【ネット】生物学者「特攻隊は犬死。国は国民が生活するための道具に過ぎません。道具のために死ぬのはアホでしょ」★11
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>>1
米軍からは評価されてるが
日本人によって開発された、最も有効的な航空兵器は特攻機(自殺航空機)であり、
戦争末期数か月に日本全軍航空隊によって、連合軍艦船に対し広範囲に渡って使用された。
44ヵ月続いた戦争のわずか10ヵ月の間に、米軍全損傷艦船の48.1%
全沈没艦船の21.3%が特攻機(自殺航空機)による成果であった。
ただし特攻は日本にも高くついた、
特攻を実施した10ヵ月間に日本軍は2550機を犠牲にして、
連合軍の各種艦船に474機命中させた。成功率は18.6%であった。
(日本本土上陸作戦が実施された場合)
特攻により、上陸作戦の連合軍艦船が、連合国空軍が計画した多様な対策にも関わらず、
大きな損害を受けたことに疑問の余地はない
(米軍戦略爆撃調査団報告書Japanese.air.powerより >>1
米軍からは評価されてるが
米軍自体が非常に痛かったと言っとるしな
UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT (Pacific War)より
日本軍パイロットがまだ持っていた唯一の長所は、彼等パイロットの確実な死にを喜んでおこなう決意であった。
このような状況下で、かれらはカミカゼ戦術を開発させた。
飛行機を艦船まで真っ直ぐ飛ばすことができるパイロットは、敵戦闘機と対空砲火のあるスクリーンを
通過したならば、目標に当る為のわずかな技能があるだけでよかった。
もし十分な数の日本軍機が同時に攻撃したなら、突入を完全に阻止することは不可能であっただろう。
従って、日本軍の機体とパイロットが100%失われたとしても、我々が耐えられない損害を当たえるのに
十分だったであろう。
1944年10月から沖縄作戦終了まで、日本は2550機のカミカゼを飛ばし、うち475機18.6%が有効で、
確実に命中あるいは至近弾効果となった。
空母12隻、戦艦15隻、16隻の軽空母・護衛空母を含むあらゆる艦種の軍艦が損害を受けた。
沈没艦で護衛空母より大きい艦はなかった。およそ45隻が沈没したが、その多くは駆逐艦だった
しかしアメリカが被った実際の被害は深刻であり、米軍に深い懸念をもたらした。
その為延べ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた。
日本がより大きな打撃力で集中的な特攻攻撃を持続し得たなら、 我々を撤退させるか若しくは
戦略計画を大きく変更させ得たかもしれない。
降伏時、日本は本土にカミカゼ攻撃用として利用可能な9000以上の航空機を有し、
少なくとも5000機は我々が計画していた侵攻に抵抗するために自殺攻撃用の装備をすでに備えつけていた。 オール フォア ワン
ワン フォア オール
ホール イン ワン
似てるね >>1
特攻による撃沈艦
フィリピン戦
護衛空母セント・ロー オマニー・ベイ
駆逐艦アブナ・リード マハン レイド
輸送駆逐艦ワード
掃海駆逐艦ロング
駆潜艇744号
掃海艇パルマー ハビ
魚雷艇PT-323 PT-300
戦車揚陸艦LST-472 LST-738 LST-460 LST-749 LST-1075
中型揚陸艦LSM-20 LSM-318
輸送艦ウィリアムSラッド リューイスLダイチ ジョンバーク
歩兵揚陸艇 LCI1065
雑役特務艦 ボーキュバイン
艦隊曳船ソノ
以上25隻
硫黄島戦
護衛空母 ビスマルク・シー 1隻 >>1
は?何言ってるんだ?沖縄戦こそ特攻隊の真骨頂だが
沖縄戦
駆逐艦ブッシュ コルホーン マナートLアベール ピリングル
駆逐艦ルース モリソン リトル キャラハン トゥィッグス
駆逐艦オバーレンダー ドレクスラー ウィリアムDポーター
輸送駆逐艦ディカーソン ベイツ バリー
掃海駆逐艦エモンズ
掃海艇スワロー
