0001猪木いっぱい ★
2019/12/27(金) 22:09:34.05ID:Dl/NZK129ゲーミング産業においても、この間には紆余曲折がありました。
中国に返還されたとき、誰もがSTDMのカジノ営業権(concession)が2001年に失効し40年にわたる1社独占が終わることを知っていました。
すでに3つのカジノ営業権が発行されることが決まっていたのです。
もちろん、3つでは足りないという意見もありました。
2001年から2002年に行われたカジノ営業権の公開入札には21社が名乗りを上げました。ラスベガス・サンズは当初、ある企業との提携を模索しましたが、結局はギャラクシー(香港)と組むことになりました。
しかし、すぐに両者の間に意見の相違が生じ、2002年末に「二次ライセンス(subconcession)」というものが創出され、ラスベガス・サンズが設立したベネシアン社はギャラクシーの二次ライセンスを得たのです。
そして第2、第3の二次ライセンスが発行され、当初の「3社への営業権」は実質的に「6社への営業権」となり、それが産業の活況を創出することになったのです。
今ではほとんど忘れられているでしょうが、2002年当時、コタイ地区への投資に関心を持つ人はいませんでした。
当初のカジノ建設は旧マカオ(マカオ半島)で行われました。
これを一変させたのが2007年にコタイ地区に開業したマカオ初の統合型リゾート施設「ベネシアン・マカオ」です。これ以降、すべての事業者がコタイ地区で開発を始めました。
この間に、また別の大きな変化がありました。VIPゲーミング・プロモーターの急速な成長です。
2004年、一部のアナリストは多数のスロットマシンを備えたマス・マーケットの拡大を予測していましたが、反対のことが起こったのです。スロットマシンではなくバカラ(テーブルゲームの一種目)が大きく成長し、VIP客をカジノに連れて来て遊ばせるゲーミング・プロモーター(ジャンケット)の重要性が高まったのです。
それゆえバカラでの手数料に上限を設ける必要が生じました。
https://amusement-japan.co.jp/article/detail/10001520/
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解説:コンプライアンス無視のパチンコ業界に任せるとイカサマが蔓延ると予見される。
カジノ営業権をパチンコ業界に渡してはならない。