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まぁとにかく欧米と連携してやるしかない。

「年表で確認する破滅への道のり」

1978年、ケ小平は改革開放政策を実行し、中国は経済成長を始めた。
1989年、天安門事件発生。欧米各国が中国を非難し経済制裁。中国の経済成長がストップする。

しかし日本の経済界と親中派議員による「中国を孤立させるな」という合言葉の元、
経済制裁を解除し関係を緊密にし、 天安門事件から3年後の1992年に天皇訪中を実現させる。
こうして中国は日本の協力の元、再び経済成長を始める。

欧米各国は日本のこの動きに「日本は中国での利益を独占しようとしている」とし
中国に対する経済制裁を解除。以後、欧米も競って中国に経済進出。
これにより中国は爆発的な高度経済成長を迎える。 そして天皇訪中2年後
1994年 江沢民が愛国主義教育実施要綱を定め、日本を標的にした反日教育が始まる。
これが後の「愛国無罪」の反日暴動に繋がっていく。

こうして中国はその経済発展で得たお金で軍備を増強し、周辺諸国への脅威となり、尖閣諸島侵略への軍事力も整えた。