戦車揚陸艦LST-447 LST-675
中型揚陸艦LSM-59 LSM-135 LSM-190 LSM-194 LSM-195
上陸用舟艇援護艦 LCS-15 LCS-33
輸送艦 ローガンビクトリー ホッブスビクトリー カナダビクトリー
合計29隻
護衛空母がある分フィリピンの戦果が見栄えするが
フィリピンでは駆逐艦 輸送駆逐艦 掃海駆逐艦で5隻だけど沖縄では16隻と3倍以上になっとる
あと護衛空母サンガモンや駆逐艦ヒューwハドリやニューコムみたいにスクラップとして売る為に
わざわざアメリカまで持って帰ったガラクタも沖縄戦の方が多い 犬死させられた
負けて戦前の国のために死ぬなんて価値観は消えた >>1
特攻でいっぱい死んだのはむしろヤンキー
特攻の真骨頂は航空燃料による焼夷弾効果だな
通常の攻撃に対比して死傷率が高い
特攻隊員4000人の犠牲で10000人のヤンキーを殺して15000人のヤンキーを大火傷でカタワにした 戦没者遺族会で講演してほしい
生きて帰れるか保証はしないけどw >>1
零戦一機はたったドル換算でたった4万ドル
駆逐艦は1隻1100万ドル+大量の死傷者
特攻は徹底的にコスパに優れていた
オンボロ戦闘機に大量の乗組員が乗った新品の駆逐艦がやられるんだからたまらんだろう
もっと早くからもっと徹底的にやられたら危なかったというのが米軍の分析 >>13
>もっと早くからもっと徹底的にやられたら危なかった
戦闘機パイロットは畑で採れるんか 戦争反対はいいんだけど、特攻で死んだ人間を犬死だなんて
そんなニヒリズムに与する気はありません >>1
第2次世界大戦であんなに強かったアメリカ海軍が朝鮮戦争で全く冴えなかったのは特攻で大量の死傷者を出したからだな >>15
特攻隊のパイロットは45時間の飛行時間の素人でもやれた、すぐに育成できた
だから終戦時には50000人の特攻隊員がいたが当然ながらそんなに特攻機はなかった 國體の概念を知らないんだろうな
馬鹿はこれだから困る >>14
使い捨ての消耗品に始末されたヤンキー25000人wwwwwwwww 大本営発表で命を無駄に消費して事態を悪化させてるのは、今も昔も変わらんな。 いくらキルレシオ高くても禁じ手だよな
ある意味核と同じ
他軍(民間人)に対して外道か自軍に対して外道かの違いはあるが 犬死にというか、返り討ちにあった侵略者の、憐れで愚かな悪あがきの上の虫けらのような死w >>18
赤トンボさえ一人で飛ばせるか微妙な飛行時間なんだが
当時の日本軍は上等なフライトシムでも持ってたのか? >>24
特攻隊が犬死なら特攻隊に殺されたりカタワにされたヤンキー25000人は猫死にとでも言うのか? 戦法は外道だが、亡くなった方を後世の人間が卑下する資格はない。
犬死なんていい方は以ての外。 >>30
ソ連こそガチの民族浄化されるとこだったからな >>28
米軍がしっかり分析しているが
UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT (Pacific War)より
日本軍パイロットがまだ持っていた唯一の長所は、彼等パイロットの確実な死にを喜んでおこなう決意であった。
このような状況下で、かれらはカミカゼ戦術を開発させた。
飛行機を艦船まで真っ直ぐ飛ばすことができるパイロットは、敵戦闘機と対空砲火のあるスクリーンを
通過したならば、目標に当る為のわずかな技能があるだけでよかった。
もし十分な数の日本軍機が同時に攻撃したなら、突入を完全に阻止することは不可能であっただろう。
従って、日本軍の機体とパイロットが100%失われたとしても、我々が耐えられない損害を当たえるのに
十分だったであろう。
1944年10月から沖縄作戦終了まで、日本は2550機のカミカゼを飛ばし、うち475機18.6%が有効で、
確実に命中あるいは至近弾効果となった。
空母12隻、戦艦15隻、16隻の軽空母・護衛空母を含むあらゆる艦種の軍艦が損害を受けた。
沈没艦で護衛空母より大きい艦はなかった。およそ45隻が沈没したが、その多くは駆逐艦だった
しかしアメリカが被った実際の被害は深刻であり、米軍に深い懸念をもたらした。
その為延べ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた。
日本がより大きな打撃力で集中的な特攻攻撃を持続し得たなら、 我々を撤退させるか若しくは
戦略計画を大きく変更させ得たかもしれない。
降伏時、日本は本土にカミカゼ攻撃用として利用可能な9000以上の航空機を有し、
少なくとも5000機は我々が計画していた侵攻に抵抗するために自殺攻撃用の装備をすでに備えつけていた。 >>27
特攻隊が犬死なら特攻隊に殺されたりカタワにされたヤンキー25000人は猫死にとでも言うのかな? その「道具」がなくなったら、命を落とす人もたくさんいるだろ。 >>34
なあ、新兵から次々死なせていってその次どうするつもりだったの? 学者は学問の道具だが、バカをさらして学問を愚弄する学者なんて、アホでしょ。 一匹のアリの命に価値が有るか?アリが世代を越えて存続するために個体は入れ替わる。人間だって変わらんよ。 人間より馬を大切に扱った時代だ。
人間は赤紙だけですぐ補充が出来るが馬はそうはいかないという
狂った時代でもあったな。
そのため特攻なる最後の手段に打って出たわけだ。
日本軍のパイロットの腕前は米軍より上回っていたとしても
その優秀なパイロットたちは次々と海の藻くずと消えていった。
結局、残ったのはど素人集団を集めたような軍隊では勝敗は
自明の理である。 >道具のために死ぬのはアホでしょ
そういう形で前途ある若者を死なせた。あるいはチョンボをかさねてそれ以外に
方法がなくなった軍上層部はアホだと思うが、
それを実行するはめになった若者たちをあざけるのは人間として正しいのか?
そもそも国家や民族や主義や宗教の為、義務の為に殉じた人間はアホか?
自分達の属する集団に対して身を挺して何かしたいという行動は、例えば
香港の民主化活動の若者立ちの明日死ぬかもしれないがやるしかないと言う
思いの発露も特攻も根本は同じだと思う訳ですよ。
そもそも、特攻だけに焦点を当ててはいけないのです!
自分を取り巻く環境に何かしようという行動を取るのは人間の普遍的に持っている社会性ゆえでしょう?
火事になったら火を消す。誰か溺れて居たら助けようとする。
それが高い純度で現れたのが特攻だと思う訳です。
逆に問えば、何もせずに社会に無関心で「あいつらバカだなあ」と見てるのは賢いのか?
何かを守ろうとする行動は笑っていいのか?
それを冷やかに嘲る権利はあるのかと?
そしてこれはヘイトではないのか?
この学者を人間性としておぞましく感じるし・・・他人の生命の結果をアホと言える冷たさは
特攻を実行させた無責任な上層部と同じ匂いがする。
そもそも特攻は最終的には国家という枠の中のモノをどうにかする為の手段ではないと思うんだよね。
もっと身近な自分達にとってとても大事な存在の為に行った日本人ゆえの生死観宗教観か
ら由来する行為でしょう。 >>37
新兵1人と熟練兵6人交換し続ければいかにアメリカでも音をあげるだろ 特攻隊員の遺書だと大体 国のためじゃなくて家族とかのためだったろ
映画 アルマゲドンもアホだって叩けよ >>16
おれもそう思う。兵隊を粗末に扱っているたしかに間違いないが、しかし実際に戦って死んでいった兵隊に「あんた達は所詮犬死だよ」とは言えないなあ、俺は 俺の大叔父は特攻した。アホなんだろな。
俺の先祖をアホというおまえを許さんからな、池田。 >>30
ソ連赤軍だけで1400万人超えてて民間人も同じくらい死んでる
勝ったのにソ連は崩壊してその後のロシアは惨めな三流国家に転落した
これこそ犬死 >>2
国家の名誉を守った。動物と人間との違いは、動物は家族までは守る。
しかし人間はもっと巨大な存在のために戦う でもなあ
家だって生活するための道具だけど人に取られそうになったら死守するしなあ 国とかの前に江戸時代からの武士の官学としての儒学の影響もあるだろう
自己犠牲を称賛するような精神論あったしな論語にそういったものあるし >>43
実際、根をあげなかったよね?
それに引き換え、本土上陸されたら40時間の訓練時間も確保出来なくなるだろ? 国民は国が存続するための道具に過ぎなかった時代が確かに存在した
第一次世界大戦の頃は命の価値がそんなもんじゃなかった 亡くなった兵の死因の過半数が餓死や病死
多くの兵を無益に死なせた大日本帝国の失態から目を逸らすために特攻隊を美化して持ち上げている >>41
不適切だよ本当に。
犬死って言い方は本当に不適切だと思う。
あの戦争を非難するのはそりゃ間違いじゃないが犬死という言い方は不適切だよ 中国メディア 日本人は黄色人種の世界的地位を向上させた
http://news.searchina.net/id/1620062?page=1
もし19世紀に日本が台頭しなかったら、アジアは第二のアフリカになっていた。
清王朝がアヘン戦争とアロー戦争で英国に敗れ、一部を植民地とされるなど、
西洋列強がアジアに迫る流れのなかで、日本が台頭しなかったらアジア全体が
アフリカのように西洋の植民地になっていた。
古代文明の成果を代表するのは中華民族だが、「近現代文明を切り開いたのは大和民族であり、
日本人である。さらに日本人は事実上、間違いなく黄色人種の世界的地位を向上させ、
アジア独特の発展の道を創造したと絶賛した。 池田氏は生物学者なので利己的遺伝子とか、そういう発想なんだろう。しかし人間は動物とは違う >>51
隣の家燃やそうとしたら返り討ちにあった糞な父親の代わりに隣の家に突撃してこいていわれたら死守するかな >>1
国はそうかも知れん。しかし、民族は違う。大和民族は。 >>53
零戦一機はたったドル換算でたった4万ドル
駆逐艦は1隻1100万ドル+大量の死傷者
特攻は徹底的にコスパに優れていた
オンボロ戦闘機に大量の乗組員が乗った新品の駆逐艦がやられるんだからたまらんだろう
もっと早くからもっと徹底的にやられたら危なかったというのが米軍の分析 特攻で死んだ人には馬鹿な政府のせいで犬死にさせられたとかわいそうに思う。 【特攻をやらせた人達】
富永恭次:航空部隊の指揮官として息子を特攻死させたが本人は最前線のフィリピンから台湾に逃亡、シベリアに抑留されるが天寿を全うする。
菅原道大:後で自分も行くからとか言って特攻隊を送り出し、終戦時に部下から行きましょうって言われたら
「特攻隊の慰霊するからやっぱ行かない」と却下、養鶏やりながら天寿を全う
倉澤清忠:菅原の部下として特攻隊を送り出す。飛行機のトラブルなどで帰ってきたパイロットを監禁するスパルタ施設を運営。
戦後は印刷会社経営、特攻隊の生き残りからの報復を恐れ常に拳銃を携帯。勿論天寿を全ry
中島正:現地で全軍特攻を唱え、目を合わせると特攻に行かされると噂される。私も後に続くと言って特攻を送り出したかと思えば、
私は内地に戻って君たちの活躍を後世に残すと言って内地に帰り、戦後は特攻を自分に都合がいい美談に変えた著書を発表。天寿を全うする。
真鍋正人:特攻隊員の前で「俺は成績が良かったから早く参謀になれる。だからここでは死ねねえんだよなぁ」と言いながら特攻へ送り出していた。天寿を全うする。
永仮良行:現地で特攻隊員を殴りながら「そんなに命が惜しいか!命のいらない搭乗員は内地にいくらでもいるんだ!」と言って特攻へ送り出す。天寿を全うする。
坂井三郎:特攻隊員に対し「私も後に続く。遅いか早いか!ごちゃごちゃ言うな!」と言って特攻へ送り出す。
戦後は自分に都合がいい話を作り著作活動で有名に。ねずみ講で荒稼ぎしたり原爆投下を賞賛したりと。天寿を全うする。
源田実:源田が「343空も特攻の命令きた」と言うと、志賀は「ああ、いいですよ。では司令、参謀と2人で一緒に乗って突っ込みましょう。 【特攻をやらせた人達】
源田実:源田が「343空も特攻の命令きた」と言うと、志賀は「ああ、いいですよ。では司令、参謀と2人で一緒に乗って突っ込みましょう。
私が操縦します。また、源田さんも最後に来てください」と言うと、
源田は2度と特攻を口にしなくなった。
戦後は航空自衛隊に入り航空幕僚長、自民党から参議院議員に。
自分はなんとアメリカから戦功あった軍人に与えるレジオン・オブ・メリット勲章を貰い、お返しに議員時代、
日本全土を無差別爆撃したカーチス・ルメイに勲一等を授与する工作する。 言うまでもなく天寿をry
花谷 正: 第二次アキャブ作戦で部下に突撃を命じるばかりで壊滅的打撃を受けるもお咎めなし。
第55師団長時代は部下の将校を殴り、自決を強要することで悪評が高かった。また、日頃から陸大卒のキャリアを鼻にかけ、
無天(陸大非卒業者)や専科あがりの将校を執拗にいじめ抜き、上は少将から下は兵卒まで自殺者や精神疾患を起こした者を
多数出すなどしたため、部下から強い侮蔑と憎悪を買っていた。
反面小心でもあり、行軍中も小休止の度に自分専用の防空壕を掘らせていた。もちろん、天寿を全(ry
黒島亀人:「変人参謀」と言われ数々のキチガイ作戦とキチガイ特攻兵器を立案。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。なお、宇垣纒の手記(後に「戦藻録」として出版)を遺族から借り出し、
自分に都合の悪い部分を破棄、「電車に置き忘れた」などと言い逃れる。当然天寿をまry
海軍 福留繁:
敵軍に一時捕虜となり重要作戦指令書を奪われるが
自分の責任を問われることを恐れて仲間内で隠蔽したため、後にマリアナ沖海戦の大惨敗の原因となる。
もちろん、天寿を全(ry
太田正一:米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。自分が乗るから開発させてくれと上層部に頼み込んだ癖に「適性なし(笑)」とやらで出撃せず。
終戦直後逃亡、名前と戸籍を変えて暮らす。
大田は北海道で密輸物資をソ連領に運んで暮らしていた。至極当然に天寿(ry >>59
いや、家族や愛する人達を思い死んでいった
生物学的というなら矛盾しない 特攻隊もそうだが国の為に血を流し犠牲になった人はこの日本には数多くいる、
彼らを英霊として尊敬し今の日本人が平和に暮らせることの感謝の気持ちを忘れてはならない >>56
シナ軍は我軍の大陸打通作戦に恐れをなして焦土戦術して自分の国民を何百万人と餓死させたが 戦争に負けたら家族が酷い目に合うけど自分が特攻すれば勝って家族は助かるって言われたら藁にも縋る思いで行っちゃうよなあ 「大の虫を生かす為に小の虫を殺す」と信長も言ってるだろう。
類のために種が犠牲になるのが生物史じゃないのか、池田。 >>64
そのレスを待ってた
富永→富永自身は下戸でウィスキーなんか飲まないだからウィスキーなんて持っていくはずがない
菅原→作家高木俊明が嘘ばっか書くから資料提出を断ったら更に嘘ばっか書かれてしまった
倉澤→特攻隊員に合コンさせたり女子高生の慰問を受けさせたり福利厚生に力を入れていた。一部反抗的な特攻隊員に強く言ったら逆恨みされて大げさに言われた。振武寮に文句を言ってるのはわずか数人だけ
玉井→特攻隊の供養のため仏門入り、厳冬期まで特攻隊員供養の水垢離を欠かさず水垢離の途中で心臓マヒで死亡
