【歴史】織田信長の快進撃…実力主義の戦国時代をいかにのし上がったか (幻冬舎) ★4 [首都圏の虎★]
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織田信長と豊臣秀吉が活躍…「安土・桃山時代」とは?
安土・桃山(あづち・ももやま)時代は織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)が活躍した時代です。仏教勢力と戦った信長は、キリスト教を保護し、外国風の雄大な文化が栄えました。タバコやカステラが日本に伝わったのもこの頃だと考えられています。
本連載で解説するのは安土・桃山時代ですが、最初は室町(むろまち)時代の出来事から紹介します。
尾張(おわり)の大名(だいみょう)、織田信長が有名になったのは、1560年の桶狭間(おけはざま)の戦いです。天下統一に近いと言われていた今川義元(いまがわよしもと)が攻めてきます。
駿河(するが〔=静岡県〕)を支配していた今川氏の軍、その数2万人以上。数千人しかいない信長の軍は、今川軍が休んでいるすきに一気に攻め、今川義元を倒します。この戦いを聞いた人たちが、信長のもとに集まります。桶狭間の戦いが信長を有名にしたのです。
一代でのし上がったつわものたち、戦国大名
では、この頃に活躍した戦国大名(せんごくだいみょう)をささっと紹介していきましょう。
まず、「下克上(げこくじょう)」と言えば、戦国大名の北条早雲(ほうじょうそううん)や斎藤道三(さいとうどうさん)が有名です。守護大名(しゅごだいみょう)は、もともと守護として任命されていた中で力をつけて守護大名になっていきましたが、戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。パワフルですね。
たとえるなら、守護大名が、大企業の子会社の社長から力をつけて独立して自分の会社にしたのに対して、戦国大名はベンチャー企業をつくって一代で成り上がったという感じです。
次に、中国地方を治めた毛利元就(もうりもとなり)を紹介しましょう。彼は石見銀山(いわみぎんざん)を支配下に持ち、活躍しました。
現在の大分県のあたりを治めていた大友宗麟(おおともそうりん/大友義鎮〔おおともよししげ〕)は、キリシタン大名として有名になります。キリシタン大名とは、キリスト教の信者である大名のこと。ザビエルが鹿児島に上陸したこともあり、九州地方に多くいました。
ライバル同士だったのが、甲斐(かい)の武田信玄(たけだしんげん)と越後(えちご)の上杉謙信(うえすぎけんしん)。武田信玄は「信玄家法(しんげんかほう)」とも呼ばれる分国法(ぶんこくほう)をつくり、騎馬隊(きばたい)を組織しました。領内に金山があって、騎馬隊を組織する経済力があったのでしょう。ライバルであった越後の上杉謙信と激しく争った「川中島(かわなかじま)の戦い」は有名です。結局は決着がつきませんでした。
戦いは主に春から秋にかけて行われました。冬は雪が降るから戦えません。なかなか進めないし、凍え死んでしまう可能性もあるからです。でも、春から秋に毎年戦うわけにはいきません。
なぜなら、農業をしなければならないから。戦いだけしていたら田畑は荒れ果て、生活できなくなってしまいます。当時は「半農半士(はんのうはんし)」と言って農業をしながら、戦いになれば兵隊になるという人たちが多くいたんですね。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6b3934f40d9f91a485ebd74bbf753ca5970b94f
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201009-00029269-gonline-000-1-view.jpg
★1 2020/10/09(金) 15:35:37.84
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602344512/ 滋賀すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. 戦国時代のことはずいぶんゆがめられて伝わっているからな
おれらが従来理解していた戦国時代像は相当あらためられなければならないのでは? 快進撃?
基地外レベルで戦いばっかしてたぞ。
常に薄氷の上を歩いていた状態だったんじゃねえの? 天下一統を目指した大名自体が他にいないよなぁ
ほかは多少領地広げるくらい 戦ってばかりの結果、鉄砲の数質とも世界一になってヨーロッパが手を出せなかった
弱けりゃ南米みたいに植民地
こう考えれば軍事はいるよな学術会議の先生方 いち早く上洛し、堺を直轄地にして南蛮貿易をした信長の先見の明。 キリスト教に取り込まれた信長はやられて当然。明智がやらなくても秀吉、家康がやっただろう。
信長の後、秀吉、家康とキリスト教を禁教にしたのは正しい判断。 秀吉の墨俣一夜城もあらかじめ上流で寸法をカットし、イカダで流し組み立てるだけというプレカット工法の原点。
アイデアが凄い。 今からでも遅くない警察廃止して
戦乱の世から始めよう >>11
可児才蔵「俺の家は戦争「しか」やらん」
殿様「ええよそれで」
おかげで子孫は御仕事無く俸禄だけ貰えて羽振りが凄く良かったとかw クラスに1人はいる三国志or戦国時代or幕末に詳しいやつ やっぱり大河で好きな信長は、緒方直人のやつやな
助けてキリンが来る
明日仕事や、キリン鬱 ■利権集団、日本学術会議
織田信長なら
間違いなく焼き討ちだろな
比叡山みたいに 信長はデビュー戦は華々しい物だったけど後は普通に戦ってる。 言うほど勝ってないやろ
寧ろ、結構負けてる
退却、立て直し、和睦とか上手いわ 家康(徳川)は何故中国に進出しなかったのだろうか?
早い者勝ちなのにな 信長は明智が本能寺の変起こさなくても、天下統一は無理だったでしょ
あっちこっちで造反が起きてる >>22
秀吉でも兵站が大変だった
大量の黄金持ってけば現地で食糧買えると思ったけど
「買い占めても少なかった」程貧しかった
貧しい上に現地人に言葉が通じない土地なんて欲しくなかったんじゃね? >>21
信長はむしろ戦は下手だし、負けまくってるよね
裏工作と交渉が上手く、運が良かっただけ 毛利元就については、歴史群像に”大内氏の滅亡”の中に
厳島の戦いで一発逆転したんじゃなくて、
こつこつと点数稼いで支配地を広げていった様が詳しい、
狡猾というか家康的だと思った。
岡田准一ザ・プロファイラー ?夢と野望の人生?
でもやってたけど
”三子教訓状”とか読むと実に慎重で不倒翁ぶりが如実に出てる。 織田信長公ねえ。
まあ変人だよねえw うつけとはよく言ったもんさwww
ところでさ、信長脳っていうんですか?
自称愛国者ネトウヨどもも自称国家の軍師ネトウヨ軍オタどもも
イシキタカイ系どもも皆勘違いしてんだけど
戦国大名ってさあ、みんながみんな天下統一を志向しているように
思われているけどw そんなことないよねwww
例えばさ、今のジャップ国の中小企業の経営者、御覧よ。
や、経営者と言わずに番頭クラスの役員でも上司さまの部長課長でもいいさ。
シェアトップになるとか誰も考えてないでしょ?w 都道府県レベルでもさwww
我が身一身にせがれの世代が豊かに自分同様に暮らしていければいいって感じでしょ?
当時の戦国大名もそうさw 誰も考えてないんだよ。天下布武とか誇大妄想めいたことwww
それをさあ、尾張美濃とった時点でハンコにしちゃうっていうんだから
やっぱりアレな人なんだよw 茶筅髷の先生はwww
そういう変人だから大望あって天の利、地の利、人の利あって
天下に手をかけたがやっぱり信長公では天下統一はできなかったろうね。
だってさw 人望なさすぎwww ブラック企業の親分じゃ天下は取れないさ。
だから本能寺はさ、これ必然なんだよw 仮に明智が裏切らなくてもね。
その証拠に信長公の人生、部下(や弟)に裏切られてばっかじゃんかwww 中国遠征に信長きたら毛利、島津降伏、長宗我部も織田信考にやられて終わり。徳川、北条は同盟国。統一はあっという間。 >>27
むしろ無駄に寛大だから裏切られるんじゃないかw?
武田信玄「息子の謀反?1アウトチェンジ!同調しようとした部下もアウト!」
織田信長「弟の謀反?三回まではセーフ 同調しようとした部下もセーフ」
伊達政宗「一回目で弟ぶっ殺したw」 本能寺は信長の油断というより
信忠の慢心だろ、家督譲ってたんだから >>22
これは家康公より後代の話だけど(とはいえ17世紀の話だが)、
明の遺臣の和藤内こと日中ハーフの鄭成功の一派が
異民族たる清朝をつぶして漢民族の王朝立てるから援軍くんろと
江戸幕府に日本乞師とかいって使者をよこしているから
そりゃまあ徳川幕府にその気があればこれを大義名分に反清復明とばかりに
大陸に攻め込むIFがあったんだろうけど、これはまあやらなかったろうねwww
何故って徳川幕府は鎖国体制下においても偉大なる大韓を兄の国と定め、
大韓王からの日本領土の支配権の冊封を受けたことを
日本支配の根拠にしていたし(朝鮮通信使)、
偉大なる大韓が清朝進撃の許可はまあ出さないだろうからねえwww
ちなみに上記の文は前段がガチであり、後段は親韓左派のウリの私説であるw
一応注記しておこうwww 野戦が得意な家康。
城攻めが得意な秀吉。
信長はイメージがわかない。 <<本能寺は信長の油断というより
同席した京の公家衆が 光秀に協力して会合を引き延ばして
本能寺に泊まるよう工作した
さらに諸国の仕置きは信長に一切任せるとサービスして油断させた
光秀が京都に突入しても信長は
近くの二条城に入ってるのが当然 >>8
なんでチミがネトウヨくんやらネトウヨ軍オタくんみたいなことを
いうのか、これはわからないけどw
あのその鉄砲の数でホルホルってダサくないっすか?www
自称国家の軍師くんはドヤ顔でブヒブヒいうとるけどさあ。
だいたいね、ジャップ国の城、と
三国志以来の中原の城壁都市って全然違うじゃないですか。
あれ、落とせるんですかね? 戦国武将は。
長梯子とか大砲とか衝車でもいいけど攻城兵器、そもそもあるの?
火縄銃なんてどれだけあってもつかえないっすよ。城壁都市相手の攻め手にはw
まあね戦国武士団といっても偉大なる大韓でさえ
よくよく落とせなかったんだからね。
まあこれは地上最強の戦闘民族たる大韓が
あまりにも強すぎるせいもあったんだけどさwww
>>31
そういやこのコロナ禍においても会長様と子弟の社長様が
同居して、同じ会長/社長室で執務している会社あるけど
ああいうのって何を考えているんだろうねwww 結局信長は天下獲れてないからねぇ
光秀でなくても寝首をかかれた可能性はあったと思う 信長が上手いのはできるだけアウェイで戦ってることじゃないかな。
当然勝率は低いけど、田畑や家屋へのダメージが無い。兵士は金で雇ってるので死んでも惜しくない。 >>36
日本の歴史はヒストリー
韓国の歴史はファンタジー
日本の科学はサイエンス
韓国の科学はイリュージョン
先人は上手いこと言うよな >>1の地図のガバガバっぷりなんだよ、毛利は安芸の国人だし浅井は南近江にほとんど影響力持ってないしでこんなんで金取るの? >>37
光秀がもしやり損じてたら、たぶん秀吉が寝首かいてたよw 「やせ城どもの事は風に木の葉の散るごとくなすべく候」 信長が居なかったら、
秀吉も家康も歴史に埋もれてたかもな
そういう意味でも、信長があって今の日本がある >>19
アホか
信長なら官僚のアホ共をなで斬りだわ
あのクズ共が蔓延ってるせいで日本はスローデスの道から逃れられないでこのまま没落 >>46
信長、猿吉こそ、日本の歴史から省いても問題無いんだが
三河の王しか、日本のトップに相応しくない
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>11
戦争は人間の能力を最大限に引き延ばす力があるな
第二次大戦の時も日本は世界一の戦艦や潜水艦、戦闘機を独自に開発できた
戦後高度経済成長で発展したのも、基本戦時経済体制が活かされただろうしな >>42
幻冬舎の読者はそんな事気にしないから大丈夫w 第六天の魔王だしね
そりゃあパンピーじゃあ勝てないよ
明智光秀は異次元から召還された勇者だったから勝てた 必ず現れる三河帝国w
名主の方が金持ちなのに。🇨🇳中国共産党のやり方で考えてるだろw >>1
信長以外でまともに天下を狙った奴がいなかった
毛利元就が可能性があったが結局中国地方で止まってる
他の武将はもっとちんたらしすぎてなにしたいんだってレベル 仏教勢力と言っても敵対した一向宗や比叡山くらいしか戦ってない。
中立的な宗派は庇護され、寺領の安堵や戦災で焼けた寺社の再建などをしている。
仏教を弾圧するためにキリスト教の布教を許可したわけでもない。
南蛮交易のための配慮に過ぎない。 奇跡だよねw
みんなうまいこと勘違いしてくれたからね。
足利義満が天皇だと勘違いしてなかったら
滅んでたかもよ。 >>56
信長が天下を取れたのは京都を抑えて
朝廷幕府を保護していた三好三人衆が
無能だったからだろう。 信長がいなかったらあと100年は戦国時代が続いていた
場合によってはスペイン辺りに対立を利用されて侵略されていた >>56
中国地方って国数多いけど、石高低いんだよ ストーカー事件では不正と捏造が横行している
・警察幹部が、子や親戚の言い分を真に受け、並びに、何者かからの依頼によって
警察が相手にしなかった被害届を、地位を利用して不正に受理させている
・冤罪の場合、警察幹部は不正に被害届を受理させている為
表面化すれば幹部は懲戒免職となり、警察の信用も大きく毀損される
その為、冤罪被害者をストーカーにでっち上げる行為が行われている
(それが原因で執行猶予付きの有罪判決を受けたと被害を訴える被害者もいる)
・警察が被害届を受理すると、何故か、創価学会が現れて
ストーカー認定者に関し、「この人物はストーカーなので監視して下さい」等と触れ回り
尾行や監視、その他、嫌がらせ行為の実行を要請して回る
・のみならず、創価学会はストーカー認定者に関するデマを拡散させ
事件に関しても話に尾鰭をつけたり、捏造した事実関係を真実として拡散させ
その地域から追い出そうとするような行為が行われている
・創価学会がそのような行為を行う場合は、被害届を出したのが、学会員か、学会員の親戚等で
酷いケースになると、特定個人を地域社会から【創価学会にとっての邪魔者】との理由で
排除する目的で、警察に働きかけて、ストーカーの被害届を不正に受理させた冤罪も含まれ
警察側も被害届受理の不正の事実がある為、デマ拡散や嫌がらせを、黙認している
=つまり創価学会は、仏敵や敵対者に対する嫌がらせに、ストーカー規制法と警察を悪用している
・このような行為が横行するのは、警察と創価学会が癒着している為である
警察上層部は学会系企業に天下り、幹部以外の警察官も学会系企業に再就職して恩恵を受け
多くの都道府県議会の警察委員会では公明党が委員や委員長、副委員長を務め
学会員警察官も全警察官の10%〜20%もいる為、警察は学会の間接支配下にいる
その為、警察内部では、学会と警察との関係の口外はタブー視されており
中でもストーカー問題を担当する生活安全警察は、学会員警察官の多い部門と言われる
→生活安全警察は、俗にいう【創価警察】である、という事だ
・ストーカー規制法は、ストーカー認定者の共犯を逮捕出来る法律となっている為
マスコミがストーカー冤罪事件について報道すると、記者らが共犯者として逮捕されるリスクがあり
その為、マスコミは、ストーカー冤罪や不正に関して調査報道ができない状況となっている
→これが、上述のような異常な現象が横行しているにもかかわらず、一切報道がない原因である
.
この話をお読みになられて驚かれた方も多いと思いますが、現実に行われている事です
創価学会が特定個人を名指しして、ストーカーだから監視して欲しいといった依頼をしているのを
見聞きして不審に思っていた方もいらっしゃると思いますが、その全容がこれなんです
.
このような不正や捏造、そして人権侵害は、断じて許されてはなりません
きちんと表面化させて、事実を白日の元に晒し、関与した者達を、刑事処分に付す必要があります
.
生活安全警察、創価学会、そして防犯協会を、一体、信用しないでください
.
※当レスは他スレからの転載物です。この内容がより多くの人に広まる事を希望しますbq >>11
領地経営がピンハネされる事もなくそのまま富になるからな。
>>57
武装解除させたけど宗教弾圧はやらずむしろ保護してる。
オレが守ってやるから武装解除して念仏唱える事に専念しろ!みたいな 斎藤高政に苦戦してたけど、桶狭間で有名になって人が集まったから勝てた??
濃尾以外から集まったのは将軍のおかげでしょ 尾張が豊かな地域だったからだろ。
子どもの頃読んだ漫画には尾張の弱小大名だった織田信長が〜とあってそれでもそうなったと納得してたが、
尾張は当時から山梨やら新潟なんかと比べ物にならない程恵まれていた。 >>52
だから第六天魔王は単なるギャグだったと
何度言えば。 >>68
秀吉も下級武士の出だと横山光輝の漫画の後ろの方で見た気がする >>70
なんで桶狭間で3,000人しか集められなかった
のかと。
信長は当初は尾張すら統一していなかったんだよ。
尾張の弱小大名じゃなくて尾張の中の弱小大名の
一人だったんだよ。 >>9
港改修工事して熱田や津島に南蛮人の船直接入れさせれば良かったのに。 >>11
小早川隆景「ですよねー。なのにうちの甥ときたら、、、」 そりゃ教養が必要だからな
脳筋武将ならいいけど天下人や大名になるレベルになると
武将の手紙とか見ても達筆だし、経済発展もさせないといけないし土木工事もしないとけいない
外交のために和歌や短歌、踊りや茶道もできないといけないし、地図も覚えないといけない
どんだけ勉強してんだってレベル >>19
信長が焼き討ちにするのは政治に口を出す宗教団体だろう
それと利権に胡坐をかいている寄生虫のような政治家
日本学術会議は存続させるがメンバーを信長が決めるだけ >>77
そこそこ理解できればいい
あとはブレーンがやってくれて決断するだけ 三好長慶、武田信玄公、上杉謙信が死んでくれたことが大きいよね。あと斎藤父さんも >>38
>兵士は金で雇ってるので死んでも惜しくない。
実はここが上手いんだよな
他の領主は半農半兵で、農閑期に足軽として呼び出されてたが
信長は足軽を雇っていたから農繁期に攻め込むことが出来た
防衛側は農繁期に呼び出される事になり、当然足軽側も早く帰りたいから
士気が上がらなく、そこに付け込んで勝ってた >>80
武田信玄の場合、北信濃を攻めたのは完全な戦略ミスだね
東美濃を攻めた時、すぐに信長は和平を持ち掛けて
妹を人質に差し出して同盟を結んだ
同盟の誘いなんか無視して美濃を攻め落としていれば全く違った展開になっただろう >>43
秀吉はやらんだろ
朝鮮人じゃあるまいし(笑) >>70
一番のラッキーは、日本の支配者、三河の隣だった事だろ
三河の日本の支配者が、尾張の支配した事で、おこぼれを貰えた
それは、現代社会も変わらんわな
何故、名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」
尾張の歴史
◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。
◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国碧海郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。
◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。
◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。 慎重後期に書かれてたことなのか
キリスト教布教日誌に書かれていたことなのかは
この際捨て置く
予期に計らえ >>3
だいたい江戸時代の軍記物のせいだね
信長の三段撃ちとか桶狭間の奇襲もそう小瀬甫庵の創作 歴史にifはないが、明智光秀ほどの人物が何で秀吉なんかに負けたのか。
織田の主力はあっちこっちに散らばってて秀吉だって別に大軍でもないのに。 信長は自分に逆らわない民に手を挙げたことがないから >>88
野望の有無だろうね
それと純粋に運。
明智光秀の使者が清水宗治のところへ到着出来てたなら
もうちょっとは違ってたはず >>85
信長は才能と運がよかったからな
周りに列強の大名もいないし
美濃手に入れた時点で100万石になった >>88
戦上手って実際いたんじゃないか?
毛利相手に連戦連勝だったんだろ >>1
【合戦解説】桶狭間の戦い 織田軍vs今川軍 信長の一か八かの奇襲戦が成功!天下に信長の名を知らしめた戦い Battle of Okehazama
https://www.youtube.com/watch?v=vpDG82kc30k
【合戦解説】美濃平定戦 織田軍vs斎藤軍 織田家悲願となる美濃平定戦 信長の奇抜な登用と戦略が斎藤家を翻弄させた戦い Battle of Mino
https://www.youtube.com/watch?v=b5SsQzkUgR8 >>1
【合戦解説】川中島の戦い(三次・四次) 武田軍vs上杉軍 北信濃の勢力争いで最大の激戦となった武田信玄と上杉謙信の因縁の決戦! Battle of Kawanakajima
https://www.youtube.com/watch?v=RJg2wfgH5Tc
今までと違う【新・川中島の戦い】戦国大死闘をアニメ解説【世界史の戦術戦略】
https://www.youtube.com/watch?v=WnMmYekB_fw >>63
西国の石高って低いの?
よく知らないんだけどさあ。
まあでも中国山地なんかあって平地が割合少ないから
そういう意味では新田開発は厳しいか知らない。
よく言われるのは江戸のはじめと幕末を比較して
西国はあんまり石高増えていないけど東北、関東、北陸、
これが石高増えているとは聞いたことがあるね。
つまりは開発のフロンティアであり
寒中の水稲耕作技術の進化だったという意味だけど。
(稲はもともとインド熱帯の穀物だからノウ) 結局、戦国時代を充分に楽しんだのは足利義昭なんだよなぁ〜
生まれが良かったせいで織豊政権誕生のキーマンになっちゃったしなw
足利義昭ってどんな人?織田信長が殺せなかった室町幕府のラスボスって本当?
https://intojapanwaraku.com/culture/90307/ >>83
wwwww
おおい、おいおい、なんでそんなこといえるのさwww
秀吉に信長公…はともかくとして織田家にそんな忠義、あるわけねえだろwww
あの信長没後の清須会議で信長嫡孫の三法師をたてて、
秀吉が諸重臣をリードしたって話は有名だが
その三法師、のちの織田秀信をなんと家臣にしてるじゃねーか。
織田家を立てる気があれば、んなことするかいな。
そういう不義不忠をする秀吉が、兄の国である偉大なる大韓をせめた挙句
最期は家康公に「秀頼を頼む」とはようもいえたよなあ、とは思ったねwww
ちなみに家康はこれでなかなか旧恩忘れず、織田家をね
もちろん信忠直系は絶えているんだけど傍系を大名(天童藩とか)や
高家旗本として遇してはおるわね。
これはまあ家康公も信長公の臣下ではないからセフセフ、かなwww 個人的には
信長は運70、実力30
秀吉は運30、実力70
家康は運50、実力50
ぐらいとは思っている。
本能寺の変は、実は偶々あそこで信長が
討ち取られただけで、実は信長軍は結構
反乱や謀反は多かったらしい
秀吉はその本能寺の変を除けば、少なく
とも天下人に成るまでは、実力どうり
計算どうり勝ち進んだ
家康は若い頃は無茶したが、経験から
知略も出来る狸親父に脱皮して、天運を
待つことが出来たと言う感じ
もう秀吉が逝った後は、自分に対峙出来る
武将は前田利家しか居ない状況まで耐えた 関ヶ原では毛利家がクソすぎ。
輝元は大坂城で秀頼の子守り。
吉川は家康に内通。
秀元は南宮山から一歩も動かない。
挙げ句の果てには小早川の裏切り。
毛利家こそ戦国1のクソ。 >>19
で、信長のように死んで皆から喜ばれる、と
秀吉も家康も坊主も伊勢長島衆も伊賀衆も天皇も大喜びだったろう なんだこのスレは過疎スレかあ
つまんねーな、自称愛国者ネトウヨどもはどこ行ったんだwww
>>102
関ヶ原の毛利家といえばですねw
あの、案外忘れられてるんだけど西軍総大将なんだよねwww
西軍の総大将なのに関ヶ原の戦場に参陣していないとは
これはどういうことかwww
家康公同様、豊臣レジームの五大老、毛利さん(120万石)は
徳川相手に参陣せず格下の五奉行の石田三成(20万石)に
振り回されて大減封なんだから何をかいわんや。
これはねえ、そこに至るドラマがあったか知らないが
なんていうか、カッコ悪いよなあ。
同じ西国雄藩の薩摩がアクロバットな敵前大回頭を
堂々家康公の前でやっていることを思えば、さwww >>53
じゃあ家康は三河弁なのか
〜じゃんとか言ってたのか >>20
吉良を攻撃したときか
二倍以上の敵に圧勝したからな >>78
日本学術会議は税金10億円をお仲間で推薦しあって集って4500万円貰う既得権益団体だが
信長は自分の子供以外の働かない奴には厳しいからこんなもん廃止してるよ >>103
死んで皆が喜んだのは足利義教だろw
信長は案外天皇家や朝廷といった旧勢力は尊重してるよ
比叡山は明らかに敵対的だったからな >>13
でも墨俣用意しただけで戦闘には参加してないんだよね これと岐阜城のロウソク節約したぐらいしか秀吉の三十代の手柄はない 遅咲きなんよね意外と >>63
石高なんつーのは関係ない
それは、日本の支配者たる三河が証明している
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>109
尊重してるかどうかは疑問 利用できる間だけ利用する感じでは 正親町天皇の息子養子にして正親町天皇には早く退位するよう圧力かけてたし >>102
毛利は三河の王とは喧嘩せんよ
大江広元は、頼朝の親戚たる三河の藤姓熱田大宮司家との縁故でブレイクした
つまり、全力で逃げた
三河と長州は平安時代末期まで遡って考えいたが、そこに薩摩と土佐は入ってこれないんだよ
三河から、オタクの先祖は三河でプータローしたいたよなと言われれば
長州からは、これからも三河様のご指導よろしくお願い致しますだ
三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) >>102
どこでも創業者たちいなくなるとグダグダなるのが普通 武田上杉織田豊臣今川 毛利が三河縁故者なら、上級家臣も三河縁故が多い
三河と対立する事を、極端に恐れていた
山口県の萩は三河の萩に由来する
三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司)) >>91
家康の存在がでかい
前と後ろに敵抱えるのはきつい >>13
墨俣城関連の一次史料は皆無だからまあ創作だろうな
ちなみに墨俣城が築城された1566年に秀吉が発給した文書は一通も現存してない >>88
明智光秀ほど?
そんなにたいしたタマじゃない
将軍家や朝廷との交渉役として重宝されたがほかに人がいなかっただけだと思う 織田家は信長はじめ読み書きすらできない輩軍団だから >>101
それは信長が改革者だったからだよ
今まで半士半農を戦争専属武装集団に作り上げたからな
その発想と行動力は信長は抜きんでている
信長の政策を見たから天下取れただろう秀吉も家康も
逆にいえば信長いなければ天下取れていない 毛利輝元も関ヶ原の後、戦力まとめて家康と対峙すれば良かった。
まだ、毛利の戦力は手付かず、立花宗茂らも戦う気満々。
島津に協力を仰ぎもう一度西軍を結集させて大坂城で戦えば違ったかもね。 >>1
確かに読んでて面白いんだけど、
よく考えたら書いてあること全部小中学校で習ったことばかりじゃないか? >>122
三河の王たる足利将軍家に臣従してきた名家が、猿吉一味サイドに付くか?
三河の王に臣従するのは心地良いんだよ
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>122
大坂で対峙している間に、がら空きの毛利本国を蚕食されるぞ
それに立花と島津は怨恨があり仲が悪い これまでの大名:兵の士気と秩序を維持するために侵攻先の領地で略奪、乱取りを黙認する
信長:侵攻先での略奪、乱取りは徹底的に取り締まる。その代わり兵士に破格の報償を与え、慰安も充実させる
信長の場合だと軍を動かすだけでも他の大名と比べて出費が多かったが
それらを賄えるだけの生産力を誇っていたのも信長陣営の強み でも一代で成り上がったのは秀吉くらいなんだよな
北条早雲は室町幕府の政所執事の伊勢氏の出だし
斎藤道三も親子二代かけて成り上がってるし
信長も爺ちゃんが尾張の経済の要の津島を抑えて経済力今川並み 朝倉の地理的距離感でも
京への上洛を相当渋っていたから
西国の武将たちは中央の争いに
関われないってのが実情かもね。 >>125
家康「豊臣家を潰すつもりは毛頭なかった。じゃが家臣たちの先走りで追い詰めた形となり秀頼や淀殿が自害しようとは思わなんだ(棒」 >>131
大坂城落城したとき家康が提示した条件は房総
豊臣側が信濃一国でと要求して返事を待っているときに
井伊が豊臣の落武者との戦闘で発砲
その銃声を聞いた豊臣側は、条件に異を唱えたから家康が怒っていると思い込み自害 明智光秀に殺され、豊臣秀吉に政権を簒奪された。織田信長の実力主義は
大失敗に終わった、だろ? >>122
家康は西軍が大阪城に立て込まれると
厄介だから野戦に持ち込んだ >>131
ネタにマジレスはカコワルイ、が
豊臣秀頼公にはですね、倅がおりましてね。
豊臣国松っていうんですが、この方、夏の陣の後に
幕臣に捕えられて処刑されてますんでねえ。
これはまあ、家康公の内意あらばこそ、ですなあwww
>>128
秀吉のように大名(信長)の家臣から大名に成りあがったものを
ヨシとするなら、他にもいそうな感じはあるけどね。無名から名を挙げたのは。
ってかそれいったら秀吉家臣なんてみんなそんなもんだろ。
というかそれを言えば家康家臣もそうか。
まあこういっちゃなんだけど、生まれだよなあw 日本史はwww
(まあた言わないでもいいことをいうけど
現代ジャップでも生まれってのは それだけで人生を決める重大事だよなあ。
もっともそんなことを21世紀になってもやってるから国家没落するんだろうけどさw) >>136
家康の意向に反して秀頼が自害したことは豊臣が徹底的に反抗したことになるので叩き潰すしかなくなる そりゃ日本は遊牧民族じゃないから。
田んぼは、戦国時代終わっても同じ所だし。
落武者になった家も、最低限の田んぼは持ってるんだよ?
そういう所で帰農する。 何故、現代支那は都市部と農村部で分裂しちゃってるんだろ?
日本相手だけではなくて、家族以外は同族でも信じないんだってな。平気で嘘つくって。 信長は世襲大名だから言われているほどのし上がってない
親父は尾張きっての実力者だった >>88
信長を殺した後
わざわざ毛利に密書なんて送る必要は
なかっただから秀吉にばれた
運が悪かった >>140
第2次小豆坂から右肩下がりでしょ
あそこから生き残って天下人直前はすごいよ
親父が普通にすごい
フィリッポス2世のアレクサンダー大王とかならわかるけど >>141
秀吉はとっくに知ってただろ。細川と通じてたのかもな
じゃないとあんなに早く戻れない
裏で信長と光秀の対立を煽るような小細工、そそのかして謀反起こさせた
策略家の秀吉が黒幕 >>122
更に加藤清正を先鋒にした黒田官兵衛が参加したら
そりゃあもう戦国乱世の再来だったろうなw >>101
上から実力の値が大きい順だろ
信長なんて1国も支配してない所からあそこまでの支配者になったんだから1番力があるのは明らか
秀吉は織田家にいたとはいえ下僕からあそこまでのし上がったんだから実力がなきゃ無理なのは明白
家康は織田豊臣のケツにくっ付いて長生きしたから天下回ってきだただけの話
どこか他所の僻地だったら速攻狩られて終ってるわw >>146
運を下に見てるけど松下幸之助は成功の9割は運で運がいい人が一番強いって言って運が強い人を重視してたよ
秋元康も成功は1%の汗と1%の努力と98%の運って言ってたわ >>12
ルイスフロイスの記録読んでる?
信長はそんな甘い性格してない
宣教師なんて用済みになったら情け容赦なく切り捨てる人やよ >>30
おっと、チミのレスに今気が付いたから言うが
(それにしても伸びねえスレだなw)
信長が寛大? 勘弁してくれよ。
それいうならさあ、同盟相手の家康の奥さん、
それも正妻(ワンノブゼムな側室ではなく正妻だぞ?)築山殿と
嫡男プリンスの信康公を、根拠レスに粛清させるって滅茶苦茶じゃないか。
そしてそれに堪えた家康公も美談とされているが、これはどうなんだ。
だって…繰り返すが正妻と長男坊だぜ。しかも同盟相手のそれをだ。
どうも信じがたいほどひどい話だね。 >>119
光秀は子孫や司馬遼太郎によって美化され過ぎなんだよな
実際には信長より年上のおっさんだし家臣になったのも秀吉より後
ちゃんと一次資料の信長公記に目を通せば信長の若い時に信長を支えたのは森三左衛門や佐久間だという事がわかるはず
信長は尾張のうつけ者と呼ばれて本当にバカにされて兵すら集まらずに
弟の信勝に父の一番優秀な部下の後の筆頭家老の林と一番武勇に優れた柴田勝家を取られる
この時の信長の手勢は総勢700人余り
ついた武将も佐久間やら丹羽長秀とかだけで武勇に優れるのは森三左衛門くらいだった
木綿藤吉 米五郎左 掛かれ柴田に 退き佐久間の中には早くで戦死した森三左衛門の攻めの三左が抜けている >>151 >>1
で実際には森三左衛門は実は美濃の武将で名を馳せていたが父織田信秀の時に織田の家来となり
織田信秀の死後に信長についた
美濃の武将と言う事もあり信長が尾張の大うつけと呼ばれてもあまり気にしなかったようだ
そして全力で織田信長を守った
当時の信長は周りを強い武将に囲まれていた
そんな中で手勢が700余りの軍勢で実は何度も死の危機を体験していた
しかし稲生の戦いで勝利して林と柴田勝家は殺さずに自軍の中に入れた
ただやはり敵対したのですぐには許すことはしなかった
森三左衛門はその後も信長の中核となり好待遇で取り立ててもらったので
美濃の武将も次々と信長に降り信長の武将となった
桶狭間の戦いも偶然で勝利したのではなくいろいろな策略を駆使しての勝利だろう
信長はそれまでに数々の戦に出て実力を蓄えていたと言うのが本当のところ
で信長が最後に森蘭丸や森長可を可愛がったのは父森三左衛門が何度も命を賭して信長を守ったから
それこそ信長の父が死んでからの苦境の中で森三左衛門は信長を守っていた
だから最後の蘭丸贔屓があるのである 武田騎馬軍団って
サラブレッドに乗った
アラビアのロレンスやジンギスカン軍団を連想するけど
実際馬の体格はどうだったんだろうか。 運で片付ける奴は無能って決まってる
掴み取ることの難しさにこそ本質がある >>140
えー
信長は世襲の大名じゃないよ
守護の下の守護代織田家の家老の家柄 >>150
信長が信康を殺させたって言うのは最近では否定されてるよ
信長の娘が信康に嫁いでるから家康からどうしたらいいかって相談を受けてるけど
家康の方で判断してくれ(信康を殺しても同盟を解消したりしない)って返事しただけ
最近は信康を中心とした岡崎城の徳川家臣団と浜松を拠点にした徳川家臣団の微妙な温度差が原因で
信康が武田と繋がるような動きを見せたから家康主導で粛清したって説が有力 >>151
信長が苦しかった織田家の争いと尾張統一、今川義元との桶狭間戦、
佐久間信盛はずっと信長を支えているんだよな
この宿老にして織田家筆頭家老を追放して野垂れ死にさせるんだから、
家臣のなかに、狡兎死して走狗烹らる、明日は我が身かと思うものが出てもしかたない
信長は見えて無かったんだろうねえ >>153
普通の日本の在来馬(モンゴル種)だろ
つかサラブレッドってなんだよw
そんなの戦場じゃ真っ先にヘタれるわ >>107
元は甲州弁って聞いた
鉄道開設の時に甲州から横浜に出稼ぎに来ていた人が広めたんだと >>157
佐久間追放が本能寺に繋がった可能性は否定出来んね
ある意味必然か 秀吉が天下を取れたのは信長の家臣だったからであって別に凄くはないよね
信長がほぼ平定済みだったし、後は流れ作業みたいなもん
秀吉がぽっくり死んでたら柴田とか織田家の誰かが天下を取ってただろうし
みんな信長様のおかげだよ >>88
光秀に信長倒した後のビジョンが無かったからだろ
思いつきでやったとしか思えない拙速さ、だから親戚の細川家は味方についてくれなかった
し親しかった筒井じゅんけいも様子見で動かなかった
まあそんな信長も予想できないスピードだったからこそ成功したとも言えるわけだが 明智の謀反は佐久間や林、安藤などが一気に追放された事で明日は我が身、狡兎死して走狗煮らると考えたことが原因ではないか >>124
こんな誰もまともに見ない資料をどこから拾ってきたの? >>153
ジンギスカン軍団って何?チンギス・ハーンが率いた軍勢って事?
それならサラブレッド関係無いわ
サラブレッドが出てきたのは18世紀からだから時代が全然違う
少しは自分で調べてから質問してきてねw >>161
何か熱烈な秀吉支持者いるんだよ。天下取ったんだから、絶対秀吉の方が上で信長は全部運だ、って
言い張ってるのがいるw 光秀はたまたま信長と信忠を同時に倒せる場面に遭遇したので野心で謀反したのだろう
偶然のチャンスを物にしたので事前の根回しなんてできなかった
戦国時代は謀反なんて日常茶飯事だから勝てば官軍だった
誤算は二人の遺体を確保できず秀吉にそこを付け込まれた事だな >>161
秀吉にとってラッキーだったのは光秀が信長と一緒に長男の信忠をやっつけてくれたことだな
信忠は信長とは離れたところに陣を構えていたが本能寺が襲われたとの報を聞き、
親父を助けに行こうかどうしようかってしてるうちに光秀の軍に囲まれた
逃げられるチャンスはあったのに見逃すボンクラではいずれ天下を乗ったられたかもだが
しばらくは信忠中心で回って言っただろうな >>157
佐久間追放はおそらくは光秀の讒言に乗ったと思うよ
でも最後には佐久間の事も思い出して佐久間の子も信長軍の元に帰ってきている
筆頭家老の林を追い出したのも稲生の戦いのことを思い出したから
蘭丸をそばに置いたのはさすがに森三左衛門の事は忘れられなかったから
光秀への待遇が雑になったのもそのせい
現代人はドラマや漫画に洗脳されて光秀が美男子扱いだが実際には爺さんだからね
で森三左衛門の事は無視で蘭丸の扱いも雑
案外知られていない信長の豆知識 >>170
いや母親を人質に使えるくらいだし、爺さんじゃないだろ >>169
秀吉は信長が生きていた時は大の信長ファン
そしてそんな秀吉を信長は大切にした
光秀は口がうまく信長にうまく取り入っていた
しかし最後は蘭丸の扱いに比べて光秀の扱いが雑だった
光秀は森三左衛門の活躍はほとんど知らなかったので信長の蘭丸への寵愛の意味が理解できずにいた 下剋上の代表格は上司二人もコロした長尾為景だよな
どうして早雲や道三より語られないんだろう 父親の織田信秀は戦に明け暮れてる武将のイメージあるがが主家の大和家や同族の織田とはあまり戦をせずに縁戚結んだりで協力関係にあった
だから信長になって速攻大和家を攻めて潰した事が信勝擁立に繋がったみたいだね
信長は同族も関係なく攻撃する危険人物として NHKの「歴史秘話ヒストリア」では本能寺の変の裏側に室町幕府最後の将軍、足利義昭
の影響があったように言っていたな。元々光秀は義昭との関係も深かったし
でも義昭よりも決定的だったのは四国の長曾我部との関係だったのでは
本能寺の変は長曾我部への総攻撃の前日とかだったわけだし >>173
長尾家が関東とか北信越に多数あり
似たような名前で分かりにくいからじゃね? >>173
殺した主筋の数なら、道三が一番だ。軽く5人くらい殺してる。 >>175
荒木村重が裏切ったように明智光秀も織田信長に対しての猜疑心も強かっただろうし
将軍足利義昭からの書状が結局後押ししたのが
本能寺の変だな >>171
いや信長より明智光秀は年上だよ
信長
天文3年5月12日〈1534年6月23日)
光秀
『明智系図』(『続群書類従』第5輯下)では生年月日が享禄元年3月10日(1528年3月30日[注釈 1]
『明智一族宮城家相伝系図書』では享禄元年8月17日(1528年8月31日[注釈 1]))
森三左衛門も柴田勝家も年上で信長より戦歴が長い
柴田勝家信長の父に使えていたが信勝について信長を殺そうとしていた時期があった
そんな信長を助けたのが美濃の森三左衛門だった 長宗我部との関係はもちろん影響あるだろうが
それだけで織田信長を殺す選択はないだろうね >>174
大和守だっけ? 織田信友は守護代で、信長の上司に当たるが
その主筋の守護・斯波義統を殺したから、
その息子の義銀を担ぐ形で、信長・信光連合軍で、信友を殺した。
当時の道徳から見てもなんら責められることではない。
信友とは、それ以前から何度も戦争している。 >>1
本能寺の変も本当は諸説分かれるけどそんなにわからない謎はない
しかし明智光秀の子孫が明智光秀可愛さにあらゆるところでケチをつけて物事を複雑化している
あとは司馬遼太郎の小説も関与している
正直言うと明智光秀可愛さのためにやり過ぎ
だから信長前期で重要なキーパーソンの森三左衛門の存在が抜け落ちて
森蘭丸や森長可の重用の意味がわからなくなっている >>171
光秀の生年について1528年説と1516年説が有力説とされているようだな
1528年だとすると本能寺の変の時は54歳、1516年だとすると66歳
当時の寿命からしてかなりの高齢と言える >>160
伊勢長島で畿内において藩屏となる親族連中を多く失い、佐久間追放で畿内を束ねる譜代が消えた。
光秀が畿内の管領的位置になって本能寺はある意味必然だね。 どうして毛利家は歴史上の肝心な時に限って暗君なんだろうか?
関ヶ原の時の輝元、幕末の敬親どっちも暗君。
幕末はそのおかげで高杉や久坂らが好き勝手できたが。 明応の政変以来の戦国時代の畿内の目まぐるしさみたら、
本能寺もまあよくある下剋上なんだわな。 ワンチャン有ったら取りに行くのが天下取りなんだろな
俺が麒麟に成ろう!完 >>178
為景の場合は越後守護と関東管領だから三大下剋上扱いしてもいい? >>171
そもそも母を人質にしたってのも単なる作り話くさいな
その逸話が書かれたのは江戸時代で当時の資料には一切残ってないそうだし
そうした方がドラマチックだから語られてきただけで >>182
責められるんじゃなく
信秀にあった同族とは協力する慈悲が
信長には無かったから危険視された
だから離反が相次いだ
兄の信広も最初地味に裏切って信勝についてる
からな速攻ごめんなさいしたがな >>187
結果的に生き残ったり明治維新につながったりしたのなら暗君とは言い切れないじゃん
下々のものにはわからない葛藤や苦悩があるんだろうなw >>187
たまたまというより
元就以外は幕末まで常に暗君だったんだよ、きっと 桶狭間、姉川、長篠以外でも数多くの重要で難しい決戦をキッチリ勝ってきた信長の実力は
三傑の中でも飛び抜けているでしょ
徳川は信長に忠誠を尽くしてきたおかげで生き残っただけだけど
小牧長久手や関ヶ原など堅実にものにしたからまあまあだね
秀吉は雑魚でしょ
信長様の家来だから天下取れただけ
明智なんか計画性ゼロだから秀吉がいなくても確実に他の奴にやられてから。
たまたま地理的に近かったから一番乗りで明智を討てただけ。完全に運
上杉が虫の息で毛利がジリ貧だったのはぜんぶ信長様のおかげだし
小田原や九州征伐なんかそこら辺のアホの公家でも勝てる流れ作業だし
長久手で家康に負けるわ、大陸でボロボロになるわ散々な戦績だなこの猿は
晩年はボケて公衆の面前でおもらしするしフォローのしようが無い >>161
信長はまだ半ばでしかないよ
織田家や有力武将を差し置いて信長のあとを継ぐだけでもかなり大変だ
そのあともまだまだ有力大名が残っている中で天下を統一できたのは秀吉の実力と優秀な部下がいたから
あとを継いだのが柴田じゃまず分裂して振出しに戻る
仮に秀吉が早死にしたとしたら跡を継ぐのは官兵衛で天下統一されるだけ
まあ官兵衛が天下を取っていたら徳川の世はなかったな 官兵衛の天下は無理だろう(寿命早いし))
ただ、関ヶ原が多少長引けば全く違う歴史になっただろうなぁ >>153
黒澤が影武者を撮る時に日本の馬じゃないとヤダー!ってゴネたけど
西洋馬しか集まらなくて渋々それで撮影したとか何とか >>187
家中の大半が今で言うパヨチンテロリストだかんね
迂闊に意見しようもんなら殺されかねない
だから「そうせい侯」であるしかなかった説を読んだことある 戦国期は一つ一つの選択肢や分岐点の違いで
その後の歴史が大きく変化する
異質な時代だからタラレバが捗るね。
今だと正直なところ誰が総理をやっても
細かい分岐は起きても
大局には影響ない。 何で信長の野望で田中吉政の能力値って低いんだろう?
政治80くらいあってもいいはずなんだけど >>200
信長はほとんど天下取っていたと思うけど
秀吉も光秀も柴田も徳川も信長の傘下だったし
信忠が生き残っていれば天下は織田信忠のものだった あれだけ敵に囲まれてよくやったよな。
各方面軍を組成してそれぞれがそこそこでかい大名クラスの実力を備えてて。
本能寺がなけりゃ、信長本隊が出張った毛利は撤退したろうし、四国方面軍の信孝も長宗我部に攻め込んで、返す刀の秀吉が四国に乗り込んだ可能性も出てくる。
ゲームで織田信長プレイやると自然とハードモードになってしまう。 >>209
ほかにも畿内の寺社勢力ことごとく敵に回した。まあ殺されるのは仕方ないと思うが
その勇気はすごいと思う >>73
奇跡の逆転劇を対外的に演出する為の過少申告なのでは? >>197
小牧長久手では、流れとして秀吉の圧勝でおかしくなかったから、
家康の作戦勝ちはすごい、戦術家としてただもんじゃない >>212
なんか家康の評価低いよね
戦下手とか言われているけど
おれも小牧長久手を見る限りすごいと思うんだけど 桶狭間ですでに家康のしたたかさは現れてる
最初から天才だったよ >>213
まあ政治家としてはどうにも
信長秀吉の流れを完全に断ち切ったからね
外交ベタ経済音痴の武家政治そのもの >>70
それは尾張が弱小といってる訳じゃないだろ?
