【旧日本海軍】紫電改エンジン「誉」見つかる 広島・呉の旧日本海軍航空廠跡の地中から [電気うなぎ★]
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200529-00010000-chugoku-soci.view-000
画像[大和ミュージアムに寄贈された戦闘機用エンジン「誉」の主要部]
太平洋戦争中に旧日本海軍の戦闘機「紫電改」などに搭載された高性能の国産エンジン「誉(ほまれ)」の主要部が、広島県呉市広黄幡町の米陸軍広弾薬庫の地中から見つかった。寄贈を受けた大和ミュージアム(呉市)は28日までに洗浄・保存処理を終え、6月3日からの企画展で初公開する。
在日米陸軍基地管理本部(神奈川県座間市)によると、2018年9月11日、広弾薬庫ののり面整備工事中に、地下約1メートルから掘り出された。広弾薬庫は戦争末期に誉の量産を図っていた第11海軍航空廠(しょう)の跡地で、戦後70年余り、地中で眠っていたとみられる。同年12月、同管理本部施設局環境部長代理の名義で寄贈された。
出土品のサイズは、円柱形のクランクケースが直径約50センチ、回転軸のクランクシャフトが長さ約90センチ。エンジンの中心部に当たる。外周に2重星形に計18気筒あったシリンダーのピストンへつながるロッドや、歯車の一部も付随している。
誉は、終戦まで日本を代表する航空機メーカーだった中島飛行機が開発。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)などに搭載された14気筒のエンジン「栄(さかえ)」を18気筒へ強化し、小型ながら出力2千馬力と、世界水準の高性能を誇った。ゼロ戦の次代の主力機「紫電改」をはじめ、「流星」「銀河」などの新鋭機に搭載された。
同ミュージアムは、新型コロナウイルスの影響による臨時休館から3日に再開。同時に始まる企画展「海から空へ 広海軍工廠と航空機」に、出土した誉も出展される。
動画
https://www.chugoku-np.co.jp/animation/article/article.php?comment_id=13131&comment_sub_id=0&category_id=41
ソース
5/29(金) 6:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/72623369bc172811a078d9e6368601b386811dfc >>91
>試作一号機が1945年(昭和20年)4月に完成する数ヶ月前に、金星を生産する三菱の発動機工場がB-29の爆撃によって壊滅、結局試作機2機が完成したに過ぎず、零戦は最後まで栄を搭載せざるを得なかった。
これじゃ載せていたっていえないな。 >小さくて余裕がないから整備性最悪
パルサーGTI-Rスレでも同じことかかれてた ゼロ戦のエンジン2000馬力にしたら速度倍になるんじゃないかと思ってたわ >>73
そんな高回転型の馬力と比べてどうすんよ。
倍回転でパワーは倍だろ。
低速二千馬力に車のエンジンが比較できるはずはない。ランボのエンジンじゃ壊れるだけ。 >>62
横文字の国と戦争してんのに、横文字の名前を付ける訳ないじゃん・・・・・・。 ウチとこも洞穴で組んでたか予定だかだったぽいけど
そこ今深部までは行けない状態
探索すれば何か見つかるかもしれん >>92
零戦の後継機の烈風の開発が遅れに遅れ、紫電を改良した紫電改の性能が予想以上に良かったから、主力機として
増産する計画はあった。
既に本土の制空権もなく焼け野原にされて、どうにもならなかったけど。 >>74
中島製エンジンに他社設計の機体ってのは零戦と同じやな。 光栄誉やったか? で、三菱が木製火星金星みたいな。
ベースはライトとジュピターでしたかな? ちなみに「誉」エンジンのスピリットは日産に受け継がれたので
スバルとは無関係 >>107
駄目も何も、零戦が設計されてた頃は誉なんて影も形も無かったから。 >>107
そりゃ設計時期が違いすぎるし。三式は液冷載せる前提だったからなあ。 >>35
ローフウェイよく行ったよ
あのあたりドライブしても最高 >>120
これよりもっとマシな状態の誉が国内にあるよ >>113
マリアナ沖海戦時点で艦攻や艦爆は新鋭機になってるのに、艦戦だけ零戦のままだからな
あの時にまともな零戦後継機があれば、あんな惨めな負けは無かったんじゃないかと思う >>110
今のエンジンだとディーゼルとの比較になっちゃうかな?
DF200のエンジンが一機あたり排気量46Lで定格1800ps 今、ホンダあたりが航空機エンジン開発したら余裕で勝つる? 誉は夢のエンジンだった
傑作機紫電改もそうだけど、誉を積んだ疾風は「大東亜決戦機」とか呼ばれるくらいカタログスペックは良かったし、零戦の次期艦載機の烈風に最初これ載せようとしたし、誉があれば急降下爆撃も雷撃もできる凄い艦爆が作れる、と流星を開発したし
誉はカタログスペックは最高だった
カタログスペックは
で、みんな夢を見ちゃったんだ
なお、稼働率 >>35
引き上げた瞬間にマスコミの軽飛行機が墜落。
紫電改の後に引き上げられたが、紫電改よりボロボロになってた。 レストアして動くようにして欲しいな
何のためって、エンジン音を聞くんだよ
最高じゃん >>62
自衛隊が悲惨なセンスでそれやったぞ
旭光とか栄光とか 千円高速の時に行ったきりの愛媛
名物のタワーはもう稼働していないのかな? >>74
(´・ω・`)我に追いつくグラマンなし! 日本列島そのものが1941あたりにタイムリープしたら世界征服出来るの? >>10
リヒトホーフェンがシャアだし。
ハヤトも疾風と隼をかけてるんでしょうね 上野に零戦の発動機が展示してあったような
厚木基地には零戦の墓場があるといふ >>107
(´・ω・`)飛燕の機体は、I型鋼を左翼から胴体を横切り、右翼まで一本物のビーム(梁)で設計してた位
設計思想(ゼロは軽量化路線で、飛燕は頑丈路線)が違いすぎる
急降下速度がマッハに達しても耐えきれる位頑丈だから、比較は可哀想だ 日本人らしく無理やり小さな駆体に高馬力を押し込んだ挙句に性能を発揮できなかったって話? >>143
1928年ならまだチャンスはある
1938年でほぼ詰みだからな >>126
内地の部隊は稼働率そんなに悪くない。
最前線だと部品やら消耗品の供給が悪いから、稼働率は下がる。 >>150
航空機エンジンは直径が小さいほど空気抵抗が少ないから性能が上がるからね
日本の工業レベルで性能を追いかけたら小さくせざるをえなかった おお、他界した曽祖父が乗ってたわ
まだ生きてた20年くらい前、俺のスープラに乗せたとき「このクルマ(2JZ-GTE)は280馬力出るんだぜ」と自慢したら
「わしの紫電改は2000馬力よ」と鼻で笑われたっけ 河口湖自動車博物館に木製疾風に載ってた極上の誉が展示してある
こんな小さくて空冷フィンとか繊細な造りで高出力じゃ当時の日本の工業力じゃ持て余すと感じたよ >>143
一年あれば原子爆弾造れるだろうから
イプシロンに乗っけてアメリカ本土に撃ち込めば勝てる 「2000馬力」とか時代にそぐわない略称で呼ぶからおかしなことになる
地上短時間限定の離昇出力じゃなくて2速公称の1600馬力にしとけば海軍も過剰に肩入れすることもなかったろうに >>155
疾風や彩雲の、エンジン直系ギリギリの太さの胴体に美を感じるのだw! 誉でなければ間に合わなかった
紫電改も烈風もハ-43にしてたら戦争は終わってる しかし「出土品」てw
いや確かに出土したんだろうけど 『ミサイルをかかえたぶっさいくなのいるけどあれなんだ」 >>157
あれみてどうやってプラグ交換するのよと思うたよ 終戦直後飛行機はアメリカに渡さないよう穴掘って埋めたからな
静浜基地には彗星の熱田エンジンが転がってるし
ほかの基地も金属探知機で探せば出るだろ 「紫電改のタカ」読んでたな
紫電改はプラモでも作った >>148
お湯が沸騰するのを見てれば、誰でも思いつくと思うがw。 >>155
直径は過剰に切り詰めたけど冷却不足を懸念して長くした結果
あらゆる箇所が剛性不足になって空中で全力運転などしたくてもできない欠陥品になった 正直言って紫電改はカッコ悪い機体だよな
日本機らしい華奢でスマートさのかけらもない
一式戦こそ孤高の存在 >>156
ワシの桜花は9000馬力よ
じゃなくてよかったな そういや日本ってターボプロップは研究開発してたの? >>168
マジレスすると
カツレツとキッコーマンのソースから >>181
過去形って事は今はフッサフサか、羨ましい この世界の片隅にで嫁ぎ先の義父(工廠勤務)が
迎撃する日本軍機に「わしらの二千馬力」って叫ぶシーンがあるけど
これのことか >>73
実際は1300-1500くらいしか出てなかったらしいよ ターボチャージャー・スーパーチャージャーさえあれば・・・・・B29を迎撃できたのに・・・・・。・゚・(ノД`)・゚・。 大戦中の18気筒空冷では世界最小
熟練工がちゃんと作ってメンテナンスさえしっかりやれば稼働率も問題なかった
ただ登場した時期が遅かった
戦後日本のお家芸であるコンパクト設計の先駆け >>92
烈風が使い物にならないので紫電改を艦載機化する計画はあったらしい
が、空母が無くなったので… 誉エンジンどこかの博物館でみたな航空博物館だったかな
すげえよ >>184
してた
てかターボジェットはガスタービンの派生という感じで直系のプロペラ推進が初期から期待されてた >>157
(´・ω・`)当時、誉を設計した技術者のインタビューが載ってた古い専門書を立ち読みしたが
旧エンジン(多分、栄)から比較して、高出力化して目標性能をクリアさせるために
ボアを限界まで拡大し、多気筒化(14気筒を18気筒に)するためフィンピッチも狭める等
いろいろとギリギリに設計しすぎたせいで、繊細なメンテナンスをしないといけなかったらしく
現場整備が大変だったって、語ってたな >>184
ターボプロップの戦闘機は第二次大戦後に出現して、
朝鮮戦争のジェット機登場でアッという間に時代遅れになったw。 >>3
彡 ⌒ ミ 彡 ⌒ ミ
(´・ω・`)人(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています