敵軍や女子どもに対しては残虐だというイメージをほしいままにしていたモンゴル軍も、
味方の兵士については人命を大事にして無理に戦わないという独特の価値観をもって
いたようなので、命を惜しまない鎌倉武士の士気にはカルチャーショックを受けたかもしれない。

ハンガリーのモヒの戦い(1241年)は、ほとんどモンゴル側の完全試合ののようにも見えたが、
そのなかでも、ハンガリー軍の猛反撃に耐えかねてモンゴル軍のバトゥが撤退を考えるなど、
弱気に陥っての逡巡があったらしい。