【給食の思い出書いてけ】学校給食献立日本一へ 黒豆やデカンショねぎで初の決勝大会に挑む 丹波篠山のセンター
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2019/12/06 05:30
地元食材を使った学校給食の“献立日本一”を決める「第14回全国学校給食甲子園」決勝大会(7、8日・東京都内)に、兵庫県丹波篠山市立西部学校給食センターが出場する。これまで同市から計9回応募してきたが、決勝進出は初。同センターの田端廣美栄養教諭は「児童らの応援を力に、練習の成果を発揮したい」と張り切っている。(綱嶋葉名)
この大会は、学校給食を通して食育を啓発しようと、2006年から毎年開かれている。今年は全国から約1400件の応募があり、決勝は書類審査を通過した12代表が競い合う。大会では、実際に給食として提供したことがある▽地場産物を使用し、特色を生かしている▽子どもが喜び、郷土愛を育む−などの基準に沿って審査される。
丹波篠山市の献立は、丹波篠山黒豆ごはん▽寒ざわらのデカンショねぎソース▽ふるさと野菜のゆずマヨネーズあえ▽天内いも入り根菜ぼたん汁▽温州みかん−。同市にある東西の学校給食センターに所属する栄養教諭5人が、食べやすさや見栄えに気を配りながら考案した。材料には、特産物の黒豆やデカンショねぎ、しし肉を使用。また、大山小学校(同市大山新)の児童が育てた天内いもを取り入れた。
11月29日には、市内の31校園で同メニューを提供。大山小では4〜6年生が酒井隆明市長や地元農家らと実食した。4年の長澤風樺さんと長澤佳乃子さんは「自分たちで育てた芋は、柔らかくておいしい」と笑顔。また同校児童が作った、決勝大会に向けた応援ビデオも上映された。
決勝では、田端さんと調理員の出野年紀さんが調理して、審査員に提供する。田端さんは「出場するからには優勝目指して頑張りたい」と力を込めた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/201912/sp/0012935266.shtml
栄養教諭の皆さん
https://i.kobe-np.co.jp/news/tanba/201912/img/a_12935267.jpg 「敵は国内にあり」「スパイ天国日本」
反日どもの真の目的って、
憲法9条を変えさせないことと、
沖縄、尖閣、竹島、北海道を日本から切り離すこと、
米軍を日本から撤退させること、
日本の軍事力を落とすこと、
日本が外交で遅れをとること、
日本の若者に精神論や根性論を嫌わせて根性無しの臆病者にさせること、
そして極め付きは日本人に愛国心を持たさないようにすること。
教育現場、メディア、政界、ありとあらゆる場所で反日工作員に入り込まれてる。
スイス民間防衛という本に書かれてる国乗っ取りの手順を日本はまんまとやられてるわけだね、、 牛乳が苦手で無理して一気飲みしてたなあ
今でも温くなった牛乳は飲めない 白身魚のフライが大嫌いでした。スチック、メルルーサーフライとかいうやつ 全校生徒でイナゴを捕まえる日があった
捕まえた大量のイナゴは佃煮になって給食の時に出る 牛乳のイッキ飲み大会が流行ったなぁ
蒸せて床に吐き出すと、床が牛乳臭くてたまらんかったわ 20秒で完食、校庭に出るのはいつも一番最初だった。 >>6
イナゴを買い取ってくれる店があって
学校帰りによく捕まえて売ってたわ
売った金でジュースやアイス買ってた 給食の格差社会はかわいそうだね
田舎の小学校だったけど学校内で給食作ってておいしかった思い出 あるクラスの食缶(スープ)が倒れてこぼれたため、
学年主任の先生が各クラスから強制徴収 お残しは死刑
制度でずっと食わされてる奴が虐められて可哀想だった >>6
30 年以上前にはあったよね
今でもやってるとこあるのかな? 生煮えのタマネギを無理ヤリ口に押し込まれて殺意というものを理解した 東京都内なんてゴミみたいな給食だもんな
あんなもので生きてる方が不思議 >>13
そういうのもやった奴が泣きながらつるし上げられてて可哀想だったな ぜんざい(善哉) → せんざい → そういえば1個泡が浮いている → 洗剤はいってる
→ 誰も手を付けずに残した。先生も
給食のおばさん首をかしげたと思う 牛乳飲んでるとき前に座っている人が変な顔を作って笑わすこと禁止になった 給食をどちらが早く食べ終わるか暗黙の裡に競い合っていたあの子。
俺の初恋さ。 すっころんでフルーツポンチの容器ひっくりかえして廊下にぶちまけた(´・ω・`) デカルト、カント、ショーペンハウアーなのか甘藷なのかネギなのかわからん 机の中から見つかった緑色になったチーズパン!
