>>278
時に偶パ軍の方から我に妥協を申込み掠奪暴行等はしないから尼港に入れよと言って来た
・・・味方の極めて手薄なるに反し敵の頗る優勢なりし等の事情の為めに、
終に我が軍にては敵の妥協の申込に応じて尼港に入ることを許容した、
然るに彼等の尼港に入るや忽ち其の仮面を脱し休戦に関する約束の如きは之を無視して掠奪殺戮を恣にし、
進んで白衛軍に代って尼港の行政を其手中に収むるに至った、

彼等が資産家階級を襲うて其貨財を掠奪し家族は悉く屋内に幽閉して外部より火を放って焚殺したるが如き、
或は黒竜江の結氷に穴を鑿ち此処に投じて溺死せしめたるが如き、
或は練兵場に整列せしめて射的練習の目標となしたるが如き残虐暴行を敢てしたのは此の時である、
此の如き暴状を黙視するには余りに我が守備隊員の人道的観念が強過ぎた、
彼等は斯かる残虐なる行為を到底坐視するに忍びずして終にパ軍に対して抗議を申込んだ、
所が反対に彼は我に対して期日を定めて武装の解除を要求し来ったのである。

・・・妊婦は腹を裂かれ、幼児は石壁に投殺せられ女子は老若の別なく悉く凌辱せられ
身に鉄を帯びざるものは衆人環視の間に於て弄殺せらるる等の兇行は此の時に行われたと云うことである、
軍人は固より非戦闘員に至る迄多数の戦死者を出し、
領事館は焼かれ館員等の悲愴なる最期を遂ぐるに至ったのも亦此の間の出来事である、