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「成人式」の歴史は意外と浅い(写真:JianGang Wang/iStock)

あなたは、「成人の日・成人式というのは、1月15日でないとどうもしっくりこない」と思うだろうか??

ハッピーマンデー制度で「成人の日は1月の第2月曜」となったのが、2000年。それまでは1月15日で固定だった。今年の新成人はもちろん、30歳くらいまでの方は、毎年日付が変わることに違和感はないはずだ。

それ以上の年齢だと、「新成人を祝う古くからの伝統的な行事だ。その趣旨と日付が一致してこその、国民の祝日ではないか」と、なんだかしっくりこない方もいるだろう。

だがちょっと待ってほしい。そもそも、成人式は日本の伝統的な行事なのだろうか?

「日本の伝統」は誰が作ったのか??

「昔から続く日本の伝統」と思われている習慣・行事・儀式・制度には、明治以降に創られたものがけっこうある。

というのも、明治政府は大急ぎで「日本という国民国家」を作らなければならなかったからだ。内にあってはそれまでの各藩による対立感情(戊辰戦争や西南戦争という「内戦」もあった)を終わらせ、外に対しては先進西洋諸国の脅威に備える必要があった。

なので、明治政府は実は一部の地域、あるいは一部の階層でしか行われていなかった習慣や、大昔にとっくに廃れていた儀式でも、「我々は、古くから連綿と伝わるこの伝統を、北から南までみんなで大事にしてきた同じ仲間だ」という国民共通意識を創り出すために利用した。

できたての国家の指導者にとって、「古くからの伝統」は自らの正当性アピールのために必要かつ、使い勝手のいいツールだった。そして、できたての国民もまた、その伝統に包まれることで未来への不安を緩和することができた。大きな混乱期において、両者は暗黙のうちに「伝統」という共通のフィクションを求めるものだ。

さて「成人式」だが、これは明治どころか、戦後に始まった伝統だ。現在のような自治体による成人式のルーツは、昭和21(1946)年11月、埼玉県蕨町(当時)で行われた「青年祭」だとされている。

「敗戦によって虚脱状態の、次代を担う青年たちに明るい希望を持たせるため」という趣旨で3日間開催された。当時のプログラムを見ると、芸能大会や展覧会、野球や卓球の試合、バザーまである。まさに祭りだ。その冒頭で行われたのが「成年式」だ。ゆえに現在に至るまで蕨市では、成人式ではなく「成年式」と呼んでいる。「成年式発祥の地」の銅像もある。

もう1つ、ルーツを主張しているのが宮崎県諸塚村(もろつかそん)。昭和22(1947)年4月に10日間にも及ぶ宿泊研修や成人講座、成人祭を行い、受講終了の証しとして修了証書を授与した。

こっちには「成人式発祥の地」の石碑がある。碑文は、「昭和20年8月、日本は第2次世界大戦に敗れ、満20才の男子を対象に実施されていた徴兵制度も廃止された」で始まり、「国民は未曽有の敗戦により希望を失い、道徳は廃れ、郷土の将来を背負う若者から成人としての自覚が喪失されつつあった」と続いている。戦前・戦中の成人儀礼(イニシエーション)である徴兵検査を意識していることは明らかだろう。

東西どちらの行事がルーツなのかはわからないが、昭和23(1948)年、国は1月15日を「成人の日」とした。趣旨は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日とある。「みずから生き抜こうとする」という表現などなかなかハードだ。祝っているのか突き放しているのか、よくわからない。

こうして見ると、「成人の日・成人式」は制定から70年が経過しているとはいえ、「古くからの伝統的な行事」と呼ぶには疑問符がつく。

成人の日・成人式のもう1つのルーツに、「元服」がある。「元服」の儀式は十分古い。和銅7(714)年、『続日本紀』による皇太子(のちの聖武天皇)元服の記述が初出だとされる。奈良時代だ。

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2020/01/13 5:30
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