【戦国武将】前半生が謎…明智光秀出生地に新説、岐阜でなく滋賀?新たな古文書発見
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前半生が謎とされる戦国武将明智光秀の出生地について、滋賀県多賀町中央部の「佐目」と明記した1672(寛文12)年編さんの古文書「江侍聞伝録(ごうじもんでんろく)(禄)」が、県立図書館(大津市)で確認された。同様の記述は、同一著者とみられる貞享年間(1684〜88年)の「淡海温故録(おうみおんころく)」にもあるが、江侍聞伝録はそれより古く、調査をした県教育委員会の専門家は「成立年代がはっきり分かり、光秀の出生地を記した最も古い史料」と指摘している。
著者は木村重要(生没年不詳)で、佐目から十数キロ南西部に位置する近江国神崎郡(現在の滋賀県彦根、東近江市辺り)の人物とみられるという。江侍聞伝録は全2冊で、中世の近江国の土豪・地頭の家系を地域ごとに記している。
自筆とみられ、1冊目に、明智十左衛門という侍が濃州(美濃国)から佐目の里に逃れて来て2、3代が住み、出生年は不明ながら「光秀」が生まれたと書かれている。信仰すれば千人を従える大将になれるという大黒天を、千人では物足りないと捨てた野心家の一面をうかがわせるエピソードもある。その後に完成した温故録のベースになったとみられ、織田信長を討った本能寺の変(1582年)後、豊臣秀吉と戦った山崎の戦いで多くの近江の人々の加勢を得られた理由については、「江州生国」(近江で生まれた)とする。
光秀の出生地を巡っては、佐目の東に位置する美濃国(岐阜県)説がある。根拠とされ、安土桃山時代に活躍した立入宗継による覚書には、1579(天正7)年6月10日の出来事の一節に「美濃国住人ときの随分衆也 明智十兵衛尉」と記されている。光秀は当時、近江や丹波を拠点としており、「住人」は出身地を意味すると解釈されてきた。
しかし、県教委文化財保護課の井上優さんによると、当時の武将は生まれた土地だけでなく、先祖の所領地も出自と位置づけており、近しい人物でない限り、出生地までは知り得なかったという。その上で、「『住人』は、光秀の生まれた地域、光秀の先祖の所領地、土岐氏の所領地のどれを指すのか判然としない」と話す。
また、江侍聞伝録には、光秀の先祖の名は十左衛門という通称名のみ記されている。井上さんによると、当時は地位の高い人物でないと、諱(いみな)(元服時の正式な名前)が記録に残らない場合が多かったといい、「編さん時、通称名程度の情報しか伝わっていなかったのはかえってリアリティーがある。美濃出生説を見直す史料として意味がある」と注目している。
1/15(水) 11:09
京都新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-00223555-kyt-l25
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20200115-00223555-kyt-000-view.jpg あれどこやったかなぁどこの県やったかなぁ。思い出されへんわぁ。
これといった特徴がないねんなぁ
滋賀やないか!! <丶`∀´>オリンピック後に光秀朝鮮人説が出てくるニダよ。 済州島出身
明 光秀だってよw
(ミョン グァンチェ) 笑 織田信長が伊賀を攻めて
それから本能寺の変
伊賀衆との関係がいろいろ
言われている 滋賀だと三成明智の2大嫌われ武将の聖地で地元も困惑しねぇかな 義経がチンギス・ハーンになって光秀になって天海になって今は安倍なんだろ? 光秀が死んで100年もたってから書かれた書物じゃねーか。
信憑性は薄い。 >>1
1672(寛文12)年編さんの古文書「江侍聞伝録(ごうじもんでんろく)
光秀の死の90年後の古文書か。 NHKのニュースでは、光秀は医者だったという説もでてきて
早速大河の時代考証がおかしいことになってる 日本の歴史って曖昧だな
中国なんて三国志の時代から事細かに書物に記されてるのに >>18 滋賀はともかく、岐阜の歴史が全国的な注目を受けるのは、
ほとんど戦国オンリーになっちゃうけどな。
ただ、戦国人気が高いから、注目度が高くなってしまう。 光秀はおそらくAB型
その目線でみればいくつかの謎が解ける ソースがとにかく日本を滅茶苦茶にしたい京都新聞だからなあ >>15
出生がどうあれ
明智光秀の本拠地が坂本=滋賀大津市なのは既知の事実だから
困惑はしないよ >>21
それは取り入れてるから医者のマチャアキが出てるんだろ 麒麟が来るに期待してたんだが
主役から漂うモブ感が何ともwww >>31 こういう時期じゃないと、調査費用が出ないからじゃね? >>4
こういう時じゃないと調べる予算が出ないんでない? 天皇が天照大神の直系であるという主張より遥かに信ぴょう性はある
いい加減こんな嘘は止めてほしいと思わない? >>23
今だって安倍が公文書改竄して偽りの歴史教えてるだろ 光秀が信長を討ったのは私怨ではない。政治的見解のちがい。
信長は強力な中央集権を目論んだが、光秀は天皇と征夷大将軍が
統括する地方分権を望んだ。
勝者がスキャンダルで敗者を貶めるのは、歴史の常套。 >>32
それは信長が近江に安土城を築いたことで
重臣たちにも近江に城を築かせたからな
安土城の北には羽柴秀吉の長浜城もある ソロモン→ハンニバル→キリスト→義経→チンギス·ハン→光秀→ラス·プーチン→安倍総理 >>9
>>12
お前らこんな感じのまま死んでいくのか?
地方住み高卒ネトウヨ高齢者さんよ 俺もニートしてたから履歴書の前半分が謎ということになってんだよなぁ こんな有名人なのに謎に満ちた一族なんだな。子孫に名探偵もいるし。 女は三位以上しか叙位に関かれないから、諱は殆ど知られない。男は官位があれば残る。諱を隠すのは呪禁道の名残りなんだな。 海 湖は
古代の高速道路
滋賀 = 朝鮮
同じです ちょっと前の大河で、直虎に預けられたのが光秀の落胤っぽかったナ。 >>48
順番は坂本城→安土城だよ
坂本城建築の時に穴太衆をつかって成功したことから以後の建築に穴太衆を使うのが定番になったといわれる
織田家臣団は尾張美濃に複雑な縄張り関係を持ってるから
手柄を立てた有力家臣にまとまった土地を与えようとなるとこの時期は近江しかなく
結果的に有力家臣で近江を分割統治するみたいな形態になった 海 + 湖は
古代の高速道路
江戸中期まで 琵琶湖は日本海に接続していた
従って裕福な朝鮮人は 大津から上陸(入国)していたのである 岐阜県は濃姫の川口春菜を聖火ランナーにせず、
みやぞんを聖火ランナーした無能県 裕福な朝鮮人は 大津から上陸(入国)していたのである 洪水にあったり交通の拠点というか政情ごちゃごちゃするから
滋賀の東西敦賀間交通の筋以外は本当に田舎でなんにも無いから安定してたので静かに暮らせたので
竹中半兵衛みたいに隠居後はそっちで暮らしたいって流行あった >>1
>信仰すれば千人を従える大将になれるという
>大黒天を、千人では物足りないと捨てた野心家の
>一面をうかがわせるエピソードもある。
こういう罰当たりな事したから
あんな最期になる訳か おれぐらいになると卒論が本能寺だからね
真犯人もだいたい分析済み
光秀ではない
とだけここでは言っておこう >>15
三成嫌われてないし地元では愛されてる
こないだやってた好きな武将10位だし
古いのでは? それでも100年近くたっての資料じゃねえかよ
やっぱり信ぴょう性がねえわなぁ >>1
そんなことは、どうでもいい。
重要なのは、濃姫と一線を越えたかどうか。 生年がわかる人わからん人
月日までわかる人わからん人
で生家の格がわかる時代 直虎男説のときも100年近く後のよく分からない奴のメモ書きが根拠だったな 明智光秀のイケメン主人公化が成功したら、次は小早川秀秋で挑戦してほしい >>64
ああ、比叡山焼き討ちをしたときに実行部隊だった明智光秀に
焼き討ちした延暦寺の門前町・坂本を与えたからな
穴太衆は坂本土着で延暦寺の寺院建築に関わっていた石工集団
比叡山焼き討ちの頃にはまだ浅井が滅んでなかったので信長は岐阜にいた
浅井が滅んだ3年後には信長は安土城を着工、琵琶湖岸に重臣たちに城を築かせる
すでに構想はあったと思うがな 多賀と甲賀は遠くはない
甲賀忍者なんじゃないか、明智一族 この手の文書は自治体や大学の図書館に寄託されたままで整理されていない。それを偶然学芸員や研究者が資料探してる途中で見つけると「新発見」になる。 >>92
柳生は伊賀や甲賀と関係あったみたい。
時代劇で柳生の忍びなんて出るのはあながち
間違ってない。 学説では、 生まれは美濃国可児(かに) 郡明智荘 (岐阜県可児市) 中国みたいに御先祖様の生まれた土地を出身地と名乗ってたんじゃね?
曹操は洛陽産まれだけど予州出身とされていたしな。 >>1
/⌒ヽ
( ^ω^) 明智光秀は千利休として生き延びた?
/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています