【邪馬台国】「卑弥呼の墓」を素粒子で探査……奈良・箸墓古墳の内部★3
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「卑弥呼の墓」を素粒子で探査
奈良・箸墓古墳の内部
「卑弥呼の墓」の可能性が指摘される奈良県桜井市の前方後円墳・箸墓古墳(全長約280メートル、3世紀中ごろ〜後半)の内部構造を探るため、物質を透過する素粒子「ミューオン」を用いた探査を始めたと、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。
同古墳は宮内庁が孝霊天皇の皇女の墓として立ち入りを禁止し、調査はほとんどできていない。
探査では石室の可能性がある空洞があるかどうかや、その位置や方向、規模を調べる。
古代史上最大の謎を秘めた古墳の内部を知る手掛かりになりそうだ。
ミューオン探査は宇宙線から生じる素粒子の一種を利用し、物体の内部をエックス線写真のように写し出す。
共同通信 2020/1/9 20:43 (JST)
https://this.kiji.is/587970300458878049?c=39550187727945729
★1が立った日時 2020/01/09(木) 20:48:03.29
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1578660826/ >>1
汚らしいエラ張りブサイク整形レイプ民族チョン。
整形なしには人前に出られないほど醜悪なパンスト朝鮮顏をしてるくせに、
日本人のふりをして性犯罪を犯しまくりやがって。
朝鮮民族は、歴史的によそ様の国でも凶悪な性犯罪を繰り返してきたゴミクズ民族。
東南アジアの女性たちに最も忌み嫌われている。
ベトナムでは朝鮮人による連続強姦で生まれたライダイハンが大量発生して社会問題になっている。
日本人女性たちは戦中も戦後も、朝鮮人による性犯罪に苦しんできた
いまも日本人女性を汚しまくってるAV男優とAV撮影者のほとんどが在日朝鮮人だ。
●●● 深刻化する在日朝鮮人の性犯罪 ●●●
http://seihanzai.tripod.com
. 宮内庁が古墳の発掘調査を嫌がる理由は「何が出てくるかわかんないから」なんだよな。
特に明治維新以降の通説を覆すようなもんが出てきたらたまんないわけで。 俺の仮説
カササギは外来種だが九州の佐賀に留鳥として居る
カササギは留まって繁殖する習性がある
魏志倭人伝には「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲 無し。」とある
なぜ、「鳥」ではなく「鵲」(カササギ)が倭国には居ないとあえて記したのか
魏が後に、倭国へ「鵲」を贈っていたと仮説するならば
生物学的なDNAの解析によって、鵲のルーツを特定できるのではないか
銅鏡などの錆びついた物証だけではなく
鵲が現在まで生き継いだ魏の使者ならば
邪馬台国の生きた物証としてロマンがある 江戸時代と旧陸軍の適当な調査でだれの墳墓とか
そのままはないやろ
いい加減考古学に基づいた調査研究しないと 人は記憶型と思考型に大別できる
帯方郡(平壌の南)
狗邪韓国(海 7千里)
対馬国 (海 千里)
一大国 (海 千里)
末廬国 (海 千里)
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東 百里)
投馬国 (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)
問題は投馬国と邪馬台国
これで解決
帯方郡─狗邪韓国─対馬国─一大国─末廬国─伊都国─奴国─不弥国
├──────────投馬国
└──────────邪馬台国 >>1
卑弥呼が誰かも分かっていないのに卑弥呼の墓の可能性ってなんだ?
大和朝廷とどんな関係があるの?
学術的根拠もなしに「卑弥呼の墓の可能性がある!」とか学者の風上にも置けない連中だな 弁辰と加耶の鉄(セッション1. 加耶の鉄と倭国)
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1203&file_id=22&file_no=1
耶韓国の金海をはじめ,南海岸一帯には弥生土器・甕棺,土師器などが分布する。
交易・経済活動をおこなう倭人が居住していた。
鉄を市(か)っていた倭人は対馬人や壱岐人であった。
倭の地には,「大倭」が管理する市があり,さまざまな物資が交易されていた。
とくに伊都国に一大率が置かれた。
この伊都国の市は,対外的な国々の間の交換の場としての公的な市であった。
その市で売買,取引された鉄は壱岐カラカミ遺跡・福岡西神・佐賀城ノ上遺跡のような鉄板・斧状鉄板であった。
これが2004年の学術的事実 魏志倭人伝に描かれた邪馬台の政治状況は、
倭国大乱で敗れ、和議条件として、男王(=剣を持つ王)の禁止
=覇権放棄 を飲まされていたということ。(=倭国が女王を"共立")
諸事情を勘案すれば、邪馬台は、漢の時代の列島内覇権国であろう。
だが実際に漢に朝貢したのは、奴国(博多)だ。邪馬台自身じゃない。
となると、大乱後の魏の時代、邪馬台が朝貢したのは、その裏に居る
新覇権国(奈良?)から朝貢*させられ*ていたと考えるべきだ。 間違っているとわかっていても畿内説を説かないと予算が削減されるから いっぽう
実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)が『魏志』に書き残した現実は
末廬国という本土に上陸した後は、次の伊都国まで
500里も延々と、草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えないような道なき道を歩かされる
238年に邪馬台国が献じたのは、生口10人、班布二匹二丈
240年に卑弥呼が「親魏倭王」となったのち、壱与の代となり、
266年に遣使を西晋(265年 - 316年)に派遣したときですら
生口30人、白珠五千孔、大勾珠二枚および異文雑錦二十匹
「阿蘇山」の記載も無い 対馬国、一大国、末廬国、伊都国、奴国、不弥国=狭い領域国家(≒都市国家)
投馬国、邪馬台国=広大な領域国家
・投馬国=山陽・山陰の大半を領する
・邪馬台国=五畿内+東海・東山・北陸の一部を領する >>14 >>17 で、現在は
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c NHK特集でピラミッドの内部解明に役に立たず、打ち切り番組に協力した奴等か? そもそも昔は台をトと読んでるんだから邪馬台でヤマトに決まってる >>19
朝鮮半島を経由して多くの北方系のモンゴロイドが渡ってきたという時点で怪しいだろw日本は今も昔も海洋国家w >>23
それを九州の連中は受け入れられないんだよ笑 当時の中国人が卑弥呼と呼ぶ女性?が居たのは間違いない
それ以外は全てフィクションです 初期型は全て円墳、約4世紀ころから前方後円墳へ移行された
初期型第一号は、紀元前100年ごろに作られた
前方後円墳は、全て源氏の墓地(1機だけ、ニニギの墓地)
今回の調査対象も前方後円墳だけど
どー説明するんだか あの古墳は初代卑弥呼の墓とも言われる所だね。
出雲族と葛城族の連合政権=海幸彦を下した物部氏=山幸彦が連合相手の豊国軍の到着前に、彼女を嫁だか、公式巫女にしてしまった。
彼女の補佐は弟の太田氏がやっていてそれで古事に書かれた。
末裔は製鉄の役職を名に冠す、墨坂神社の社家になっている
病没した卑弥呼は便宜上二代目卑弥呼。宮島の弥山で葬られた。
三代目卑弥呼は豊国の姫の事。故にトヨとなった。
結局連合国の豊国を排除し、政権を独占した物部氏だが三代で政権は潰える。
短いのを隠すためにヤマトタケルを押し込んで記紀にした。 なんとかして「卑弥呼の墓」というイメージを
定着させたいのはわかるw 卑弥呼は、架空の存在かも知れない。誰も見ていない。
卑弥呼は、大乱で敗れた旧覇権国・邪馬台が、男王禁止(=覇権放棄)
という和議条件に沿って即位させた女王だ。(=倭国が女王を"共立")
だが、籠っていて誰も見ていない。弟?が、その意を外に伝えたという。
卑弥呼は居たかもしれないが、居なかったかもしれない。
弟?とされる人物が事実上の王で、和議条件の通り男王を置いていない、
という設定にするため、架空の女王「卑弥呼」を演出した可能性はある。
何れにせよ、この権威と権力の分離が、卑弥呼の権威の神格化に繋がり、
後世、奈良が邪馬台を滅ぼし、その名(やまと)を継いだ(奪った)のち、
伝説の女王卑弥呼は、神話中で天照大神に昇華されることとなる。 天皇陵調査させろよ宮内庁
短期的には混乱するだろうが長い目で見たら損失だ 百襲姫、又の名を日女命だけどね。
又の名は神大市姫で日神という。
天照そのものの名前まで持ってるぞw
卑弥呼とは百襲姫だよ。 まだ揉めてんのかよw
側で見てると畿内説?の連中の方が
言動がパヨっぽくて、なんでそんなに必死なのと思うけど
九州説だとなんか利権的にマズイの? 結局
>>14 のように、九州に対する学術的研究が進めば進むほど
>>17 という、実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)が『魏志』に書いた邪馬台国から
どんどん離れていくんだよね
逆に、奈良に対する学術的研究が進めば進むほど
>17 という、実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)が『魏志』に書いた邪馬台国に
どんどん近づいていくむ >>17
× 現在は
Answer 大多数の考古学者は大和説です
注)2002年に亡くなられた方の見解です 九州の山門から大和に東征して改名したのでは?
