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世界的スポーツ用品メーカーのヨネックス(東京)創業者でファウンダー名誉会長の米山稔(よねやま・みのる)氏が
11日午前10時12分、老衰のため長岡市内の病院で死去した。95歳。同市(旧越路町)出身。葬儀は近親者で行った。
後日お別れの会を開く予定。

太平洋戦争の沖縄戦に従軍、復員後の1946年に同市で木製品の製造・販売を開始。
57年にバドミントンラケットの製造を始め58年、株式会社米山製作所を設立した。
その後、テニスラケットやゴルフクラブなどスポーツ用品の分野を拡大させた。
82年に現社名に変更し、90年に本社を東京に移転。94年には新潟証券取引所と東証2部に上場した。

この間、テニスのマルチナ・ナブラチロワ、マルチナ・ヒンギス両選手らトッププロに用具を提供し、
ヨネックスを世界的メーカーに育てた。現在もテニスの大坂なおみ、バドミントンの桃田賢斗、高橋礼華の各選手ら
多くのトッププレーヤーと契約している。

97年に会長となり、2007年にファウンダー名誉会長に就いた。

同郷の歌手、故三波春夫さんとは幼い頃からの友人で、長く親交があった。

また、1998年から2006年まで東京新潟県人会の会長を務め、08年には県内の屋内スポーツ振興を支援する
「県インドアスポーツ振興ヨネックス財団」を設立。地域の人材育成などに貢献した。


米山稔氏
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