【311】津波で家族4人を失った女性 震災から9年…3歳だった孫は今も行方不明
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震災の発生からまもなく9年…3歳だった孫は今も行方不明
東日本大震災の発生からまもなく9年となる。宮城・南三陸町の女性は、津波で孫や義理の息子など家族4人を失った。3歳だった孫は、今も行方不明のまま。深い悲しみに変わりはない。
千葉みよ子さん(73):
ほら、ここにいっぱい来てる。だからこれに問いかけてる。「ゆう! 何羽来たか数えたか」って
南三陸町歌津の千葉みよ子さん(73)。
最近の日課は、スズメのエサやり。
「ゆう見なかった?」「飛んで見つけたら教えてね」とスズメにエサやってる
千葉さんの孫「ゆうちゃん」は、東日本大震災の犠牲となり、今も行方不明のまま。
千葉みよ子さん(73):
うれしいときは、こうやって指立てたり、機嫌のいい最高のポーズ
3歳3カ月だった。
生きる気力を失っていた千葉さん救ったのは上皇さまだった
あの日、底冷えする避難所に夫と長女と三女の4人で身を寄せていた千葉さん。
三女のひとり娘・ゆうちゃんと、三女の夫、そして夫の両親を津波で亡くした千葉さん家族に、声をかける人はいなかったという。
千葉みよ子さん(73):
皆さん顔そむける。つらくてつらくて。(三女が)こんな思いするなら死んだ方がまし。その言葉を聞いたときに死を覚悟した。将来何も見えなくなって、どう生きたらいいのかわからない状態だった。このまま家族で命を絶った方がどれだけ楽だろうかと思った
生きる気力を失っていた千葉さんたちを救ったのは、上皇さまだった。
取材に応える千葉みよ子さん(2011年4月):
(上皇さまが)見つかるといいですね、見つかることを願ってますとおっしゃった
「孫がまだ見つからない」と涙を流しながら話す千葉さんに、上皇さまは優しく声をかけてくださったという。
千葉みよ子さん(73):
(孫の)写真をずっと見つめて、(上皇さまは)動こうとしない。お付きの方に「お時間です」と言われても動かない。どんなことがあっても生きなくちゃと思ったのが、そのときだった
月日がたっても気持ちが薄れることはない
震災から9年、町の景色は変わった。町の復興のシンボル、祈念公園も一部完成した。そこには、津波で43人が犠牲となった防災対策庁舎がある。43人の中には、三女の夫・洋さんもいる。
千葉みよ子さん(73):
みんなで助けようと思って、(屋上で)スクラム組んだ。そのとき、人も助けたかっただろうが、自分も生きたかった。この人たちみんな生きたかったと思う。何とかして助かろうと思ってスクラム組んだと思う
義理の息子の最期の場所でもある「防災対策庁舎」。
町は、保存か解体か議論の末、2031年度まで県有化したうえで、その間、震災遺構としての保存の是非を検討するとしている。
千葉みよ子さん(73):
(庁舎を)残しても残さなくてもどっちが正しいというのはない。今でも(庁舎を)見ると目をそらしてしまう。ここの下には、ゆうのもの入っていない。ゆうのサイズの服を買って入れただけ。流されて何もないから
3歳だった、ゆうちゃんは12歳に。
深い悲しみは変わらない。
千葉みよ子さん(73):
9年という年月が流れているが、私たちにしてみれば、そのときの気持ちはそのまま。月日がたっても気持ちが薄れることはない
「気持ちはそのまま」。
千葉みよ子さん(73):
夢に出てくるのも、こうやって話をするのも、今は12歳だが、3歳でストップしている。ね! ゆうちゃん
ことしも、3月11日がやってくる。
(仙台放送)
https://amd.c.yimg.jp/im_siggmjZ13kqOqhRWnv.jSDGogQ---x900-y506-q90-exp3h-pril/amd/20200308-00010007-fnnprimev-000-1-view.jpg
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200308-00010007-fnnprimev-life&p=1
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200308-00010007-fnnprimev-life&p=2 死んだのは仕方がない。
飛行機が山に激突したって、5000mの深度の海に突っ込んだって
そりゃ、遺体を確認するのは難しい 同じ家族を失くしたもので
前を向いて歩いてるものもいる
そういった方を特集してほしい 被災者って一人当たりいくらくらい義援金貰えたのだろうか
どうすることもできないし何もしてやれないしお金で解決もできないけどせめて生活に困らないくらいのお金が行き渡っていてほしい 代われるもんなら
代わってやりたいだろうなぁ
ばあちゃん
孫はそんくらいかわいい いやいや辛いのはアンタじゃなくて
どう見ても三女の方やん
アンタは三女を助ける方やで
泣いてたら三女が泣けないやん 娘婿と婿の両親は血が繋がっていないから
家族4人を失ったと言っても実質肉親を失ったのは孫娘1人だけだよな >>4
就活してました。
実家の愛知にいたけど、原発破裂後の1週間後に埼玉に。
めちゃ嫌だった。 御免なさいね、
ザマーミローと言ったのは脳ジャックの成り済ましで私ではないので
かなよが震災時流されていく人に私の声で「ザマーミロー」という言葉を聞かせたくて誰かが流してくれるのを待ってたけど
流れて来なかったんでアレ?とおもっていた事があると在日朝鮮人が言ってたよ お見舞いするのも大変な役目だな
発する言葉の一つ一つが弱った魂に触れ
その後を生きる糧になる >>4
茨城でガス屋の仕事してた
対応に追われて当時の記憶があんまり無い 新築して3日くらいで新居を年老いた両親と共に流された夫婦も悲しかったな
家の土台のとこでここが玄関で、ここが台所とか説明しててなんか笑顔なんだけど…それが余計涙を誘うの
まだ現実を飲みこなめてない感じで夢とか思ってそうでな >>26
そういうのってローンどうなったのかな
保険でまかなえる? 3歳の孫とか、それこそ目の中に入れても痛くないほど可愛いだろうに、、、
辛いな。 >>20
三女の登場と現在の話がないのは再婚出産が済んでいるからではないの?
だとしたらそれは良いこと。
亡くした家族をいとおしく思うのは同じだが、現状が目まぐるしく変わる娘と祖母では、 変化は出てくる。
新しい家族を大事にして幸せになっていてほしい。 >>1
そうやって悲しい悲しいで縛り付けるとゆうちゃんが成仏できないだけなんだが
ゆうちゃんの事を思い出す時は、楽しかった可愛い姿で思い出してやって欲しい
ゆうちゃんなら、おばあちゃんが生き残って喜んでいる。おばあちゃんが悲しんでばかりだと反対にゆうちゃんが自分のせいでおばあちゃんを悲しませていると自分を責める事になってしまうからダメ
哀しみに囚われずに自分を許すべき
それがゆうちゃんの為だってのよ >>4
仕事してた。スマホの地震が来ますって通知がうざかった。
まさか津波が来るとはなぁ
てんでんこは幼稚園からしつこく伝えて受け継ぐべきだったな ちょうど数日前におふくろが死んだころでな。
あんな惨事見ないでよかったなと思った。 >>4
前日13時からの宿直を経て13時上がりで翌日の休みのためにちょい残業するために書類納めに事務所行ったら揺れてそのまままた24時間拘束が確定した
さすがに泣きが入った >>4
札幌に居て、東京本社と仕事でテレビ会議していた
東京がデカい地震だ!と言うのでスマホ見たら
札幌も揺れ出して驚いた >>4
昼カラオケで飲んでシャウトしてた
家帰ったら父親がテレビに釘付けだった
父親はその夜入院し、4日後に他界した 上皇さま上皇后さまは
本当に国民に寄り添ってくださった
今上とその嫁の、被災者選抜方式ではな… お前らもやがていつかは死ぬ
子孫を残し育てて伝えて果てて逝く >>1
生きていたら27歳か
誘拐ならその可能性もなくはないよね 震災の本を読んだら、津波が来てもすぐに非難して無事だったけど、
貴重品を取りに戻って亡くなった人がいたそうだ。命より大事な貴重品はない、
って本に書いてあった
70代ぐらいの老人に「津波が来るから非難してください」と説得したが、
別にいつ死んでもいいからと動こうとせず、説得している途中で津波が来て
亡くなった人もいたんだと。70代ぐらいになると、本当にいつ死んでもいい
って思ってる老人が多いので、ある程度言っても動いてくれなかったら、
自分だけでも逃げなさい、って本に書いてあった >>4
大船ルミネ3Fで働いてた。揺れが大きくなって店の横の通路が割れてこれはヤバいと皆駅構内へ避難。
揺れが収まった後更衣室へ行ったらロッカーがいくつか倒れてた。館内放送で今日は閉店するけど明日は通常営業しますって聞いた時はアホかと思った。
停電したトイレを交代でスマホのライト照らして使ったり、帰りのバスの中でお客さん同士で帰宅方法を助け合ったりしてたのが印象的。
3月なのに雪が降ってきたのが地震の後なだけに怖かった。 >>1
>防災対策庁舎
取り壊すような話聞いたけど、遺すんだ >>27
火災保険では無理
ローン名義人が死亡したら団信保険で完済される 当時津波が起きたばっかりのところを取材してた映像で家族みんな流されてしまったと予想される年配の女性がひとりぼっちになっちゃうって泣いてたのが忘れられない 新婚で妻と生まれたばかりの赤子と両親を亡くして一人になった男の人、立ち直ってるかな… >>11
無理でしょ
原発関係で貰えた人はいるだろうが >>4
ラブホでセックスしてました
二回戦しようとしたらニュース見て彼女が泣き出してその後寝ました 俺も遺族だけど早くに遺体が見つかって葬儀ができたから切り替えられたところあるし
遺体すら見つかってないとなると切り替えるタイミング掴めないのかも >>9
みんな前向いてるだろ 記事の書き方 捉え方
見せ方 それが問題なら記事の発信元にもんくいえよ
頭悪い奴本当に嫌いだよ 引きこもりだから説得されても避難しなくて
そのまま津波にのまれて着衣が持ってかれて
素っ裸で避難所にたどり着いた人は今どうしてるかな >>4
歯科医院で働いてた
あまりに揺れが大きいので患者さんたちと待合室で励まし合ってた
尋常ではない揺れに心細くなり、患者さんの手を握ったら物凄く安心したことだけ覚えてる お付きの方:(そろそろ「時間です」というタイミングやな・・・)
お付きの方:「時間です」 >>4
電車に乗務中
客扱い済んで閉扉した時に、列車無線で理由も言わず全車止まれって流れて、直ぐに開扉した。 >>4
家で遅い昼食食べてた。
テレビもつけてなかったし、当時は携帯電話も持ってなかったから警報とか知らなくて、
突然グラッとしたから、あわてて母親と一緒に狭い玄関に逃げて二人で踏ん張ってた。
その後外に出て近所の人たちとしばらくいた。
電気ストーブ消し忘れて、倒れたら消える機能ついてたけど倒れなくて、
ストーブの前に棚の上のぬいぐるみが落ちてきて焦げてた。 >>4
高層階オフィスで執務中だった
ひどい揺れを耐え忍んで、収まったら地下のコンビニまで非常階段で駆け下りて
食料や缶ビールを買い込んだ
職場に戻り支店や取引先とプロジェクト延期を協議しているうちに夜になった
帰宅を諦めた連中といっしょに買い込んだ食料と缶ビールで[最後の晩餐]と称して
強い余震が続く中、寂しく談笑した…あれからもう9年か… >>63
JRは東北の震度計が大きな揺れを感知して、まだ揺れてない場所でも緊急停止した
おかげで無事故、優秀 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています