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昭和16年12月8日、ハワイが日本軍の攻撃を受ける。
そのニュースをマニラで耳にしたマッカーサーは
「どうせアメリカの大勝利に決まっている。ジャップはさんざんな目に遭っているはずだ」
といって知らん顔をしていたという。
副官がしきりに、フィリピンからB17の編隊を飛ばして台湾を攻撃するように具申するが、マッカーサーはそうしない。
そのうち、台湾を飛び立った日本軍の大編隊がやってきて
米軍の飛行機はみな叩き潰され、飛行場も使いものにならなくなってしまった。

マッカーサーは「オレンジ計画」通りに行動する、と宣言している。
つまり、主力部隊をバターン半島に撤退させ、難攻不落のコレヒドールに立てこもる。
当然、 【 食糧が大きな問題になるはずだが、どうも米軍にはその用意がなかった 】 ようである。
… 【 「死の行進」の前提になった飢えは、米軍の戦略の間違い 】 にあるのではないのか。

そうした流れの中で、日本軍は4月9日にバターン半島を完全攻略
米極東軍司令官ウェーンライト中将は無条件降伏を申し出てくる。
マッカーサーは戦局不利と見た3月中旬、コレヒドールから魚雷艇を利用してミンダナオ島へ逃げてしまった。
さらにそこから飛行機でオーストラリアへ逃走している。
“I shall return”という有名な言葉を残しているが、ともかくも将軍が真っ先に逃げ出してしまったのである。
フィリピンのケソン大統領も一緒に逃げている。