>>536 つづき
その後、須佐之男命の娘と大国主が結婚して新羅の渡来人スクナビコナと共に、出雲を中心とした葦原中国を創る

奈良の高天原から須佐之男命を追い出したは良いけれど、出ていったのは須佐之男命のみで、
奈良で産まれた須佐之男命の三人の息子は奈良に残されたため
天照大御神は、その子をどうするか処遇に困っていた

そこに、須佐之男命の一族が出雲に葦原中国を建国したことが耳に入り
「なら出雲に追い出しちゃえばいいんじゃね?」ということで、

奈良の高天原の天照大御神は出雲に国譲りを迫り、
奈良で産まれた須佐之男命の三人の息子を出雲に大卒として追っ払う