聖徳太子の一族、焼き打ちされた痕跡 法隆寺の資料倉庫で80年ぶり発見…643年蘇我入鹿が焼き払い、山背大兄王ら一族は自害 ★2 [ばーど★]
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
奈良県斑鳩町で、聖徳太子が造営した斑鳩宮いかるがのみやの壁土の破片が約80年ぶりに見つかった。
戦前に発掘されたが、その後所在不明になっていた。破片には、643年に焼き打ちされた際についたとみられる痕跡があり、研究者は「古代史の大事件を裏付ける貴重な資料」としている。
斑鳩宮は601年から聖徳太子が造営し、暮らした宮殿。聖徳太子の死後の643年、子の山背大兄王やましろのおおえのおうと皇位継承を巡って対立した蘇我入鹿が焼き払い、山背大兄王ら一族は自害したとされる。
町教委によると、法隆寺の「昭和の大改修」に伴い、1939年に東院伽藍がらんにある伝法堂で発掘調査が行われ、斑鳩宮とみられる柱跡が出土。国が48年にまとめた発掘報告書には、「炭や焼けた壁土片多量を発見」と書かれていたが、戦中の混乱もあって壁土の所在がわからなくなっていた。
来年が聖徳太子没後1400年目にあたることから、町教委が報告書に書かれた壁土の所在を捜したところ、今年7月、法隆寺の資料倉庫で「伝法堂出土壁土」と書かれた木箱(縦67センチ、横30センチ、深さ15センチ)が見つかった。中には壁土約30片が入っており、最も大きなものは縦30センチ、横16センチ、厚さ10センチ。表面が焼かれて赤褐色などに変色していることから、町教委は焼失した斑鳩宮の壁土の可能性が高いと判断した。
壁土は、17日から斑鳩文化財センターで開く特別展「聖徳太子の足跡―斑鳩宮と斑鳩寺」で初公開される。
清水昭博・帝塚山大教授(歴史考古学)の話「日本の宮殿建築の部材として最古のものと考えられ、実物が確認された意義は大きい。今後の調査で壁や建物の構造などの解明が期待される」
2020年10月14日 11時48分 読売新聞オンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/19053288/
★1が立った時間 2020/10/14(水) 12:50:15.66
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602647415/ 竹内睦泰こと、むちゃむちゃむっちゃんの反応が知りたかったな 孔雀王に聖徳太子一族の呪いで出てたな。
夢見石だったか。
まだまともだった頃の孔雀王。
今や作者も死んでしまったが。 またジャップが捏造してんのか
歴史は後から作るもの こいつが日本に仏教を持ち込まなければ、坊主に法外な金をとられずにすんだ 中大兄皇子側が勝ったから蘇我側がボロクソ言われてるが、蘇我入鹿は実際は良い奴だったりして まあそりゃ聡明なようだったけど新しいもの好きで
いわゆる金づかい荒くて太子のまま亡くなられて利権の回収もできなかったし
不払いも多かったのでここの一族はあちこちからかなりうらまれてたからね
そりゃ焼き討ちもされるし援軍送ろうというのも無かった 聖徳太子と蘇我氏は仏教推進派の仲間じゃなかったん? 前スレ
>>759
神武天皇は複数の王の逸話を集合して一人の手柄にでっち上げた
邪馬壹国他、他国の連合の系譜を
記紀編纂時に天皇の血縁に取り込んで連続王朝、連続王国をでっち上げたんだよ
古代中国(外国)にバレないように >>16
そういうのは子供の頃だけでお互いに好き勝手に暴走するから
かなり仲悪かったよ いっつも倉庫の奥から大事なもの見つかってるけどちゃんと倉庫整理しとけよw >>20
詳しくないからわからんけど、婚姻関係にはあるんだな
>>22
へー。なるほど 平城京って、李明博の家系が女性を強姦させ、産ませた子供しか定住していなかった領域だぞ
聖徳太子の真逆が正しい記述や 聖徳太子がホモで超能力あったから焼き討ちされたんだろ 時代が下って藤原四兄弟が菅原道真の怨霊に祟り殺された
悪いことはできないもの >>23
聖徳太子は坊主どもが作った超人伝説だが、厩戸皇子がモデル。
当時聖徳太子はいなかった。聖に徳の美名で坊主らが語り継いだ。 中臣鎌足=藤原氏が悪いことは全て蘇我氏に押し付けて、蘇我氏の功績は聖徳太子の貢献と書き換えたんだろ たった80年の間でこんなになるんだから1000年も昔のことがホントにあったか怪しいもんだぜ。 >>12
違うよ
蘇我の直系を天皇にしようとしたから邪魔者を消しただけ
まあその蘇我も藤原に滅ぼされたけど >>31
違うよ。超能力は関係ない。
刀自古郎女と蝦夷の近親姦で出来た子を聖徳太子がそれと知りながら我が子として育て、蝦夷の嫡男である入鹿が後にその事実を知ってしまい山背を屠る流れに。 山岸凉子の馬屋古女王(うまやこのひめみこ)、蘇我氏滅亡前夜の話だが
馬屋古がめっちゃ怖いんだよな 李明博の孫がタイムマシンを中国から略奪し、700年へタイムスリップ 700年以前の歴史は無い
つまり、歴史泥棒(竹内文書)を固定する為だけに建築されたエリア
聖書に歴史泥棒を悪魔とかサタンと記述している
聖書 :ヨハネの黙示録:20章:2節
彼は、悪魔でありサタンである。龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、 飛鳥時代の皇族は異母妹を妃にしたり、近親婚の多さに戦慄する 聖徳太子を、この一族が滅ぶ結末に向けて描けるのが凄いよね山岸凉子は 大嘘つきの藤原氏がクーデターを正当化するために蘇我氏を大悪党に仕立てあげた
蘇我氏の功績は否定できないから、聖徳太子と言う謎の人物を作る事でソイツの功績にした
藤原氏は百済系の渡来人で、後に百済救援のために朝鮮に出兵して大惨敗 >>6
聖徳太子も、その有能さゆえに妬まれて、非業の死を遂げた学説があるよね。
で、その非業の死を哀れんで、死後に「聖徳太子」の名前が送られたとか >>39
そこは気付かぬフリをしつつデタラメをあたかも史実のように語るんだよ!! 藤原氏にとって蘇我氏は邪魔な存在だから、聖人厩戸皇子一族を根絶やしにしたと蘇我氏のイメージ操作を行った。
藤原鎌足と中大兄皇子は天皇(蘇我)を葬った逆賊が真実かもな。 日本最古の寺 四天王寺はもともとは蘇我氏と対立していた
物部氏の本拠の一つだった
滅ぼした後寺を建てたのは仏教 聖徳太子の勝利宣言
今も物部を祀る場所が北側にあるが怨念鎮めと思われる 実際の朝鮮人達の民族歴史の誤魔化し
大体朝鮮人達が好き勝手に日本民族歴史を朝鮮都合に誤魔化しても
既に日本民族歴史の事実はわかってるわけで
日本へ三度渡来してるのは弥生人は全てヘブライ人の南ユダ王国と北イスラエル王国のヘブライ人
神武天皇はヒゼキア王の息子インヌマエル王子のヘブライ人
応神天皇や天武天皇などは北イスラエル部族のヘブライ人
百済や新羅は倭人のヘブライ人
高句麗は中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人の漢人
全くシベリアエベンキオロチョン族の朝鮮人とは全く関係ない
朝鮮人達のまともな生活になったのは
日本統治の19世紀からだろ
文字文化が全く無く
オロチョン語だった朝鮮人達に福沢諭吉や天皇家から神代文字の阿比留文字のハングルを勧められ公用語に
苗字が無いので朝鮮人達に苗字を名乗らせ
ヘブライ人の血の繋がりの全く無い王族や貴族の苗字の金や李や朴を名乗乱立
日本の国家予算で近代化しまともな国に
李氏朝鮮時代まで土人生活さながらの朝鮮を救ったのが日本
日本は土人朝鮮人のオロチョン族を助ける必要は無かった
実際馬鹿チョン達の歴史のほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
元寇にシベリアから追われ朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
これが朝鮮人達の民族歴史の誤魔化し >>48
死後持ち上げた名前をつけるのって
魂が悪霊になって復讐しに来ないように説あるんじゃなかった? まあ実際真実はこれだから
日本の民族歴史
日本民族は遊牧民アイヌ民族
旧モンゴロイドのY染色体のD2遺伝子
言語はヘブライ語
4〜5万年前にトルコ北部から日本列島に住み着く
7300年前に桜島のカルデラ噴火の影響でアイヌ民族が日本を離れる
2700年前に沖縄に南ユダ王国のユダ族達のヘブライ人の弥生人が船で渡来しインヌマエル王子の神武天皇やイザヤが渡来
ひらがなやカタカナのヘブライ文字が伝来
ヘブライ人の倭人の神武天皇が大和王権を建国し
イワレピコ初代ヘブライ人のスメラノミコトの天皇に
2000年前に中国秦が崩壊して漢人のヘブライ人達が日本へ渡来
1600年前に中国東北部の高句麗が崩壊し中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人の漢人達の応神天皇達が日本へ逃げてくる
ヘブライ語のセム語の漢字が伝来
中国の民族歴史
中国人はシベリアの狩猟民族の満州エベンキ民族
新モンゴロイドのY染色体のC2遺伝子のツングース系民族
言語はエベンキ語
中国の12世紀以前の歴史は全てヘブライ人やウイグル人の歴史
シベリアの元寇に追われ元の時代から現在の中国シベリア満州民族の時代に
朝鮮の民族歴史
朝鮮人はシベリア黒竜江省の狩猟民族エベンキオロチョン族
新モンゴロイドのY染色体のC2遺伝子のツングース系民族
言語オロチョン語
朝鮮の12世紀以前は全てヘブライ人の倭人の国の歴史
10世紀の白頭山の火山噴火の影響で白頭山周辺の朝鮮半島は空白地帯に
12世紀シベリアの元寇に追われて朝鮮半島に住み着く
その後
武臣政権で元寇に降伏属国に
元寇が朝鮮半島を去り高麗建国後すぐに李氏朝鮮時代に
そして日本統治へ
真実の民族歴史 日本民族ルーツの歴史事実
馬鹿チョン→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキオロチョン族
言葉→エベンキ語
中国人→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキ
言葉→エベンキ語
日本人→旧モンゴロイド系トルコ北部の遊牧民アイヌ
言葉→ヘブライ語
ひらがなやカタカナのヘブライ語
ヘブライ語のセム語の漢字
縄文人アイヌ=弥生人南ユダ王国のユダ部族と北イスラエル王国の部族
キリスト十二支族ヘブライ人
紀元前711年に南ユダ王国の生まれたヒゼキア王の息子インヌマエル王子の神武天皇がイザヤと共に海ルートで船で沖縄へ渡来
紀元前660年51歳で近畿に大和王権を建国
イワレピコ初代ヘブライ人の天皇スメラノミコトのインヌマエル王子の神武天皇
ダビデの血筋こそ正当な天皇の血筋
北イスラエル王国の部族は国が崩壊後メソポタミアへ逃れた北イスラエル王国の部族達が中国東北部に移り住み
秦の建国し崩壊後北イスラエル王国の部族達が日本へ渡来
そして高句麗が崩壊後北イスラエル王国の部族達の応神天皇達が馬鹿チョン半島を経て日本へ渡来
三度のヘブライ人達の渡来があるが
秦や高句麗からの北イスラエル王国の部族達の応神天皇達は
南ユダ王国のダビデの血筋の部族でない為正当な天皇家の血筋ではない 日本天皇家血筋
神武天皇インヌマエル王子
南ユダ王国のヒゼキア王の息子
南ユダ王国ユダ族
ニギハヤヒ
南ユダ王国ユダ族
応神天皇
北イスラエル部族
天武天皇
北イスラエル部族
天智天皇
北イスラエル部族
桓武天皇
北イスラエル部族
百済の武寧王
南ユダ族の倭人のヘブライ人
聖徳太子
北イスラエル部族
卑弥呼
南ユダ王国ユダ族ルーツの倭人
南朝
南ユダ王国ユダ族ルーツ
北朝
北イスラエル王国10支族ルーツ
平家
南ユダ王国ユダ族ルーツ
源氏
北イスラエル王国10支族ルーツ
日本
沖縄や西日本
南ユダ王国ユダ族ルーツの倭人
東日本や北海道
旧来の縄文人アイヌの地
百済
南ユダ王国ユダ族ルーツのヘブライ人の倭人
新羅
南ユダ王国ユダ族ルーツのヘブライ人の倭人
高句麗
北イスラエル王国の10支族の部族
ルーツのヘブライ人
全て南ユダ王国ユダ族と北イスラエル王国の10氏族の部族のヘブライ人達の血筋
馬鹿チョンエベンキオロチョン族ルーツとは何の関係もない >>43
作者は映画エイリアンを見て馬屋古女王のキャラを思いついたってさ
発想がやっぱ只者じゃないw 馬鹿チョン達の歴史のほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
元寇にシベリアから追われ朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
現在の本来の馬鹿チョン達のまともな歴史は李氏朝鮮時代の
1392年〜1910年
わずか500年ほどしかない
馬鹿チョン達の歴史って
歴史事実じゃなく
単なる英雄列伝物語だから
実際19世紀日本統治でエベンキオロチョン語からハングルを勧められた馬鹿チョン達
何故かハングルを発明したハングル大王かなんか知らんが
世宗大王は病弱で体が弱かったそうな
何故そんなことがわかる
嘘と物語りの虚栄
わからなければ古朝鮮史として誤魔化す
アホの極み ソガノーwwwソガノー野球しに行こうぜwwwソガノ居るかーーーwwww?
とか言いまくった結果がこれ 中大兄側が勝ったあと母親を天ちゃんに据えて
大変なぜいたくと軍備拡張と大陸敗戦と建築好きで重税をかけた
ひどい悪政に怨嗟が上がり、さすがに母親が死んだとき
遺言として「労役は今後ひかえるよう」に反省させ、自分は素知らぬ顔した
これをみると国の財務をにぎっていた蘇我大臣をぶっころして民衆が疲れ果てて
破産するまで、すきなように浪費したかっただけじゃねーの
結果としては >>13
太子が亡くなった時には都の民の嘆く声が往来にまで溢れたと伝わってる
また太子の死を悼んで詠まれた歌がいくつか残されている >>60
馬屋古はエイリアンだったのかw怖いはずやw
ただ本能のみに生くる者、だっけ?
本能のままに男食い散らかして一族ごと焼かれてしまった >>21
系図では聖徳太子は用明天皇の子
蘇我入鹿は蘇我稲目の子となっている 天皇紀、国記は逆賊蘇我のせいで燃えてしまったが
帝紀、旧辞はどこかに残ってんだろ
聖徳太子近辺が怪しいからさっさと捜索しろ >>45
王を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ 我が畳斎め
言をこそ 畳とは言はめ 我が妻は斎め >>45
当時は母が違えば父が同じでも近親婚扱いにはならなかったんだっけ? >>65
後世の文献では天智天皇の評判は良くなかったとか。
また、天智天皇の陵墓が無いんだっけか? 何時もの朝鮮人達の民族歴史の誤魔化し
大体朝鮮人達が好き勝手に日本民族歴史を朝鮮都合に誤魔化しても
既に日本民族歴史の事実はわかってるわけで
日本へ三度渡来してるのは弥生人は全てヘブライ人の南ユダ王国と北イスラエル王国のヘブライ人
神武天皇はヒゼキア王の息子インヌマエル王子のヘブライ人
応神天皇や天武天皇などは北イスラエル部族のヘブライ人
百済や新羅は倭人のヘブライ人
高句麗は中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人の漢人
全くシベリアエベンキオロチョン族の朝鮮人とは全く関係ない
朝鮮人達のまともな生活になったのは
日本統治の19世紀からだろ
文字文化が全く無く
オロチョン語だった朝鮮人達に福沢諭吉や天皇家から神代文字の阿比留文字のハングルを勧められ公用語に
苗字が無いので朝鮮人達に苗字を名乗らせ
ヘブライ人の血の繋がりの全く無い王族や貴族の苗字の金や李や朴を名乗乱立
日本の国家予算で近代化しまともな国に
李氏朝鮮時代まで土人生活さながらの朝鮮を救ったのが日本
日本は土人朝鮮人のオロチョン族を助ける必要は無かった
実際馬鹿チョン達の歴史のほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
元寇にシベリアから追われ朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
これが朝鮮人達の民族歴史の誤魔化し 本来の実際真実はこれだから
日本の民族歴史
日本民族は遊牧民アイヌ民族
旧モンゴロイドのY染色体のD2遺伝子
言語はヘブライ語
4〜5万年前にトルコ北部から日本列島に住み着く
7300年前に桜島のカルデラ噴火の影響でアイヌ民族が日本を離れる
2700年前に沖縄に南ユダ王国のユダ族達のヘブライ人の弥生人が船で渡来しインヌマエル王子の神武天皇やイザヤが渡来
ひらがなやカタカナのヘブライ文字が伝来
ヘブライ人の倭人の神武天皇が大和王権を建国し
イワレピコ初代ヘブライ人のスメラノミコトの天皇に
2000年前に中国秦が崩壊して漢人のヘブライ人達が日本へ渡来
1600年前に中国東北部の高句麗が崩壊し中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人の漢人達の応神天皇達が日本へ逃げてくる
ヘブライ語のセム語の漢字が伝来
中国の民族歴史
中国人はシベリアの狩猟民族の満州エベンキ民族
新モンゴロイドのY染色体のC2遺伝子のツングース系民族
言語はエベンキ語
中国の12世紀以前の歴史は全てヘブライ人やウイグル人の歴史
シベリアの元寇に追われ元の時代から現在の中国シベリア満州民族の時代に
朝鮮の民族歴史
朝鮮人はシベリア黒竜江省の狩猟民族エベンキオロチョン族
新モンゴロイドのY染色体のC2遺伝子のツングース系民族
言語オロチョン語
朝鮮の12世紀以前は全てヘブライ人の倭人の国の歴史
10世紀の白頭山の火山噴火の影響で白頭山周辺の朝鮮半島は空白地帯に
12世紀シベリアの元寇に追われて朝鮮半島に住み着く
その後
武臣政権で元寇に降伏属国に
元寇が朝鮮半島を去り高麗建国後すぐに李氏朝鮮時代に
そして日本統治へ
真実の民族歴史 >>43
馬屋古女王のヌードがめちゃエロかったことしか覚えてない。 蘇我が悪役で厩戸皇子が聖徳大使として格上げされたのも藤原不比等の陰謀だけどな。 聖徳太子の子山背大兄王は斑鳩寺で焼き討ちにあったと日本書紀にはあるけど
その書いてある通りに斑鳩寺には一度焼失して再建された跡がある 実際の馬鹿チョン達の歴史のほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
元寇にシベリアから追われ朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
現在の本来の馬鹿チョン達のまともな歴史は李氏朝鮮時代の
1392年〜1910年
わずか500年ほどしかない
馬鹿チョン達の歴史って
歴史事実じゃなく
単なる英雄列伝物語だから
実際19世紀日本統治でエベンキオロチョン語からハングルを勧められた馬鹿チョン達
何故かハングルを発明したハングル大王かなんか知らんが
世宗大王は病弱で体が弱かったそうな
何故そんなことがわかる
嘘と物語りの虚栄
わからなければ古朝鮮史として誤魔化す
アホの極み 本来の日本民族ルーツの歴史事実
馬鹿チョン→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキオロチョン族
言葉→エベンキ語
中国人→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキ
言葉→エベンキ語
日本人→旧モンゴロイド系トルコ北部の遊牧民アイヌ
言葉→ヘブライ語
ひらがなやカタカナのヘブライ語
ヘブライ語のセム語の漢字
縄文人アイヌ=弥生人南ユダ王国のユダ部族と北イスラエル王国の部族
キリスト十二支族ヘブライ人
紀元前711年に南ユダ王国の生まれたヒゼキア王の息子インヌマエル王子の神武天皇がイザヤと共に海ルートで船で沖縄へ渡来
紀元前660年51歳で近畿に大和王権を建国
イワレピコ初代ヘブライ人の天皇スメラノミコトのインヌマエル王子の神武天皇
ダビデの血筋こそ正当な天皇の血筋
北イスラエル王国の部族は国が崩壊後メソポタミアへ逃れた北イスラエル王国の部族達が中国東北部に移り住み
秦の建国し崩壊後北イスラエル王国の部族達が日本へ渡来
そして高句麗が崩壊後北イスラエル王国の部族達の応神天皇達が馬鹿チョン半島を経て日本へ渡来
三度のヘブライ人達の渡来があるが
秦や高句麗からの北イスラエル王国の部族達の応神天皇達は
南ユダ王国のダビデの血筋の部族でない為正当な天皇家の血筋ではない 本来の日本天皇家血筋
神武天皇インヌマエル王子
南ユダ王国のヒゼキア王の息子
南ユダ王国ユダ族
ニギハヤヒ
南ユダ王国ユダ族
応神天皇
北イスラエル部族
天武天皇
北イスラエル部族
天智天皇
北イスラエル部族
桓武天皇
北イスラエル部族
百済の武寧王
南ユダ族の倭人のヘブライ人
聖徳太子
北イスラエル部族
卑弥呼
南ユダ王国ユダ族ルーツの倭人
南朝
南ユダ王国ユダ族ルーツ
北朝
北イスラエル王国10支族ルーツ
平家
南ユダ王国ユダ族ルーツ
源氏
北イスラエル王国10支族ルーツ
日本
沖縄や西日本
南ユダ王国ユダ族ルーツの倭人
東日本や北海道
旧来の縄文人アイヌの地
百済
南ユダ王国ユダ族ルーツのヘブライ人の倭人
新羅
南ユダ王国ユダ族ルーツのヘブライ人の倭人
高句麗
北イスラエル王国の10支族の部族
ルーツのヘブライ人
全て南ユダ王国ユダ族と北イスラエル王国の10氏族の部族のヘブライ人達の血筋
馬鹿チョンエベンキオロチョン族ルーツとは何の関係もない >>39
山岸凉子で語るなら法隆寺が焼き討ちされたのは
聖徳太子の娘がサイコパスサイキッカーだったから
聖徳太子の霊に殺されたんでない? 梅原猛の「聖徳太子」を読んで
斑鳩法隆寺とか飛鳥を盛んに訪問したもんだ >>46
徒然草第六段の吉田兼好とか、そもそも当時の日本人にとっての上宮王家の悲劇って、イギリス人にとってのシェークスピア悲劇みたいなモンだぞ? 聖徳太子の一族というか焼き討ちした方もされた方も親類で身内の争いだろう 聖徳太子ってYes!キリストじゃなかったの!?
