>>347
名古屋ネタで誤解されがちなんだけど、尾張は古事記ですら登場する重要な場所だったんだよ。
読みが「おわり(終わり)」であるように、旧大和王国の勢力圏の端で三河は「みかわ(未側)」。

木曽三川の整備が終わるまでは大河による恵みと被害の双方を得るところで、河川の氾濫が多い反面、ナイルの恵みと同じで良い土が運ばれ土地が肥沃で食料の一大生産地。
尾張を手にすることが”力の象徴”だった為に、熱田神宮には力の象徴である”草薙の剣”が奉納されてる。
ちなみに、昔は対岸と言える場所に京都で有名な祇園信仰の総本山である”津島神社”があり、こちらも”力の信仰”なのよね。

そういった背景もあって、食料に関してはかなーり重視されてるのが西尾張(旧中島群周辺)なのよ。
江戸時代に一揆が一度も起こらなかった珍しい土地柄なのも、単純に生産量が多かったから。