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【ブレグジッド】にわかに気運高まる、もう一つの離脱 スコットランド・アバディーン
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0001みつを ★垢版2019/12/06(金) 02:15:38.91ID:yCw20B6p9
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52936700U9A201C1FF8000/


にわかに気運高まる、もう一つの離脱
英国の選択(4) スコットランド・アバディーン
2019年12月5日 23:00 [有料会員限定]



今回の選挙では英国の欧州連合(EU)離脱だけでなく、英北部スコットランドの英国からの独立の是非も問われている。同地域の59議席中35議席を占めるスコットランド民族党(SNP)は、公約で「EU残留」と「独立を問う住民投票の2020年の再実施」を掲げた。議席を増やし、住民投票実現へ英政界への圧力を高める構えだ。

世論調査によればスコットランドではジョンソン政権発足の7月ごろから独立賛成派が増え、足元
(リンク先に続きあり、要会員登録)
0002名無しさん@1周年垢版2019/12/06(金) 02:20:15.92ID:yJSfD3ue0
アレグザンダー・ボリス・ジョンソン(Alexander Boris de Pfeffel Johnson, 1964年6月19日 - )は、イギリスの政治家、ジャーナリスト、歴史家。

大学卒業後の1987年、アレグラ・モスティン=オーウェンと最初の結婚をしている。
同年L.E.K.コンサルティングに就職するが、退屈のあまり1週間で退職[6]、家族のコネで保守系紙『タイムズ』で働き始めるが、考古学関係の記事で学者の発言を改竄したため、すぐ解雇されている[7]。
続いてやはり保守系紙の『デイリー・テレグラフ』記者となり[2]、1989年から1994年まで同紙のEC特派員となった。
当時の彼を知る記者たちの多くは、彼の記事はECの信用を傷つけるために虚偽の事実や誇張を交えていたと批判的に振り返っている[9]。
1993年にアレグラと離婚、同年幼馴染のマリーナ・ホイーラーと結婚し、4子をもうけた。
1994年にロンドンに戻ると政治コラムニストとなり、ユニークなスタイルで評価を得る一方、黒人・ゲイへの差別的な記事や植民地支配を賞賛する記事で物議を醸した。
『スペクテイター』誌の政治コラムニストを経て、1999年から同誌の編集者となり、政界入り後、2005年に影の内閣の高等教育大臣に任命されるまで務めた。
2001年からは庶民院議員を2期務めた。2004年にはタブロイド紙によって、2000年以来『スペクテイター』の記者と恋愛関係にあり、2度妊娠(1度は流産、1度は中絶)[16]させていたことを暴露された。
ジョンソンは当初否定していたが、事実と判明した後、党の役職を解かれた[17]。
2008年にロンドン市長に就任した。
2009年に、芸術コンサルタントのヘレン・マッキンタイヤとの間に女児をもうけていたことが後に暴露された[19]。
アメリカのバラク・オバマ大統領が英国のEU残留を求めた際には、「オバマにはケニア人の血が入っており、反英感情がある」と発言、人種差別的であるとして物議を醸した[24]。
新内閣(テリーザ・メイ内閣)を組閣するに当たり、ジョンソンが外務・英連邦大臣に起用された[26] [27]。
ジョンソンの外務・英連邦大臣就任を記者会見中に知らされたアメリカのマーク・トナー国務省報道官は失笑した[28]。
初の対外公務となったフランス大使館でのレセプションでは招待客からブーイングで迎えられ、さらにフランスのジャン=マルク・エロー外相からは「嘘つき」だと名指しで批判された[29]。2018年7月、首相の穏健なEU離脱方針に反発して、外相を辞職した[30]。
イギリスのEUからの離脱を主張するブレグジット・キャンペーンのリーダーでもあったが、その間、ずっとアメリカとの二重国籍であった。
イギリス外相に就任した時点で、まだ二重国籍だったのか、既にアメリカ国籍を離脱していたのか、については、明らかになっていない。
人種差別、ホモセクシュアル差別、排外主義的なコメントを繰り返してきた。2016年5月には、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相がヤギと性行為を行う詩を「most offensive Erdoğan poem」賞に投稿した。
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