻め入り、そこで負けて九州へ落ち延び、再び京を制圧
東北の北畠が関東東海を蹴散らし京に進出
戦国時代で例えるなら
江戸の徳川家康が、京の豊臣へ攻め込むも負け、九州へ落ち延び再び京を攻める
伊達政宗が関東東海を蹴散らし京の豊臣に攻め入る
こんなの考えられないぐらい、室町と初めと終わりでは戦闘スタイル変わったんだろうなって思う オリンピックのハンマー投げみたいにグルグル回転
でないと、威力を出し過ぎると加害範囲が投擲可能な20mを上回ったら
自分にも当たってしまう >>673
矢の大きさは実際に変わらないのだからしょうがない >>680
当時の中国を飲み込んでる時点で
造船技術は世界最高峰だぞ 時限爆弾みたいに投げてから爆発するまでタイムラグがあるんじゃないの 何も知らないモンゴル様を唆したチョンコが戦犯。元宗主国中国なら日本侵略のリスクを理解していたはず。 >>681
1231年から1259年に掛けて6度もの侵攻を受け半島本土が制圧され
1273年にゲリラ的に反抗を続けてた三別抄の乱が集結しようやく高麗全土を併合だが いろいろあるが、こんな騒ぎ
当時のミカドが、鎌倉幕府を倒すために、意図的にモンゴルと密通してた
と考えるのは考えすぎだろうか
鎌倉武士も薩摩もない、それ以上の実際気狂いが天皇陛下と公家の周辺よ >>675
動きが悪い重装備の兵には有効だったのかもね(´・ω・`) 実戦の重い矢の射程と、三十三間堂の軽い矢で有効射程の比較になるわけないじゃん… モンゴル兵の親玉の祖父がチンギスハン
朝青龍が何と言おうと日本人としてこんなクズ敬わなければいけない理由はないよな >>662
大楠公父子はいいね
悪党上がりのゲリラマスターにして陪臣にして国政を壟断する
北条一味を追討し、にもかかわらず政治に敗れ戦闘にも敗れ
最後は忠君愛国に殉じ、それにして「七生報國」とのたまったとか
ちょっと出木杉君だろwww まさに本朝日本のゲバラだねwww
ウリは親韓左派の両班なのであんまり軍国日本が称揚した大楠公をageてはいかんのだが
これはまあ注目に値する人士ではあるよな。
あ、ところで大楠公は前述の通り「七生報國」だが
お猫さまは英諺に曰く"A Cat has nine lives"だから
お猫さまの方が2回分執念深いんだねwww >>613
政治的動きというのは昔からあったんだなw >>682
チェリーボーイ、
その股間のシワだらけの萎んだ小さなチェリーをしまいな >>678
足軽を戦力化したのは大田道灌で、武器は槍だよ。
デマを流すのはやめような。 >>687
言われてみれば造船技術は凄いんだな
日本は信長まで技術発展なしか
何万人も運ぶ為の大型船はやっぱり凄いな 弱いけど >>312
古文の授業で習った読みだと「てつほー」になる
tethuhauの様にaとuが連続すると[au」ではなく「おー」とよむからね >>649
高麗は弱くないぞ
最終的には元に負けたが、かなり踏ん張った >>687
「ちゃんと造れば」な
モンゴルの奴隷になった中国人(明)か素直にモンゴル民族の言うことを聞いたとも思えんが
適当に手抜きするだろ、中国人の気質からして >>678
鉄砲をまともに大量運用できたのは名古屋持ってたブルジョワ織田家ぐらいだよw
島津家なんか戦争だけしてれば良い専業武士なんて3000程度しか動員できないが
(農繁期や関ヶ原や朝鮮などへの長距離の遠征)
農閑期限定の足軽なら万単位で動員 >>401
インドネシアやベトナムも撃退してるけどな 九州男児はバカだが荒っぽくて腕っぷしが強いからな
あんな集団に喧嘩売ったモンゴルさん御愁傷様w >>703
楠木正成のせいで、日本陸軍は玉砕を繰り返したんだよ。 >>708
現代で言う一般的なゴムは南米原産だから
まだコロンブスが到達してないこの時代じゃゴム自体が無い モンゴルの弓はコンパクトな割に動物の素材で強靭に出来てたので引き尺は和弓と同じくらい取れたんだろ
つまり和と蒙の弓に極端な性能差は無かったと思うね >>691
二回も台風にやられて
もう日本の武力侵略に意欲が落ちたところで、
モンゴル皇帝が死んで、
そのあとの日本侵略は沙汰止みになった >>663
Wはなんてよむかって?
クルクルパーとは読まないなあw それはチミのアナルだろwww
Wはねえ、ワラって読むんだよ(藁
藁藁藁
>>668
>チョンの国民病は痔だ。
まあたアナルに異様な偏愛を示すネトウヨくんが現れたね。
ただまあ前近代の奴隷市場で奴隷を買うときはアナルをガン見してw
痔疾があるかチェックしたっていうからなあwww
あの、マジレスだけど痔があると力が出ないからなあ、商品価値は下がるのよ。
あとは歯だね。歯がボロボロでも力は出ない。
チミらは大丈夫かね? ネトウヨくん。 平和というものはパワーバランスによってのみ保たれる。 天気の差だろ
六月に進行って梅雨の時期じゃん
船が腐るってのは尋常じゃないぞ モンゴル軍といえばコンポジットボウだろてつはうなんてサブでしかない >>709 モンゴル人に発音を習うしかないやん 古文と違う気がする 台風で沈んだのは船のみ。
13万の兵は切って切って切りまくった。 >>718
じゃあ何故鎌倉武士にボッコボコにされたの? >>661
いつ暴発するか分からないからスリリングでいいんじゃないのか?
…となんとなく思った(笑) >>695
天皇は権力は持たぬが、権威を維持し
その時の権力者に官位を与え、現在まで権威を維持してきた
(白河や後醍醐のような権力も持とうとした天皇もいたが)
もしも朝廷がそんな事して、日本が元に占領されたら
朝廷はその時に滅んでたかもしれんな
元が支配した地域では、住民は自由度高い緩い占領政策だったらしいが
その地域の王制度は廃止になったと思うし >>725
モンゴル人もそれこそ判らない説w
遊牧民だし中国や日本より残ってる資料少なそう
タルタルステーキも食わなくなったし
大帝国作って香辛料ゲットで美味しいタルタルステーキが作れるようになる
大帝国崩壊で香辛料が無くなってタルタルステーキがマズくなる(昔に戻る)
馬乳酒の作り方が広まってタルタルステーキ食わなくてもビタミン取れるようになる
ステーキ要らなくね?
的な流れでw >>400
これ日本側から飛んでるように見えたけど
逆で日本側に破裂破片が飛び出してる絵なんだな
しかし学者馬鹿やなあ、これボーリングみたいに転がす武器やんか >>719
その日本侵略をモンゴル皇帝に代わってやろうとしてほぼ成功したやつがいる
白鵬だw
あいつは自分の行動を心の中ではそれに擬しているはず
まあ自分を鼓舞するためにだろうがな
相撲協会の理事長になったらそれが完結だな 意想外にレスが付くなア
ウリの今週月曜の傑作カキコにもこんぐらいレスが付けば結構なんだが
どういうわけか内心会心の名カキコ群の日はまったくギャラリーは等閑視だ。
>>677
択捉、国後、色丹、歯舞をとっただけだから先の大戦はロシアの勝ちじゃないといえるかね?
ほおら、ネトウヨくんが領土というものを大して重視してないって自白をもらっちゃったwww
壱岐対馬をとられて在地住民がひでえ目にあわされた時点で敗北なんだよ
なんでも「むくりこくり」とかいって在地じゃ今なお畏怖恐怖の対象だそうじゃないか。
それはおうだよな。「こくり」こと高句麗、
即ち偉大なる大韓、東路軍の主力部隊は地上最強の戦闘民族だからねwww >>727
九州の御家人は馬を活用出来たのは大きいやろね
重装騎兵が敵中真っ只中に殴り込んで引っ掻き回したと絵詞にも書いてある 運悪く台風でやられた事にして
次の援軍も殲滅する手筈だった >>729
どうせ酒に女にあてがってなんとかしたんじゃね
いまのアメリカ政府にも同じことしてんだろ
外務省なんかお菊人形みたいな売り女しかいねえんじゃ >>727
モンゴルの兵卒が痔持ちのチョンだったからだよ。
チョンが弓を引くと、肛門から出血して、戦闘どころではない。 >>717
足軽の長槍部隊を有効に組織したのは秀吉が最初だろ?
集団戦法の日本でのハシリだよ 投石紐や縄つけてハンマー投げみたいにして投げたんじゃね
狭いし平たい平原もそんな無い日本で大掛かりな投石機とか使えんだろ >>733
それだったら朝鮮出兵で20万ほど島津に殺された民と朝鮮は敗北だなw
独ソ戦は総人口の15%近くを死なせてしまったソ連の敗北かw
(ドイツよりずっと人的損害が大きい) 歩き方が違ったから勝ったんだろ
北海道和種馬「ドサンコ」 側対歩の美しさを競う (2014/11/09)北海道新聞 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6xBfI1hPPK8
それに去勢無しだ
こりゃ勝ちますわな >>739
大掛かりな装置とかあれば絵に記録してそうだけど何故かないね
まぁどう言う運用法だったのかよく分からない 多分てつはうの実物は簡単な柄が付いてると思う
ドイツの手榴弾と同じで飛距離が安定する あんなのビビらすためだけのもんだろ。
破片が当たる確立なんて知れてるわ。 >>739
マジに考えて、調理器具の「サラダすくい」の様な
大型のサジの様なモノに載せて
「てつはう」を投擲したんだろうと モンゴル軍は海戦に疎い
たしか、ジャワ島に遠征したのも失敗したはず >>706
そんな意味での足軽なら中世からあったんだよ
戦力として使えたのは鉄砲ができたから 光栄 蒼き狼と白き女鹿では北条時宗軍武士のパラメータ強く設定されてたなw
遠隔攻撃はモンゴルが強かったんじゃないの、だからこそ中国やアラブ、西ヨーロッパまで落とせた 織豊時代の唐入りだとちゃんと行って帰ってができた。
帰り際に約束を破られ奇襲されたけど
朝鮮人の歴代最高英雄をちょちょいとぶっ殺して
悠々自適に撤退
中国の造船技術ってあんま大したことないんじゃないの? 大河でダンカンが頭に直撃食らってワロタ
笑えるシーンじゃないんだけど 中国は明王朝の時にデカい船を作ってアフリカまで到達したらしいな >>750
鉄砲って高級品だから大量運用できるのなんてブルジョワだけだよ
>>751
足を止めての打ち合いなら他の国に負けそう
機動力で無駄な移動時間を減らして戦力を集中運用したんだろう
2万VS5万でも
2万VS5000を10回やれば4倍による圧倒的な磨り潰しの繰り返しで2万側が勝つ >>752
明朝初期の鄭和の大遠征は東アフリカにまで到達して、
キリンを北京にまで連れてきた 対騎兵武器だろ?
馬を驚かせる(運が良ければ馬を傷つける)ための 同じ国の存亡をかけた戦いでも太平洋戦争の神風は悲壮感があるが、こっちの神風は傭兵が金を稼ぎに来たみたいに悲壮感がないな モンゴルでは、アメリカがベトナム戦争で負けたぐらいの認識なんじゃないか?知らんけど(´・ω・`) モンゴル軍なのに馬乗ってないのな
馬上から弓を射る特殊能力がチンギスハーン時代の強さだったろうに
ヨーロッパの重騎士とどう戦ったのか
イギリスは長弓でフランスを倒すんだよな、鎧も貫く遠隔攻撃 鎌倉武士が化け物じみた豪傑揃いだった、みたいなネットの誰かが作ったコピペは真に受けるくせに、じゃあモンゴル人にも室伏を超強くしたみたいな奴がいたんじゃね?という発想に至らないあたりがお前らの限界 >>385 >>416
日本が使者の首はねたのは文永の役の後の2回だけで(7回目と8回目の使者)
元寇が起きるまでは日本が使者の首刎ねたことなんかないよ
それをいうなら文永の役の後の日本は侵略&対馬壱岐虐殺許せねぇってなったんじゃ?
(元寇前の使節が日本偵察してたから情報漏れを防ぐためや徹底抗戦で国内をまとめるためなど諸説あるが)
何故か戦争にもなってないのにいきなり使者切ってたとか
それが元を怒らせて元寇の原因になったみたいな話をネット上で散見されるけど、
元の史書の記録にも元寇の前に使者が切られたなんて書いてないんだからデマだよ >>751
宮脇淳子が蒼き狼は誤訳だったのでは?と語ってる
蒼き狼はアオくない!世界史のなかの蒙古襲来 宮脇淳子 倉山満【チャンネルくらら】
https://youtu.be/9v8YBpfsSHg >>756
まあ、種子島に鉄砲が伝来して、
30年後くらいには世界最大の銃保有国に日本はなってしまってたし 攻めてきたモンゴル軍人にも超人みたいな人がいたかもね、って
言われたら思うで。あと鎌倉武士団は化け物じみた豪傑揃いって
認識はないよ。頭おかしい連中が多かったとは思うが。 >>764
昔は「白い動物」を「あおい動物」と表現していたんだよ
「白系の馬」は「青馬」っていうふうに >>763
それは申し訳ないが、なんで元の使者が来たら=首を撥ねるって
話がオレの目に入ったんだろうか。
あと、べつだんだからその当時の日本の対応が間違ってるって
認識は無いけど。来たら撥ねよでなんで悪いかて認識。 カタパルトも当然持ち込んだだろうが
行軍中の野戦で組み立てる状況にあったかどうか疑問 >>739
攻城兵器みたいな大型のやつばかりじゃないからね
工業高校の生徒が実験でカタパルトの想定サイズの2/3サイズで作ってみたところ、
こんな小さく軽量の投石器でも20cmの石弾を44m飛ばしたとのこと
実物大の大きなカタパルトで、14cm程度の陶器製てつはうならもっと遠くに飛ばせるだろう
県立長崎工業高校の学生さんたちが復元した投石器なんです。
今から約700年前の鎌倉時代に、日本に攻め入った元(モンゴル帝国)軍が石弾やてつはうを飛ばすために使用した武器を復元したものです。
先日石弾を飛ばす実験が行われ、直径20cmもの石弾をおよそ40m飛ばすことができたそうです。
http://rekibun.blogspot.com/2012/11/blog-post.html >>762
単純に説明すれば、
日本のサムライが重装弓騎兵だったからだよ。
モンゴル兵は軽装弓騎兵で、防御に弱い。
あと、日本刀が大陸の刀に負けるわけがない。
日本軍の武装が圧倒的だったということ。 つーか元寇の頃の武士は財布がカツカツ
久々の戦で武功立てないとお先真っ暗
方や蒙古の方は島国ごときがとハナから舐めプ
士気の差は当然あったんだろうな 日本のウンコ爆弾の方が威力あったと知ったときの衝撃ときたら 何で、てつはうは竹崎季長が攻めている方向に飛んでるの?
蒙古が使ってたなら、飛来する方向が逆じゃね? 単に馬や人を驚かすことしかできなかった。
花火より弱いものだ 太刀が一番切れた時代
鎌倉武士は革服のモンゴル兵(高麗兵)を叩ききった 蒙古襲来絵詞とか見れば、武士が馬に乗って戦ってるのが普通にわかる >>752
永楽帝の後継者だった洪熙帝と宣徳帝の時代に故意に造船技術は低下させられた
「大型船が建造できたから、鄭和艦隊のような究極の無駄遣いが起きた」という理由で大型船建造は禁止され
海外貿易も厳しく制限されたから、中国の船の多くは沿岸専用の船になってしまった
だから朝鮮征伐の頃の万暦帝時代の明軍の軍船は大したものじゃない >>768
単にネット上ではよく見かけるからじゃないかな
あくまでもネット上では、でちゃんとした元寇関連の本で見たことないけどね
当時の北条氏の外交には批判的な傾向の本ですらそんなこと書いてないのに、
なんでそんな話が広がったのかわからないけど 超 音がして相当うるさくて馬がびっくりしたと思う
馬が混乱しまくったらヤバいから効果はあったろ
犬も花火にすげーびびるのがいるし モンゴル軍は総員を兵力で記録してるけど日本は職業軍人の御家人以外は下郎で兵力や損害から除外されてるんだよな
動員数で見ると意外と兵力は拮抗してたんだと思うわ 地震国だったから、大きい音とかには慣れてたのかもね。物が割れたりする音に(´・ω・`) 馬がびっりこいてヒヒーーンと立ち上がり、
それで落ちた兵隊を、集団でなぶり殺したのだ 2キロくらいじゃねーの?2キロって結構重いぞ?
デカいペットボトルの水満タンだからな >>770
確かにこんくらいなら運べそう
>今から約700年前の鎌倉時代に、日本に攻め入った元(モンゴル帝国)軍が石弾やてつはうを飛ばすために使用した武器を復元したものです。
ていうかこれ断定してんじゃねえかw
このサイトで出典出すべきw 馬は繊細な生き物だから、慣れてないと
火縄銃の音とかでもパニックになるらしいね。
長篠の戦いもその辺の混乱もあるんじゃないかって説も
あるそうな。あと伊達の騎馬鉄砲隊もそう簡単にやれないとか >>782
そこらへんが不思議だわな。元の使者が来たら有無を言わさず
首を撥ねたって情報がネット上にあって、アホなオレは信じてたわ。
それが嘘だとして、なんでそういう情報を拡散してるのか。 >>779
ちゃんと人はすでにその頃から文化を壊す習慣みたいなのがあったんだね 文永の役:朝鮮にそそのかされて仕方なく出征したため兵力は4万にも満たず。しかも主力が朝鮮兵というお粗末さ
弘安の役:約15万の兵力のうち10万が南宋兵という構成。ただ南宋兵はモンゴルより海戦が得意でも
モンゴルに降伏したばかりで士気も忠誠心も低い 江戸に攻め込めないように帆を一つだけとか制限して
造船の発達がいまいちになったり、難破とか相次いだのに似てるな。 これずーっと疑問だったな
あの絵を見てもまるで、てつはうが機動戦士ガンダムの08MS小隊に出て来た対人兵器ばりに馬や兵を殺傷してるかの如く描かれてるが
あんな超兵器持ってたら日本兵全員死んでるだろと、今頃、日本人全員エラ張りチョン顔だわ 日本は済州島まで逃げて元と戦ってた三別抄の情報があったから、
元軍が攻撃的な組織であることを予め知ってた >>762
そりゃいただろ
けど志賀島で海に追い落とされたのが史実なんでな
せっかくの橋頭堡を奪われまいと元軍は弩まで持ち込んで奮戦したらしいが駄目だった 元の使者として派遣された僧侶の一山一寧は高僧として遇されて、
日本に寺まで開山した 詳しい人が多いスレで面白いな。反省する事が多いわ。 >>770
そう言う目玉があれば必ず絵に残ってると思うんだけど
結構詳細に記録している >>400
良く見るとモンゴル兵も結構やられてるな >>370
世界中どこでも遠隔で人をぶっ殺せる超未来兵器だよ >>800
南宋が滅ぼされたのは文永の役の後
けどそれ以前から長く戦争してるし、南宋人とは日宋交易もあるし
文永の役の前から既に情報は入ってただろうね >>792
大陸は征服してほかの民族の王朝潰すのが普通だったからねえ 蒙古襲来絵詞は後世にいろいろ書き加えてあるので
てつはうの炸裂シーンも、後世の書き加えという説がある この時代の鍛造技術でつくられた日本刀はロストテクノロジーなんだよな >>741
ハハハハハ、偉大なる大韓が敗北? 面白いことを言うねチミはwww
半万年前に建国以来、地上最強の戦闘民族である偉大なる大韓が
ただの一度も敗北したことがあるのかねwww
壬申丁酉倭乱は偉大なる大韓の完全勝利に決まってるだろwww
徳川幕府が鎖国政策の例外として偉大なる大韓とは国交を結び
朝鮮通信使から将軍宣下の勅令を受けたのは偶然ではないwww
あと独ソ戦? プラd曰く「死者だけが戦争のおわりを見た」のであれば
その膨大な死者にとって大祖国戦争こと独ソ戦はあくまでソ連の敗北なんだよwww 分析めんどくさいから台風にしとけみたいな(´・ω・`) 南宋から亡命してきた禅僧が鎌倉幕府の外交顧問的立場に収まっていた
当然ながら対モンゴル外交ではガチガチの最強硬派 >>802
普通にこう言うのも有るよ
あの教科書で切り出してるシーンが有名なだけで
>>750
そんなー
信長の3間ヤリとか有ったじゃございませんか
とw >>791
日本人は昔から残虐だったから第二次世界大戦でもそうだろうと洗脳してんだよ
全ては謝罪と賠償につながるテント戦とのミステリー 考えてみると元軍は兵站どうするつもり
だったんだろ
現地調達なら日本側に水際防御された時点で
詰んでるね
元軍は敵がいない地点に上陸出来ない限り
勝ち目が薄い 元寇の前の戦って霜月騒動だっけ?
日本側もそこまで戦経験があるワケじゃなかったんだよね
少弐さんはよくまとめれたな >>247
改竄はアカじゃなくてアベw
わざと間違えたの? >>819
台から風のような攻撃だったかもしれんし、文献読めないだけで(´・ω・`) >>816
残虐とは思わん、戦う時に徹底的に潰すのは当然だと思う、が、今はそういう時代なんかな。 バイオのデコイボトルみたいなもんだよ。あれ?ナニこれ?って近づいたらドーン。 >>817
だから文永はさっさと逃げ帰ったんだろ
上陸できたのに弓の応酬で競り負けて現地調達どころじゃなくなったと
弘安は上陸させてもらえなくても長期間海上を漂ってたから長期戦に備えてたんじゃね? 「てつはう」って旧仮名で
発音はてっぽうじゃないのか 絵巻加筆ってカキコが散見されるけど
いつの時代に誰がどのような意図で加筆したんやろな >>761
ヨーロッパではモンゴル軍も馬だよ。
士官連中は、日本と同様にラメラーアーマー着けてた。
個人戦闘主義のドイツ騎士団では、武装や戦法共にまるで歯が立たない。 >>809
半島の最大の戦果は隋の撃退かなと個人的には思ってるよ 元軍を撃退したのは、
日本の北条時宗、ベトナムの陳興道、マジャパヒト王国のラデンウィジャヤだけか
ビルマのパガン朝も占領されちゃってるし これ、忍者の撒き菱みたいに、逃げる時に地面に置き去りにする兵器じゃないのか? 社会への不満から小学校を襲おうとする人は警官を標的にしましょう !
警官は あらゆる事態に対処できるよう税金を貰って訓練しています
狙うなら警官です 絶対に子供を狙ってはいけません!警官を襲いましょう。 >>817
旧南宋水軍の兵士は日本を征服したらそのまま入植することになっていたが
別に全滅してもいいので、補給体制なんかどうでもよかったらしい
「神風」の後、生き残って捕虜になった南宋人たちは命は助けられたが
奴婢に落とされ恩賞として分配されて結局日本で生活することになった
ちなみにモンゴル人、漢人、高麗人の捕虜は全員斬首、至極当然な処置だわな >>761
モンゴル軍といっても実態は朝鮮軍だぞ
韓国人だから糞弱い
二度目は中国人も多かったけど合流が遅れた >>827
こんな絵じゃ、客来ねぇよ。もっと迫力がないと。とか(´・ω・`) >>836
勝ってるときは勢いに乗って虐殺・略奪の限りを尽くすけど、
形勢が悪くなると「アイゴー」と叫んで武器を捨てて逃げだすので
数ほどの戦力に計算できないんだよね 秀吉の目標は中国なのか?
朝鮮にも負けてるからのに
補給経路が伸び過ぎた >>813
そりゃ河野氏の奇襲の図だ。
船1隻で悠々とモンゴル軍の船団の中に入っていくもんだから、モンゴル軍が「何かの使者か?」と勘違いして攻撃しなかったんだよ。
で、突然、モンゴル軍の大船に帆柱を倒してそこから登っていって暴れまわった時の図だwww
鎌倉時代の武士はクレイジー過ぎるだろ? >>817
数万の大軍を見ただけで島国部族は降伏するはず
もし抵抗してきても容易に勝利してそのまま入植する算段だったのでは あんまり史実としては紹介されないけど
弘安の役で最終的に嵐で船がやられた元軍が立て籠もった(というか逃げこんだ)鷹島で、
十数万人ほぼ皆殺しという壮絶な掃蕩戦やってるんだよな
川が血で染まったとか、首で山が出来たとか壮絶な言い伝えがある
で、それを知って興味を持って鷹島にドライブ旅行に行ったら
「楽しいモンゴル村」みたいなテーマパークが有った
なんか違う… 秀吉は台湾を拠点にして東南アジア
に進出してれはよかったのに
朝鮮攻めは無謀な戦だった >>840
そりゃモンゴル人に無理やり連れてて来られて殺し合いさせられるんだもの
日本に、モンゴル人は指揮官しか来てない
実態は1回目は朝鮮軍、2回目は朝鮮と中国の連合軍
モンゴル人は指揮官としてふんぞり返っているだけつーね 軍の運用は現実だとめちゃくちゃ難しいって話だからなぁ。
例えば我が薩摩必殺の釣り野伏は「理論上は非常に効率が良い」
が、実際運用するとなると引く正面軍は初め相当被害が出るので
そうすると「オマエラ結構死ぬ部隊だから」ってのを当然と
覚悟させなければならない。そんなことは普通出来ないわけだな。 >>845
現地の風土病がひどくて面じゃなくて、点でしか占領できないけどね 教科書でさらっと触れられる程度なのに
今日まで「てつはう」って忘れられないぐらいの
謎のインパクトがあるよな >>27
「防御側有利の法則」で日本側が圧倒的有利(開戦自体が致命的ミス)
攻者3倍の法則、上陸作戦5倍則、
・まず、まともな地図・海図・無線・GPSなし、確立した海路辿るのがやっと、離れて迷ったら孤立
使者の調査も九州以東は詳細不明
さらに、越える海は嵐で有名な難所、渡る季節も限定、迎撃側は襲撃時期もルートも読める
・そもそも、当時の航海技術では深入りすると大陸への帰路が困難
(いちおう、当時の国際港の敦賀も防衛 >東北・北陸の兵は越前の敦賀津をぞ固めける。)
せめて地元の松浦水軍を懐柔して道案内頼むどころか、
(高麗と対立してたからか)まず松浦の勢力圏を攻め、後々まで松浦党に恨まれた
※なお、文永では松浦党が潰れ役になって態勢整える時間稼ぎができた
・政治や言語文化など島国で団結し、得意の政治的圧力や切り崩しが使えない
・元軍が渡海作戦で制圧成功したのは
樺太アイヌの賊に攻められた防衛出動、あと三別抄、と??シンガサリ朝??
