のちに映画監督になった黒沢明は当時13歳。
近所では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という風評が広がっていた。
白墨のしるしがある井戸が目印だという。
ところがその印は以前、黒沢少年が落書きした名残だった。


 300人の朝鮮人や中国人が襲ってくるという話を、倉田百三は「嘘とは思えなかった」と正直だ。

のちに読売新聞の外報部長や釜石市長を務めた鈴木東民は、朝鮮人の反乱を「東京市民の99%が信じた」と書いている。