あくまで尾張の中の弱小大名の一人だったといってるだけ
尾張を完全に平定してたらその時点で日本有数の大大名だよ >>217
そうはいっても織田信秀の時点で今川と正面切って争ってたし
親父さんは熱田、津島を抑えかなりの経済力を持ってただろう。
最近今川義元再評価論があるけどやっぱり義元は信長を見くびってたと思う 今川義元じゃ西日本勢に負けた気がする
だいたい本願寺にもしてやられそう >>216
周りがついていけてないってのが大きいのかもね
独裁を嫌い、既得権益を守りと如何にも日本らしいやり方
改革には犠牲がつきものだから
結果武家の世の延命、300年の停滞を招き、そのつけを明治維新へと残した >>171
人質のエピソードは総見記(1685年成立)が出典だから創作だよ
そういう耳に残りやすいエピソードのほとんどが江戸時代に入ってから軍記物や講談によって創作され流布した
常山紀談とか名将言行録みたいな元ネタになるようなエピソードもなく、それどこから引っ張ってきた?っていうようなものとかね >>218
そりゃ若造が跡を継いだばかりで家のなかもバタバタしてた時だからな
義元の立場なら見くびらないわけがない >>222
だから桶狭間は奇襲だ正面攻撃だとかいう話が問題じゃなくて単に
今川義元が見くびったのが敗因だと思うよ。
何で織田信秀と勢力拮抗してたのに代替わりすると突然弱体化したと思い込んだのか
それは信長を見くびってたからとしか言いようがない >>223
この頃の信長は漸く織田家中の争いに終止符を打ったとは言え、尾張は未だ静謐とは程遠く
鳴海・大高・寺本・沓掛などの尾張南東部は今川の勢力下にあり、津島南部の河内郡を領する服部党の党主・服部友貞も今川方に味方していた
そもそも義元出馬の目的は尾三国境紛争の解決で尾張平定が目的ではない
戦況によっては尾張平定もやぶさかでないと言った程度だと思う
尾張が不安定な時期に義元が出馬したってのは別におかしくないし、信長を見くびってたわけでもないと思うがな >>225
それならなおさらじゃないの?織田方はほとんど補給なしで攻撃できる範囲
にいたのにそれにのこのこ入り込んで討たれるなんてさ。 >>70
当時でも新潟辺りは日本屈指の豊かな地域だぞ
日本海と信濃川と阿賀野川の富が集まる場所
それに加えて青苧もあった
だから謙信は関東に度々出兵できたのよ
>>218
むしろ今川の国力が過剰評価され続けてるんだと思う
古い勢力だから守旧派が多い上に義元は相続で揉めるくらい家中の支持が弱い
三河の連中もどこまで臣従してるか疑わしい状態
そんな中で一応は家中をまとめ上げて、幕府含めて落ち目の足利縁の御連枝中で唯一にして最大勢力にした義元は一角なんだと思う
実際に義元死んだら三河衆は造反、家中も他の御連枝や関東や京都の足利と同じく雲散霧消状態になったんだから >>219
義元は御連枝
だから大勢力になった時は足利幕府再興ルートになる
自身が将軍になるのか名目将軍を担ぐのか息子を将軍にするのか、娘を嫁がせるのかって色々あるけども
旧来の権威を担ぐ形になるから全体的な話の筋が変わる >>223
織田と今川は織田信秀の代から戦をやりあってるのよ
信長の桶狭間はその延長
桶狭間で義元を討ち取ったのはたまたま当たったってだけ まだ信長とやらが可愛い女の子なのかくさいオッサンなのか決着ついてなかったんかw
どっちであろうがお前らには関係のない話だろハゲ 実力主義だから死んだ後、実力の有る秀吉に乗っ取られ、
その秀吉も死んだ後に家康に乗っ取られた。 >>213
信長と秀吉の下で
働いて
天下を盗んだだけだし 織田家の場合信用経済の復旧ってのが大きかったかな
お手紙だけの朝廷公家やら武力を背景にした有力寺社やら武家になんか
銭を貸してもまず返って来なかったし
とりっぱぐれてもそれにかわる利権を用意してたからね
でも完全に自転車操業だからある程度いったら返済足りなくて
重臣から領地召しあげっての多くなりすぎてうらまれ自壊したけどね >>214
本能寺の変の時も
旧武田領を火事場泥棒してるしね 強引な男なら織田信長は今の金正日だろ。
大嫌いだ。 信長も秀吉も家康も運が良かっただけ
信長は桶狭間で運よく勝てて家康が今川裏切って
味方になってくれたのと美濃がお家騒動で没落してて
道三からお家騒動が起きたら美濃攻めていいって許可もらってて
美濃手に入れて100万石突破
京都まで列強な大名おらず 途中織田包囲網にあったけど
信玄は運良く病死してくれた
そんな運のいい大名の信長の配下と同盟者になれた
秀吉と家康も運がよかった 偉くなるやん?
年貢って米やん?
「そないに米ばっかりようさん貰ってどないするんやろか??」
と、小学生の頃から不思議だった 家康は、これは守らんでよいとなったら平気で約束やぶる
取引相手としては、もっとも警戒が必要な奴 >>70
尾張だけで65万石あって
海もあるからね
美濃も手に入れた時点で100万石に
なってるし 200万石あれば
天下得るし
武田、上杉、北条、毛利、島津は200万石に
届かなかった >>212
小牧長久手の再戦を
秀吉は考えてて
大地震で豊臣型の城が全部潰れから
家康を政治的に屈服させる方向にしたんだよ
家康は運がいい
再戦されてたら 島津や長曾我部や北条みたいに
なってたよ 合理主義の信長は調略を好んだ
敵方から、1000人引き抜くと味方は1000人増えるのだから、戦はより有利になる。
それで調略が得意な秀吉を重用した。
一方で調略が利きにくい本願寺相手では苦労した。
織田勢は戦に弱いので、戦に強い家康の三河勢を味方につけた。
朝廷工作も積極的に行い、勅命を引き出させて有利な講和に持ち込む事もやった。
軍師というべき家臣が居ない中で、自分で考えて様々な危機を乗り越えてる。
流石に僅かな近習しか居ない本能寺で襲われてしまったら、是非も無しというしかなくなるが。 >>239
統一政府が統一通貨を発行してる時代じゃないからな
結局価値担保性があるのが主食になってしまったというだけ >>13
城というより柵みたいなもんだが
当時の日本って近畿だけみたいなイメージだからね
秀吉の方がよほどすげぇわ >>216
213の人が正しい。経済が発展するには、互いの
「得意の交換」である商売、貿易、情報収集が
大事なのに、その交換システムを極力働かない
形にして、準自給自足経済に戻した人が家康。
それでも、経済がわかっていた織豊の遺産で
100年近くは、小さく発展したが、その後は悲惨。
その地獄は、家康の経済政策が利いている。 >>161
今川の陪臣の元を去り信長の草履とりになったのは
秀吉の頭脳が秀でていたから
人を見る目、先を見る目が尋常ではない
范増は自分は誤って項羽に仕え数多の無用の死を招いたのだから
自分が惨めな死に方をするのは当然だと言いながら死んでいった 1582山崎の戦 6月
〃 清洲会議 7月
1583賤ヶ岳の戦い3月
1584小牧・長久手の戦い3月〜11月
秀吉としてもカツカツだろ、さすがに
攻めきれなかったとみるべき >>244
秀吉の調略も凄いけど実は明智光秀の調略も凄いぞ
細川藤孝、荒木村重を調略したのが光秀やしさ
確か第1回目の松永久秀を調略したのも光秀やったろ >>238
三傑の中で秀吉だけは運ではない
確信して信長に仕えて信長が討たれることも読んでいた この時代の戦いは 主に琵琶湖周辺
ヒント: 琵琶湖は日本海と接続していた
今の天皇が上陸した時代 >>239
平安の頃から給料は米でもらって後で必要なら銭に換金してた
江戸時代になると武士相手に米を換金する専門業者もいた >>253
細川には本能寺後に味方になってもらえず、荒木と松永弾正は
それ以前に見事に裏切られたわけですが。 家にいる時間増えて暇だし、久しぶりにノブヤボするかな >>249
秀吉は豪農の出身だとも言われてるけどな
最初から字がある程度読めたって記録があるから水飲み百姓ではありえない(小作人)
あと秀吉が産まれた家って現在石碑が残ってる
その石碑を建設したのは関ヶ原の合戦の後に
名古屋城を築城してた加藤清正・福島正則がそこにいて
豊臣秀吉が産まれた場所はここだって加藤清正が証言してるから信憑性が高い
加藤清正は秀吉の親戚かなんかやろ?加藤清正がここであと言った地域はあきらかに上田地域だって
どっかで見たぞ
名古屋在住のやつはその辺詳しいんじゃね?
ただ名古屋人はアホやからこれだけ観光遺産が多い名古屋を無茶苦茶にしてるらしいな
織田信秀の墓はラブホ街にあるとか聞いたしさ >>251
秀吉の見る目もあったろうが
信長と義元の人材の扱いの差もあったな
義元の陪臣のものでは出世は絶望的 >>258
明智光秀も調略を得意にしてたって話なだけよ
織田信長は戦に強いと同じぐらい調略を重要視してるしさ
織田信長の戦い方はあきらかに曹操注釈の孫子そのまま
不利な戦はすぐに逃げるしさ >>260
字が読めたのは口減らしに寺に出されていたから >>187
敬親は寧ろ名君なんじゃないの?
下級武士が好き勝手出来たんだから 秀吉が凄かっただけだろ。
日本の歴史上最大の天才が秀吉。 >>213
池田恒興と森長可があっさりやられたのが良くなかったのかな? >>249
さすがにない
優秀なのが秀吉だけなら秀吉が規格外で通るが
弟の秀長まであそこまで優秀だとそれなりに教育を受けられる身分であったと考えるのが妥当
由緒ある家ではなかったというだけで、普通に下級武士の出だろ
少なくとも小作人とかの最下層ではない >>260
兵農分離が進んでない時代の豪農って武装してる豪族でしょ
どうかな、譜代の家人や親族に薄い感じが否めない >>264
それもない
小作人が口べらしに寺になんて出してたら寺は人で溢れてしまう
寺に預けられるという時点でそこそこの身分だよ >>262
豪農だったら長男を寺に送りつけたりはしないな。 >>271
寺をなんだと思ってるんだw
当時、特権階級以外が生産活動から離れて学問なんてできるのは寺くらいだったんだが
地元の豪農が見所のある子供だから学問を身に付けさせて立身出世を狙うなんて全然おかしくはない >>81
人がやらない事をやるとか盲点をつくとか大成功してる起業者に多いよね
でもずっとそれやり過ぎちゃって経営破綻とかなっちゃう人も結構いるけど >>266
信長の政策立案力や先を見通す力も
凄いけど、形にしたのは、秀吉やからね。
立案の信長、実行の秀吉という二人の
大天才をタッグにしてくれたのは、日本
史上最大の幸福だったはず。日本が
植民地化されなかったという点で。 >>248
こういう人間は勘違いしてるが家康の時代はむしろ秀吉の時代より貿易が盛んだったんだけどな
鎖国体制になったのは家光の時代 >>264
>>270も言ってるけど寺で受け入れOKな時点で檀家だったって事になるのよ(寺に金払ってる)
寺も本当の貧乏人まで引き受けないからな
例外はあるけどさ
確かに寺で字を習ったとも言えるけど秀吉は半年で寺から逃げてたはずよ
室町時代末期とか京都市民の66%が餓死してた時代に
なんでもかんでも寺で人間を引き受けたりはしないよ >>269
規模の差だな。豪族ってそれなりの規模に感じてしまうな >>271
将軍家だって次男3男は寺に出されてるよ
秀吉の場合は父親が戦死か病死して母親が再婚
その義理の父親に言われて寺に出されたからすこし事情が違うよ >>272
逆にその理屈だと中産階級の子弟はほとんど寺に送られてることになるぞ。
秀吉が寺に預けられた理由が義父と折り合いが悪かったとのことだが、
豪農であれば、祖母祖父などの血縁連中から長男の方を大切にするから、
秀吉が出ていくなんてことはない。
秀吉の話に祖母とか祖父とか聞いたこともないから豪農なんてことはない。 秀吉がそれなりの出なら菩提寺を作って先祖供養したり
源平藤橘名乗り始めたりするんじゃないかな
母親が晩年まで生きてんだし >>268
秀吉が優秀なら秀長も優秀だろう
同じ材料から出来た子なのだから
寺は有力檀家でなくとも気に入れば見込みがあれば寺小僧として入れた >>278
秀吉が入れられた寺がそんな大層な寺かと
将軍家の後継ぎ争いを避けるために入れられる寺ではない
村々の貧乏寺だろう 信長の野望のゲームほしいんだけど。
すーふぁみ時代のやつ。
検索してもオンラインとかしかない。
もう作ってないのかね? >>272
朱元璋の寺無し僧侶という出は百姓より明らかな下の扱いだった
触れられることを朱元璋は嫌った
秀吉浮浪者説やサンカ説すらある (-_-;)y-~
ああ、大卒=優秀みたいな思考やな。
寺社(=大学入学)で学ばなくても、寺社は市が立ったり興行もあるから、
はだしのゲンの闇市朴さんや竜太君みたいに、
その辺で勉強する人は勉強するんやないやろか。 信長の評価は県や地方を治める視野しかなかった中、ひとりだけ頭抜けた大局観を持ってたことだろ
戦争が下手とかほんとどうでもいい
むしろ、戦争なんてギャンブルに負けても勝ってんだから、評価対象だわ 秀吉や一族が某寺とつながりあんなら天下人になった時点で数百石とか寄進を受けてもおかしくない
初めて使えた松下家は大名になってるしな
寺と大したつながりはないだろ 明智が諸悪の根源?
織田が、生きていたら、明は日本になっていた? 桶狭間って意外に信長軍が多かったとか本当かな... >>262
豪農なら代々の菩提寺があるだろう
秀吉にそんなものは無かったよ 才能はそこらに埋もれていると言うこと
特に平均のIQが世界一高い日本はそう
気付かず日の目を見ることなく死んで行ってる (-_-;)y-~
伊藤博文が秀吉を尊敬してたらしいけど、
あの人、藩内での身分低いんよ。
中間(ちゅうげん)やったかなぁ、足軽よりも低いのかな。
それが、松下村塾に出入りするようになって、
明倫館とか高級士族の師弟とお付き合い、お仲間、同士にしてもろて、
井上馨(実はめっちゃ身分高い)他お仲間と一緒にイギリス留学しよる。
戦国時代にも、そういうグループ、人の繋がりがあったとしてもおかしくはないで。
秀吉って、もとは織田家の忍者かもしらんけどw 何百年と信長出世論を論じられても未だ結論が出ないのでは
永遠にわからない のだろう。
無駄な議論 乙 >>295
最近になって文献が出てきたりしてるから
まだまだ可能性はあるよ >>1
信長は親が資産家
資産家だったらベンチャーできるだろ ボケ アホ!
あと大量殺人を正当化してんじゃねーよ バカ >>282
だからお前その地元の寺に子供をあづけるのは無料じゃ無いぞ
金払ってお願いしますって貧乏人ならそんな金出せないって言ってんだがな
あと秀吉の母親大政所が再婚した竹阿弥やっけは織田信秀の茶道?とか家臣だったろ
織田信秀の直系の家臣って事は武家やんな
武家が後妻として大政所を嫁にするって事は秀吉の母親の家もクソ貧乏農家では無いと言えます
そうなると秀吉の父親もある程度の身分じゃ無いと大政所と結婚せんだろって話 >>151
信長公記は一次史料ではないぞ
他の軍記物より信憑性が高いのは間違いないが位置付けとしてはあくまで二次史料だ >>2
滋賀は大阪を越える必要はない。
サッカーで言えば、滋賀は関西のボランチ。
ボランチが目立つサッカーはヤバい。守備崩壊の危機であり、攻撃陣が不発だからだ。 >>279
秀吉の父親は戦死か病死してるだろ
だから義理の父親に言われて家を追い出されただけ
あと誰か名古屋出身者いないの?
加藤清正が秀吉の実家はここですって指定した地域は
戦国時代の上田地域だったのかどうか話聞いて見たいんだけどな 秀吉の家は関白になるとき色々いじられたから、後世に残る痕跡が少ないんだよな >>157
確かに佐久間は同情するな
織田の主要な戦にはほとんど参戦してるし、原田直政戦死後に対本願寺攻略の指揮官を任された後戦線を保ちつつ紀州や松永討伐など各地に援軍に行ってるしな
まあ信長に色々理由つけられて体よく追い出されただけだろうな >>293
秀吉は源頼朝を尊敬してたらしいぞ
源頼朝は罪人から天下人になった
頼朝は罪人だったが元々源氏の棟梁の家柄
自分は何も持たない農家の息子から天下人になったとか
鶴岡八幡宮で言ったとか >>35
明智と云い公家衆と云い、京都人らしい面子ばかりだなw >>153
甲府城の資料館に勝頼が乗ってた馬の骨格標本がある
ポニー程度の大きさにしかみえないけど、当時としてはずば抜けて大きかったそうだ >>303
信長は完全能力主義だからな
罪人だろうが裏切り者だろうが元敵だろうが才能があれば起用する
逆に無能な人間に対しては味方だった者でも容赦無く追放してる
こう言う所が曹操的なんだよな
絶対に曹操注釈孫子の兵法に影響されてる
柴田勝家も信勝に付いて信長に逆らったけど起用されてるし
松永久秀なんか2回謀反
浅井長政にも大和一国やるから降伏しろって言ってるしさ
徳川家康なんか桶狭間の戦いで丸根砦を陥落させて織田家の佐久間大学を殺してるしさ
荒木村重が謀反したら不満があるなら聞いてやるって許そうとしてんだよな >>160
佐久間追放は同情できない。
むしろ殺されなかっただけ、温情だった。
なぜなら、佐久間は家康の義兄、水野信元が武田と通じていると讒言して
信長に殺させているから。
後に水野が冤罪だったと分かった。 >>157
まあでも信長の通知の書状見ると
相当に佐久間に対して長年ストレス溜まっていたのはうかがえるな
書きながら途中で
(そういえばあのことももあったな....ムカつく)
って感じでネタがいくらでも湧いてくる感じだし 勉強用として書くのなら、伊勢宗瑞(通称:北条早雲)としてほしかった 人間関係って難しいね
たとえ職場の人間で役に立たない困った奴がいても
むやみに虐めたり追い込まない方がいいな
こないだもキレた宅配業者の凶行とかあったし
それとなく親切を装って転職を勧めるとかして追い払うのがいいな >>309
間違った。家康の義兄じゃなくて、母方の叔父ね 柴田勝家は有能だったの?
前田利家は秀吉と間に挟まれて苦労したみたいだけど 一言で言うと、信長→戦略家、その他大名→戦術家、その違いだ。 >>155
織田一族が群雄割拠してる状態
織田一族の中流の家 >>286
信長も基本的に行き当たりばったりだよ、そんな大きな展望を持って行動してる形跡なんてどこにあるんだ? >>314
優れた戦闘指揮官であり施政家てせあり外交もできる人だから
間違いなく有能でしょう もちろん傑物だったんだろうけど
それ以上にあまりにも運が良すぎた。特に大敵今川を早期に無力化できたのが
デカかった。そして斎藤家のお家騒動で美濃を拍子抜けするくらいあっさりと併呑
できちゃったもんだから、畿内おいしくいただけちゃったんだな 秀吉は子供をたくさん産んでたら
よかった
これだけは運が悪かった >>321
たくさんできたらできたで
一族の権力をいかにコントロールするか
強弱のバランスが難しい
家康は見事だったけど
それでしくじる稀代の英雄いくらでもいるんで >>320
美濃平定に7年費やしてるのにあっさり? >>111
石高無くても交通の要所で人物金が集まるからじゃね? >>320
信長が美濃を平定するのに10年近く戦って無かったか?
斎藤道三の救援した長良川の戦いが1556年で斎藤竜興を伊勢に追放したのが1567年
11年近く戦ってるね
本願寺とも11年ぐらい戦ってるしさ >>321
家康が異常に長生きだったのもね
とはいえ徳川でなくても伊達や島津あたりが
豊臣乗っ取っていたかもしれないが >>325
7年って義龍が死んでからやろ?
長良川の戦いで道三に救援してからやと11年間戦ってる 大義名分や家格がないのに国内や隣国を力で統治するのはむずい、すぐ離反する状態だろ >>322
張飛ってゲームでめっちゃ使える武将やけどな
柴田勝家も織田家の中では一番武力高くて使えるぞ
まぁ〜ゲームの話だけどさ >>314
「亀割柴田」とか「攻めの柴田に引き佐久間」と言われてるので織田軍団一の勇将、猛将と見ていい。 >>330
大義名分とか応仁の乱の辺りで関係無いっしょ
斯波家の家臣だった守護代朝倉家を西軍から東軍に寝返らせる為に
足利義政がお前を越前の守護にするからこっちに寝返ってこいってやるぐらいだから
斯波家は越前、尾張、遠江の3カ国だったのに
守護代の朝倉家が越前、遠江を甲斐家に乗っ取られ
残った尾張だけは死守しようとしたけど結局守護代清州織田家に下剋上されてるし
信長は主君殺しをやったと非難して守護代清州織田家を討伐
自分も清州織田家の家老だったくせにこの辺がうまい >>328
秀吉と利家がもう少し
長生きしたら
秀吉に子供がたくさん居たら
たらればだけど >>335
記録に残ってないだけで相談できる部下はいたのかもしれない
信長みたいな能力主義者がタダ戦場で強いだけの将に方面軍任せないでしょう >>320
家康も最後まで裏切らなかったし
運はいいよね
最後に運が尽きたけど >>286
論功行賞で占領地を与えて「お前の責任で管理しろ」ってシステム作ったのが
戦上手である以上に重要だった。今でいう外資系企業みたいな統治方法だよね。 >>335
柴田勝家がそう言う人間を起用しなかっただけやろ
秀吉は戦闘だけが戦いじゃ無いって理解してたから
調略、兵站管理、経済戦争も戦いだとそう言うのが得意な人間も登用してた >>337
三国志もそうだけど
筋肉馬鹿は駄目
呂布とか張飛とか
こういうやつは凄い偉大な君主の下で
言う事聞いて働くしかない
軍師がいないやつは駄目
知力と運ある人に勝てない >>314
柴田勝家は信長より年上で稲生の戦いの時には弟の信勝側についていた
他に筆頭家老の林もついていた
尾張の大うつけと呼ばれた信長には700人しか兵がいなかった
しかしその中には森蘭丸の父の歴戦の森三左衛門がいて信長を守った
森三左衛門は美濃の武将だが信長は命を救われてそれ以来森三左衛門を高く評価する
森蘭丸や森長可が信長が生きていた時に重用されたのはそのためである
美濃の武将も森三左衛門が高く評価されていたので次々に信長側に降った
あの明智光秀や竹中半兵衛も美濃の人間で森三左衛門のおかげで信長側に好待遇で迎えられている
その他多数の美濃の武将が信長側についた >>283
snes9xとかsnesgtとか検索すんなよ? 戦闘経験や練度が日本史上マックスの戦国武将オールスターで
朝鮮攻めてって
コテンパンに負けて帰ってくるって
サムライって世界でも弱い軍隊集団の部類じゃないかしら >>314
利家は最後の最後で
勝家裏切ってるよね
賤ヶ岳の戦いで重要な場所守ったのに
利家が撤退して柴田軍は総崩れになった
絶対に裏切らないと思ってた人が
裏切ったからね >>340
軍師いないやつは駄目
武力だけじゃ無理だって
関羽も晩年そうだったじゃん
呂布には陳宮って凄い軍師が居て
陳宮の言う事を聞いてる時は最強だったよ >>329
解釈にもよるけど長良川の戦いは道三の援軍に行っただけで美濃攻略が目的ではないし
美濃平定ってことで言えば義龍が死んだ後の森部の戦いを発端にして7年ってことでいいんじゃね >>345
いや加藤清正は朝鮮半島を超えて満州族の城を3つ落としてるぞ
あれ秀吉が亡くなったから撤退しただけで敗戦では無いけどな
ついでに明が滅亡したのは朝鮮半島での戦費で国内が無茶苦茶になったのも原因の1つ 司馬遼太郎の著作を日本国の公式国史にしとけばみんなが丸く収まる。 >>314
柴田勝家は文字を読み書きできてそれなりに頭がよかった
森三左衛門はそれより頭がよくて信長と共に桶狭間の戦いを仕切って今川軍を倒した
木綿藤吉 米五郎左 掛かれ柴田に 退き佐久間それに早くに死んだ攻め三左と呼ばれて初期信長軍の軍師+武将だった
この森三左衛門がいなければ信長は稲生の戦いで死んでいたし
桶狭間の戦いでも勝つことは難しかった (-_-;)y-~
もうちょっとしたら、真田太平記草刈正雄筋トレする。
ゆっくりしたい・・・ 戦国時代で一番の過大評価は徳川家康だ
取り柄は長生きしただけ それが唯一の功
理由は、彼だけが代替が利くのだ 別に伊達家でも毛利家でも前田家でもよい
明らかにランクが一つ落ちる
小和田みたいな偏向学者は天下人と必然のように語るがそうではない
信長がいなければ埋もれている
それと戦国末期は丁度徳川の一強になった時代でもある どの家でも他を圧倒する歴史の流れに落ち着き、
勿論もう一波乱は他家ならあったかもしれないが、同じように落ち着く >>347
関羽には馬良って軍師がいたよ
関羽が進言を無視したけどさ
馬良は夷陵の戦い時に荊州南4群で異民族と一緒に蜂起して戦死したけど
ついでに樊城の戦いで関羽が于禁・ホウ徳軍を壊滅させて兵士2万人を捕虜にしなかったら勝ててたけどな
関羽がアホで兵站無視して自軍が2万人なのに魏軍2万人の降伏を認めた為に
兵糧が足りなくなって荊州東部の孫権支配地で兵糧を略奪したのも孫権に江陵を攻められた原因の一つ >>352
そんな賢い人なら
清須会議後秀吉暗殺できたはずだし
秀吉からもらった長浜城そっこーで
秀吉に取られてるし >>342
人望ないとダメだよ。経営者もだけど
信長と石田三成なんかも人望が微妙だった >>351
稀代のエンタメ作家・司馬遼太郎史観が
世間に蔓延してる弊害のほうが大きいやろ? >>352
森三左衛門は福島の戦いで信長が三好、本願寺と戦ってる時に
朝倉、浅井連合軍に攻められて坂本やっけで戦死したんだよな >>355
またまた暴論言うわw 歴史スレにいる人あるあるだが。
武将の好き嫌いってあっていいと思うけど、俺はここまで偏れないなあ (-_-;)y-~
Sファイル作ったから思うねんけど、
家康が天下を獲ることは必然やったと思うで。
「続日本紀」を手に入れて、角倉素庵に筆写させて後世に残した。
こういうことした大名って、家康以外にはいないと思うで。 >>357
森三左衛門はそのずっと前に戦死しているよ
信長を守るために
で本能寺の戦いでその子の森蘭丸も死んでいる
森家は信長の片腕だったのでそのダメージは大きくて森長可も池田恒興と共に戦死している
それ以降イケイケ武将の森一族は好戦的ではなくなってしまう >>345
ちょっとは調べたら?
最早相手にもならんレベルやぞ (-_-;)y-~
枕草子とか源氏物語とか平家物語でもなく、続日本紀。
これが家康の運命を変えたな。 >>362
お前みたいな馬鹿がいるから日本はだめなんだ
歴史はさまざまな分岐点からなるものだという当たり前の認識がない
日本人特有の洗脳気質というか 徳川家康は何の取り柄もないだろう?
何がある? ああ、長生きな それだけが唯一の取り柄 >>347
分かりやすとこだとこうか?
島津義久&川田義朗 大友宗麟&角隈石宗 竜造寺隆信&鍋島直茂
徳川家康&本多正信 武田信玄&山本勘助 今川義元&太原雪斎
織田信長は、優秀な武将多かったし、毛利元就は、一応志道広良とかもいた
北条氏康は、北条幻庵あたりか……長宗我部元親は弟の香宗我部親泰? で、東京の人間が今となっちゃ本当は二流でも家康の肩を持たざるを得ないのだ
二流が首都を作ったとかは心理学的に受けが悪い 受け入れがたいのだ >>360
森三左衛門は3万の浅井長政・朝倉義景の連合軍をたった千の軍勢で勝利しているから
それで浅井長政・朝倉義景の連合軍は比叡山延暦寺の僧兵に援軍を頼んでさらに兵を増やして森三左衛門を攻撃した
それを知り信長は大激怒
これが有名な比叡山延暦寺の焼き討ちの原因となる
ここで美濃の明智光秀が敵討ちに参加して信長の好待遇を得ることになる 徳川家康のどこがすごいんですか?
これで歴史通でも答えに窮する だって、長生きしたから、としか言えないもん >>355
信長や秀吉に比べて
1ランク落ちるよね >>304
秀吉には武士らしさを全く感じないけどな >>352
関係ないが森可成さんは信長の野望の数値的な能力もっとあってもいいと思うんだ……
秀吉とは揉めてたりしたが、前田利家は可愛がってて、美濃の武将たちにも一目置かれてた。
信長が分かりやすく贔屓した人。比叡山焼き討ちの要員になった人。 >>369
それほとんどが参謀だな
氏康の参謀は清水と多目 (-_-;)y-~
前の信長の野望かな、
アイテム続日本紀作って知識+10、アイテム玉璧政治+10とかにしてたと思うw >>371
この浅井長政・朝倉義景の3万連合軍+比叡山延暦寺の僧兵で森三左衛門ら千の軍勢は死ぬ
だから信長は大激怒して比叡山延暦寺を焼き討ちした
かなり信長は怒っていた
信長は森三左衛門を高く評価していたので子供の森長可と蘭丸を息子の信忠らと共に可愛がった
皮肉なことにこの比叡山延暦の焼き討ちで明智光秀も高く評価された >>349
加藤清正は北上できんで籠城して死にかけてるんだけど??
追い詰められて籠城中にクソと小便飲んで命からがら日本に帰ってきたから
秀吉に怒られてるんだけど 今川義元がしくじらなければ戦国時代はあと100年は続いたのかな? >>349
日本はどう考えても負け戦
他国まで行って戦果がさらってきた朝鮮人だけだもん 家康が天下人になれたのは「信長の同盟者」としての認識があるから
だから、皆が受け入れたのだ
これが伊達家と入れ替わりの位置なら、たとえ実力があっても天下人にはなれない 信長って気に入った人にはとことん甘いよな
森可成は上記の通りで
秀吉とか命令違反してもおとがめ無しで済んでるし
光秀なんかは重臣差し置いて最初に城持ちにして貰ってるし
甘いというか「道具」として重宝してるから大切にした
と言う方が正しいのかもしれないが 人には敵か家族か使用人かしかいない。
使用人を上手く使ったのが信長。 >>346
それあんまり裏切りみたいに書かれないのはなんでなんだろうな >>387
「槍の又左」と呼ばれ勇名を馳せる一方、計算高く世渡り上手な一面もあった。賤ヶ岳の戦いの際、柴田勝家を裏切りながら落ちてきた勝家を厚遇し、裏切ったという印象を薄めたり(先述したように勝家と秀吉との人間関係に苦しんだうえでの対応もあったが)、秀頼の後見人として豊臣家を支えつつも、死の間際、利家の病床を見舞いに来た家康に息子の利長のことを頼んだとの話が残ったりもしている(一方で、利家が布団の下に抜き身の刀を忍ばせていたというエピソードが残っていたり、上記の話が江戸時代に幕府に提出するために作られた二次史料で、外様の大大名であった前田家が徳川家に媚びるため創作された記述とも言われ真偽は不明である)。 >>384
信長は自分のために戦う武将を重用する
だから森三左衛門とその子は高く評価されたし
金ヶ崎の退き口では秀吉と光秀が参加している
信長軍では信長に評価してもらおうとみんな頑張った
だから信長軍はメチャメチャ強かった
秀吉はそれは信長大好きファンで信長サマサマだった
だからそれに応えて信長は秀吉にも褒美をたくさん取らせた
そんな信長が本能寺で明智光秀に殺されたので
秀吉は中国大返しの離れ業をやってのけた >>387
裏切りとは言うけど前田方にめちゃくちゃ被害出てるから実態はイマイチよく分からん 反面、嘘つきとか誤魔化しがあるとかサボってる奴には厳しいな
>>390
重用され続けるにはひたすら奉公し続けなきゃいけないんだから
そりゃ神経まいって光秀みたいになる罠 >>380
適当過ぎて草
籠城戦は慶長の役の時の蔚山城合戦で清正は別に秀吉の不興は買ってねえよ
怒られたのは清正の援軍として参陣してたのに戦わなかった黒田長政と蜂須賀家政
清正が帰国させられたのは文禄の役の時に朝鮮との和睦交渉を阻害したとして、石田三成と小西行長に讒訴され、怒った秀吉が清正に帰国命令を下したため
清正を心配した家康と利家が、秀吉側近の富田一白に清正の言い分を秀吉の機嫌の良い時に耳に入れるように頼んでる書状も現存してる >>1
桶狭間の戦い以前から信長軍は非常に高度な戦略を多用していた
信長は早くから鉄砲を取り入れただけではなく槍も長槍で一夜城などの土木建築も得意としていた
柴田勝家や林兄弟に勝つためには森三左衛門もそれを上回る知略と武力が必要だった
そして桶狭間の戦いでの信長と森三左衛門の華麗な戦いぶりを目の当たりにした秀吉は信長の大ファンになってしまう
そして秀吉も信長を真似てさらに研鑽し戦い上手になっていく >>387
秀吉と仲が良かったのと
180万石持ってたから
他の大名からも一目置いてたとか
家康も利家は家康より年上で信長の部下だったから
眼の上のたんこぶだったからね
利家が死ぬまでおとなしくしてた 実際信長さんの健康状態ってどうだったのかね
あんな配下武将以上に東奔西走シャカリキに働いていたら
本能寺無くても60手前でぶっ倒れて死んでもおかしくなさそうだけど
なんか血圧高そうだし >>397
本能寺の変の前に信長は家督を息子の信忠に譲って半分隠居の身だった
織田家当主は既に息子の信忠
森蘭丸と悠々自適の生活を送るはずだった 何で妄想で語って否定されたら妄想で反論する奴がドヤってるの? >>128
大浦為信は?
養子養子だから、自動的に三河帝国になるんじゃw 利家は人柄だろうな
信長の茶坊主斬っても律儀に隠れて奉公するし、病弱な兄を悪く言われるのも嫌った
秀吉も勝家も利家を責めて無いので分かる
人徳あったんじゃないかい? 本能寺の変のあと備中高松城で和睦して引き上げた毛利が
もし秀吉を追撃してたら秀吉の天下はなかった
毛利が天下を取っていた
(´・ω・`) >>266
信長、秀吉は優秀な人材を重用したけど家としては使い捨て。
譜代を重用せず力の有る外様を要職に付けまくり、力が有ればのしあがれると言う風潮を自ら作り自分の死後にのし上がられたアホ。
家康はしっかり要職は譜代でしめて、
外様は味方になっても隙有れば力を削ぐ。で、100年安泰の江戸時代だな。 立身出世の観点で言えば秀吉公に並ぶ者なし
庶民のいや、底辺の星 >>397
フロイスによれば睡眠は毎日4時間程度、酒は飲まない、食事も質素
いわゆる成人病、生活習慣病には程遠いと思われるが、精神的な健康状態は疑問残るわ
寝なさ過ぎだ >>397
本能寺では49才
人間50年の時代だからもうヨボヨボの老人 >>405
ナポレオンみたいなタイプだな
名目上とはいえ隠居はしていたから
少しは老化感じてペースダウンしてたのかね
何か自分の天命を知っていたかのように生き急いでいた感あるな 火薬と言うか硝石の流通ルート押さえるかどうかで勝負ついたんじゃねえかと思うがな
信長がいち早く南蛮船の硝石を確保したんじゃねえの? ・信長は天才的革命家で世界史上唯一誇れる日本の偉人。
・秀吉は軍人としての才能と処世術に長けていただけで偉人には程遠い。過大評価の極み。
・家康は政治家として優れていたが残した功績ほどはめぐりあわせに寄る所が大きく、
偉人レベルではない。
信長だけは世界史レベルの超天才だよ。秀吉、家康は数多いる優秀な人材の中の一人。 宣教師どもがそそのかして、キリ教布教禁止に走った信長を殺害させたのが本能寺の変
そして主犯の光秀を殺させて、宣教師どもの仕業は、闇から闇へ >>407
ナポがショートスリーパー説は俗説
昼寝取ったりしてたとか
戦争頼りすぎで
怪物タレイランに見放されたけど >>337
柴田勝家ってあまり資料残ってないの?
信長の筆頭家老で大大名クラスの勢力があったんだから沢山残っていても良さそうなのに >>406
平均寿命が短いのは赤ん坊の時に死ぬのが多いから数字のマジック。
>>328
>家康が異常に長生き
そうでもない。長生き戦国武将のランキングでは49位
家康は75歳、上位30位以上は90歳オーバー >>405
寝なくてもエネルギッシュ
明石家さんまを凶暴にしたような性格だったんだろう >>407
最後の晩餐では上機嫌だったらしいな
武田を滅ぼしてから、今まで厳格でスピード感あったのが、急に落ち着いたのか油断し始めたのかスローダウンした、とかあるな
この時期に信憑性は分からぬが、征夷大将軍やら信長上皇計画やらめどがついたのかも知れない >>413
柴田も滅亡した家だからそんなには残ってないよ
ただ去年に本能寺の変の時の新発見の書状が一通、5年前に二通見つかってる
去年の発見された書状は光秀が近江にいるだろうから今後は丹羽長秀と連携して >>415
東京から新大阪まで隣で喋りぱなしなんて自分
がノイローゼになっちゃうわ確かにww >>321
秀次が子宝に恵まれてたのに子供も含めて殺すから・・・ >>355
徳川が武田と組んで、織田に反旗を翻したらどうなってたか
渋る織田に、援軍要請するときに既に宣言してる
徳川家康の凄いとこは、若くして自分がランク落ちを自覚してたとこ
「三河の勇猛」と言われた時代に、武田に挑戦してフルボッコ(謙信はその武田と同等以上)
本能寺の変の直後、旧武田領と武田の家臣を引き入れてる、
戦で言うと小牧長久手の戦い、
何といっても関ケ原で勝ったこと >>347
そもそも軍師なんて後世の創作的な側面が大きいだろ
信頼出来る部下の1人ではあったと思うけど 戦国時代に生を受けてたらここの住民1%も生き残ってない 秀頼は渡辺徹のイメージだな
ラガー刑事
初登場と殉職時で体型違いすぎて別人 >>389>>392
このスレの人でも難しい話なんだな
色々不思議だよね
賤ヶ岳の戦局は前田利家がキーマンだったし>>396のように豊臣政権の要であり秀吉亡き後は筆頭の重鎮なのにあまりに軽視されてる不思議な人 やはり破格の人だったんだな
小さな地盤から休むこと無く戦い続けて
天下に手をかけたところで自身の野望のような燃えさかる炎の中に消えて去る
秀吉のように老醜をさらすこと無く
家康のように狡賢いジジイぶりを晒すことも無く
綺麗に短い生涯を駆け抜けたところにロマンを感じるね 実力主義の下克上の時代とか言いながら、
最後の勝者が徳川家康ってのがいかにも日本らしいよな
キレ味鋭い実力者よりも、でっぷり安定感の農本主義のオジサンをトップに据えたほうが安定するのが日本なんだよなぁ
真の改革者や革命家は排除される運命にあるのが日本社会だ >>413
そもそも柴田勝家が筆頭家老って本当だったんかね?
