取材を始めた2015年、菅義偉はすでに官房長官として安倍晋三内閣に欠かせない存在だった。本人の素顔を知るため、生まれ故郷の秋田県や選挙地盤の横浜市を歩いたことを思い出す。気の早い地元の湯沢市民たちは、「秋田県初の内閣総理大臣誕生だ」と期待を込めてそう語った。

 もっとも母や姉をはじめ、近親者であればあるほど、政権ナンバー2の地位に上り詰めた実感すらない。まさか首相になるとは想像できなかったに違いない。改めて過去の取材記録をめくり直してみるとそう感じる。

「雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地元で高校まで卒業いたしました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てきました。町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面し、紆余曲折を経て2年遅れで法政大学に進みました」

 菅は今月8日、自民党総裁選候補者の所見発表演説会でそう切り出し、「東北の苦労人」をアピールした。ただし、さすがに気が引けたのか、そこには「集団就職」というフレーズはなかった。集団就職という菅のキャッチフレーズは、今も菅の紹介カットで使われている。たとえば同6日のTBS系「サンデーモーニング」の自民党総裁選コーナーのナレーションはこうだ。

「今週水曜日、菅官房長官が自民党総裁選出馬を正式に表明。菅氏は秋田の農家の長男として生まれ、集団就職で上京……」

 番組を見ていて、本人に会ったときの次の言葉が蘇った。

「だって、私はやっぱり、農家を継がなきゃまずいのかなと思って、だから、ある意味、逃げるように出てきたの。で、東京に行けば、何かいいことがあるって……」

 菅はそう言っていた。

「私の友達120人のうち、60人が中学校を卒業して東京に出てきてましたから。で、60人のうち、残った30人は自分の農家を継いじゃってます。高校に行ったのは30人しかいない、そんな田舎ですからね」

 たしかに地元の高校進学率は低かった。しかし、菅は高校まで行き、集団就職したわけではない。それをもって集団就職と言ってきたのですか、と問いただしたところ菅はそれまでのゆっくりした口調からやや興奮気味に早口になった。

「当時、(中学と高校の集団就職の)垣根もなかったでしょう。高校を出て一緒に出てきましたよね。高校を出ても、そういう言い方をしてましたし。学校で就職を紹介してもらっていましたから」

 高校を卒業するとき、東京の段ボール工場の働き口を斡旋されたから「集団就職」などというのである。

 菅は偉大な父親に反発して家を出た。世間が菅に抱く「たたき上げの苦労人政治家」というイメージは私にはない。

 =敬称略

公開:20/09/19 06:00
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