以上どれもはるか格下で、鎌倉軍事政権相手は無謀過ぎ
・遊牧民の交易の情報力も
調査した使者が、せっかく、「日本攻めは被害大きい」「止めろ」と進言してるのに
半島の大きな声が通り、痛恨の判断ミス
>>761
大陸から騎馬も連れて来たがボロ負け (三井資長、蒙古兵を撃退する)
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e03.htm
なお、南宋相手には騎馬で苦戦し、歩兵主体に切り替えてやっとこさ制圧した 矢は盾で防げる
ジリジリと近づいて投擲
手榴弾だな まあ朝鮮軍だから
本部から支給された武器もあんま使いこなせてなかったんだろ
「本部 てつはう重くて投げれません」
「バカてつはうを投げるだと!」 >>840
モンゴル人に首に縄付けてやってきたのが中国人
中国人を残しておくと色々厄介だから農機具とか持たせて
一方通行。中国人もやる気がなく日本もそれを知って無抵抗な中国人は
殺さずに見逃してやったりした >>836
元は、その気が無かったが、なぜか、ノリノリの朝鮮人が口説いたって話を聞いたな。 一説には朝鮮人を海に捨てるための
出兵だったとか。 >>827
確実に加筆だろうといわれているのがモンゴル人兵士
数を水増しした
スペクタクルを!もっとスペクタクルを!!って理由らしい
神社に奉納されたので、神職の依頼で書き加えたとも
所有者になった大名が書き加えさせたともいわれている >>792
>すでにその頃から文化を壊す習慣みたいなのがあったんだね
鄭和の航海そのものの細かいデータや航海日誌まで、明の官僚が金の無駄になる計画そのものを
計画されないようにと燃やしてしまった、なんて鄭和のwikiに書いてあった
中朝韓露はずーっと昔からデータ改ざん捏造消去何でもありなんだよな
そしてそういう奴にサーバーの管理とか任せたらどうなるかって話
そこのwebサービスをどこまで信頼していいんかな〜って話にまで繋がるね 結局、神風と九州御家人の奮戦で勝っちゃったんで間に合わなかったけど、
六波羅探題が掻き集めた6万騎含む援軍10万が下関くらいまでは来てたし、
更に鎌倉も東日本の兵力結集して派遣軍の編成始めてたんで、
どのみち負けはしなかっただろうけど
それにしてもあの時代によくこんだけ兵力動員できたなぁと てつはう+回回砲は文永の役の前年、1973年の南宋の襄陽の戦いなどで元軍が使って絶大な威力を発揮したそうで
そんな有力な兵器を持ってこないというのは考えにくい
ただし回回砲は連射ができない
動くことのない城相手の攻城戦ならともかく、鎌倉武士相手の騎馬戦では有効ではないというか、使おうにも使いどころが見出せなくなった
初見では鎌倉武士を大いに驚かせるのに成功しただろうけど、それ以降は使われなくなったんじゃないか、
そのため、実態があまり分かってないのではないかと
「てつはう」をより遠くに飛ばす手段として、襄陽・樊城の戦いの攻城で用いられた回回砲(トレビュシェット)や投石機がある。
しかし、山形欣哉は投石器を使用する場合、多くの人数を必要とし連続発射ができないなどの問題点もあったとしている。
例えば、後の明王朝の時代ではあるが、「砲」と呼ばれる投石機は、一番軽い1.2kgの弾を80m飛ばすのに41人(1人は指揮官)も要した。
したがって、組立式にし日本に上陸して組み立てたとしても、連続発射はできなかったものとみられ、投石機を使用したとしても「てつはう」が有効に機能したとは考えられず、投石器目指して武士団が突進した場合、対抗手段がないとしている[424]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87#%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%81%AF%E3%81%86 >>838
難しいらしいですね。かなり修練が必要とか。モンゴル軍は馬上でも弓とたまに槍。馬上戦闘では、アジア人には勝てんですよ。
ちなみにヨーロッパで鐙使い出したのが10世紀、日本含めてアジアでは5世紀から。500年の差はでかいですよ。 >>856
なるほどな
>>839の直感と近くて説得力あるw てつはうは基本、防御兵器だったんじゃないかな
敵騎兵が突っ込んできたところに炸裂させる コーエーのせいで、戦国時代は殺し合いしまくったイメージだけど
軍事訓練レベルで富国強兵に励んでたような気がしてきた(´・ω・`) >>863
ありうるけど、本来の使い方じゃなく、苦肉の策としての使い方になってたんじゃないかなと
何より奇襲攻撃かけてきた側だし、撤退や防御のことを考えた兵器より、まず攻撃のための兵器として考えてるはずだから >>847
諸刃の剣だよな。雑兵主体だと、釣りでなく本当に崩れて壊滅する。撤退戦は難しいので成功すると名が残るほど。 >>830
> 元軍を撃退したのは、
> 日本の北条時宗、ベトナムの陳興道、マジャパヒト王国のラデンウィジャヤだけか
> ビルマのパガン朝も占領されちゃってるし
陸路を撃退したベトナム人最強だな 抗戦したら皆殺しの蒙古兵も
かなり獰猛だけど
鎌倉武士の物狂いは相当なもの
席順で揉めた位で一族出てきて大戦
子供ですら石持って大人に殴りかかる
負けが決定したら粛々と皆で自害 >>6
日本が大敗していたら、お前の名前も俺の名前もモンゴル式。相撲協会はダルワドルジさんが理事長やってるよ。 >>8,370
メイドインコリアなら爆発力も発火力も最強だぞ。
日本と韓国の国宝を丸焼けにするぐらいの破壊力はあるはず。 水際で防いだって言われてるが
大宰府は一時的だが制圧されたって言ってる学者もいるね 元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた
元軍の記録
「話が違う。あんな大軍が展開してるとは聞いてない」
「てつはう使っても遠くから弓矢が飛んできてこっちの弓矢は届かへん」
「一晩に10艘は船が襲われて燃えてる」
「捕虜盾にしても最初から捕虜ごと殺しに来る。船に捕虜縛り付けても捕虜ごと船燃やしに来る。あいつらは人の心持ってない」 本当に有力な兵器なのか?
残骸が見つかった鷹島って、元軍10万が追い詰められて虐殺された島だろ。
先進兵器を持ってる側が防衛戦で一方的に虐殺される理由が想像できないんだが。 陸つづきだったらモンゴル騎馬軍団に日本は負けてただろうな。騎兵と言っても日本にふりむける兵力は1万もいなかっただろうけど >>858
どうでもいいが10万人分の食糧どうやって運ぶ気でいたんだろ?
そんなに集められたのか、何ヶ月分の見込みなのか? わいはアメリカが取りそこなった西アジアのアカのキャンペーンが半自動的に
起こってる説かな、そっち速い方やで 元寇のとき、日本軍は世界初の化学兵器を実戦投入したからな >>875
日本軍の本土決戦そのままだな。唯一の違いは核兵器という大量破壊兵器がなかったことだけだ。 >>867
何かイメージとして蒙古兵って騎兵じゃない
てつはう炸裂させちゃうと馬が使い物にならなくなりそう
投擲機があれば話は違う気もするけど >>880
屯田
南宋兵の半数は農民で農具を満載していた ちなみに北条時宗は、三つ鱗の家紋のせいで、
シヴィライゼーションやってた海外からは、ゼルダファンボーイとあだ名つけられちゃっている >>879
九州に上陸できても京都までは不可能ってのが多い
キチガイの海賊も含めた瀬戸内海の武装集団になぶり殺されただろうって言われてる >>880
実際に兵站が間に合わなかったせいで、買ったのに将兵が疲労しまくっていた。
日本人にとって最初の民族間戦争に勝利した北条氏は報償すら配らず、おかげで武士に嫌われ応仁の乱へ。 弾丸の速度は時速140km以上
ギネスブックの投石飛距離の世界記録は477m
スリングのやり方覚えてたら福岡大学ワンダーフォーゲル部も生き残れてたのにな >>534
モンゴルの鎧は裏に小さな鉄板がたくさん貼ってあるので
外からの見た目よりも防御力は高い
>>844
弘安の役後の2、3万の捕虜の内、旧南宋人は助命されている
捕虜の旧南宋人の割合は不明だけど、
弘安の役では14万人中10万人が旧南宋人だったので、
捕虜の南宋人の割合も大きかったと思われるので
1万人以上は助命されたのではないかと >>869
最強の米軍がなりふり構わず戦っても勝てなかったな。ジャングル戦は地元有利だな。 侵攻が遅いヨーロッパの重装兵には投げてる暇があったけど
馬に乗って突っ込んで来る北条軍には準備してる間に刺されたとか(´・ω・`) 鉄砲がヤバいのは火薬の炸裂する音ともに一定数の味方が死ぬから、接近する気が失せること
てつはうは最初は音でビビっても、さほど殺傷力がないと分かればそのまま突っ込めるからな ちなみに中国の記録で鷹島は、元軍20万人余が悉く殲滅されたので、島なのに白骨山と呼ばれています。
日本の武士に虐殺された将兵の死体が渦高く積み上がったためだそうです。
記録では鷹島から3人だけが奇跡的に生還できたそうです。別の記録では11人が生還したとあります。 殺傷能力が無いものを持って来るわけねえだろ
平和ボケしてモンゴル軍を舐めすぎだ >>832
地雷のように使う場合は起爆装置が難しいな
導火線を使って爆発させるのはできるがせいぜい数分の遅延だから
時間を合わせるのが難しいな >>896
破片を入れてるからにはそう言うのを期待してんだろうが有効だったかは不明 >>1
確かこの時代、モンゴルの奴ら朝鮮の人間らと組んで日本を侵略して来て対馬の住民を虐殺して女子供は手のひらにあなた開けて船にくくり付けて攫っていって奴隷としてこき使って殺したんだよね >>893
アメリカは、フランスの植民地政策を引き継いだだけ。
ベトナムは、ずっとフランス領だったからね。
アジアで植民地にならなかったのは、日本だけ。 >>899
三国志って、ぜんぜん前の時代なのね(´・ω・`) >>895
当時の馬はポニーサイズなんで、騎馬での突入はムリと思うぞ。
後の戦国時代でも、下馬して槍で戦ったらしいからね。 >>901
馬とかなら最初の数度で慣れないから、欧州だと馬がビビって暴れて
上のフルプレートおっさん振り落とされて
そこを元の兵士が数の暴力で囲んで叩けば効果的だとは思うんだよね
日本の武士は徒歩多いから上手くいかなかったんじゃね? >>68
朝鮮朱子学とか普通のネトウヨは感心もねえよ
キムチでも食って寝とけよ あとよく言われるのは神風で勝ったんじゃないからね
陣地を作って昼も夜も徹底的に攻撃したから
上陸できなかっただけ >>903
むごいの語源と言われてるけど真偽の程は専門家の意見を >>876
実はヨーロッパ側に記録が残ってる。
それを見るとかなり有効。
モヒの戦いだったか、ハンガリー軍の防御陣形を崩壊させたのがモンゴル軍が使用した投射する爆発物。
"耳を裂くばかりの爆音と閃光"とハンガリーの年代記に記録されてるそうで、
つまりてつはうと考えられる。
また、ヨーロッパ騎兵の突撃はすべてこれらの爆発物で阻止されたそうで、ヨーロッパ騎兵のあの重装備を斃すんだから、威力もかなりあったのだろう。 >>906
覚えてないけど、まさにポニーで実験したTV番組見たけど、MAXで40km/hぐらい出るらしい
人間のダッシュぐらいは出ると思われる(´・ω・`) >>903
手のひらに穴開けたら奴隷として使えるのか? >>56
キングダムは書き方が下手すぎるし戦が長すぎるんだよな 人間が投擲出来る重さで火薬と鉄片入れて外装を陶器で覆う
うん、絶対に今の手榴弾みたいにはならないわ 日本人て爆弾テロがないからどのくらい威力があるか忘れてるんだよ
中の金属片で足とかなくなるよ >>56
キングダムといいアンゴルモアといい
女戦士が異様に強いのは何なの? てつはうは騎兵相手に有効だから
鎌倉武士にも有効だと思ったら
歩兵が馬に乗ってただけでござるw >>897
その三人は虐殺の中から生還したというより、
捕虜の内南宋人以外が皆殺しにされた後に、
助命されて奴婢にされた南宋人の中から後に脱走して帰国した
>>906 >.913
『日本の在来馬はポニー』という時のポニーは、体高147cmの馬を指す方のポニーであって、
初心者や子供が乗る体高1mほどのシェトランドポニーのことではないよ
鎌倉時代の馬の遺骨が昭和に発見されて調査が行われたことがあるが体高130〜140前後の馬もいた >>912
モンゴルの前は、ヴァイキングがヨーロッパで虐殺の限りをつくしてるんじゃね?
ヨーロッパは、本当に血みどろの歴史だな。 >>847
それをするのが薩摩武士だろ
何ヘタレてるんだよw
ごくごく小規模だが新撰組の死に番みたいなものだろ なんか日本人歴史不詳になっとるよな
降伏した敵に先陣をやらせるって日本だって戦国時代とかそうだったんだよ? >>917
火薬にそれだけの威力があればの話。鉄片をそれだけの勢いで飛ばせるか
当時の火薬、人間が投げれる重さ、外装軽くならない陶器だから
動物が爆音に慣れないのはほぼ千年後にインパールで牟田口が再現する >>918
弱い女は戦士を目指さない
並外れて強いから戦士を志す てつはうみたいな陶器爆弾って日本軍が本土決戦のために作ってたよな
米軍相手に使うつもりだったんだから殺傷能力あるんじゃないの? 石山合戦って知っとるかね?
織田信長の水軍に毛利水軍がどんな武器を使ったか知っとるか? ロープを付けて遠心力を利用して室伏したんじゃないの? つべに上がってた。武田の騎馬隊は時速45km。歴史科学捜査班(´・ω・`) >>912
そんな兵器を持ってる相手を一方的に虐殺する鎌倉武士怖ええよ。
元寇の後も松浦党は元や高麗を滅ぶまで蹂躙し尽くしてるし、和弓と日本刀の性能が凄かったんだろうな。 ハンマー投げって7kgで80m飛ばすんだな
米5kgより重いよww
すげーな・・ 拳銃サブウェポンじゃなく飾りぐらいに思ってた日本軍は
威力が弱くても特に問題にならなかったので、国産銃を将校が携行しているという見栄も欲しくて、ずっと威力の弱い拳銃を使ってた
2.26事件だったかで青年将校が何人かの政治家に使ったが、至近距離から三発撃たれて死ななかった人がいるw
火薬の威力等で鉄片の殺傷力は大きく変わる
逆に米軍が大口径、威力主義なのはフィリピン制圧時に
拳銃だと多少の被弾をものともせず突っ込んできて、死ぬまで殺すモロ族戦士にビビった為 全身金属ダルマみたいなヨーロッパ騎兵がてつはうでやられてるんだから、
威力自体はあったことは間違いない。
そもそも4キロもの黒色火薬を炸裂させたらエライことになるよ。一尺玉の約半分だが、近くで炸裂したら確実に死ぬ。 手で投げたって…
投石器で投げたに決まっとるやろ
日本人アホになったか? >>400
自虐史観教科書ではモンゴルがやられてる部分はカットされている。
てつはうが日本側から打ち出されてるように見えるな >>920にミス
体高147cmの馬→体高147cm以下の馬
>>385 >>791
元寇の前に日本に向かった6回の使者のうち、4回目以外は元史に帰った、または引き返したと明記されている
4回目の使節は太宰府守護所に長期滞在したとのみ書かれているけど、
元寇の前どころか2回目の元寇の後に12回目の使者としてまた日本に来たのでそれまでの生存確認がとれてる
また5、6回目の使者(同一人物)は史書にその後の記録もあるからこっちも生存確認とれる
つまり元寇の前の使者殺害は記録にないだけじゃなく、
使者が帰った・引き返した・元寇後まで生きてるという他の記録と矛盾している
日本に来ずに引き返したり、来ても帰ったり、その後も生きてる人が日本で殺されてるわけないからね
けどまあ、ネット上だと根拠のない情報でも面白がられたりして拡散してしまうものなんだろうね フルプレートは騎兵。あんなもん着こんで歩兵やらない
よく元軍は機動力活かして接近戦で馬からフルプレートおっさん引きずり落として
囲んでボコったと言われてるがそれの前段階、馬を驚かせるのが主目的、足元に落ちたら馬が怪我する、死ぬぐらいでてつはうを使ったのだろう >>938
4キロ=容器+火薬+鉄片だから
火薬は半分くらいしか入ってなかったのでは? 二回目は海上で三か月も待機 水や食料はどうしたんだろうか? >>914
奴隷っていっても肉体労働だけじゃないからね >>939
スリングで石を投げても欧州のフルプレートだと南宗や高麗相手ほど効果でない
逆に歩兵主体なら馬をビビらせるてつはうより石の方が飛び道具としては有効 ヨーロッパは平地で戦ったので隊列志向だったらしいな(´・ω・`) >>938
記事に「てつはう」は4キログラムほどの重量とあるけど、
黒色火薬のみで作られていたわけではなくて
陶器製の弾の中に、さらにくず鉄も詰まっていることがレントゲンで確認されてる
火薬は流れ出してしまっていて分量は確認できなかったそうだけど 陶器を投げるのはいいとして
落ちたとき割れれるだろ、どうするの 中国があんなに三国志で強かったのに、モンゴルに蹂躙されたという事実?(´・ω・`) マルコポーロの東方見聞録によると、
日本の武士には皮膚と筋肉の間に石を埋め込んで魔術を施しているものがおり、
決して刀では切れないと、遠征軍から帰還した将兵から伝えられていたそうな。
モンゴル人の自尊心から来た嘘が悲しい。 >>259
広いとこだと効果は?だよな
>>302
なるほどグレネードだな、先進的な
当時の人はさぞかし驚いたろうなあ >>946
いうてフルプレート着てる奴とかそんなおらんし
ほとんど鎖帷子程度だからめっちゃ痛いと思うぞ 投擲距離が数百メートルに達する可動式の「マンジャニーク」(トレビュシェット)というペルシャ式の投石機をつくった。このマンジャニークも、中国では回回砲という名で知られた。 >>400
矢を開発すればいいんだろ(ロマサガ的発想)(混乱) >>387
.
_, ,_ .・(U) ボ
( ゚Д゚).;;.;∵ヽ('∀' ) ン
( .;..;’' ヂ
| ★";'. /
し ⌒J ッ
(U)
( '∀')ノ てつはう攻撃! わし竹崎の子孫やけど武勲にはとうてい縁のないフィジカルしかないわ
頭はいいけど マルコポーロがフビライにいらんことをいうたばっかりに日本が攻められた 陶製で、口が細い壷状だったら、鉄片を全周均等に配置するの難しいな。
ロクロで回転させながら膠で粘着させて、膠乾燥後に火薬充填か。
で、ふと思いついたのだが、全周囲散布型ではなく、志向性型だったらどうするよおい?
陣地防衛用のクレイモアがもう発明されてたってか? おらわくわくしてきたぞ。 欧州の騎兵が隊列組んで突進してきたまさにその時に先頭集団にてつはうを投げ込めば
馬がビビって立ち往生、中には怪我等で動けなくなり障害物化したのも出て、突撃の衝撃がなくなる
そこを逆に突撃して機動力失った騎兵を囲んでボコるという目的ならてつはうは有効
歩兵多くて走って突撃してくる日本の武士だと、特撮映画っぽくなってたんじゃないか?
まあ、破片は飛び散ってるから怪我したりしてるのはいるだろうけど >>941
イメージが伝わらなかったのかな?TVでよく見かけるサラブレッドでなく、木曽馬サイズって言いたかったのだが… 役に立つものなら、新しいもの好きの日本人がほっとくわけ無いだろ。
火縄銃とかアホほど作ったしな。
その後の戦で使われなかったのは役に立たないからだな。 >>845
信長があと15年生きててフィリピンを攻めていたら!ってifを語る人がいる ソウルは1週間から1ヶ月で落とすのが、半島侵略時のお約束。 >>859
てつはう+回回砲まで行くと攻城戦用兵器じゃん
都市の事を城郭と呼ぶ中国だからこそ出来る戦い方だ
上陸でもたついてて広範囲に防塁がある状態だと
船からトレビュシェットを打っても反動でry 破裂兵器は地面に置いたら殺傷半径はせいぜい15m
砂浜だったらさらに小さくなる
竹か小枝を三本組んで1mの高さに設置したら、話ぜんぜん違ってくる。 >>968
同時期の海戦で大海原で船備え付けの大砲使ったか
狭い水道での戦いが多いから小型の船で接近して使える携行大砲かの違いなんだよな >>951
モンゴルが圧倒的に強かったのは、モンゴル馬で密集隊形を組み、半弓による速射でスピードと、矢の量で圧倒出来たからって昔、テレビで見たな。海戦は得意じゃなく、強味が無い。 中国に現物が残されてなく、謎の兵器になる程度しか普及しなかった
ようは当時の新兵器だけど、それほどの効果はなかったんだよ
目新しい兵器を使われた日本側は印象が強かったので記録を残したが
それでもそこまでたくさんの記録が残らん程度にしか効果なかった 虚船の蛮女だっけ
あれ不思議だね
このスレ見てたらなんか思い出した >>912
>ヨーロッパ騎兵の突撃はすべてこれらの爆発物で阻止された
ヨーロッパの騎兵といえば重装備だなあ
それで素早く動けるのは巨大なペルシュロンやシャイヤーなどの
1tクラスの重量級輓馬用ウマのお陰だ
それの足をてつはうの轟音で止めるんだから合理的だね
鎌倉武士にそれは効くのかね?w >>542
> モヒの戦いでも橋の向こう側から投石器を使われてもたもたしているうちにモンゴル軍
> 別動隊に回り込まれたわけだから。
そうやってハンガリー軍を包囲したあと、殲滅する段階になってモンゴル軍がとった戦術も巧妙で
なかなかのものだ。むやみに正面から攻撃するのではなく、意図的に包囲の一部を解いて、
ハンガリー軍のうち逃げたいやつは逃げ出せるようにしておいて、敗走するところを討ち取った。 てつはうでイチコロのはずだったが、鎌倉武士は想像を超えたキチガイであった。 敵陣に着く前の爆発、暴発が多過ぎて、使われなくなった気がする。 いくつか指摘あるけど
着発信管なんてない時代に投石機で陶器製のてつはう投げても爆発せず
着弾した途端に割れて中の火薬が燃え燻るだけで終わるだろ >>983
実際にキチガイ集団だよ
弥生時代にはクロスボウが入ってきてたのに、結局は誰でも扱えるクロスボウは廃れて
技術が必要で他国では流行らなかった長弓が、射程や曲射の利点から主力兵器になった
専業で軍人やってる戦闘狂の集まりが全盛期の侍 >>964
それは鎌倉時代の当時は火薬の知識もほぼなく、当然製造もできなかったからだろう
特に重要な原材料の一つ硝石は当時の日本では手に入れることができず、後に南蛮貿易で手に入れる以外に無かった
本願寺門徒の間で汲み取り便所周辺の土から硝石を取り出す方法が発見され、量産されるようになるまで200年くらいかかる 投げたというより、地雷のような使い方だったりして。 >>985
海から引き上げられたものが陶製だっただけで
てつはうの一番ベーシックな殻は鉄製の模様 風向きによって火攻めに使うはずが、風向きがころころ変わって使い物にならなかったとか?(´・ω・`) >>985
絵は爆発してるから、地雷みたいな使い方かな?空中で破裂はまず無理だし。 なんで俺まで薩摩なんだろな
もう氷河期世代とか言うのヤメレ
死の軍団だから、実際 >>32
夜襲を嫌ったんだろ。
昼間休んでいた別動隊に寝込みを襲われたらひとたまりもない。 >>991
飛んでるように見えるのは絵を書き足した奴のミスとか?(´・ω・`) もしかして、スイカ割り発祥の秘密かも(´・ω・`) >>987
その必要がないからだろ。必要性が出たら量産まで一直線 鎌倉武士には必殺の新兵器煮込み大便があったからね。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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