トラウマです 給食で出てくる、地元のパン業者が作ったコッペパンは、砂か綿みたいなパサパサ感と不味さで、何時もこっそりゴミ箱へ捨てていたなw 逆に米飯は水加減が酷くてベチョベチョ、お粥みたいな奴だった。
漏れが小学校を卒業した数年後にそのパン業者が倒産、以後は他のパン業者に代わって劇的に旨くなったらしい。そういえば、実家マンソンにはつぶれたパン業者で働いていた底辺が住んでいたけど、嫁のヒモになって行き永らえている屑男だったなぁw 今考えると自校調理だったから美味しかったのだろう
でも自宅での食事と違いすぎて食べられるものが殆ど無く給食の匂いと味に慣れて完食できるまで4年掛かった
パンも牛乳もチーズも小学校に入るまで食べたことがなかった1960年代生まれです 大多数の家庭(貧乏でも金あっても)で一日で唯一のまともな食事だからな
これを無駄扱いしてやめようなんて議論があったころが懐かしいよ
日本の黄金時代だな 二度と帰らない・・・ 大掃除のときいつも、見かけが牛乳そっくりの床用ワックスがバケツで配られ、
先生が給食の牛乳の残りをせっせと追加してた 近くにミルメイク作ってる会社があるのに給食には採用されていなかった名古屋です 牛乳は"牛乳として飲む"のが正しい飲み方です
体質で飲めないなら仕方ないけど…ミルメーク?何それ 思い出補正あるんだろうけどそれでも9割以上旨かった記憶しかないな
最近のニュースとかで今の給食見て真顔になったわ 試験的に米飯が出たが一個ずつビニールにパックされて皿に乗せられて出た
なんかすごい臭かった
刑務所の臭い飯というのはこんな物なのかもと思った 安いからか知らんがかなりの頻度で出たかぼちゃフライが嫌で泣きながら食ってた
これのおかげで今でもかぼちゃが嫌いな食べ物の中で頭一つ抜けてる 揚げパンとかミルメークとか、関東(東京)"だけ"の流行りだろ?
旨いパンの多い関西ではまず出なかった(揚げパン)し、牛乳も旨かったからミルメークなんて必要無かった記憶
ちなみに、一番人気のデザートは"とくれん"という名のオレンジゼリー
徳島の農協連合?製のみかんゼリーだが"半解凍状態"で配膳されるゼリーは最高に旨かった ジャムに小ネタが書いてあった
チーターは時速100キロで走る。すごいね。
とな >>4
アイスクリームとかは平気?
なら、バニラエッセンス落とすと飲み易くなるよ
そこまでして飲まなきゃいけないものでもないけどw 丁度っていうか「おいしい給食」てドラマが放送されてるね、給食大好きでそのまま食べる
先生と色々アレンジして食べる生徒との攻防を描いた、複数のローカル局が協力して製作
してるの
これといった思い出は特にないが「ソフト麺」は鉄板かなあ 地域振興のための謎の特産品メニューがでた
でも、みかんパンは美味しかった 小さなクリスマスケーキを弟のために食べずに持って帰る定期 お子様味付けでそんなに美味しいとは思わなかった。
パンだけは美味しかった。地元のパン屋で今はもう廃業してるけど。 宮城で小学校は単独調理だったが、小正月には団子の入った雑煮が出た。 クラス1色っぽい子がバナナを加え込む瞬間を横目で盗んだね ( ゚∀゚)
( ∩ミ ほーら、デカンショねぎだよ
| ω |
し ⌒J 給食係の女子が渡り廊下を通る時に風で思いっきりスカートがまくれ上がったけど
両手が塞がってるからどうにもできずに中が丸見えになってた
ブルマだったけど 小学1年生のとき大根の酢漬けが食えなくて掃除で下げた机の中で一人食えるまで食器と向かい合う罰を与えられたこと
6限目の体育まで食べられなかったキャベツの芯を口の中に隠していたクラスメートがいたこと >>67
給食の白衣に濃紺ブルマのコントラスト。多感な時期に魂のハイライトシーンだね。
あのとき、あの場所で、あの時期のわすれられない人生の名場面。
大切にしてね! 東北の田舎から都会に引っ越して来て、学校給食がとても美味しいことに驚いた。それを残す人が居ることに二度驚いた。 シーフードスパゲティがクラス全員えづきながら無理矢理食うほど危険物だった
俺も一口入れてはお茶で流し込んだ
食べきるまで昼休みに入れない時代だったからな… 苦手なものは先生の目を盗んで分業して食べてたな
配膳に手心を加えれば良いと気づいたのは高学年になってからだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています