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【古代/邪馬台国】鬼道で邪馬台国を統一 古代の女王「卑弥呼」の正体とは?呉と蜀を牽制するための「親魏」という破格の高位の称号★2
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0001しじみ ◆fbtBqopam767 しじみ ★垢版2020/01/03(金) 04:39:52.13ID:5I/L7apq9
邪馬台国の女王・卑弥呼が、中国・魏の明帝に貢献の使者を派遣したのは、西暦239年(前年の西暦238年説あり)6月のことでした。「三国志」の名軍師・諸葛孔明が没した、4年後にあたります。

 その年の12月、卑弥呼は「親魏倭王」の称号を授けられました。

 これは3世紀の末、晋王朝の史官・陳寿が著した、有名な「魏志」倭人伝――正しくは「魏志」の「東夷伝」の「倭人の条」(1987文字)に出てくる記述です。

 さて、この女王・卑弥呼は、日本側の記録ではどのように述べられているのでしょうか。

■孝霊天皇の娘か


「日本書紀」の著者は、第15代の応神天皇の母・神功皇后と同一人物とみなしています。

が、皇后の本当の在世は4世紀の中頃であり、歴史的には約1世紀のずれが生じます。天照大神こそ、との説もありますが、これではあまりに時代が遠すぎます。

 筆者は第7代孝霊天皇の娘・倭迹迹日百襲姫命ではないか、と考えてきました。

「日本書紀」によれば、この姫は三輪(現・奈良県桜井市三輪)の大物主神の妻となり、八百万神を神浅茅原へ集めて、大物主神の意を伝えた、とあります。筆者にはこれこそが、日本最初の、統一の原景ではないか、と思えるのですが。

■開化天皇在位年と符合

 同時に、倭迹迹日百襲姫命が生きた時代は、姫の甥(姫の異母兄・第8代孝元天皇の子)とされる開化天皇(第9代)が在位した60年間とも重なります。ほぼ邪馬台国の女王・卑弥呼の、統治年数と一致するように思えてなりません。

また、開化までの、9代の天皇の御陵や宮址の伝承地は、ことごとくが葛城山麓に集まっていました。開化と次代の崇神天皇(第10代)の間には、地域的にも、呼称においても、大きな断層がありました。

 崇神天皇は一名を「初国知らしし御真木天皇」(「古事記」)=「御肇国天皇」(「日本書紀」)と伝えられています。はじめて国を作った天皇の意であり、ちなみに初代の神武天皇も「神倭伊波礼毘古天皇」=「始馭天下之天皇」(「日本書紀」)と記されていました。

 さらには、卑弥呼かもしれない姫の墓は、奈良県桜井市に今も、「箸墓」として伝承されています。筆者はこの墓こそ、卑弥呼のものだ、と推論してきました。

 彼女が現れるまでは、男の王が立って治めていたそうですが、国々は争い、乱れており、それが卑弥呼の“鬼道”(祖霊を信ずる道教的色彩の強いシャーマニズム)によって、邪馬台国(倭国)は、ようやく統一された、というのです。

■卑弥呼が「親魏倭王」になれたワケ

 卑弥呼は15歳前後で女王になり、30代で後漢と通じ、老年の239年に魏との国交を開いて4回にわたって使者を送り、10年後に79歳で死亡したといわれている。

 最初の使者派遣の際、魏の皇帝は卑弥呼に膨大な贈り物を与えた上に「親魏倭王」の称号とその地位を表す「金印紫綬」を授けた。「親魏」という破格の高位の称号は他の諸国の王の上に置かれたことを意味する。これを許されたのは卑弥呼と「大月氏国(だいげっしこく)」と呼ばれたインドの王の2人だけ。卑弥呼は実力以上の評価を受けたことになる。

 その理由は当時、魏が呉、蜀の2国と激しく戦い、競い合う三国鼎立(ていりつ)の時代だったことにある。魏は呉と蜀を牽制するために邪馬台国、大月氏国との同盟関係をアピールする必要があった。そうでなければ、小国の邪馬台国を実力以上に優遇する必要はなかったのだ。

https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/266/391/21f269693a9dc13923350d18afe352c320191217125251434_262_262.jpg


https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/266391
★1が立った日付2020/01/02(木) 09:22:22.1
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1577924542/
0005名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 04:56:56.77ID:84QwAFT10
お笑い邪馬台国九州説
邪馬台国九州説で有名な高島忠平氏は
「君は九州出身だ、邪馬台国九州説を主張する者がいないので、君がやってくれ」と言われて九州説を仕方なくやっている。
0006名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:02:51.82ID:7eHxTz/p0
 



>>1死ね、土人!

邪馬台国の卑弥呼とやらの時代だったら、朝鮮半島で
ちょっとした騒乱が発生しため、日本の神功皇后が、
『三韓征伐』を行った時代だ!



 
0007名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:03:59.10ID:7eHxTz/p0
 



>>1死ね、朝鮮人!

邪馬台国の卑弥呼とやらの時代だったら、朝鮮半島で
ちょっとした騒乱が発生しため、日本の神功皇后が、
『三韓征伐』を行った時代だ!



 
0008名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:04:27.58ID:7eHxTz/p0
 



>>1死ね、朝鮮人韓国人!

邪馬台国の卑弥呼とやらの時代だったら、朝鮮半島で
ちょっとした騒乱が発生しため、日本の神功皇后が、
『三韓征伐』を行った時代だ!



 
0009名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:04:43.83ID:sXiNlTjT0
この手の話って現代でいう帳簿上うまいことやってくれる係的な人が
大昔にはいない前提だよね
0010名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:06:42.02ID:7eHxTz/p0
 



>>1死ね、朝鮮人韓国人!

邪馬台国の卑弥呼とやらの時代だったら、日本の支配地
だった朝鮮半島においてちょっとした騒乱が発生しため、
日本の神功皇后が、『三韓征伐』を行った時代だ!



 
0011名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:11:43.09ID:7eHxTz/p0
 



>>1死ね、朝鮮人韓国人!

邪馬台国の卑弥呼とやらの時代だったら、日本の支配地
だった朝鮮半島において軽微な騒乱が発生しため、
日本の神功皇后が、『三韓征伐』を行った時代だ!



 
0012名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:12:38.57ID:Bj5qrUfN0
卑弥呼が日本書紀や古事記に登場しない不思議
0014名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:16:04.83ID:x3b+v1uIO
やっぱりコピペのスレ落としが始まってるな

畿内派は安倍サポと同根のカルトだな
0017名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:23:14.69ID:Sqr2yWDa0
記紀が書かれた時代、卑弥呼や台与について何らかの伝承があったはずだし、中国側の
文献は当然日本にも伝わっていたはずだから、日本側はバックレた、ということだ。つまり
当時の日本の王家にとって、卑弥呼や台与は、いてはいけない人物だった。
箸墓が卑弥呼の墓なんて、嘘に決まってる。牛馬がいないはずの邪馬台国時代の墓から
馬具が出土するはずがない
0018名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:24:12.09ID:XU4E2Yww0
人は記憶型と思考型に大別できる

魏志倭人伝に女王国までの距離が書いてある
九州が妥当だな

從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東到 其北岸狗邪韓國七千餘里
(狗邪韓國までの距離、7千里)

自郡至女王國 萬二千餘里
(女王国までの距離、1万2千里)
0019名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:24:18.80ID:riLKDZMW0
(丶´ん`)
0020名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:28:38.89ID:TPwb0iPv0
ネトウヨちゃん今度は卑弥呼でホルホルするの?
0021名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:30:34.91ID:48cjTeJM0
>>1
大和朝廷の成立は5世紀、卑弥呼の活躍年代は3世紀、どう考えても大和朝廷の人ではない。
0022名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:34:19.11ID:qEpRpp6Z0
そんな時代に近畿に文明はねーよ
0023名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:39:00.52ID:P3oMn3HU0
日本書紀は天皇家によって歪められた日本史やで
0024名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:43:08.00ID:QH3CQk7g0
ローマでは記録がかなりしっかり残ってるのに、日本は遅れすぎだな。。。。
0025名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:43:29.46ID:IeRPo7aU0
司馬懿のたまもの
0026名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:43:49.65ID:D9gg2HRl0
前974
刺青のことを日本でも古くから黥と言う。
当然魏志倭人伝には「刺青」などと書いてない
「黥」って書いてある。
>皆面黥面文身
さらに言えば異体字で「鯨」だからね
ここから見ればポリネシアン含めた南方海洋民族なのは明らか

https://i.imgur.com/UQnFuar.jpg
0028名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:46:14.82ID:x3b+v1uIO
>>24

ガリア戦記で言えば
中国からの日本はローマから見たガリアみたいなもんだからな
0029名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:50:45.59ID:D9gg2HRl0
>>24
そうでもないよ
ローマの記録ってハリカルナッソスのディオニュシオスあたりがポエニ戦争書いてるけど、
そのまえの共和制ローマになるとてんでわかんなくなる
その辺はトゥキデディスの戦史より後で、ハリカルナッソスのヘロドトスが歴史を書いたのより500年近く後の話
アトランティスも実在が怪しいしな

トロイの遺跡出なければ誰も信じてないおとぎ話
0030名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:57:33.88ID:EeudM3J30
甘寧に討伐されずに済んで良かったな

凌統に感謝しとかないとな
0031名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 05:58:26.18ID:kvY/A9LS0
>>2
日本の朝貢はあくまでも相手国への手土産でしかないのに対し
朝鮮の朝貢は冊封という中華帝国との君臣関係、政治的従属を示す義務的な献上品
つまり中華帝国の軍事侵攻や政治的圧力に屈した結果の朝貢だから
0032名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:01:10.60ID:iLHdBygQ0
魏朝内の政治力学が関係してるとも言われてるな。
皇族の元勲である曹真が(伝統的に金印格である)大月氏への授印を仕切った先例を模して、
その軍権を継いで帝位をもにらむ実力をおびた司馬懿が、折しも来訪した倭使を急遽格上げし
金印のセレモニーを催すことで皇族と同格に並ぶ威勢を朝廷内に示したと。
0033名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:06:24.90ID:HEqapfDw0
( ・ω・)( ・ω・)( ・ω・)
大分県日田市から卑弥呼の鏡が出るのは当たり前だし

日田はヒタ、卑弥呼の田だし
0034名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:13:40.88ID:7LTeledE0
国宝の金印が贋作なんだよ
0035名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:16:12.43ID:LXCWfwTp0
日本土着の縄文人は九州と東日本に住んでた
朝鮮人が近畿に移住してきて住み着いた
邪馬台国が東進し朝鮮人を討伐
その生き残り朝鮮人の子孫が今の大阪人

これでファイナルアンサーだろ
0037名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:42:01.58ID:E/cx4Vva0
昔、2CHで

鬼に委ねた国で「魏」、人に委ねた国で「倭」

というのを思い出した。
0038名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:44:34.15ID:fH1LM0vA0
卑弥呼のお告げとかいう株式売買ソフトを北浜流一郎が出してたな
0039名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:45:12.58ID:sl9+2sIc0
青銅器文化を隠蔽してる
記紀に正当性はない
唯一長脛彦を討伐した記述のみ
0040名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:46:16.32ID:AE1Iiw8Q0
>>22
出た、出たよ、何でも韓国発祥にしたがる低能民族。
0041名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:49:22.13ID:5d2z6XWv0
>「日本書紀」の著者は、第15代の応神天皇の母・神功皇后と同一人物とみなしています。

ダウト

>ほぼ邪馬台国の女王・卑弥呼の、統治年数と一致するように思えてなりません

思えません

>男の王が立って治めていたそうですが、国々は争い、乱れており

つまり開化(崇神)までは争い乱れていたというわけですね?
0042名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:51:44.70ID:5d2z6XWv0
>>17
500年前のことが詳細に伝わっているかどうかは疑問だがなあ。
「女王がいた」ということくらいはあるかもしれないが。
0043名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:52:44.38ID:5d2z6XWv0
>>23
天皇家というか藤原(中臣)家ですね
0044名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 06:58:21.86ID:5d2z6XWv0
>>28
それこそガリア戦記の中のブリタニア以下だよな
0045名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:01:58.57ID:J52t7WMZ0
まだ倭迹迹日百襲姫命とか言ってるの?
むりやりこじつけてるとしか思えない。
0046名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:03:42.89ID:7d2YP0ZC0
ここで日本人根絶してれば今頃人類は火星に行くぐらい発展してただろうな
0047名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:04:59.83ID:311yS83r0
もう、バカ
歴史家かって、魏志倭人伝が唯一絶対正しいって前提でしか話をしないのな
それしかないのに…
歴史なんて、そんくらいいいかげんなものだ
鎌倉幕府がいつ開かれたかで今になってもめるのも、分かるだろうよw
所詮は、歴史家名乗ってる奴の匙加減なんだよwww
0049名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:16:27.78ID:4TaNIvgu0
中国の歴史書がいちいち日本のことについて忖度したり嘘をつく必要性がないので一番信用できると思う
日本の歴史書は大和朝廷の正当性を裏付けするためのものだから
0050名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:16:37.40ID:CoSZALti0
卑とゆう漢字は 中国系が侮辱の意味をこめて 付けた称号だよw

「日巫女」だよ
日の巫女さん

日本の古代女王のこと
ココ日本だからw 中国じゃないからw
0051名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:22:11.41ID:CoSZALti0
>>46
被爆者になりながらか?
一回限りの片道切符
火星へ行くまでの被爆量に耐えられるのは
それに、本当に逃げたいのなら、太陽圏の外へ出ないとな
逃げられんよ?
逃がさないしな
0052名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:23:46.22ID:J52t7WMZ0
>>■孝霊天皇の娘か

なんで天皇ではなく娘が親魏倭王の称号を貰えるわけ?
知ってる範囲の狭い文献の中でしか考えられない文献読みの
小利口の大馬鹿野郎そのものだわ。
0053名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:35:24.04ID:G+rYG9/N0
百襲姫→ももそ姫→百十姫だろ
五十いそより大きく見せたいだけの名前
卑弥呼は福岡県田川郡と大分日田の境目あたり
この日本史スレに書いてある
http://n2ch.net/r/-/history/1563587141/794-?guid=ON&;rc=794 
0055名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:38:23.68ID:k6C8YD0Y0
当時でも九州に行くのは時期さえ間違えなければ楽勝でそこから瀬戸内海航海して近畿に行くのも楽勝 なのにその記述は無い 行かなかったからな
0056名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:43:27.31ID:0MmfFnQM0
鬼「鍛えてますから」
0057名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:43:46.33ID:Z8rNTx800
卑弥呼は男だった
0058名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:46:36.13ID:YBefucjc0
九州の土着の女王が
ヤマトに対抗するために魏から称号貰ったって聞いた
0059名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 07:48:30.88ID:B+vtnGr00
何が卑弥呼だよ。
日本人がそんな屈辱的な名前呼ぶなよ。
姫御子に決まっとろうが!!!!
0062名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:11:05.26ID:O4P6uOFd0
>>21
大和朝廷の成立の前に天皇って存在しなかった?
0063名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:17:30.30ID:HEqapfDw0
( ・ω・)( ・ω・)( ・ω・)
日を観る巫女

火を観る巫女

ヒミコ

特殊な予知能力があったから

中国から一目置かれたんだよ

馬鹿が
0064名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:18:25.40ID:HEqapfDw0
( ・ω・)( ・ω・)( ・ω・)
火を観て予知してたシャーマンだから

ちかくに火山があることが基本なんだよ

馬鹿が
0065名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:20:14.91ID:HEqapfDw0
( ・ω・)( ・ω・)( ・ω・)
豊前や豊後は地つづきなのに

肥前肥後は地つづきじゃない

火日卑肥全部同じだよん
0066名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:21:07.49ID:HEqapfDw0
( ・ω・)( ・ω・)( ・ω・)
大分県日田市がヒミコの出生地

朝倉に移動

阿蘇に移動
0067名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:22:23.03ID:HEqapfDw0
( ・ω・)( ・ω・)( ・ω・)
阿蘇の風景をみれば

ここが山と台の邪馬台だとわかる

もちろん中津には耶馬溪もある
0069名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:40:19.79ID:dWRp4Czk0
もともとは有明海沿岸が全部肥国
筑紫国とは筑後川で別れていたが
鳥栖付近には明確な国境となる基準線がなく
吉野ヶ里の首のない遺体のように
戦が絶えなかった。

景行記や玉垂宮縁起から推測すると
筑紫軍が筑後川を下って
久留米大善寺へ侵攻。
大善寺玉垂宮を築き拠点とする。

続いて、上津荒木をさかのぼって
上津の高良台へ侵攻
上津天満宮となる。

そしてついに高良山を奪取し
仮宮を築くことに成功。
高良大社となる。

これにより筑紫国は筑後中心部を
確保することになり
広大な平野は「筑後」となった。
0070名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:48:24.74ID:f8M+ekN70
>>31
これは冊封だよ
印綬を貰って倭王に封ぜられてるんだから

冊封体制外だとホルホルするなら遣隋使以降にしろ
0071名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:49:03.51ID:dWRp4Czk0
肥と筑紫の筑後侵攻は筑紫の勝利に終わり
肥は筑紫に従属する。

完全な支配ではなく、半独立のような状況らしい。
後に軍を率いて肥後を周り
睨みを効かせているからだ。
「潰しはしないが言うことは聞けよ」
というところだろう。

これにより奪取した筑後と従属した肥から
莫大な食料が供給されることになる。

これをもとに東九州の豊前に侵攻。
南に進んで日向、大隅を飲み込んだ。

ここに来て九州の統一が終了する。
0072名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 08:49:32.95ID:7ThceYg60
>>邪馬台国、大月氏国との同盟関係をアピールする必要があった

距離ありすぎて役に立たないだろw
0073 【大吉】   【81円】 垢版2020/01/03(金) 08:57:37.63ID:VoN7AzVq0
卑弥呼いや姫御子は

艶のある黒髪パッツン美少女で歌って踊れる才知溢れる神秘的な風貌

そんな人だったと俺的には信じてる
0074名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:00:47.43ID:khfVRPuT0
公孫氏を滅ぼしたお陰で遠い倭国から朝貢にやって来たと司馬仲達が手柄を強調するためとか
魏の皇帝の徳の高さを他の二国に誇って見せるためとか
0075名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:05:02.23ID:S+sbAd4G0
「邪馬台国」は日本国とは関係がない国だから教科書から削除していい。
0076名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:13:06.23ID:l+/fbAfA0
>>47
鎌倉幕府の話は単なる解釈の問題。
そもそも、頼朝は「幕府を開いた」なんて考えてるわけでも何でもない。
また、いつ開かれたかというのも、別に今になって揉めているわけでなく、昔から論争になっていた。

あとは、魏志倭人伝が全て正しいなんて考えている歴史家なんていないと思うぞ。そもそも、記述通りだと海の上に邪馬台国はあるわけで。
0078名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:15:54.78ID:5d2z6XWv0
>>62
厳密にいうと「天皇」は天武あたりかららしい。
それ以前は「大王」で大和朝廷成立以前は「王」だろうね
0079名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:17:20.79ID:bxNtla9W0
> 卑弥呼は15歳前後で女王になり(略)
> 79歳で死亡したといわれている。
誰が言うとんねん
0080名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:17:22.35ID:5d2z6XWv0
>>76
ていうか、そもそも一里が何mなのかもはっきりしてないんじゃ
なかったけか
0081名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:17:24.57ID:91R2gAyr0
司馬懿がライバルの曹真牽制で親魏倭王とされたんだろ。
呉と蜀を挟み撃ちにできる大国だとのブラフ。
0082名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:18:18.62ID:doJMvp7z0
>>1
日刊ゲンダイでもまともな記事を書くことがあるのだww
0083名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:23:07.78ID:DTfRShoJ0
>>1
>>50
卑弥呼=日の巫女

太陽信仰が日の巫女のトレードマークであり、
その土地の出身のカリスマの巫女に他ならない

その土地は日の国だ

太陽信仰をよくするのは、卑弥呼=日の巫女=天照大神の独創ではなく
その土地自体が日の国と呼ばれるくらいにその信仰が盛んだったことを意味する

縄文の古い時代から伝わる信仰形態を宿した土地
日本神道の祖形であり
日の国と呼ばれた土地
そこで特別な霊格を持った日の巫女として皆が認めた女性

その人こそ
魏志倭人伝の伝える卑弥呼=日の巫女=天照大神だ

彼の人が生まれ育ち活動した場所
そこがすなわち邪馬台国
0084名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:27:56.62ID:QJOat/Vw0
>>34
現在、金印が本物である可能性は100%だよw
0085名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:30:23.74ID:bxNtla9W0
先に蜀を何とかしたい北伐を何度も防いだ曹真の息子曹爽
先に呉を何とかしたい公孫淵の乱を鎮めた司馬懿

確かに倭国を厚遇したの司馬懿ぽいな
呉を攻めるのに倭国を利用しようと考えた
沖縄台湾辺りにあると間違えられてたので呉を挟み撃ち
0086名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:31:26.91ID:HnECr/jA0
輪廻転生がホントにあるんなら卑弥呼の生まれ変わりは誰なんだろう?
0087名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:33:09.60ID:QJOat/Vw0
里数の行程と日数の行程は同じ行程を距離と時間で二重に解説したもの
投馬国は朝鮮半島南岸、邪馬台国は九州北部、狗奴国は九州南部
女王国は伊都国と奴国のこと
対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不予国、傍國は邪馬台国の内部の都市国家

これを踏まえて魏志倭人伝を読めば魏志倭人伝の内容が容易に理解できる。
0088名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:34:13.37ID:5d2z6XWv0
ふと思ったのだが、元々の太陽神は安曇族なんかの海洋系の人たちの
神様なのではないか。
0089名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:35:04.35ID:Uk8pVjcm0
つまり日本は中国の属国だった
ネトウヨには不都合な真実だけどいい加減ネトウヨは真実と向き合えよw
0090名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:36:25.13ID:DTfRShoJ0
>>1

日の国とは火の国であり霊の元津国
天照大神の生まれた場所、活動した場所、そして没した処
それは
肥前(肥後をも含む)、筑紫、甘木・朝倉、博多、伊都、志摩、
そして、邪馬台国は広域の北部九州に他ならない
0091名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:38:20.98ID:L09mL+p10
>>52
その頃は、まだ「天皇」は存在せず、天皇家の先祖は「大王」(王の中の王)ではなかったんだよ。
記紀と古墳を見ても、崇神天皇の頃に力が大きくなったと思われる。
だけど、それでも「絶対的権力」ではない。
同規模の古墳が他にもあるからな。
4世紀+アルファの100年余の間で、200m超える大王墓が10個はあるからな。

女王の墓と男王の墓かもわからんが、ともかく「絶対的権力者」ではなかった。
0092名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:40:01.09ID:O7iVGo2E0
記紀に邪馬台国や卑弥呼が全く登場しないのは不自然だよね
編纂当時の日本人なら魏志倭人伝を読める環境があったにも関わらず

やっぱ意図的に隠蔽したとしか思えないな
その上でそれとなく神功皇后に同一視させるようにミスリードした
なぜかと言えば卑弥呼と邪馬台国の存在が万世一系や大和朝廷の正統性に矛盾するからだろう
0093名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:40:51.21ID:J5ZuBIxO0
おすすめのヒミコ漫画おしえて
教育系でもいい
0094名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:42:58.62ID:mSRx6V+KO
読んでてゾッとした 朝廷が統一する前の天皇関係無い時代の話だろこれ
0095名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:43:00.59ID:QJOat/Vw0
>>92
記紀を編纂した時期が大和政権の成立した時期なんだよな
実際には701年に成立したと考えられてる。
0096名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:44:01.37ID:DTfRShoJ0
>>89
それはないな
属国ではない
中国は交易なり情報収集はしていたが
とても争いが絶えない権力を振るう君子ですらコロコロ変わるような国だと知っていたからね
すごい警戒の対象だ

ましてや
朝鮮は日本に庇護を求める百済等もいたが大半蛮族、敵であったしね
0098名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:45:28.41ID:Gw6napuo0
魏に朝貢した意味を知りたいよな。
日本ではずっと中国南部との繋がりが強いのに
日の巫女さんだけ北部の魏。

日本の伝統として普通は長江域だろ
0099名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:46:01.18ID:khfVRPuT0
日本書紀の神功皇后のところで卑弥呼が中国に対して朝貢したことだけ書いてある
0100名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:47:03.67ID:QJOat/Vw0
>>96
漢、公孫氏、魏、晋と中国大陸と朝貢貿易を続けていたんだな
0101名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:50:00.75ID:QJOat/Vw0
>>98
晋が南に移ってから中国南部との繋がりが強くなった
漢民族の国家が南朝だから。
0102名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:50:27.56ID:F9Z1bS7Y0
>>12
そりゃ勢力いいときでも四百くらいの中堅までもいかない
周囲に圧迫され滅亡の危機だったのでそっちでも最悪生き延びれるんじゃないかと半数持っていった
後に吸収した集合離散繰り返してた弱小部族なんかいちいち書いてられないから
ただでさえ自分等より先に史書にのられたって負い目もあるのに
0103名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:50:36.45ID:L09mL+p10
「卑弥呼」というのは一人ではないのかもしれんな。
姫巫女であり、トヨのことが「卑弥呼の宗女」と出てくるあたり、偉大なるシャーマンの
家系の娘がそれを受け継いでいたのかもわからん。
魏志倭人伝に出てくるのは、「その時のヒメミコ」であり乱を収めたときの人とは
別人かもわからん。女王を立てることが重要だった。

古墳は、何代かの「女王」の墓が含まれていて、天皇家は「女王」がいたことを
知られたくなかったか、あるいはそれは天皇家の人間じゃないから誰なのかわからなかったか。
あるいは、天皇家にとっては単に「大王の妻」としか伝わっていなかったのか。
0104名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:51:24.38ID:DzTrLq3d0
曹操の魏だよ

日本人も三国志に参戦できて

誇りに思う

卑弥呼かどうか知らんけど倭国から贈られた傭兵(奴隷)だけどな
2世紀には既にテヨンコの日本支配は確立していたのだ
0105名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:53:41.11ID:zEybeZzU0
卑しい弥生と呼ぶ
魏が嫌いになった
0106名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:53:53.60ID:7sBvaRK30
邪馬台国以外の国も中華の後ろだて求めたのかな
0107名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:53:53.67ID:DzTrLq3d0
安倍は集金ペに傭兵を送るのか?
0108名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:54:08.34ID:Gw6napuo0
>>89
まあそりゃ中国は、特に古代中国は
やはり偉大な国だからね。日本は何もかもを中国から教わったと言ってもいいくらいだ。

朝鮮人なんか今も昔も相変わらずゴミで、新羅の時には名前を中国風に変えて中国人のフリをするし、
高句麗は満州人の建てた強大な国だったが、それが滅ぶと朝鮮人のくせに満州人の末裔だと詐称して
「高麗」とかいう詐欺みたいな名前の国を作ってる。

今も昔もコウモリで、たまに日本に来て荒らし回るだけの
歴史的には何の意味もなく何の文明もないゴミ国家だったよな
0109名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:54:42.67ID:KnLz0lU60
日本人の大好きな三国志
たぶん日本人初の詳細な記録の魏志倭人伝
偶然の一致か?
三国志は光栄のおかげだと思うが。
0110名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:57:06.48ID:IjwpyQIC0
>>98
半島経由ルートだと帯方郡楽浪郡を接収した魏にたどり着くのが自然じゃね
0111名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:57:43.56ID:CSAjUTyr0
この時代の倭国には渡来系の氏族もたくさん渡ってきてるからルートは確立してたんだろ
伊都国のあった糸島近辺には渡来人である天日槍が祀られている
0112名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 09:58:02.80ID:QJOat/Vw0
>>12
記紀は8世紀に成立した大和政権の正当性を高める為に書かれた書物であって
歴史書ではないんだよ。
0113名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:00:18.78ID:O7iVGo2E0
>>99
ちょっと違う
卑弥呼とも邪馬台国とも書いてない
魏志によれば、という前置きしているにも関わらずわざわざ「倭の女王が」とぼやかして書いてる
引用であるならそのまま引用すればいいのに

記紀を編纂している時点で魏志倭人伝の内容が都合悪いということに気が付いたけどなにしろ中国の書だから無視する事もできず、
苦肉の策として架空の神功皇后という人物と同一視させるような曖昧な引用にしたんだと思うよ
0115名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:01:54.21ID:DzTrLq3d0
現在のマスゴミの書いたものと日本書紀の記述は全く同じ

お金くれる人のために書く

サンゲーとか自発的に書くバカもいるけど あれは出生に関係する
祖国は別の豚がやってるため
0116名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:02:26.83ID:IjwpyQIC0
漢委奴国王は安曇族の王様で、倭国大乱で敗北したから一族のツテを頼って奈良の山奥まで落ち延びたんだよ
0117名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:03:53.59ID:U9gWeN4t0
>>50
そもそもヒミコって読み方は何が伝えてるの?卑弥呼を勝手に日本語で読んでみただけじゃないのか?
0118名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:04:02.63ID:DTfRShoJ0
>>88
海洋系に間違いない

吉野ヶ里に貝の腕輪をした少女が葬られているがその貝は沖縄以南でしか採れない種類の貝だ
その少女は将来は
日の巫女になるような巫女の卵だったのかもしれない

他にもたくさん
海洋系であること
日本人は海洋民族である証がある

日本の祖形は大陸や半島のものではないね
南だ
0119名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:05:22.43ID:SMlfmP1y0
逆に呉と蜀を牽制できるほどの力が日本にあった証拠になってるな。
0120名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:05:47.77ID:DzTrLq3d0
三国志に出てくる日本兵は
顔まで入れ墨だから

太平洋民族である

つまり人食い
0121名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:06:08.99ID:L09mL+p10
>>99
誰かわからなかったのだろうな。
だから「女王」のような人を探したら、神功皇后しかいなかったから「これ?」みたいな
メモ書き程度の扱い。
まあ、あり得るのは卑弥呼は天皇家の人間ではなかったということだ。
だから、誰なのかわからなかった。

巫女の家系で、当時大きな力を持った一族でとくると、非常に限られるな。
少なくとも崇神以降数代に渡ってその一族を取り込まなければならない。
そうしないと争いが起きるからな。
取り込む最良の方法は、「政略結婚」することだ。
そして、その一族の娘との間にできた子が後継者になれば争いにはならんだろう。
0122名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:06:43.69ID:DzTrLq3d0
ひとをたべてはいけないという

ありがたい教えを持ち込んだのが

古代朝鮮貴族である
0123名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:08:19.70ID:DzTrLq3d0
だけど安倍とか天皇とかは別の部族

天皇族は11世紀ころ

安倍族は17世紀後半である(岸の職権乱用による調査の結果)
0124名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:11:23.66ID:DzTrLq3d0
朝鮮半島は平壌平野以外はほとんど山岳なので

海岸に住む部族はすぐ食いっぱぐれて日本を侵略する

だから部族間闘争は日常なのである
0126名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:12:38.97ID:DzTrLq3d0
生産性の問題もあるが聖徳太子など日本総督府はよく続いたほう
0127名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:13:49.25ID:bxNtla9W0
天皇の食事係(膳部かしわべ)だった高橋氏と安曇氏は
儀式での列の並び順でもめるんだよね
どっちが上かずっともめてたんだけど問題化して
桓武天皇が高橋氏の肩を持って安曇氏は政権中央から失脚する782年
0128名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:15:42.08ID:DzTrLq3d0
京都や奈良盆地よりもっとずっと狭いんだよ

朝鮮いけよ ソウルでライフルばっかり撃ってないで
0129名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:15:42.26ID:XU4E2Yww0
>>18 の続き

放射読みだとスッキリする

帯方郡─狗邪韓国─対馬国─一大国─末廬国─伊都国─奴国─不弥国
 ├──────────投馬国 
 └──────────邪馬台国 
0130名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:16:09.98ID:6Na8PUOj0
つまらん
0131名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:16:47.58ID:IjwpyQIC0
ちなみに安曇族は対馬海峡挟んで半島南部も勢力範囲にしていたから
異民族との混血が進んでる一族で、これが弥生人の祖となった
安曇族と弥生人(縄文人の混血)はイコールと言ってもいい
弥生人の分布範囲は安曇族の勢力範囲と等しくなるだろう

安曇族=弥生人=ヤマト王権=漢委奴国王の勢力

一方、卑弥呼の邪馬台国(親魏倭王勢力)は漢委奴国王が近畿で力を蓄えたのちに
土蜘蛛として討伐されてしまった
0132名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:18:00.31ID:DzTrLq3d0
とりあえず江戸中期まで海続きだった琵琶湖の大津から鳥羽まで歩け

古代朝鮮人が何考えてたかわかる
0133名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:18:10.71ID:CSAjUTyr0
海運を担った安曇氏には畿内に安曇江という根拠地もあった
住吉の神は元々博多だし北部九州から畿内のルートは結構早い時期にできていたんだろう
0134名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:18:35.72ID:Gw6napuo0
>>118
当時の土着の日本人が海洋系、島から島へ渡ってきたことは
ヒスイを宝物としてるところ、
身体中に入れ墨入れまくってたところとかあるし確定だよ。背丈格好が東南アジアっぽい奴いまだに多いよな。

稲作はジャポニカ米の原産が大陸南部で決まってるから
長江らへんの中国人が伝えたもので確定。そこから中国南部人が日本に国を作った流れが自然だと思ったが、
ヒミコは中国北部の魏に朝貢するし、
太陽信仰とか占いとかモロ土着の日本人って感じのことしてるから日本で土着人と渡来人の勢力は
ヒミコの時代は入り組んで対立せずに混ざってる感じだな。

恐らく銅鐸と古墳が突然消えたあたりに何かあった。むごたらしいストーリーが
0135名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:19:23.29ID:DzTrLq3d0
朝鮮系人のイチャモンは受け付けない
0136名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:21:08.39ID:CSAjUTyr0
卑弥呼は丹波の古文書にある通りモモソ姫なのだろう
この時代の倭国では祭祀を司る女性の斎王が力を持っていたということ
0137名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:21:33.58ID:WpJvbj9t0
【魏志倭人伝】
倭人(日本人)は、帯方の東南の大海の中にあって、山と島で国をなしている。
もとは100国余りあった。漢の時代に、漢の王に使者を送った者がいる。今は使者や通訳の行き来するところは30国ある。
帯方から倭(日本)に行くには、海岸にそって航海し、韓国をへて、南や東に方向を変えて、狗邪韓国の北岸に着く。その全行程は7000里余りである。

(解説)
帯方とは韓国の仁川付近
狗邪韓国は後漢書の記述によると日本の最西端との事で、韓国にある国ではない事から薩摩半島を示している。

つまり、仁川から島伝いに九州に航海すると、丁度薩摩半島の北岸に着く。
0138名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:22:24.55ID:dfUsWzue0
司馬懿が陸遜に制止されずにそのままヤマトを、攻めてくれてたら記録に残ったかもしれない
0139名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:23:36.44ID:DzTrLq3d0
>モモソ姫

超エロいんだけど
0140名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:24:00.07ID:L09mL+p10
>>98
この時代は三国時代で、魏が建国されたのが220年。
蜀は内陸だから別として、呉は最初は魏に臣下の礼を取っていた。
孫権は魏の曹丕に対して臣従し、呉王に封ぜられる。

後漢の献帝から禅譲されて皇帝になった魏と、その諸侯になった呉では扱いが違った
のだろうな。正当性がある国と反乱を起こして独立した呉。
0141名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:25:05.49ID:QJOat/Vw0
>>114
漢委奴國王の印は個人に贈られたものではなく倭奴国に送られたもので倭国の王の証
代々倭国の王が漢から正式に任命さらた王の証として所持していた
漢が滅び魏が興り、新たに親魏倭王の印を拝領したので不要となったもの。
0142名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:25:47.32ID:DzTrLq3d0
ももみたいにそそるという意味に違いない
0143名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:27:35.83ID:Gw6napuo0
さすがに
ヤマトこくの日の巫女って名乗っておいて
後のヤマト政権と無関係ってことはないだろ。ヒミコの子供か孫のトヨが明らかに神功皇后のモデルっぽいし
0144名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:27:54.82ID:DzTrLq3d0
>「禅譲されて皇帝になった」魏


三国志演義でさえも そんなふうに書いてない
0145名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:28:46.72ID:DzTrLq3d0
ID:Gw6napuo0<=まだ明治政府に騙されてるやつ
0146名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:29:31.90ID:CSAjUTyr0
丹波、吉備、播磨近辺は天日槍の伝承が多く残っている地域。天日槍を秦氏に比定する説もあるけど、まぁどっちにしろ半島南部から北部九州ー畿内あたりまでは早い時期から頻繁に行き来していたようだ
0148名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:30:04.10ID:QJOat/Vw0
>>129
12000里行くのに水行20日、水行10日、陸行1日(月)掛かるんだよ
距離と時間で二重に説明しているだけ
帯方郡─狗邪韓国─対馬国─一大国─末廬国─伊都国─奴国─不弥国─傍国
帯方郡─投馬国─邪馬台国。
0149名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:31:18.92ID:O7iVGo2E0
>>119
それはまた違う
そういう幻想を抱かせる要因であったのは確かだろうが
実際に中国を牽制出来る力は無かっただろうね

有名な話だが当時の中国人は日本列島が九州から南に伸びてると思ってたんだよ
東北が台湾の隣に来るような格好だな
これだと地理的に呉の牽制になるだろう?
0150名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:31:22.45ID:QJOat/Vw0
>>147
どんな理由で?
日本にプレゼントした物だろ?
0151名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:32:22.24ID:CSAjUTyr0
桃にしろ鏡にしろ当時中国で最新の祭祀だった初期道教の影響が指摘されている
五斗米道や太平道の影響も指摘されているが、山東半島ー朝鮮南部経由で戦乱を逃れた多くの人が流れてきたのだろう
0152名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:32:51.68ID:KhrwQhso0
>>148
びびって、大嘘ついたんじゃねーのか
ちゃんと教えたら、大国に攻め込まれるかもしれないじゃん
0153名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:33:36.52ID:DTfRShoJ0
>>124
>朝鮮半島は平壌平野以外はほとんど山岳なので
>海岸に住む部族はすぐ食いっぱぐれて日本を侵略する
そういうことはないね
外洋に出て行く技術もまったくない
あったのは
彼ら同士で蛮族の戦を繰り広げていたんだね
古代の朝鮮半島は
争いの絶えない中国本土に近いというのもあるし、北朝鮮は匈奴とも近い
そういう場所なんだよ

しかし中には
倭国に近い、中国にも近い、そして教養と信仰心のある百済などは日本にとても庇護を求めていたのね
倭国の衛星都市任那も存在した
だがそれも白村江の戦いを終止符として

半島南端の日本府は撤退した
そして百済は惨殺され滅亡するのだけれどもね

「食いっぱぐれて日本を侵略する」
それは今の話だなw
食いっぱぐれてというよりいろいろ悪意を持って
0154名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:33:45.16ID:mOqSNqhS0
黄巾の乱や徐州虐殺から逃げた人も多いだろうし、一部は海を越えたのかもしれないね。
0155名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:35:01.49ID:IjwpyQIC0
>>143
むしろのちの近畿ヤマトこそが親魏倭王の邪馬台を背のりした

↓初代親魏倭王の卑弥呼死亡
↓後継者争い勃発
↓近畿の漢委奴国王が倭の王様に立候補
↓倭国大乱の負け犬に用はないと支持集まらず
↓どこぞから13歳の女児を連れてきて卑弥呼の親戚だと主張
↓近畿に2代目親魏倭王の傀儡政権が誕生してヤマトを名乗る

という流れ
0156名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:35:19.01ID:QJOat/Vw0
>>148
追加

12000里行くのに水行20日、水行10日、陸行1日(月)掛かるんだよ
距離と時間で二重に説明しているだけ
帯方郡─狗邪韓国─対馬国─一大国─末廬国─伊都国─奴国─不弥国─傍国
帯方郡─投馬国─邪馬台国

12000里は女王国(伊都国、奴国)までだから
水行20日、水行10日、陸行1日(月)も邪馬台国の中心地の女王国(伊都国、奴国)までの時間。
0157名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:35:19.61ID:CSAjUTyr0
道教の場合三種の神器は剣、鏡、玉璽だが、日本では玉璽が古来の勾玉になったようだな
0158名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:36:44.38ID:l5TOnrrn0
古いな〜、曹操級の鏡は九州だろう。
もう畿内説は終わってるよw
0159名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:38:15.91ID:KhrwQhso0
中国は、どうしようもないやつらだな
統一したとおもったら、すぐに分裂して
戦争ばっかりしてるじゃん
0160名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:39:11.10ID:GqW0feZM0
室町時代には寺社勢力が大量の宋銭を輸入してたし、宗教組織が魏と朝貢貿易したと考えたら分かりやすい
卜や祭祀はお金も掛かるけどそれなりの見返りも有り専門の役職まで有る
神社が日本に多いのは祭祀によって土地を治めていた証左でもある
卑弥呼という卜術プレイヤーが当時の日本でカリスマを得ていたことは確かだろうけど彼女が統治者かどうかは疑問がある
王様自らが民を惑わし臣従させるなんてあり得るのだろうか
天草四郎も反徳川の残党に担ぎ上げられたのが歴史的には妥当だろうし、卑弥呼も権勢を持っていただろうが利用されていた側なのは間違いない
0161名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:40:30.58ID:CSAjUTyr0
鏡の出土分布は紀元前後の北部九州から、卑弥呼の時代には畿内中心へと遷移している
倭国の中心が北部九州から東へと遷移した理由はわからないが、少なくともヤマト王権の頃には完全に中心が畿内になっている
移動した理由は諸説あるが、弥生末期の人口爆発を賄える土地を求めて移動したのだろう
0163名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:43:15.19ID:mUkOLqTN0
唐の祖である前魏、西晋を否定するわけにはいかんので記紀で倭の女王だけは抹消できなかった
0164名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:48:37.76ID:bxNtla9W0
倭迹迹日百襲姫 こじつけるよ
倭 ヤマトの
迹迹 あとのあと つまり3代目
日 太陽の
百 たくさんの
襲 上着を持ってる
姫 ひめ

伊都国の平原遺跡の女性が
鏡を使い始めた巫女の初代か2代目で
卑弥呼は鏡の巫女の3代目だと思うんだよ

魏から白絹五十匹をもらうし
蚕を飼って生産もしてた>蠶桑 緝績出(魏志倭人伝)
卑弥呼が鏡で太陽光を反射させて
自らも光沢のある絹の服を着ていてそれが何着もあって
儀式のたびに着替えてたおしゃれさん

妄想だけど否定する物的確証がないパターンのやつ
0165名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:49:22.74ID:KhrwQhso0
今も昔も数字を盛るしよ
あんな時代に100万の軍勢の戦いなんて
あるわけないしw
0166名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:50:24.34ID:czZhjvDy0
九州北部に邪馬台
南部に狗
岡山にモキビ(鬼退治の)
島根にも

そして大阪か奈良に、ヤマト★

★が上すべてをぬっころして平定
故に邪馬台の入れ墨文化は断絶

こんな感じ?
0167名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:51:15.54ID:S+sbAd4G0
>>150
金印は中国の物だから。
だけど、日本が中国の属国だった証として持っていてもいいと言う人もいる。
0168名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:53:46.73ID:czZhjvDy0
>>158
大和政権が、ヌっころした邪馬台の鏡などお宝を全部奪い取って奈良へ運んだのでは?
0169名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:53:48.51ID:DTfRShoJ0
>>159
戦争・・・
戦争もね
我々の認知する正々堂々の戦(いくさ)とかではないのね

残虐非道の限り、蹂躙尽くし、略奪し捲くり、大殺戮、奸略、スパイ・・・


古代からね
そういう土地柄であり民族性だったのね

凶悪凶暴そのもの残虐非道といっていい
今のチベットやウイグルに対する扱いね

中国は今を見てもよくわかるし、
100年前も500年前も1000年前も3000年前もそうだ

我々が認知する戦争の形態ではない阿鼻叫喚を繰り広げるのが中国なんだよ
0171名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 10:55:58.00ID:CSAjUTyr0
伊都国については怡土の県主イトデが神功皇后を同じ天日槍の末裔として歓待している
北部九州と初期ヤマト王権は血縁を含めて何かしら関係があったのだろう
0172名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:00:27.80ID:czZhjvDy0
811 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2020/01/02(木) 22:36:29.14 ID:i6HLk3lp0 [5/10]
> 邪馬台国から大和政権の間の空白は邪馬台国は琉球であり、大和政権とは別とすると辻褄が合う。
> 大和政権とは百済王国の亡命政権。

最新技術をもつ百済が大和政権と考えれば、
渡来人の政権だから、その由来を消したと考えると説明が付く。
また、その大和政権に、百済観音像とか聖徳太子の座像よう容貌が半島人っぽいのも、
そして、藤原氏、、、何から何までしっくりくる
0173名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:01:54.15ID:czZhjvDy0
818 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2020/01/02(木) 22:43:22.82 ID:TGf0xtt+0 [20/23]
> 「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」邪馬台国の風習の名残が全く天皇家に残っていないでしょ?
> それがすべて。

入れ墨が途絶えたのも説明が付く
0174名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:03:23.89ID:QJOat/Vw0
>>171
神武が東征に出発した日向が伊都国の東の端の日向峠だからな。
0175名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:04:06.66ID:MtzGAnV+0
祖も天皇家は朝鮮人の移住政権

それ以前の奈良盆地の豪族とすら関係あるかも怪しいわな
0176名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:07:51.77ID:H1mXgjsf0
呉も日本と接触しようと東方に向かって1万の軍隊を派遣してるんだぜ
まぁたどり着けなくて、軍隊は壊滅して台湾あたりから3000人くらい攫ってきただけだけど
0177名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:13:28.38ID:eJrhIRmS0
武内宿禰1号 3号 3号
神功皇后1号 2号 3号
0178名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:14:11.18ID:DTfRShoJ0
>>175
字間違ってるぞ
0179名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:18:02.59ID:wk1HrQg/0
>>167
その中国のものだからって論法がホントに中国人らしいが、本当に中国人てのは卑しいね
0180名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:18:46.81ID:CSAjUTyr0
古代日本では大陸(中国)との血縁はブランド
公孫氏の末裔赤染(常世)氏もその後平安時代も貴族として記録が残っているし八尾市をはじめとして各地に常世神社が残っている
0181名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:19:33.90ID:DTfRShoJ0
>>180
いや
ないわw
0182名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:20:45.27ID:DTfRShoJ0
>>180
>大陸(中国)との血縁はブランド
絶対ないわw
0183名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:21:58.93ID:AW3Dup+V0
>>163
唐ってセンピが建てた国家だけど?
0184名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:24:55.49ID:nf+c6WyR0
結局九州人でいいのヒメコは?
0185名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:25:24.09ID:O7iVGo2E0
>>180
詳しい内容忘れてしまったが卑弥呼が公孫氏の末裔だという説を唱えてる本を読んだことあるなあ
邪馬台国も北九州から南朝鮮に掛けて広がっていた連合王国だとか

真偽はともかくとして古代日本においては北九州と朝鮮半島の繋がりの方が近畿地方よりも強かったであろうこと
地理的にも行き来がずっと容易であったのは注意が必要だろうとは思ったな
日本国という概念も国境も無かった時代だったというのは忘れてはいけない
0186名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:26:01.12ID:MJJbUkYk0
>>105
そりゃ当時はすさまじく格下だろうからな
当時なんて奴隷当たり前のもっと蔑む差別主義の塊だろうし
0187名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:26:37.25ID:DTfRShoJ0
>>185
敵だな
0188名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:27:17.19ID:DTfRShoJ0
>>185
敵でしかない
0189名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:28:10.13ID:CSAjUTyr0
大内氏は百済王の末裔を自称していたが、大陸との繋がりをアピールすることが交易にメリットがあったのだろう
また、大陸から浜に上陸する儀式をわざわざやっていたことからも山口には何かしら渡来系の由来があったのかもしれない
0190名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:28:35.23ID:DTfRShoJ0
>>185
しかも蛮族だな
0191名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:34:31.46ID:l5TOnrrn0
倭国って九州の事だろう
0192名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:35:30.16ID:AW3Dup+V0
男子は顔にもからだにも入れ墨を入れる
そういう風俗を持った一地方政権が魏に行っただけのはなしでしょ?

末裔と思われる連中が三社祭の御輿で暴れてるじゃん。
0193名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:37:15.34ID:mUkOLqTN0
>>183
この時代はみんな王朝が禅譲で繋がってる。北朝の後魏は前魏と天命を分かち合ったことにして中国の仲間入りしてる。
0194名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:37:33.66ID:B0YWUhM+0
>>24
文字がほとんど残ってないからな。
0196名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:43:27.63ID:0DD/8a7T0
魏の友好国に、怪しげな術を使う女王が治める国がある
ということを呉や蜀は魏史を通じて知るのか?
0197名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 11:56:10.20ID:CSAjUTyr0
>>185
今と国境の概念が違うからね
特に朝鮮南部は江戸時代に至るまで海運の重要な根拠地だったし対馬藩もそれで潤っていた
0198名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:00:24.02ID:L09mL+p10
>>162
今の地図を見ちゃだめだよ。
堆積作用で平野が広がる以前の地理を見なきゃ。
大阪平野もなく、広島もなく、筑紫平野ももっと狭く、濃尾平野は奥深くまで海で、
島と付く地名(羽島や津島)は文字通り島だった。
関東平野も台地以外は海の底か川の氾濫原。
出雲平野はまだなくて、あいだは海だった。
新潟平野は大半が海で、新津のあたりが名前の通り津だった。
0199名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:02:21.20ID:QGYiGKsR0
沖縄列島じゃないかな。遺跡金属品の類塩害で消えてなくなってるとか。
日の文字についてはオリジナルで思いつく社会が複数あっても不思議はないし。
0200名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:02:56.56ID:jkmGp9aK0
>>21
前方後円墳は大和の特徴で、3世紀半ばから畿内で作られ、
次第に地域が広がり、7世紀初めまで続いた。
0201名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:11:24.90ID:IV2iZ8VP0
畿内説はやっぱり無理があるとしか
古代より中国とつながりが深かったのは九州の勢力だし
卑弥呼と現天皇家を結び付けようとする畿内説は無理がある
卑弥呼も天皇家も古代日本に存在した王朝の一つだろ
0202名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:12:22.41ID:5d2z6XWv0
>>198
奈良県には大きな湖(大和湖)があったという説もある。

でも、まあ濃尾平野は今の岐阜近くまで伊勢湾が入り
くんでたと知った時はちょっと驚いた記憶はある。
0203名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:14:37.02ID:MtzGAnV+0
そもそも天皇家は朝鮮人の移住政権

朝鮮の高度技術で畿内を乗っ取り、怪しい出自を偽装したに過ぎない
0204名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:15:03.21ID:AW3Dup+V0
>>193
分かち合おうが、唐はセンピの王朝
0205名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:15:43.94ID:5d2z6XWv0
>>93
星野之宣「ヤマタイカ」
0207名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:18:19.33ID:O7iVGo2E0
>>201
俺は東遷説が一番妥当だと思ってるけどさ
倭国と北九州と卑弥呼、邪馬台国とヤマト王権に連続性があるのは疑いようが無い
問題はヤマト王権と大和朝廷の連続性、ハッキリ言えばヤマト王権と天皇家の繋がりが疑問ってことなんだよね

おそらく空白の期間に現天皇家がヤマト王権を簒奪したんだと思ってる
記紀というのはそれを隠蔽して正統性をでっち上げるために書かれてる
0208名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:22:50.97ID:l+/fbAfA0
>>196
そんなことはないだろ。
魏志に限らず、次の王朝が前の王朝の歴史を編纂する。

後漢書は魏が作ってないとか、そういう更に後代の編纂にかかるものもあるが、少なくとも呉や蜀の滅亡後に編纂された。
編纂前の資料はもちろん存在しただろうし、むしろ魏(や西晋)は宣伝したと思うけど。
0209名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:31:33.76ID:nf+c6WyR0
卑弥呼と現天皇に連続性はないということでしょう
九州から奈良に東遷してその過程で豪族が政権奪取
それが天皇の始まり
日本書紀も古事記も真実は知っているけど都合が悪いから嘘をところどころ散りばめて正当性を主張
反論できるやつおるか?
0210名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:35:26.26ID:iExOTeM50
以下「明史日本伝」より秀吉について語られている箇所。

日本は古来より王がおり、臣下では関白という者が最も尊いとされ
山城州の頭目、信長がこれになっていた。
ある日信長が猟に出ると木の下で眠る者がおり、跳ね起きて衝突しそうになった。
何者かと問い詰めると、名を平秀吉と言い
薩摩州の奴隷で、雄健ですばしっこく口が上手かった。
信長はこれを悦び、馬の管理をさせ、「木下人」と名づけた。
後に重用され、信長のために策を尽くし、二十余州を切り取り、摂津州鎮守大将となった。
参謀に阿奇支なる者がおり、罪を得て、信長は秀吉にこれを討たせた。
にわかに信長は部下明智に殺される所となり
秀吉は阿奇支をまさに滅した時に変を聞き
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅したので威名は益々振るった。
信長の三子を廃し、関白を僭称し、信長の衆をことごとく収めたのが万暦十四年である。

これがシナ文書ですよ
0211 【底辺】 【260円】 垢版2020/01/03(金) 12:38:00.72ID:Zbh0aHC10
>>12
古事記と日本書紀はフィクション化した神話物語
アマテラスが多分卑弥呼の言い伝えが若干入ってる
0214名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:43:48.04ID:DTfRShoJ0
>>203
アタマおかしいw
0215名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:45:49.46ID:DTfRShoJ0
>>203
朝鮮人まったく関係ない
0216名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:45:54.80ID:l+/fbAfA0
>>209
反論というか、「そう考えることもできるが、そうであるという確証があるわけでもない」みたいな感想しかない。
0218名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:48:48.15ID:DTfRShoJ0
>>217
まったく違う

虐殺された難民の一部が逃げてきたのを助けたのね
0219名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:51:03.90ID:MtzGAnV+0
そもそも天皇家の圧倒的パワーすべて朝鮮技術ナリww

畿内未開土人に高度技術を移植した朝鮮人が古えの神の子孫を自称w
矛盾だらけは偽装出自ゆえ当たり前ww
0220名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:51:24.74ID:QJOat/Vw0
>>193
南北時代の南朝は漢、魏、晋から王朝が禅譲で繋がってるね
北朝は異民族国家で、北朝から発展した隋、唐は異民族の王朝だね。
0221名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:52:04.99ID:mUkOLqTN0
>>204
唐の歴史を知らないんだなw
0222名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:53:36.94ID:QJOat/Vw0
>>219
朝鮮人って何時頃誕生したんだ?
倭人が日本列島に移動した後に南下して来たんじゃないかな。
0223名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:54:39.76ID:LLgYyO/w0
>魏は呉と蜀を牽制するために邪馬台国、大月氏国との同盟関係をアピールする必要があった。
 そうでなければ、小国の邪馬台国を実力以上に優遇する必要はなかったのだ。

問題点が認識できていないな。
何故、呉や蜀に対して似たような地理的位置関係でありながら、
日本列島の国が優遇され、朝鮮半島の国は軽視されたのか。
それを説明するのが、正しい歴史認識というもの。

答えは、
当時の日本は優れた民族性を持つ大国で、一方、朝鮮半島は野蛮な辺境だったから。
それが正しい歴史認識。

だから、日本は朝鮮半島を相手にせず、中国の魏と交渉しようとしたのだ。
その証拠がいわゆる魏志倭人伝や倭王武の上表文。
当時の朝鮮半島など、稲作技術も時代遅れなくせに、日本と中国の間にお邪魔虫のように介在し、
中国からパクッタ技術を日本へ売りこもうとするバチモン技術者ばかりだった。
0224名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:56:31.79ID:DTfRShoJ0
>>219
>>222
賊というか
キチガイだね
朝鮮人ってw
0226名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 12:58:23.06ID:QJOat/Vw0
>>207
東遷じゃなくて東征だろうな
北部九州の一部勢力が関西に入植して発展したのが大和政権だろう
自出が九州である事が記紀を編纂した頃まではステイタスだったんだ
道鏡事件でも宇佐神宮にご神託を立ててるからな。
0227名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:00:40.42ID:QJOat/Vw0
>>223
漢代には既に倭奴国に金印を授けている
魏が特に倭を優遇したのではないな。
0228名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:02:00.91ID:DTfRShoJ0
>>226
東遷だ
0229名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:03:56.80ID:QJOat/Vw0
>>209
神武が東征して来てその後八代で関西に根を下ろしました
これくらが真実で記紀は殆どが嘘だよ
崇神以下は北部九州の歴史の転用だよ。
0230名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:04:47.99ID:IjwpyQIC0
日本は元小国
日本は倭国を併合した
(倭国より)東にあるので日ノ本を名乗った

近畿ヤマトは、漢委奴国王一族が倭国大乱で敗北し
一族の安曇族を頼って奈良の山奥まで逃亡してできた政権
0231名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:06:32.43ID:WstrJXqX0
>>207
隋書倭国伝「倭国の都は邪靡堆、則ち魏志に謂う邪馬臺である」
これで答え出てるんだけどね
遣隋使は飛鳥まで一緒に来た裴世清に邪馬臺はヤマトのことですって言ってる

隋書は記紀はもちろん大化改新よりも前に書かれた外国史書
藤原氏の焚書がどうとか天武が捏造したとか関係ない
0232名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:07:03.05ID:6xAJ8+z90
神武東征は貴種流離譚ぽいけどな
記紀の時代でも
九州の地に相当な格上の家があったんじゃね
戦国大名が源平藤橘の氏にしたい欲と同じような
0233名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:07:06.74ID:MtzGAnV+0
そもそも天皇家は朝鮮人で畿内の倭人王朝を自称したに過ぎない
それに卑弥呼は九州北部の人で中国人の可能性も高いな

中韓から来た高度文明人のせいでニ〜六世紀に激変したのが日本の歴史
そろそろ認めろよ
0234名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:07:28.07ID:DzTrLq3d0
それ 日本でなく

朝鮮貴族の日本総督府
0235名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:08:53.26ID:CSAjUTyr0
>>223
朝鮮は海運の根拠地ではあるけどスサノオの言った通り稲作畑作にはあまり適さなかったようだな
0236名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:10:51.61ID:mUkOLqTN0
>>220
後魏は漢、前魏、西晋の後継者だから二王三恪で優遇してる。南北朝正閏論は魏晋の後継者で対立してる関係なので禅譲で繋がってる唐や北宋も気を使う問題。
0237名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:12:18.84ID:PPrpZulb0
邪馬台国は北部九州なのは決まり。

大和朝廷は卑弥呼や邪馬台国のことを日本書紀作ったときに参考にした中国文献に載ってたから名前だけ知ってる程度なのか?
それともはっきりと知っている(九州遠征して滅ぼした?)のか?

天照大神は卑弥呼(+トヨ)がモデル説は根強いけどそれが本当なら
大和朝廷は卑弥呼を知ってる、かつ皇祖神として祀るぐらいだから無関係に思えないのだが。
0238名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:14:17.08ID:DzTrLq3d0
奈良から延々と陸を行くということはない

瀬戸内海を通過したに決まっている
0239名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:14:51.41ID:DzTrLq3d0
海や川は古代の高速道路だ
0240名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:15:54.31ID:NEGPaea70
亀卜の真偽は
0241名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:17:24.67ID:LXCWfwTp0
>>237
邪馬台国が畿内を平定した後に
何らかの理由で自分たちが九州から来たと事を隠したかったとか
0242名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:19:35.24ID:DzTrLq3d0
イギリスで産業革命が起こったのも
地中海を制服した古代ペルシャ貴族や商人が連れて行った奴隷(ユダヤの職工)が
ペルシャの衰退とともにイギリスに逃げたためと言われている
0243名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:23:38.76ID:DTfRShoJ0
>>134
>恐らく銅鐸と古墳が突然消えたあたりに何かあった

それは君の恐らくなのかな?むごたらしいものはなにかあったのか?
銅鐸の起源と遷移を見るとな実に興味深いんだよ
近畿圏ということはまったくない
西、まさに吉野ヶ里あたりから生まれて東へ移っている
それは時とともに形状もより大げさになっているのね
祈りで使うアイコンでは間違いないものだろうがね

なにか非道なことがなされたってことじゃあない
銅鐸文化は当時のアイコンだと思う
信仰心の深い日本人ならではだ
0244名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:29:10.46ID:IjwpyQIC0
>>241
記紀で日向から来たって書いてるぞ
日向の出身というのが自慢できることだったんだろね
0245名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:34:33.14ID:DTfRShoJ0
>>241
別に隠してはないとおもうが、当時の事実の伝承として神話化そして抽象化しているね

宗教、日本神話、考古学、Common-Senseを勉強しようね
0246名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:37:16.09ID:PPrpZulb0
>>241
神武東征もウソじゃない説根強いよね。

神武は宮崎をでてから福岡、広島、岡山に数年間滞在しつつ畿内に侵攻したことになってるが、
西暦300年前後で畿内から銅鐸文化が消えたとか、
埴輪の元になった焼き物や前方後円墳の原型は吉備から持ち込まれたとの考古学的な裏付けもある。

で天皇家は宮崎出身だと断言してるんだよな。
0248名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:40:09.82ID:MtzGAnV+0
そもそも越のオトドは前王朝を○して乗っ取ってるわけで天皇家はその時点で出自不明

もっと言うと朝鮮出兵したくねえとダダこねた仲哀はどうみても暗○で実権は武内宿禰
怪しい出自の連続で笑えるわw
0249名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:44:09.65ID:mSRx6V+KO
>>246
更にそれを攻め滅ぼしたのが百済から出雲に上陸した継体帝の一族つまり現在の天皇家
0250名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:44:21.76ID:oplriQSl0
21世期以降、学術的には畿内説が優勢で、特に考古学者はほとんどが畿内論者になってしまった。
アマチュアにはまだまだ九州説が人気だけど。
0251名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:46:47.34ID:voFGnsou0
漢の奴の国の王の金印は九州で見つかってんだろ
だったら邪馬台国は九州だわな
0252名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:47:25.32ID:mSRx6V+KO
>>250
東朝鮮会議の歴史修正主義が学会にまで及んだ結果だろ 機内説じゃないと研究費貰えないんだもの
0254名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:54:48.67ID:WstrJXqX0
畿内ヤマトの勢力が日本を統合して行ったのは前方後円墳の拡がりとかから明らかだが、

とりあえず九州説では、3世紀半ばは畿内と九州、どっちの勢力が強いという整理になってるの?
0255名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:57:04.36ID:mCTCqlVO0
邪馬台国はどこなのかですが、考古学的な発掘と魏志倭人伝の卑弥呼の墓が完全に一致しているのは、福岡県久留米市の祇園山古墳だけです。

もうひとつ有力とされる奈良県の箸墓古墳についてはあまりに巨大すぎて魏志倭人伝と一致せず、形や埋葬品も違うので候補になり得ない。

魏志倭人伝で邪馬台国と同じくらい重要なのは、奈良や出雲の国について一言も書かれていない点です。


西暦200年代には出雲や奈良でも古墳が発見されているが、少なくとも魏に使者は送らず関りも持たなかったようです。

次に中国史に倭国の王が登場するのは西暦414年に作られた広開土王碑で、倭国は新羅と百済を臣従させたと書かれている。

中国(宋)の宋書倭国伝には438年、倭王が「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」と名乗ったと書かれている。
0256名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 13:59:48.12ID:PPrpZulb0
>>248
ヤマトタケル、仲哀、神功、応神あのあたりは怪しすぎるよね。

ヤマトタケルは西国や東国に遠征しながら政治抗争で破れて失脚して非業な死を遂げ、
存在を歴史上から消された悲劇の王かもしれないよね。功績は消せないため架空の皇子にされてるとかありそう。

仲哀が神託に背いて怪死したとか、身籠ったまま渡海して戦った神功とかも
クーデターで政治状況が一変したことから三韓征伐に出兵したとかを想像できるし。
0257名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:09:04.06ID:PPrpZulb0
>>255
三韓征伐は史実で新羅百済には勝ったが高句麗には負けて騎兵ショックを受ける。

国威発揚のために応神、仁徳が都に来る使者に見える位置に巨大古墳を建設し、
軍備強化のため馬を導入。それで古墳から馬具や馬の埴輪が出てくるわけで。

軍事的敗北を外交で取り戻そうと倭の五王は中国王朝に朝鮮半島での支配権を認めてもらおうとした。

このあたりの流れはしっかりしている。
0258名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:10:08.52ID:zEDRKv2x0
>>254
九州も近畿も支配できる強力な政権があったに違いないという前提なのがよくわからん。どっちが強かろうが関係ないだろ。
0259名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:10:10.39ID:PJt4lGPD0
魏晋南北朝の正当王朝は、魏→晋→東晋→宋→斉→梁→陳→隋

隋書の記述どおり、魏志倭人伝の邪馬台国は、大和王権だよ。
0260名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:14:22.19ID:MtzGAnV+0
>>257
ワロスw
畿内土人に巨大古墳や軍馬の技術はゼロや
そもそも馬を運ぶ船もよう作らん土人がある日突然圧倒的パワーを持つかよw
その時点で高度文明人にこっそり背乗りされたんやで
0261名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:16:27.96ID:mCTCqlVO0
箸墓古墳は卑弥呼の時代より後のもの

邪馬台国の候補地は福岡県と奈良県で、卑弥呼の墓の候補地も両県のいくつかの古墳に絞られてきている。

一つは奈良県の有名な箸墓古墳で、濠の内側だけで278m、全体では500mもあったと推測されている。

年代は良く分かっておらず、西暦250年前後の可能性があるが、確定した年代はまだない。


箸墓古墳の欠点はあまりに巨大すぎる点で、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が直径30m前後なのとは違いすぎる。

また卑弥呼の墓には殉葬者(いけにえ)100人前後が埋葬されたと書かれているが、これは弥生時代の古い墓の特徴でした。

古墳時代には例の埴輪(ハニワ)を大量につくって人間の代わりに埋葬し、こうした習慣はなくなっている。
0262名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:17:59.04ID:mCTCqlVO0
最も有力な候補地は祇園山古墳

福岡県の祇園山古墳は年代が250年ごろで殉葬者が埋葬され埴輪はなく馬具もない、直径30mほどで卑弥呼の墓と特徴が一致している。

ほとんどが盗掘されているので埋葬品はなく、卑弥呼の墓と断定するような証拠は発見されていない。

全国の古墳の中では、ほかに魏志倭人伝の記述と合致するものはないので、もし祇園山古墳でないなら振り出しに戻ってしまう。


その場合は魏志倭人伝の記述そのものが間違っているか、まだ発見されていないか既に壊されたなどが考えられる。

西暦250年頃の日本の中心は九州だったと考えられ、その後出雲や瀬戸内海周辺を通って大和(奈良県)に中心が移った。

この辺の事を書いたのが日本書紀や古事記で、九州は神々が住んでいた場所として描かれている。
0263名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:19:35.82ID:e/jmN2so0
そもそも魏志倭人伝の記述が事実っていう証明ってなされてるのかな
複数の資料があるならまだしも
もっと時代を遡っても黄金の国ジパングとか嘘かかれてるのに
0264名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:21:57.44ID:GqW0feZM0
弥生時代の日本には王莽銭が広い範囲で流通しており大陸との交易は盛んだったことが伺われる
貨幣経済が流通革命を起こし国造りという作業に移行することは自然の流れで中国大陸でも春秋戦国時代を経て秦を元にした帝国が誕生している
各地の邑を支配下に組み入れて神社を造り祭祀を残す事で恭順を促し、反抗するものは土蜘蛛神話に見られるように領主を討伐するのが東征の本質のような気がする
弥生時代には卑弥呼以外にも神のお告げを聞くシャーマンが数多く居ただろう
プロパガンダを使い戦争や政策を進めるのは今も昔も変わらない
当時は科学的根拠を示すより神託により民を動かす方が効果的である
女性をシャーマンにした背景には争い事を好まない傾向が強い点と権力に固執しないから当時の統治者にしてみれば好都合
全ての女性の中に神が宿るという地母神信仰も手伝いその時代には卑弥呼が活躍したと考えられる
0265名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:23:59.41ID:xurcPH/o0
>>246
宮崎県人に冷水を浴びせるコピペ

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
0266名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:24:18.08ID:PJt4lGPD0
隋書は南朝(宋・斉・梁)の倭の五王との交流記録を踏まえて、邪馬台国=ヤマト王権と記述している。

九州説は、隋書や宋書の記述が虚偽であることを証明すべきだろう。
0267名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:26:52.87ID:v/JTxhqp0
>>266
福岡の山門郡はどうなるの?
0268名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:30:07.91ID:MtzGAnV+0
人代初代と言われる神武が既に朝鮮人じゃねーのかい
神武以前に既に九州から来た貴種がいてこれは九州天孫族だ
その九州天孫族と軍事協定した神武はついに天孫族同士の激しい内戦に乗じて畿内を平定した

ここまでは記紀どおり事実としても
神武がなぜ畿内天孫族の救世主に祭り上げられたかは全く説明できない

ところで神武晩年には、朝鮮から使者が来て属国にしてくださいと朝貢を申し出る
これが記紀に出る朝鮮外交の初出や

はっきり言えば、もともと神武は朝鮮王族で、朝鮮領土の回復を目指して亡命した朝鮮貴種。
その軍事技術と高度文明が畿内を天孫族の骨肉争う未開の蛮地から先進地へと一気に押し上げた
と見れば筋が通る
0269名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:31:30.52ID:NPCtKJBH0
古墳は大量の奴隷を必要とすることから、おそらく労働力の豊富な植民地(吉備・畿内)で
始まり盛んになった慣習。

畿内オリジンの始祖神話が残っていないことも重要。
日向から神武が攻め入る前、既に畿内は出雲神話を信奉する勢力によって支配されていた。
日向の征服によって日向神話が畿内の正統神話となり、置き場のなくなった前王権の
出雲神話は日向神話の前に差し込まれ傍系に格下げされた。いわゆる神話の加上説
0270名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:31:43.61ID:PJt4lGPD0
隋は倭(推古朝 聖徳太子)と国書の遣り取りがあり、倭=ヤマト=奈良政権との認識。
北九州の山門の認識ではない。
0271名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:33:04.90ID:dWRp4Czk0
記紀には大和の記載はなく
倭、日本で書かれている。

大和をヤマトと読むことが確実なのは
平安中期頃から。
0272名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:33:51.86ID:IjwpyQIC0
隋書の記述が虚偽である必要はない遷都されたことを知らなければいいだけだ
旧唐書も同じく遷都したことを知らなければ倭人が言うことが信じられないだろう
0274名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:35:34.07ID:PJt4lGPD0
じゃあ倭の五王や推古朝は北九州の政権なのか?
宋書、隋書は偽書なのか?
0275名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:36:01.64ID:v/JTxhqp0
畿内説を主張してるグループは旧石器捏造の連中とマインドが同じなんだよなあ。
0276名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:36:46.01ID:jjZmZq/q0
弥生時代は、人類が初めて(食料を)貯蓄することで蓄財し、組織的に繁栄することを競った時代。
弥生末期ともなってくると、武力の抗争も高度化してきて、生き残るために国どおしの買収や合併で大きくなるしかなかった。
権力者との交流によって敵対しない外交や同盟関係が始まったのが邪馬台国の時代。
しかし、それはながくは続かなかった。大陸や半島の権力争いの構図に対応する術がなく、一旦争いから逃れて奈良にその基礎を作ることにした。
それで生まれたのが大和朝廷で、その権力を誇示し、古墳や神道の元、大きな国家を育ててきた。
その中心に大きな役割を果たしたのが天皇だと思われる。
0277名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:37:38.16ID:dWRp4Czk0
記紀から読み取れるのは
天智天皇の時代に
福岡に滞在し白村江を主導したこと。

白村江で大敗し、
福岡から近江大津に遷都したこと。

これが東遷として記録に
残ったのかもしれない。
0278名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:41:58.15ID:P3QTlWvM0
今さら畿内説を支持するのは政治的な目論見がある人だけだよ
0279名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:44:08.88ID:IjwpyQIC0
>>274
卑弥呼の死後に後継者争いが起こって近畿勢が勝利したのだろう
台与は吉備あたりから連れてきた(卑弥呼とは無関係の)傀儡

https://i.imgur.com/mXBxvVE.jpg
下戸遺伝子=安曇族=弥生人=漢委奴国王一族=近畿ヤマト

近畿ヤマトに服属しなかった勢力は土蜘蛛として討伐された
0280名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 14:48:28.40ID:jjZmZq/q0
>>279
この時代に、大陸との交流なしに先進的な軍事力は持てない。
近畿勢力の構築に、九州の人材が多く活用されている。
近畿に残る古い地名が、九州と一致するのがその名残。
0282名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:00:09.87ID:W35MR1eE0
>>36
当時の日本は近畿の大国が九州の大国を滅ぼした時期だからな。邪馬台国がどちら側かは知らんが戦場が九州でそちら側が滅んだのは確定。

関東 東北 北海道は蝦夷が住んでた
アテルイが降伏して初めて東北まで大和朝廷がコントロールする事になる
0283名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:02:53.37ID:PJt4lGPD0
後漢書、魏志倭人伝、宋書、隋書の
倭は同じ国だろう。

後漢書では、倭奴国を「倭国の南極界」と記述している。
倭奴国が倭国の南端というのだから、倭国=畿内、倭奴国=九州との認識だろう。
0284名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:04:59.04ID:W35MR1eE0
>>279
胸の大きさもな
近畿中部が1番大きい
>>280
まるで朝鮮との交流云々言ってるのと同じだなw
九州はあくまで通路であって別に近畿は山梨県じゃないんだぞ
そして征服者である大和民族が近畿の地名を九州につけただけ。同じ事が関東でも起きてる。
平野の広さが違うしまかなえる人口が違う。
おまけに九州は南北で仲が悪く小国が乱立して内輪もめやってんだから滅ぼされて当然。
0285名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:09:24.77ID:W35MR1eE0
>>275
邪馬台国がどっちかなんてどうでもいいんだよ
日本全土を掌握して日本国を作ったのは大和民族であって邪馬台国が九州だったら何なの?
ただの滅んだ地方政権だろその場合。
琉球とかアイヌとかと同じでしかない。
近畿なら日本の前身になるけど九州なら日本のルーツではない
0286名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:11:22.24ID:mSRx6V+KO
>>285
ルーツである必要なんてないだろ一体歴史に何を求めているんだ?
0287名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:11:22.99ID:jjZmZq/q0
>>284
西暦200年代の出土品から見て、大陸とまともに交流できていたのは九州勢だけだ。
九州の遺跡で200年後半にで争いの跡もなく廃村となった集落がいくつか見つかっている。
そのころから近畿が急速に発展し、出土品も増えている。

事実関係から考察した結果。
0288名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:12:08.11ID:rs3/FoFE0
>>284
南北で仲が悪いというのがポイントで、邪馬台国は南にある狗奴国と対立していたんだよな
小国に分裂していたというのも魏志倭人伝の記述と一致するわな
0289名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:12:13.61ID:PJt4lGPD0
後漢が奴国に与えたのは、「漢委奴国王」であり、倭国王ではない。
北九州の地方政権だからだ 。

これに対して、邪馬台国には、「親魏倭王」と、倭王(倭国の王)の称号を与えている。

北九州の一地方政権ではなく、倭国全体の統一政権であることを示す。
0290名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:12:42.90ID:W35MR1eE0
>>274
少なくとも魏史で書かれてる邪馬台国の位置がおかしいのはわざとだよ。
敵国の呉の背後にあるようにわざと書いてる。
同じ事が他の周辺国でも書かれてる。
蜀の背後にされた国もある。
0292名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:16:34.90ID:PPrpZulb0
纒向遺跡って結局のところ神武天皇の大和国制圧とどう関係してるの?

先住勢力の遺跡なのか、大和朝廷が継続使用なのか、神武天皇が築いた遺跡なのか?
0293名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:17:22.36ID:GqW0feZM0
魏志倭人伝に書いてある貢物を運ぶだけの運搬船団があるのだから、瀬戸内海航路は開けて居たはず
邪馬台国を九州に限定する理由がないと思うが
0294名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:17:23.44ID:GYralj020
>>250
のちに出現する古墳とその副葬品につながっていく要素が九州に無いから。
物的資料の状況からすると畿内の方が説明しやすいということ。
0295名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:20:18.97ID:W35MR1eE0
>>286
別にルーツじゃないといけないとコメントしたか?
邪馬台国がどっちかはどうでもいいとコメントしたはずだが。どちらにせよ九州側が滅んだんだよ
>>287
まるで九州人が優秀かのような物言いだけど単に大陸から近いだけだし、その状況で滅ぼされたとかむしろアホ丸出しだろw
>>288
内輪もめを繰り返した挙げ句微妙に人種が異なる民族に滅ぼされたのが邪馬台国だとおもうよ俺はw

そして邪馬台国が九州だから九州の俺すげえとか九国ホルホルが笑わせる。
今完全に日本人になってるんだから。
既に大和民族の有力者が九州で子孫作りまくって混血も進んでるし文化的には完全に大和民族になってる。
0297名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:21:31.28ID:WstrJXqX0
卑弥呼の墓が前方後円墳だと殉葬とイメージ違うがさて

箸墓古墳掘ったら人骨がいっぱい出て来たりするのかな
0298名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:21:55.12ID:W35MR1eE0
中国人が始皇帝をホルホルするようなもんだろ
もはや当時とは人種が入れ替わってるし文化も入れ替わってるし別の人種

同じ場所に住んでたっていうだけ
0299名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:22:03.33ID:mSRx6V+KO
>>294
それ九州の勢力が滅ぼされたって事やろ

邪馬台国がどっち側でも問題ないやん
0300名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:22:06.41ID:jjZmZq/q0
中国3000年の歴史と言われるように、広大な大陸という陸続きという地理的条件によって
大きな領土争い、権力争いの歴史は大陸にかなうはずもなく、西暦200年代当時、九州の発展があったのも
そうした大陸の勢力争いから逃れてきた人たちによって開拓されたとみられている。
日本古来の現地人との混血によて独自の文化を育んで発展したが、大陸との交流が少ない地域が九州を制圧するとかないから。
0302名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:25:11.53ID:W35MR1eE0
>>300
それは既に確定してるから。九州側が滅んだ。
それもかなりあっさりな。
余力が残ってるから朝鮮半島にまで進出してる。

百済と手を組んで挟み撃ちしてたかも知らんがな。
0303名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:26:17.72ID:mCTCqlVO0
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと
[1]/やまとととびももそひめのみこと[2]、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)
0304名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:26:56.30ID:DRMYSddb0
北九州の日田で見つかった魏時代の鉄鏡や久留米祇園山古墳の大量殉葬跡などの具体的な遺物や遺跡が魏志倭人伝の邪馬台国の描写と被るのに対して、畿内の纒向遺跡なんかは宗教施設がいきなり出来たくらいで戦争遺跡とかも北九州と比べて殆どない遺跡群なんだよな
以上の事例から考えると元々北九州にあった初期ヤマトの国が球磨の国との戦いに敗れた後に畿内に亡命政権を打ち立てたのがヤマト朝廷の始まりではないだろうか
0305名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:26:59.74ID:jrnkzoXq0
纒向は、北部九州までたどり着いてないんで。
九州から帯方郡、洛陽までが埋め切れていない。
0306名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:27:02.94ID:FzmVxKQ20
切れ長の一重は半島の血が濃いやつだから気持ち悪い
0307名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:27:41.69ID:4HuUmIYk0
九州では言葉の最後に「〜タイ」を付ける、これは九州に邪馬台国があった証拠
邪馬タイ国とは現代語で訳せば「山と言う国ですよ」と言う事になる。
0308名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:29:31.38ID:mCTCqlVO0
約100年で日本列島から朝鮮南部まで征服

火山噴火から隠れたとすると阿蘇山が最有力で、やはり祇園山古墳付近で何度も噴火していました。

祇園山古墳と吉野ケ里遺跡は距離17キロほどで共に阿蘇山から近く、記紀に描かれた最初の日本の姿とも一致する。

記紀の「国生み」では イザナギとイザナミが泥んこの世界をかき混ぜて島を作り、淤能碁呂島(おのごろじま)と名付けた。


吉野ケ里遺跡がある筑後平野は2000年前は海で、筑後川は阿蘇山方面から火山灰や土砂を放出して海を埋めていきました。

ちょうど吉野ケ里が栄えていた頃に有明海は埋まっていき、まさに泥をかき混ぜて島ができるように埋め立てられていた。

イザナギとイザナミが泥をかき混ぜて島を作ったのはおそらくこれで、ヤマト王権の起源としてふさわしい。


時系列では西暦247年に邪馬台国の卑弥呼がなくなり、同時期にヤマト王権を作る勢力が九州から東征を開始した。

西暦300年代中頃には奈良県に巨大古墳を作るほどの王権が生まれ、神功皇后は三韓征伐をして新羅や高句麗を服従させた。

古代には現代的な国家や国境がないので、日本列島を征服したヤマト王権が連続して半島に攻め込んだのは、別に不自然ではない。
0309名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:30:23.74ID:kbZOLUFi0
こんなのは、調べれば調べるほど、皇族の祖先がタチの悪いウソツキだったことが浮き彫りになるだけだよね〜♪
0310名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:30:32.15ID:mCTCqlVO0
卑弥呼の死後わずか100年ほどで、九州の地方勢力だったヤマト王権は日本列島を征服し半島も支配下に置いた事になる。

これほど短期間で日本統一できた理由としては、神武天皇や日本武尊のような武将による大規模な戦争なくしては考えにくい。

逆にこのような出来事を推測しないと、ではどうやってたった100年で日本が統一されたのかを説明できません。
0311名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:30:56.71ID:IjwpyQIC0
>>289
だから記紀で背乗りしたんだな
むしろ敵対勢力だった卑弥呼の事績を取り込んだ
0312名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:31:06.19ID:W35MR1eE0
>>304
敗軍が近畿まで逃げて、追撃されないのも意味不明だし、近畿にいた人達が無抵抗で飲み込まれるか?
そしてなぜ関東東北には進出しないんだ?

近畿の政権が大陸とのコネクションを強固にして関東東北のエミシを滅ぼす為に九州に侵略したんだよ
おそらくは新羅が邪魔だった百済とも手を組んでお互い挟み撃ちでもする約束をしてな
0313名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:32:16.37ID:jjZmZq/q0
もう一つ、なぜ当時九州が近畿より発展していたのかについて

当時の都会はまぎれもなく大陸にあり、大陸側の人が倭人と呼んだのは、
危険な海を渡航して交流できる人種という意味がある。
大陸側は、内陸での壮大な権力争いがあり、水軍はあっても海軍を鍛える余裕も必要もなかった。
なので、渡航技術を持った特別な人たちということで、小さい国でもある程度は尊重されていた。

当然その渡航技術が発展したのは、半島との行き来が必要だから発展してきた技術で、その後次第に九州から国内の各地が開拓されていった、まだそんな時代。
0314名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:32:19.31ID:MtzGAnV+0
>>306
えーと日本で一番朝鮮DNAが濃いのは京都大阪だよ
0315名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:32:37.52ID:W35MR1eE0
>>310
東北が日本人になったのなんていつの話だと思ってるんだよ100年?w
しかも近畿では戦争が起きてない
0316名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:34:52.36ID:sZdjfGSO0
伊都国に一大卒を置いて邪馬台国の北を監督させたって部分を畿内説はどう説明をつけるわけ?
伊都国は福岡の糸島市らへんなのは確定してるやろ?そしたら畿内の邪馬台国の北側の監督を、福岡の伊都国に監督官置いて管理させたって意味わからないやん?
0319名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:37:48.56ID:W35MR1eE0
>>317
金印はクナコクの王であって倭国の王ではないぞ
漢字からして違うめちゃくちゃなこじつけ
0320名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:38:02.71ID:jrnkzoXq0
大和政権は、吉備、出雲、丹波、越、伊勢などの連合体であって、
纒向がそこに一大卒をおいて、
各地を軍事的に支配していたと言う形態が無い。
0321名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:39:16.51ID:mCTCqlVO0
前方後円墳は天皇や皇族、ヤマト政権と親密な権力者の墓地なので、天皇を中心とした政治システムになる前夜と見ることができる。

古墳時代の前の弥生時代は紀元前1000年頃に始まり、西暦200年代半ばまで続いています。

邪馬台国や卑弥呼は従来弥生時代の人と考えられていたが、実は古墳時代にも入りつつありどちらとも考えられる。


果たして卑弥呼は弥生時代なのか、古墳時代なのかは卑弥呼の墓の形式が重要な意味を持ちます。

「古墳時代」最大の特徴はなんといっても巨大な前方後円墳で、もし卑弥呼の墓が前方後円墳なら後の天皇や大和国家の先祖である可能性がある。

卑弥呼の墓が別の形式だったら卑弥呼は弥生時代だったことになり、現在の天皇や日本とは直接の関係が薄いと考えられる
0322名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:40:08.09ID:rs3/FoFE0
邪馬台国は奈良の王朝に滅ぼされたんだと思うわ
記紀に親魏倭王の記述が無いのが不自然すぎる
0323名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:40:14.32ID:MtzGAnV+0
そもそも纒向って只の倉庫でしょ
補助金だいすき畿内バカ学者の食い扶持でしかねーわ
0324名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:40:25.71ID:4HuUmIYk0
>>318
朝鮮系関西人が必死に否定しても関西人の祖先は朝鮮半島からと判明しているぞ
0325名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:42:38.44ID:W35MR1eE0
>>324
俺は都民だけど九州土人が朝鮮遺伝子が濃いのを認めたくないって所まで読んだ。
関西人は酒に弱く巨乳。朝鮮人は酒に強く貧乳。
見るからに似てないだろw
0326名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:43:56.31ID:W35MR1eE0
>>323
金の陰謀論で反論する辺りが朝鮮そっくりだからやめとけw
あいつらも都合が悪いと日本のロビー活動だなんだと言い訳してる
0328名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:45:02.46ID:sZdjfGSO0
邪馬台国は北部九州の一大地方政権で多数の国を支配しているが南九州の熊襲に連なる先祖連中が従わずにいて抗争しているって状態がまずあったんだろう。
でのちに近畿で勢力を作った大和王権が統一を果たした、もしかしたら熊襲と結託して挟み撃ちにしたのかもしれない。
その後、熊襲も滅ぼして西は完全統一と。
0329名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:47:22.87ID:sZdjfGSO0
>>327
安曇は福岡の志賀島あたりの出身だな、だから金印は志賀島から出た?
0331名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:48:23.18ID:PJt4lGPD0
下戸の遺伝子から考慮するに、関西人は、長江流域が発祥地。

黄河流域の漢民族とは、別種。
呉や越などの異民族系統だろう。
0332名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:48:46.58ID:W35MR1eE0
>>322
俺もそう思う。邪馬台国は九州にあった地方政権で大和王権に滅ぼされた。
袁尚みたいなもんだろw
発展していても内輪もめやりまくった挙げ句滅ぼされて。おそらく言葉も違っただろうし人種も違ったんだと思うよエミシや琉球のように。


それに当時はステルス戦闘機がある訳じゃないんだから兵の数は大きな意味を持つ。
九州側に近畿へ攻め込む力はなかった。
0333名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:50:05.24ID:jrnkzoXq0
纒向に博多からの土器の流入がない以上、
考古学的に纒向が北部九州までを支配していなかったと実証されている。
0334名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:51:11.25ID:r2Qbcg3w0
>>92
載ってるよ
神功皇后の土蜘蛛征伐で。

山門の女酋長、田油津姫。

魏に対して大和国(偽称して)の女王として金印貰っちゃったから、朝廷側の神功皇后が激おこプンプンで成敗した。
0335名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:51:53.45ID:W35MR1eE0
>>330
当時の軍事力は兵の数が大きな意味を持つ。
渡来人云々言う奴がいるけど、そんなの今と比べたら圧倒的に少数派で人種のDNAに影響するほどじゃないわ
0336名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:53:24.34ID:QJOat/Vw0
>>282
3世紀の日本列島では未だ殆どに縄文系の人々が暮らしていた
倭人が居たのは北部九州と中国地方の一部だけ
倭人は縄文系の人を毛人と呼び関西の住民も当時は毛人だった
漢や魏と交易を行っていたのは北部九州の倭人
神武が九州から毛人の居る関西に東征して植民
やがて発展して大和政権となった。
0337名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:54:26.70ID:mCTCqlVO0
大阪人・・中国人、韓国人
京都人・・純粋日本人
0338名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:55:50.93ID:E5hCM/+Z0
まあ隼人とか仁徳天皇から京都京田辺とかで軍事やってたから
いまさら争う意味はないな、福岡にちょん増えてるから利権移動したいだけだろうけど
0340名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:56:22.41ID:QJOat/Vw0
>>332
九州では農機具としての鉄器も古くから普及していたから食料生産力も高く3世紀当時は人口でも関西を圧倒していたんだよ。
0341名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:57:05.06ID:W35MR1eE0
>>336
お前朝鮮人だろ?
朝鮮人が九州に進出してその後東征して日本人を滅ぼしたニダってわかりやすく書けよw
0342名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:59:10.62ID:jrnkzoXq0
卑弥呼が死んだあと、
王が立てられたが服せず、
数千人が殺された。
纒向にはその様な戦乱の痕跡がない。
0343名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 15:59:15.07ID:t4xwCP0v0
何でもかんでも天皇に絡めちゃつまんねえだろ
0344名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:00:00.54ID:IjwpyQIC0
邪馬台国の卑弥呼と狗奴国の卑弥弓呼は親戚かもしらんね
例えば本家の卑弥弓呼(本拠地霧島)は
分家の卑弥呼(本拠地阿蘇)が王様になることを良しとしなかったのかもしれない
彼らは下戸ではない遺伝子の一族

一方台与は吉備あたりから連れてきた人物で(卑弥呼とは無関係の)傀儡
こっちは下戸遺伝子の一族
0345名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:00:38.92ID:W35MR1eE0
>>340
人口で圧倒は苦しすぎるな
農機具の違いは効率に出るけど平野の広さが1番の正義だし、何より内戦は著しく人口を減らす

戦死は勿論、せっかく育てた農作物もめちゃくちゃになる
0346名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:00:59.35ID:QJOat/Vw0
>>341
最近のDNAの研究で日本列島に現代日本人が広がったのは4世紀以降だと判明した
3世紀当時は北部九州や中国地方の一部だけにしか住んで居なかったんだよ
日本列島に現代日本人が広がった時期が神武東征の時期と考えられる。
0347名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:02:24.72ID:W35MR1eE0
>>346
ソースくれ
0348名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:02:58.84ID:QJOat/Vw0
>>345
当時の耕地の広さも九州の方が広い
大阪は河内湾、奈良は奈良湖で耕地が無い。
0349名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:03:44.60ID:mCTCqlVO0
まあ、天皇が全てではないだろう、日本人、デニソワ人説もあるし
0350名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:04:20.54ID:W35MR1eE0
>>346
朝鮮人による日本辱めじゃないちゃんとしたソースな

仮に九州人が近畿に侵略したとして、戦争も起きず、なのにその後に更なる東征ではなく故郷九州に攻め込むか?
その理論はめちゃくちゃなんだよ
0351名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:04:37.62ID:tdyVOGNE0
>>337あなたの定義で言うなら
純粋日本人=九州の髭やマラソン眉の濃いめの人、アイヌの人
渡来系百済人=奈良京都
渡来系韓国=大阪
0352名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:07:13.87ID:W35MR1eE0
>>348
何いってだこいつw
まぁいいよそれでw
で、戦争とはなんたるか知ってる?
それでも人口が多いと?wwww
0353名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:07:21.21ID:etdHQ/MY0
>>350

済州島の慰安婦狩りに似た話w
0355名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:09:45.12ID:W35MR1eE0
>>354
朝鮮では使うのか?ソースに朝日新聞とかをw
偏向扇動やり放題だもんなw
0356名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:09:54.13ID:dxxEDmK80
九州論者の欠点は息を吐くように嘘をつくことと相手を罵倒することだな
自説に自信があるなら裏付けのある物証を列挙して論理立てて説明すればいいだけのこと
0357名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:10:51.25ID:QJOat/Vw0
>>350
関西に攻め込んだ時は戦いはあっただろうね
移民して代を重ねれば疎遠になる
100年以上経てば本国に攻め込んでも不思議ではない。
0358名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:12:07.43ID:QJOat/Vw0
>>355
内容を吟味して批判しろよw
お前が朝鮮人だろwww
0359名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:12:45.92ID:QJOat/Vw0
>>356
関西説の自己紹介w
0360名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:13:52.60ID:W35MR1eE0
>>357
だからその戦争が近畿では起きてないって言ってんだよw
あくまで九州側で起きてるんだよ
邪馬台国云々関係なく確定事項なのそれ

仮に近畿を侵略したならなぜ陸続きなのにその先にいる異民族を攻めにいかず疎遠になった()同族を攻めるんだよw
0361名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:14:36.46ID:W35MR1eE0
>>359
関西説なのお前?俺は九州説なんだけど
0362名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:14:57.30ID:3UBjF2UK0
古代黄河流域は麦作地帯で長江流域が米作地帯。

長江流域の流民が西日本に米作を伝えたが九州は既に倭人が多かったので東方の出雲、吉備、畿内に入植して開拓していったのでは?

九州沖縄と関西人の人種の違いの源流としての仮説だが。
0363名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:15:37.03ID:mgYlTaB10
邪馬台国関係で久しぶりにスレ立ってるな。
と言っても、なんか新しいことがあったわけじゃないんだね。
0364名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:16:32.89ID:HD16DoSs0
魏呉〜蜀!愛で空が 落ちてくる 卑弥呼の上に 落ちてくる〜♪
0365名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:17:59.16ID:mCTCqlVO0
大阪市が地理的に誕生したのは1000年ほど前で、その前は海であり陸地は一部分だけでした。

大和川と淀川から上流の土砂が流れ込んで堆積し、数百年かけて海が埋まって現在の大阪市の土地が出現した。


陸地は自然に生まれただけではなく、労働者を大量に動員して人力で埋め立てて、労働者たちは定住して現在の大阪市民になった。

西暦300年代中期以降に神功皇后の三韓征伐があり、半島南部を支配下に置き、中部と北部の国を臣従させた。

神功皇后の孫にあたる仁徳天皇の時代に渡来人が急激に増え、大阪湾の埋め立て工事に従事した。


記紀によれば仁徳天皇自ら大阪に住居を構えて渡来人を視察するほど熱心で、当時の国を挙げた大事業だった。

自発的に渡来したのか連れてきたのかは不明だが、大阪湾を埋め立てた渡来人はそのまま大阪の大地に住み着き大阪市民になった。

その後も663年に白村江の戦いで敗れて百済が滅亡し、天智天皇は百済の王族や亡命百済人を大阪に受け入れた。
0366名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:17:59.76ID:pqLl4O6j0
倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。
土地は平野少なく山林が多く、良田はない。海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接す。魏の時に至って、三十の国があり親しく交流す。
戸数は七万あり、男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。

倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。

いにしへの夏朝(中国大陸初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達は沈没して魚を取るのを好み、同様に入れ墨し水魔を払う。

倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”)の東にあたる。
その男子の衣服は横長の布を結び合わせてつなぐだけで、ほとんど縫いつづることがない。
婦人の衣服は一枚の掛け布団のようで、中央に穴をあけ頭を入れる。
皆おかっぱ頭で、裸足である。

倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。
倭国には家屋があり、父母と兄弟は異なる場所で寝る。
食飲にはまな板状の台と高坏を用いる。
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる。
死に際し棺はあるが槨なく、土を盛って墓を作る。初め喪中は哭泣して肉食を絶つ。
葬儀が終わると、家中の者が水に入り、体を洗い清潔にし穢れを取り除く。(神道の源流)

重大な決断時には、太占を行い骨を焼いて吉凶を占う。
倭人は長生で、百歳とか八、九十歳の者が多い。
婦女は淫らではなく、嫉妬もしない。争いや訴えはない。
軽罪を犯した者は家族ともども身分を奪って奴隷にし、重罪者は一族を滅ぼす。

その倭国の王家は昔は男子を君主として立てていたが
漢末に倭人達は乱れ戦うことなり倭人は共に女子を立てて倭国の女王として戴く。
邪馬台国を収め他の倭国群をまとめる女王其の名を卑弥呼という。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると
その女王は遣使して帯方に至り朝見した。その後も貢ぎ、遣使することは絶えなかった。
文帝(司馬昭)が魏の相国になると、また何度か使者を遣わし中国に来朝す。
晋の泰始元年(司馬炎)に遣使し、倭人は通訳を重ねて中国へ朝貢に遣って来た。

「晋書」第九七巻  『 四夷伝倭人伝 』 房玄齢撰

洗脳書とされる日本最古の神々からの古事記や日本書紀には記録がされてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華漢人官僚の史書には記述されていた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう?
0367名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:20:19.89ID:W35MR1eE0
近畿は酒に弱い中国からの流入が祖先の国
九州は酒に強い半島からの流入が祖先の国
関東東北は毛人

九州が内戦してる間に力を蓄えて、九州に攻め込んで統治下に。
その後(その前?)百済と連携して新羅を倒そうと試みるも失敗し撤退。
方針を関東東北に転換し、戦争で北に北に追いやり、アテルイの降伏により東北までは掌握。


近畿が毛人とかめちゃくちゃなんだよw
だったらなぜ近畿中部だけ酒に弱いんだよ
0368名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:21:27.03ID:jrnkzoXq0
纒向のホケノ山古墳は石囲い木槨棺墓であり、
吉備の楯築古墳や阿波の萩原古墳群と並んで、
槨埋葬文化圏である事がわかる。
纒向邪馬台国説は、
ホケノ山古墳の発掘で終わった説。
これを令和まで引っ張るのは馬鹿げている。
0369名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:22:26.71ID:W35MR1eE0
朝鮮人が日本史を辱めて九州凄いホルホルしてるけど、確実に言えることは現代では西に行けば行くほど民度が落ちるって事だけどな

九州土人の民度の低さはやばすぎ
男尊女卑だし
0370名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:22:49.06ID:MtzGAnV+0
>>341
アホかよ
卑弥呼の時代、朝鮮半島は公孫氏が支配し、高句麗は北朝鮮付近を転々としていた
朝鮮南部は小規模な都市国家が多数勃興していたが、まだまだ黎明期に過ぎない

当時アジアで朝鮮〜日本を観れば
公孫氏との交易で隆盛した九州の女王国は文明国の一つと評して間違いない
そのように正しく観れば女王国は、むしろ中華系移民の先導で発展したと見るほうが自然だよ
公孫氏が滅亡したときいち早く司馬氏と同盟した卑弥呼の手腕からも
中華系の出自が強く推測されるね
0371名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:25:25.51ID:QJOat/Vw0
>>360
何で近畿では戦争が起きてないって断言できるんだよw
圧倒的な武力で瞬時に鎮圧したなら形跡とか残らんぞ

九州内では内戦の跡が確認出来るが国同士で拮抗してたんだろうな

畿内は縄文系の人で同族ではなかったんだよ。
0372名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:25:43.27ID:W35MR1eE0
>>370
アホかよ楽浪郡は朝鮮半島の一部だろ
0373名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:27:12.85ID:QJOat/Vw0
>>367
北部九州から多数の移民があり住民が入れ替わったんだよ。
0374名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:27:37.59ID:4HuUmIYk0
邪馬台国は百済と同じで支配階級と一般庶民階級では民族が違っていた、
一般階級は江南人と縄文人の混血した者、支配階級は北朝鮮系の民族と言う事だ
卑弥呼は当然北朝鮮系の民族の出自だから楽浪郡や魏の内情にも詳しかった。
糸島市の平原古墳や久留米市の祇園山古墳は楽浪郡に多く見られる方形周溝墓で
甕棺墓や石棺墓、木棺墓が殉葬されているのがその証拠。
判りやすく書けば方形周溝墓>甕棺墓、石棺簿、木棺墓と言う事になる
0375名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:28:25.00ID:QJOat/Vw0
>>372
何で急に楽浪郡?
0376名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:31:01.26ID:QJOat/Vw0
>>374
そんな事は分からないだろ
君の妄想だな。
0377名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:31:52.40ID:MtzGAnV+0
>>372
何を言ってんだ何の反論にもなってねーぞ
0378名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:31:55.73ID:W35MR1eE0
>>371
近畿に相当数の人口がある大国があったのは知ってるか?ちなみに東北にもあった。

圧倒的な力で形跡すら残さずとか妄想もいい加減にしろよw

戦争が起きれば武具は勿論死体とかも残るんだよ骨にヤジリの後がついてたり。

大国が警戒もせず、遠征軍に抵抗もせず無条件降伏したと?w
なのに近畿を中心として近畿系の人種が放射状に広がってるとかw

九州土人が近畿に東征し、その後定住したなら九州と近畿は血統的に近くなるはずなんだけどw
近畿の王朝が九州を滅ぼしたけど、政権はそのまま近畿にあるからそこまで混血進んでないんだよw
0379名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:33:55.42ID:W35MR1eE0
>>377
お前がそもそも意味不明な事言い出したんだけど公孫が朝鮮半島全域支配していたとでも?

南部は別の国だし、そもそも今してる話と関係ない
0380名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:34:33.71ID:gEC2RF6I0
畿内説
筑紫説
熊野説
大隅説
但馬説
出雲説
四国説
琉球説
鹿島説
台湾説
インドネシア説
エジプト説
ムー大陸説
地球至る所に邪馬台国。嗚呼
0382名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:35:20.75ID:W35MR1eE0
>>373
いれかわるほどの殺戮をしたが死体は残ってないとか妄想凄いなお前w
0383名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:36:39.00ID:uK4VXYp+0
>>292
奈良に大きな遺跡ってだけで天皇に関係あるに違いないって決めつけだから何もわかってない
0384名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:39:04.46ID:QJOat/Vw0
>>378
聞いたことないなw
その根拠は何なの?

北部九州から瀬戸内海、関西は血統的に近いよ。
0385名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:39:20.59ID:nf+c6WyR0
まぁ日本語と日本人というのは九州から全国に広まったのは間違いないからお前らも広義の九州人なんだけどな
0386名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:39:21.92ID:Y2Ppdjlq0
×鬼道で統一
邪馬台国は既にあって、倭国大乱で負けて、倭国が女王を「共立」した。
つまり、男王(=剣を持つ王)禁止=覇権放棄の条件で、和議が成り、
邪馬台の存続が許された。 名目だけの倭国盟主に落ちた。
それで即位したのが卑弥呼だ。
魏に朝貢した際、裏には新覇権国の(おそらく)畿内勢力が居た筈だ。
(その昔、漢の時代は、奴国(博多)が朝貢し、その裏に邪馬台が居た様子。)

しかし、権力を奪われたが故に、却って権威が膨らんだ可能性はある。
鬼道云云はその様子だな。それ故、4C?に邪馬台を滅ぼした後、
畿内勢力は、邪馬台(やまと)の名を継ぎ、伝説の女王卑弥呼を天照にまで
昇華するしかなかったわけだな。
0387名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:40:10.13ID:QJOat/Vw0
>>382
大部分は中部、関東、東北に逃げたんだよ。
0388名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:40:20.36ID:gEC2RF6I0
九州王朝とヤマト王権が別々にあったと思いたくない人は畿内説に走る傾向
そこ放っとくと万世一系史観が動揺するからねー
0390名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:41:44.23ID:+GFZNzmA0
>>354
見たけど>>346のソースになってるか?
0391名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:41:59.34ID:MtzGAnV+0
>>382
江戸しぐさを思い出せw
というのは冗談だが
そもそも記紀が、九州天孫族が既に神武以前に畿内にいて激しい内戦してたし
神武自身も九州出自だと明確に書いている

つまり人種が入れ替わったのではなく
土着土人の上に九州天孫族、更にその上に九州貴種神武が乗っかったという
ピラミッド構造が畿内発展の最初期の状態だろね
0392名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:42:35.03ID:W35MR1eE0
>>387
病気だろお前w妄想を次々とw
0393名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:45:27.83ID:W35MR1eE0
>>387
逃げたんなら追撃するだろ普通
死体が全然残らないぐらいの大勝利だったとしても使わなくなった先進武具とかがそのまま残るだろ九州から来たんなら

そしてそれほどの大勝利ならその先の関東や東北も侵略しようとするはず

色々めちゃくちゃなんだよお前の主張
0394名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:45:29.98ID:+GFZNzmA0
>>388
何で?
九州とは別にヤマト王権で万世一系が続いたでいいじゃん
日本には一つの王朝しか存在できないっていう思い込みが色々と曇らせてるな
0395名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:50:30.85ID:mgYlTaB10
>>354
弥生時代中期の女性と現代日本人のDNAが同じような位置にあったことから、
なんで4世紀以降とかいう結論になるんやろ?
0396名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:54:38.38ID:jrnkzoXq0
公孫度の時に遼島半島の名家は
ことごとく滅ぼされてしまったのだが、
その遼島半島の文化の色濃い遺跡が、
壱岐島にある。
北部九州にもその様な、
公孫氏に迫害を受けた部族が沢山いて、
それ故に、魏が公孫氏を滅ぼして、
喜び勇んで魏に朝貢したのではないか。
まあ、北朝鮮を滅ぼした後、
帯方郡の発掘をすれば、
かなりの事が分かってくるだろう。
0397名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:54:49.64ID:mgYlTaB10
>>365
日本の方が食料が豊富で、自発的に来たと推測するかな。
0398名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:54:59.86ID:W35MR1eE0
>>394
俺は大和王権が万世一系だと思ってる(途中途切れたかも知らんが)

大和王権が2600年前から畿内に存在して、それとは別に邪馬台国が九州にあり、混乱に乗じて大和王権が九州に攻め込んで(おそらく百済と挟み撃ち)統一。
その後に新羅も狙うが大敗して撤退。
その後方針を東征に切り替えてアテルイの降伏で本州統一。
大和王権が力を握ってる為に畿内から放射状に酒に弱い人種が残ってる。

九州しか戦場になってないから当然戦争の痕跡が九州にある。
九州側が近畿に攻め込んだは無理がありすぎる。
そこまででとどまる意味がないし、戦争の痕跡が皆無。大国が突然消える訳もない。
そもそも小国と戦争が多すぎて2600年続いたかすら怪しくなる。

https://i.imgur.com/kNSU7PL.jpg
0399名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 16:58:33.58ID:IjwpyQIC0
>>394
代々倭(九州)を統治していた漢委奴国王一族が近畿に移動して引き続き日本を統治した
彼らが九州から近畿に移動したときに空白地帯となった九州では
親魏倭王勢力が一時的に倭(九州)を統治した

でいいよな
0400名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:01:55.65ID:MtzGAnV+0
>>399
それは違うんじゃね
畿内の先行天孫族も九州傍流、神武も九州傍流
そもそも九州女王国の主流派じゃあらへん

かなり贔屓目に見ても九州分家が畿内王朝で、
もっとはっきり言えば九州で食い詰めて流れついた未開の蛮地が畿内だろ
0401名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:02:09.37ID:91R2gAyr0
>>394
記紀により万世一系が主張されるが、部族は複数いて最強部族は入れ替わったはず。
統治の王をずっと大和族系にしたかった藤原不比等は罪な奴だな。
0402名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:02:46.76ID:W35MR1eE0
>>399
もうその話は終わってるから
九州側が滅んだのは常識
どう考えても無理筋なんだよ近畿に侵略したってのは

勿論九州の大国と近畿の大国は別の国ってのも確定してる
0403名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:03:03.26ID:QJOat/Vw0
>>395
全部見ろw
0405名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:07:20.82ID:IjwpyQIC0
紀元前からずっと中国で戦乱が起こるたびに難民は日本列島に渡ってきた
隋書の頃でさえ秦王国があるほど各地に華人のコロニーはあっただろうね
0406名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:08:41.27ID:MtzGAnV+0
>>402
そもそも九州は滅んじゃいねーわw
畿内が成長する時期に、九州側も発展したんだよ
そもそも前方後円墳の最古形も九州独自に発展しとる

九州が畿内から統制を受けるようになったのは屯倉(みくら)という
徴税行政機関を九州に置いた六世紀の継体帝の時代からだよ

そしてそもそも継体帝は強大な軍事力で畿内を制圧した外部者だろww
0407名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:11:46.89ID:czZhjvDy0
>>389
全古墳調査→実は、万里の長城みたいに、殺戮土民の骸骨がわらわら出てくるのでは?
つまり、古墳は戦死者の墓だとか。

荒川区の骨通りみたいに、いっぱいでてくるかもだな
0408名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:14:10.07ID:W35MR1eE0
>>406
すまんな九州人が滅んだんじゃなくて当時九州にいっぱいあった国が、な。

未だに民度の低い九州に住んで黄砂とP.M.2.5に怯える罰ゲームを受けてるなんて尊敬するよ
東京だとほぼ来ないぞw
0409名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:16:00.44ID:QJOat/Vw0
>>406
701年に大和政権が誕生するまでは九州に倭国が存在していたんだよ。
0410名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:17:03.86ID:IjwpyQIC0
>>402
近畿に侵略?東征説なんて記紀のデマだよ
せいぜいが倭国大乱で敗北した漢委奴国王の勢力が
ツテを頼って奈良の山奥まで逃亡したというところだ
0411名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:18:35.91ID:W35MR1eE0
お前ら日本語話してるくせに言葉の異なる異民族ホルホル大好きだなw
共通してるのは住んでる場所だけだぞw
俺は東京に当時いたエミシに親近感なんて全くないわ
北海道の奴も大半はアイヌなんてどうでもいいだろ
0412名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:18:38.94ID:xeosW7Vv0
>>333
纒向が邪馬台国は完全にデタラメだよね。

だって邪馬台国が畿内説なら邪馬台国連合加入していて位置確定の奴国がある
福岡から大和まで、つまり瀬戸内海沿岸が連合国の勢力圏になるのだから。
0413名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:18:43.82ID:MtzGAnV+0
>>408
そこんとこはどうかな
卑弥呼死後の大内戦で滅んだちゅう見解もあるが
某説では倭の五王のなんにんかは九州の諸侯(王)ではないかとの説もある

いずれにせよ明確に畿内の行政権が九州を統括したちゅう証拠は
六世紀以前にはないな
0414名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:20:03.43ID:v/JTxhqp0
>>408
こんな書込するから日本の考古学は疑似科学と言われるんだよ。
0415名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:22:07.39ID:6Na8PUOj0
もう完全に設定がアニメだな
ちなみに統一なんてしてない
それが出来るには条件が色々あってな
ずっと後の世まで待たなければならない
それを鬼道でやったとか、マンガだ
0416名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:22:20.93ID:W35MR1eE0
>>413
つまり滅んだ時期はいつだとしても大和王権が全国を統治下においた訳で、その大和王権は九州から移ってきたって話は無理筋。
文章で残ってなくとも状況証拠として九州側で戦争が起きている。
仮に九州の政権が近畿に移ったならその状況証拠すら一切残らないのは有り得ない。
世界のどこの国を見渡しても戦争の痕跡を残さず統治した例は無い。
0417名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:23:44.37ID:E5hCM/+Z0
九州は防衛が仕事だから荒くれもののほうがいい民度高いとデメリットだろ
0418名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:24:42.74ID:+GFZNzmA0
>>403
オレは全部見たけど同じ疑問になるわ
岩手のことを言ってる?
東北がヤマト朝廷に侵略されたのは確かにだいぶ後(確か600年頃とかだっけ?)だけど
神武東征とは関係ないだろ
0419名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:26:35.93ID:W35MR1eE0
防衛は自衛隊や米軍の話であって一般市民がダントツ最低の民度なのはどうよ

男尊女卑の酷さはネットで叩かれまくっても全然なおらないみたいだし
嫁にご飯つがせたり正月に女が集まって料理していて男は一切手伝わないとかザラらしいぞ

俺は都民だから知らないけど大阪の女とかブチ切れるんじゃないのそんな態度じゃ


九州の女だけは羨ましいわw
0420名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:27:26.57ID:mSRx6V+KO
>>359
なんというか典型的なネトサポ下請け業者の論法ですわな
0421名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:30:19.73ID:mgYlTaB10
>>403
倍速で見たけど、どの時間にどういう説明あったん?
0422名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:30:20.99ID:MtzGAnV+0
>>416
そこで記紀に書いてあるのは
ヨレヨレでボンクラの神武軍が全く畿内戦力に歯が立たず連戦連敗してたとき
畿内で神のお告げにより既にいた天孫族(九州出自)と同盟したら連戦連勝

こうして畿内の悪い神(これも九州天孫族或いはその側近)をぬっ殺して
遂に畿内覇者となったと。

これから見るにそもそも畿内は長年内戦してて
そこに来た弱々の神武軍を神輿に担いで
連合政権を立てたと見るべきだな
これなら弱小神武が覇者となった理由も説明できる

ちなみに神武は土着の神である大物主を大変優遇したのも、神武紀から明白だが
神輿で担がれた弱体政権だから現地土着民との融和を最優先したわけだよ
0423名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:30:53.67ID:W35MR1eE0
>>294
これをみても九州側が滅ぼされてるんだよね
邪馬台国が滅ぼした側か滅ぼされた側かは関係ないから畿内説九州説に影響ないが
0424名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:32:25.49ID:xeosW7Vv0
>>158
後漢や魏の王族しか持ってない装飾された鉄鏡、あれってスゴい発見だよな。
皇帝用よりはランクが落ちるが皇后用と同ランクで西域の国の王にも贈られたと中国正史に記述あるんだとな。
魏志倭人伝では卑弥呼に鏡が贈られた、銅鏡が贈られたとは書いてるが鉄鏡とは書いてないが
アレはマジで卑弥呼に贈られたものとみていいよな。

だけど発掘されたダンワラ古墳は現存せず、5世紀のものなんだとな。
一度盗まれて古物商にあったところを研究者がみつけたのも出自があやふやとみなされる残念なところ。
要するに埋葬されるまで200年も邪馬台国構成勢力の子孫か誰かが保管していたわけで
大和朝廷にみつかったら没収されて口封じで消されそう。だって親魏倭王の象徴たるものだから。
0425名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:35:13.17ID:W35MR1eE0
>>422
神武とか時代が全然違うし130年以上生きた奴の話はどうでもいい。
戦争がありました(ただし何も残ってません)これが有り得ないから。
死体、武具、焼けた物、必ず色々出る
0426名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:36:41.91ID:+GFZNzmA0
>>422
神武東征はどう読んでも
大国による侵略遠征戦争ではないよな
だから邪馬台国が畿内に遷都したっていう説は×にしてよい
これにより
九州で発生した邪馬台国が卑弥呼の時代の後に畿内に遷都したという説はなくなる
0427名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:37:38.49ID:xeosW7Vv0
出雲の国譲りは荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から実話説あるけどどう思う?

日本海側を支配する出雲勢力が大陸との通商路である対馬海峡の制海権を巡って
北九州勢力と玄界灘海戦をやったとかそんなことはないのだろうか?
0428名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:38:08.80ID:MtzGAnV+0
>>425
当時の畿内が土人村の集合体ぐらいの規模だったんじゃねーの
大国同士の戦争と思うから大規模戦闘と思うので
村同士の衝突レベルなら戦争遺物もろくに出ないわな
0429名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:38:16.79ID:W35MR1eE0
記紀とか完全にファンタジーレベルだろ
うん百年生きた天皇とか
金日成が抗日戦争で云々ぐらいめちゃくちゃな武勇伝書いてるし


はっきりしてるのは近畿の大国が九州の大国を滅ぼした事。九州人自慢の先進武具が近畿で出ないのは向こうから移動してきた訳じゃないから。
0430名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:39:07.10ID:W35MR1eE0
>>428
どうでもいい。今話してる時代が違うの理解してる?
紀元前の話じゃないんだよ今話してるのは
0432名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:40:40.82ID:+GFZNzmA0
>>429
うん百年はなかったはず
せいぜい今の寿命の2倍ってところだよ
うん百年が出てくるのは旧約聖書でしょ
0433名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:46:28.80ID:IjwpyQIC0
戦があったのは倭国大乱くらいだよ
それだって規模はせいぜい九州の南北戦争くらいの話だ
九州邪馬台国連盟も近畿ヤマト連合も武力統一された政権ではないだろうね
0434名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:47:12.18ID:v/JTxhqp0
西都原にもちょくちょく皇族がお忍びでいらしてるんだよね。
0435名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:47:31.58ID:mgYlTaB10
>>427
海流があるから海戦はやりたがらないんじゃないだろうか。
終わった後戻ってくるのめんどくさいし。
0436名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:51:34.34ID:W35MR1eE0
>>432
ファンタジーレベルでしょ
例えば崇神天皇は日本書紀だと119歳で亡くなってるが古事記だと168歳
その次の垂仁天皇は日本書紀だと139歳で古事記だと153歳

享年すらバラバラ
0437名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:52:55.14ID:JthgPAEI0
天皇じゃないけど武内宿禰は300くらいは生きたな
まったくのデタラメか、何らかの事実を含むなら代々継承する名前か役割でそういうのかあったのかもしれん
0438名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:54:53.32ID:jjZmZq/q0
大和朝廷によって日本を統合、制圧したのちに、九州に拠点を置いて、
大陸との交易再開と利権獲得のために半島をウロチョロするが、白村江の戦に敗れ、防衛ラインを大宰府付近に構築するのが600年代
0439名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:55:02.50ID:ObgjeY4u0
正解は卑弥呼は広島にいた
0440名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 17:55:06.54ID:W35MR1eE0
>>437
数え方が違う説とかもあるけど、日本書紀の方が長生きしてる人、古事記の方が長生きしてる人がいて完全に意味をなしてない。
0441◆HKZsYRUkck 垢版2020/01/03(金) 18:00:06.10ID:gggqWEG90
あけましておめでとうございます。

>>32
俺もそっちの説は読んだことがある。
0443名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:05:43.04ID:+UuHd0E20
戦国時代みたいな戦イメージしてる馬鹿
キキ読めばのらりくらり
ちまちましたいざこざしかないのに
0444名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:10:00.14ID:czZhjvDy0
卑弥呼→日巫女で、普通名詞だった

邪馬台国→これも普通名詞だったとかw
越前邪馬台国、福岡邪馬台国とか

これはひどい推理ですね
0445名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:10:45.44ID:BkrHOQFs0
>>428
卑弥呼は鬼道で国々を収めてたからな。
頻繁に戦いの形跡があるような場所は
邪馬台国である訳がない。
まして巫女しかいない宮なんて絶対無理。
三世紀巻向辺りは卑弥呼の宮には一番相応しい。
0446名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:11:53.30ID:MtzGAnV+0
>>445
カエル骨という有力証拠も出たしな

畿内バカ学者の狂喜乱舞すげーわww
0447名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:14:24.71ID:mgYlTaB10
>>441
金を持参したのが邪馬台国で、その事実を他には伏せときたかったので
史書に書かれなかった可能性を考えてしまうかな。
0448名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:15:24.34ID:3UBjF2UK0
畿内には弥生系統の「平たい顔」が多く、九州や東北に縄文系統の「濃い顔」が多いのは、畿内の弥生人が九州・東北を征服したからだろう。

九州→畿内へ征服したならば、九州沖縄地方は、畿内以上に弥生系統の比率が高くなるはず。
0449名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:18:21.99ID:BkrHOQFs0
>>446
いくら喚いても負け犬の遠吠えだぞw
九州説なんて考古学的には既に論ずる価値もないからな。
0450名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:21:05.32ID:MtzGAnV+0
>>448
そうじゃないわ
そもそも畿内は朝鮮人上層部に席巻されたんだよ

大規模古墳や船、馬の技術は全部朝鮮から来たもので、
畿内の土人には無理だった

時期的には三世紀終盤から五世紀ぐらいだろね
辺境の土民国が日本を制圧するのは朝鮮先進技術以外には無く
それが大和王権と後に呼ばれるわけ
まあ詐欺みたいなもんだな
0451名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:23:10.58ID:BkrHOQFs0
九州説はまず倭人伝を正確に読む事からやり直しだね。
特に行程パズルは既にガキのお遊びだぞ。

卑弥呼は鬼道使いだとまず懸賞しろよ、それには三世紀の大陸での鬼道とはから勉強しなさい。
0452名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:23:42.28ID:UJhLZdEM0
>>445
逆だ
倭国大乱を卑弥呼が鬼道で収めたが、彼女の死後に男の王が立って再び国が乱れた
戦乱の跡がないところは邪馬台国じゃない
0454名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:28:29.02ID:3UBjF2UK0
紀元前3〜4世紀、長江流域の呉・越が滅亡し、一部の呉・越民族が海を渡り倭国にやってきた。(渡来人)

渡来人は、北九州に上陸したが、先住民(縄文人)に追い出され、奥地に入植していったのでは。

北九州→出雲→丹波→越
北九州→吉備→播磨→大和

このため、畿内地方には、弥生系渡来人の血が濃くなっているのでは?
0455名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:29:42.98ID:fcw5mOSc0
>>452
倭人伝読めよ、倭国大乱を収める為に女王が選ばれてる。
戦乱自体が女王の宮である訳がないだろ。
戦乱の舞台は北部九州や瀬戸内海だぞ。
0457名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:33:39.95ID:QJOat/Vw0
>>451
>特に行程パズルは既にガキのお遊びだぞ。

魏志倭人伝は女王国までを距離と時間で二重に説明してるだけのこと
帯方郡から伊都国、奴国が距離が12000里で、時間が水行20日、水行10日、陸行1日掛かるって意味だ。
0458名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:35:44.83ID:QJOat/Vw0
>>455
ハア?都も戦乱に巻き込まれるのが普通だろ?
0459名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:36:58.00ID:QJOat/Vw0
>>449
畿内説に考古学的な裏付けとかないよw
0460名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:37:14.70ID:MtzGAnV+0
畿内で朝鮮人の先進DNAが非常に濃いのは武内宿禰の移民政策のせいだよ

有名なところでは弓月君を朝鮮から呼ぶとき
武内宿禰の息子である襲津彦をわざわざ海外に軍事出動させ
数年かけて弓月君を軍事保護
その領民と共に弓月君(秦氏)を丁重に迎え入れている

こうして辺境土民国から1流先進国に成り上がって行ったのや

ちなみにこの前には大規模な朝鮮出兵そのものを頑固に拒否した仲哀が不審死しちゃってる
移民政策・朝鮮介入政策を嫌がる当時の皇室が目障りだったんだろうね
0461名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:38:40.27ID:/LJ6VAFl0
あったらいいながある京都
0462名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:40:34.92ID:3UBjF2UK0
前漢から後漢時代の朝鮮半島は、楽浪郡などの中国支配下。
後漢末期、公孫氏が遼東〜朝鮮半島を支配したが、魏の司馬懿に滅ぼされた。
朝鮮半島が魏の直轄となったタイミングで邪馬台国は使者を送り親魏倭王の称号を得た。

朝鮮民族の力は弱く、倭国への影響力は無かったと考える。
0463名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:41:41.53ID:DnXgusiM0
>>436
そういうのはファンタジーとは言わない。
0464名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:42:51.08ID:DnXgusiM0
>>460
先進DNAw

これがファンタジーですw
0465名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:43:23.85ID:fcw5mOSc0
>>457
戸数の認識が抜けてる時点で相手にもならない。
現在の考古学では弥生中期畿内で最大級の水田跡が確認されている。
また貨泉や鏡の出土からも大陸から北部九州を経て畿内までのルートも確認済み。
0466名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:43:37.98ID:cBYfBPnY0
記紀における大和最大の神格は大物主神だろうがその正体は蛇。これはいかにも原始的な神様であり大和が神話先進地ではなく継承保存地であった事を示す。だからこそ大和は人々の物語(と言ってもその主人公は長らく天皇おおきみだが)を発達させた。
0467名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:47:05.18ID:fcw5mOSc0
>>459
現在は九州説の考古学関係者は皆無だw

だから九州説が考古学の裏付けなんて語るのは冗談にもならないバカな話だ
0468◆HKZsYRUkck 垢版2020/01/03(金) 18:47:47.62ID:gggqWEG90
>>451
> 三世紀の大陸での鬼道とはから勉強しなさい。

ぶっちゃけ卑弥呼の鬼道は、五斗米道などの道教とは無関係だな。
なんとなれば、後漢書東夷伝の倭人の項では「鬼神の道に事え」と書いてある。
要は単なる祖霊崇拝の総称なのだ。
0469名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:48:06.06ID:Cenifs820
>>450
正月からトンスル酒場からなりふりかまわない嘘つきDANの喚き散らしやめてもらえます?w
0470名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:48:27.96ID:MtzGAnV+0
本当に朝鮮には足を向けて寝られんぜ
日本のいしずえはすべて朝鮮技術だからな
畿内に半島DNAがめっちゃ濃いのは当然なのよ
0471名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:51:19.97ID:PeADF5pf0
>>460
在日チョンは気味悪い

これが「在日種族」てやつだな
嘘つき遺伝子て本当だったんだw
0472名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:52:40.78ID:MtzGAnV+0
嘘ってw
どこから馬や鉄が来たんだろうね
そもそも倭人が馬運ぶ船作れたの?ww
0473名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:54:13.95ID:ZHYA1Sn/0
アメリカの歴史書ならアメリカの学者、ヨーロッパの歴史書ならやはり
ヨーロッパの学者、エジプトや中近東の歴史ならやはり現地の学者

邪馬台国について書かれてるのは中国の歴史書のみ
中国の歴史研究家は皆九州以外ありえないと言うが
どういうわけか日本の学者は嫌京都や奈良だ、考古学的に
間違いないと言う 楽しい学会だなw
0474名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:54:15.78ID:xAvwmmMY0
>>470
古代から半島の捕虜や奴婢がたくさん流れ着いてたからねえ
ほぼ全部は北朝鮮の船みたいに日本海の藻屑となって可哀そうな歴史
0475名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:58:33.63ID:CgdjnOFn0
777名無しさん@1周年2020/01/02(木) 21:40:56.83ID:Lccmdj1R0>>797
>>720
嘘つき民族と学術的に断定された在日韓国人は嘘が日課なんだw
本州には朝鮮北部のツングース系などは古墳期以降の関西の在地豪族の戦利品、半島からの難民遺民としてしか来ていない
殆んどが関西の在地豪族の所有民だった


>>745
来る日もくる日も入れ替わり立ち代わり大陸勢力に蹂躙され奴婢化されてたのはお前の祖国の朝鮮半島


778名無しさん@1周年2020/01/02(木) 21:42:23.38ID:i6HLk3lp0
魏志倭人伝には倭は年中温暖な気候で夏も冬も野菜が取れ、生食をしているとある。
温暖な九州でさえ、冬に夏と変わらないほど野菜が取れるわけではない。しかも、雪も降り、年中裸足で生活など出来ない。
この技術だけでも、九州、機内説は無理である。

邪馬台国 沖縄、琉球でくぐれ


780名無しさん@1周年2020/01/02(木) 21:44:05.46ID:yoHuJ0FF0
>>283
魏志倭人伝の時代は当時の中国に最高級の威信財と認識
されていた南海の貝輪を中国の王宮まで仕入れる華僑と
交易しながら支配した海人族が後期縄文人と弥生時代の列島倭人

だから中国の日本の描き方は東西じゃなくて奄美や沖縄まで含むように
南北に長く認識されていたよ
0477名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 18:59:07.72ID:PPrpZulb0
>>434
ニニギ、ウガキヤアエズ、山幸彦、海幸彦、神武あたりと西都原古墳群との関係はどうなるんだろうね。
0478名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:00:14.00ID:CgdjnOFn0
630名無しさん@1周年2020/01/01(水) 15:45:01.10ID:74Tnt8XR0
>>618
うちの辺りは桃の節句とか七夕なんかは旧暦なんだけど、
日本で旧正月の方を盛大に祝ってる地域ってあんのかな?
沖縄の離島なんかにありそうな気がする


668名無しさん@1周年2020/01/01(水) 15:53:00.01ID:G7uryw+r0
>>630
近代以降の日本屈指の学者たちは沖縄や奄美地方や対馬などを日本の源流として飛行機のない時代から時間とお金をかけて多くの研究者が訪れている
対馬は半島から近距離なのに縄文色が濃厚なのは知られているが現在も文科省関係の予算が付いた科学博物館関係者などが研究として訪問している話は聞くね
かなり大きな研究事業のようだ

783名無しさん@1周年2020/01/02(木) 21:48:45.24ID:6t3uS0Ze0>>786
もともと海洋民族であった縄文人や列島倭人が
広範囲に交易をしていたことがここ30年の研究で
より明確に判明してきている
その列島人の航海技術によって大陸の文化と共に渡ってきたのが
大陸南部からの弥生人、ほぼ長江流域の稲作文明人
0479名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:01:21.83ID:CgdjnOFn0
784名無しさん@1周年2020/01/02(木) 21:52:39.57ID:z+qrcX800>>349
>>763
日本書紀では百済はわざわざ扶余と書かれている
倭国の日本人とは違うという意味

百済など朝鮮半島のツングース系穢族や同族の扶余族は
動物肉食で冬には豚の脂をこってり身体中に塗る大陸東北部の
生活習慣だな

稲作メインの弥生人とは最も離れた民族なわけ

786名無しさん@1周年2020/01/02(木) 21:57:09.09ID:Lep2ovG20>>788
>>783
近年の研究ではや日本列島で水田を作り稲作を始めたのは元々住んで居た縄文系の人々でBC10世紀くらいから
弥生時代に渡来系の人は北部九州や中国地方の一部にしか住んで居なかった、来た時期もBC4〜5世紀くらいから
渡来系の人が日本列島全体に広がったのは4世紀以後



787名無しさん@1周年2020/01/02(木) 21:57:22.88ID:bphUVcVy0
>>763
>美術工芸技術的評価は百済翡翠工芸が最も優れている。

世界一の嘘つき国の嘘つきDNAは自分の脳内盲想評価まで誣告する重篤なトンスル脳症?
0480名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:02:59.53ID:CgdjnOFn0
797名無しさん@1周年2020/01/02(木) 22:15:27.68ID:BmKV4SkG0
>>777

【令和考案】

中西進教授
「日本に逃げてきた渡来人、血統で見ると大和人ではなく韓国人だ」


「日本に逃げてきた渡来人、血統で見ると大和人ではなく、韓国人だ」

は、

『日本に逃げてきた渡来人は、血統で見ると縄文D遺伝子のある大和人ではなく、D遺伝子の無い韓国人だ』


という意味だからね。

さすが文系の学者のトップは理系分野の最新の知見を押さえているわけだ。
0481名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:03:27.64ID:CgdjnOFn0
809名無しさん@1周年2020/01/02(木) 22:34:46.70ID:Jad4sEP70
李成桂は李氏朝鮮の最初の王です。

衰退しつつある元の本国から、明との戦いに参加しろとの
命令が出ましたが、モンゴル人の軍人・将軍であった李成桂は
(高麗には日本国内の米軍のように元軍が駐留しておりました)
明との戦いに加わらずに、高麗を滅ぼすこと、権力を簒奪する
ことにしました。

李成桂は、朝鮮半島の統治のために、北からの民を流入させました。
それは、すでに半島にいた穢族と同系の北方のエベンキ穢族です。

その後のモンゴル系による民族浄化のような歴史を重ね古代の日本へ
渡来した朝鮮半島の者達とくらべて、現在の韓国人はその北方エベンキ
とのブレンドとしての最終形態でなのです。

それが主だった要因のせいなのか、韓国では日本人の基底遺伝子と
いえるD1bがほとんど見つからないのです。
0482名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:04:20.56ID:CgdjnOFn0
833名無しさん@1周年2020/01/02(木) 23:10:10.06ID:f9Pm8LJg0
安本美典教授 〔1〕

韓国や北朝鮮の方々には、とかく、日本の言語も文化も、
天皇家なども、ほとんど全てが、朝鮮半島からきたはず
だという、強い『思い込み』があるようにみえる。
しかし、そうであって欲しいという『願望』は、必ずしも、そうで
あるという客観的事実と一致しない。

※ 『』は本文そのまま

安本美典教授 〔2〕

韓国の言語学者でも、ソウル大学の李基文教授は、
『日本語と朝鮮語との比較作業の結果、確実にいえる
ことは非常に少ない』と述べている。
0483名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:04:34.48ID:CgdjnOFn0
834名無しさん@1周年2020/01/02(木) 23:10:21.76ID:f9Pm8LJg0
本美典教授 〔3〕

さて、さる六月に、私の主催している「邪馬台国の会」が
開かれた。その会で韓国出身の統韓鮮氏が、「『万葉集
論争』を論評する」というテーマで発表を行なわれた。
その発表のなかで、 私の先の文章をとりあげて、統韓鮮
氏はいう。
「安本先生は、ご本のなかで、この文章のように述べて
おられますけれども、日本の古代の文物のなかで、朝鮮
半島を通じてこなかったものには、何があるのでしょう。

私が答える。
「私も、朝鮮半島の古代の文物について、非常にくわし
いというわけではないので、ご存知であれば、この機会
に、教えて頂きたいと思うのですが、ふつう、日本の神社
建築の、高床式建築法、千木、鰹木などは、南方から来た
習俗といわれています。
現在でも、中国の西南部の雲南省などにすむタイ族な
どの住居には、高床式建築法、千木、鰹木などが見られる
といわれます(その写真なども、 よく本にのっています)。
また、下駄なども、中国の南部でみられるといいます。
0484名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:04:47.49ID:CgdjnOFn0
835名無しさん@1周年2020/01/02(木) 23:10:38.20ID:f9Pm8LJg0
安本美典教授 〔4〕

統韓鮮氏がいう。
「高床式建築法、千木、鰹木などは、日本では何時頃
から見られたものですか」

私がいう。
「弥生時代からあったといわれていますが、……。」
ここで、会場の参加者から発言あり。
「銅鐸の絵画、家屋文鏡の絵からいって、弥生時代から
あったのではないでしょうか。」
ディスカッションが行なわれたが、 やはり朝鮮半島には、
高床式建築法、千木、鰹木などは、見られないようである。
0485名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:08:01.65ID:lNhJQNiL0
🌟新羅本紀🌟

弥生後期 〜 古墳時代
 
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態


14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。

73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。

208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。

295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。

これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。


これに対して、舒弗邯、弘権が、

▶「われわれは海戦に〔不慣れ〕でございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」

※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。
0486名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:08:44.20ID:3UBjF2UK0
もしかして、ここの九州説の方は、稲作が朝鮮半島から渡来したと考えているの?

衛氏朝鮮や箕氏朝鮮が実在したとでも、考えているの?
0487名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:10:08.26ID:Y/Fm3uxD0
>>485
>「われわれは海戦に不慣れでございます。」

海戦に不慣れてw

大昔から新羅人とか朝鮮半島民族は非海洋民族だったのかよ
0488名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:12:10.01ID:RuPNvya60
>>12
天皇のトウマと日巫女のヤマトは敵対国で、天皇が日巫女を滅ぼして国名を奪った。親魏倭王の印鑑は見つからなかった。
なぜ邪馬台の名前を奪ったか。ヒミコは魏から親魏の王とされているので、邪馬台を滅ぼした投馬国は魏に成敗される恐れがある。
そこで、九州の邪馬台を滅ぼしヤマトの国名を僭称して奈良に凱旋した。これが神武の東征。
詐称が後ろめたいので、日本書紀はヒミコについて「誰とも知らないものが中国に朝貢したことがあるらしい」とあっさり済ました。
日本書紀の編集者が魏志倭人伝を読んでないはずはないのに。

水行10日陸行30日のくだりは次のように解釈する
西へ行けば水行10日でトウマ。逗留場所のイツ国から一日で邪馬台国、南へ行けば水行10日でなんとか国。当時の倭国の最重要な3国の方角を示したもの。

以上3行で済ました。

ヒミコは方墳に埋葬されたと記述されているのに、前方後円墳の箸墓を卑弥呼の墓にしたいらしい。近畿説学者の必死ぶり。
0489名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:12:10.56ID:h4g6xlvi0
『韓国海軍に所属する軍人の約2万6000人が

このほど、水泳テストを行ったところ、63.5 %が

「まったく泳げない」もしくは「5分しか泳げない」

ということが分かった。4日、環球時報が伝えた。』
0490名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:20:16.69ID:4HuUmIYk0
安本美典は邪馬台国朝倉説を唱えているが、それでは投馬国がどこになるのか
説明が出来ん、俺は筑後川北部の朝倉〜鳥栖にかけての筑紫平野部が投馬国で
邪馬台国は筑後川南部の筑後平野と思う。旧山門郡も筑後平野に属するから間違いない
そして敵対した狗奴国は熊本県北部にあった訳だ。
0491名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:21:12.69ID:4HuUmIYk0
卑弥呼の鏡「可能性高い」大分・日田で出土の鉄鏡「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」
中国・曹操陵の発掘責任者が見解・・・佐賀新聞
0492名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:21:28.72ID:HxW/fQsR0
まあ当時中国サイドから日本のサイズが把握できてたわけでもなかろうしな

縦に長い分過大評価されてたのかもしれん
0495名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:25:15.67ID:MY06CtQc0
>>466
大物主は海を渡ってきて国造りを手伝った
神なのだが。
蛇に例えられる事からインドから中国をへてやってきた神。金比羅さんと呼ばれる事から元々クンピーラから来ている。
0496名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:25:57.23ID:MtzGAnV+0
>>494
桃の種なら岡山ではトンデモナイ大量で出てくるよw
0497◆HKZsYRUkck 垢版2020/01/03(金) 19:28:12.83ID:gggqWEG90
>>493
倭国側が「鏡や鉛丹ください」と頼んだわけじゃない気がする。
0498名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:30:20.85ID:v4hunwrl0
百済や新羅は舟の扱いや海での航行能力が基本的に欠如
新羅の場合は唐の水軍の船を使わせてもらうようになって
からは少しは海運力はついたがそもそもはからっきしダメ
これは現代の韓国海軍にまで続いてる朝鮮半島の民族的特徴
この場合は海軍においては致命的マイナスの欠陥
いまだに真球がつくれずよって潜水艦が性能悪くて
実戦では音もダダ洩れでとても使い物にならない

対照的に世界一といわれる日本海海軍の掃海技術を頼りに
大勢の旧日本海軍の兵士が朝鮮戦争で秘密裏に召集され機雷除去で命を失った
韓国の教科書に一行もないし日本が設立したソウル大学でも梨花女子大でも習わない
どうしたものか
0500名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:31:53.66ID:MY06CtQc0
箸墓も吉備や阿波の様式がみられる事から、ヤマトトトヒモモソ姫の存在や伝承を証明してるからな。
モモソヒメは7才で奈良から淡路島を経て讃岐や愛媛で活躍、若くして女王に選ばれた卑弥呼像そのものだから。
瀬戸内海が女王国と呼ばれるのもその為。
0501名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:33:41.17ID:MtzGAnV+0
桃の種で証拠なら卑弥呼は完全に岡山人だわな
0502名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:35:09.10ID:MY06CtQc0
>>497
それはないな、鬼道使いなら。
そもそも卑弥呼を鬼道使いと言ってるのは中国側の認識だからな。
戦いでも黄幡を受けるのはそういう認識が基本にないと無意味だろう。
0503名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:35:59.86ID:nZGTpDsb0
884名無しさん@1周年2020/01/02(木) 23:56:35.63ID:abt35rx8
●時代考証がムチャクチャな韓流ドラマ!!
 そんな韓流時代劇で歴史の勉強する在日韓国人の皆さん!!

韓国KBS放送
2010年の大河ドラマ『百済の王クンチュワゴン』

4世紀になぜかフィリピンや台湾に国家があり、百済王に朝貢。
倭のヤマタイ国から王女「チング」姫が来るが、
原始人に毛の生えた程度の身なりのため使臣扱いされず門前払い。
しかし百済王の配慮で謁見が叶い、ヤマタイ国の使臣たちは感激
して土下座で臣下にしてくれと懇願。
百済の臣下たちは倭人は海賊ばかりで信用できないと反対するが、
百済王は広い心でヤマタイ国を百済の臣下となることを許す。
4世紀の倭人たちがなぜか稲や鉄器を見て驚き、チング姫は百済で
勉強したいと土下座して懇願。
ヤマタイ王が病没すると、百済の第二王子がチング姫と結婚し、新しい
ヤマタイ王となる。
百済王から、ヤマタイ国に「大和」の国号が与えられ、倭の統一を命じ
られる。大和王となった第二王子は、百済の臣下として倭の統一に
乗り出す。

・・・トホホ、何なの?

この在日韓国人そっくりの妄想感・・・・・・・


889名無しさん@1周年2020/01/03(金) 00:03:59.16ID:kE3PGrS70
>>884
声出してワラタ。楽しい国民性だよなぁ。ウリナラファンタジー?
みじめだよなぁ。嘘を思い込まないと、生きられない??正直に生きた方が、
ずっと自由に生きられると思うんだけどね。
そういう風に正しく考えられないのが、韓国人なんだね。本当に、気の毒だ。
0506名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:41:23.33ID:4HuUmIYk0
邪馬台国は狗奴国との戦いで劣勢を強いられて負けるかも知れんような情勢になったから
魏国から檄文を貰ったと倭人伝に書いている。そう言う厳しい状況下で卑弥呼は死んだ
国民は狗奴国と戦争もしなければいかんし、お墓も作らないといけない厳しい状況だった
従って奈良説の唱えるような卑弥呼の墓は箸墓古墳では大きすぎる事になる。
0507名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:45:17.13ID:QJOat/Vw0
>>465
北部九州に七万戸だから現実的だろ
水稲は縄文系の人々が始めたんだよ
関西では鉄器が殆ど出土しないから邪馬台国の候補地としては問題外なんだよ。
0508名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:49:55.55ID:d62E4wEl0
邪馬台国は岩手県です
日本のタブー
0509名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:52:42.87ID:MY06CtQc0
>>506
箸墓は東国側から人員導入できるしその痕跡も多いからな。
狗奴国は熊本辺りで戦乱の舞台は北部九州奴国、もしくは瀬戸内海辺りだから問題はない。
0510名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:53:21.82ID:+TqvJcY50
神功皇后が征服した、北九州の山門のタブラツ姫が
代々女王が統治する事にした邪馬台国の最後の女王だったりしたら、何か都合が悪い?
0511名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:54:40.96ID:MY06CtQc0
>>507
二万奴国に五万投馬国も必要なのに?
考古学的には北部九州説は既に誰も相手にしないよw
0512名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:54:41.61ID:4HuUmIYk0
関西では戦争に使う鉄の鏃が殆ど出土していない、つまり戦争状態では無かったと
言う事で倭人伝の記載とは全く異なっている。
0513名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 19:56:09.97ID:MtzGAnV+0
それは当たり前だろ
畿内土民には鉄を買うような経済力がゼロw
よって鉄鏃もない
0514名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:00:00.56ID:MtzGAnV+0
最近畿内説を主導した大物学者が故人になられたそうだね
今後畿内説ってどうなるの?
0515名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:02:03.78ID:MY06CtQc0
>>512
1-2世紀にかけて淡路島と近江に鉄工房がある時点で何の問題もない。
そもそも倭人伝に鉄を重視した記述もない。
更にいうと鉄の神社である金山彦神社は亀の瀬近くの信貴山にある。神武軍が越えられなかったのもここだからな。
ここは弥生中期から鉄の痕跡に鏡も出土済み。
0516名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:04:07.52ID:MtzGAnV+0
当時の北九州では農具に鉄を使ってるほど普及してたのだが
貧困畿内には無理であったかw
0517名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:05:23.32ID:MY06CtQc0
>>513
鉄鏃は骨や石鏃と同じ扱いなのに?
鉄より水銀朱の方が遥かに高価だから問題なしw
畿内に大規模な古墳が作れるの水銀朱が取れた為だよ。
0518名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:08:17.54ID:4HuUmIYk0
>>509
お前は卑弥呼は奈良にいて熊本の狗奴国と福岡県の邪馬台国が戦争をしていたとでも
言いたいのだろうが、古代の天皇は戦争の時には先頭に立って戦っていた
女王であっても戦場の近くにいて兵をげきれいしていた、斉明天皇は新羅との
戦いの為に朝倉までやって来て亡くなっている。仲哀天皇も香椎で亡くなった
部下だけを九州で戦わせて自分は奈良にいたとかはありえん事だ。
戦国武将も皆先陣に立って戦っているじゃないか
0519名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:08:40.74ID:MtzGAnV+0
鉄なんちゅう安価な金属も買えんのか
畿内土民の経済は悲惨やね
0520名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:11:57.16ID:ptA+aKmV0
>>510
裕ちゃん? それは無理があり杉
0522名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:14:14.50ID:QJOat/Vw0
>>517
卑弥呼は魏から大量の水銀朱を貰ってるけど
中国産の水銀朱が大量に使われてるのは九州の古墳なんだ。
0523名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:14:20.35ID:4HuUmIYk0
そもそも奈良の邪馬台国が東国の住民を使ってお墓を作らせるくらい支配していたら
邪馬台国の勢力範囲は北部九州〜関東地方と言う途方も無い広大な国家になってしまう
こんな事を考えるのはキチガイだな。
0525名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:17:22.10ID:QJOat/Vw0
>>511
北部九州全体が邪馬台国なんだよ
奴国は邪馬台国を構成する都市国家の一つ
投馬国は朝鮮半島南岸
何の問題も無く当てはまる。
0526名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:17:38.28ID:MY06CtQc0
>>518
意味が全くわからないし無知にも程がある、福岡にあるのは伊都であり奴国だろう。
国政は弟王がするのだから何の問題もない。
北部九州は半島や大陸へな拠点なんだから争う理由がある。
宗教の場所である巻向で争う理由はないんだからな。卑弥呼はあくまで巫女王で表にでて戦う理由はない。
争いに負ければむしろ身内側に殺される立場だよ。
0527名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:18:58.09ID:QJOat/Vw0
>>524
九州でも長崎や大分では水銀朱が採れるけどね。
0529名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:21:11.20ID:MtzGAnV+0
そもそも魏国の使者は九州から出てないからね
伝聞記事だから無茶苦茶なわけ

地名でしっかり比定できるのは九州だけって時点でアホでも分かるだろ

そんで魏を継承した司馬氏が史書にするとき
祖先たる司馬懿の有名な偉業(遠来女王の参賀に大喜びしたという有名なエピソード)なので
使者の記録を思い切り全部使って詳細な倭人伝を大々的に書いたんだよ
そんときに伝聞だらけの記事をそのまま使っちゃったわけ
0530名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:21:53.60ID:QJOat/Vw0
>>516
九州では鉄器が普及していたので既に用水路の作成などの土木工事も進んでいんだ。
0531名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:22:55.28ID:QJOat/Vw0
>>528
どこか矛盾したとこあります?
0532名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:24:15.04ID:QJOat/Vw0
>>529
九州から出ていないどころか伊都国付近に長期滞在している。
0536名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:27:37.36ID:MY06CtQc0
>>529
そんなに九州を回って火山も温泉の記述も皆無なんだなw
地名は九州より本州の方がピッタリはまる、そもそもヤマダイはヤマトだしな。
弥生時代の丹山も九州には皆無だし。
0539名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:30:21.66ID:4HuUmIYk0
>>525
北部九州自体が邪馬台国と言う考えは間違い、北部九州は邪馬台連合国家で
邪馬台国は筑後地方に存在していた。従って倭人伝に邪馬台国の東には海があると
あるのは邪馬台連合国の東と考えたら良い、つまり豊前地方も邪馬台連合国家だからな
0540名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:30:24.54ID:QJOat/Vw0
>>536
九州を回ってないよw
伊都国に滞在してる
倭地については倭人から聴いて情報を収集してる。
0541名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:31:31.16ID:GqW0feZM0
>>510
当時シャーマニズムを利用していた勢力は多数存在していた
土蜘蛛伝説の中にも女性が多数出て来る
歴史とは勝者によって作られるものでオオキミという神聖装置の中で排除された者達は土蜘蛛伝説の中で語られる存在となった
出雲は恭順を示した事で祭祀を残したが、恭順を示さない領主は土蜘蛛となって祭祀は滅びた
0542名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:31:46.84ID:QJOat/Vw0
>>539
君の考えは滅茶苦茶だなw
筑後地方に七万戸も入るかよw
0543名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:32:03.10ID:dWRp4Czk0
弥生時代後期までには
関東以南は稲作はほぼ普及済み。
広域水田跡は各地にある。

弥生時代の水田遺跡 

静岡県登呂遺跡   約70500u弥生時代後期 1世紀
福岡県板付遺跡   約47500u弥生時代早期
兵庫県玉津田中遺跡 約30000u弥生時代中期
宮城県富沢遺跡   約40000u弥生時代中期
岡山県百間川遺跡  約40000u弥生時代後期末
奈良県中西遺跡   約20000u弥生時代前期
滋賀県服部遺跡   約18700u弥生時代前期
0544名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:33:16.92ID:QJOat/Vw0
>>538
具体的に上げてみてよw
矛盾無いでしょ。
0545名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:34:21.48ID:QJOat/Vw0
>>543
これで何が分かるの?
0546名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:35:17.21ID:4HuUmIYk0
邪馬台連合国家は三十余国から成り立っていると倭人伝に記載があるから
三十余国は長崎県、佐賀県、福岡県と大分県の北部地域の事を指している。
0547名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:35:53.95ID:MY06CtQc0
>>540
それだけは正解だな、伊都は北部九州にある。でも北部九州には女王に相当する伝承も候補者もいない、男王に関する話しかない。
鬼道に関する説話もない。
巻向辺りは神仙思想に影響された出土品がとても多いしモモソ姫という候補者もいる。
まあそれだけで邪馬台国は畿内だと断言できるよ。
0548名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:37:33.41ID:Q3byVdVZ0
邪馬台国ってどっかの国の使者が来て見たのを書いた書物にしか出てこないらからな
創作か誇張して書いたんだろうな
0549名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:37:46.29ID:MtzGAnV+0
倭人に聞いたらトンデモナイ辺境土人国なので諦めて都会のイト国でのんびりしたんやな

商業盛んで中国の都会にも似てる先進地である女王国はこうして実際に見聞したので超詳しい記述になっておる

倭国諸国の外側に蛮族がいるらしき記述あるがこれが畿内土人国やろね
九州人もそんな蛮族は見たことないしw
0550名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:39:12.75ID:dWRp4Czk0
戸数の計算に必要な生産量の見積もりは
奈良時代にならなければ数字の記録が残っていない。
残っているかぎりの数値では以下のようになる。

延喜式 出挙稲数

畿内 2,087,126
  山城   424,070
  大和   554,600
  河内   400,954
  和泉   227,500
  摂津   480,000

西海道 5,990,581
  筑前   790,063
  筑後   623,581
  豊前   609,828
  豊後   743,842
  肥前   692,589
  肥後 1,579,117
  日向   373,101
  大隅   242,040
  薩摩   242,500
  壱岐    90,000
  対馬      3920

残っている数値では肥後国が圧倒的であり
肥後国が最大の七万戸を擁する
邪馬台国の候補になるだろう。
0551名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:40:15.37ID:MY06CtQc0
>>544
北部九州だけでは邪馬台国七万戸は入らない、以上だね。
あと解釈がただのこじつけ、都合よい無理な解釈をしている、考古学の裏付けも皆無。
0552名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:44:38.50ID:jHa6lvri0
百襲姫がトップだとトラブルの度に
崇神天皇がお伺いに向かう構造になって
すごいしっくり来る
0553名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:45:33.91ID:4HuUmIYk0
>>542
グーグルマップの航空写真で那珂川市・春日市、朝倉・鳥栖の平野部、筑後地方の平野部を
比較してみろ、奴国が二万戸、投馬国が奴国の2.5倍の五万戸、邪馬台国は投馬国の
1.5倍の七万戸だぞ、つまり面積もおなじように比例していると考えられるから俺の考えでピッタリだ。
北部九州全域が邪馬台国では七万戸どころが十万戸を軽く超えてしまうぞ
0554名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:46:04.22ID:MY06CtQc0
>>543
最新の発掘で奈良の中西遺跡は弥生時代前期の時点で43000の水田跡が発見されたんだよ。
当然まだ未発掘の部分があるからな。
0555名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:46:18.36ID:MtzGAnV+0
崇神が男弟のマネしたんじゃねーの
0556名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:46:26.95ID:l5TOnrrn0
戸数だけは信じる畿内説www
0557名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:47:59.73ID:3d5epAMG0
>>550
直接の人口推計もあるのにあえてスルーするのかw
近畿は伊勢志摩、近江も人口多いぞ
0558名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:48:36.71ID:MY06CtQc0
>>550
邪馬台国にはならない、そもそも当時の資料でも大倭、倭国は大和だとあるぞw
0559名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:49:07.53ID:MtzGAnV+0
倭国諸国の外側の化外の民よ
カエル骨崇めたり桃の種崇めたりw

あっ桃の種は岡山から大量に貰ったやつだね
ゴメンゴメンw
0560名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:49:25.77ID:czZhjvDy0
造山古墳、作山古墳

岡山に巨大古墳があるし、桃太郎伝説もある。
鬼の城もある

有力な土地だったんだろうな。
0561名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:51:40.50ID:MY06CtQc0
>>553
じゃ、まずその痕跡を出さないと。
少なくとも畿内以上の水田跡は証明しないとな。
0562名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:52:09.28ID:D9gg2HRl0
>>558
チョンはNG
0563名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:53:12.21ID:3d5epAMG0
>>560
かなり有力
土器も模様もかなり古くから畿内と共通してたりする
0564名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:53:21.57ID:dWRp4Czk0
>>557
直近というのがいつの時代かにもよるが
鬼頭氏の弥生時代の人口推計は
当時集めることができた
1万件の弥生遺跡から推計されている。

今は弥生遺跡データは4万件が登録されている。
それらが正確に反映されなければ
あまり役に立たないと考えて良い。
0565名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:53:36.95ID:WstrJXqX0
魏志韓伝では馬韓弁韓辰韓の韓国全土で十四万戸くらい

倭国は邪馬臺国、投馬国、奴国の三ヶ国だけで十四万戸

これはどういうことかってこと
0566名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:53:57.91ID:D9gg2HRl0
>>541
土蜘蛛つうかミシャグジ信仰滅びてねえけど。
0567名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:54:52.08ID:dWRp4Czk0
>>558
そういえば、まさに筑後に山門があるね。
0568名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:55:17.56ID:MY06CtQc0
で、九州説では誰が卑弥呼になるんだろうな?
少なくともモモソには日女命という日本側に別名の資料もあるからな。
これは国宝という国のお墨付きだぞw
0569名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:55:44.46ID:D9gg2HRl0
>>565

馬韓と弁韓、辰韓って、
後の新羅、百済、任那だけのことだけど。
朝鮮半島の1/3にしかならんよ

https://i.imgur.com/xRL5KOc.jpg
0572名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:58:15.76ID:D9gg2HRl0
>>563
てか吉備国は日本書記に明確に出てきて、ここで絹の作り方として天皇家が蚕の製法教わっとるがな
0573名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:58:23.93ID:QJOat/Vw0
>>551
1戸5人として7万戸だと35万人だから3世紀の北部九州の人口としては適切せしょ。
0574名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 20:59:25.79ID:D9gg2HRl0
>>571
亀頭に祈祷師が祈祷して、
鬼頭の12気筒が火を吹いたのは明らか
0575名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:00:05.13ID:G93qlo7c0
普通に考えて、魏から日本に行くとすれば、九州よりも東方とは考えられない。
鑑真(揚州だけど)の時代でさえ、ようやく沖縄に辿り着いたってのに。
何で奈良の山中に行かなきゃならんのよ。
0576名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:00:23.78ID:dWRp4Czk0
>>565
いまでも韓国の単位面積あたりの
農業生産効率は日本の1/4程度だからね。
むしろ正しい数字と言って良いでしょう。

古い時代の韓国の農業生産の資料がないので
現在からの推測だけどね。
0577名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:01:32.30ID:QJOat/Vw0
>>565
朝鮮半島南岸に5万戸の投馬国があり
北部九州に7万戸の邪馬台国
九州の南部に狗奴国
朝鮮半島とのバランスもいいね。
0578名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:02:32.65ID:afvEi9L90
九州は立地条件からして日本で最も大陸に近いから有力な勢力がいてもおかしくない。
0579名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:04:18.57ID:GqW0feZM0
>>566
諏訪は恭順して神聖化されてると思うけど
0580名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:08:21.52ID:N/vARSq20
卑弥呼の邪馬台国は大和朝廷とは別の地方政権で滅ぼしたか吸収したもの。
中国の歴史書にも記載される有力政権だった。
だから日本書記や古事記に記載がない。
出雲政権も同じだと思われる。
0582名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:12:28.44ID:MtzGAnV+0
>>581
崇神がマネしたんじゃね
0584名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:13:43.87ID:D9gg2HRl0
>>579

だから同化してんじゃん
ミシャグジが擬宝珠になってんだから。

滅びたんじゃなくてまつろわぬ民を下したんだよ
ねぷたとかねぶたもあるし。
0585名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:15:58.62ID:PYFnuql90
宇佐に関しては遣唐使の頃も瀬戸内海を航海する場合潮の関係で必ず経由するところだった
宇佐と吉備は同族との伝承もあるし宇佐からなら西都原方面もすぐ近く。
畿内との関係は早いうちからあったんだろう
0586名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:19:01.72ID:MtzGAnV+0
宇佐と同族なら宇佐が本家じゃん
0587名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:19:40.85ID:OdL5Mavs0
卑弥呼は天照大神以外ありえないだろ。なんで、アクロバチック皇国史観正当化にそんなにエネルギーつかうんだよ?
0589名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:22:30.44ID:D9gg2HRl0
>>581
東征したからだよ
そもそも邪馬台国をヤマトと呼ぶのは後付けに過ぎない
邪馬壹國と記載されてるから、素直に文に従って「壹與」(壱与)が女王になってれば、ヤマイコクだし、
「臺與」(台与)とするとヤマダコクになる
ヤマトって名前にはならんのよ
だから新井白石は長崎の中国人の力を借りてヤマタイ国とした
江戸時代には魏志倭人伝のこの国は日本のなかの一つの国で、朝廷の起源とされてない

第一、ヤマトって「山の戸」だぜ?
0590名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:22:57.63ID:D9gg2HRl0
>>587
そうなると天照って男なんだけど、どうすんの?
0591名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:23:42.67ID:D9gg2HRl0
>>586
宇佐神宮の祭神も知らんチョンはNG
0593名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:25:15.50ID:KLTU3HjY0
異国の乙女よ!!

この曹操に!身も心もくれてやるっ

と、いうのなら!

それを全てで表現しそれを実現するための書をなぜしたためない!!

それが漢の言葉でなくてもよいのだ!!
0594名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:28:56.65ID:MtzGAnV+0
>>593
卑弥呼に惚れたのは司馬懿だよ
0595名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:32:45.38ID:KLTU3HjY0
卑弥呼に運がなかったのは
その支援が必要なときに

曹操および曹丕は諸葛亮の
「いまです!」
に翻弄されまくってたころだしな。

「弟亮、姉、日の御子にお詫びと誠をつくす。
弟亮、まことにあらずんや姉、日の御子に忠を重んずべきとこ
弟、まことに忠ならずんや

とかいった書状が残ってたかもしれないのに
0596名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:33:12.82ID:DkZs+zrY0
邪馬台国は大陸に近かったから中国の魏史に載ったけど
神武王朝は奈良で離れていて、間に倭国連合があるので
直接的な情報がとれなかった。
0597名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:34:08.11ID:PYFnuql90
>>405
秦王国は諸説あるけど宇佐のことなのかもしれんね
瀬戸内海航路なら必ず通るところだし
0598名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:35:24.20ID:GqW0feZM0
>>584
土蜘蛛とは祭祀されなくなった人たちのこと
神話化されたのなら同化したという解釈でいいと思う
神聖化されていない場合は妖怪として忌み嫌われる存在に貶められる
0599名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:36:50.70ID:KLTU3HjY0
派遣されたのは
張政ではなく
張遼だったら

いまごろ日本は中国の属国だったかもしれん

遼来来!
0601名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:39:41.90ID:cBYfBPnY0
日本では近代の体験から神話と強い統一権力は一体のものという思い込みがあると思うが、本当は神話は緩い同族意識が広がった段階で最も生きて働くものではないか、と思わなくもない。ギリシャ神話はその典型だよね。
0602名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:42:07.19ID:MtzGAnV+0
カエル骨という決定的証拠が出たようだ
畿内説の想像力にはある意味脱帽だよww
0603名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:42:46.02ID:PYFnuql90
ヤマト王権に協力的な土蜘蛛も出てくるし全てが敵だった訳ではない
祭祀か文化が違ったんだろう
0604名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:43:45.39ID:jjZmZq/q0
魏志倭人伝では九州に筑紫国がない
大和朝廷の残した歴史書には古代から九州は筑紫国である。
ゆえに、天皇が始まったのは邪馬台国の後の話。
これはゆるがない。
0605名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:43:53.67ID:4HuUmIYk0
宇佐平野は七万戸の家が出来るような広さでは無い、奴国よりも狭いくらいの土地なので
宇佐は単に邪馬台連合国家の1つ、連合国家のひとつだから東に海があるのは当たり前。
邪馬台国は筑後地方で狗奴国は熊本地方となる。
0606名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:45:20.49ID:MtzGAnV+0
土蜘蛛は貧困層のことでしょ
人間以下のくらしって意味
ちなみにこの時期九州はメロン食ってたけどね
0607名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:46:25.80ID:x3b+v1uIO
まだ言ってなかったけど

応神朝が狗奴国で全て辻褄が合うと思うんだけど?

これを言ったから風呂に入るね
0608名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:46:51.22ID:PYFnuql90
魏志倭人伝ではおそらく宇佐は経由していない
投馬国=出雲または丹波で日本海側をまわったのだろう
0610名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:49:06.21ID:IjwpyQIC0
>>604
九州倭国のうち安曇族に連なる北部九州の国々は近畿ヤマト連合に参加して筑紫国となり
九州倭国のうち女王を戴く風習のある中部九州の国々は土蜘蛛として近畿ヤマトに討伐された可能性
0611名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:50:14.63ID:MtzGAnV+0
また九州で鏡が出たか
畿内説いよいよ苦しいのう
0612名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:53:13.06ID:NvRLfUbJ0
桃の種とカエルの骨が出てるので畿内説はまだまだ大丈V~
0614名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:55:20.87ID:MtzGAnV+0
桃の種の本家は吉備やし
吉備から桃の種貰ったら嬉しゅうて土瓶に入れて保存したんやろなあ
田舎は大変だわ
0615名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:55:58.72ID:jjZmZq/q0
>>610
安曇族の祖先が、邪馬台国時代より、半島を経由して、大陸へと航海技術を持った海を知り尽くした人物で
三国時代ののち、おそらく武力情勢によって、半島へとの交流が途絶えた時代があって、そのころから航海技術を駆使して日本各地の開拓に尽力してきたんだと思う。
0617名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 21:57:18.60ID:4HuUmIYk0
奈良でも九州と同じ甕棺墓がかなりの数出土したのを知らんのかな?
邪馬台国を研究しているのならば常識なんだが?
0618名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:03:50.72ID:dWRp4Czk0
同じというのがどの程度のものを
指すのかがわからんが

畿内では弥生時代の九州土器は
ひとかけらしか見つかっていない。

弥生時代はそれくらい
九州と畿内とは関係がなかった。
0619名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:04:22.80ID:KLTU3HjY0
まあ日本の神話の時代は
三国志時代だしなあ・・・
蒼天航路「ならばよし!」や横山三国志「いまです!」
のころとか・・・

知欠がジャンプで鬼道を魔力魔法みたいな路線で
古代ファンタジーを描こうと連載はじめたとき

ちょうど同年代で蒼天航路や横山三国志で
「殿!見てください!この荀ケの策!駆虎呑狼の計!」
「ああ?どこかで見たような策だな?え?荀ケ」
「関羽殿、この先三里に林がみえます。火がみえたら
その方向へ軍を進めてください。張飛殿、曹操軍の牛車が北の砦に
ついたら、火矢を放ってください。あとはお任せします。
子竜よ、西に軍の声が聞こえたら騎兵を突入させなさい。あとは
好きなようにしなさい。
わたしか?わたしは城で劉備殿とゆっくり茶を飲んでいようか」
とか言った実戦術戦略レベルの計略が飛び交ってた
と、いう時代と分かってしまえば、なんで孔明が使えないような
妖術魔術が日本にあるんだよお!となって
いっきに連載終了になったなあ・・・・。

ほんと日本史は中国古代史に対してはまったくの無力だわ
0620名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:04:34.91ID:JWLNCChy0
邪馬台国は宇佐に決定しました。
0621名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:05:07.37ID:ZlA1kwmT0
>>587
スサノオも大国主命も全身入れ墨じゃないのはなぜ?

邪馬台国は南九州or奄美も地方政権
0622名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:05:56.50ID:Ie4hV93C0
>>611
畿内説は京大がバックに付いてるんだぞ?
勝てると思ってんの?
0624名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:07:23.39ID:dWRp4Czk0
学者は畿内説からはとっくに手を引いてるよ。
今は地元の纒向学という名前で
地道に発掘調査してる。
0625名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:07:24.70ID:MtzGAnV+0
>>622
大御所学者様が故人になられたんじゃなかったっけ
0626名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:08:16.28ID:ZlA1kwmT0
>>550
>>557
邪馬台国が当時日本で最も有力な国であるという前提がおかしい。

全身入れ墨の風俗が天皇家・神社に痕跡も残っていない
=邪馬台国は日本の成立と全く関係ない地方の雑魚政権

ってことだ。
0628名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:09:17.70ID:afvEi9L90
九州の八女や山門に有力な勢力があったと思う。
あのあたりは今でも異常に美人が多い。
恐らく古代に栄えた名残と思われる。
0629名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:09:56.95ID:ZlA1kwmT0
>>525
で、九州に「男子は全身入れ墨」という風俗が工藤会以外に残らなかった理由は何ですか?
0630名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:12:09.62ID:dWRp4Czk0
大体2011年頃を最後に畿内説関係の論文が急速に減り
2014年頃に畿内説本の出版も無くなった。

今amazonをググると
畿内説はなかった、とか、機内説n終焉とか
そういう関係の本ばかり。
0631名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:12:26.36ID:MtzGAnV+0
また九州は鏡が出ちゃったからなあ
畿内説必死でかわいそう
0632名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:13:33.74ID:ZlA1kwmT0
魏志倭人伝に

「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」

と書かれているところを、みんな意図的に無視しているのが面白い。
0634名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:14:21.38ID:jvllvZ050
大和国の最初の王である大物主(事代主?、ニギハヤヒ?)は三河県豊橋市出身の可能性が高い



三河県豊橋市の石巻山は三輪山の奥の院であり、三輪山は石巻山(神山(ミワヤマ))から名付けられたと大神神社の社伝に書いてある

大神神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている

実は三輪山の奥の院、豊橋市の石巻山(神山)に向いているわけだな
0635名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:14:55.55ID:Ie4hV93C0
逆に畿内説の人たちって何を根拠に言ってたの?
環濠とか遺構からして九州の方が有利じゃん
0636名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:14:58.82ID:ZlA1kwmT0
>>630
だって、畿内はもちろん、九州ですらなさそうなんですもの。

「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」

こんな国があった痕跡が日本にはない。
0637名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:15:04.99ID:pqLl4O6j0
人類の文明宗教はみな南に発祥する事実
0638◆HKZsYRUkck 垢版2020/01/03(金) 22:16:07.27ID:gggqWEG90
>>629
日本の黥面文身文化は、儒教の受容でいったん滅びたんだな。
おそらく、九州も畿内も時間差はない。

その後、江戸時代後期に「水滸伝」がベストセラーになったせいで
刺青がブームになるが(これが工藤会に残ってるやつね)、そこはそれ。
0639名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:16:08.04ID:ZlA1kwmT0
>>633
議事倭人伝曰く、

「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」

個の風習が、天皇家にも神道にも痕跡すら残っていないのはなぜ?
0640名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:17:12.35ID:MtzGAnV+0
奈良県なんて今でも陰鬱な寒い盆地だもんねぇ
こんなとこにイッパイ住めるような技術は3世紀にねえわな
0641名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:17:23.75ID:GqW0feZM0
卑弥呼がヤマト王権にとって神話化されてるだろうと見るのは当然
アマテラスや百襲姫、比売神など諸説ある
神話というのは後世に歴史を教える為だけに有るのでは無くアイデンティティを伝え民族のルーツを共有する為のものである
蘇我氏が討たれた時に日本の神話を編纂したのは仏教勢力に対する恐れがあったものだろうとも考えられる
0642名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:17:46.01ID:gp47/TH+0
邪馬台国を特別な存在と見るから、北部九州説と機内説が対立するんだよ。
両方にそれなりの勢力があって、後に機内へってのが一番分かりやすいんだけど?
0643名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:20:08.22ID:pqLl4O6j0
南部九州の支配地域だったろうと考える北部九州レベルは
0644名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:20:38.97ID:ZlA1kwmT0
>>638
儒教が来たのは6世紀
それ以前の遺跡からも刺青の風習が出てこないね。

それに、神道は儒教以前からあるのになんで神道の儀式に刺青の風習が痕跡もないんでしょうね?
0645名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:21:00.00ID:iqkI+2kW0
>>270
それ聖徳太子じゃなくて、
阿毎多利思北孤な。
0646名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:21:07.34ID:MtzGAnV+0
3世紀纒向って何もないやろ
メロン食って鉄の農具使ってた先進地九州と比較されてもねえ
今で言えば東京と北方領土ぐらいの差があるで
0647名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:21:19.96ID:EkqWL87O0
ドラえもん のび太の日本誕生〜!(´・ω・`)
0649名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:22:02.71ID:ZlA1kwmT0
>>642
「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」

こんな国、日本に特別な存在だったとは思えないね。
0650名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:22:49.34ID:ZlA1kwmT0
>>648
それはただのお前の考えだろ?

せめてヤマトタケルが全身入れ墨だったらよかったね。
0651名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:22:49.79ID:Jo2kHnN50
日本は中国の属国ではない
つまり邪馬台国は南九州の隼人あたり
0652名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:23:36.98ID:ZlA1kwmT0
>>648
だから、なんでその風習が痕跡も残っていないんだい?

ポリネシアとかだったらちゃんと残っているよ。
0653◆HKZsYRUkck 垢版2020/01/03(金) 22:23:54.14ID:gggqWEG90
>>644
> それに、神道は儒教以前からあるのになんで神道の儀式に刺青の風習が痕跡もないんでしょうね?

こっちについては、記紀の編纂が8世紀だからだよね。

前者に関しては、刺青の埴輪が出てなかったけか?
0654名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:24:55.82ID:TrP+gXgH0
卑弥ちゃんのリボン
0655名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:25:48.67ID:XAPe1tOy0
邪馬台国とか卑弥呼とか中国が勝手につけた名前だからな

卑しい女て意味だぞ
0656名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:26:08.90ID:MtzGAnV+0
また鏡が九州から出て畿内説がショボーンとしてるね
0657名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:27:21.48ID:MU7yuyAW0
>>1
古代をいいかげんに教え、近現代を教えろと文科省や馬鹿ウヨは言う
ダメじゃん
親魏倭王と卑弥呼、呉蜀の関係は現代に続く重要ポイントだ
磐井の乱やら白村江の戦い、継体天皇即位関連あたりもしっかり抑えて欲しいね
そうすれば韓国人にもうちょい対抗できる
出来れば李氏朝鮮や高麗王朝の奴隷国家も明らかに出来れば尚良いが
そこらは韓国の歴史の教科書を模倣すれば良い
まさか冊封国だった子とはスルーしてるのか
0658名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:27:36.51ID:UOvUPFr80
>>606
おバカなのかな
土蜘蛛などの一部が山の中で砂鉄の技術持って
たり山城持ってたり中央に従わないだけでそこそこ力
あった
0659名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:27:59.25ID:pqLl4O6j0
人類学的に全ては南から始まり
南の力が土地に広がりのある北へ移動する法則があるからね
0660名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:29:35.70ID:k3Q+XOSo0
>>652
江戸時代に流行ったろ。ただ暴力団員の文化になっていたので禁止令出たけどな。
皇室が入れ墨なんて下賤なことするわけないだろ
0661名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:30:09.08ID:gp47/TH+0
そもそも卑弥呼の伝説を紐解けば、卑弥呼=天照大御神として
二度の太陽消失は九州地方で起きた日食だろ。
奈良県では起きなかった。
そこから日本史を考えたらいろいろと納得がいく。
0662名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:31:13.78ID:ZHYA1Sn/0
白鳥の出した九州説と内藤の出した畿内説
実は半年ぐらいの差しかないという事実、つまり同時に書いていたってこと
そして白鳥と内藤は非常に懇意にしていたという事実
京大の講師に内藤を推挙したのが白鳥だったという事実
(うろ覚えで違ってたらすまん)

これらからこの二つの説ほぼ同時発表はプロレスだという説もある
新聞のコラムが有ったんだけど画像無くしてしまったw
誰か知ってる人いたらよろしこ
0663名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:31:39.21ID:KLTU3HjY0
あとちなみに
皇歴元年のころは周の時代で
7代天皇の時代はちょうど
「キングダム」の時代ですわあ・・・

信がチャンバラドンチャンやってた時代は
日本まだ神話の7代天、その孫の世代が
吉備津彦乃命の桃太郎の時代。
ちなみに岡山の桃太郎伝説がガチです。

桃太郎のモデルの吉備津彦神社境内に流れる
笹が瀬川支流の水源の芳賀佐山地区は桃の産地。
日本原産の白桃は江戸時代に芳賀佐山の野良白桃が
ブランド化されいまに至ります。もちろん江戸時代に急に
現れたのではなく、野良の白桃として古来から
笹が瀬川流域にあったものです。このことから福島の
原発から生まれた白桃でもなく、香川の清水白桃のコピーが
香川原産でもなく(さぬきうどんはガチだけどね)岡山の野良白桃が
古来からあった白桃ということを鑑みて、その原産地支流が
境内にながれる吉備津彦命神社ということを鑑みて
鬼が島があるといわれる鬼の城は周囲が湿地帯で
目の前を高梁川(すげー幅のひろい氾濫が多い川)
が実は奈良時代以前は流れていたことと、奈良時代は
岡山平野のほとんどは海だったことを鑑みれば
意外と事実関係を合わせてみればガチだったことが
わかります。
0665名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:32:04.93ID:EwHe5PDt0
>>649
鯨面土偶や人面文土器なんか香川や愛知とか各地で出てるだろ
0667名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:33:24.40ID:TrP+gXgH0
畿内より古くて発展した文化が九州にあったのは疑いようもない
その後、畿内が発展して権威付けのために九州勢力の神話などをパクった
そんだけの話だろう
0668名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:34:31.75ID:x3b+v1uIO
狗奴国の男王が卑弥弓呼とか
狗奴国が熊襲なんじゃないの?


何にも悩むとこない気がすんだけど?
0669◆HKZsYRUkck 垢版2020/01/03(金) 22:35:20.95ID:gggqWEG90
>>667
三種の神器なんかは、もろに北部九州の文化のパクリだよね。
0670名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:36:13.28ID:MtzGAnV+0
歴史がほぼない畿内土人地域なので
神武祖先の歴史(九州本家)をこっそり混ぜたとも言えそう
0671名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:36:23.54ID:KLTU3HjY0
>>655
中国は周辺諸国に卑しい漢字をあてるのが
常だったからな

まず間違いなく
日本人使者は「日の御子」と
いった
魏の曹丕の官僚の中心だった司馬懿を中心とした官僚チームは
卑しい当て字を探し当てて記録に残した
これが真実じゃね?
0673名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:37:16.81ID:jHa6lvri0
埴輪の影響で
古墳時代を描いた創作物とかだと
普通に入れ墨的な要素入るよね
0674名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:38:59.80ID:PYFnuql90
>>669
三種の神器に関しては中国の初期道教の影響
あちらでは剣、鏡、玉璽だが日本では玉璽が勾玉に変化している
0675名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:39:28.29ID:FHrf+dR80
>>639
日本の場合は応神前後から文官優位の体制ができつつあったことと、元々の海人族の先駆けの東進集団が移動先で為政者側になったり豪族化したりでそもそもの集団の基層文化の一部を風化させていく時代だよ
毎日のように海に潜ることもなくなって贄の確保などは現地の姻族の役職に鮑や水の調達を命令する側になってるからね
0676名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:41:56.36ID:gp47/TH+0
>>673
当時の「刺青」ってのが今で言う刺青やタトゥーじゃなくて、
単に肌に化粧土を塗ってただけって可能性もあるんだけどね。
0677名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:43:02.86ID:TrP+gXgH0
伊勢に祀られていた最初の鏡は
ほとんどが九州でしか出土していない類と大きさ(八咫)のもの
最初はパクって祀ってたんだけど
歴史の中で何度も焼失紛失されてだんだん小さい代替品に
ショボいのがバレるといけないので非公開
なんじゃねえかなあと邪推
0678名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:43:48.29ID:PYFnuql90
刺青に関しては昭和の時代まで漁師がほぼ全身に入れてたけどね
0679名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:43:49.80ID:Ls7lB0jj0
刺青の風習は奄美あたりだと昭和の頃まであった
九州の海人族も同族
渡来系の蘇我や藤原や秦氏が禁止にした
0680名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:45:18.90ID:MtzGAnV+0
黥面土偶も知らん畿内説信者がおるんやな

そもそも線刻状でない縄文土偶も結構な割合で実は文身(全身入墨)なんじゃね
ニューギニアの入墨とよく似てるわ
0681名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:51:36.19ID:4h1Fz2aa0
タラシ系遡ったら日向隼人や大隈隼人にたどり着くから、どっちにしろ皇室のルーツは九州だし、邪馬台国も九州だろうね
奈良県のはずがない
0682名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:51:44.53ID:Ls7lB0jj0
倭とは刺青の意味で倭人は刺青をしている民族を指すだから中国南東部の刺青をしている部族も倭人と呼ばれていた
サメ除けで顔に海蛇の刺青を入れていたが、やがてファッション化した
海のない奈良では無縁の文化
0683名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:53:11.48ID:TrP+gXgH0
こんなの学会じゃ言えねえよな
研究予算を打ち切られかねない
ネット様様ですわ
0684名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:54:30.90ID:MtzGAnV+0
呉越も黥面文身で有名なんよね
これも海人で中国沿岸にイッパイいたわけ
0685名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:56:37.65ID:Yxf/qfok0
いい加減に和国と日巫女に表記改めろよ
0686名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 22:58:56.35ID:LtlmXzRG0
>>679
>渡来系の蘇我や藤原や秦氏が禁止にした

チョンのトンスル妄想はもういいから
日本の保育所からやり直しなw
0687名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:00:01.00ID:uj/o2LaB0
>>679
その中では秦氏だけが渡来系だが平安京の都市づくりには深く関わって日本に寄与してくれたがその後は下層化して惨めだったな
0688名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:02:46.01ID:MtzGAnV+0
九州鏡スレ覗いたら畿内説信者の悲鳴がこだましてたよ
0689名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:03:05.89ID:xcdLDCSA0
>>679
年初めの3が日から朝鮮半島の屠畜奴婢の白丁が湧いてきてるの?
冬ダニってやつ?
0690名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:08:09.37ID:YVQo64Op0
本当かどおかは別にして1987文字って表現だけで評価に値する記事だと判断する。
で、1987文字は誰レベル?
0692名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:22:16.95ID:EkqWL87O0
まぁ全部漢字だけど400字原稿用紙にぴっちり書いても5枚だな(´・ω・`)
0695名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:37:59.14ID:7dr2XtCL0
沖縄に卑弥呼(天照大御神?)
弟の子供(ニニギ?)が日本に天孫降臨(日本に到着)
その後神武天皇(子供の子供)が神武東征
これはマジ?
0698名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:54:01.70ID:D9gg2HRl0
>>642
おそらくは九州に最初の政体が成立したと考えられる
諸説あるが、
日向高千穂あたりにウガヤフキアエズ朝として存在してたんだろう
古事記にはとにかくやたらに初期はここを中心の地名ばかり出てくる
おそらく九州中央部火の国から北九州にかけて。
南九州は隼人なんだろうな
んでなんらかの天災かあるいは戦役で東への征服遷都の旅が始まり、
当時の岡山平野含めて吉備国は広い平野がなくてスルー
そんで淤能碁呂島あたりから淡路島に初めて上陸
同じく水没してた大阪平野あたりから奈良付近へと移動したんだろう
この二元王朝が統合されたのが磐井の乱
0699名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:54:20.73ID:YN8r/vuV0
しかし2ちゃんの日本史板も侮れないな
前スレに貼られていた画像とかかなりいい線いっているんじゃないのか?
0701名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:55:48.00ID:3UBjF2UK0
史記によると、長江流域の呉越(非漢民族)は稲作に漁労の生活で、刺青を入れていたとの記述がある。

黄河流域の漢民族からみて、南方の異民族は野蛮にみえたのだろう。
0702名無しさん@1周年垢版2020/01/03(金) 23:58:07.23ID:MtzGAnV+0
遂に女王国の鏡が出たようだな
今後畿内説信者を2ちゃんで見ることは無いだろう
0703名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:01:47.75ID:W6d1ZxH20
>>697
うーん

直径21.1cm、厚さ2.5mmの鉄鏡で、反りはなく平面である。
装飾は、腐蝕のために剥落した部分が多いが、約3分の1が残存しており、原状をうかがうことができる。
背面全面に金で竜文が象嵌されており、角や爪は銀で象嵌されている。
また、眼や体の所々には赤や緑の玉が嵌められている。
中心のつまみ付近には漢代の書体で「長宜子孫」(子は欠落)の4文字が金で刻まれている。
この鉄鏡は漢代のものと考えられているが、前漢か後漢かについては両論がある。
金銀を象眼した鉄鏡は、日本国内ではこの金銀錯嵌珠龍文鉄鏡しか出土していない。

また、中国の三国時代に書かれた『曹操集訳注』には、魏の曹操が金錯鉄鏡を持っていたと記されており、この種の鉄鏡は高位の支配層の所持物であったと考えられる。
2019年には中国の研究者が、曹操の陵墓(西高穴2号墓)から出土した鉄鏡をX線を用いて調査した結果、
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡とほぼ同型式である可能性が高いと発表している。
0704名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:02:51.84ID:xhLmmk640
>>695
卑弥呼の一族は沖縄からの移民なのは確かみたいだな。この一族はその後は猿女氏となって
天皇家がその血を有り難がって猿女氏の女子の血をせっせと入れて、猿女氏の神のアメノウズメを祖神に加えてる
0705名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:07:09.74ID:30ayV6BU0
>>698
ウガヤフキアエズ朝の前は富士山の裾野に別の王朝があったらしいから、
災害とか占いとかで遷都するんでネーの?
0706名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:07:58.56ID:827Zdlxb0
>>660
刺青が下賤というのが今の日本の常識

「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」邪馬台国は今の日本と関係ない証拠
0707名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:09:53.59ID:827Zdlxb0
>>675
どうして、三種の神器は残っているのに刺青だけ都合よく消えていくと考えることができるのか不思議でならない。

お前の考えだと全身入れ墨のヤマトタケルがいつの間にか刺青していなかったってことになるが、そんな訂正をする必要性は何?
0708名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:11:03.60ID:827Zdlxb0
>>673
そういう刺青的な要素が神道に全く残っていない時点で邪馬台国と今の日本は別物
0710名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:12:38.61ID:e/EEt7RL0
畿内と九州王権の繋がりは唯一、祭祀伝播によってのみ繋がりを確認できる
記紀の神武東征はおいといてね

これは畿内の物部王権が大陸交易権を確保するため、傀儡九州王権を立ち上げ大物主の祀られた三輪山に天照を共同祭祀し、王族を迎えた痕跡が纏向遺跡だろうと思う
0711名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:14:24.97ID:827Zdlxb0
>>695
うそ。沖縄〜九州南部の刺青民族の邪馬台国は、4世紀前に滅んだ。

大和朝廷は全く別過程で畿内に政権を作った。
0712名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:18:34.26ID:XiEDmZXX0
魏の鏡が九州で出たな
畿内説まじでオワタ
0713名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:33:45.04ID:xhLmmk640
天照大神は秦氏系の太一神とアメノウズメ系の太陽を祀る巫女を合体させて作ったキャラだろう
0714名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 00:38:07.33ID:30ayV6BU0
>>713
「天の神の右目が太陽で左目が月」ってのは日本もエジプトも同じ。
世界中にある、ありふれた話。
0716名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 01:06:18.97ID:tMgquq8e0
道教信奉者の天武天皇が原始神道を中国風に整理したのが神道。
0717名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 01:41:18.91ID:u4T7tnSY0
>>697
以前からむちゃくちゃ綺麗で華やかな鉄鏡ってことは知られてきたからね
史料学や考古学はこのようにクロスして確かめていくのが常道だから
非常に確度の高い声明やね

決定的な証拠になったかもしれんね
0718名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 02:06:28.76ID:DfEcxSr40
>>668
位置的には邪馬台国連合は大分福岡佐賀で本国は大分。狗奴国は熊本だと思う。

また倭人伝に卑弥呼と卑弥弓呼は普段から仲が悪いと書かれていることから
個人的面識がある、政治的な対立、同じ文化圏の国という印象を受ける。

だから邪馬台国と狗奴国は同じ北九州文化圏だが(南九州の鹿児島宮崎は文化圏が違う)
卑弥呼を女王として擁立するのに反対して連合に加入しなかったように思えてくる。

狗奴国が手強いのは米も鉄も豊かな熊本だったから。
卑弥呼死後にトヨが王位につくまで国内をまとめきれず内戦になった邪馬台国だったが狗奴国に負けてない。
つまり卑弥呼が死んだら戦う理由がないんだと思う。
0719名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 02:17:10.06ID:DfEcxSr40
>>717
・漢や魏の王族クラスの持ち物。
・朝貢した西域の大月氏国(だっけ?)の王に贈られたと文献にある。
・親魏倭王の称号を受けた卑弥呼はその大月氏国の国王と同じランク。
・魏志倭人伝には鉄鏡とは触れてないが卑弥呼に銅鏡が贈られたと記述あり。

中国の文献資料からここまで明らかなのになぜ扱いが小さいのやら。
0720名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 02:20:54.08ID:K1tbzU0H0
邪馬台国論争は九州に多くの物的証拠があるにも関わらず邪馬台国とは何の関係も無い
朝鮮系関西人がいつまでも腐った女のようなグジグジと屁理屈をこね回すからキリが無いな
0721名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 02:34:33.05ID:AUr90boJ0
九州説信者のド素人は、九州に多くの物的証拠があると言う
しかし考古学者は、九州に物的証拠があると言わない

どちらかが嘘をついていることになる
0722名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 02:45:20.35ID:DfEcxSr40
>>721
普通に考えたら九州なのは確かなんだろうが
位置を絞り込めてないんだよな。
もしかして卑弥呼の墓や邪馬台国の都市遺跡は今までの災害や開発で消えてなくなったのかもね。
0723名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 02:46:47.21ID:4T2i0s6S0
はにゃ(般若) ほにゃー
はに丸くん。
0725名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 02:55:15.93ID:u4T7tnSY0
考古学者ほど嘘つきの多い学会は無いやろな
藤村事件で悪の巣窟の一部が表に出ただけ
藤村なんてほんの現場に居る一作業員だったのが
20年以上も捏造できるわけがない

学会ぐるみで予算獲得の為に嘘つき通してきたんだわな
0726名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 02:59:19.81ID:AUr90boJ0
>>722
>普通に考えたら九州

物証をガン無視して、魏志倭人伝も曲解して導いた結果が九州だろ?
まあ好きにすればいいんじゃね?

ついでだから言っとくが、もう日本史の教科書も書き換わってきている
現実世界では九州説は否定され、消えていくのがほぼ見えている
0727名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 03:13:56.98ID:K1tbzU0H0
楽浪郡からやって来た魏の使者は一度だけ訪れた訳では無い、倭人伝では伊都国に
とどまったような書き方になっている、これは卑弥呼が亡くなったからであり、
卑弥呼が生きていた時には邪馬台国まで行っている、要するに魏使は何度か倭国を
訪問したと言う事だ。
0728名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 03:19:58.94ID:/UbWXDGd0
いつも不思議に思うんだけど、当時の日本は文盲だったわけだろ?
中国の使者が、「ここの地名はなんですか?」
日本人「ほにゃららほにゃらら。」
使者「ああ、それなら、中国語では、松浦と書くのが近い発音だ。以後、ここは松浦な。
漢字ではこう書くのだ。」

のちに、日本人の発音で「松浦」というようになり、もともとの「ほにゃらら」は消えた。

これでいいよね???
0729名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 03:22:50.58ID:jWuqrMoA0


百田尚樹のデマ


「稗田阿礼が古事記を編纂した」


 
0730名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 03:27:45.93ID:/UbWXDGd0
あるいは、
「ここの地名はなんですか?」
「うぅぅぅ。マツ、あれ、木、と。。。海。。。まつとうみ。。。」
「ああ、なるほど、それはね、発音は違うけど、漢字ではこう書くのだ。松浦とね。」

のちに、

「まとぅうら。。。」(地名決定)

こういうことだよね?????合ってるよね?????
0731名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 03:29:12.36ID:n35X1ayq0
「親魏」って、今で言うと「親中」みたいなものでしょう?なんか、嫌だ。(´・ω・`)
0732名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 04:37:08.82ID:bui2ltvT0
昨夜、3年以上前にアップされた福永説の動画を始めて見たが、
これはスゴイな。https://youtu.be/uxayNyTwXLo

リアルすぎるし、学説がいろいろ分かれるのも当然だし、
記紀も神話化してるだけで事実にもとづいてる。
今後細かい改定や補強はあっても
大きな方向として間違いはない感じがする
0733名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 04:47:58.48ID:K1tbzU0H0
狗奴国と熊襲は別の国、狗奴国は熊本県にあった国の事で熊襲は鹿児島県全域が熊襲の
住んでいた地域、当時は熊襲は北部九州の倭人とは異民族と言う扱いだった。
0734名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 04:51:02.80ID:8wsjsbM00
>>733
一緒だよ
菊池家の子孫の人が自ら熊襲と言っている
むかしブログで見た
今も残っているか知らんけど膨大なブログ
0735名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 05:02:25.57ID:20svWo870
虚しい九州説信者の醜い投稿の多さに閉口
0736名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 05:09:08.46ID:Sa/HhzTz0
まあ、この頃の魏国は余裕があったんかもな。
はるか海を超えて臣下の礼を尽くす変わった国が印象に残ったんだろう。
0737名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 06:25:22.53ID:Yi3Wnvxt0
我が国の歴史
・縄文時代は南方と北方から狩猟を中心として森・山・里山で暮らす縄文人がいた。
・中国南方から稲作と航海術を持つ弥生人が列島に入り込み広く分布(安曇・宗像
 卑弥呼などの倭人=神話の南方的要素)
・ツングース系の一団が朝鮮半島を経由して九州に入り、しばらく倭人と交雑し
 やがて東に進出して後に大和政権となった。(皇室・物部・大伴及び出雲系)

あってる?
0738737垢版2020/01/04(土) 06:36:45.61ID:Yi3Wnvxt0
ツングースは稲作民族ではないから、稲作民を支配し上手くやっていくために
太陽神=アマテラスを自分達の祖霊神にして、祭り上げた。
0739名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 06:59:48.01ID:xhLmmk640
>>737
出雲の大国主の勢力と、隠岐経由で出雲に上陸した渡来人の少彦名の勢力、
この二つで組んだ勢力と丹後方面から上陸した物部氏の勢力が元々近畿地方を支配してて
東征した九州の勢力がこれらを制圧したんだろうな。10代崇神天皇=神武天皇だと思う
0740名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 07:02:59.30ID:aMaZKzJE0
>>730
「日本縦断アイヌ語地名散歩」
この本をぜひ読んでほしい
マツラは「狭い砂浜」とかそんな意味だったはず
0741名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:00:02.35ID:XiEDmZXX0
大分日田で魏の鏡が出てしまったので
畿内説は解散が近いな
0745名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:20:46.79ID:yePk5E5v0
卑弥呼→九州北部の大分か福岡

邪馬台国→九州南部、沖縄


こういう仮定は成り立つの?
0746名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:24:06.57ID:XiEDmZXX0
女王国は大分じゃないかな
0747名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:33:00.40ID:q9XiG7Cp0
>>706
文化や習俗ってのは変わっていくものだ
今はお歯黒をしないからって、江戸時代と現代の日本人は全く関係ないわけじゃないだろ
0748名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:35:58.29ID:+TVTIzad0
孫権が人口不足に困って日本遠征して人間狩りしたらしいから卑弥呼も魏と結ばざる得なかったのではないかな
0749名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:36:15.67ID:BZ6K8giu0
曹叡「倭は国が多すぎじゃね、ねえねえ」
司馬懿「うっせ、廃帝にすんぞ」
0751名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:38:46.34ID:XiEDmZXX0
神武の側近も黥面であったと考えられている
縄文土偶から見ても珍しい風習ではない
中国沿岸に広く分布する越族(海人)も入墨で有名

もっとも中国の支配層である漢人には印象が悪いから
中国と交流するうち段々と辞めたんだろうね
神武以降のことだろね
0752名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:41:17.64ID:Fz7nHwdt0
>>748
それは間違ってて
孫権は日本に人狩りに行こうとしたが当時の技術では台湾までしかたどり着けず
逆に多くの兵士を失った
0753名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 08:45:02.87ID:NCTmuHuu0
宇佐は九州でもママコ扱いなのになんで邪馬台国なんだよ
ママコ扱いだったから機内の手下になったんだろ
0754◆HKZsYRUkck 垢版2020/01/04(土) 08:46:20.73ID:kdV+Jedr0
>>737
俺の感覚もだいたい同じ。
岡正雄,195「日本文化の基礎構造」の5分類に当てはめると、
2番目の集団は「男性的・年齢階梯制的・水稲栽培=漁労民文化」に
特徴づけられる海人族で、3番目の集団は「父権的・「ウジ」氏族的・支配者的文化」
の天孫族となりそう。

ただし、同じ瀬戸内海でも山陽側の海人と四国側の海人は
種類が違うようだし(それぞれ九州の北部と南部に対応している)、
2番目の集団はもっと分けられるかも知れないね。
0755名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:04:29.52ID:XiEDmZXX0
>>736
公孫氏滅亡時の虐殺で司馬懿は世評を心配していた
そこへ女王国の使者がいち早く到来し参賀を述べたので司馬懿は大喜びしたと言う

司馬懿は気難しい人で有名なのでこれは特筆すべき逸話となった
逆に言うと半島情勢の激動時期に瞬時に司馬懿に味方した卑弥呼が外交的天才であったと言うことになる
0756名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:08:29.40ID:8zNGI6/n0
>>746
魏志倭人伝の中では女王国は伊都国と奴国の事を指しているよ
これ魏志倭人伝を読む上ではこの点を踏まえてないと内容が理解出来ない。
0757名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:11:37.03ID:8zNGI6/n0
>>755
卑弥呼が公孫氏に遣いを出したら公孫氏の滅亡に遭遇し
そのまま魏に朝貢したんじゃないかな
たまたまの可能性もある
倭は公孫氏と頻繫に往来してたんだろう。
0758名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:14:35.19ID:8zNGI6/n0
>>718
七万戸とあるので邪馬台国連合は福岡、佐賀長崎、熊本、大分くらいで中心地は伊都国と奴国(糸島市、福岡市)。
狗奴国は鹿児島、宮崎だよ。
0759名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:14:55.89ID:WLc16Cn90
>>733
九州北部は安曇族(弥生系)
九州中部南部は熊襲(縄文系)
安曇族は漢委奴国王と一緒に近畿ヤマトを立ち上げた
邪馬台卑弥呼も狗奴国の卑弥呼句も同じく縄文系
九州邪馬台は近畿ヤマトに土蜘蛛として討伐された
0760名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:17:03.72ID:8zNGI6/n0
>>726
曲解してるのは関西説だろ
距離と時間の説明を連続して読むとか無茶ぶりしてる。
0761名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:19:44.01ID:8zNGI6/n0
>>745
成り立ちませんw
卑弥呼→九州北部の糸島市
邪馬台国→九州北部
女王国→伊都国と奴国
0762名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:19:49.70ID:XiEDmZXX0
そもそも卑弥呼が半島情勢に明るいのは公孫氏と貿易をしていたと考えられる
司馬懿に使者を出せば逆に公孫氏との交易を責められる可能性が無いわけではなかった

しかし公孫氏と激闘して虐殺騒動を起こしていた司馬懿には
古来中国で吉兆とされる遠方の夷蛮からの参賀は大変な慶事として喜ばれた
また朝鮮半島での背後の抑えとして役立つ軍事的意義も大きかった
そこで魏帝に図らいさっそく親魏倭王との破格の官位を詔したわけである

このように司馬懿の心理及び魏の状況を読み切った、
ホームラン級の天才外交であったと言うことができる

卑弥呼は何者かと言えば、大国と渡り合う度胸と高度な知識があった人物でありそもそも僻地の蛮族ではない
だとすると高度先進地である九州北部こそ女王国と常識的に結論せざるを得ない
0763名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:24:32.44ID:WLc16Cn90
>>762
30国ほどが使訳を通じてたんだから卑弥呼だけが特別なわけじゃない
当時倭国内にはあちこちに華人のコロニーがあってもしかしたら国を形成していたかもしれない
それくらい華人はありふれた存在で半島情勢華人情勢は刻々入って来ていたと思う
0765名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:35:08.12ID:xMxTrITD0
>>737
弥生時代最初の渡来人はおそらく朝鮮経由できた北方民族だろうな、たぶん。
次に東シナ海を渡ってきた呉越人、すぐ後に朝鮮経由で秦の浪人かな。
0766名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:35:10.58ID:8zNGI6/n0
>>763
使訳を通じてた30国を統括して従えていたのが卑弥呼なんだよ
でないと親魏倭王金印なんて貰えない
卑弥呼は特別な存在だったんだ。

>>764
3世紀の日本を記した資料は他にないから
魏志倭人伝を研究しないってことは歴史を研究しないってことだよ。
0767名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:42:43.78ID:8zNGI6/n0
>>765
・縄文系の人々は南のスンダランド方面から北上して来て日本列島に定住していた
・18000年前くらいから縄文土器を作り始めた、栗などの栽培を始めた
・紀元前1000年頃から縄文系の人々が水稲の栽培を始め、弥生土器を作り始めた
・紀元前5〜4世紀頃鉄器を持った渡来系の人が北部九州に移住してきた
・4世紀以降渡来系の人が日本列島全体に広がった。
0768名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:44:08.12ID:RQHshlob0
一方そのころ朝鮮ではトンスルという飲み...
0769名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:49:23.47ID:xMxTrITD0
>>750
まず台湾に行ったのが間違いだろう。
黒潮があるため台湾→沖縄→九州南部とたどり着くのが難しそう。
特に台湾→沖縄が最大の難関だろうな。
流されてたまたま九州に漂着できればラッキーだが、
大半はアメリカ大陸まで流されたと推測される。
直接九州北西岸を目指せば嵐に会わない限り、さほど難しくなかったはずなのに。
0770名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:54:35.14ID:W6d1ZxH20
>>705
それもあるかもしんないけど、
大分で大規模な噴火あとが観測されてるからそっちだと思う
それをきっかけに戦乱が起きたのかもしれん
いずれにしても土地を捨てる何かが起きたんだろう
0771名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:55:53.98ID:W6d1ZxH20
>>709
神道の儀式に庭ってあるの意味がわからん
チョンはNG
0773名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 09:59:26.95ID:xMxTrITD0
>>766
3世紀ならたぶん崇神の御代だろうから、日本側にも資料あると思うけど。
0774名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:01:06.26ID:W6d1ZxH20
>>719
だってこれ見つかったの1966年の代物だもん
ずっと前から研究されてて、珍しい鉄鏡ではあるが、九州の非邪馬台国の有力領主が直接大陸から手に入れたという説が濃厚
たしかに漢代から三国時代にかけての金嵌銀嵌なんだけど、
文献的には特定できない
また邪馬台国とすると出土数が少なすぎる
まだ掘らないとわかんない
0776名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:02:52.27ID:W6d1ZxH20
>>768
邪馬台国前後の朝鮮半島は漢の直轄の楽浪郡が置いてあったり、
のちに馬韓、辰韓、弁韓が立っていた先進国だけど?
0777名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:03:23.45ID:vIaccyqL0
卑弥呼チーム(邪馬台国首脳部)は倭国語のほかに中国語、韓国語も操ってたと推測されるからな

普通に馬韓からの移民でしょ

魏志倭人伝と同じ魏志の韓伝の章に「馬韓に卑弥国があり、鬼神を祭っている」って記述があるんだよ

鬼道の卑弥呼と同じでしょこれ
0778名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:05:47.08ID:W6d1ZxH20
>>759
されてない
坂上田村麻呂の土蜘蛛討伐は東国の蝦夷相手だ
0779名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:06:15.38ID:8zNGI6/n0
>>773
九州北部では紀元前後の硯が数多く出土しているから
記録はあったんだろうが、8世紀に大和政権が焚書してるね。
0780名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:07:01.91ID:W6d1ZxH20
>>777
てか、馬韓あたりに邪馬台国あってもおかしかないんだよ?
みんな頑張って無理やり解釈してるんだけど、その方が自然なくらいなんだから
0781名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:07:02.48ID:DfEcxSr40
>>757
朝鮮半島情勢や対馬海峡の制海権維持は邪馬台国でも後の大和朝廷でも重要視してるよ)。

邪馬台国連合国が伊都国に置いてた一大卒も国防目的で対馬海峡の人やモノの監視する機関だろうし。
0782名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:09:11.34ID:XiEDmZXX0
朝鮮からの高度移民というか
もともと中華系の朝鮮支配層で九州北部に移民した考えるとしっくりくるね
公孫氏側が滅亡して不明だが
公孫氏が絶頂期の朝鮮で自由に貿易できてたとすれば
もともと中華系なのではないか
0783名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:13:08.60ID:xMxTrITD0
>>767
紀元前1000年頃に来たのが朝鮮経由の北方民族、
紀元前5〜4世紀頃が東シナ海を渡ってきた呉越人だろうな、たぶん。
紀元前3世紀末〜が朝鮮経由で秦人かな。
0784名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:14:20.82ID:W6d1ZxH20
>>737
修正する
> 我が国の歴史
> ・縄文時代は南方と北方から狩猟を中心として森・山・里山で暮らす縄文人がいた。
→正確には「縄文人と呼ばれるさまざまな部族」
山に阻まれ航海が困難だったので藩制度なみに気質が違う
三内丸山と越の国、毛の国で風俗違う

> ・中国南方から稲作と航海術を持つ弥生人が列島に入り込み広く分布(安曇・宗像・卑弥呼などの倭人=神話の南方的要素)
→おそらく長江民

> ・ツングース系の一団が朝鮮半島を経由して九州に入り、しばらく倭人と交雑し
→朝鮮半島の南にいたのはツングース系ではないよ
エベンキなんぞまるで関係ない
櫛形文様土器の移動民族

>  やがて東に進出して後に大和政権となった。(皇室・物部・大伴及び出雲系)
→たぶん蘇我氏は渡来系、大伴は国人。
融合政権だと思われる
ヤマト王権の時期にはそれぞれ独立で、
天智天武のころに統一。そのあとも揉め事あるんたけどね
0785名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:17:18.60ID:W6d1ZxH20
>>782
おそらく日本に移民してきた韓国高官はいたと思うよ
そのパターンもあると思う
それは高麗神社の分布で追えると思う
同じく船で流れ着いた難民もいるから、そのまんま公孫氏一族が亡命したとは考えにくい
もし一族亡命なら神社があって、公孫という家系がなきゃならんぞ
0786名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:19:35.08ID:xMxTrITD0
>>775
金属器や建築・建設等で高い技術を持ってたんじゃないかと推測するかな。
近畿で銅鐸技術が発達してたのもその影響じゃないかと推測するかな。
記紀で崇神から説話が書かれ始めたのも
政に参画し始めたからじゃなかろうかとも推測するかな。
0787名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:19:54.12ID:zCIc/ZL+0
邪馬台国が滅ぼされたというが卜部氏に伝わる亀卜や祭祀が中臣氏を通じて補完されている
春日大社にはタケミカヅチや比売神が祀られ神格化されており蘇我氏の権勢が衰えた後に復権した中臣氏が福岡に春日神社を再建した
春日神社には奴国に縁がある藤原氏のルーツがあるのではないかと思う
0789名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:24:54.28ID:2pvYmIsY0
北海の東に倭があって水軍の出兵可能範囲内と錯誤していたなら
江東での水軍の編成大幅にかえなきゃならんからそりゃ厚遇するわな
 
呉は魏にそそのかされた山越に手を焼いていたし外圧の有用性と
始皇帝の蓬莱伝説が魏呉へ倭の位置に先入観をもたせたんだろうなあと推測
0790名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:25:37.10ID:xMxTrITD0
>>777
馬韓とは交易する関係にあったと推測するかな。
移民は非常に限られた人数だったんじゃないだろうか。
馬韓はそれなりに農作物あって最低限の飢えは凌げてたろうし、
中国・倭国に挟まれ交易の拠点として栄えてたろうし、
わざわざ九州に移民してくる必要はなかったと思うかな。
日本に大量に移民してくるのは辰韓の方じゃないかな、たぶん。
0792名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:27:41.34ID:DfEcxSr40
>>769
日本列島の正確な位置をつかんでなかったことが原因だろうね。
浙江省あたりから真東に向えば南西諸島のどれかの島を目にして島伝いに北上する手も使えたはず。
いや島を目にしたが無視して東進したのかも。
0795名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:32:24.48ID:9aF4BDP70
卑弥呼は新羅の王姫ヒ・ミコが倭国へ渡って女王になったニダ
0796名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:33:24.80ID:GJ5koBq+0
>>794
戦いまくってたからな…
大事な書物が城と一緒に燃えるし
というか、燃やしてるんじゃなくて火事で燃えてるんだぞ
0797名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:34:57.47ID:xMxTrITD0
>>792
南西諸島が黒潮でガードされてるため、なかなかたどりつけない地域だろうね。
たぶん鹿児島からが比較的楽かなと推測するかな。
0799名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:38:12.56ID:F2Sm3n150
アマテラスは卑弥呼だよ
0800名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:38:25.86ID:DfEcxSr40
>>773
崇神天皇は卑弥呼と同時代の人物との説があるよね。
つまり近畿に大和朝廷があったが大陸と交流がないため魏志倭人伝には乗らなかった。

もしや倭人伝にある海路一年という裸国や黒歯国は大和朝廷のことだったりしてな。
0801名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:39:08.78ID:fzF4sWBT0
記紀に邪馬台国や卑弥呼の話が出てこないのは、当然
記紀というのは、ヤマト朝廷が日本の正統な統治者だと主張するための書物であって、
第三者が来た歴史書ではない。
だから、ヤマト朝廷と系統が違う邪馬台国や卑弥呼を記述することはない。
0802名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:40:16.21ID:fzF4sWBT0
×第三者が来た歴史書ではない。
〇第三者が書いた歴史書ではない。
0804名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:42:37.98ID:ewUKJF/T0
>>801
でも退治した相手として記述があってもいいと思うが。記述がないということは大和朝廷と対峙する前に滅ぼされたり衰退して書くまでもない状態になってたのか。
0805名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:45:15.68ID:8zNGI6/n0
>>783
紀元前1000年頃に水稲が日本列島で始まったが
これは縄文系の人々が稲作を始めただけで新たな人々が日本列島に来たのではない
偶然に漂着した難破船に籾が積まれていたくらいで
数人が来たくらいだろうな。
紀元前5〜4世紀頃が北からで鉄器をもたらした
縄文系の人々も農耕してたんで暫くは北部九州付近に留まり勢力が広げられなかったみたい。
他にもいたかもしれんが分からん。
0806名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:45:34.98ID:xMxTrITD0
>>779
九州の歴史はあきらめて、大和政権の歴史をもっと研究した方がいいんじゃないだろうか。
0807名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:47:17.43ID:DfEcxSr40
>>17
そりゃ大和朝廷は歴史の長い大国で中国とは対等の関係という立場上、
3世紀半ばに朝貢した女王の存在は認められないから。
でも存在を消せないからこそ神功皇后の章で中国文献からの引用として朝貢した女王の存在をほのめかしている。

といえ日本側資料で邪馬台国のことを知ってたのだろうか?
天照大神のモデルが卑弥呼ならもろに知ってたということになるが。
0809名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:53:53.36ID:DfEcxSr40
>>804
神功皇后が九州遠征で滅ぼしたタブラツヒメが
邪馬台国そのものと言われるが年代が合わない。
だが日本書紀にも九州には邪馬台国系統の末裔であるらしい女リーダーの国が多数出てくるんだよな。
0810名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:54:19.11ID:XiEDmZXX0
日本列島の正確な位置を掴んでないというか
そもそも魏にとっては第一義的には公孫氏滅亡後の朝鮮交易の相手方としての
経済的意義の大きい同盟なので
九州北部の高度先進地帯さえ視認できれば
それ以外の夷蛮の地はどうでも良かったのではないか

そもそも魏の使者も九州北部から一歩も出ておらず、実際に見た九州北部以外は伝聞でしょうね
というか倭国大乱後で九州南部には敵対勢力がおり西は蛮族で
そもそも危険で視察させられないわな

というわけで旅程地理も伝聞で、倭国諸国以外の蛮人は中国の適当な地理書から引用しちゃってると思われるね

ちなみに使者の記録をもとに陳寿が執筆したのは、呉が滅亡した280年よりも後と考えられているので
呉を威圧するために、ことさらに大きな国域を設定したとする見方も少し説得力に欠ける
この時期、司馬氏の晋は中国を久々に統一した巨大王朝に既になっていた

とはいえ前記の事情でそもそも使者の記録が九州北部以外は伝聞だし
また帝祖司馬懿の業績(女王国の参賀に大喜びした有名なエピソード)なので、できるだけ詳細に書きたい
こうして使者の記録を全部使ったから伝聞混じりになっちゃったんだろね

とはいえ使者が実際に見聞した九州北部の繁栄は信頼に値するし活写にみちている
やはり第一級の資料だよね
0811名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:55:19.51ID:Hhitm9rt0
関係ないがヤマトタケルとタケミカヅチが闘ったらどっちがかつのか
0812名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:58:05.81ID:xMxTrITD0
>>805
縄文人は朝鮮半島側にもいたと思うから、
縄文人同士はそれなりに交流してたと思うかな。
水田稲作をしてた朝鮮側の弥生人が海を渡って来て、
一度九州北部で水田稲作に成功したら、
その後それなりの人数が渡ってきたと思うかな。
元々朝鮮側の弥生人の人数もしれてたと思うから
民族大移動のようなもんじゃないとは思うけど。
弥生人と縄文人で九州北部や山陰・北陸で農耕をしながら
人口が加速的に増加してったと思うかな。
0813名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:58:13.66ID:WLc16Cn90
卑弥呼が死んだときに邪馬台国勢力は事実上終わったとみていい
台与というのは近畿ヤマトが吉備あたりからつれてきた傀儡
0814名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 10:58:21.35ID:XiEDmZXX0
間違えた、東は蛮族、でした
0815名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:07:41.62ID:m6H0EgQh0
稲作自体はかなり早い時代に西から東へ伝播しているし人の行き来もある
だから神武が畿内まで来たときにはすでに同族が多数入植していたという記述がある
0816名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:09:33.39ID:F2Sm3n150
神武が畿内に侵入していた時に畿内で稲作を行っていたのは銅鐸を祭祀とする出雲族だな
0817名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:12:17.94ID:XiEDmZXX0
この時期、圧倒的に高度文明だったのは九州北部でしょ
そこ以外には女王国はありえんよ
宗教パワーも源泉は経済力と軍事力だからの
0818名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:15:09.55ID:52ycYYPG0
>>12

天照が卑弥呼だと 天照の権威が低下するから記紀にきさなかった
0819名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:15:49.51ID:WLc16Cn90
>>810
司馬懿のライバルにして西アジア方面担当の曹真が大月氏国の恭順を成し遂げたので
それに対抗して東担当の司馬懿が功績を大きく見せるために倭国からの使者を利用した可能性

229年 大月氏国(クシャーナ朝)、金印「親魏大月氏王」
239年 倭国、金印「親魏倭王」

洛陽〜大月氏国間 1万6370里      (戸数10万戸)
洛陽〜倭国間    5千里+1万2千里 (戸数計15万戸)
0820名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:17:38.90ID:m6H0EgQh0
>>817
紀元前後まではそうなんだけど、この時代には中心が東に移動している
鏡の出土年代分布だけでなく他にも物証があるので
0821名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:19:13.57ID:52ycYYPG0
>>801

天照の生前の名前はオオヒルメであり漢字表記は大日巫女
ということで生前の天照は巫女でありシャーマニズムで倭国を統治していた

シャーマニズムとは死んで鬼籍に入った人の御魂が巫女に憑依して神託を告げる宗教であり
これは中国でいうところの鬼道である
0822名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:22:34.44ID:2fE64XON0
北九州の一地方国と北インド・パキスタンを支配した大国を同列に扱ったのだろうか?
0823名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:26:22.98ID:xMxTrITD0
>>817
食料生産性は九州北部の方が圧倒してたんだろうとは思うが、
工業技術等では近畿の方が高かったんじゃないかなと思うかな。
大陸との交易で物は充実してたんだろうけど。
0824名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:31:47.21ID:xMxTrITD0
>>810
倭国を訪問した役人が帰った時点で何らかの資料は作成し皇帝に報告するなどはしたんじゃないかな。
史書はそういった資料をまとめて編纂したものだと思うけど。
0825名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:33:45.32ID:vKwWHe0M0
>>788
戦中戦後、兵員で減った労働力を補うために、併合した大陸から募集して日本に来た労働者が、そのまま住み着いた。
多くは親日で友好的だが、戦争に巻き込まれて移民を余儀なくされ苦労させられたという理屈から在日特権を訴え続ける人もいる。
0827名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:35:08.45ID:XiEDmZXX0
少なくとも鉄器流通で言うと九州北部が一番と思うがな
そもそもこの時期、鉄は塊や板で朝鮮南部やその北の中国から輸入してるので
国内では生産できず鍛冶場があるだけだ
鉄流通を押さえた九州北部が繁栄するのは当然やね
0829名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:37:05.10ID:8a5eDo5X0
「ヒミコ」と言ってるが
実際「卑弥呼」を中国読みしたらどうなるんだ?
「ヒミコ」じゃないだろ

正しく呼ばれた音を教えろ
0830名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:38:20.19ID:Nc2q/0u00
卑弥呼とか邪馬台国って別の呼び名の当て字臭いよね・・・
0831名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:44:10.43ID:K1tbzU0H0
奈良説論者は淡路島にも鉄工房の跡があると言うが、その割には鉄製品の出土が
殆ど無いと言うか淡路島からの鉄製品の出土はゼロ、本当に鉄工房跡かも疑わしいし
工房は出来ても原料が手に入らなかったから製品は出来なかったと言う事になる。
北部九州とは全く交流が無かった証拠だな。
0832名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:44:39.25ID:DfEcxSr40
>>816
出雲の国譲り神話の件と神武が大和国制圧の件があまりにも被るよね。

国譲りは実際の出雲じゃない説あるけど
荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で大量の銅剣銅鐸が出てることからどうなんだろうか?

国譲り神話で力比べに負けて諏訪に逃げたタケミナカタ神が祀られる諏訪大社には
銅鐸に似た鉄鐸なるものがある。出雲勢力=銅鐸。コレ単なる偶然ですか?
0833名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:47:28.15ID:XiEDmZXX0
ちなみに纒向(笑)でも鍛冶場遺跡が出たが時期は不明のようだね
しかも鍛冶場技術は九州のものだったと報道されたね
後進地帯の奈良盆地では鉄の鍛造も輸入技術だったのかな
九州北部だと農具に鉄を使用するぐらい鉄は普及し安価だったんだけどね
0834名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:48:20.14ID:8zNGI6/n0
>>823
淡路島に鍛冶場跡が見つかってるが関西では鉄器が殆ど出土しないからな
福井県で鉄器が多数出土してるけど勾玉に穴を空ける道具で針みたいな小物だから量的には極わずか
鉄器の出土数、量ともに九州が圧倒的だな。
0835名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:54:10.12ID:cmikDfjO0
邪馬台国畿内説の動揺は皇国史観の動揺
0836名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:56:14.46ID:pDjtsSNI0
九州の日田で曹操級の鏡が発見されたんだろう。九州で決まりじゃんw
0837名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:56:22.51ID:XiEDmZXX0
ちなみに朝鮮南部の製鉄といえば金官伽耶が大変有名だが
これは対馬の目と鼻の先
しかも後漢の技術を輸入して三世紀頃から製鉄を始めている
楽浪帯方だけでなく金官伽耶の鉄も九州北部に来てた可能性があるね

ここまで鉄流通に恵まれた地は九州北部の他にはなく
これが九州北部の高度文明の源泉ではないのかな
0838名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 11:57:55.56ID:8zNGI6/n0
>>816
倭人である神武が畿内に侵入していた時に既に同族の倭人が入植していたから
神武の東征は5〜6世紀の頃だと思う。
0840名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:03:19.58ID:mIPJCBna0
>>777
鬼神と鬼道は同じものかわからない
同じものだとすると、神道に鬼神はいないから、ますます邪馬壹国と神道が繋がらなくなるね
卑弥国と卑弥呼が同じ字を当ててはあるが、読みは同一なのか?
なんせ漢字を当てたのは魏国であって、言語が違うから発音で近い字を当て嵌めただけだから
同じ発音だとしても南方狗奴国の男王、卑弥弓呼も関係者なのかって話にもなってくる
その文は、朝鮮半島南に倭人が住んでいた証明ってだけじゃないのかな?
0841名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:07:32.44ID:vKwWHe0M0
>>837
当時の半島南部は、倭人の領域。
大陸からすると、半島南部も倭国という認識。
邪馬台国も倭人なので、当時半島南部は友好的な交流・貿易がなされていたということだろ。
0843名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:15:26.41ID:Nc2q/0u00
bai mi hu
bei mi hu

かな?
卑弥呼って名前じゃないよね・・・字の意味からして。
0844名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:17:22.27ID:F2Sm3n150
>>838 4世紀初頭だよ それまで九州では大量に出土している銅鏡がそれまで1枚も出ていない畿内で
一斉に出始めるのが4世紀の古墳時代からだからな

ちなみに卑弥呼没年は3世紀半ば 神武は卑弥呼から3代後 記紀のアマテラスが卑弥呼とすると4世紀初頭の
古墳時代の始まりと神武東征の時期とがぴったりと一致する
0845名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:17:32.12ID:vKwWHe0M0
当時倭人は武闘派組織としてはまだまだ弱者だった。
だから、半島南部の利権を奪われてしまい、その結果としての日本の開拓や大和政権の発足によって足場を固め、侵略に備えていたということだろ。
0846名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:27:22.10ID:r7rKZP6y0
>>728
松浦じゃなくて、末盧な
まさかその場で即興で国名を考えるなんてことはしないだろう
地名くらい名付けていないと日本人同士でも会話に支障が出る
戦乱の世だったんだから、「○○国が味方に付いた」なんて話はしていただろう
0847名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:36:47.74ID:83Y3JCyn0
縄文人ざこだから日本のっとたのがいまの天皇の先祖
そのまま中国も日本側からつぶす作戦
0848名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:50:02.71ID:DfEcxSr40
>>844
個人的にもその説支持だね。

ニニギの天孫降臨は邪馬台国崩壊後の混乱を避けて北九州から宮崎に逃げたことを指してて
神武は邪馬台国の関係者の子孫と。
0849名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:54:50.29ID:52ycYYPG0
>>848

当時は通い婚で子供は妻の実家で育てた
ということで夫の出身地と子供の出身地が異なってるのが普通
0852名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 12:58:31.15ID:52ycYYPG0
>>843

日巫女じゃないの?
天照の生前の名前はオオヒルメで漢字表記は日巫女なんで
ヒミコと天照は同一人物かも
それに天照は鏡祭祀の時代の人物で
銅鐸祭祀の終焉は2世紀末まので天照は2世紀末以降の人物だし
0853名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:01:57.73ID:XiEDmZXX0
>>845
当たらずとも遠からず

キーワードは290年の八王の乱
これにより巨大帝国晋が崩壊に向う

これまで253年〜と見ても約40年も司馬氏帝室と良い関係だった女王国は
半島利権を急速に失い
替わりに朝鮮南部にも朝鮮北部にも独立国同士の争いが激しくなったのだろね

ちなみに畿内政権の成長もコレ以降なので
朝鮮の国々と提携して急成長したんだろう

ちなみに奈良盆地を開拓した崇神の晩年に任那が畿内政権に朝貢した
と記紀にあるのが
畿内政権が朝鮮外交をした始まりだ

もともと任那は朝鮮南端で女王国の勢力圏だと思うが
これが遠く離れた奈良盆地を頼ったのは
軍事力パワーの交代を意味するわけだ
0855名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:07:26.23ID:9gmkKgZj0
>>832
出雲や諏訪、あと熊野も流刑地だと思うんだよね。
0857名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:08:58.04ID:WVPgKRwY0
信長の出生地すら分からないのに、そんな昔のこと分かるかよ。
0858名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:13:34.42ID:CVkU+c2O0
>>820
日本の地政学上東へ勢力を伸ばすのは
至極真っ当だと思うわ
0859名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:20:10.17ID:bf1DPPUg0
古代では「妹の力」って言うのがあった。
同母の女兄弟が霊力をもって男兄弟を守るというやつ。
古事記では皇后になった妹が兄を愛して共に皇位を簒奪しようとした事件もあった。
卑弥呼も自らはシャーマンであって、政治は弟に任せていたという。
もともと神道では女が神を迎えて、接待し、ご宣託を聞くのが基本だから初期の王朝は
このパターンだったのかもしれない。でもこれって沖縄の神事によく似ているし、一方
大和朝廷にも後々、継承されている。卑弥呼が縄文系なのか弥生系なのか天孫系なのか?
0860名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:25:17.44ID:xMxTrITD0
>>828
購入者は九州中心だと思うが、製造者は近畿中心だったんじゃないかと思ってるかな。
0861名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:26:29.41ID:xMxTrITD0
>>834
>>860
0862名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:26:58.24ID:vKwWHe0M0
>>853
現代の人は半島の人と日本島の人を区別したがるけど、当時はまだそういう区別が全くなくて
墓や神道といった風習や海と共存する生活スタイルなんかが内陸の人達とは違う外国人、すなわち、倭人という認識。
大和朝廷の国づくりにこうした倭人の関わりが深いことは間違いないが、
邪馬台国の人なのか、半島にいた人たちなのか、あるいは両方が共通の認識のもとた立ち上げたのかの違いでしかないんだよね。
0863名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:30:35.38ID:xMxTrITD0
>>855
流刑地に歴代天皇や権力者が詣でとったんか?
0864名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:34:16.04ID:8zNGI6/n0
>>860
出土からして使用されてた場所が九州だから製造だけが近畿とないだろう。
0866名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:36:41.98ID:hx5hGiZr0
遺伝的に近かった出雲人と東北人

 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。
21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。
その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。
その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003/3/
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/d/digx/20161208/20161208190813.gif
0867名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:38:52.36ID:xMxTrITD0
>>864
九州でも多少製造はされてたとは思うけど、近畿の方が多かったんじゃないかと推測するかな。
大陸から購入してたのも多かったとは思うが。
九州は購入できるだけの余剰の食料を生産できてたんだと推測するかな。
0868名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:41:25.03ID:wBFC9blJ0
この頃の日本語は上代日本語とはまた違うのか
タイムスリップしてぇ
0869名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:44:17.47ID:8zNGI6/n0
>>867
それ推測じゃなくて君の願望じゃない?
0870名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:46:42.26ID:8zNGI6/n0
>>866
北部九州、瀬戸内海地域、関西、関東までは渡来系の人が多いみたいだな。
0871名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:47:44.29ID:pMGQ/KZ40
>>866
天津神は東北人
0872名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 13:52:35.78ID:xMxTrITD0
>>869
そう考えると前後が説明しやすいということから推測してるだけで、
願望と言えばそういえないこともないかもしれないけど。
こう考えた方が、3世紀を境に両地域での出土品の変遷が説明しやすくなる。
0873名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:05:44.08ID:8zNGI6/n0
>>872
何の説明が付くんだよw
鉄器を持った倭人が九州から全国に広がっただけだよ。
0874名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:15:20.56ID:xMxTrITD0
>>873
近畿では工業的な技術が発達した地域が大和を取り囲んでて、
警戒されてたため大和に売らずに九州に売ってたが、
2世紀から3世紀に移る頃をきっかけに大和に服従するようになり、
大和での金属機器等の出土品が増えてったと思ってるから。
九州には軍事行動や建設事業等で対価を支払うようになってったんじゃないかと思ってる。
よって九州では大陸との交易で得る金属機器がほとんどを占めるようになり、
それらも大和政権側に売ることが多くなってんたんじゃないかと。
0875名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:16:29.27ID:xMxTrITD0
金属機器 → 金属器
0876名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:19:00.58ID:RQHshlob0
>>776
それなのに戦前の識字率が10%とは滑稽な半島よのぅ。
もうすぐまた国名も変わるかも知れんぞ?
0877名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:24:05.02ID:8zNGI6/n0
>>874
書いてあることが妄想過ぎだなw
やっぱ単なる願望だな。
0878名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:28:13.55ID:8zNGI6/n0
>>776
漢が直轄できたのは楽浪郡や帯方郡の辺りが辺境で
人口も少なく容易に占領出来たからで先進国ではないよ
半島の南の方は人口も多く占領出来なかっただけだよ。
0879名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:33:01.93ID:H4GZLYXL0
崇神天皇の姉ちゃんだっていうのを歴史の学習漫画で見た記憶がある
0880名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:35:08.07ID:xMxTrITD0
そんな妄想は真に受けない方がいいかな。
0881名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:37:28.05ID:4s/FQA130
訳の分からない珍説を繰り広げるくらいなら
天皇陵の科学的調査でもすればいいのに
時代も繋がりも滅茶苦茶な物が出てくるぞ
0882名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:41:32.10ID:bui2ltvT0
>>762
魏志倭人伝より
「景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻
太守劉夏遣吏將送詣京都」
(景初二年六月、倭の女王、大夫難升米らを遣わし、
郡に詣り天子に詣りて朝献せんことを求む。
帯方太守の劉夏、吏將を遣わし送りて京都に詣らしむ)

と、倭国の方が初めての挨拶だが
魏の太子への面会に訪ねたことにしてる。
しかしこの時の挨拶の品(朝貢)が
「男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈」
と魏帝への品としては、あまりにショボかったため、
誰が見ても半島の状況急変の事情は明らかだ。

しかし躊躇せずに魏への挨拶に切り替えた
慧眼を高く評価して、使者へは銀印と位とを送り、
女王には金印と「親魏倭王卑弥呼」の称号と
さらには返礼の品ドッサリとを送っている。

この凄腕大臣並みの「難升米」ってどんな出自?
倭人ぽい響きじゃないんだが
0884名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 14:55:52.85ID:m6H0EgQh0
九州の方が鉄が多かったのは紀元前後までで、卑弥呼の時代には丹波ほか畿内周辺で盛んに製鉄が行われてるじゃん
九州の鉄とか言ってるのは昭和で浄法止まってる人?
0885名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:00:39.55ID:m1WuuWs30
外国が書いた「卑弥呼」という表記はそろそろ止めようぜ
「ヒミコ」でいいだろ
0887名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:03:30.41ID:8zNGI6/n0
>>884
3〜4世紀までは九州の方が鉄が多いよw
嘘吐かないでねwww
関西人は朝鮮人に近いからな
丹波とか九州から持ってきた鉄を砕いて、小さな針みたいな鉄製品を沢山作ってただけだろ。
0888名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:20:17.95ID:zz+L9tEE0
漢委奴国王印の頃なら
九州北部が先進地域ってのは分かるけど
九州説を聞いてると
二世紀後の邪馬台国を同じ九州内部に留める為に
あえて日本列島内部での交流や発展を排除して
過去と同じ状況に持っていってる印象を受けるよ
0889名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:20:23.71ID:m1WuuWs30
>>886
古代中国語で「腟肉棒入喜子」と記されてたらそのまま使い続けるのか?

だいたい外国語を何故そのまま使うのか?英語でも教科書でアルファベットを使い続けてるか?
カタカタ使ってるだろ
0890名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:23:00.34ID:8cfO6LhN0
冬に野菜が出来ないとか
山本太郎と山田太郎は似た漢字だから同一人物だとかやってんの?
0891名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:23:01.95ID:WLc16Cn90
>>889
シージンピンという発音を聞いて書かれる文字は習近平
これで世界ではシージンピンで通ってるのに
日本だけ日本語で発音してシュウキンペイという

曹操だってだれが聞いてもツァオツァオなのに日本人だけが日本語でソウソウっていう
劉備(リウベイ)、関羽(グァンユ)、張飛(チャンフェイ)、諸葛亮(ズーガーリャン)も同じ
0892名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:26:54.13ID:v0nLqoot0
>>883
卑弥呼の読みにはあーだこーだ議論があるけど、
使者の難升米、都市牛利、伊声耆、掖邪狗なんかの名前は全然議論にならんね
0895名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:38:42.35ID:JxSOAOCz0
邪馬台=ヤマト、中国人の当て字

2世紀後半〜倭国大乱を鎮めるため近畿、出雲、北部九州(奴国)、他諸勢力の豪族が連合になりヤマト王権の前身である邪馬台国を形成

卑弥呼は連合の女王となり鬼道を用いカエルや桃を供え稲の豊作や国家安泰を祈祷した

後継者の台与の死後の邪馬台国は、後の大王となる有力豪族が実権を握りヤマトを継承

ヤマトは中央集権を強化し倭の五王へ続く、そして東日本へ勢力を拡大させた

8世紀に記紀が編纂され卑弥呼は天照大神の伝説となり王統の正当性を記述、鬼道の名残は宮中祭祀となった。
0896名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:39:49.22ID:yePk5E5v0
>>891
一時、本来の発音していたが、なぜかほどなくして元の日本語読みになったのでござるよ
0897名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:43:29.30ID:m1WuuWs30
>>891

だから何?
読みの話なんかしてないが

ついでたから言っておくが漢字圏では読みは自国の読み方を使うという不文律がある
だから日本人も中国では中国の読みで発音される
0898名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:52:18.34ID:r7rKZP6y0
卑弥呼をカタカナ表記しないのは本来の読みがわからんからでしょ
0899名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 15:56:33.70ID:Boda1kLd0
漢字圏の人名の呼び方について書き込みあるけど
少なくとも韓国朝鮮人の人名を漢字読み及び漢字表記しないで欲しい
韓国朝鮮ともに漢字使ってないんだし
0901名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 16:10:48.89ID:tMgquq8e0
大日本の正式名称は耶麻騰、耶麻土=ヤマト
0904名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 16:36:09.32ID:bui2ltvT0
魏志倭人伝には
「卑弥呼」じゃなくて「卑彌呼」と書かれてたと思うが
これは良いのか?
0905名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 16:42:44.29ID:8zNGI6/n0
>>894
それ古墳時代でしょw
0906名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 16:58:09.74ID:DfEcxSr40
考古学に詳しい人に聞くけど畿内の遺跡から出てくる出土品は
弥生時代と古墳時代の間100年ぐらいで大差が出るものなの?

鉄器が格段に増えるとか、銅鐸が出なくなって銅鏡が出るようになるとか。
0907名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 16:59:45.96ID:TDwNcM3S0
普通に考えれば日本列島に強大な戦力があるからの厚遇だが
果たして
0908名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 17:07:05.49ID:XiEDmZXX0
日本で製鉄できるようになったのは6世紀だよ
それ以前はすべて鉄塊を中韓から輸入してる
0911名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 17:14:08.59ID:e2O0c34g0
神武の先祖はもともと畿内出身。一族の一部が宮崎、鹿児島
あたりに移住または亡命していたが火山灰土で生産力が
低すぎ発展が見込めず先祖の地に戻ることになった。神武東征。
卑弥呼の時代のおよそ300年前。大阪平野がまだ入り江だった。
だから畿内には所縁があり東征の成功もあり得た。
0912名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 17:15:46.96ID:IljoHxe80
親魏?真偽確認是必須アル
Δu` 八´) σ`皿´>σ ファクトチェックしろ二ダ 


*中国の原因不明のウイルス性肺炎で重症者多数 SARS再来の可能性も

https://yamatoxx00xx.blogspot.com/2020/01/sars.html
0913名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 17:29:55.80ID:4p2fBpbe0
>>908
東亜文化大学のハゲで髭の民俗学教授が謂うには
0914名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 18:00:57.99ID:XiEDmZXX0
>>907
戦力では期待してないと思うけどな
呉の味方をしなければ魏が楽になるという意味の軍事的同盟ではないだろうか

それから楽浪帯方を今後魏が公孫氏に代わり経営するので
税収をもたらす貿易相手国は大事という配慮もあるだろね
0915名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 18:01:41.44ID:BeL/wr070
なんでまたそんなフランスなんかに?話が戻るよな
0916名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 18:07:42.83ID:IOiOFW590
>>1が天皇と結び付けてんのでもうバカ発見器だろw

妄想と神話ゴリ押しで敗戦した男系信者がハバきかすってもう外気地レベル過ぎ
0917名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 18:10:21.60ID:hdloTHFP0
>>891
ゼントカン(全斗煥)をチョンドファンなどと発音するチョン読み、それを導入した故中曽根康弘が憑いたようだ。
鬼道でお祓いしてもらって。
0918名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 18:25:53.72ID:hdloTHFP0
>>904
我が国の簡体字(弥)と旧字(彌)の違いなので、新旧対応に混乱が無いなら良いのでは。
旧字A が新字A' に対応するだけでなく、AとBの2字がA' にまとめられた場合もあるそうなので、そんな場合は旧字で表記しないと危険だけど。
0919名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 18:35:35.61ID:8zNGI6/n0
>>907
卑弥呼の時代も漢代の倭奴国と待遇は変わってないよ
0921名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 19:40:43.40ID:+WS2tONn0
>>920
日向の高千穂の宮から奈良に東征し、初代天皇を宣言したのは「神武」

神武の父ちゃんは「ウガヤフキアエズ」
宮崎県日南市の鵜戸神宮で産まれ、鹿児島県鹿屋市の吾平山上陵に墓がある

ウガヤフキアエズの父ちゃんは「山幸彦」
海幸彦に出雲を追い出されて、海神国・・つまり北九州の狗奴国に亡命し、日向に高千穂の宮を建立して居住していた

山幸彦の父ちゃんは「ニニギ(邇邇芸)」
大国主がアマテラスに国譲りした後に、奈良から出雲に一大卒として派遣された、アマテラスの孫
倭人伝では「伊都国(出雲)」の長官「爾支(にき)」として登場する

ニニギ(邇邇芸)の父ちゃんは「アメノオシホミミ」
スサノオが奈良にいたときに産まれたスサノオの長男で、スサノオが奈良を追い出された後、アマテラスがひきとって養子にした

自分の子にし、アマテラスがなんども出雲に行かそうとするけれど断って近江にいた
倭人伝では「投馬国」の長官「彌彌(ミミ)」として登場する

アメノオシホミミの父ちゃんは「スサノオ」で
奈良で五男三女をもうけたあと、奈良を追い出されて出雲にやってきて、櫛名田比売命と結婚し、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)で暮らしていた

つまり「初代天皇・神武」は、産まれも育ちも九州で奈良では無いが
奈良のアマテラスと、出雲のスサノオの直系
0922名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 19:46:58.33ID:83VDwHXF0
>>920
大和入りした神武天皇は今の榛原辺りにある外山に登り祖先を祀るとあるからな。
0923911垢版2020/01/04(土) 19:51:52.84ID:YHBOCPuf0
神話?の部分はよくわからないのです。
だから根拠といえるかどうか。
921の方が助け舟をだしてくれました。ありがとう。
0924911垢版2020/01/04(土) 19:53:43.03ID:YHBOCPuf0
922の方にも感謝です。
0925名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 19:57:42.80ID:52ycYYPG0
>>921

国譲りの時に大国主の御魂をヤタノ鏡に遷して
三輪山の神奈備に据えたとされているが
ヤタノ鏡が作られだしたのは2世紀末なので
国譲りは2世紀末の出来事
0926名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 20:06:13.12ID:C9W8XJQP0
>>759
そう、田油津姫=卑弥呼であろう。
倭国代表という肩書で魏に部下を送り、あろうことか「親魏倭王」の金印まで貰ってしまった。
これに怒った勢力があり、田油津姫勢力を倒した。
0927名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 20:28:24.23ID:52ycYYPG0
伊勢神宮には2つの正宮があり
内宮にはヤタノ鏡に収められた天照の御魂を祀り
外宮にはヤタノ鏡に収められた豊受の御魂を祀る

天照の別名はオオヒルメであり漢字表記は大日巫女で
豊受の別名はトヨヒルメであり漢字表記は豊日巫女

オオヒルメもトヨヒルメも倭国を収めた巫女的女王である
0929名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 20:45:09.68ID:+WS2tONn0
>>925
つまりだ

出雲から、兄弟喧嘩で追い出された天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)がやって来るまでの間

九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)

これが、後漢(25年 - 220年)から57年に漢委奴国王に任じられた古代【倭奴国】

そして同時進行で、東の本州では
伊邪那岐命から産まれた天照大神の、奈良 邪馬台国と
伊邪那岐命から産まれた建速須佐之男命の、出雲 葦原中国による
武力併合が行われて

奈良 邪馬台国と出雲 葦原中国の連合国は
出雲から大陸に渡り、240年に魏から「親魏倭王」に任じられ

日本に

大綿津見神(豊玉彦)の、九州 海神国 筑紫城 
天照大神(卑弥呼)の、奈良 邪馬台国 

という【2つの首都】が生まれる
0930名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 21:06:08.82ID:707z9mn20
卑弥呼様w
0931名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 21:16:51.82ID:DfEcxSr40
>>926
タブラツヒメは卑弥呼そのものではない。
邪馬台国系列の数ある女リーダーの国の指導者。
0932名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 21:20:58.71ID:G0OBoolO0
>>921
神武天皇の祖先の話は南方海洋民族の説話から出来ている
現実の話と思わないほうがいいよ
0934名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 21:37:38.65ID:g5QsjYos0
>>927
伊勢神宮は元々太陽神を祀ってたわけじゃないらしいね
もっと古い古い神を祀ってた場所
0935名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 21:59:32.11ID:+WS2tONn0
>>932
いいえ、日本の記紀の伝承ですよ
0936名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 22:08:19.65ID:rp9B34Pe0
鬼道衆
率いていたのは総帥の大鬼道長のことも雷帝の場合もある
0937名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 22:10:00.12ID:+WS2tONn0
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命

これが、後漢(25年 - 220年)から57年に漢委奴国王に任じられた古代九州【倭奴国】で、長い間、呉と密かに通じていた公孫氏の支配下にあった

魏はそんな古代九州【倭奴国】を、漢に続いて倭王にはしたくなかった

そんなとき、公孫氏が滅亡して、対馬や朝鮮半島で公孫氏の影響が排除され

出雲葦原中国を武力併合した高天原(奈良)邪馬台国が、出雲から大陸に渡り、魏に朝貢してきたわけで

古代九州【倭奴国】を、漢に続いて倭王にしたくなかった魏には、渡りに船だったのだろう
0939名無しさん@1周年垢版2020/01/04(土) 22:21:39.08ID:+WS2tONn0
でもまぁ、そんな魏の思惑とは裏腹に、日本国内では

ポッと出の、出雲葦原中国を武力併合した高天原(奈良)邪馬台国と
200年近く、漢委奴国王として君臨してきた九州 海神国 筑紫城の
力の差は歴然で

出雲葦原中国を武力併合した高天原(奈良)邪馬台国は、魏の都合で240年に「親魏倭王」に任じられたものの

200年近く、漢委奴国王として君臨してきた九州 海神国 筑紫城の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命が

四番目の息子の神武を、

出雲葦原中国を武力併合した高天原(奈良)邪馬台国に派兵して

あっという間に武力制圧してしまったわけだ
0942名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 00:25:45.64ID:EJq2URmM0
当時の北九州は大陸にも近いので交易や軍事拠点の要所だったことは間違いない
そもそも何の為に交易が必要だったのかは鉄を輸入して加工する為である
そして卑弥呼の時代から大化改新に至るまで武内宿禰に連なる蘇我氏が鉄生産を巡る利権を手に入れて権力を握っていた
もし中臣氏が復権して権力を手に入れたら蘇我氏の歴史を消してしまうとするのでは無いだろうか
0943名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 02:07:37.87ID:+C9hB0mM0
神道の中心が九州それも鹿児島に偏ってるのは
沖縄経由の琉球ルートの影響の可能性が高い。

「琉球古神道」を調べると、巫女制が大きな力を
持った古い神道の形式が浮かび上がってくる。

けど沖縄ではそのあと逆転が起きていて、
本土で武家政治が始まった頃あたりからか、
逆に本土で発展した神道の形式が支配的になって
古い形式が失われてしまう
0944名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 02:15:18.23ID:4p9akWBV0
さすがにあの鉄鏡の件以来 議論白熱しなくなっちゃったね
こんなに閑古鳥鳴く邪馬台国スレって初めてやわ
0945名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 02:26:44.82ID:pIPKh/jB0
卑弥呼 → 日巫女(日御子)
邪馬台国 → 大和大国

日本にも資料が残ってたらな…。
そしたら、中国人の都合で付けられた「卑弥呼」や「邪馬台国」などの気持ち悪い字が使われなくて済んだのに。
0946名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 02:36:01.51ID:+C9hB0mM0
ん〜、畿内説はヤマトと桃の実ぐらいしかないからな。
ヤマトは日本全国腐るほどあって奈良の専売特許でも
なんでもないし、桃の実も岡山の方が沢山出てるのに
見向きもされないしな。記紀をお経のように繰り返しても
信者以外は飽きるだけ
0948名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 02:42:19.59ID:XbhTW2/60
気持ち悪い字って言っても、当時日本に漢字は伝来してないはずだからどうせ中国の都合でそうなってたはずだぞ
0949名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 02:50:21.77ID:9i7Jwf7f0
北部九州で多数出土した甕棺墓は江南人の墓と言われているが、その甕棺墓が
畿内でも九州を上回る数の出土が確認されたようだな。やはり江南人は当時の
首都の奈良までやって来ていた訳か、クソ田舎の九州だけではおかしいと思っていたよ
0950名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 02:56:40.43ID:9QtGEtiH0
>>818
日本語勉強しろよチョン
0951名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 02:57:38.60ID:9QtGEtiH0
>>945
台はトと読む
これは三国志でも日本書紀でも同様
0952名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 03:11:52.28ID:cifttvKs0
江南人とか春秋戦国から始皇帝ぐらいの話で
卑弥呼の時代からじゃ500年前の話じゃないの
0953名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 07:31:28.45ID:wIGHOUP00
>>862
>当時はそういう区別はなくて
>内陸の人達とは違う外国人、すなわち、倭人という認識。


年末からベストセラーで知られる妄想願望する民族さんかな?
日本の場合、青銅文化を担った列島倭人は内陸の奥まで入り柳沢遺跡などを残し、和歌山や奈良方面では山の奥地に海神社を残したり海部系の習合の場所まである
その青銅文化が乏しいとして知られるのが朝鮮半島だが、キミの故郷なのかな
出鱈目が過ぎるからね
0954名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 07:32:37.19ID:QNgzqEFu0
>>862
どこまで嘘つく民族の在日種族主義って本当なんだなw
0955◆HKZsYRUkck 垢版2020/01/05(日) 07:35:20.26ID:DhhiSn+X0
>>938
風の神様である伊勢津彦さん。
だから伊勢に係る枕詞は「神風の」なのだ。
0956名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 07:44:52.54ID:DnD8C2LN0
風と共に去った伊勢津彦じゃなくて祀られてるのはシナツヒコ
広瀬と同じ
0957名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 10:17:04.11ID:guoR0EkE0
ちょっと何言ってるのかわからないw
0959名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 11:10:19.78ID:KP8pl/dv0
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)
九州 海神国 筑紫城 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命

これが、後漢(25年 - 220年)から57年に漢委奴国王に任じられた古代九州【倭奴国】で、
長い間、呉と密かに通じていた公孫氏の支配下にあり、公孫氏とともに倭の大国に成長した

公孫氏を疎ましく思う魏は、そんな古代九州【倭奴国】を、漢に続いて倭王にはしたくなかった

そんなとき、魏が公孫氏を滅ぼし、対馬や朝鮮半島で公孫氏の影響が排除されると

おなじころに、大国主の出雲葦原中国を武力併合した、天照大神の高天原(奈良)邪馬台国が、出雲から対馬に渡り、魏に朝貢してきたわけで

古代九州【倭奴国】を、漢に続いて倭王にしたくなかった魏は、渡りに船とばかりに、
どのような国なのかよくわからないまま、天照大神の高天原(奈良)邪馬台国を「親魏倭王」としたわけだ
0960名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 11:15:17.02ID:guoR0EkE0
>>947
しねや!
0961名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 11:18:41.00ID:KP8pl/dv0
>>959 つづき

でもまぁ、そんな魏の思惑とは裏腹に、日本国内的には

出雲葦原中国を武力併合した高天原(奈良)邪馬台国は、魏の都合でわけもわからず、240年に「親魏倭王」に任じられたものの

ポッと出の新興国の、出雲葦原中国を武力併合した高天原(奈良)邪馬台国と
200年近く、漢委奴国王として君臨してきた、先進国の九州 海神国 筑紫城の

力の差は歴然で

200年近く漢委奴国王として君臨してきた九州 海神国 筑紫城の、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は

四番目の息子の神武を、奈良の邪馬台国に派兵して

「親魏倭王」に任じられた高天原(奈良)邪馬台国は、
200年近く漢委奴国王として君臨してきた九州 海神国 筑紫城に
あっという間に武力制圧されてしまった

・・・というわけだ
0962名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 11:29:39.68ID:k35qqr7qO
どう見ても九州内で邪馬台国と狗奴国が近接してたようにしか見えないんだが
0963名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 13:43:39.34ID:LZg2RqtY0
>>962
だなw
出雲とか奈良とか全然関係ないな
現代日本人が日本列島に定住した時期が以前は紀元前10世紀くらいと考えられていたけど
最近の研究だと4世紀以後くらいだからな。
0964名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 19:20:05.90ID:pITEI9ra0
九州が強都会で関西がクソ弱田舎で侵略されただけの話だろ。
いきなりど真ん中に強国出来るかよ。その後のヤマト朝廷でも東北治めるのに難儀してたのに。
0965名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 23:10:08.39ID:J/uLvvhX0
当時はどこが強かったのか?
0966名無しさん@1周年垢版2020/01/05(日) 23:12:30.79ID:TtYjn9/90
>>962
九州というのはもうほぼ決定的なんじゃね
近畿派はごねるだろうけど
0967名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 00:06:05.71ID:YED4kNNz0
江南人はシナ諸語かオーストロネシア語を話していたはずだけど
(ハプロタイプはほぼ同じなのに言葉がとても離れている)
いつ、「縄文語を基層としながら」「うっすらアルタイ語系の痕跡が分かる程度の」
日本語祖語と言語交代したんだろうね。
0968名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 08:17:37.61ID:hxnk2dfZ0
卑弥呼は当て字。
0970名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 13:18:35.99ID:y/6ns8Ze0
男やからwww
0971名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 13:53:12.73ID:9p98P7kt0
天皇:出身

崇神:狗奴国
仁徳:邪馬台国
継体:百済
天武:邪馬台国
光仁:百済

こんな感じで王朝交代してるんじゃないか。光仁は継体系が戻っただけだけど。
ちなみに神武(崇神)に出てきたニギハヤヒも狗奴国系
0972名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 14:01:59.59ID:9p98P7kt0
ちなみに

崇神ー垂仁
(九州)  ー景行ー成務ー仲哀ー応神ー仁徳

って感じで垂仁後に仁徳がそのまま大王として立ったのかもしれない。
0973名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 14:15:12.77ID:9p98P7kt0
>>921
アメノオシホミミがアマテラスの養子ならアマテラス直系ではなかろう
0974名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 15:54:31.09ID:mAqiQoPT0
卑弥呼=田油津媛

神功皇后に討ち取られた土蜘蛛の女酋長だって!
0975名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 16:00:13.97ID:mAqiQoPT0
当時、狗奴国に攻め込まれて没国の危機
田油津媛は倭国(山門国なんだけど)の代表を僭称して、魏から金印貰ってしまった。
これを不服とした近畿の大和勢力に討伐。
臺輿は近畿大和勢力から出して、形の上では継続させた。

最初的には大和の配下になる。
0976名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 17:38:48.95ID:0pGOTxCo0
没国なのに魏へ使節送れるとか笑える
金印貰ったことが不服で討伐軍作るとか馬鹿の極み
0977名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 17:43:46.55ID:F0AQAtIl0
ややこしいなあ〜
0978名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 18:19:35.02ID:mAqiQoPT0
>>977
日本書記がきちんと記録してないからな。
神代の出来事も神話に封じ込めてしまったし。

古代史の文句は不比等に言え!
て感じかね?
0981名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 20:53:17.68ID:fLIQQrov0
>>971
百済に権力なんてない。日本にあるのは百済文化だけ。
0982名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 21:25:39.87ID:gUe2BVkTO
日本列島に入ってきた金属製鏡で、一番古いのは何年?
それまでは、そういう鏡を使った儀式は無かったんだっけ?
0983名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 22:36:23.18ID:4iq2vPaU0
くだらない
0984名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 23:01:18.38ID:MWozg+hS0
歴史好きな人にはいいよ。
0985名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 23:09:29.96ID:mAqiQoPT0
くだらない

百済無いが大元の語源
朝鮮半島から百済は消滅した事を、古代大和人は百済の亡命者に対して諭したさま。
百済はもう消滅して無い、いつまでも過去にとらわれていては時間の無駄である、という意味を含めた。

とるにたらない、価値がない、馬鹿げている、なども同意。

民明書房刊「百済無い」より抜粋
0986名無しさん@1周年垢版2020/01/06(月) 23:26:24.99ID:bwjSTMdF0
>>985
なるほど。。
0987名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 00:50:17.47ID:pXlzzeW10
卑弥呼さんは鬼道で、神武さんは鬼畜道で有名なんだよね〜♪
0988名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 08:25:59.78ID:fxTtklA30
知らんかった。。。
0989名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 08:30:38.63ID:dwrGxVHa0
大分県で見つかった鉄鏡と曹操の墓から見つかった鉄鏡が同じ様式なんだっけ
やっぱ大分の宇佐に邪馬台国があって宇佐神宮は卑弥呼の墓なんでしょ
0990名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 08:35:43.17ID:fxTtklA30
さてうめようか??
0991名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 08:42:24.94ID:NIsumDxm0
もっともっと掘り返すべき
言葉遊びでは解決しない
真実は地面の下なんだよ
0992名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 10:28:59.57ID:fxTtklA30
卑弥呼さま
0994名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 11:13:22.87ID:fxTtklA30
強い感じはしないんだが・・・
0995名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 11:19:41.01ID:fxTtklA30
卑弥呼上げ
0996名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 11:22:23.97ID:fxTtklA30
三国志大好きwww
0997名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 11:24:35.66ID:fxTtklA30
しんどくなってきた。
0998名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 11:27:53.61ID:fxTtklA30
1000なら埋まりもしないうちから継続スレ立てる
アホバカしじみとっととしね!!!
0999名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 11:29:41.73ID:fxTtklA30
1000なら埋まりもしないうちから継続スレでレスする
アホバカネラーもしねや!!!
1000名無しさん@1周年垢版2020/01/07(火) 11:30:35.84ID:fxTtklA30
飯行ってくる
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