>>360
日本に関西というのは本来ない。
朝廷が拠点にしてたのは畿内で、畿内と周辺に近国があって
江戸時代、関東・江戸の徳川は畿内・五畿(大和、山城、摂津、河内、和泉)
と東山道の近江、山陰道の丹波、山陽道の播磨を含めて上方筋と言ってた。
明治になって畿内と一部の近国を含めて近畿地方と言うようになって
明治以降に近畿と一部の連中が勝手に言ってた関西という言い方が使われるようになった。
朝廷が拠点にしてた畿内や周辺の近国に住んでた連中は自分が住んでいるところを
関西なんて言ってなかったし、自分のことを関西人なんて言ってなかった。