■マチュピチュの650年前、黄金郷伝説にも関連か、コロンビアのテユナ遺跡

1976年、コロンビアの考古学者たちとガイドの一団が、過酷な任務に出発した。目的は、古代遺跡を盗掘者から守ること。コロンビア北部、カリブ海沿岸に近いシエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタの深い森に覆われた丘陵地帯を、一行はなたを振るいながらじりじりと進んだ。

 この地域にはかつて、タイロナという先コロンブス期の文明があり、16世紀にスペインに征服されるまで、数世紀にわたって栄えていた。探検チームが入ったのは、道路で結ばれた見事な集落が次第に発見され、発掘、記録、研究が行われつつあるころだった。歩き始めて数日たつと、いずれもコロンビア人類学研究所所属の考古学者たちは、疲労の色が濃くなってきた。密林の中を延々と歩く厳しさに加え、猛烈な暑さ、激しい雨、虫刺されで消耗していた。

 任務は急を要していた。考古学的遺物を盗掘する「ワッケーロ」たちが大規模な史跡の存在を知ったと、当局は通報で把握。この遺跡から出た品が、すでに遺物の闇市場に出回り始めていた。国の遺産がこれ以上損なわれないよう、考古学者チームは一刻も早く遺跡を国の管理下に置かねばならなかった。

円形の家。タイロナの家々は円錐形で、木の壁とわらの屋根でできていた。石を円形に並べた1段か2段の人工のテラス上に建てられ、階段を上った先にある。この地域に特有の豪雨から逃れるのにも、この造りが役立った。

 一行が目指していたエリアは、一般にテユナと呼ばれていたが、彼らは俗にシウダー・ペルディーダ、つまり「失われた都市」と呼ぶのが習慣になっていた。タイロナの人々は1600年代後半に集落の多くを放棄したとはいえ、今もシエラ・ネバダに住む子孫たちは、この一帯が失われた都市だなどと考えたことはない。一方で外部の者から見れば、3万9000平方キロに及ぶシエラ・ネバダのジャングルに飲み込まれ、都市は消えてしまったように思えた。


■金細工にたけたタイロナ人

 この地域でタイロナ文化が発展したのは、紀元200年ごろだった。タイロナの人々は、より南に位置する、今のコロンビアの首都ボゴタ周辺に住んでいたムイスカ人と近い関係にあった。ムイスカ人同様、タイロナ人は金など貴金属細工の職人技に秀でており、これが黄金郷(エル・ドラド)伝説をふくらませたのかもしれない。また、スペインの征服者に抵抗し、1600年ごろまで侵略を食い止めたことでも注目された。強大なインカとアステカが比較的早く征服されたことを考えると、驚くべき偉業だ。

 1500年代半ばに年代記を記したスペイン人、フアン・デ・カステリャノスは、この人々を「タイロス」と記した。他の年代記作者たちは際立ってぜいたくな服装に注目し、「機敏」とも、「尊大」だとも描写した。カステリャノスは、タイロナ人が模様入りのケープ、羽根の頭飾り、ビーズの首飾り、大ぶりの真珠、カーネリアン(紅玉髄)、金を身につけていると報告している。

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