少なくとも林秀貞や佐久間信盛が追放されるまでは筆頭家老じゃないし >>413
すまん途中送信してしまった
丹羽長秀と連携して対応すると述べていて、この書状の日付6月10日時点で勝家は光秀の動向を把握してなかったことがこの書状により分かった
5年前に発見された勝家書状は計三通
・本能寺の変から三ヶ月後の9月3日に出されたもので、信雄と信孝が国境線争いで困っていると勝家が愚痴を言っている
・本能寺の変から8日後6月10日に出された書状→魚津城を攻略して9日に本拠地北庄城に帰城した事、今後は大坂にいる丹羽長秀と連携して対応する事などが書いてある
・本能寺の変から11日後6月13日に出された書状→津田信澄が討ち取られたことを聞いた、3日に魚津城で上杉勢3千を討ち取ったことが書いてある
これらは写しも今まで伝わってなく完全な新情報でかなり貴重
まだ今後見つかる可能性は大いにある 当時、尾張や三河なんて日本一都会で裕福だったからなぁ
なるべくしてなったが正解でしょう 側近が優秀だったからな
明智光秀の才能をもっと誉めてたら歴史は変わったかもな やはり、信長の子供の出来が悪過ぎたことが最大の問題なんだろうね。
道三の血を引いた帰蝶(濃姫)が出産しなかったのが大きいかな。
生駒吉乃の血統はあまり優秀じゃなかったし、お鍋の方(高畑源十郎の娘)と坂氏の娘、養観院、土方信治の孫娘、慈徳院、塙直政の妹(原田直子)らの子供もいまいちだったからなぁ〜。
一人でも、優秀なのが産まれていたら、違っただろうな。 >>403
力があれば伸し上がれるって風潮作った8代将軍足利義政だぞ
応仁の乱で東軍の足利義政・日野富子・細川勝元が戦争に勝つ為だけにやったらあかん事やったの
西軍の有力武将朝倉家を東軍に寝返らせる為に守護代だった越前の守護にするから東軍に寝返れってやったの
応仁の乱って有力武将が京都で11年間戦ってるけど地元では守護代が統治
実力があれば足利将軍家から守護に認められるっと前例を作った
そこから遠江の甲斐家も守護代の立場から斯波家を押しのけて守護になり
近江の六角家・浅井家は守護の京極家を押しのけて独立
出雲の尼子家も京極家から下剋上
徳川家も細川家から下剋上
尾張の織田家の下剋上とか遅かったぐらい
美濃斎藤道三が土岐家から下剋上
三好家も細川家から下剋上
そんなん全部将軍が認めたんだもんな
みんな好き勝手にやるよw >>390
信長の息子を自害させたり織田家の女を自分の女にしたり
大ファンに対する仕打ち酷すぎwww >>435
ちなみに織田信孝を切腹させたのは織田信雄やぞ
茶々を側室にしたけどあれは浅井家の女
秀吉の女の趣味は高貴な家の女を好む傾向
家康の女の趣味は後家大好きな人
信長の女の趣味は傾向が出て無いよな
吉乃を一番愛したらしいけど信長は男色も大好きやもんな 本能寺で死んだ者の中に おのう と、ある
濃姫説がある 備中講和のときの毛利の態度も
吉川元春「うぬ、謀ったな!追撃だ」
小早川隆景「兄者、それはなりませぬ」
宍戸隆家:間に立たされオロオロ
こんなだったとか >>433
信長の嫡男は普通に及第点じゃん
実績作り任せたらそれなりにこなしてたし、家康の後継作りよりよほどスムーズだった
家督も譲られてたから生き残ってりゃ普通に織田は安泰だったろうに血気にはやって討ち死に
逃げようと思えば出来たらしいから、おやじに心酔しててどうにかしなきゃって感じだったんじゃないの >>440
織田長益(有楽斎)が怪しい。
信忠に切腹勧めて、自分だけ脱出(笑)
関ケ原で東軍についたかと思えば
息子とともに大阪城の秀頼に仕えて、ワケワカメ。 有楽や細川幽斉とかは勅使が来て殺してはならない、ってレベルの文化人
和歌の文化が途絶えてしまう 秀吉は家康を討伐することを決意し準備
ところが実行する直前の1586年1月に、天正地震
家康側の被害が少なかったが
富山の木船城は崩壊して城主だった前田利家の弟・前田秀継が死亡、
岐阜の帰雲城も城下町と共に埋没し城主一族が全滅
長浜城も損壊し城主・山内一豊の娘が死亡など、秀吉側に大打撃
これで秀吉は家康を倒すことをあきらめ、4月に妹を嫁にやる実質的な人質を出して
家康懐柔策に転じた
まさに日本の歴史を変えた地震だった 信長の次男三男も別に無能ではないんだがな
本能寺の時点では既に兄貴が家督を継いで自分等は養子に出されて分家の身
だいたい清洲会議の時点では二十歳そこそこの若造なんだし
後継者候補からは完全に脱落して家内の地盤だってないところにそんな若造が野心丸だしの歴戦の家老に太刀打ちできるかっての トヨタの快進撃
製造業戦国時代をいかにのし上がったか >>1
地図みりゃわかるが京都に近い人が有利だからね
首都を掌握して天皇の許可を得た人が勝ちみたいなもんだから
地理的に信長は有利な場所に生まれててライバルみたいな上杉、武田より京都寄りに生まれてる
京都より遠くの大名は元々ノーチャンスだし天下を狙う意思もほぼない 淀殿も家康の要求を素直に受け入れていれば
さすがの徳川幕府も豊臣家を高家として存続させていたかも知れんな 太閤秀吉時代の家康って分からないよな
律儀だったのか、野心を捨てずに虎視眈々としてたのか
利家なんて律儀に尽くしてたのに 実力主義って言っても親父の後を継いで何の不自由もなく大名になった世襲のボンボンだろ 孫正義 信長
三木谷浩史 家康
前澤友作 秀吉
合ってる? 柴田勝家は勝手に敵前逃亡して戦う前に撤退した前田利家が籠る府中城に敗走する途中で立ち寄った。
湯漬けを頼んで食い、叱責するどころか今までの感謝を述べ『お前は秀吉と仲がいいんだからうまくやれよ』と言い残して北ノ庄へ戻り自害した。
こんなん泣いてまうやん 信長に宗教弾圧のレッテルを貼ってた歴史学者さんは今は何してるの? >>456
真面目に離縁されたんじゃね?って思ってる
右大臣まで昇進した信長の正室濃姫が
ほぼ文献から消えてるっておかしいよな >>453
柴田も不器用な男だな
織田家という枠組みの中でしか生きられない人だった
だがそれがいい
>>456
正史に出てこないのをいいことに
自由奔放に生きていたり
股からガトリングガン出したりしてたな >>452
なんでその3人なんだよ
その例えならホリエモンが入らないのはおかしい 現在まで生き残っている本願寺が一番の勝ち組だな
他の戦国大名家は血筋は残っていても組織としては滅びた >>422
祖父母の浅井長政もお市の方も長身だからそれだけでは根拠に乏しい 戦国時代の知識がゲームからの奴らばっかだな
武力90とか言ってそうw >>440
当時の価値観的に逃げ回ってる所を討たれるってのはわりと最悪レベルに情けない死に方だったそうだからそういう所で躊躇したんじゃないかなぁと思ってる
よくも悪くも大大名の織田家の跡継ぎとしての教育が判断を誤らせたのかなぁと、メンツをアホみたいに重視する時代だし
そこら辺信長は国人領主らしく生き残り第一でさっさと逃げ出せるのが強みだった >>435
秀吉は信長が生きていたころは信長サマサマで信長が大好きだった
本能寺の変の後に大々的な葬儀を済ませると秀吉は天下人になるから 信玄の信長への書状が最近見つかったが、丁寧で腰低くてビックリしたわ
タヌキジジイとは信玄にも言えるわな ヒャッハー
信長なんて運とまぐれだけだぜー
あとは捏造の歴史よーーーーー >>469
手紙なんて本人でなく右筆が書くんだよ
本人は署名して花押を書くだけ
大雑把な内容を右筆に依頼するときっちりとした文章を右筆が書き上げる >>387
司馬遼太郎の「城塞」とか読んでると
元々前田利家は侠気の人っていうイメージがあって
本人もそれを大事に演出してたって話になってる
それにしても「城塞」を読んでると徳川家康って本当に糞だなw >>466
あれも一応歴史を考察した上で数値化してるだろ
だから作品ごとに最新の研究成果を取り入れて数値を変えてる 司馬遼は家康嫌いだからなw 三傑で一番好きなのは秀吉だろう
前田利家っていい奴なんだろうけど、それだけでしょう。大将としての戦の手柄も大してないし >>467
信忠は、かなりの人物だったと思われます
>本能寺の変の際には、備中高松城を包囲する羽柴秀吉への援軍に向かうべく
京都の妙覚寺に滞在しており、本能寺を明智光秀が強襲した事を知ると、救援に向かうが、
信長自害の知らせを受け、光秀を迎え撃つべく異母弟の津田源三郎、村井貞勝や斎藤利治ら側近と共に
儲君(皇太子)・誠仁親王の居宅である二条新御所に移動した。信忠は誠仁親王を脱出させると、
手回りのわずかな軍兵とともに篭城した。しかし明智軍が攻め寄せると、衆寡敵せずに自刃した。
介錯は鎌田新介が務め、二条御所の縁の板を剥がして自らの遺骸を隠すように命じたという
本能寺に入るには間に合わず二条城に集結していた福富秀勝・菅屋長頼・猪子兵助・団忠正・斎藤利治らは
明智勢と闘うが、信忠自害後に「今は誰が為に惜しむべき命ぞや」と刺し違えて討死した
籠城時の具体的な戦闘内容について、『惟任謀反記』や『蓮成院記録』によると自ら剣をふるい敵の兵を斬った、とされる
この時、信忠の小姓に下方弥三郎という若者がおり、彼は奮戦して左足を負傷し脇腹をやられて腸がはみ出していた。
その姿を見た信忠は「勇鋭と言うべし。今生で恩賞を与える事はかなわぬが、願わくば来世において授けようぞ」と述べた。
この信忠の言葉に弥三郎は感激し、笑いながら敵中に駈け出して討死したと伝わる >>472
花押すら右筆が書く場合もある
上杉謙信とか真田信之なんかは花押の判子が今に伝わってるからこれだと書く必要すらない
ちなみに戦国武将で自筆書状が一番多いのは伊達政宗で次点が豊臣秀吉 このスレで良く信長は運だけだ、いや、家康こそそうだとかやってるけど、利家こそそれだと思うw
運と好かれた人脈によって加賀百万石ゲット。マジで普通の人だよ 死ぬほど苦労した割にいい目を見ることも無く挙げ句に何も残らなかった
って武将は山ほど居るだろうな
鹿之助さんとか
まあ「七難八苦を与えてくれ」という願いは叶ったからいいのか >守護大名(しゅごだいみょう)は、もともと守護として任命されていた中で力をつけて守護大名になっていきましたが、
>戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。パワフルですね。
あの時代の守護大名は戦国大名じゃなかったのか… >>481
発給文書の数なら圧倒的に秀吉だけど自筆書状は政宗だよ
伊達政宗→4500通の内自筆書状1300通
豊臣秀吉→7000通の内自筆書状120通
織田信長→1400通の内自筆書状5通
徳川家康→2700通の内自筆書状30通 >>482
斯波は織田の傀儡で戦国大名ではなかったし、京極も浅井の傀儡で戦国大名ではなかった
また伊賀守護の仁木は土豪レベルでしかなく伊賀での影響力はない >>478
算盤パチパチ弾いて計算高かったたらしい
武辺者が多かった当時の武将としては極めて異例 >>484
織田信長→1400通の内自筆書状5通
5通のうちの1つにおねに送った
「秀吉が他の女に手を出しても悋気起こさないように」
って内容の書状が含まれるんだろうか 信忠自身も優秀だし、信忠の家臣団も優秀だった。父を見捨てて逃げたといわれるのがいやだったのだろう。
信長なら気にせず浅井と朝倉に囲まれたときのように逃げていたと思われる。それが後天的には教えられない本能的なものなんでしょう。 >>473
司馬遼太郎は日本の歴史を歪めた癌細胞と言ってよいな。 >>482
守護大名て公家みたいに京都にずっと居て、地元との繋がりほとんどなかった
足利幕府の権威が衰えると、地元の現地代理人に領地横領されていった
それが地元密着型戦国大名となる >>490
島津、大友「僕たちずっと守護だけど京都なんて行った事もないのに、、、」 >>487
研究者間で賛否両論ある
信長研究の第一人者で信長発給文書を全て網羅した『織田信長文書の研究』の著者・奥野高広は信長の自筆かどうか不明と言ってる
徳川美術館の学芸員は信長自筆だと言ってたな
確実なのは細川家に伝わった細川忠興が片岡城攻めの時の感状でこれは唯一信長自筆書状と確定してる
理由は堀秀政の副状があってそれにこれは「御自筆之被成御書候」(信長御自筆でこの書状を書かれた)とあるから
あとは信忠に出したもの一通と武井夕庵に出したもの一通とあと宛先不明の女性に宛てたものと思われるもの一通だな >>478
あいつは日本一の守銭奴にして吝嗇家でまつがキレた >>473
司馬さんは関西人だから、徳川幕府に反感あるんでしょ >>479
DQN行動しすぎ。
いくら信長のお気に入りでも庇いきれないでしょ >>494
明治政府と比べると徳川幕府は庶民に優しい。
税負担が基本金持ち商人と農民で大半。
三公七民くらいまで減税した北条氏には負けるけど立派な政府。
省みて今の政府はコロナ禍でも増税。 >>475
銭を貯めるだけ貯めてそれを見てニヤニヤ。
流石に戦や経済難の時には山内一豊の嫁みたいに出してドヤ顔するかと思わせて、むしろ隠す。
今際の際に、まつを呼んでついに遺産として家族に渡すのかと思ったら「あの銭壺を一緒に埋めてくれ」で
まつさんがプッツンです。 割と「花の慶次」で描かれたセコくて算盤はじきばかりしてる利家像も酷く描きすぎ
というわけでもないのか >>455
比叡山と本願寺は焼かれて当然の事やってるしな。 >>492
自分の願望としては信長の自筆であってほしいな
家臣の奥方の愚痴に自ら付き合う信長さんというのも
なんか微笑ましいし 明智光秀は本能寺の変を起こすに当たって誰にも相談できないほど
信長の裏切りに対する監視の目は厳しいものだったと思う
なので光秀は自身の死と引き換えにするつもりで
本能寺の変にあたったのではないかと思うんだが
圧倒的な力をもって人を屈服させて服従させても、裏切りにあって死んでしまう信長をみると
力での支配というのは、かなり難しい方法だなと思わざるをえない 加賀とか、一向一揆の難治の国治めた政治力はあると思うけどなぁ利家
利家のライバルだった佐々成政は、肥後の国人一揆収められずに自滅した 実は三好や北条が暴れまわった前半戦の方が面白い。それと三英傑は下剋上はしてない。 >>502
佐々さんは冬の雪山越えで燃え尽きてたんだよ、、、。
あの後精彩を欠いてる。 >>502
佐々だって同じ北陸の越中はちゃんと収めていたじゃんか。一向一揆多いし条件は加賀とおなしだぞw
肥後こそ難治の国なんだよ。加藤清正や細川家が凄いだけ。秀吉の謀略もあったと俺は思うけど
肥後に飛ばしたのは佐々潰す為だろw >>504
肥後で偉そうになっちゃい過ぎたからなんじゃないの? >>500
おね宛の書状が有名すぎるけど信忠宛の信長自筆書状も興味深い
信長公記にも出てくる有名な安土宗論について信長自身が触れていて、法華宗のことを「いたずら者」と言ってるのも面白い
(天正7年)1579年織田信長消息 織田信忠宛
其土蔵ニ一万六千貫、其外かくれさとゟの公用たわらニ可有之候、彼者ハ除、六千貫内を万疋此者ニ可被越候、
就中浄土宗・法花宗宗論、彼いたつらものまけ候、委事ハ聟可申候也、かしく、
(その土蔵にある1万6千貫、その他に隠れ里からの公用米があるが、それは除いて6千貫の内の万疋である百貫文をこちらに送るように。
浄土宗と法華宗が宗論をしたが、いたずら者の法華宗が負けた。詳しくは婿の蒲生氏郷から申し上げる。)
城介殿 信 >>491
島津は近衛家の使用人だから
島津荘の管理のため九州へ下向した >>150
>それも正妻(ワンノブゼムな側室ではなく正妻だぞ?)築山殿と
嫡男プリンスの信康公を、根拠レスに粛清させるって滅茶苦茶じゃないか//
それってさ、嫁と長男が実際に武田に内通してたんで、粛清したんと違うか?
まぁ、こき使うばかりの織田とは手切れにしよう、なんて声も多くて、
嫁長男は担ぎ出されたっぽいが。
>どうも信じがたいほどひどい話だね
だから信長様のせいにしたんでしょ。天下様になったんだし、
不都合な真実なんてどうにでも出来るし、そうせにゃならん。 >>507
流石は若い頃は傾き者だっただけのことはある
エラくなってもお茶目な感覚はあったのね >>510
ちょうどその頃、家康の母の兄が武田への内通で信長から処分されているから、そのあたりの絡みかと >>497
上杉家中に家に銭を山積みにしといて
いざ合戦って時に戦費にしてくれ!って全額寄付した奴おったなw >>440
>>467
信長秀吉家康の三傑の共通点は決断力がズバ抜けている所だけど
信忠は信長は助けるか逃げるか最後の最後で迷って死んじゃったから
仮にそこそこ優秀だとしても三傑には遠く及ばなかったよね
信長なら迷わず逃げてるでしょ >>401
利家は一向宗大虐殺の疑惑があって
加賀藩の城の瓦に人夫によって呪いの言葉を刻まれてなかったっけ?
おそらく人徳者なんかではなく、ただ世渡り上手なだけの卑怯で残忍な野郎だよ >>507
昔の「いたずら」のニュアンスは不届き者て感じで、
年貢未納の百姓を「いたずら百姓」とか言った 猪子兵助か福富貞次あたりが信忠を引っ叩いて逃げ出せばよかったのにな。
村井の阿呆が籠城を進言しやがったせいで。 >>515
あの虐殺は越前でやったかなぁ
加賀ではなかった気がする
一向宗の尾山御坊(現・金沢城)落としたの佐久間だし >>515
夫人がそれを問いただしたら
戦国の世 人を殺めた事もあったが、皆もそうだ。しかしながら私は無駄な殺生はしていない
そんな奇術、あてにならぬ
とか言って笑顔だったらしいな 徳川家康は3人いる説はどうなんだ?
世良田元信なんだろ?元々は? >>491
だってお前ら田舎もんじゃん
下克上なんて都会の話だぞ
都会の主語は京都に詰めてたから守護代に乗っ取られたんだから >>501
俺は明智と、細川はずっと義昭と信長と二股に使えていたと思うわ >>512 >家康の母の兄が武田への内通で
ああ、それもあるね。でもさ、水野信元という人が、武田に内通って、考えにくい。
織田には常に友好的で、それゆえ於大って妹も離縁されたんだし、
桶狭間の時だって、別段今川に靡いてないし(奇襲だったんで、信長に与するヒマなかった)。
家康が信元討ったというのも、寛政譜なんて後世っぽいのが出処みたいだし、ウィキによると。
信元の横死は、織田方内部の問題の様な気がする。 >>520
家康には双子の兄弟がいる説
結城秀康も双子だが、女児で死産だった >>524
信元は後に冤罪とされ、水野を讒言して陥れた佐久間信盛が後に追放されている >>387
海音寺潮五郎さんは、「太閤記」からの引き合いではあるけど、裏切られた本人である「柴田勝家からも恨まれていない」から、と著作に書いてるね
史実かどうかは別として >>525
秀康か・・
秀康、元康と子供らも優秀だな家康は・・ >>515
これな
この書き物 後世に御覧じられ 御物語りあるべく候
然れば5月24日 一揆起こり 其のまま前田 又左衛門尉殿
一揆千人ばかり 生け捕り させられ候なり 御成敗は 磔
釜に入られ炙られ候や この如く候 一筆書き留め候 >>387
柴田軍から戦線離脱しただけであって、
関ヶ原での小早川みたいに、さっきまでの友軍に銃弾浴びせ掛けるアカラサマな裏切りじゃなかったから この手のスレでは信長公記はバカにされることが多いけど、信長公記がなかったら信長についての情報がもっと限られていただろうから、やっぱり記録って大事なんだよな。 >>489
作家なんだから
己の世界観を世に広めたことは
悪いことじゃない
問題は、それを「史実」と認識してしまってる
読者の方だろう >>533
信長発給文書と照らし合わせてみても信長公記の記事は正確な部分もかなりあるんだけどな
一次史料すら見たことない連中が脳死でフィクションだって叩いてるんだろうな >>255
まぁ秀吉が明の征服を目指したのも家康が鎖国したのも事実
仮に信長が天下統一してたらどうしたろうな 全員よーいドンで覇者を目指したらだれが1番強いの? >>505
秀吉は佐々成政の武勇を相当かっていたんじゃないかね
明国入りの先兵にしようとしていた
清正の上位互換的な位置 >>537
家康が鎖国したって日本史勉強してないだろ
鎖国体制が完成したのは家光の時代で家康の時代は貿易も海外渡航もやりまくってるんだけど
下手したら秀吉が生きていた時代より貿易が盛んだったのが家康の時代 前田利家なんて、「又左 うるさい」って言われるくらい
小者。
池田輝政ごときに言わてるからなw >>540
秀吉の朝鮮出兵はキリスト教撲滅運動
キリシタン大名の力削ぎって狙いもあった >>491
島津は微妙かもしれんけど大友は上洛余裕だろ
大分って京・大坂が近いからな
宗麟が堺で女漁りしたのは有名 >>547
とても面白い説だけど穴がある。
キリスト大名なら布教して当然だ。布教は義務だ。
その割に朝鮮でキリスト教が布教されて広まった
とかの事実はまったくみられない。
朝鮮人がキリスト教に帰依し始めるのは300年後だ。 他の大名なんて、ほとんど天下統一するという思想のかけらももってなければ、貿易の重要性のかけらもわからない、武力だけの土人が多かったからだろ
俺らが縄文時代行ったら力弱いけど頭の良さで酋長になれるのと同じ >>401
人の評論とか
しなかったらしいね
自分より身分の低い後輩の秀吉にも
金貸したり風呂貸したりしてたらしいね
先輩面したり 見下したりしなかったとか >>401
「槍の又左」と呼ばれ勇名を馳せる一方、計算高く世渡り上手な一面もあった。賤ヶ岳の戦いの際、柴田勝家を裏切りながら落ちてきた勝家を厚遇し、裏切ったという印象を薄めたり(先述したように勝家と秀吉との人間関係に苦しんだうえでの対応もあったが)、秀頼の後見人として豊臣家を支えつつも、死の間際、利家の病床を見舞いに来た家康に息子の利長のことを頼んだとの話が残ったりもしている(一方で、利家が布団の下に抜き身の刀を忍ばせていたというエピソードが残っていたり、上記の話が江戸時代に幕府に提出するために作られた二次史料で、外様の大大名であった前田家が徳川家に媚びるため創作された記述とも言われ真偽は不明である)。13232 利家はあくまで勝家の与力で家臣ではないからまあ強いことは言えないが、あの状況での無断撤退は戦線崩壊させとるからな。 何も義経=ジンギスカン説は戦前に大陸侵略を正当化する為に降って湧いた話ではない
江戸時代以前から在ったのだ(江戸幕府が封印しただけ) ソースを見ていないからわからないけど、この記事は実にレベルが低いな。
今までの定説をなぞっているだけ。そんなの誰でも知ってるわ。
守護大名がなぜ没落し、守護代や客将がその後釜に座ったのか?
実力者個人の力量だけでなく、当時の勢力情勢、経済、国人らとからめて記述しろよ。
それが歴史。まあ歴史学徒ではないことは明白だな。 >>541
確か家康の側近もオランダかポルトガル人だったな。 >>553
逆だよ。
キリシタン大名ばかりを出兵させて力を削いだ
秀吉が切腹させた千利休
利休七哲はみんなキリシタン大名だろう >>561
オランダ人・・・ウィリアム・アダムス
ポルトガル人・・・ルイス・ソテーロ
隆慶一郎の影武者徳川家康ではな
史実は知らんw >>556
嫁さん同士も仲良かったみたいだしな
太閤秀吉時代の家康に対しての抑えが利家だつまたならば、やはり家康に対抗出来るだけの人望があったんだろう 美濃攻略というハイリスクハイリターンの博打に勝ったからよかったが、
失敗したりもっと手こずったりしたらどうなっていただろうか?
信玄に負けていたんじゃないだろうか >>557
槍の又左とか言われてるが実は温厚篤実なんだろうな。
赤だか黒羽ろ衆を決める時にも一悶着あったような
まぁ、ケンカは強い常識人って感じかもな >>565
常設兵隊を信長は持ってたから大丈夫だろう
信長をヤれたのは暗殺か光秀みたいな裏切り奇襲しか考えられない 前田利家は
哀川翔とか的場浩司みたいな奴だよ
喧嘩が強いのか弱いのか不明だけど豪の者ぶって、周りは雰囲気に飲まれてああそうなんだと錯覚
やってることはただの口達者の世渡り上手で、芸能界という乱世をまんまと生き抜いたしたたかな奴 賤ヶ岳は利家が裏切らなくても負けたでしょ
どうすれば勝てたのか >>538
ありきたりの答えで悪いけど最底辺の足軽から始めるなら秀吉公だろ
親の地盤ありきなら信長公か家康公だな
全員全く同じ条件で始めるとなると
ボードゲームの世界観になってしまうのでそれは違うと思う 裏切りというのは間違ってる賢い選択をしたというのが正しい
大名家は現代風で言うなら株式会社前田利家の社長だからね
負けたら家臣やその家族は職は失うし文字通り首や腹を切られるし女はレイプや売られるし領民は放火や誘拐、強盗や殺される >>538
道三とか松永とかのドブネズミ系は決勝トーナメントまで行くと思う 前田利家って信長の小姓だろ。要は蘭丸と一緒に信長を掘ってた一人だ。 秀吉も公の場では
内大臣の家康を優先させてたが
私的な場では、大納言の利家を
家康より上に扱ってたからな。
家康にとって利家は
さぞや目の上のタンコブだっただろう。 みなさんめちゃくちゃ詳しいけど、信長の野望をやったら、そうなれる? >>577
時代小説とか歴史系の本読まないと無理やろ
図書館のヤングアダルトコーナー辺り探して見るといいかも
新コロナがお札の上で4週間感染能力あるとか言っててヤヴァいかも知れんがw ,滋賀,すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>579
やっぱかなり読み込んだ上での知識なんですね、失礼しました
図書館は、コロナまだ生きてるかな。借りて、3日くらい天日干し。三日天下なんつって >>575
蘭丸はお気に入りの1人
実はもう1人お気に入りが居る
そいつには衆道のケは無かったが
信長に数多くいた娘を是非貰ってくれ
一門衆になってくれとせがまれたのが
蒲生氏郷
秀吉が密かにライバル視してた
信長の娘で氏郷の正妻の雪姫も秀吉は狙ってた
今の三重県松阪市辺りに所領を貰い
後に三井家が興る基礎を作った
信長亡き後氏郷は秀吉に仕え
奥州に転封になった
政略結婚でもないのに信長が娘を家臣にくれてやったのは蒲生氏郷ただ1人 >>582
天に聞こえし鶴千代だな
信長子飼いだったし、秀吉からみれば煙た過ぎる存在だな >>581
名将言語録とか対談集とか、列伝系だったら分かりやすい >>570
国力が違うので勝てない
上杉と手を結べて、徳川、北条の同盟に加えて貰えればワンチャンだけど、上杉は柴田よりも秀吉選ぶし >>584
家康に過ぎたるものふたつ有り
唐の兜と本多平八(平八郎忠勝)
名槍蜻蛉切を手に50戦負けなしだったとか >>575
信長は掘られてたのか?
犬千代、参れ
とか?
まあ、当時の戦国武将の殆どが両刀使いだけど、殿が掘られるってあったんか? >>575
蘭丸は伊藤(.松坂屋の創業者)
森は乱丸 >>411
風呂好きで風呂に6時間入ってたらしいなw >>587
そこは社会的立場が反映されるから主君が掘られる事は基本的にない
まぁ個々の事案になるとお互いのその場のノリとかもあるだろうし何ともだけど >>401
一旦信長の下を離れても帰参を許されてるしね >>571
うん、ロリコンヤクザ。
10代の頃は、愚連隊隊長信長の不良子分かつ、おホモだち。
二十歳の時、わずか12歳の幼妻迎えるが孕まして、まわりから、おいおい、ええ加減にせえよと嗜められる。
ところが、親分お気に入りの子分をケンカで斬り殺して一度はクビ。
幼妻と乳飲み子抱えて路頭に迷う訳にもいかず、復帰を試み、合戦に勝手に参加して、首をポンポン斬るが親分はつれない。やっと帰れたのは二年後。
不良時代の仇名は槍の又佐。
漫画で書かれている軟弱者じゃない。 >>575
世代がちゃうぞw 信長が若い頃の愛人とオッサンになってからの愛人 >>568
大男で見栄えが良かったから評価された側面も結構あるんじゃねぇかな
直接会った雰囲気込みの評価って後世じゃわかりにくいから >>576
そりゃ日吉⇄犬(千代)の仲だから
上級家臣団も猿と犬が仲良くしてるわと
笑ってたくらいだから >>567
横だが信長が信玄恐れていたのは確からしいし信玄が急死していなかったらマジでヤバかった
タイミング良すぎる急死に小説とかでは暗殺説も描かれてる >>586
徳川四天王はカッコいいな
三成にも過ぎたるものふたつ有り >>591
生真面目な人間だったと思うな・・
一度、クビになっても何度も勝手に合戦に参加し、首級挙げても信長は無視
へこたれずにやっと帰参許されても素っ気ない
だけど、晩年だかに諸大名の前で「そちは昔からから、奉公者であった。若い頃、そなたと良く寝たもんだ」
とか信長から言われて多いに面目を施し、諸大名から羨ましくがられたらしいな >>582
いきなり92万石もの会津飛ばされて、領国経営しつつ伊達政宗と家康を抑えてんだから、バリ有能よな
上杉なんかは譜代の家臣団いるけど、蒲生家とかほぼ氏郷の裁量のみだし >>596
夜な夜な笛を吹いて暗殺する話だな
まぁ、直接対決したら分からぬが、信長が命を落とす事は無いんじゃないか?逃げるのも速攻だから。また、どうせ甲斐に帰るからと踏んでるからなぁ
まぁ、信長が信玄、謙信を恐れてたのは事実だな >>597
それ言うと数なら武田二十四将だけどね。
武田流軍学者が作ったと思うけど。 >>601
山県→井伊の赤備えなんてスゴいな
家康の信玄への評価は抜群だな 信長は光秀をも ハゲネズミ と、呼んだ時があるのは笑える >>603
信玄を立てるほどに自分の株も上がるからな
信玄も自分も60歳ぐらいまで生きるつもりだっただろうから、53歳だかで死んだのは予定外だったろうけど、上洛する気があったかどうか怪しいよな >>604
マスゾエがハゲネズミって言われてたなw レクサス甘利の先祖は武田二十四将だっけ?
今の彼を見たら先祖の虎康は泣くだろうな。 >>563
家康の側近は
イギリス人:ウイリアム・アダムス
オランダ人:ヤン・ヨーステン(東京駅八重洲口の語源)
だったはず >>605
普通に京都へ行くつもりだっただろ
結核が重症化しなければ琵琶湖付近で織田信長と決戦をしてたはず >>584
そういう方面もありなんですね、ありがとうございます >>605
上洛した所で飛び地では京を維持出来ないね。農兵だから領地に返さないと行けないし。
故にする気なかったと思う。信長の領地を出来るだけぶんどって、首も取れれば最高だったろう >>604
光秀はキンカ頭(金柑頭)じゃなかったっけ?
ハゲネズミは藤吉郎だったような。 >>612
信玄ほど用意周到で慎重な男が、全く上洛の根回しした形跡ないんだぞ。
有り得ないってのが多数の専門家の見方だよ >>612
京都に行くメリットは何だろ?
信長と違い天下人になる気はなさそうだし。
駿河から西に領土拡大狙っていたから、遠州の松平を叩き、その本拠地の三河をた叩くのは分かるが、病気でなかったら岡崎で止まったんじゃないかな? 信玄、結核やったの?
ストマイを送ってあげたかった >>615
光秀をもハゲネズミ呼ばわりした時があるんだよ
通常時はキンカ頭 >>615
信長は癇癪持ちだったから光秀家康も頬が腫れるくらいぶたれていたし
秀吉に至っては顔の形が変わるくらい殴られていたとか
体罰主義体制だったんだね >>500
秀吉を指して禿鼠なんて書ける人が他に居るか?w >>496
にも関わらず三度も飢饉が起きたわ
特に天保は明らかな人災 ちなみに有名な織田信長のリアル肖像画は本人には全く似ていない
一般的な教科書などで見る紋付袴姿の肖像画のほうが信長の実物に近い 家康も信玄の三河侵攻、小牧・長久手の戦い、関が原と3回は博打打ってるよな >>618
信玄の嫁さんは公家なんだから一応京都へ行って顔合わせぐらいは
してたと思う
後は浅井朝倉と同盟みたいなので
天下を狙わないにしても海に出ないと話にならないのは理解してたから
せめて旧今川領は支配下に置いて織田は北から牽制してもらう予定だったと思う 秀吉は木下時代から凄い
対斎藤では松倉城や鵜沼城を調略で寝返らせて落としてるし
観音寺城の戦いでは松明を用意させ夜襲をかけて箕作城を落城させている
大河内城の戦いで阿坂城を落城させている
金ヶ崎や姉川の活躍は有名 ここまでが木下時代
戦闘は三英傑で一番劣るかもしれないが知略で言ったら一番上だと思うね >>559
江戸時代の人がそう言う奇矯な架空話好きだっただけ
でなけりゃ、鎌倉時代の出来事が室町、戦国すっ飛ばして江戸時代に突如出てくる訳ない >>570
結局、長期的に見れぱ猪武者の柴田じゃ策士の秀吉には勝てない
それを見越しての利家撤退 >>599
蒲生自身は東国行きを左遷と感じたらしく、
東国での大封より、小国でも畿内の方が良かったらしい 信長の実家と秀吉の実家は数百メートルしか離れてなくて
実は子供の頃から2人とも顔見知り説があるらしい >>570
いや分かんねえよ。中川とか討ち死にしてるし高山右近も崩れたろ。
前田利家に任せられてたのはなかなか重要な地点。寝返らなければ、佐久間も奇襲成功したまま生還出来たかも 柴田も美濃大返しで秀吉が50kmの距離を5時間で帰ってくると思わなかったんだろうな
その前に本体が動いてたらわからなかったかもしれんが
秀吉は小牧長久手もだけど織田の重臣をかなり戦死させてる所あるな
信長は親族を長島一向一揆とかで戦死させてたりするけど >>630
兄弟で唯一生き残ったと人が大名になったよな >>624
確かに子孫の織田信成くんに似てるからな 妻子が大阪城ごと丸焼けにされるとわかってたら
秀吉さんは朝鮮征伐なんて馬鹿やらず
家康を全力で攻めに攻めてぶち殺してたでしょう 信長って負け犬なのになんで人気あんだろうな
負け犬の自分と重ねるにしても限度があるだろ
長年愛されたって信長はずっと死んでるわけだろ
あれか日本人特有の嫌味か
それで信長を崇めてるのかな
ほんと陰湿だわ >>631
あれ辞世の句は秀吉に殺されたと思ってるよな 出世したいのなら、前田利家のものを持ったら、ごりやくはありそうだね。
日本歴代の中でも、能力の割には、異例の出世した男だからね。
次善手の男は、山内一豊だろうね。
これらの御守りを持っていたら、異例の出世をするかも知れない。 北条家は善政で農民からの評判は良かったらしいが
信長の支配地域はどうだったの? 北条の話は眉唾
子孫が創価の会長だから工作員が書いてる可能性か高い >>638
世界だとナポレオンも人気だよ、あんたの言う負犬だけど >>638
戦場で不様に首討ち取られたら負け犬だけど、
家臣の裏切りで宿所襲われたのは負け犬なんだろうか
裏切られない人望と、敵を撃退できる護衛足らなかったのは油断あったけど >>641
農民が徴用されず農業に従事出来るだけで察し
兵士が悪さしようもんなら即斬首やし
この時代、兵隊が盗みや乱暴を働くのは当たり前で半ば黙認されたて状態だったが、信長は一切それを許さなかった 逆に信長の下で働くのは結構キツイかもね
女中が仕事サボってたのを見つけた時、その場で全員斬り殺したなんて話もあるくらい >>401
凄い強く度胸があって
誰にたいしても態度が同じだったけど
自分より下の人を見下したり
せずに親切だったらしいね 秀吉が貧しい時代に
風呂を貸したり
人の評論とかしないし 秀吉は家康を関東に追いやらなかったら
家康に天下を取られなかったのか?
長手小牧の再戦を秀吉は考えてて
豊臣型の城に兵糧を運んでたけど
大地震で兵糧入れてた城が全部潰れて
再戦どこじゃなくなって
政治的に家康を屈服させる方法にした
家康は運が良かった 細川忠興は秀次に借金をしてて
とんでもない金額で
金に困った忠興は金持ちの大大名に借金の申し込みをしたけど
みんなに断られて 利家にも断られて とんでもない金額だったらしい
最後の最後に家康に泣きついて家康に貸してもらった
家康が関ケ原で勝てたのはこの時に金を出したから
たったこれだけ 利家は運が尽きた 世の中運がすべてだから
運がいい人に付いていくこと
信長や秀吉や家康に付いていくこと >>651
信長の下は苦労するぞ
使えないと思われたら譜代でも追放するからな
秀吉は自分の元から離れて他の家に仕官するって言った人に対して
路銀を渡して向うが合わなければいつでも戻って来いって言ってたらしい
この辺が人たらしなんだけど天下人になってから完全に鬼ですw
家康はケチで部下に褒美をケチってた
嫌な上司だよな 信長が天才だというのは物事の原理を誰にも教わらずに
見抜くことができていたから。日本の歴史上の人物では一番の天才だろう。 ┏( .-. ┏ ) ┓
【日米/丸パクリ/準自動走行システム】
*私の考案である
【準自動走行システム】だが
日米両サイドで、使おうとしていた
その為か、私に対しての
レーザー、空中ワイヤレスでの
斬撃が激しくなったとも云える
--
*Google & Apple が始めた
ウェイモは、記事内では
まだ、完全に無人では無いと書いてある
・AIに道順を記憶させるシステム
だが、私のライン引き考案を丸パクリして
人工衛星で
ライン引きをすると云う試みもあるらしい
--
*国内では、日本政府の菅総理が
東北自動車道での
私の考案の丸パクリに、GOを出したとか…
(※ もう一つの
282【全ての道はローマに通ず系
アトラクション】も、もじってるとか)
(9
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1315825097945407489
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>642
徳川家康が北条家の税率を引き継いでるからほぼ間違いない
北条家は4公6民ですよ(北条早雲)
一般的な戦国大名は5公5民
江戸時代の徳川直轄領は例外もあるけど実質3公7民って税率もあった
薩摩藩とかは鬼で税率7公3民とか 下剋上の代表として、早雲が出たのが間違いだったからな
めっちゃ名家だし
代表的なのは
龍造寺隆信、毛利元就、宇喜田直家、斉藤道三、長尾為景あたりか? 前田利家の話題が結構出てて嬉しい
世間に知られてるのが利家とまつだけって悲しいよなぁ
利家次第で歴史変わってたかもしれないのに >>647
坊主と遊びに行ったのが頭に来たのかもな >>657
早雲はむしろ足利将軍家の命令で
今川家の家督相続に介入
伊豆の茶々丸討伐も将軍家の命令
小田原城奪取も創作で実際はどうだったのか分からない
一番最初の下剋上やらかしたのは斯波家の守護代甲斐家が越前で反乱
斯波家が討伐失敗した辺りでしょ
そのあと応仁の乱で守護代だったが越前守護にすると言われて東軍に寝返った朝倉家
遠江の守護代甲斐家(斯波家から奪取)
尾張の守護代織田家(斯波家を傀儡にしてる) >>655
きっちり検知をした上での4公6民だから農民にしてみればきついし自然現象もあるけど逃民もされてる農民が逃げ出すってとんでもないことだし氏康の隠居も政策の失敗でせざるを得ない状況に追い込まれた 信長に使える→カネは良いがプライベートは崩壊、ノイローゼに
秀吉に使える→カネはまあまあだが、ボーナスが抜群に良い、だが、直ぐに会社は潰れる
家康に使える→普通のカネで普通のボーナス、一生窓際
こんなイメージ >>597
筒井家の松倉右近を思い出して島原の乱まで思い出した 秀吉って馬鹿にしかたくさん
領土上げてなかったよね?
危険な人には領土少ししか
持たせてなかった
家康はケチすぎ
4天王ですらわずかの領土しか
もらってない >>662
毛利元就って
なんで領土拡大して
天下統一しなかったの?
信長以外で10か国手に入れたのは
元就だけだろう >>633
佐久間が中川を打ち取った後にすぐに勝家が
攻めたら勝ててたね
攻めなかったから秀吉が帰ってきた >>515
捉えた奴を釜茹でにしてたからな凄いよな利家 >>575
小姓にかぎらず大抵の有名武将は多かれ少なかれ掘ったり掘られたりしてたろ
秀吉だけはどっちもないかもしれん >>671
戦国大名ってなんでほもが
多かったの?
蘭丸とかそうだよね? >>667
自身の寿命から無理そうだったのと
子や孫の器量から引き継がせても無理
と判断したんじゃ無いかね >>672
どちらかというと征服欲だよ
男でも女でも抵抗出来ない状況で好きに出来るって最高でしょ >>673
まるほど
輝元みたらわかるね
凄いわ 元就はただものじゃねえわ >>674
信長と蘭丸は
そうだったの?
きもいな
女をやりたい放題した方がよくね? >>672
お互いに命預けあうなかだし
戦場には女つれていけないし(秀吉は連れていってたけど)
小姓は将来の幹部候補生だから、主人にきにいられないとだめ
主人に求められたら断れない
武田信玄なんか、部下から浮気せめられてお詫びの手紙書いてるしな 家康って今川の人質時代
苦労したらしいけど
何をされたの? 毛利の天下取りは幕末まで先送り
と言っても毛利家では無くて配下の下級武士中心だったが >>677
蘭丸って信長のちんこ
しゃぶってたの?
蘭丸の地位は高かったの? >>682
義元や雪斎のあそこ
しゃぶらされたりしたのか? >>676
戦場には女は連れていけない
だから穴があればなんでもいいかって思想になるようだぞ >>467
信長は浅井が裏切った事に気付いてから撤退早かったのに・・・ >>684
まじで?戦場に女連れて行った
大名っていないのか?
俺なら釣れていくけど 戦場での女は現地調達が基本
朝鮮出兵で梅毒をもらってきたのが証左 >>510
実際に内通してないとしても家康vs信康で家中の中で対立してたら
他家に付け込まれる可能性あるしなあ >>687
黒田官兵衛が梅毒で
死んだって悲しいね
賢くて女嫌いと思ってたから パヨクとチョンの爺は日本の歴史の話に首突っ込んでくるなよ
臭くなるから >>686
連れて行ってどうすんだよ
当時は全てとは言わないけど装備やら食料やら自分で用意しないといけなかったみたいだぞ
足手まといになるだけだ >>630
末っ子が生き残ったんじゃなかったっけ
それ以外は長男が父親と一緒に戦死、本能寺で戦死、小牧長久手で戦死・・・ >>667
吉川広家が関ヶ原合戦の直後に書いた書状に
「日頼様被仰置候も、当分五ヶ国十ヶ国御手ニ入候段ハ、時之御仕合にて候、
已来之儀者、於御子孫も天下御競望曾以被思召寄間敷通、連々被仰聞たる之由、元春内々申候き、」
(五ヵ国・十ヶ国が手に入ったとしてもそれは時の運だと日頼様(元就)は仰られていた。
それ以来子孫も天下を望むことはせず
ずっとその教えを守ってきた、と我が父元春が内々に申していた。)
元就は元々こういう慎重な考え方を持ってて、それを元春や隆景にもよく言い聞かせてたってことが分かる
足利義昭が追放されて鞆に逃げてきた時も隆景は自身の書状で
「今や毛利の威勢も天下に轟くようになったが、これは灯消えんとして光増すのように、最後の灯火のような状態とも言えるし油断できない」
と言ってるからな >>667
そもそも統治体制が緩やかで外にガンガン攻めるのは無理だったって話
元々地方の一領主だったからな >>673
為景は天下人としても充分だったろうけど、長子にその力量ない以上、家が乱れるもと、で天下諦めたのなら、先見の妙ありすぎだよな
賢人すぎる 信長が死ななかったら、日本はキリスト教でオランダ語になっていた。 >>686
秀吉は竹中半兵衛の妹を愛人にして戦場に連れていってた >>676
女を戦場に連れていけないだろ
性癖というよりは風習だ
まぁ、佐竹とかマジなのも居るが >>698
まじで?半兵衛嫌がらなかったの?
がっかりだね
秀吉天下人になってからも
豪商の嫁とかに手を出してただろう? テレビもゲームも何にもないから、するしかなかったんだろうな。 >>686
秀吉くらいか?
周りの武将は反対したが
つまり、秀吉は武家の子じゃないんだよ
武家の常識を知らない
だから、武士なら軽蔑な、眼差しを浴びた >>699
その理屈だと
インパールまで芸者連れてった牟田口は
戦国大名以上ということになっちゃう >>692
明日死ぬかも知れない
柔肌が恋しくなるのは武士も同じ >>698
なんかの小説だろ
妹は甥(従弟?)の竹中重利に嫁いでる >>647
それは戦国乱世だから仕方ない
平時に仕事サボってたのとは訳が違う 正々堂々と戦わなかっただけだったりする
奇襲とかっこよく言われてるがただの不意打ち
突進してくる騎馬隊に対し物陰から隠れて鉄砲で狙撃 まぁ、男の友情の証てのもある
兄貴分とガバガバナチンピラも居る
いつ死ぬか、捕まるか分からないって不安はそういう偏癖を持つようになるんだろう >>690
今で言うパヨチンとかそうかを皆殺した方が偉いやろw >>710
勝ち残らにゃならん
負けたら元も子もない
綺麗事は言っとられん >>672 >>681
信長は蘭丸の父の森三左衛門が命を懸けて守ってくれたから
蘭丸と森長可を重用しただけ >>676
信長は蘭丸の父の森三左衛門が命を懸けて守ってくれたから
蘭丸と森長可を重用しただけ
実際には信長は森三兄弟を小姓として雇っていた
それに小姓は他にもたくさんいた
それと蘭丸は17歳くらいで城を貰っていた
これも父の功績のおかげであった そもそも世は大航海時代(1420-1620)の頃の世界の片隅に毛唐が鉄砲持ってやって来たんだぜ
戦争好きの戦国大名なら海外進出を目指すやろw(幕末〜明治維新にも同じ現象は起きた)
戦国日本と大航海時代―― 秀吉・家康・政宗の外交戦略』(宮城人著なので伊達贔屓だが)
https://books.j-cast.com/2019/02/03008587.html 毛利は天下無理だろ
山陽山陰の地盤じゃ弱すぎる
京が中心で江戸は湿地帯で関東は北条の縄張り
畿内か海と美濃平野を抑えるのが絶対条件 織田信長、ナポレオン、カエサルなどなど
ここの人らから学べる事は、あんま目立ちすぎだとロクな死に方しませんよ、という事 >>697
台湾から鄭成功に駆逐された
オランダなのに
無理ありすぎ >>718
応仁の乱で一時期西軍の山名・大内が優勢で天下人狙えるポジションに居たけどな
山名家は山陰但馬・伯耆・播磨・美作辺りで大内は周防・安芸とか北九州辺りが本拠地やったろ >>718
あと足利尊氏の生まれたのは丹波綾部市やぞ
本拠地が関東にあるけどさ
飛び地で丹波が本拠地だった
後醍醐天皇に寝返って京都六波羅を攻めた時は
丹波から出陣してる
京都に近いから丹波・但馬辺りは天下を狙うのに有利な場所だと思うがな 朝倉はチャンス逃したよな
まさしく大河ドラマでいまその辺りだな 信長より光秀が今の日本を作った気がする
謀反起こして討ってなければ織田幕府誕生で
どうなってたやら >>720
そう言えば台湾で仕事してた時
鄭成功の話になって親父が台湾人で母親が日本人だとか言ってたな
鄭成功って名前は日本人でも知ってるけど母親が日本人とか知らんと思うって言ったら驚いてた
台湾では英雄らしい
明に最後まで尽くした人やって認識あるけど
逆に秀吉の朝鮮征伐で日本と明が戦ってたのに
どんな経緯で明の武将の家に日本人が嫁に行ったんだろうな >>724
切れ者過ぎたから
豊臣は有能な人材重用しないから没落した
カリスマ性あった秀吉死後の豊臣家は烏合の衆 >>630
美作津山だな。
商店街にJALみたいな鶴のマークがあって、なんでだろうなと思ってた。
大人になってからそれが森家の家紋だと知った。
そういや城は鶴山公園だし。 中国地方の大内は貿易で力をつけて従2位だからね
凄まじい 基本キチガイだからだな。
あの時代に坊主なで斬りなんて狂人しかできない。 黒田官兵衛ってチーム秀吉軍の
中で凄い嫌われてたらしいね
これでもか これでもかって知力の高さを見せつける癖があったとか 織田軍が職業軍人だけだったという従来説に対して疑問だという説も
当時の人口を考えれば「半農半士」なしで数万の動員は不可能という意見 >>736
秀吉の書状を破った話とかな
黒田は野心家で名誉欲の固まる
家康も見抜いてた >>738
竹中半兵衛にも注意されてたらしいね
貴殿は自分の才能を見せつける癖が
あるから 控えめにって でも、後半はさすがにヤバいと感じて息子に家督譲ってたな。 >>739
今孔明が竹中ならば、黒田は周瑜だろうな >>740
信長死ぬの悲報の知らせが秀吉に
届いて 秀吉が泣き崩れてるときに
官兵衛がニヤニヤしながら殿泣いてる場合じゃないですぞ
運が回って来ましたねって
殿が天下を取りなさいって
どんだけ腹黒いんだよ
ここから秀吉が官兵衛を危険視したとか >>741
ホウ統だろう
賢いけど
えぐいことばかりする 昔の「水呑百姓」は、兼業農家を意味するし、そもそも「百姓」は、中国でも韓国でも百ある姓名の人々と言う意味で、国民・民衆一般を意味していた。
江戸時代の能無しが誤訳してから、百姓=農民になってしまったと言われている。
運送業者も金融業者も、みんな「水呑百姓」が始めたことになっている。
「水呑百姓」は、租庸調の租の土地を与えられる農民以外の民衆のことなので、「貧しくて貧しくて水を呑むしか手段はない農民」と意味ではない。
だから、租庸を都とか荘園などに配送する仕事は、「水呑百姓」が担っていたわけで、それらはみんな兼業農家みたいなものだ。
だから、軍畑に徴用されるのも当然のことだった。 >>489
司馬遼太郎はフィクションを史実のように表現できる天才
ただ、司馬遼太郎の作り話を史実と信じ込んでしまう信者がアホなだけで 羽柴、明智、柴田、丹羽、滝川、荒木あたりの織田軍団長クラスが軒並み没落してるのに対して、前田や池田あたりの無難なだけのあたりは大大名として家を残してるよな
ある程度の規模になったあとは、有能より無難なイエスマンが重宝されるのは会社と同じやな >>748
跡継ぎが優秀じゃないと
存続は無理だね >>738
その辺のイメージって江戸時代に入ってからついたものだぞ
こういう通説が現代まで罷り通ってきたのも軍記物や講談の創作のせいだけどその影響力の大きさに改めて驚くわ
関ヶ原の時も家康と三成が中央で争ってる内に九州制圧して第三勢力となりあわよくば天下をみたいなもの嘘だし
実際如水は家康のためにずっと動いてて戦後家康からよく働いてくれたと感状も貰ってるのに >>745
フロイスによると
秀吉も光秀も信長より欲張りで残忍やらとか書かれてた >>739
小早川隆景にも似たようなこと言われてたような 黒田官兵衛は、謀反を疑われ息子を信長に殺されかけてる
信長が死んでざまあと思っても、悲しむ理由はない >>750
長政の親だからな。加増は微々たるもんだったはず >>752
即断するから後悔も多い
私は才が無いから熟慮し決断する。だから後悔は少ない
ってやつだな >>754
?
黒田は中津18万石→名島52万石に加増されてるじゃん
家督はとっくに長政に譲ってるし如水は加増されてないしその必要もない >>756
匿う手配したのは竹中半兵衛、秀吉は冷たかったらしい
それからは、黒田官兵衛は秀吉に含むところがあったようだ
その息子の黒田長政にいたっては、豊臣が何だ!と徳川家康に与し、トランプと安倍さん
みたいな関係を築いた >>758
御家のためひいては当主長政のためにもなるからそうだろうな
自分の野心のためだとでも?一次史料から見るとあり得ないけどな >>760
野心がある、なんて誰も他人に報告しないだろ。
家康の黒田をみる目も秀吉が黒田をみる目もだいたい変わらないって事だ
もっと重宝されても良かった武将だからな >>382
領土は持って帰れないからな
秀吉死んで帰った、これが全てだろ 運でしょ?
武田信玄や上杉謙信が元気だったら踏みつぶされてるんじゃね? >>757
加増はされてるが、外様が入封されたのはどこも難しい領地ばかりなんだよな
黒田氏の52万石も石高自体は大きいが、既得権益を主張する
博多商人の存在や道路の整備が進んでなかったりと問題だらけだった 明にまで侵攻してれば、また違っていたのかもしれんが
当時の朝鮮なんて今のアフリカ以下の土人国で
財宝なんてなかったはず >>764
その武田や上杉が元気な時は織田には興味なし
この2人が信長に興味を持ったのって死が近づいてからなんだよ >>767
ていうか当時でも莫大な利益を上げていた、フィリピンを目指すべきだった >>748
荒木は謀反だし、その他は全国決勝で大将クラス。決勝進出しちゃうと勝者しか残れない。敗者はやられる
その他大勢にいてその都度勝ちそうな奴につくのが吉。天下を狙わない割拠主義の長所がそれw
勿論〇×クイズで生き残るのは基本だけど。間違えると、北条や毛利のように罰ゲームはある >>761
仮に野心があったとしても行動が全てだよ
当時の信頼できる史料にそういう記述があるならまだしもそんなものは存在しないし、曖昧なイメージで語るよりはどう行動したかで判断されるべき
一次史料で見る限り如水は終始家康のために動いてるのは事実
毛利・吉川の調略、中川秀成の調略、加藤清正・松井康之と連携して九州の西軍勢力に対抗する
これらは結果として御家のため家康のためになってるだろ 駄文。最初に結論ぶっこんでそっから魅力ある話でとりこまないと
こんな文章誰が読むんだよ馬鹿野郎
プロの仕事なのかレベルが低すぎ >>768
上杉謙信は信玄と違って急死だから、やっぱり運でしょ? >>767
メシを食べるのにほぼ現地調達で現地の住民に恨まれない方法は数少ない 織田って戦うごとに勢力を増強していったんだよね。
戦が続けば金はなくなれば、兵士も死ぬわで弱くなったりするんだが
織田軍団の場合はどんどん増強されていった。
朝倉なども根絶やしにはしないで取り込んだ。皆殺しは本願寺勢力の一部くらいか。 >>767
当初は李朝に反感を抱いていた地元民が歓迎するような空気もあったという
秀吉が若ければ、自分で乗り込んでそういう連中を利用してたろうな 斉藤氏も相当でかい大名だったが結果、取り込んだみたいなもんだしな。
そういう意味では、もともと信長直属の強大な軍隊があったわけではい。 >>773
謙信は元気なうちから何度も京都へ行ってるんだよ
その謙信が信長のことを知らないはずはない。
要するに無関心
まあ、謙信が関東ばかり攻めてたのは、本拠地の越後が雪国で
冬の間の口減らし、というのもあったけど >>775
意味がわからん。勢力を拡大した大名はみんなそうだろ それにしても前文つまらない記事書くなあ。こんなん歴史好きなら
誰でも知ってるような話なのに。こんなんで金取ってるとかどんだけ能力が低い何者なんだろう。
中学受験専門塾、、、、、なんだこりゃ
幻冬舎って最近とんでも記事のせるのは知ってたが筆ぴつするやつをどういう基準で選んでんだろう。
やばいな >>765
入封時点でインフラ整備されてなかったってのはそうだろうな
ただ博多に関しては九州征伐の時に秀吉の御座所として秀吉が整備させてるし、文禄・慶長の役の時に朝鮮から帰国する武将は博多に着く手筈になってたから全くの手付かずで荒廃してたって程ではなかったんだろうな >>775
まあ、日本の合戦の特徴
日本の合戦は、勝敗が決すると勝者側も適当に追い散らして勝ち名乗りをあげて終了
負けた側は一族の偉いのだけが死んでそれ以下は大体生き残ってた
戦国時代の合戦の大半の死亡率は両軍合わせても5〜15%ぐらい
山本勘助が死んだ川中島の合戦でも死亡率は20%行かなかったはず
だから足軽からすると、合戦で死ぬのはまあ運が悪かったぐらいにしか思ってない
この辺が徹底的にやる欧州との違い >>782
博多商人とのやり取りはかなり骨が折れたらしいぞ
関ケ原の合戦以降の家康は武将に文官としての能力をかなり要求してる >>737
程度の問題でしょ
銭で雇った兵士が戦しかやらなかったってこともないだろうし
暇なときには農業をやっていたとしても不思議じゃない
農民を徴用して戦う、という従来の常識を覆して戦が主体の軍隊を作り上げたのが
信長が強かった秘密
農繁期には戦が出来なかった守護大名と違って天候さえ許せば何時でも戦が出来る
戦国大名の違いだね >>751
そりゃあ非モテ不細工が
権力もつと残忍でしょうよ >>771
家康の為に働いても報いて貰えなかったんだよ
秀吉同様に警戒されてる >>783
地域の有力な国人衆をどれだけ傘下に収められるかが守護大名の能力だから
上が無能ならば下が見限って別の有力な大名に味方するのは普通
守護大名の親族、有力家臣+国人衆で「○○郡」が成立している
国人衆には不利になった守護大名と命運を共にするという発想はないよ >>751
フロイスはキリスト教に好意的かどうかが人物評に大きく影響するからどうだろ 凶悪犯罪者に本書かせて商売しようとした奴がやってる会社だったっけね この間大河ドラマ見たら明智光秀主役で10月なのにまだ織田信長の家来になってなかったんだけどw
麒麟だっけ、あれいつまでやるんだろう。どんだけ駆け足でも無理だよね。 >>789
やってるところを客観的に挙げると、秀吉の方が残忍なのは間違いない >>789
日本人は頭が良く清潔で優秀で最高だが、欠点が1つある。それは神を信じない事だ >>759
黒田官兵衛の働きは徳川に大きく貢献した 信長は岐阜を拠点にしたのが成功だったな
愛知にいたらそううまくいかなかっただろう
信長は岐阜の武将 >>792
室町末期の三好、織田、足利をきちんと説明しようと思ったら尺が足りなくなるでしょうね
学校の歴史できちんと教えないのも無理だからw
兄弟親族が敵味方に分かれて戦うし、急に味方になったり敵になったりで訳が分からない 東郷元帥が李舜臣を深く尊敬してたのは事実だし
明治の海軍大学の教科書にも李舜臣の活躍が詳細に記述されてる
そこが自惚れ過ぎの戦国や昭和の日本人との大きな違い >>724
時代小説とかだと竹中自身が
「俺は信長あかんねん」と言ったらしい
羽柴が「そこを何とか!」って頼み込むと
「ほな、あんさんとこに入りまひょ」と羽柴の配下になる
だから信長は竹中に対して指揮権がない >>317
比叡山焼き討ちはちょうど一年前に警告してるぞ >>787
如水自身が加増されてないから警戒されてるとは如水の当時の状況からは読み取れないけどね
家督はもう長政に譲ってるし御家として加増してもらうだけで十分な褒賞になってる
あと秀吉から警戒されてたってのも通説の内の一つなだけで確定事項ではないからな
これに関しては一次史料が存在しないから断言はできないが、個人的には別に警戒はされておらず、単に石田増田長束らの奉行衆が台頭してきて、秀吉も彼らを重用するようなったからと考えてる >>785
信長はむしろ雨の日の奇襲攻撃を得意としてるぞ
桶狭間、朝倉・浅井を滅亡させた時の戦いだって暴風雨の日に朝倉家の砦を奇襲
朝倉家が撤退すると先読みしてさらに本隊に自分の馬周りだけで夜襲
そのまま朝倉家は滅亡 >>803
まあそれも通説の内の一つだしそれでもいいんじゃね
ただ黒田家研究の第一人者中野等なんかは秀吉が官兵衛を警戒してたなんて説唱えてないけどな
機会があったら黒田家文書とか家康や秀吉発給文書なんかの一次史料を見ることをオススメするよ 信長は部下に力与え過ぎたのが快進撃でもあり死んだ理由でもあるからなあ
普通君主と部下は10:1ぐらいにしとかないといけないのに2:1ですらなかったというからな >>751
フロイスは公平とか思ってるようだが、
実際、自分の本国や組織での評価も考えて、あれ書いてるので、
その分は差し引かないといけない。
簡単に言うと、「うまくいかないのはアイツのせいで、私の力不足じゃありません」
的な部分とかも含まれてる。
私的な日記ではなく、公開して金儲け前提で書かれたやつだからな。 信長は部下を信じすぎ
そして裏切られると、おのれ!と逆上して残忍な仕返しするけど
おめーが悪いだろと思える (-_-;)y-~
今朝の配達、母親宅付近を通ったら、玄関ドアが開いていた。
誰かが猫に餌でもやってたんやろう。 >>809
そりゃそうだ。手厚く保護された側だからな 身内に甘いいうが遠山の叔母にはひどいおね?(´・ω・`) >>799
織田家の与力で、秀吉に付けたんじゃなかったけか?
前田が柴田に付いたのと一緒では? 世間は暴力は逝けない戦争絶対反対だの言うけど
ケッコウ殺し合いの話が好きなんだよ >>813
そりゃ自分の息子を敵国に送って
城を落とした敵の武将と婚姻したら許されるなんて事はない >>815
何だってそうだろ、想像力が無い奴らはその時点で明らかな他人事には無責任、自分の身に降りかかる場合だけ必死に騒ぐ >>815
殺し合いというより権力闘争の話じゃね?
エグい話はあるにはあるがスルーされること多いし
戦なんて紀元前からある話だし
群雄割拠の戦国時代と
幕府と討幕派で国が二分した幕末の話は
史料の豊富さと曖昧さで想像力も良い具合に掻き立てられる >>814
俺も寄騎だったような気もしたんだが
記憶と知識ががあやふやだったんでな
ID変わってると思うけど本人なw (-_-;)y-~
母父でダート強いのは、サンダーサイレンスとアグネスタキオンやで。
今日の川崎におるのかどうか知らんけど、牝馬なら斤量でも有利やしな。 現在の去勢され尽くされた日本人からみれば、完全に別世界の歴史話だわな。
殺し合いなんか絶対に無理やろ (-_-;)y-~
ぽつぽつおるなぁ。
最終の森泰斗買って寝ようかな。 信長が上司だったら怖いだろうなあと思う
ベンチャーのワンマン社長みたいなもんよね >>771
やっぱり黒田家のためじゃないかな。
日本を分けての大戦がまさか1日で決着つくとはさすがに如水も想定してなかった。
長引くと判断してその間に主力部隊が抜けた九州を席巻して家康にある程度対抗できる勢力を作り上げる。
強敵になる加藤清正が残ってるのが問題になるけど。
親しいおじさんみたいに、子飼いの頃から旧知の清正を説き伏せるぐらいはできたでしょうし。
多分自軍に取り込む気だったかな。
関ヶ原に兵を送れ!いや、できん!とかやってる島津を潰せば九州統一は容易い。
対家康の保険は長政で、豊臣家裏切り工作に対して何も諌めなかったっぽいし。
まぁ仮に九州を統一できたとして。
九州が領地の大名が多い西軍が勝ったら血眼で攻め込んで来るだろうし、東軍が勝っても攻めてくる。
でも東軍ならしばらく休戦の講和ができるかもしれない。
ワンチャン狙ってたのは間違いないねと。 >>823
いざとなればすぐ戻るよ。75年前のお爺ちゃん世代はもっと過酷な戦場で、貧相な武器で勇敢で強かったw
あの無謀な戦争に送り込まれる方がよほど恐ろしい。近代兵器戦争から比べたら、この時代の戦さなんか
致死率からしてもかなり牧歌的w たまたま三好政権が内部分裂していたことが大きい。運が良かった >>825
平社員には優しいらしいよ
幹部クラスには厳しいけど
キミは出世出来そう? >>829
女中がさぼってたらきられるし
森とか気が合うやつはなにやっても許される
身内はヘマやっても許されるベンチャー企業か >>829
そんなことは無い。
ちょっとサボった女中は打ち首、築城工事中通りかかった婦人に無礼を働いた人足は即手討ち。
苛烈極まりない。 >>831
さぼる事前提かよ
だと出世は出来そうにないな >>800
岐阜はただの通過点。
安土が到達点かというと、そうには思えない。
貿易に有利な開けた海沿いの都市を築くから、大阪、福岡あたりが到達点かな? >>826
如水は家康から九州切り取り勝手の許可を事前に貰ってるんだよ
一日で決着つくと思ってなかったってのは如水に限らず誰もが想像していなかったのはその通りだけど、如水は家康の意向に沿って動いてる
一次史料によって如水の動きを見るとあわよくば家康に対抗しようなんて事が妄想だって事がよく分かる
(慶長5年)1600年8月25日付井伊直政書状 黒田甲斐守長政宛
自如水公此中貴様へ参候御状共数通被下候、拜見仕候、内府披見ニ入可申候、今度於御国本ニ、別而御精ニ被入、殊御人数数多御抱被成、内府次㐧、何方へ成共御行候ハん由候、此節ニ御座候間、何分ニも被入御精、又御手ニ可入所ハ、なにほとも御手ニ被入候へと可被仰遣候、何事も面上ニ可申上候、恐惶謹言、
(如水公より貴方(長政)に託された数通の書状拝見した。内府のご命令次第でどこなりとも調略するとのことだが、(如水に対して)この時節特に精を入れられ、又手に入る所はどこなりと手に入れられるようにと内府は仰せになった。何事も面会してお話しましょう。)
八月廿五日直政(花押)
黒甲州様
人々御中 >>826
さっきのは一部訳が抜けてた
こっちが正しい訳ね
あと補足すると井伊直政は当時黒田との取次役をやってたから直政から黒田へ家康の意向を伝えてる
如水公より貴方(長政)に託された数通の書状拝見した。内府もこれらの書状を全て見られた。
この度国元(中津)において如水は特に精を入れられ、殊に兵を多く徴兵され、内府のご命令次第でどこなりとも調略するとのことだが、
この時節特に精を入れられ、又手に入る所はどこなりと手に入れられるようにと内府は仰せになった。
何事も面会してお話しましょう。 >>832
ルイスフロイスが信長に謁見した時の家臣について
信長を大変畏れていて、一言の基に忠実に従った。
余程のお気に入りでないと、ちょいミスが文字通り命とりだからな。
大変だよ。 本能寺の変時に信長付きは当然で信忠付の有能な付き人衆まで全滅してしまったからな。あれがなかったら秀吉のお家のっとりは不可能だっただろう。 >>748
織田家筆頭クラスが没落して、中堅クラスが生き残ったて感じ 佐久間信盛なんて筆頭家老級だったのに処分されたからな。
何が本願寺の対応が悪いだよ、任命したのは信長だし、それなりの指示もあっただろうに。
でも過去に謀反に加わった柴田には寛容なんだよな。
あと林なんとかって重臣も処分された。 武田信玄が徳川家康に勝つ。徳川家康が弱い。
【合戦解説】三方ヶ原の戦い 武田軍vs徳川軍
?ついに戦国最強騎馬軍団が上洛をめざし動き出す
織田居城の岐阜攻略を目指す武田軍に相手にされない家康は…
? Battle of Mikatagahara
https://www.youtube.com/watch?v=bYCVpJtlyeo
上杉謙信が織田信長軍に勝つ。織田軍が弱い。
【合戦解説】手取川の戦い 織田 vs 上杉
?上杉謙信から攻められた能登畠山氏の援軍要請に応え、
柴田勝家を総大将とする織田北陸軍が救援に向かうが…?
https://www.youtube.com/watch?v=9_MZxTf29Zk キリスト教の布教と引き換えに武器弾薬を手に入れてた信長。あのまま行ったら南米やフィリピンと同じことになっていた
明智は正しい事をやった、もっと研究が深まって評価されるべき人物。 その後、秀吉も家康もキリスト教を禁教にしたことが
何よりの証拠だ。
>>792
本能寺前に終わったら笑う
ひょっとして、主人公が謀反起こすの描きたくないんじゃないか 信長の死によって朝鮮出兵が何年も遅れることになる。
信長が健在だったら朝鮮戦争もどうなったことやら。 >>725
信長秀吉路線継続してたら封建制度はこの時に終わってた
信長が生存してたら…或いは天皇制も終わってたかもね
秀吉が中途半端に起こした朝鮮出兵ももっと大規模に、大東亜戦争並にやらかしてた可能性 >>840
光秀の謀反は佐久間信盛父子の追放で明日は我が身と不安にかられたのが原因だという説もあるよね >>844
信長が四百年も生き続けることはあり得ない >>833
秀吉の大阪城築城は信長の構想を引き継いだだけよ
恐らくはその後の事も >>827
日本人は一度スイッチが入ったらすぐやね
一度戦時モードに突入したら今でも平気で戦闘民族と化すわ 岐阜民 信長は岐阜の武将
滋賀作 信長は滋賀 安土城が本拠地
トンキン(生粋の江戸っ子ではない) 家康は東京
カントン 松平親戚筋や徳川四天王や譜代は関東
静岡 家康は静岡(義元とか絶対に口にしたくない)
石川民 前田利家は金沢
ハンキン 太閤はんは大阪
京都土人 太閤は京都
熊本民 清正公は熊本
神奈川民 頼朝は鎌倉
その他 池田家 広島浅野(浅野より毛利人気) 高知山内(こっちは幕末人気)
愛知出身武将をパクられる >>842
宣教師なんて最初から日本占領するつもりできてるよ。ただその宣教師が本国に
「この国は国民全員武装して戦争してる、占領は困難で旨味は少ない」
と報告してるだから本格的な侵攻はなかっただけ >>840
>佐久間信盛なんて筆頭家老級だったのに処分されたからな。
>何が本願寺の対応が悪いだよ、任命したのは信長だし、それなりの指示もあっただろうに。
>でも過去に謀反に加わった柴田には寛容なんだよな。
>あと林なんとかって重臣も処分された。
信長がいつまでも恨みを忘れない性格だったのは確かだろうね、ただ柴田は実績もあったから干されなかっただけ。 >>851
幕末まで尾張・三河閥だったのが、
明治で薩摩・長州閥に入れ替わった格好 >>853
佐久間は水野信元を讒言して滅ぼし、その所領を奪った
水野の旧臣や新規召し抱えをせず、佐久間が私腹を肥やしてしまった事が改易の原因
水野信元を直接手にかけた石川数正やその主君の徳川信康も後に徳川家から粛清されている >>647
何らかの罰を与えたのは事実だが
殺しては無いらしい 柴田が許された理由に関しては信行(信勝)が再び反乱企ててますって言ったのが柴田じゃなかったか? >>857
そんな事言い出したら林通勝やっけ?は確かに稲生の戦いで信勝側に付いたけど
兵は出してない。兵を出したのは柴田勝家と林通勝の弟でこの時に信長に成敗されて殺されてる
林通勝は信長の指示で名古屋城の城主だったから実はそこまで不満は無かったから兵を出してないけど
信長の折檻状で佐久間信盛と一緒に織田家から追放
秀吉の時代に御伽衆として拾ってもらってるけどな
佐久間信盛は秀吉に拾われなかったのはまぁ〜何か秀吉から恨みを買ってたんだろうけどさw 信長の凄いのはあの粘り強さだろう
信長包囲網を何度もくぐり抜け、そのためなら武田や朝倉に頭を下げるのもいとわない。 信長の軍勢は比較的兵農分離が進んでいたから、他の勢力より有利に戦うことができた。 初代尾張国行政府は中島郡に有り。
勝幡城、正式居城地、尾張国中島郡平和村六輪城之内 >>858
佐久間信盛は本能寺の変の一年前に亡くなっているよ
息子の佐久間信栄と小者の二人だけに看取られるという寂しい死に様だったとか
ちなみに、信栄は後に復権するのだが件の小者を武士として取り立てて恩に報いている 佐久間信盛が、もっとシャキッとしていれば、これも歴史は変わっただろうな。 >>858
林秀貞は追放後すぐに死んだと言われているが、いったい誰と勘違いしているんだ? >>857
二回目の謀反も誘われたが断ったんだよな
まぁ、信長直属の小姓を斬っても許されたんだから、信長は初めから勝家を買ってたんだろう 佐久間親子はカネだけ貯める信長みたいな人間からしてみれば図々しい俗物に見えたんだろうな
後塵の光秀や秀吉を見て普代の愚かさに嘆いたろうな 佐久間信盛っておとなしく追放処分に応じたんだよね。
当時の気風って江戸時代よりも荒かったから大殿の命令だからって
大人しく従うとも思えないんで違和感を感じたことがある。
信盛に戦をする気がなくても子飼いの家来たちの一部は黙っちゃいないだろと。
信盛の直臣たちを書きとめた記憶があるけどよく分からなかった。 織田家がデカクなると信長陣野の猜疑心も強くなっていったのはまぁ分かる
だが、松永とかくせ者は大好きだよな信長は
姉川だったかでも敵将の猛者を生け捕りにして、余に使えよ、と何回も誘ったが固辞される
縄を解いた瞬間に近くに居た足軽を何人も斬り殺し暴れたもんだがら、その場で多勢の織田兵に殺される
信長をはそれを知り一言
「足軽なぞはどうともなるゆえ、どうしても配下にしたかった・・・」
と、残念そうな顔をしたとな
まぁ、毒にも薬にもならない人間を信長は嫌いなんだろう おっとこのスレ、急に盛り上がりを見せたね。
一昨日だか来たときはとんだ過疎スレだったのにwww
ま、いいたいことはあらかた言ったんで、以下はメモメモ
>>851 くんが面白いこと言ってて
「オラがクニの偉人」っていうのはなかなか面白いよなw
まあ人間ってのは足があって移動するもんだから
(まあ大名クラスだとそんな徒歩じゃ歩かないだろうけどw)
それはいろんなところを本拠にして動き回るよな。
だからその意味じゃなかなか「ウチのところだけの偉人」っていないよねwww
そういうわけで「出身地」って大きいんだろうなあ。
活動地をメインにするとさ、大都市ばっかじゃない、みんないるのwww
あと>>854 くんのカキコも面白くて尾張三河閥が薩摩長州閥にかわられたって
確かに近世日本、近代日本は出自はその通りなんだけど、
実はさ大名も華族も、制度的に江戸東京にいるんだよねw みんなwww
大名なんか典型でキッズの内は人質として江戸住まいで
大人になったら参勤交代で隔年ごとに江戸と領国の往復生活でしょ?
○○藩当主といっても、あんまり自覚ないよね。
その意味で、たとえば聖帝安倍陛下って面白いよなwww
いちおう長州閥にして山口下関郷土の英雄らしいんだけど
でもその半生、出生から学歴から主な職場(国会議事堂やら首相官邸やら)
ほとんど東京ライフでしょw あれもすごいよなあwww >>851
愛知出身なら、信長、秀吉、家康ともそう。 昨日風呂入りながら思ったんだが柴田権六て信長と歳いくつ違うんだ?ググればいいだけだけど1583ならかなり歳だよな >>869
よく創作のエピソードをさも史実のように語れるな
姉川のその話は信長公記にすら出てこないぞ
まさか漫画出典?w >>873
漫画でも無いよ
そういう話がある
赤フンドシで戦う奴だよ しかし、親戚関係があるからこそ、北条後に家康を入れたんだろ?そこで治政で結果を得た家康はやはりスゴいな >>867
本当の忠臣は追放した佐久間だけだったというオチですよ
残されたのはイエスマンだけ 会津に徳川入れて関東には蒲生、上杉は越後そのままにしとけば、
徳川は大坂まで出てこれなかったのに
秀吉の配置ミス 秀長に先立たれ秀次を粛清した時点で豊臣は詰んでいた
再び戦国時代に逆戻りにならなくてよかったよ >>876
まあ鎌倉時代の前北条氏もそうだし、
その政治的後裔を自称する後北条氏もそうだが
関東の支配者ってのは同時代と比べても格段に内政、
撫民を重視するわけなんですよ。
平安時代のでんねんまんねん言いながら搾取一方の京の貴族や
略奪やら殺戮やらの戦国武将とは一味違うわけ。
まあこれはほのぼの牧歌的に「えらい殿さまだから」で済ませてもいいんだがw
やっぱりそこはね、逆に考えればヤヴァかったと思うんだよw 関東武士団がwww
当時は江戸時代と違って兵農未分離だから関東民がヤヴァいのかしらんけどね。
それはともかく家康公はね、よく撫民に意を払った後北条後の関東を差配したよ。
なんせアフガンやイラクを見てもわかるように旧領支配って難しいからね。
関東は江戸のHQを中心に親藩一族譜代に旗本、天領がほとんどだけど
ほんとにね、実によくやったよな。家康公もさ。チミの言う通りに実によく治めたと思うよ。
そりゃ古代以来の反骨の聖地である関東民もよくなびくはずさ。 でも結局部下に殺されるっていう
DQNの鑑みたいなもん >>881
完全に北条と徳川を引き裂く政策でもあり、あわよくば難癖つけて徳川を取り潰せる状態だからな
徳川は武田領民、北条領民からも気に入られたのは凄いわ >>878
そこでいうと、蒲生を入れるまでもなく、北条を70万石ぐらいで残して、家康を180万石ぐらいにしとけばよかった
家康の為に綺麗さっぱり北条を掃除してあげる必要はなかったよな あれは見せしめだよな
秀吉は国替えで、暗に 次はお前だ
と、家康に言ってるし、諸大名もヒヤヒヤしながら見てたんじゃないか? 三成も茶坊主
太閤秀吉に親身から命を投げうって尽くした武家はいるのか? >>887
清正は怪しいなぁ
三成憎しでも政界は見えて無いのか? 逆に言えば秀吉が武家の人間らしい行動をした時あるか?
金ヶ崎くらいか?
命を賭けた時はあるか? 家臣の領地を植え替えて制御してくのは、織田系大名の政治的特徴だからな。
最大家臣の家康が受け入れたら、他の大名はNOって言えないよな。信長の息子信雄も見せしめにされたしw 豊臣は秀次・秀保を失ってからは
家臣や外様の善意にすがるしかない状況に陥り
徳川は250万石に内大臣という高官位。
自分自身が織田家を簒奪した
経緯があるにも関わらず
あまりに一代限りな政策だったな。 昔は関ヶ原で徳川方についた加藤清正が忠臣とされていて、
豊臣家のために戦った石田三成が人望のない悪者扱いで
違和感を感じたなあ。 何回も言ってるが、
太閤秀吉時代の家康は律儀だったのか?
それとも虎視眈々とうかがってたのか?
面目上、家康を降すのが精一杯だったのか?
小牧長久手も、秀吉は家康に負けた訳では無く、世論に負けたイメージ 隠居させて
秀康とか息子に3つぐらいに分散で日本に領地80万づつやるとか
九州 奥州 関東 信雄 蒲生 丹羽
でかいのに抵抗してないな
普通に減封できそうな 三成の子供は全員匿われて生き残ったらしいな
人徳があったんだな >>893
実態はどうあれ、信長と家康は盟友で対等
秀吉の下につくのなんか面白いはずもないし、家臣団にも面目立たない
虎視淡々と後釜狙ってないはずがない
死んだ瞬間、婚姻しまくりだし >>895
蒲生丹羽は代替わりで若年だからだろ
蒲生秀行12歳
丹羽長重14歳
こんなんで抵抗できるわけないじゃん
信雄は小牧長久手で秀吉の攻勢に耐え切れず単独和平してるから
軍事的に対抗できるわけない >>893
小牧長久手の後、秀吉は普通に武力で家康潰そうとしたけど、天正地震おきたから仕方ないやんw
家康は滅亡の危機を逃れたし、秀吉は震災被害受けたから政治的な手打ちとなった。
双方意外と納得してたと思う。従って家康は臣従すると腹括ってたろうな。秀吉に耄碌の兆候が現れるまでは >>889
信長配下では命がけだよ。
墨俣攻略では、動向の定まらない土豪衆調略とか、ちょっと間違えると殺されるし。
金ヶ崎では非常に危ないシンガリだし。 小田原征伐の頃にはもう唐入りの予定が立ってたから、東国は家康に任せて自分は唐入りに専念するつもりだったんじゃないか 手取川のときに勝手に撤退した秀吉は切腹覚悟だったのか >>893
家康を潰そうと思えば潰せたし、秀吉も本来その予定だったと思うよ
天正大地震直前の秀吉の書状見ても付城を新たに3つ作ったし、家康が人質を出して詫び言を言ってきているが、許すつもりは毛頭ないと言ってるからな
地震で戦どころじゃなくなったから結果的には家康は許されたけど >>881
猫虐待オジサンが偉そうに語るなよw
馬鹿の癖に。
猫虐待オジサンの飼ってる猫は喋るんだとよw
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1601872370/421
お前に一ついいことを教えてやると、猫は喋らんぞ。 >>892
関ケ原は豊臣と徳川の戦いでは無くて(名目上は)豊臣政権の内部闘争だっただろ
だから淀殿と秀頼も中立だったし
俺も昔はそう思っていたから1600年に関ケ原で勝ったのに徳川は何故その年か翌年に
幕府開かずに3年後の1603年になったんだと思っていたが、その間に徳川は朝廷とかに
根回ししていたから時間がかかったんだと、家康は淀殿には「形式上幕府は開くけど
1代限りで後は秀頼殿に譲りますから」とか言い訳していたらしいし >>889
対浅井、対毛利の最前線でずっと命張ってたのでは >>905
どういうこと?
手取川で信長方が負けたからこそここを好機と見て松永久秀が最後の謀反おこしたのじゃないの? 家康の立場からしたら、天正地震で滅亡から救われたわけだから従う方が全然マシ。ひとまず割り切って
力を溜めるってやり方もお手の物。織田家のお家騒動の時も、マイペースで黙々と自領を広げていたw
秀吉からしたら小田原でも働いたし、先祖代々の地から関東に移れも承諾したんだしまあいいか、って感じか >>759
それでも、それを認めた秀吉もすごいぞ。
バレて下手したら半兵衛ともども打ち首。
キモが座らんと出来ん。 一番凄いのはやっぱり信長やろな。地ならしは一番大変な作業やからな
秀吉猿とかタヌキ家康なんぞ、それを歩いただけやんけ 在日・帰化失語症躁鬱不細工基地外池沼厨房韓国・朝鮮チンパン原人でヤフーアメーバニコニコイーストコリ
アニュース速報+記者で創価学会員で日本共産党員で秋山幸二・駒田徳広・工藤公康・佐々木主浩・金本知
憲・新井貴浩・松井秀喜の熱心なファンで麻生太郎の後援者で力道山式プロレスリング豚で金田式プロヤキウ
豚のナマポ受給電通・博報堂舎弟ネオコントロツキズム過激派ヘイトマフィア構成員首都圏の虎が電通・博報
堂からカネを貰ってヤフーニコニコアメーバイーストコリアスポーツエンターテインメントワイドショーのソースで
スレ立てたこのスレッドは孫正義ソフトバンクグループ会長兼社長・藤田晋サイバーエージェント代表取締役会
長・松原眞樹カドカワ取締役社長に認定されますた。首都圏の虎「プロヤキウは世界一のスポーツで、プロレス
リング=レスリングサーカスショーは世界一のエンターテインメントだぜッ!」
http://www.dentsu.co.jp/
http://www.hakuhodo.co.jp/ >>906
今では江戸幕府も年号が違うらしいな、?
しかし、面白いみかただけど、豊臣家の内紛なのに征夷大将軍を受けられるのか? >>88
負けるってことは
その程度の人物なんだろw >>910
その話は泣いたよ。
官兵衛が「お前のために命の恩人(竹中半兵衛)が腹を切るならお前が腹を切れ!」と黒田長政が言われるシーン。
「もう良い」と水に流す信長。
茶番だけど泣いた。 >>908
戦があったのは間違いないけど問題はその規模
手取川は史料が極端に少なく通説で言われてるような織田方が大敗したってのはなかったと見る研究者が今は多い
あと松永は別に手取川の結果を見て謀反したわけではない
上杉含む毛利や本願寺と呼応して背いただけ 海外貿易の最盛期は家康治世になってからだからな
朱印船も日本人町も海外拠点の最盛期は家康治世
秀吉が一番戦争ばっかしてて貿易はおざなりだからな
イメージとは逆 大航海時代で、欧州から新戦術・新兵器・新制度の情報を仕入れて日本で応用したからじゃね? >>913
結果的に全国の大名が徳川方についたから朝廷は従わざるをえないだろ
征夷大将軍は源氏の血筋じゃないと成れないルールがあるらしいが家康は系図をでっち上げて
源氏の末裔と言い張り源家康と名乗ってた時期もあるとか >>917
まあ鎖国しなければ大東亜戦争が江戸期に起こってたかもしれない。ヨーロッパでも結局、貿易上の拠点が
植民地の足がかり、元になっている。日本人町が消えなければ、東南アジアで植民地を持ったかも。
そうなるとインド辺りで、欧州と揉めるw >>919
してはいると思う
けど実際には秀吉が大した戦いにならないことを察して引いただけの可能性が高いんじゃないかな
じゃなかったらさすがに敵前逃亡なんて信長が許さないだろ >>18
子供の頃に見て一番印象に残ってるのは役所広司だな 信長の意志を継いで海外貿易をメインにしたのは家康じゃないかな?
信長の意志を秀吉が継いで唐入りしたのが作り話じゃないの? >>920
松平が源氏の末裔を名乗ったのは家康の祖父の清康の時代からだよ
家康の時代になってから言い出したわけじゃない 清水義範の小説「金鯱の夢」では秀吉と正妻ねねの間に男の子が誕生しその子が
家康を江戸の陣で滅ぼし名古屋幕府を開くってイフ小説だけど面白い
結末が維新の後でそのまま名古屋が首都になるのと結局江戸(東京)が首都になるって
二種類の結末があるのも面白い 桶狭間ができすぎ。寡兵で大軍を破る戦は戦国時代においては珍しくもないけど
総大将の国家元首まで討ち取ってなおかつ後継者がまるでやる気なしはできすぎ >>928
NHKの「歴史秘話ヒストリア」では後継者の今川氏真は決して無能では無く江戸時代まで
生き残ってそれなりに幸せに過ごしたって言ってたな よし、世良田氏は捨てよう
ついでに得川だとなんかいやらしいから、徳川にしよう 残忍さを描くのには妊婦の腹裂き
賢さを描くのには猿をボコる
色々主人公があって、当時の定番なのか? >>920
源氏じゃない征夷大将軍なんていっぱいいるが >>939
おいおい、いくらなんでもマイナー過ぎだろ
アメリカに決まってるよな?>>820 大企業の子会社の社長はたいてい親会社からの出向だけどな 結局は秀吉も最後は徳川ならび諸大名に
豊臣の命運を預けてしまったからね。
戦国期はまだ終わってなかったのよ。
統治体制を盤石化して
安定性のある後継を擁して
はじめて戦国期の終わりを迎えられる。
秀吉はどちらも未完のまま退場してしまった。 >>445
>家内の地盤だってないところにそんな若造が野心丸だしの歴戦の家老に太刀打ちできるかっての
それをやったのが信長だからやっぱり実力あったよね >>49
めちゃくちゃいいなさんな
戦艦も潜水艦も航空機も、基礎技術が足りなくて
技術者込みで譲り受けての劣化コピーがやっとだったろ
太平洋戦争序盤で活躍したのは旧型の近代化改修品だし、
戦争中に開発したものはほとんど配備が間に合ってないし世代が進むような新兵器も作れてない
残念ながら世界一の戦力を保持したことは一度もない
もうちょっと勉強しなさい >>944
そりゃあそうだろ
むしろ二台続けて天下人クラスが生まれる方がおかしいわけで
ぶっちゃけ信雄や信孝が清洲会議の時点で秀吉を制御できるなら間違いなく天下人の器だぞ
あの若さでそんな器があって信長の地盤をがっつり引き継げたら、今ごろ朝鮮満州か台湾フィリピンくらいは日本の領土になってる >>445
信雄は無能だってw 生前は信長にめっちゃ怒られてるし、死後は秀吉に怒られ、家康に引かれてるだろw 清須会議以降急に秀吉が調子こいてきたんだから
勝頼に呼応して織田家や家康も立てばよかったな
西南戦争と同じだな、ここぞという時のタイミングよな 末期の秀吉は認知症じゃなかったのかなと。
そんなのが最高権力握ってんだからえらいこと。 >>949
なんで家康が立たないといかんのかw 信長が強大だったから付いて行ったけど、死んだ今織田家支える
必要ないぞ。桶狭間の時と同じだ。独立する機会をみすみす逃す手はない。まずは様子見だろうw
家康が考えるのは徳川家の安泰と発展のみだ。清洲会議時点で、後の秀吉の脅威はまだ読めないよ >>947
武家の棟梁って意味では鎌倉幕府を開いた源頼朝以降の征夷大将軍は源氏ってことらしいね
なんだかんだで血筋は武士を付き従わせる要素として大きかったんじゃないの
もちろん戦国時代は信長や秀吉や斎藤道三みたいに実力でのし上がった人たちもいるけど本人が死ぬと求心力失ってほぼ一代で終わってしまう >>956
鎌倉幕府の将軍はほとんどが源氏じゃないんだが >>958
だから?
先祖をたどれば藤原に辿り着く武家なんていくらでもあるし
そもそも源平も公家だぞ 松平氏は素性が分からないみたいだが
元々三河小豪族で伊勢氏の家臣になって後盾得て三河で勢力を広げたって感じ
源氏なのか藤原なのか全く違うのか 4代目以降の鎌倉将軍は源頼朝の同母妹坊門姫の子孫なんだよ
女系で源氏の正嫡の血を引いているという理由で将軍になったというわけ >>920
三河の王に臣従するのは、三河の源頼朝以来の伝統だ
三河の王かどうかが大事
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>20
普通と言うけど大将のくせに最前線に出すぎだわ
何度死にかけてることか >>961
関東申次もそうだぞ
なおかつ、関東申次職と三河国の知行国主はセット
三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く奴らが、三河を本拠として、関東と関西を牛耳っていたのが鎌倉期だ
関東申次
吉田経房(三河国知行国主)
坊門信清(源実朝正室の父)
西園寺公経(母は一条全子(坊門姫の娘)、将軍九条頼経外祖父)
近衛家実
九条道家(祖父は九条兼実(三河国知行国主)、将軍九条頼経実父)
近衛兼経(道家の娘婿、道家の補佐役)
一条実経(道家の子、九条頼経の弟、道家の補佐役)
西園寺実氏(公経の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、実氏の孫、先に病死した父・公相に代わる)
西園寺公衡(実兼の子)
西園寺実兼(三河国知行国主、公衡病死に伴い、復職)
西園寺実衡(三河国知行国主、実兼の孫、公衡の子) その三河の藤姓熱田大宮司家の血を、同じく引くのが、足利氏で
鎌倉将軍家が断絶すると、その後釜として、三河守護になり
後世、足利尊氏が鎌倉将軍家の仇を討つ形で北条氏を滅ぼした
コレが本当の歴史だ
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したのさ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) >>920
ないよ。
鎌倉幕府で一番多いのは親王将軍。つぎが源氏3人で、摂家将軍2人。
足利氏が将軍になる前までは、源氏がどうとかぜんぜんなかった。
北条家の姻戚でしかない足利氏が、権威付けに
源氏だとか、八幡太郎だとか、北朝系だとかを必死に利用した結果だね。
源氏長者になるのも足利からだし。 >>948
昔読んだ親父の家督相続の時のイザコザから学んで自分は馬鹿を演じて生涯を送ったって設定の信雄主役の小説を思い出した >>966
物を知らない田舎者か?
逆だ、幕府草創期から、北条には乗り越えられない壁があり、足利を恐れて、北条側から婚姻を求めただ
三河の源頼朝(征夷大将軍)=三河の徳川家康(征夷大将軍)
寛伝(三河の藤姓熱田大宮司家)=明智光秀(進士氏(三河の藤姓熱田大宮司家))
三河の源頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
足利義兼(初代源姓足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(実父は季範長男の範忠)→足利義兼
寛伝(母方従兄弟、三河国滝山寺僧)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 源義家の軍隊は、三河を中心とした東海地方出身が本体だったわけだが
その軍隊の子孫は、源頼朝、足利尊氏、徳川家康に使え、天下を取らせた
そして現代社会においては、トヨタに天下を取らせたわけだな
北条みたいなカスはお呼びじゃなんだよ
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 日本史スレが立つと系図荒らしと親韓左派荒らしが暴れて盛り下がるいつものパターンか >>932
何の出典だか忘れたが1570年過ぎになると氏真って親父の仇である信長とは蹴鞠友達になって仲良かったんだよね。
面白いよなw >>924
天下をとったぞ
天下は畿内のことだからな >>906
秀頼様に返上せずに、息子の秀忠に将軍職譲る家康のタヌキぶり >>924
当時の公家の認識では畿内が天下
九州だの東北だのは化外の地扱い
畿内と東海・北陸の大部分を制覇した信長は、
京都の公家から見れば天下人 >>724
講談の中じゃとんでもない智謀の士だけど実際に残ってる史料で働きっぷりを評価しようとすると秀吉と信長の間で連絡係してただけだから誠実さ以外の点で評価のしようがない >>975
関東の後北条氏と東北の伊達氏と九州の島津氏は誼を通じて従うことを表明していた
残りの敵は山陰山陽の毛利氏と四国の長曽我部氏と越後の上杉氏だけだった
上杉氏はじり貧状態、長曽我部氏は四国征伐に慌てふためいた記録があるから
どういうわけか頑強に抵抗している毛利氏さえ倒せば、信長は名実共に天下人だった
ちなみに、どうして毛利氏は頑強に抵抗していたかというと惠瓊和尚の予言を信じていたからだともいわれている
惠瓊和尚は毛利氏宛の手紙に信長についてこう記している
「拙僧の見立てでは信長は数年のうちに高転びに転げて非業の死を遂げるでしょうな」と >家康は淀殿には「形式上幕府は開くけど1代限りで後は秀頼殿に譲りますから」とか言い訳
これは騙された淀君がアホ
今なら格安で修理しますと言ってくる水道工事屋に料金ぼったくられるおばちゃんなみ 九州〜東北まで一代で武力を持ってきっちり収めたのは日本史上秀吉ぐらいかな 無敵の鉄甲船を朝鮮出兵時で使わなかったのか?使ってたら李舜臣に負けなかった?
朝鮮で火縄銃は使わなかったのか?
信長に征夷大将軍の認可は実際に届いたのか否か?
信長の上皇計画は、あったのか?
何故、信長のクビは見つからないのか? 毛利と戦った後は、九鬼って鉄船で色々試さなかったのかな?
毛利と戦ってから、朝鮮攻めまで時間なかった? >>981
そんなもんだったのかよ・・・改良されても良いもんなのに
朝鮮で火縄銃は足りなかったのか? 内燃機関ができるまで、装甲船は使い物にならんだろ
浮かぶ水上要塞でしかない 守護て16世紀だとただの貴族の跡取りな感じなんでは >>982
お金かかるやん。
やっぱり予算の配分上、優先順位はそこじゃないって話になっていったと推察するわ。 元寇の時の元軍の船よりはマシだったんじゃないのか? >>886
真田信繁『せやな』
後藤又兵衛『せやな』
木村重成『それな』
毛利勝永『せやろか?』 信長公は戦略の天才。
戦国時代に、誰よりも世界を見渡していた
鉄砲に目をつけ、南蛮貿易を活発にした
経済にも強く、軍事力増強はダントツだった 元寇の時の元軍の船、最近はしっかりした作りだった説も出てる
まあしっかりしてても中世の船に台風はきついだろう >>979
それは過大評価
信長の業績の方がすごい >>994
南宋船も沈んでるってかむしろそっちの方が沈んでる >>991
鉄砲に目を付けたのは信長よりも九州の大名の方が先だ
だが、九州の大名は天下はとれなかった
鉄砲はお前が思うほど超兵器のではなかった >>996
鉄砲があっても火薬の原料が日本に無かっただろ
だから九州の大名は征服地で日本人を拉致して教会を仲介して奴隷貿易してた
信長がやったのは経済を回して大量に火薬を確保できた このスレッドは1000を超えました。
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