0001ばーど ★
2019/11/11(月) 08:18:52.78ID:rFfW5xWF9.
■迷子も府警に通報 「皇宮警察」とは
けん銃を携帯し、逮捕権や捜査権を持つのは同じでも、皇宮警察の存在はあまり知られていない。担当するのは東京の皇居や赤坂御用地、栃木県の那須御用邸、奈良の正倉院など皇室関係の1都1府4県の11カ所のみ。都道府県警察とは別採用、国家公務員の「皇宮護衛官」だ。定員は約900人。
京都市上京区の皇宮警察京都護衛署は京都御所や仙洞御所など皇室関連施設のみを管轄し、周囲の京都御苑内でトラブルがあれば、迷子も含めて、京都府警に通報する。
■「血が出るほど上唇かんだ」平成の即位礼の記憶
「直立不動で目線を正面に保ち、両陛下の車列をお見送りした。大切な行事に失敗してはいけないと、上唇を血が出るほどかみ、気を保った」。平成の即位の礼と大嘗祭(1990年)では、全国から警察官ら約3万7千人が動員され、皇宮護衛官も加わって厳戒態勢が敷かれた。即位式後にパレードへ向かう両陛下の車列を皇居の二重橋で警護し見送った形田(かただ)勝・皇宮巡査部長(48)は緊張の時を振り返る。
「顔を動かしてはならないので、ほんの一瞬だったが、今でも忘れられない光景」。1メートルごとに並んだ皇宮護衛官約50人と敬礼し、車列を見送った。
車列を見送る時は不審者への警戒のため、5分程度であればまばたきを全くしないでいられる訓練を受けているという。
形田巡査部長は前回の即位の礼があった1990年当時、皇居内にある皇宮警察学校へ入ったばかり。皇宮警察学校は全寮制で、和歌や茶道、華道の授業、騎馬訓練も必須。皇室の歴史を学ぶ講義や重要建物を火災から守る防火訓練、敬礼の点検教練、逮捕術など術科などに励んでいた。
警察学校の学生までも召集されるのは異例だった。「私たちも警備ローテーションに入るよう言われ、誇らしさと不安が入り交じった気持ちでした」と、形田巡査部長は話す。
30年前は即位の礼や大嘗祭を前に、過激派ゲリラによる皇族や寺社を狙った事件が多発していた。京都御所でも1990年1月、高御座(たかみくら)を狙ったとみられる爆破事件が発生。全国的にも警戒が強まっていた。
■「衛門」「内舎人」古い官名が今も
形田巡査部長は90年9月中旬、一時的に皇居内の坂下護衛署へ配属。日中は護衛官の花形といわれる皇居正門を守る「儀仗(ぎじょう)」警備に就き、夜から翌朝までは、大嘗祭の舞台となる「大嘗宮」を警備する日々が始まった。
ある夜、警備中に小さな爆発音が聞こえ、ゲリラによる放火が頭をよぎった。
「誰にも頼れず、慌てて放水用のホースを握りしめた」。結局事件ではなかったが、「口では言い表せない緊迫感」と時代の空気感を思い返す。警察官制服の右肩から下がる警笛のひもは、都道府県警察は白色だが、皇宮護衛官は赤だ。うそ偽りのない「赤心」を表すという。
皇宮警察本部によると、皇宮護衛官が「内舎人(うどねり)」を兼務しているケースもある。内舎人は宮内庁職員のうち、天皇のそばに控え身支度や雑用をする担当者。「内舎人」という官名は古く、8世紀の頃から存在した。帯刀して宮中に宿衛し、雑使を務め、行幸の警護にあたった。のち平安時代には武士からもも登用された。
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■皇室と国民の間で
※中略
一連の即位行事は、皇宮警察の存在が多くの国民の目にふれるめったにない機会だ。一方で皇宮警察の存在は、警備に目を光らせ、皇室と国民の間にそびえる「盾」という両義的な存在でもある。
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11/10(日) 13:26
京都新聞
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