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『敦化事件』wiki

1945年8月27日に満洲国でソ連軍によって連日に渡り
集団強姦され続けていた日満パルプ製造敦化工場の女性社員や家族が集団自殺

日本人職員とその家族260人が暮らしていた
また2,000人の関東軍守備隊の駐屯地があり、終戦当時には敦化北部の山地に築城しソ連軍の侵攻を食い止めようと備えていた
【1945年8月9日未明に突如として】ソビエト連邦が満洲国に侵攻し
敦化に近い東部国境付近では関東軍・満洲国軍がソ連軍と交戦していたが
8月15日終戦後、市内では【満人や朝鮮人の一部による略奪・放火・日本人女性への暴行】が行われるようになった

ソ連軍進駐
8月22日、ソ連軍は日満パルプ製造敦化工場に進駐した
ソ連兵はすぐにホテル・レストランを兼ねた壮麗な造りのクラブに惹きつけられていった
ソ連兵は、クラブ従業員の【女性2人を引きずり出すとジープで社宅から連れ去った】
数時間後に【拉致された女性がぼろぼろになって社宅に帰ってきた】が
もう一人の【若い娘は強姦された後に牡丹江に流され行方不明】となった

8月25日、ソビエト軍は男性全員を集合させると
10キロほど離れたところにある飛行場の近くの湿地に連行し、婦女子は独身寮に集められた
【170人ほどの婦女子は15,6人ずつに分けられ監禁】されることとなった