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京都の伝統行事は,多くの町衆によって守られ続いている。古い歴史を重ねながら間違いなく引き継がれているのである。
しかし,今回のように「12月31日になんでや?」となるとこのことが会員の全部に一定の理解が得られないと,送り火自体がやりにくくなる。一軒でも不参加が出ると今後に大きいしこりを残し,伝統が守れなくなるからである。
今回の12月31日の送り火は,五山の村人達に「なんでや」を問いかけ,これを克服する為に苦しんだのである。

五山の送り火の担い手即ち会員は,一種の世襲制である(例外もあるが)。それぞれの山の麓に住み,農業や林業に従事し,地元のお寺を大切に守ってきた人々である。
したがって,すべての家では,お盆になると先祖の霊を迎え,手厚くもてなし子孫と共に祈る。
次には,8月16日の夜迷いなく,先祖にあの世へ帰って頂くために,子孫が揃って賑やかに足元を明るく照らして送るのである。

したがって,今回の提起の二十世紀と二十一世紀を結ぶ送り火が,自分の先祖とどんな関係があるのか。みだりに点火する事は先祖に対する冒涜でないのか?というような難問もあり極めて多難であったが,戦争と環境破壊の二十世紀を送り,平和と人権,明るい二十一世紀を迎えるこの節目に五山の送り火を京都から世界に発信する主人公である事を私達は確認したのである。