中国の満州や北海道の開拓地みたいな名前として?
今でも筑後らへんに美人が多いのは昔の栄華かな〜 『魏志』に書いてあることは、どうせ、いいかげんなことなんだろ
と考えていた、昭和中期までならば
>>14 のように、九州に対する学術的研究が進めば進むほど
>>17 という、実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)が『魏志』に書いた邪馬台国から、どんどん離れていく
のも気にせずに
『魏志』に書いてあることは、どうせ、いいかげんなことなんだろ
で済ませたけど
『魏志』(倭人伝を含む)は、実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)によって書かれているため
『魏志』に記載されている、邪馬台国の記述は正確で、ほぼそのとおり
『魏志倭人伝』の記載が近年考古学的な事実で次々に正しいと確認されている現代では
>>14 のように、九州に対する学術的研究が進めば進むほど
九州は『魏志』に書いてある邪馬台国ではない・・となるんだ >>34
確かにその通りなんだけど
現在の宮内庁は、記紀という聖書をもとにあらゆる神事を継承しており
現代の日本人平和と幸福をお祈りすることを使命と考えているみたいで
古く伝えられてきた神事の根拠にかかわる事実が何か出てくるのは
天皇を国民の象徴とし、憲法の下で続けてきた古き伝統にケチが付くのはいかがなもんかと思てるんちゃう? >>41
>>14 のように、九州に対する学術的研究が進めば進むほど
× 九州は『魏志』に書いてある邪馬台国ではない・・となるんだ
〇 近畿は『魏志』に書いてある邪馬台国ではない・・となるんだ ちなみに
距離や方位は、なにか特別な装置を携帯していかなければ測れないけど
日数だけは、なーーんにもなくても正確にわかる
ことから
実際に邪馬台国の壱与から数回朝貢を受けた西晋(265年 - 316年)が『魏志』に書いた
距離や方位は、まったく信憑性が無い・・けれど
不弥国から水行20日で投馬国
投馬国から水行10日、陸行1月で邪馬壱國
は確実にその通り
というのが、今の考古学的見地 >>40
ヤマ◯◯なんて地名は古くから畿内周辺に集中してるのにw
山門ならむしろ大和朝廷と九州南部の勢力との境界線という事。 >>44
おまえがそう考えるのなら、おまえは統合失調症
病院に行った方がいいぞ >>44
>九州に対する学術的研究が進めば進むほど
こじつけが進めば進む程の間違いだよw >>1 前方後円墳・箸墓古墳(全長約280メートル、3世紀中ごろ〜後半)
> 3世紀中ごろ〜後半
卑弥呼やん >>48
これはこじつけか、学術的研究結果か、どっち
弁辰と加耶の鉄(セッション1. 加耶の鉄と倭国)
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1203&file_id=22&file_no=1
耶韓国の金海をはじめ,南海岸一帯には弥生土器・甕棺,土師器などが分布する。
交易・経済活動をおこなう倭人が居住していた。
鉄を市(か)っていた倭人は対馬人や壱岐人であった。
倭の地には,「大倭」が管理する市があり,さまざまな物資が交易されていた。
とくに伊都国に一大率が置かれた。
この伊都国の市は,対外的な国々の間の交換の場としての公的な市であった。
その市で売買,取引された鉄は壱岐カラカミ遺跡・福岡西神・佐賀城ノ上遺跡のような鉄板・斧状鉄板であった。 大倭はヤマトだよ、天理市辺りの地名だし。
邪馬台国は畿内、確定してるよ。 >>50
半島と対馬海流を通じて交流していたのは九州北部勢であることは間違いないということだろ。
これをどう読めば、近畿との交流にみえるん? >>42
そんな殊勝な宮内庁職員なんているんですかね?