黒島→人間魚雷の進言は黒木大尉、仁科中尉ら現場から出たもので黒木は逆に脱出装置の設置を指示したが、現場から逆に反対されてしまった。戦後は誰も面倒みなかった山本五十六の奥さんの面倒を見ている
太田→単なる下っぱ、桜花計画を進めて指揮した岡村大佐は戦後に責任をとって自決 >>63
言いたいことも分かるが、なら彼らは犬死だったのか?ということになる。
命をかけて大切なもののために死んで行った人たちに犬死というのは明らかに配慮に欠けてる >>73
家族を酷い目にあわせるのは
特高警察と隣組だけどね >>73
戦争に負けても
実は一般庶民はたいして変わらないのにね。 まぁ、特攻を命令した奴らは概ね天寿を全うしたわけだし、
利用されたあほだよね。 アメリカが残した日本兵捕虜の記録みるに日本兵もネトウヨがいうような家族や故郷のためにやる気マンマンのやつなんていなくて、ほとんどやる気がなかったぽい
村八分にされるからとかむしろ故郷を恐れてるくらいだ >>4
米軍の物量なめたらあかんぞ。
戦力を分散して、適当に沢山の囮の空母を浮かべておけば、
特攻ホイホイのように、自爆させることもできる。
兵員をほとんど退去させて、がら空きになった船に特攻してもらって、
もちろん米軍人は沈没前に脱出。
そんな風にして、兵員の犠牲を最小限に抑えようとするだろう。
奴ら、核実験場に沢山の空母を並べておいて、原爆で吹っ飛ばしても、
勿体ないとも思わないからね。 生物学者?
大切な人を守るために自分が犠牲になるのも犬死? >>76
富永が酒飲みとかどこにも書いてなんだが? >>73
大人だと分別がついて、
そんなの嘘だとすぐわかるから
世間知らずの子供を狙ったんだろう。 やりたいこといっぱいあったろうに。
日本が負けてなければまったく違った世界だったな。 この国が無くなって中国になっても
生活が維持されるならそれで良い
戦争して守るってアホ丸出し >>64
宇垣纏:
昭和20年2月10日付で第五航空艦隊司令長官に着任し、終戦まで沖縄方面の特攻作戦を指揮。
8月15日の午後、ポツダム宣言受諾の玉音放送後、独断で彗星11機を引きつれ沖縄に特攻出撃。若い将兵16名を道連れに死亡。
なおポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行ったため正式な特攻とは認められていない。連合艦隊司令長官小沢冶三郎も命令違反行為として語気鋭く批判している。
しかし、靖国神社には合祀されており、遊就館にも遺品が展示されている。なお僚機については「宇垣は自分が突入する機のみに出撃を命じたが、同行を望む隊員に対して押しとどめられずともに出撃した」とする説もある。
寺本熊市:
「陸軍航空の父」と呼ばれたほど、日本陸軍航空隊の育成に尽力。
太平洋戦争開戦時には「よくもよくも米国を相手にしたものだ。あちらは種を自動車でバラ撒いただけで、ほっておいても穀物の出来る国だ。
その上、石油はある、資源はある、第一次大戦以来、連合国数カ国の台所を賄ってきた国だ。国力を侮ったらいかん。しかし決まってしまった以上は天子様にお仕えするだけだ。」
と戦争の先行きに警鐘を鳴らしていたが、寺本の予言通りアメリカの圧倒的物量に対し日本軍は圧倒されて、
本土付近まで連合軍が迫ってきた。沖縄戦が開始された1945年4月には陸軍航空本部長として陸軍の特攻を指揮することとなったが敗戦を迎え、終戦直後に「天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す」という遺書を残して、古式通りの作法に則って割腹自決。
大西瀧冶郎:
昭和19年10月17日に第一航空艦隊司令長官としてフィリピンに赴任。レイテ海戦の際に爆装した零戦隊を特攻出撃させる。
本人は特攻について統率の外道と否定的に考えていたが、周囲からは航空特攻の生みの親とされている。
その後軍令部次長となり、終戦まで海軍特攻の総指揮を執る。
最後には自ら出撃するという強い意志であったが、終戦でそれもかなわなかったため、その翌日、特攻隊員たちに対する感謝と謝罪の旨を記した遺書を残し、官舎にて割腹自決した。
介錯も治療も拒否し、なるべく長い時間苦しむように自決方法に割腹を選んでいる。
戦後は大西の遺志を継いだ妻淑恵が特攻隊の慰霊行脚を行った。
ある慰霊法要に招かれた淑恵は「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」と遺族や生き残った特攻隊員に土下座して詫びたが、
その真摯な姿を見た遺族らからは逆に「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」と大西を擁護することばが上がったという。 兵隊を粗末に扱ってたのは間違いない。ただ戦って死んでいった人達を犬死でしたね!で片付けていいとは思わない、俺はね >>84
その雰囲気がすぐ理解できるのが、日本人。 >>95
普通に社会参加してる日本人ならな
子供部屋引きこもりアニメゲーム脳のネトウヨには不可能 ただしもしハワイみたいにアメリカに併合されたら
アメリカ白人は確実にハワイ人みたいに
日本人を絶滅させるので絶対にダメ
国にもよる >>94
犬死にだったからこそ、もう同じ過ちを繰り返しちゃなんねぇって事だぞ >>64
伊藤整一:
各種特攻兵器開発開始を日本海軍が組織決定したときの軍令部次長、その後、第二艦隊の司令官を拝命し、沖縄戦で戦艦大和を主力とする第一遊撃部隊を率いて沖縄に海上特攻した。
伊藤は連合艦隊からの、「一億総特攻の魁となっていただきたい」という命令を受け入れたが、予備士官69人を出撃前に大和から降ろし、また大和が米軍艦載機の集中攻撃で沈没寸前の状況に陥ると作戦中止を命令し、自らは長官室に入って大和と運命をともにした。
伊藤の作戦中止の命令により、第一遊撃部隊は全滅を逃れ、雪風(駆逐艦)など4隻の駆逐艦が生還し3,000人の命が救われた。伊藤の息子伊藤叡中尉も沖縄戦の特攻で戦死している。
有馬正文:
第二十六航空戦隊司令官、「日本海軍航空隊の攻撃精神がいかに強烈であっても、もはや通常の手段で勝利を収めるのは不可能である。
特攻を採用するのはパイロットたちの士気が高い今である」と航空特攻を早くから提唱、台湾沖航空戦のさいに
「司令官以下全員が体当たりでいかねば駄目である」「戦争は老人から死ぬべきだ」と述べて、参謀や副官が止めるのも聞かず司令自ら一式陸上攻撃機に搭乗して初の航空特攻を行うため出撃し戦死。
他の軍高官が占領地で美食にふけるなかで、有馬は兵士らと同じ粗食を食するなど高潔な人柄で部下将兵に慕われた。
城英一郎:
1943年6月に特攻隊の構想をまとめ、上申するも一旦は「意見は了とするがまだその時ではない」と却下される。
そのあとも熱心に航空特攻の開始を上申したが受け入れられず、結局、航空特攻は城の上申を却下した大西によって開始されることとなった。
その後にレイテ沖海戦では空母千代田の艦長として囮作戦に参加、任務を完遂したのちに米海軍艦隊に捕捉され、千代田と運命をともにした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています