コロナ禍の日本社会はなぜ、かくも殺伐としてしまうのか。国際政治学者の三浦瑠麗氏に聞いた。

以下、三浦瑠麗氏
今、私たちは非日常を経験している。
メディアでは新型コロナウイルス以外はほとんど話題にならないため、非常に多くの情報に接している。

「どこにウイルスが潜んでいるか分からない」「外国はロックダウンした」という不安は恐怖心に変わる。
その結果、パチンコ店や気に入らない言論人など普段から快く思っていない存在に対して、過剰反応が起きている。

不安を感じている人々は、確たる方向性を示して果断な決断をする政治家を求める。
裏返せば、今、行動制限の解除を口にした政治家は職を失う可能性すらあると感じている。

政治家は民衆に対する人気商売という側面もある。批判や攻撃を恐れて経済再開を表立って言う人はいなくなった。

思い起こせば、「早く緊急事態宣言を」と求めたのは国民の側だった。
太平洋戦争の時と同じ構図。まだ戦争批判が許される段階で権力に果断な決断を求め、気が付けば戦争批判ができなくなった。
今回も、今となっては緊急事態宣言自体の是非を論じる風潮は消えている。

感染症の流行期や戦争時は、誰もが新しい情報を求めて流言飛語に飛び付きやすくなる。
各国政府にとっては、監視や独裁の強化がしやすい局面とも言える。

そんな状況下で国家主義の強化を求める国民。自分たちの手で、権力の暴走に歯止めをかける制限を取り外そうとしているようにも映る。
今まで積み重ねてきた民主主義や自由を捨ててはいけない。

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https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2020050302000060.html

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