本音は、「仕事が増えるから面倒臭い」では? >卑弥呼以って死す。冢を大きく作る。径百余歩。徇葬者は奴婢百余人。
>更に男王を立つ。国中服さず。更に相誅殺し、当時、千余人を殺す。
>復(また)、卑弥呼の宗女、壱与、年十三を立てて王と為す。
>国中遂に定まる。
>その法を犯すに、軽者はその妻子を没し、重者はその門戸、宗族を没す。
>宗女、壱与
>宗族を没す
宗は親戚とかそんな感じの意味だとして
>復立卑弥呼宗女壹與年十三為王
卑弥呼と台与て親戚やん >>52
北部九州も倭だし伊都がある、半島に近いからにすぎない訳だろ。伊都を北部九州に見ている畿内説で何の問題があるんだよw 発掘調査して、韓国由来の物があったら大変だしな。(´・ω・`) >>55
俺がレスしてた人は、伊都が九州でないと言ってた人だよ
奴国、不弥国までは九州で間違いないよという話ね。
その後の見解が畿内説と見解が分かれているのは承知しているけど
それなら考古学的に、当時の九州と畿内が交流している確かな証拠を提示してほしい。 発掘調査してなかったらお金下りんやろwアホすぎて引くわ >>57
交流の痕跡なんて大陸から河内まで紀元前からあるぞ、邪馬台国の何百年も昔だ。
鏡や貨泉だけでも調べて見れば判る話。
いつまでも邪馬台国の壊の古い資料に騙されるなよw >>57 福岡の前方後円墳の那珂八幡古墳が3世紀中ごろなので
纏向との関係はあったと思われる >>60
そういうこっちゃないよ。
そりゃ、わずかな人的移動や交流はあるだろうよw
畿内や泡にも半島から入ってきたと思われる文化も古くからあるある。
邪馬台国とはほとんど関係がないものばかり。 更にいうと弥生時代前期で最大級の水田跡はすでに葛城の中西遺跡、それもまだ倍以上が予想されているからな。北部九州より現状でも上だぞ?
また河内の亀井遺跡から水銀朱を測る分銅も出土済み、大陸との交流の痕跡なんて畿内からとっくに確認済み。
九州説は考古学を都合よく解釈しすぎなんだよw >>60
俺が求めているのは、3世紀以前に、これらと同類の痕跡が近畿から見られるかどうかってこと
弁辰と加耶の鉄(セッション1. 加耶の鉄と倭国)
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1203&file_id=22&file_no=1
耶韓国の金海をはじめ,南海岸一帯には弥生土器・甕棺,土師器などが分布する。
交易・経済活動をおこなう倭人が居住していた。
鉄を市(か)っていた倭人は対馬人や壱岐人であった。
倭の地には,「大倭」が管理する市があり,さまざまな物資が交易されていた。
とくに伊都国に一大率が置かれた。
この伊都国の市は,対外的な国々の間の交換の場としての公的な市であった。
その市で売買,取引された鉄は壱岐カラカミ遺跡・福岡西神・佐賀城ノ上遺跡のような鉄板・斧状鉄板であった >>62
でも畿内には百襲という、日女命の名前をもつ
巫女王もいるぞ?
しかも瀬戸内海まで活動範囲のある神の名前の巫女だぞ。弟は桃太郎のモデルだしな。
必然的にに瀬戸内海も女王国だ。
九州説なんて妄想の姫やら土蜘蛛の類いしか
いないだろ。 >>65
それはお前だろ、答えに窮していつもそればかりだな。
三世紀北部九州は倭である、で答えは既に出てるw >>67
>>三世紀北部九州は倭である、で答えは既に出てるw
その通りなんだが、その話を、どう解釈すれば近畿が邪馬台国だという根拠につながる? >>64
卑弥呼は鬼道を使う、と何の関係もない。
つまり鉄の有無なんて倭人には関係があっても
邪馬台国や卑弥呼とは特に関係はない、それだけの話だよ。
それに大倭の名前はヤマトでしか確認出来ない、金山彦、金山姫神社は畿内の弥生時代末期からの鉄工房、信貴山にある。
また淡路島に鉄工房も弥生時代末期からある、で終了。 >>68
瀬戸内海を女王国とする百襲姫の存在。
箸墓はその百襲姫の墓とされてるなら根拠以外何物でもない。
箸墓は吉備や阿波の影響があるのも、また橿原の古墳にもルーツがあったからな。
しかも東国からも痕跡があり女王と呼べる規模の墓だろう。 >>69
お前一体何言ってんの?
邪馬台国は3世紀に存在した倭人の国だろ。
それではこれに反論してください。
弁辰と加耶の鉄(セッション1. 加耶の鉄と倭国)
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1203&file_id=22&file_no=1
3世紀当時の鉄の流通経路は、半島からであり、伊都国をはじめ北部九州に蔓延していたということが考古学的に証明されています。
であるなら、当時これだけ貴重な鉄材が、普及されている地域でしかありえない。
あと反論するなら、具体的な資料と年代をきちんと提示してね。
こっちで調べるのとても面倒なんだから。
いつもやってあげてるけど。 >>36
最近、畿内説はレスバトルを見てる限り旗色悪いよね
正しいかどうかわからんが九州説論者は根拠をあげているが
畿内説論者は罵倒で逃げている感がある >>70
具体的な資料と年代の根拠が一切書かれてないので、議論の余地がありません。 >>71
根本的にズレてるだろw
倭人伝でありそもそも邪馬台国伝ではない。
また卑弥呼が鬼道を使うという説明にも全く関係ない話。
畿内説でも伊都は北部九州なんだから鉄が多くても別に問題ない。
しかも弥生時代末期は既に丹波や瀬戸内海でも
鉄は多いのにw >>74
だから、そういう資料を示して、九州との交流の痕跡を明らかにするのが考古学的な知見だっていってんだろ
なんの反論にもなってないよ。 >>46
山門(戸)は単純に山の入り口っていう意味だから、
日本各地に有るありふれた地名だ >>73
君はまず倭人ではなく卑弥呼や邪馬台国に関する資料を出しなさいw >>76
九州どころか大陸との交流の痕跡が紀元前からあるだろ、いい加減九州だけから離れろよw
そもそも九州と本州なんて数百メートルしか離れて無いの知らないのかよww >>78
反論の意図が全く理解できないので出しようがありません。
会話になっていません。 なぜエジプトみたいにきちんと発掘調査ができないのか?
宮内庁はなにか知られたくないことを隠しているのだろうか?
そんなことはないはずだよね、
普通に考古学的発掘を希望、 大きな塚を築く=箸墓古墳=卑弥呼の墳墓
大和説はただのバカで妄想家ばかり。 3世紀辺り、九州と本州側の痕跡なら硯もあるだろ。
硯は北部九州と出雲地方から。
墨書土器なら紀伊半島の津や松阪から千葉辺りまで確認済みだな。
畿内どころか三世紀なら関東まであるぞ。 >>80
じゃあここは箸墓のスレだろ、君は既に最初からスレ違い。
何の為にここに居るんだよw >>79
国立歴史民俗博物館研究報告 第185集 2014年2月
弥生鉄史観の見直し
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/185006.pdf
P168-169
表 1 弥生早〜中期前半に比定されている鉄器の出土状況[設楽 2004]より
これを見れば、早期ー中期の倭人の活動範囲がうかがえますね
倭人と鉄の普及範囲には考古学的に大きな相関性があります。
漢時代から大陸との交流の記録がある倭人がこの後、どこまで活動範囲を拡大したのか
近畿では、どのように解釈されてるのか、資料と年代を記した根拠を提示してください。 >>81
この技術
発掘許可の出ないエジプトの遺跡を調査するために開発されたんだよ >>81
邪馬台国の交流の当事者である中国の研究者ともあまり活発に意見交換していないのもよくないな
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を曹操高陵を発掘した中国の学者に見せたところ
卑弥呼がもらった鏡の可能性が高いという見解を示したとニュースになっていたが
そんな事もやっと今になってやっているのかという感想だわ >>84
考古学的に近畿が有力だと反論されたので
私が提示した、考古学的な矛盾を説明してくれる人が現れないか試してるだけですよ。
知的欲求というやつです。 >>85
だからスレ違いだろ、
簡単に言うと淡路島と近江に鉄工房が既に確認されている。
活動時期は1から2世紀、その後3世紀には信貴山周辺、大県遺跡周辺からも確認済み。
また同時に製鉄に関しては広島辺りが最古とされるものがあるだろ、以上。
で、鬼道と卑弥呼に関してきちんと説明してみろよw 旧唐書で倭国が日本に制圧されたと書いてる
神武東征なんだから九州も勢力圏だっただろうし畿内勢力に制圧されるなんて信じれない
旧唐書にある制圧云々は要するにヤマト朝廷内の反乱制圧と思われる
倭国、邪馬台国とは神武天皇は奈良で王朝を造り九州まで勢力があった
日巫女はヤマト朝廷の人物 >>91
貴方が何を見て活動時期が1から2世紀だと断定してるのか、考古学的な資料を出してください。
私が調べたところ、2世紀半ばから3世紀初めということで、九州北部から出てきた弥生時代の鉄材とは関連性が見られませんし
漢の時代からの交流してきた倭人との関連もみられません。 >>90
確実に言えるなら倭人伝には鉄鏃しかないんだからな、これが都は邪馬台国、鉄器を主として扱う国と記述があるなら認める。
でも卑弥呼は鬼道を使い国を収めているとしか
倭人伝にはない、しかも宮は巫女が大半だろう。
武力や鉄とはかけ離れた記述しかない。
巻向は今のところ内容に相応しい祭祀場所としか言えない。 >>95
それについては資料を提示済みです
何度も欠かせないでください
全部書くのは大変なんで、リンク先の前後の文脈を読み解いて、邪馬台国時代と同時期の交流の痕跡であることを確認してください。
弁辰と加耶の鉄(セッション1. 加耶の鉄と倭国)
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1203&file_id=22&file_no=1
耶韓国の金海をはじめ,南海岸一帯には弥生土器・甕棺,土師器などが分布する。
交易・経済活動をおこなう倭人が居住していた。
鉄を市(か)っていた倭人は対馬人や壱岐人であった。
倭の地には,「大倭」が管理する市があり,さまざまな物資が交易されていた。
とくに伊都国に一大率が置かれた。
この伊都国の市は,対外的な国々の間の交換の場としての公的な市であった。
その市で売買,取引された鉄は壱岐カラカミ遺跡・福岡西神・佐賀城ノ上遺跡のような鉄板・斧状鉄板であった。 >>36
弥生時代の北部九州の墳墓からは、鏡・剣・玉が多数出土し、しかもこの三点がセットになっている場合も多い。これは天皇家の三種の神器と文化的に直結する。これに対して畿内の銅鐸文化は、次の古墳文化にまったく接続していない >>11
こうでしょう
帯方郡─狗邪韓国─対馬国─一大国─末廬国─伊都国─奴国─不弥国
└──投馬国────────────────邪馬台国
>>97
>これは天皇家の三種の神器と文化的に直結する。
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>96
だからまと外れな資料だとw
邪馬台国、女王や卑弥呼とは何の関連性もないの返答済み、無駄だよ。
皇居の資料が必要なのにコンビナート資料出されてもなw
三世紀交易資料なら硯で九州から本州までの例を出している。
で鬼道はどうするんだ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています