【山手線】車両の歴史は?
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191116/k10012179641000.html
山手線の車両の歴史は?
2019年11月16日 9時40分山手線
東京の大動脈「山手線」。車両の歴史についても調べてみました。
山手線の始まりとなる「品川線」だったころには、イギリスから輸入された蒸気機関車が客車をけん引していました。
その後、明治42年に電化されると、木造の小型電車などが走り、大正末期からは、鋼製の車体も登場するようになりました。
山手線のシンボルカラーが導入されたのは、昭和36年に投入された「101系(ひゃくいち)」からで、当初、車体の色は黄色、カナリアイエローと呼ばれていました。
昭和38年には、改良型の「103系(ひゃくさん)」と呼ばれる、おなじみのうぐいす色の車両が登場しました。このときに導入された車両は、加速性能を向上させるなど輸送力が強化され、昭和45年に初めて冷房車が導入されるなど多くのサラリーマンを運び、戦後日本の復興を支えました。
昭和60年には、オールステンレス製の「205系」の車両を導入。省エネが求められる中で車体を軽くし、消費電力を大幅に減らしました。
さらに、省エネ化を進めて平成14年から導入された「E231系(イーにーさんいちけい)」で、15センチほど車幅が広げられました。
その後、来年の東京オリンピック・パラリンピックに伴う観光客の増加などに対応するため、平成27年に「E235系(イーにーさんごけい)」が登場し、優先席や大きな荷物を置けるスペースを大幅に増やしました。車内は中吊り広告をなくし、1両に36あるディスプレーが企業の広告などを表示しているのが特徴で、山手線の主力車両となっています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191116/K10012179641_1911160935_1911160940_01_02.jpg >>11
当時はやまてせん、と呼んでいた。
♪まあるいみどりのやまてせん
もっともみんなは国電と言っていたが。
E電は、、、知らない。 俺の中じゃ山手線は全身黄緑でカクカクしてモロ鉄製のアレ。 >>8
ド田舎の路線だと鉄橋の側面にコンクリートの壁がなくて、
線路むき出しでそっちのほうが怖い
脱線したら川にまっさかさまだわ >>25
すごい!
インターネットできるんですね、お爺ちゃん 大宮の鉄道博物館で101系と戦前のクモハ40形の展示車両に乗れるけど今日の通勤電車の基本構造を確立した101系は画期的な車両である事が解る >>5
ワシは103系ATC準備車じゃ。
当時まだ冷房化率は山手線で100%で無くて非冷房車も連結しておった。
先頭と末尾だけは最新車両じゃったからな。
高運転台で前面にステンレスの飾り帯があったんじゃ。 >>28
20m、4ドア、限界まで乗せるという通勤電車の始祖は63系だと思う。それを両開きドア、カルダン駆動、全電動車でブラッシュアップを目指した101系は画期的であったが、結局コスト高が災いして経済設計の103系にされてしまう悲劇 クハ103-1・2はつい最近まで大阪を走っていたという事実 Nゲージでも不人気かKENオクヤマデザインwww
貧乏日勤教育大量殺人会社、JR二死日本には山手線で30年前に全廃になったオンボロ食パンポン国鉄型103系が未だに100両以上健在w やまのてせんと呼ぶ奴は田舎者
昔からいる奴はやまてせんと呼ぶ 101系が導入された時は、この通勤電車は30年使えると喧伝されたが
本当に30年使ったからなあ。
今時の車両は軽量安価にして15年で往かれるように設計されているという。
技術革新もあるから古いものを長く使うのが必ずしも良いとは限らない 山手線だけじゃないけど最近の在来線は液晶モニターがあって
そこにcm流したりしてるのな
旅行の時しかJR乗らないから物珍しく感じる >>29
一部非冷房車はインフラ(電力・軌道)の関係で車重を抑える必要が有ったから。 >>6
やたら鉄優N(鉄道オタクに優しいNHK)ぶりなのはそのためなのかw 奈良に行けばいくらでも走ってる
103系、201系、205系
あと10年は走るだろう、最近まで常磐線や武蔵野線からの転属車両も走っていた。 知り合いのバカが山手線にかばんを置き忘れたので、ホームで1時間待ってたら同じ列車が1周してきて
無事荷物を取り戻せたって言ってた 俺が東京に出た頃、国鉄がJRに変わったんだよなあ
バブルが始まる少し前だった
終電がなくなる時刻になるとタクシー拾うに苦労したっけ >>34
酉は奈良線に少し前まで101系が居たような気が… >>49
101系自体は14両しか承継されなかったとか。それも92年にはなくなった。
アーバンエリアの103系は奈良線と和田岬線でわずかに現役。 車体はチョコレート色で床は木製板張り、車内に入るとコールタールの臭いがした >>51
だった記憶
101系は平成になる前くらいにほとんど消えてたな 山手線に205系が導入されたとき、余った非冷房の103系が埼京線で使われてたのを覚えてる 103時代の山手は中間4両は非冷房なんてのがあった。特にシナ車(緑札)に多かった。
イケ車(赤札)は10両とも冷房付いてるのが多かった。
山手205投入で103が埼京線とケト線に追い出され、
ケト線の低運が京葉線へ転属して、
大目玉のまま先頭に立つ姿に萌えたよ。
>>56
900代もいたね 併走する京浜東北に比べて山手線の方が完全冷房化が早かった記憶 当時では1番新しかった銀線の103系のみが走っていたのも山手線だった ATC化過渡期は、正面に銀色の線の入ったやつが来ると冷房車だと喜んだものだ。
でも前に書いたように中間は非冷房なんてのもあったけど。 出所したら山手線が赤羽線になっていた
またお勤めして、出所したらこんどは埼京線になっていた くそ、志賀"小説の神様"直哉の最高傑作である
『城の崎にて』のイントロのネタをやろうと思ったら>>63 くんにガイシュツかwww
あれはねえ、いやいいよ、ツカミだけでお腹いっぱいだね。
そんなこんなを考えていたら山手線ネタで他に書くこと忘れちゃったよ。
とりあえず山手線ネタでいうならあの新駅のしょうむない名前、
あれ、なんとかならねえの? ほんとまあ、聞くだけで共感性羞恥にさいなまれそうだねw あれwww
あの珍名、自称愛国者のネトウヨどもは随分と気に入ってたようだけどさあwww 1年以上前の決定事項をいまだに受け入れられない人がいるのか
適応障害かな >>41
それはデマじゃ。
当時の国鉄は電気を一般に売っているほど自前で発電設備を持っていたし併用貨物線の分もあった。
しかし貨物は全般的に武蔵野線が開通しそちらに移動している。 101→103→205→E231→E235だっけ
>>1に全部書いてあったな >>30
全M車を目指した101系。
2車両で1ユニットにした発想は101系からだよね。
しかし、工場での生産が間に合わず、サハ101、サハ100と言う電動改造準備車があったな。
サハ100系は、パンタグラフ乗せる為にその部分に通気孔が無かったね。
結局1台も改造されなかった様だし、付随車付けても支障無かった事が解って正式に103系になったんだよね。
それまでカルダン駆動のノウハウが全く無かったからな。 ※鉄ヲタは鉄ヲタなら誰でも知ってる話をわざわざレスします >>30
全金属のクハ79なんか殆ど101系と見紛う、スッキリした車体。
でもまあ片開きドアや台車見れば瞬時に旧性能と判別してしまう鉄ヲタの性(さが)w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています