0001記憶たどり。 ★
2020/04/16(木) 14:08:34.08ID:7Z+Z5Rt59本をめぐる時間旅行にお付き合いください。九州一の繁華街、福岡市・天神では1990年代末に大型書店が林立し「ブック戦争」と呼ばれた。
しかし2000年代に閉店が相次ぎ、再開発の影響もあって来年までに在庫数上位の2店舗が姿を消す。天神の大型書店の「大転換期」を前に、
私たちはどこで本を買い、知的好奇心を満たしてきたのか、人々の記憶や当時の資料を基に振り返ってみる。
1970年代〜80年代
最初に天神に登場した大型書店は1971年に福岡ショッパーズプラザにできた、りーぶる天神だった。
開店当日の新聞広告には「童話から洋書・専門書まで常時25万冊!!」「五階独占!一九〇〇平米」と、福岡市民を驚かせる数字が並んだ。
「写真集や楽譜などが容易に手に入った」。同市東区で学習塾を営む竹林由起夫さんは、当時中学生。
「このころから本を買うため天神に行く習慣ができた」
りーぶるができる前、天神では新天町のしにせ、福岡金文堂と積文館が書店の代表だった。大型店ではないが、
自宅近くの「街の本屋」にはない専門書や参考書はここでそろえた。
76年、天神コアの開業時に紀伊国屋書店福岡店がオープンした。6階のワンフロアを占め40万冊の在庫をうたう巨大店は、
東京資本の有名ブランドゆえ地元関係者に「黒船」と呼ばれた。
しかし市民は歓迎ムードだった。「新しい文化の風が吹いてきたようだった」。当時九州大1年だった医師の田北昌史さん(63)
=同市早良区=が語る。「専門書は大学生協にもあったが、品揃えは圧倒的に紀伊国屋だった」
田北さんより10歳年下の記者は、天神コアのエレベーターが紀伊国屋に行くオジサンたちで満杯だったことを思い出す。
コアはおしゃれなファッションビルではなく知の集積地だった。やがて紀伊国屋が天神の書店の“顔”となっていく。
1990年代
記者は91年、天神の書店を取材し、記事にまとめた。主なものが大小合わせて12店があった。各店とも個性を競っていた。
りーぶるや紀伊国屋は展示スペースのフェアを通して文化情報を発信し、丸善イムズ店は店舗をしゃれたインテリア店のようにした。
90年代後半に大きな波が来た。大型店の開店ラッシュだ。96年=リブロ(岩田屋Zサイド、40万冊)▽97年=紀伊国屋・博多大丸店(8万冊)、
八重洲ブックセンター(福岡三越、30万冊)。97年はイムズなどから福岡ビルに丸善(75万冊)が移転した。
詩人の樋口伸子さん(78)=同市東区=は「喫茶店のある書店もでき、待ち合わせでよく使った。『本を買う』だけじゃない
書店の魅力が伝わった」と振り返る。96年は、全国で出版物(書籍と雑誌の合計)の売り上げが史上最高の約2兆6564億円に達した年。
天神の出店ラッシュはそんな好景気が背景にあるが、「福岡の都市規模と比べ、書店数が多いと感じたが…」と樋口さん。
2000年〜
2000年代は主役交代が起きた。01年に商業施設「メディアモール天神」(MMT)にジュンク堂書店がオープン。
売り場面積5500平方メートル、在庫数150万冊は西日本最大級だった。
「どんな本でもそろう」との看板に偽りなしと記者が感じたのは、古書でも入手困難だった現代教養文庫の異色作家傑作選を
書棚で発見したときだ。書籍情報を示すISBNコードがない本の扱いに、レジの店員が困惑していた。
前後して八重洲ブックセンター(01年)、リブロ(03年)が閉店。天神の“顔”だった紀伊国屋は07年、丸善も10年に撤退した。
大型店ではないが青山ブックセンター(07年)、福家書店(13年)など個性的な店もなくなった。りーぶるも17年に天神を離れた。
リブロが11年、紀伊国屋(天神イムズ店)が17年に“復活”というニュースもあったが、天神はジュンク堂1強の印象が強まった。
そのジュンク堂は入居するビルの再開発で今年6月末、一時閉店する。紀伊国屋が入るイムズも来年8月末で閉館する。
20年代の天神の書店地図は、ブック戦争のころと比べ空白が目立つようになるだろう。
どこで買っても本は、本。紙の本はいらない、と言う人がいる。だけどスマートフォンの電子書籍からは、紙の匂いや手にした重み、
買ったときの喜びは伝わらない。ネットで買えばいい、と言う人がいる。しかし実際に本が並ぶ書店だから新たな出合いが生まれる。
博多駅(同市博多区)周辺の大型書店に行けばいい、と言う人もいる。けれども九州一の商業集積地にこそ、食とファッションだけじゃない、
「文化」を感じる場が必要ではないか。
大規模再開発が行われ、新しい街となる天神。将来も、そこで書店巡りができることを願いたい。