激しい雨に見舞われた熊本県南部の避難所では着の身着のまま自宅から逃げた人たちが不安を募らせた。「先が見えない」「日々生きるだけで精いっぱい」。不便な生活にも地域の絆を大切にし、避難者たちは身を寄せ合った。

 土砂崩れなどで10人が死亡した芦北町では6日、最大54世帯160人が避難。20世帯50人が集まった福祉施設「きずなの里」では新型コロナウイルス対策のため3部屋に分散し、家族ごとに2メートルの距離を取った。

 多くは高齢者で、障害がある人にも配慮し、間隔を空けベッド6台を並べた部屋も設けた。寝たきりの妻と避難した川畑清司さん(72)は4日午前1時半ごろに自宅が浸水。家電や畳が腰の高さまで浮き上がり、妻が寝るベッドを必死に押さえ朝まで耐えた。「寒くて命の危険がよぎった。妻の体のこともあり、避難が長引くのが心配」と漏らした。

 慣れない避難所暮らしの中、人のぬくもりに救われた人も。江口タミ子さん(79)は近所の人からおにぎりや煮物などの差し入れをもらった。「『手伝えることは手伝えるから』と言ってもらい、うれしかった。雨におびえながら一人で家にいるよりも安心です」


 1人の死亡が確認された津奈木町。平国コミュニティセンターには5日夜から6日朝までに24人が避難した。村上信子さん(78)は4日朝、裏山が崩れ自宅に土砂が流入。「雨音がすごくて眠れなかった。50年以上住んでいるが、こんなにひどい雨は初めて。いつ自宅に戻れるのか、先が見えない」と途方に暮れた。

 甚大な被害が出た球磨村は4日から、運動公園内にある屋根付き広場を避難所にしていた。ただ、雨風にさらされ、密集する恐れもあり、人吉市に受け入れを要請。村民約70人が6日、バスや車で市立第一中の体育館に移動した。

 自宅が浸水した尾崎徹雄さん(72)と妻(67)は4日は高台の隣人宅で過ごし、自衛隊のボートなどで移動し5日朝から運動公園で過ごした。「村の避難所は人との距離が近く、車中泊する人もいた。体育館で少しは安心できるが、暮らしの再建は遠かろう」と疲れた様子で語った。(白波宏野、玉置采也加、村田直隆、郷達也)

西日本新聞  2020/7/7 6:00
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