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日本人に多いのがD系と殷人系のO系=弥生人
殷は滅びると各地に人が分散した
北では箕子朝鮮という朝鮮始めての国家が生まれた
創始者は殷人=弥生人である箕子だった
彼らは何百年かけて日本に移動した
南に進んだ人も商人と呼ばれて分散していきベトナムまでいった人もいた
当然船を使い日本に来た人も多かった
東南アジア集団=殷人

中国集団(北京、ソウル(韓国)を含む)は殷を滅ぼした周の末裔であり俗に言う漢人

日本に弥生人として入ってくる殷人はO系
殷の崩壊が紀元前1000年
そもそも日本人である縄文人と殷の弥生人は仲が良く共に殷を運営してた
同じ太陽神を信仰し八咫烏を信仰し鳥居もあった

つまり日本に流入してきた弥生人のあとにユダヤ人が来たと思われる
その数はあまり多くない
時期は北イスラエルが崩壊した紀元前700年

むしろそのあとに入ってきた秦氏O系の方が多いだろう
卑弥呼の時代のすぐ後の事である
これを受け入れたのは応神天皇でこれは日本書紀に詳しくかいてある