0049不要不急の名無しさん
2020/08/12(水) 17:53:10.17ID:UoukTQuH0昭和20(1945)年の出来事です。
事件が起きた真岡町は、かつて樺太にあった町です。樺太の南半分は日本の領土です。
「いまなお日本の領土」であって、「ロシアの不法占領」が続いているところです。
北方領土を、国境の外側にある「外国」と思っていると、歴史を読み間違えます。
そこはいまも昔も日本だからです。
8月9日、いまはもう無くなった国であるソ連は、いきなり日ソ中立条約を破って満州、樺太、千島列島に攻め込みました。
ソ連が動員した兵力は、戦車5千輌、兵力157万人という、気の遠くなるような戦力です。
戦争は、宣戦布告などまったくなしに、突然開始されるものの方が、はるかに多いのです。
アメリカにしても、建国以来200回にのぼる戦争を行っていますが、
そのなかできちんと宣戦布告をして開戦したのは、たったの4回しかありません。
むしろ世界では、宣戦布告がある方が、異例です。
毎回キチンと宣戦布告をしながら戦いを行ってきたのは、近現代史の中では日本くらいなものです。
ですからソ連が攻めてきたとき、はじめのうちは日本側は、攻めてきた相手が、どこの国かさえわかりませんでした。
このため避難勧告も遅れ、樺太に「緊急疎開」の指示が出されたのは、ソ連侵攻から4日目、8月13日になってからです。