♪ジーザクラーイ!スーパスター! >>91
系図では蘇我馬子は蘇我稲目の子
聖徳太子は用明天皇の子 この辺にくるともうどうでもいい
未だに引きずってるとか鹿並みにアホ
奈良の小綱町なんて地域の子供を入鹿シンパにしようとしてるしな
呆れる >>94
知ってる 法起寺中宮寺四天王寺法隆寺広隆寺とうじの寺という寺をぜんぶ立てたスーパー寺社大工の棟梁 プルル…プルルル
蘇我入鹿「はい、もしもし」
聖徳太子「いるかーー?」
入鹿「え…?ど、どちらさまでしょうか…?」
聖徳太子「よーし、いるか!今いくわ!」
入鹿「え、え!?」
ピンポーン、ガチャ
聖徳太子「ここやで、トントン(金印押すとこを指で叩きながら)」
聖徳太子 は 神 源平藤橘のうち、源氏も平氏も橘氏も元皇族
蘇我氏も元皇族
藤原氏は違う。渡来人だから
乙巳の変は単なる渡来人によるクーデター
大化の改新は中身は何もなく大失敗。諸制度は蘇我氏が作った物の引き継ぎ
中大兄皇子は民意を得られずなかなか即位できず、手を打つたびに不評が広がる
挙げ句に朝鮮出兵して大失敗
無能な藤原氏 乙巳の変の絵巻で中大兄皇子に首を撥ねられているんだっけか?
入鹿さん。 >>92
おいらは『隠された十字架』だったな
それから見た、救世観音の気味の悪いこと悪いこと
でもなぜか魅かれ、特別公開時には必ず行くという >>105
>中大兄皇子は民意を得られずなかなか即位できず、手を打つたびに不評が広がる
>挙げ句に朝鮮出兵して大失敗
そうそう、これ!
民衆からも不評、不人気だったと言うしね。 >>100
よく知ってるな
大工が集まって太子を祀って坊主がお経を上げる太子講というのがある 聖徳太子一族は大和民族の日本人
蘇我氏一族は渡来人の朝鮮人
この時代から日本人はやられっぱなしかよ
ちなこの時代の朝鮮人と今の朝鮮人は別物
今いるのはエベンキで侵略民族 聖徳太子も蘇我氏も仏教派
中臣鎌足は儒教派
誰と誰が対立するか分かるだろ 白村江の戦いで大敗して逃げ帰った豊璋に
正体を隠すために天智天皇が藤原鎌足の名を与えて帰化させたのが
日本の不幸の始まりだわな >>101
キリスト教を布教してるときに架空の人物として作られたとかなんとかいう話も聞いたことあるけど、やっぱり実在の人物だったの?
俺の子供の頃には教科書に聖徳太子の名前が載ってたけど、今の教科書には出てこないとか聞いたけど。 そういえば、中臣氏は鹿島出身なんだっけか?
中臣鎌足もそうなんだっけかな?
鹿島には鎌足神社とかあったようだし。 佳子様も軍勢を率いて、菅を焼き討ちしたりするのだろうか 漫画の天智と天武前半良かったが後半あかんかったな
今度は安彦良和に聖徳太子〜壬申の乱まで書いてもらうか 法隆寺の地面を掘ると、なぜか朽ち果てた10式戦車の部品が >>109
ちなみに田原総一朗と四宮って20世紀からあんなことやってた、…って知ってる? w
オレはリアルタイムで見てたから知ってるw >>117
聖徳太子が広めたのはむしろ仏教だな
実在は家系図があったり日本や隋の記録にも出てくるから実際にいた
今は教科書には馬小屋で生まれたから当時ついた厩戸皇子という名前で載ってるらしい 聖徳太子=蘇我入鹿は確定的だよな
どう考えても藤原が朝鮮人チックだし >>128
系図に書いてあるところによれば
それぞれ父親と母親が違うよ >>1
> 聖徳太子の一族
あれ?
聖徳太子は実在の人物じゃないってことで教科書から抹消されたんじゃなかったっけ? >>124
俺もリアルタイムで見てた
これとチキのお前朝鮮人と
2001年くらいの宮崎が田原に2ちゃんねるは知ってますか?
と2ちゃんねるの名前初出は記憶にある >>132
やっぱり居たらしいという事で復活したらしいよ >>111
救世観音は魅力的だけど「隠された十字架」は
○○としか考えられない連発で、いまいち根拠が希薄で、
結構トンデモ本の類な気がする・・・ >来年が聖徳太子没後1400年にあたることから
再来年だろ!とツッコんではいけないんだな、建前上 >>127
菅総理は栄が飲めないので長江流域の江南出地方出身水稲弥生人
たぶん先祖を辿ると鵜飼いの師匠とかいそう雰囲気ある >>119
渡来系の全てが朝鮮系ではない気がする
和人コロニー?半島植民地?から帰ってきた和人もいたんだろ? もう火消し出来ない時代だと言うのに集団ストーカーするとか凄いな 藤原氏なんて
その後に梅毒で死にまくってるやんけ
如何にあっちの奴らとパコってるか分かる
権力の食い込み方も乗っ取り方も朝鮮人のそれ
そもそもが天皇自体があっち系だしな
普通に蘇我氏の方が高貴だったんだろう
まったく悲しい事件だった 家紋が藤だと藤原の子孫なんか?そしたらヤバイくらいいるな >>139
秦氏なんて中国系を名乗っているよな。
たぶん戦乱を避けて国を出て朝鮮半島経由で日本に来たんだろう。 >>66
こんなのが色々話し残ってて
聖徳太子は架空とか言われてるのと差が凄くあるな >>120
歌えるけど、ちゃうw
それが連想されることと、出してくる速さを尊敬するわ >>116
藤原鎌足は日本人です
その部分だけを歴史作家で韓国嫌いの関氏のトンデモ説を主張するのは見っともないのでやめたら
在日コリアンさんw >>140
>>もう火消し出来ない時代だと言うのに集団ストーカーするとか
スゲーなてっきり歴史の話だと思ってたけど当時ってそこまで現代を先取りしてたんだ! w ★ 瞬殺される在日韓国人の無茶苦茶解説w
600 名無しさん@1周年2019/05/01(水) 00:42:51.62ID:tE8rei4P0
下野守 栃木県
秦大魚(746年〈天平18年〉9月) 従五位下 〔続日本紀〕
百済王俊哲(再任:791年〈延暦10年〉9月22日〜795年〈延暦14年〉8月7日卒去) 正五位上、後に従四位上、陸奥鎮守将軍〔続日本紀〕
百済王教俊(809年〈大同4年〉1月16日) 従五位下 〔日本後紀〕
甲斐国 山梨県
田辺史広足(天平3年12月21日補任(以下補任日、『続日本紀』)渡来系
馬史比奈麻呂(天平13年12月10日、『続日本紀』)朝鮮系
山口忌沙弥麻呂(天平宝字5年10月1日)朝鮮系
坂上大忌苅田麻呂(天平宝字8年10月20日)朝鮮系
5世紀はヤマト王権による中央集権化に伴い東国の軍事的征服が行われている時期で、この頃には朝鮮半島から乗馬風習が伝来している。 ★ 在日韓国人の無茶苦茶を瞬殺する日本人の解説★
609名無しさん@1周年 2019/05/01(水) 05:47:44.39ID:6XSsaE4p0
>>1
桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫 についてだけど、
皇統が125代続く中で、百済系がたったの1人で高野新笠が
武寧王から200年後の人物で、限りなく血は薄いよ
>>600
この出鱈目ぶりは日本人じゃない気がする
やっぱり在日コリアンなのかな
まず、高校生でも知っている坂上氏は後漢霊帝の末裔で
坂上氏自体が朝鮮族ではないよ
坂上大忌苅田麻呂も、後漢霊帝の孫の阿智王にもかかわらず
姓が低いと不満を申して宿禰をもらったことで有名
この>>600は日本史の知識ゼロなのが丸わかりなんだけど
なにかの文字起こしして嘘を付け足している感じかな
在日の人ってみんなこんな感じの捏造するのんだったら
怖いね
日本の渡来系氏族の中では後漢霊帝の後裔たちが優秀で
活躍してる
それを在日の人がすべて朝鮮系と勝手にしてるだけかもしれない
だから注意だね
みんな徴用工になっちゃう感じだよね
田辺史広足は「姓氏録」では崇神帝の後裔、だけど「諸蕃雑記」で
百済系とされてて、その背景は天皇がその出自を憐れんで豊城入彦の
後裔に入れたのね
ただし当時の朝鮮系の諸蕃の蕃族は出自を偽ることが多かったけど、
この一族は東大寺建立にあたり一千貫を寄付しているまともな一族
百済王俊哲は、蝦夷との北上川の大会戦で、夏草が茂って戦えない、
馬の餌がないと臆して戦わずで、桓武天皇の逆鱗に触れたバカ者
強い蝦夷の伊治 呰麻呂と戦うのが嫌で、周辺の神社の格上をして神仏
の力だけで勝とうとしたバカ者
この生母が高野新笠なんだけど、百済渡来は歌と舞の才能がある者が
少々のみ
もちろん、舒明帝の時に義慈王は豊璋を日本の人質として義慈王は
唐に拉致され、豊璋は帰国し663年に唐新羅と戦って敗走し、そして
百済滅亡させた
最初から日本に依存してばかりで、最後には日本を泥沼に引きずり
込んだから、もう最低の民族
本当に百済は、日本の疫病神の働きでよく貢献してくれていたよ
山口忌沙弥麻呂も、また>>600の大嘘
事実は坂上氏と同じ後漢霊帝の後裔で 中国系の漢人系で遠い親戚
ただ、本拠は奈良と大阪の県境の大和川の荷物積み替え地の付近
だから、山口氏の2つしかない2系統目で、大和の大豪族の武内宿禰
の末裔かもしれない
いずれにしても山口忌沙弥麻呂が朝鮮系というのは大嘘です 聖徳太子は系譜も残ってる皇子やがな
なんでいなかったことにされたり入鹿にしてんだよw >>137
そうなんか
再来年は千利休生誕500年でもある
あわせて大河やればよいのに
聖徳太子も20年ぶりに作り直しもええね >>146
中国情報部が太子に日没する処の天子と言われた仕返しを企んでるんだろ このスレのところどころで朝鮮学校では可笑しい在日妄想を教えるのかと
ちょっと心配になりましたのでふれておきますね
藤原氏のことを百済の王子というトンデモさんがいますが
ほとんど日本人のフリをしてる在日コリアンさんの願望妄想のようですね
藤原氏は皇室の日向時代からの五伴緒神族です
実体は忌部や阿部などの宮廷関係の祭祀や御食などの担当氏族の
後発組ですが見事に簒奪に成功しました
蘇我が河内や葛城でおとなしくしていて急に推古天皇にまで物言いを
するくらいに肥大化したのと似ています
蘇我は河内の石川出身出身で葛城と奈良の曽我川流域の2カ所に本拠
在地豪族の平群なども孝元天皇の孫の武内宿禰の後裔氏族
継体天皇は応神天皇5世孫
(南九州出身の皇室の血を引く手白香皇后の一族ともともと姻族にあたる若狭や北陸一帯に進出していた海人)
全て縄文や水稲系弥生との融合した列島の最古株の在地豪族たちです
当時は葛城氏や巨勢氏など縄文倭系の古豪族ごとの私有民であった半島難民にもオンドルつきの住居を提供してあげていました
おもてなしでしたよ >>142
藤原氏に限らずだけども
本物の末裔もいれば、明治時代に庶民も名字を名乗ることを義務付けられた時に
軽いノリで末裔もどきになった人もいるとか
家紋は下り藤・上り藤どちらも形が綺麗だと思う >>9
こういう似非日本人の知恵遅れは隊外ネトウヨ。 >>144
藤原不比等のねつ造ぽいけとな。
厩戸皇子(聖徳太子)は蘇我氏で、根絶やしにする必要はない。
蘇我を滅ぼした藤原鎌足の子の不比等が歴史を改竄。
蘇我を悪者にするために厩戸皇子の子供、山背大兄皇子一族を滅ぼしたことにした疑惑が濃厚。
法隆寺は燃えたかもしれんが別の理由だろな。
藤原不比等は日本史を大幅に改竄している。 不比等のゴリ押しで皇女でなくても皇后になれるようになってしまったんだっけ? 藤原は蘇我天皇家を滅ぼした逆賊。
だから蘇我を徹底的に悪に仕立てる必要があった。
厩戸皇子を目立たせ、殺したのは蘇我一族にしてイメージダウンを図った。 今の聖徳太子像は、蘇我氏を滅ぼした天智天武系がその功績を認めたくないが為に作り出した虚像だろ?
実際は蘇我氏の言いなりの操り人形だったんだろうな。 ざっくりいうと
物部氏の後継というかその衰退に乗じて後出で権力把握に成功したのが藤原・中臣氏
蘇我氏は日本的な神道をやめて新たな祭祀体制導入で仏教の波の乗ろうとしたけど皇極女王にも負けちゃって
その皇極女王や天武天皇は日本の最大の神秘地帯の山中海神の吉野首の雲南系の呪術などを頼りにしたから
そこには蘇我も藤原も手出しできずにどこまでも表の政事を牛耳ろうと頑張った
でも蘇我は少し氏族の野望が強すぎて本貫の葛城を捨てざるハメにもなり日本の神々を怒らすと2巡目には氏族崩壊と
いう憂き目にあう典型的な例となった >>167
光明子 オレは個人的に「タキオン」と呼んでいる >>166
奇遇ですね。私の実家も上り藤
子供の頃、墓石に掘られた家紋を見て「お花が綺麗」と思ったけれども
最近の墓石にはあまり掘られていないのかなと思うくらい見かけなくなったかも >>142
藤原氏の子孫は
近衛家、九条家、二条家、鷹司家、一条家 の5家で、
藤原姓を名乗っている一族はいない >>177
つーことは家は藤原氏の子孫じゃないって事だなw >>172
中大兄皇子・・・父親いる
蘇我入鹿・・・父親いる
当時の名のある人間はすべて父親がいるのに
藤原鎌足の父親だけが存在しない。
と言うか、藤原鎌足の先祖がいない。
突然歴史に現れた。
だから、渡来人という説が強い。 >>171
不比等の時代は絶対権力だし、庶民とか関係ないよ。
古事記、日本書紀行も公開したもんじゃない。 >>178
多分、庭に藤棚があったから、藤を家紋に入れただけの一族 >>167
光明皇后が立后したのは不比等没後の話
古代史きっての怪物・不比等が生存していたら仮に同じことをしても、
もう少し穏やかで敵を作らないようにしていたのでは?という話は見かける
例)藤原京から平城京へ遷都した時、真っ先に藤原氏ゆかりの興福寺を移したのに
当時の天皇一家に縁が深い薬師寺はその数年後に移された など うちは梅鉢
つまり菅原道真系列の家紋だ
おのれ藤原 >>178
>>177さんの書いた藤原氏は北家の中でも本家筋で
北家の分家筋以外にも南家・式家・京家の末裔もいるから
夥しいほどいると思われます >>186
まさに、藤原鎌足を表しているみたいだな
本人も自覚があったから、中臣鎌足から藤原鎌足に改名したんだろ
ちなみに藤原鎌足の天皇家乗っ取り計画は、自分の息子4人が天然痘で死んだので、
計画未遂に終わった。 >>177
それら五摂家以外にも藤原氏の貴族はたくさんある
まあ藤原を名乗っていないのは確かだけど >>187
ご先祖様が藤原氏という、ある人が天満宮に合格祈願に行ったら落ちたという
与太話を思い出したw 海人(能)
藤原鎌足の娘が唐の第3代皇帝・高宗の后になったという伝説 >>142 >>177 の馬鹿やり取りに、真顔で応じているオマエラwww >>114
聖徳太子と蘇我氏は共に天皇に近く
互いに血縁・姻戚関係のある豪族 >>184
中大兄皇子の母親は、
30代後半で舒明天皇と再婚して超高齢出産で中大兄皇子を産んでる
めちゃくちゃ怪しいと思わないか? >>194
藤原宮子にまつわる髪長姫伝説を思い出した >>197
当時を見ていないから、しらんがな(´・ω・`) 藤原氏は自分達を守るために専属の兵隊をつくる、それが武士の源氏
初代は源義光(新羅三郎義光)
甲斐源氏の宗家である新羅三郎義光(源義光)の原点は朝鮮半島の新羅
後に日本の武家である平氏を失脚・滅亡させ、日本乗っ取りに成功 学研マンガで聖徳太子読んだ事あるが
馬子は太子の言いなり
逆らえないから
でも太子が死んだら馬子はやりたい放題やろうとしたら馬子も死んだ
んで蝦夷と入鹿がやりたい放題だったが
中大兄皇子に刺殺されて終わったと >>200
百済ならまだしも、当時の新羅って、日本で言ったら青森みたいな田舎で、
とても国と呼べるレベルではなかっただろ・・・ これが本来の法隆寺だっけ?
発掘中で近寄れない状態だったやつ >>135
> やっぱり居たらしいという事で復活したらしいよ
なんでコロコロ変わるねん( ゚Д゚)? >>132
教科書のあの似顔絵が、正しいと言う確証が取れなくなってお札から消えた。
いたらしいけど、あの似顔絵、本物 ? って言われている。 滅ぼされても誰も悲しんでいなさそうだし、
現代に至るまで全く祀られた形跡もなく、墓すらわからん山背大兄王
上宮王家の政治スタンスは蘇我氏寄りだし、已む無く滅ぼしたんだろうなというあたり、
相当クズいやつだったんだろうな >>207
と言うより、当時の百済が日本の植民地で、
日本人がそこで、奴隷の朝鮮人に鉄鉱石を掘らせていたからな
韓国で、当時の日本が占領していたと言う記念碑が出てきて、
韓国ではずっと日本軍が捏造して作ったフェイクだと思われていた記念碑の年代鑑定してみたら
1500年前のものと判って、韓国人が発狂しているからな 聖徳太子なぞ存在しない
あれは厩戸皇子伝説から分かるように妄想の産物だ なんだよ80年ぶりって
倉庫の中身くらい把握しとけよ 蘇我氏の功績を聖徳太子に乗っけた説は少しはあるかもだけど、超人説まで盛る必要ないよね
それなりにイケメンで知性的で人気者だったんじゃないの? 日出処の天子は不朽の名作だが、各歴史上人物のイメージ付けされてしまった
続編に出てくる入鹿は作品一の好漢 >>215
想像しかできない人物くらいがお札には適任やわ >>217
確かに明確な子孫がいない方がいいかもな 教科書は、長く源頼朝の画とされてきたのが足利直義(尊氏の弟)の画、足利尊氏の画とされてきたのが高師直の画とかいい加減だった。
聖徳太子の画は謎で、お札に使われた画の服装は飛鳥時代ではなく奈良時代の服装。
よって聖徳太子の肖像画とは言えなくなった。 ワイが高校の頃聖徳太子はいないってことになったって聞いたけど最近はどうなんだろ。 >>216
ていうか11巻すげえ薄いのな。
打ち切りだよ打ち切り。たぶん不敬で。
山背があのカタチで出てきた途端に終わった感がある。
わりと最初の頃から伏線として仕込んでいた「蝦夷の(たくさんの子供が惨殺されてる光景の)悪夢」もまったく回収されないままバタバタと店じまい。
今上陛下にはもちろん上皇陛下にも昭和天皇にも敬意を抱いている俺だが、それはそれとして山岸涼子の(不敬とも言える)あの作品のファンだった。
切り口も当時としてはたいへん斬新で佳境に差し掛かっていただけに急遽打ち切りは残念でならなかった。 >>208
>>220
それってお札の肖像画が聖徳太子本人のものか確証がとれないだけで
聖徳太子そのものが実在しなかった根拠にはならないよね?
なのになんで教科書は聖徳太子の存在そのものを抹消したの?
聖徳太子が実在しなかったら>>1で焼き討ちされた一族ってどの家系の一族よ? >>205
日本の歴史にこんな立派な人物の存在が許せないニダあるいは
誰が日没する処の天子アルというアルかニダの陰謀かも知れない
まあ歴史の評価や解釈というのは変わったりするものよ 暴力団の組長が嘘も100回言えば本当になると自分は神だと言ってたら本当に神になれた話。 >>221
聖徳太子は日本を冊封(さくほう)の縛りから解放した。
つまり中華世界の一員から独立国となったわけで。
なので「存在しなかったことにしたい」という人々が涌く。
(存在自体までもが架空だったとする輩は学者ではなく“学者を装った単なる運動家”なので相手にしないほうが良い。運動家はまず欲しい結論を先に立て、それを尤もらしく見せるための資料を選択する。
学者はそれと真逆。予め欲しい結論なんてまったく無く、研究によって出た結論こそが自分が欲しかった尊重すべきモノと言うスタンス)
聖徳太子が存命の時は“聖徳太子”とは呼ばれておらず、そういう意味で『当時は聖徳太子なんて人は居なかった』とは言えるが、『後に聖徳太子と称される厩戸皇子は存在した』のも事実。 >>210
まあ当時権勢張ってた蘇我氏に睨まれたら自分も滅ぼされかねないから
けど山背大兄王の人物は立派で
東北に逃げて兵を集め逆に打って出ましょうと進言する家来に
いいえそれでは私のせいで何の罪もない民衆が戦に巻き込まれてしまうと諭して
粛々と自ら命を断ったという事が日本書紀には書いてある >>226
用命天皇の長子。
10人の進言を同時に聞き分けた等々の超人伝説は眉唾ながら隋に書を送るなどは史実。(送られた側にも記録が残ってる) >>220
むしろ飛鳥時代の肖像画なんてあるのかって話
8世紀頃描かれた伝記のような絵だからあれでいいんじゃない? >>114
蘇我は文化的に開国推奨派だけど、中身は日本人だとも
物部はこてこて守旧鎖国派
ずっと必要に応じてこの対立の歴史だよな
ときどきにおいて良い方を選択している
本当のことは今ではわからないけど、文献とかしか >>16
聖徳太子、蘇我氏の時代にいたもうひとつの軸の秦氏ってどこいったんだよ?
秦河勝とかその先祖子孫、京都太秦開発やら、寺社仏閣、お祭り、織物工芸お酒、たくさん作ったのにいつのまにやらフェイドアウトか >>220
ただ単に奈良時代に描かれたってだけかもよ
本人確定+本人生き写しじゃないといけないなら写真が残ってる人以外お札になり得ないね
維新以降の人は生々しいからせめて江戸時代以前の人がいいなぁ >>45
血が濃過ぎるよな
絶対にDNAエラー出てるはずだわ >>197
現在の皇室は天智天皇(中大兄皇子)の子孫だから、
彼の父親が不明だと万世一系が揺らいでしまうから困るんだがな
まぁ母親が皇極(斉明)天皇だから女系で繋がってはいるんだが >>118
中臣氏って京都府の山科本拠地ってきいたけどな、諸説あるのか 天王寺区をコリアン特別区にしよう!
腐った日本人が巣食う、大阪市を廃止しよう!
天王寺区をコリアン特別区にしよう!
腐った日本人が巣食う、大阪市を廃止しよう!
天王寺区をコリアン特別区にしよう!
腐った日本人が巣食う、大阪市を廃止しよう >>230
そりや書紀は乙巳の変を正当化する必要があるわけだから当然
ご丁寧に山背が聖人だと加筆までしてる
BLMの黒人のおっさんみたいなもんだな
上宮王家の長子が法隆寺で死んだなら法隆寺の坊主くらい法会してやらんの?
鞍作死んだの3年後だよ?聖人なら645年からでも悲しんでやれよ >>16
聖徳太子自身が蘇我の一族だよ。
聖徳太子から見ると父方の祖母と母方の祖母の弟が蘇我馬子。
蘇我馬子からすると姉の孫。
蘇我入鹿からするとはとこ。
ちなみに聖徳太子を摂政として頼った推古天皇も蘇我一族。 聖徳さんや蘇我さんとか、織田・豊臣・徳川さんは世に名を知らしめてるけど、日本に一番影響与えてんのって藤原さん家なんじゃねーかな?
佐藤や後藤や伊藤とか“藤“関係なんでしょ? 道鏡の乗っ取り未遂出回りが右往左往して、必死で反対しておさえたのって
今のKK(略 話題を、俗物な歴史物のお話まで落としますが、
「天津神を信仰する一族=蘇我氏=渡来人」、「国津神を信仰する一族=物部氏=日本の先住民」という歴史寓話を書いた歴史学者がいましたが、
これって、全くの与太話なのですかね? それとも、すこしは真実に触れているのでしょうか? >>245
源平藤は似たもんだと思うよ。
上流階級に増えすぎて姓としての役を果たさなくなったんで、土地名を名乗りだしたのも共通。
源氏の末裔で有名なのは足利、武田、徳川(自称)
平氏の末裔で有名なのは北条、長谷川、平松、織田(自称)
藤原氏は鷹司、西園寺、三条などの公家が有名かな。 >>231
用命天皇の長子は 田目皇子。
父の死後、穴穂部間人皇女(聖徳太子の生母)と結婚しいている。 聖徳太子は「和を持って尊しとなす」と言った人だし
藤原氏は自分たちの一族だけが栄えようとした一族
スタンスが全く違うよね
あと藤原氏はひたすら近親相姦のイメージがある >>245
それ言うなら、普通に考えて
天皇さんの家じゃね? >>225
それな
専門家()が日本の歴史を捏造しようと必死 >>256
昔、藤原を名乗ると利権に混ぜてもらえたから
それで藤原氏が激増したんじゃなかったっけ
藤原本家は、それを嫌って自分たちだけ公家風の名前に改名した
だから今は藤原氏は藤原を名乗ってない 近衛とか名乗ってる
「おまえらとは違うんだよ」という意識が透けてみえる 中臣鎌子→中臣鎌足→藤原鎌足に出世していったのは本当なの? >>234
京都は歴史の激戦区だから、
次々に新興権力者が乗り込んでくるし
一族が生き残るの大変なわけよ。 厩戸皇子と言われても分からず、あー聖徳太子ねというのはジジイ >>247
インド産の外来宗教である
仏教シンパと仏教アンチが
当時いたことは間違いないだろね。
で、その後に仏教が国家宗教として
定着したのをみると
蘇我家・聖徳太子・天皇家・藤原家あたりは
仏教派だった可能性が高い。 >>247
ド素人ですけど、新撰姓氏録で天孫族ってなってる物部氏はまちがいなく在来種ではないでしょうか >>261
いや改名したわけじゃないよw
たとえば京極氏であれば、藤原は姓(かばね)、京極が苗字となる
たとえば現代名で京極夏彦(仮)という男がいたとして、
家の長男筋の次男として生まれて官職が信楽の長官だとすると
戦国時代の武将であれば、京極太郎次郎藤原信楽介夏彦になるわけだ >>261
まあFラン文系学部みたいなもんだなw
宮廷の理系学部が築いた学位の権威を
お手軽にいただいて「藤原です!大卒です!」
という手法。 違うってw
現代の藤原さんは、藤原純友とか奥州藤原氏とかそっちの家の出 蘇我氏が禅譲なり簒奪なりキッチリ決めてりゃ万世一系なんてファンタジー宗教も生まれなかったんだろうか >>267
日本人も夫婦同姓とか
夫婦別姓とかアホなこと言ってないで
2苗字制とか採用したらいいのにね。
「鈴木・田中・太郎」と「藤原・近衛・花子」
が結婚したら「鈴木・藤原・太郎」と
「鈴木・藤原・花子」になればいい。 >>6荻野真記念予知!
0365 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/10/08 12:15:45
>>364最初山の遠景から
次に変わったら火の海かな
見えた
0367 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/10/08 12:19:02
火の玉ないし何かオレンジ色の丸
0368 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/10/08 12:29:00
遠ざかって行く海と白い砂浜
高い建物の上が爆発か火災か
顔が焼けるか剥がされるかした女の子
↓
2020.10.09 16:15
【蔚山聯合ニュース】
韓国南東部・蔚山の複合高層ビルで8日深夜に発生した大規模な火災は、発生から15時間半以上たった9日午後に完全な鎮火が確認された。煙を吸い込むなどして住民ら93人が病院に搬送され、うち3人が重傷を負ったものの、死者はなかった。 新撰姓氏録での諸蕃が渡来系
いまでいう帰化人、ハーフタレントとか芸能界やらアナウンサーやらで幅をきかせてる連中みたいな扱い
800年頃ですけど、蘇我氏は粛清されてこのころには影形がなくなってますね
蘇我氏に消された物部氏は神別との記述があります、皇族の皇別とはまたちと違う
地方に散らばったのか
やられたのが一族の本家筋だけだったのか >>272
ちゃうねん
苗字(名字)は「家の名前」であって、
姓は官職をもらうのに必須の自らの出自
別物なんですよ
日本史を勉強してれば「八色の姓」って聞いたことあるでしょ?
あの8種類のどこかの名家に繋がっていなければ、官職は与えられなかった
で、どこに繋がってるのかを示すのが姓ってわけだ >>236
皇族が代々近親婚をしてきたから大正天皇は○○だったらしいな
それで昭和天皇の代から一般人と結婚するようになったらしいな >>271
天皇家に肩を並べようとか凌駕しようとすると消される日本古来の確立した法則
北条、足利、織田氏しかり
徳川氏にも法則もっと発動してもよかったけど、かろうじて寸止めでここまでかな >>276
もう完全に一般人しか相手にしてないよな
万一、女性天皇になったときとか正当性の補完をどうするんだろう
にしても女子ばかりだな >>271
どっちにしろ、うまれるでしょう。
家父長制の社会において
天皇一族が永遠に権力を保つには
「男系男子じゃないと天皇になれません!」
という決まりにしておかないと
藤原・平・源・足利・織田・豊臣・徳川
みたいな輩一族に、天皇の地位を
一瞬でのっとられますから。 >>244
聖徳太子および推古天皇は皇族だから
当然父方は皇族
母方が蘇我氏
蘇我一族とまでは言えない >>11
聖徳太子のおかんも蘇我氏腹。
中大兄皇子の義父の倉山田石川麻呂は蘇我氏やで。
所詮、身内の争い。 >>11
結局仏教だなんだといってるが、やりたかったのは戦争じゃないのかな
そのための近代化(統治やら宗教やら)
拡大のための戦争なのか自衛なのか知らんけど
なかなかの負けっぷりだったんだよな
白村江の戦い(国外)、文禄慶長の役(国外)、太平洋戦争(本土)
このへんが被害の大きな負け戦かな >>243
当時は蘇我氏が皇族までも襲撃する権勢欲が非常に問題になっていた
なので乙巳の変いわゆる大化の改新に協力する人間が多くて
天皇の前で入鹿を暗殺するという非常な狼藉に対しても咎めはなかった
そして山背大兄王は聖徳太子の三尊像の右に描かれたりして祀られてもいる >>78
滋賀にあったんやなかった?天智天皇の墓。
最終首都防衛ラインが地元にあった。八尾空港の飛行機用防空壕もあったけど。
次の時代には地元の偉人がチンポで首都になった八尾。 >>105
茨城からの渡来人らしいな。鹿島から鹿に乗って移民して来たらしい。
で、今も借りてた運賃を鹿煎餅という形で支給してる。 >>280
どの文化でも最高権力者自身は派閥を作らないので
嫁の閨閥に引っ張られるのはよくあること。
徳川幕府が3代目以降正室に子供を作らせず、身分の低い女ばかりを孕ませたのも
嫁の実家による権力掌握を嫌ったからだ。 >>177
日野家からの分家の本願寺の大谷家とかは鎌倉時代以降はちゃんと家系が判明してるな。
我が家は愛媛の西園寺家の親戚らしいが怪しいと思ってる。 >>195
京極は近江源氏やボケ!!三和銀行ぐらいまでは本当の近江源氏らしい。 >>223
不敬は無関係らしい
デマを流してはいかん
蘇我氏の末裔の方は奈良で小さな神社の神主さんだ
感じのよい人だったので山岸毛人入鹿親子と被った >>279
織田以降が輩や。足利までは旧皇族。今の天皇家と竹田くらいの親戚関係。 北条時宗の赤マフラーと岡田鎌足の入鹿がまったく同じキャラだった
この演技しかできねーのによく役者やってこれたよな
恐らく入鹿も生きてて白村江の唐軍の中に赤マフラーつけて参陣してるよ >>78
墓はある
無かったのは遺体
山科で靴を残して消えたという
天智天皇暗殺説とかある >>72
話は違うけど、「大和」が「山戸」なんだったら、
その「戸」は生駒(信貴、葛城)山地ってことになる。
海からやってきた敵をその「戸」で迎えると。
そうして、その戸の大阪側を守っているのが物部氏
なんだよな。 大体、天皇(大王)にもなってない人物を聖徳太子なんて名付けないだろうし
蘇我氏の事績を聖徳太子に投影したんだと思う。
蘇我善徳=蘇我入鹿だと考えられるけど、善徳が主なモデルになった なんで帝塚山大にこんな大事な研究取られちゃうかなぁ。奈良大学の領域でしょうに。 よく知らないけど、こんな大そうな諡号を与えられた人物って他にいるのかな 中臣鎌足の祖は中臣大連。よって物部氏。物部とは祭祀を司る一族でよって神道である。藤原とは天智天皇に与えられた名であるから、藤原氏一族は神道。 >>300
天皇になってないから「太子」なんじゃないの? 子供が生まれたら太子と命名しよう
男の子ならフトシかタイシ
女の子ならフトコかタコ >>197
中大兄の下にまだ二人(間人皇女と天武)も産んでるんだが
その人らの父親も怪しいって事? >>308
「天武は天智の弟ではない」という説もあったり >>303
物部も中臣も神道系の家系であることは間違いないが
朝廷においては中臣氏は物部氏を補佐していた一族であって
物部氏そのものでも支流でもない。
ともに天神系の神別氏族だが
物部氏の祖はニギハヤヒ、中臣氏の祖はアメノコヤネ。
物部氏の本拠は南紀熊野、中臣氏の本拠は京山科。
はきりと別の一族だ。 >>112
民意はほとんど無視の時代だよ
当時は慣習的に40過ぎた人が大君になっていたから中大兄の43才での即位はそれほど遅いわけじゃない >>312藤原が仏教と言う人がいるからたん的に書いただけ。中臣鎌足の家が「中臣大連」なるきちんとした系譜が辿れる出自だということ。代々、神職・神官の家である事。太子の父豊日大王の死後、蘇我vs物部で戦があり蘇我が勝利。当然物部は滅びる。初瀬部が次大王となるが蘇我の操りにすぎない。 >>277
徳川は肩並べようとしなかったからじゃね?頼朝や秀吉は皇族の中に入ろうとした
人だったし。それで戦前の公侯伯子男ができたようなもの。旧大名は公爵。 >>315
中臣は連。
少なくとも日本書紀に置いて大連になったと記されてるのは大伴氏と物部氏だけだ。 結局、蘇我氏って日本を牛耳ろうとした渡来人ってことでいいの? 聖徳太子、源頼朝、足利尊氏、西郷隆盛
この肖像画誰やねん と言う事は?天ちゃんはドサクサdeチョンコロにchangeされた可能性あるの?(´・ω・`) 藤原氏のルーツは大鏡や常陸風土記に書かれた東国の中臣一族だよ。 日本書紀は藤原氏の創作だからね
自分たちに都合の良いことしか書いてない
経歴の改ざんなんて普通にやってる
古い時代だからボロが出てるけどね 以前、歴史関連のスレで聖徳太子は百済生まれだとかペルシャ人の血が流れているだとか主張している人がいたよ。 >>315
中臣大連なんて存在しない。小学校から勉強しなおせ。 >>317
天皇位を簒奪しようとした支配者は日本史ではほとんどいない。
自分がなるよりも利用する方が効率的なんだな。
天皇になってしまうと自分は現実政治がしにくくなる。(厩戸皇子が活躍できたのは天皇にならず摂政だったから。)
日本史上、天皇位を狙ったことで有名なのは足利義満。(正確には息子を天皇にしようとした。) 倉庫の中にあるものなんか年末の大掃除で見つけろっての
公務員はヤル気にならないと見つけられねーのか >>329
室町幕府の将軍の中で最も天皇に関わりが深い存在とも言える部分は否定出来ないかと
母方の従兄弟が後小松天皇で、義満が南北朝の和議を成立させたのも同じ時代という
功績も大きいし
理由づけして自分の正妻を後小松天皇の准母にした辺りからあからさまになったけどね >>225
生きていた時に聖徳太子と呼ばれた人は少なくともいなかった。
厩戸皇子を後に美名で称え聖徳太子と呼んだという説が有力だが、厩戸皇子の功績は実は蘇我の功績との説があり、非常に曖昧だから外したんだろ。
邪馬台国が北九州と畿内どっち?と同じくらいわからない。 こういう資料で歴史上の事件の裏付けが出来るのはいいね
ワクワクする >>223
厩戸王子がしょっちゅう見てた子供の大量死の悪夢は自身の子らが纏めて一気死ぬという予知夢で、これは作品中で解決してる。
王子が自身の子孫は残らないと理解して、これからする自分の行為は全て無意味であると悟っている場面ある。
蝦夷の子とは関係無い。
元々は聖徳太子の一代記として生涯を描く予定ではあったのは事実らしいけど、作風がそんな伝記ものに向かないように思うから、結果的にアレで正解。
続編の短編が物凄く完成度高くて、戦律した。王子は自身の子孫の全滅は知ってても原因はあの王女が産まれた時に悟って幽閉したんだなと。 >>330
あれは天皇がトチ狂っただけで道教のほうが
簒奪したいと思ったわけでもなさそう。 >>336「日出る…」も面白かったけど、「天上の虹・里中満智子」もなかなか。不敬罪って所詮漫画の世界。 >>337
卑弥呼から壱与が宣託だったから
道教もフカシこいて宣託があったと言っただけやろ
自分で宣託したのがあかんかった
子供でも作ってからその息子に、って宣託だったら成功してたかもしれんのに >>337
確かにね
あれは称徳天皇が悪い
と言うか奈良時代の大混乱って大体称徳天皇のせいだよな
持統天皇もそうだけど実権を持つ女帝って後継者関係でかなり混乱を起こすよね >>256 >>261
姓名学者によれば、江戸時代までで藤原の姓は無かったそうだ・・・
現在の藤原さんは、明治以降に姓をつけることを許された身分の人たちの末裔・・・
ちなみに、大正時代に家系図を買うと言うのが流行したので、
一般家庭に伝わる家系図の大半がその時の捏造・・・ >>334
まぁ「推古天皇」も追号だし、天皇号成立前が有力だからな
当時はまだ「日本」じゃあないし、正確には倭国のヌカタベ(額田部)大王(おおきみ)がウマヤド(厩戸)王を摂政として重用した、みたいなコトになる 厩戸、馬子以降に改革と仏教推進
石舞台古墳なる天皇家以外の巨大な古墳があり
素っ裸にされている
法隆寺建立と救世観音封印
焼き討ちの痕跡←new
入鹿殺害と蘇我氏滅亡
乙巳の変の後も天皇家の周りに争い事が絶えず、ことごとく殺害される
隋滅亡、朝鮮半島の覇権争い激化と百済滅亡
白村江の戦い
中臣→藤原改姓し絶大な権利を得る
記紀なんて不比等が都合のいいように編纂なんだから
事実を積み重ねて繋げようぜ >>293
へーどこの神社?
奈良の歴史ロマンは現代にも受け継いでるのがハンパない 馬子の仏教など尼僧を拝むような低俗きわまりない物
拝まないから病が流行っただの感染しただのそんなことは無いんであって
彼奴らの仏教にかこつけた全てがインチキ詐偽さらに大逆
クズ中のクズとして永久に足蹴にするが如く扱うべき
由緒正しい物部に信を置かなかった帝の自業自得とも言える
蘇我だの東漢だのシナチョン臭いやつはそれだけで排除すべきという歴史 >>254
大河ドラマではないけど、シブがき隊のもっくんが聖徳太子役のドラマは見たな 聖徳太子がユダヤに関連しているって話は、17条憲法と聖書を結びつけてるっぽいね
聖書では「17」は「神前での契約・神前で作られた条文」を示唆している
旧約聖書エレミヤ書32章9−15節で、エレミヤがいとこから「銀貨17枚」で畑を「神の前で」購入した
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%A4%E6%9B%B8%2032&version=JLB
旧約聖書続編エズラ第一書4章52節「17個の燔祭を献べき戒めあり」
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%83%A9%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%9B%B8_%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%AB%A0
例えば1951年、中国はチベットに侵攻した時、「17か条協定」を結んだのだが、今はもうまともに扱っていない
神罰は近そうだ 大仏開眼、聖徳太子、大化改新 の3部作は必読だよね >>254
昔大河ドラマしてほしいランキング1位になってた
その後不在説が急に起こって教科書からもなくなってるんだよね?
延々語り継がれてきて急な動きに驚いたわ これはただの仲間割れ
問題なのは
古来から続く蘇我皇系をクーデターでぶっ潰したどこの馬の骨かもわからない中大兄皇子 まぁ後からの結果論だけど蘇我氏は身内を殺し過ぎたな
お陰で宗家を滅ぼされたら隆盛を誇った大族が一瞬で瓦解してしまった
やってた時は都合のいい操り人形の古人大兄王を残しておけば敏達系の血筋も取り込めて行けると思ったんだろうけど
その結果、蘇我宗家が滅んだら中大兄皇子に対抗できる人間が残らなかった
山背大兄王の上宮王家が残ってたら大化の改新もそうそう上手くは行かなかっただろう >>3
現代の男でも、太子とかいうやつがいた。ふとこ? 蘇我倉山田石川麻呂のことも、思い出してあげて下さい >>358
古人大兄皇子が「韓人が入鹿を殺した。私は心が痛い」(「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」)と言ったそうだから、
入鹿側ではなく中大兄皇子側に渡来系の勢力が加担してたんじゃないかな? >>276
いや、江戸時代は正妻から生まれた天皇のほうがレアケース
だから血は濃くないよ >>66
日本には賢人や英雄などなく、悪人だけの国だった!というように日本の歴史を操作して
聖徳太子や坂本龍馬なんかいなかった!と塗り替えたい連中がいるんだよ むかーしCanonのお偉いさんのおじいちゃんが私の一冊みたいな番組で日出処の天子紹介してて吹いたw
おもしろいじいちゃんだな〜 >>364
藤原と天智が百済人で天武と天智は赤の他人 >>330
奈良時代とは九州倭国系の天武系と天智ー藤原系の暗闘に明け暮れた時代なのです
642年に百済国内で政変があり、百済義慈王により、百済武王一族が島流しになります、この時、「百済武王の息子である、翹岐王が列島に亡命してきます、これが「中大兄皇子、天智」
天武(大海人皇子)と言うのは、「九州倭国王筑紫君薩野馬(大皇)の弟で(大皇弟)と言われている人物です。
道鏡事件は九州王朝(天武系)が絶えんとする時期の一発逆転を狙った最後の賭けだな 真相は山岸涼子の「日出処の天子」読んだら全部分かるよ >>369
当時から生きている人間はいないので
いた とする可能性と
いなかった とする可能性の違いだけ
今の調査では、いた可能性が高い と言う話 聖徳太子の肖像画とされてたものが嘘だったと判明したことで実在説はかなり厳しくなった >>377
あの絵が違うだけで、別の聖徳太子の肖像画が発掘されるかもしれん。
ただ、新しく聖徳太子の肖像画が出てきて、それがガチムチの髭面のおっさんだったら、
それを日本人が受け入れるかどうかだ。
イエス・キリストの顔をコンピューターで復顔したら、髭面の中東系のおっさんだったからと言って
キリスト教徒の崇める、金髪碧眼の白人のキリストの肖像画と置き換えないのと同じ 蘇我氏が大臣になってからの政治的功績は何もないからな
ただ権力を強化していただけであって画期的な政策は何もない
内政・外交の新政策が動き出したのは厩戸皇子が摂政を行ってからなのは事実 >>379
「聖徳太子」の呼称が現れたのは8世紀中ごろ以降で、推古天皇の下で政治改革や中国・朝鮮半島の外交関係、仏教興隆を推進したとされてるのは「厩戸皇子」
厩戸皇子が誰なのかもこれからの課題 >>361
くさふめば くさにかくるる いしずえの
くつのはくしゃに ひびく さびしさ
忘れてないよ、これ大好きだ。 みんな詳しいな
おすすめの本があったら教えて欲しい >>385
聖徳太子は蘇我入鹿である | 関 裕二
刊行が91年だから日本会議史観に毒されてない書籍で仮説としては充分中立的
文体も読みやすいと思う >>324
風土記も藤原の命令でつくらせたものだから
常陸国風土記も常陸国の国司として赴任してた藤原宇合が編集したそうだよ 歴史を見てると面白いな
政争の勝ち組だと思ってたら一つの事件で一気に消え去って負け組だと思った方が台頭してきたり
蘇我氏を見てるとそういう栄枯盛衰を考えさせられる
宗家一つの滅亡で全てが終わってしまう
葛城氏も吉備氏も蘇我氏もそう
そう考えると4兄弟がそれぞれの家を作って事件ごとに別な家が台頭してトップに君臨し続けた藤原氏のやり方は結果的に正しかったんだな 藤原氏もずっと勝ち組だったわけじゃないからな
と言うか最初から滅びそうな大事件に何度も遭遇して政治の動きに翻弄されてる
4兄弟がたまたま家を作ってそれぞれが別陣営に属した事が生き残った理由だな
分家が順番に生き残った形
藤原氏も運が味方してるな >>393
世界的に見ても、それは顕著だよな
一時は世界の大半を侵略したモンゴルが、今や中国とロシアに挟まれた弱小国家
オスマントルコも、いまや当時の面影もない
海洋国家のスペインも、ローマ帝国のイタリアも >>368
ソースは関何とかとかとか梅原某とかのトンデモ系だなw 半島の物があれば盗んだと言われ、交流があれば渡来人と言われ…
何の罰ゲームよ
絡まれてるとしか思えんわ >>397
弟の天武が年上とかいう書記の方がおかしい
天武天皇は天智天皇より年長(その限度で日本書紀は捏造。ほぼ通説) お前らも情けないなぁ
聖徳太子って知ってる?
デラウェア!
このネタも完全に忘れてるんだもん 九州人と近畿人の顔を見れば違う民族って普通分かるだろ お前らも何処かお互い妙に敵意を感じないか?分断工作とかじゃなくて普通に 大化改新や壬申の乱に興味がある方は、井沢元彦さんの日本史の叛逆者も読んでみたら結構面白いですよ。 馬子が太子で入鹿が山背大兄王なら
誰が誰を焼き討ちにしたというのか 蘇我入鹿が惨殺され父である蝦夷が自刃。しかし蘇我は蘇我でも赤兄は生き残って有間皇子が絞首刑まで生き残っている。 >>368
百済語と日本語は別の言語だと思うけど、どうやって会話したの? >>351
あれ良かったわ
山岸太子がそのまま出てきたみたいな雰囲気 もっくん聖徳太子ドラマは
リアルコリアンを起用してたみたいで
なんか違和感あったわ 乙巳の変の際、現場には古人大兄皇子という人物が居合わせたとされている。
その人は現場から逃げるときに言った言葉が日本書紀に残っている。
「韓人が入鹿を殺した。私は心が痛い」 >>409
百済語は理解出来たが、高句麗語は理解出来ないと言うのが残っているらしいから、言葉が違っている可能性もある。 >>412
つまり、三韓の使者の中に暗殺者がいたってことだね。 >>409
現代朝鮮語と日本語は語順や文法が似てるとよく言われてますが語彙(単語)は似てないですね
高句麗語については一部が復元されていますが、百済語についてはどのようなものだったかも判っていません
高句麗語についても李基文博士によって復元されたのは82語に過ぎませんから、ほとんど判っていないと言っていいのですが数詞が日本語と酷似していることが注目されました
日本語と朝鮮語の間に見られる文法・語法の並々ならぬ類似性は高句麗語と百済語の話者(語彙酷似)が新羅語(朝鮮語のルーツ)に乗り換えたと言う説があります
百済人は滅亡した秦の末裔で倭語(日本語)を喋ったと言う説もある(参考) 聖徳太子 じつは 存在しなかった 都市伝説らしいぞ!
w 昔に、今でも良いかも知れないが、津軽人と薩摩人二人だけで話したら、理解し合えるのかな? >>405
井沢元彦に教えられてなるほどと思ったこともあった >>1
どういうことやねん!もっとはっきりしろ!! >>413
『日本書紀』には「吉備海部直羽嶋」という人が韓語(百済語)を話せたと書いてあるね。 >>417
庶民同士なら困難だと思う
時代が進めば謡曲の言葉で互いに話すとか筆談でやるとか >>399
それは俺の中で通説と書かないとw
個人の意見は自由だけど事実化するつもりなら史料と学説由来のソース出さないと
まさかトンデモ系とか小説家とか漫画がソースでもないんだろ
高市皇子が43才没で白雉5年の生まれになるんだからその時点で天武はおおよそ20才前後と考えられる
となると天武は舒明6年生まれと推算され、天智-間人-天武の出生順に矛盾は生じない
よって天智は推古朝末期の生まれで天武より年上
天武年上説を持ち出す胡散臭い輩のソースは本朝皇胤紹運録において天武の崩年を六十五を五十六に誤記したからだ!とかいう超無理筋だぞ
書記において生年崩御の記述がないのは何も天武らに限った話でないし取り立てるほど不審でもない >>414
中大兄皇子、中臣鎌足等を韓人と呼んだのか、三韓の使者に変装した中大兄皇子、中臣鎌足等を韓人と呼んだのかは不明 >>423
暗殺者が三韓の使者に成りすましていた可能性もあるね。
いずれにせよ、この事件は外交問題になっていないから、犯人は韓人ではなかったってことだね。 釈迦族も滅亡して
太子一族も滅亡して
仏教らしい奇妙な因縁めいた何かを感じる >>412
それ原文は、「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」で、鞍作って入鹿の別名らしいけど、鞍作って渡来人の名前だそうだね >>80
こうゆう素人の妄想が意外と当たってたりするんだよな >>430
明治天皇には複数の妃がいたから、明治時代までだと思う。 >>105
中臣氏はハプログループO1b2a1a1で、日本独自系であることが確定している。
また中臣氏の根拠地とされる京都東部からは旧石器時代から室町時代までのの遺物が連綿と出てくる。
ちなみに天皇家はD1a2a1bで天智天皇の男系子孫。
つまり、大化の改新はこの2系統の融合でなされた。
宗教的には神社系がO系統。仏教系がD系統で蘇我氏もこちら。 乙巳の変のときの、中大兄皇子と中臣鎌足は今風にいえば完全に右翼。
それが白村江につながっている。
その当時は仏教系の蘇我氏にやられっぱなしの神社系の中臣氏という構図。
これが大きな政変の動機になっている。
しかし、中臣鎌足が権力を手中にする過程で神社系の鎌足が仏教勢力の取り込みも図った。
それが春日大社と興福寺の関係として現在まで残っている。
藤原家の隆盛のおおきな思想的背景は神仏習合でその開祖が鎌足だというわけ。
藤原不比等は組織化された仏教系に対して、民間宗教でバラバラだった土着の宗教を神道として仏教の組織を参考にまとめた功績が大きい。 まあ当時、聖徳太子なんて人物がいなかったのは確か
ついでに推古天皇も後付けの名前 古事記、日本書紀、続日本紀は、もちろん史実も書いてあります。しかし藤原氏の都合のよいように
かなりの事実がゆがめられて伝えられています。ここのところを注意して読む必要があるのではないかと思います このころの中臣氏はすでに全国ネットワークを有していたのも大きく。
これは神社系のネットワークとでもいうべきものだった。
このことはまた、中臣氏のハプログループO1b2a1a1が非常に古い時代から列島に存在していた傍証ともいえ。
根拠地とされる場所から旧石器時代の遺物が出てくることからもそれを補完する。
またその地域は川にはさまれた台地状の場所であり耕作するには非常に適した土地。
神社の発達と米作は不可欠の関係にあるのだろう。
列島で古い系統だとされる物部氏(D系統)との関係も古くから深く、弥生時代以降に渡来した系統だとは考えにくい。 「邪馬台国はなかった!」と言う本がよく売れたから
「聖徳太子はいなかった!」と言う方がインパクトが会って売れる
邪馬台国の方は漢字が違うだけだった >>436
ヤバい人、つまり怨霊に
聖徳とつけたワケでしょ >>438
具体的にどうぞ。かなり意味不明のことをいっています。 聖徳太子て いなかったかもしれんのに なんで いちまえんさつに なったん?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 異母兄妹でも結婚が許された時代だからな
それでも同母兄妹はどんなに愛し合ってても変態と迫害されるw 『続日本紀』の光仁天皇の天応元年(781)7月の項に、次のような記事があります
「右京の人正六位上栗原勝子公言す。子等が先祖伊賀都臣(いかつのおみ)は、是中臣の遠祖 天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子なり
伊賀都臣、神功皇后の御世に、百済に使いして 彼の土の女を娶りて,二男を生み名づけて本大臣、小大臣といふ。はるかに本系を尋ねて聖朝に帰す。 時に美濃国不破郡栗原の地を賜ひて以て居らしむ。その後
居に因って氏を命じて遂に栗原勝の姓を負へり。 伏して乞らくは、中臣栗原連を蒙り賜はむと。
是に於いて子公等男女十八人請に依って、改めて之を賜ふ」
ここに中臣栗原連の先祖として中臣伊賀都臣が顔を出します。そして、その人を説明して言います
この伊賀都臣(いかつのおみ)は、中臣の遠祖にあたる天御中主命20世の孫,意美佐夜麻(おみさやま)の子であると
要するに神代の天御中主命を持ち出してきて、ここに中臣氏が古来から日本に土着した氏族であることを 印象付けています。
しかし古事記において中臣氏が、いかに古い氏族であるか、しかも天皇家と並ぶほど古い 家系であるか、と言う事をそれとなく述べていますが
具体的にどのようなことをしたかと言うことは、書いてありません。 書きたくてもかけなかったと言うのが 真相でしょう。変なことを書くと嘘がばれますから
それでも、そこ、ここで、それとなく、小出しに日本古来の氏族であることを 述べています。ほとんど、くどいくらいに繰り返されています。20世と言うと一世代が20年とすると400年、30年とすれば、600年です。 仮に私が、「400年前の私の祖先は加藤清正です」と言ったら、あなたは信じますか?多分怪しんでかかるでしょう。 しかし誰が一体、確信を持って、私が、加藤清正の子孫ではないと言いきることができるでしょうか? 私の体の中には、400年という年月の間に加藤清正の子孫の血が、一滴か二敵ぐらいは混じっているかもしれません 『先代旧事本紀』の記述は本当なんだろうか。
俺の地元は『先代旧事本紀』の記述に基づいて町興ししているが。
『先代旧事本紀』の記述と関係がある神社もあるし、本当だと信じたい。 中大兄入鹿やら中出しのカマホリやらもうよくわからない >>448
それだけ?w
古事記や日本書紀は大化の改新以降の天皇を正当化するための書物ですよ。
中臣氏の記述は大げさでも何でもなく、非常に古い系統であることはそのような記述がなくても明白。 >>446
ヨイショする必要があるんだろ
あそこの仏像おかしいから
首筋に釘を直打ち
白毫を釘で直打ちとか
日本人というか、皇室にとって重要なんだよ
悪い意味で >>437
厩戸皇子が推古天皇の摂政を務めそれなりの勢力を持っていて
その子である山背大兄王が皇位継承をめぐって蘇我氏と対立して滅ぼされた
って傍証がここで出てくる焼けた壁土
いなかったかもと疑われているのは聖徳太子なるスーパーな人物で
当時の政治状況から
厩戸皇子以上の権勢を誇っていた可能性の高い蘇我氏の政治成果がほとんど知られていない状況から
聖徳太子の事業の幾つかは蘇我の仕事かもね〜って説や
いやいっそ蘇我馬子なり入鹿なりが太子そのものだったんじゃねってものまで幅広い推論がある >>446
もっと実在性の怪しい武内宿禰だって紙幣になってたし。 >>456
長生きし過ぎの人でしょ
森繁も敵わなかったな うまやこのひめみこは本当はもっと続くはずだったのを
朝日新聞の捏造記事「法隆寺カンカン」のせいで急に終わったとか
もっと読みたかったなー 『日本書紀』に載るような古代氏族で、後の時代まで残れたのは“鳴かず飛ばず”の氏族だけだと思う。 >>455
>って傍証がここで出てくる焼けた壁土
火事なんて昔も今も珍しくなくて、あの頃なら百年に一回程度は自然に燃え落ちて不思議はないから、なんの傍証にもならんぞ 靴を鎌足が拾うとこから始まって靴を残して姿を消して終る天智天皇の物語を書いた作家さんは凄い >>153
強国の王が支配や関係を強化するために婚姻を結ぶのはよくあることだわな
あいつら、日韓併合が正当化されるとは考えないんだろうかね
王自体が中国系を自称してる朝鮮とかどうすんだって話だわ
※高麗・王氏(王翦・王賁の子孫)、李氏朝鮮・李氏(李信の子孫) >>258
そもそも聖徳太子は仏教を普及させた蘇我氏寄りで
藤原氏(中臣氏)は物部と一緒で神道系を司る姓だからなあ。。 鎌足が祭神になってる談山神社は元は寺だな
寺を作ったのは鎌足の息子
この時点で神道系と言うのが怪しくなる 聖徳太子がキリシタンだった説あるな。
もちろんカトリックでも東方正教会でもなく、ネストリウス派。
当時の中国では景教と言われていて、仏教と対立していた。
日本では仏教を信奉する蘇我氏と、上宮王家が対立して、後者が滅ぼされた。
景教寺院だった法隆寺も焼かれ、仏教寺院として再建されたのが今の法隆寺という説。 四天王寺は創建当時から鳥居があったと言われている
文献に残る最古の鳥居の記述も神社でなくて四天王寺の鳥居 >>469
いやーいくらキリシタンでも自力で馬小屋で生まれてくる事は出来ないだろー 日出処の天子の蘇我入鹿がかっこよくてなあ マジでコペルニクス的転回だった >>462
入鹿に焼き討ちされたって記録があるから
出てきた場所的にその記録の傍証にはならなくもない
確証には程遠いけど >>457
世襲名らしいよ
落語家とか歌舞伎役者と一緒 聖徳太子は行き倒れになってたイエス・キリスト助けてるからな
結局は死んでしまうんだけど自分の着物を与えて墓に納めて
数日後に召使を見に行かせたら墓の上に着物が置いてあって墓は空っぽに >>476
なんだよそのデタラメはwwwwwwwwwwwww >>462
法隆寺はその後焼けた跡や記録がないから
見つかってる火災跡は必然的に日本書紀に書いてある蘇我入鹿の焼き討ちという事になる おっと、このスレ、続編があったのかw
ウリも昨日は随分と楽しませてもらったがね。
なんつっても記紀の時代はまさに偉大なる大韓と東夷倭国が
まだ完全に分離していない古代統一韓国の気風を残しているからね
(そして今後また再び韓日合邦し統一大韓をこさえねばならんw)
>>426
一般に日本史でいえば末法、すなわち澆季の世とは1052年ですな。
だから聖徳太子の時代はまだ末法じゃないんだなあ。
まあとはいっても未だに釈迦牟尼の生没年は不明だから
その入滅から〇年といったってしょうがないわけだがwww
(ところで末法元年が1052年ならその千年後の大末法
2052年にはなんかあるのかしらw
恐怖の大王が降ってくるとかwww) 日本書紀の書いてあるんだw
東の聖者と西の聖者がご対面 >>364
蘇我入鹿に斬り掛かったのは中大兄皇子なんだよね、記紀によると
つまり…… >>477
聖徳太子の片岡飢人伝説やな
現場にはその飢えた旅人を葬ったという小さな古墳が残っているそうな >>470
吉野ヶ里にも門の上に復元した鳥トーテムがある
鳥信仰ならアカ族とかハニ族
徐福集団の中に鳥信仰の苗族がいたんですよ
現代の苗族は
米食を主食とし、塩や酢で味付けした魚などの副食とともに1日3食とります。
また日本の納豆菌と遺伝的に同種の納豆、赤飯、餅、なれ鮨、味噌、醤油があり、
さらに高床式倉庫、鳥居、鵜飼など極めて日本の風習に近い >>456
武内宿禰とか神功皇后とかなんていうか紙幣になってるけど
(あ、神功皇后の義父のヤマトタケルもそうか)
王政復古にして神がかりである大日本帝国の紙幣って
やっぱちょっと変だよなw ファナティックっていうの?
実在の存在すらわからんなら肖像はなんだって話でね。
まあ逆に神話上の人だから、わからないからこそ
「単純にえらい人だ」で済むのかも知らんけどね。
それにしても戦前の御真影は命に代えても守るべき
すげーものだったそうだが、その割に皇祖皇宗なんか紙幣にしていいのかねw
紙幣って折り曲げたり落としたり汚すじゃんかねえ
皇族だけど皇后は奥さんだから、皇位にはついてないから
神話上の人物だけど臣下だからセフセフって感じなのかね まぁ斑鳩宮を襲ったのは巨勢徳陀で
二年後の乙巳の変で蝦夷の宅を包囲したのも巨勢徳陀
といことは黒幕は天智・鎌足の仕業で
山背大兄皇子を排することで天智の父・舒明が吉備国をものにしたのも事実だな >>485
神代の昔から万世一系の天皇が日本の正統な統治者だという水戸学の誇大妄想思想を吉田松陰から知り、倒幕理論に利用したのが薩長の下級武士 実は聖徳太子(アマタリシヒコ)が天皇だったなんて話もなきにしもあらず >>458
「馬屋古王女」は映画みたいなカット割に内容も濃く纏まって絵の美麗さといい完璧な出来と思う。
まるで「日出処の天子」本編が之のための長い序章に感じるほど。
あれは、あれでいいと思う。現実とはまた違う話なのだから。 >>485
神功皇后は大正時代に政府の都合で外されるまで歴代天皇に含まれてたよ。
神功皇后の1円札が発行された明治14年の時点では立派な15代天皇。
ちなみに肖像画のモデルは大蔵省印刷局に勤めてた女工さんだそうだ。 >>229
法隆寺の宝物殿には聖徳太子の服が飾られていたな。
ガイドの坊さんに尋ねたら、聖徳太子が当時着用したものと伝えられている、みたいな話をしていた。
キリストの聖骸布みたいな感じかな。 隋書や唐書にもはっきりと「倭の王の姓は阿毎(アマ)」と書いてありますが、
和風諡号に「天」がつく関係者は、
天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)皇極天皇
天万豊日(あめよろづとよひ)孝徳天皇
天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)斉明天皇
天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)天智天皇
天淳中原瀛真人(あまのぬなはらおきのまひと)天武天皇
ちなみに天武の後の(天武の妻であり天智の娘でもある)持統天皇から「天」という姓は無くなります
万世一系ってことにしたのはそこからではないかな
持統は孫に譲位してたはず。天孫 仏教の先駆者なのに災難まみれなんだな
日本の民度があまりに低いから、和を以て貴しとなすなんて思いついたんだろうね 大昔、梅原猛が『元の寺は焼かれて、近所に供養というか怨霊封印の寺院を再建』とか本を書いていたよね >>484
吉野ヶ里のは池上曽根遺跡の鳥形を真似ただけで吉野ヶ里から鳥形は見つかっていないんじゃないかな >>496
キリスト教のキリストも災難まみれだったよ >>488
うん。
しかし和魂洋才で先進欧米諸国に不平等条約改定のため
追いつけ追い越せって富国強兵の殖産興業やって
まさにアンシャンレジームの江戸幕府から革命…じゃなかったw
維新した明治政府が、その反面、紙幣その他は(欧米の印刷技術を使って!)
ゴリゴリの復古主義やってるのはスチームパンクぽくって面白いじゃないかwww
王政復古と言いながらその絶対君主の天皇の権限を帝国憲法や皇室典範で
「縛る」ことといい(まあ平安朝の律令だって天皇権限縛ってるけどw)、
あの現代と古代の交雑って面白いよね。
>>492
へえ、それは知らなかった。情報提供カムサ。
モデルについてはね、いろいろ言われているところがあるが
神功皇后、日本人でありながらなんかガイジンっぽい肖像は
面白いなと思っていたが、なに、その正体は女工さんですか。
これはまあ雄略天皇には見せられませんなw
(もし興味があれば万葉集の巻頭の御製歌を参照のこと
あとは前スレのウリのカキコもネw) 一輪の蓮の花が咲くには、糞のような連中に囲まれてたってことか >>460
高校の時同じこクラスでいたわ
珍しくないだろ >>3
昔は 子と言う文字には
男女の区別の意味でつけられて
いなかったのだよ 大阪とか奈良にある物部系統の難しい名前の神社のエリアは
被差別地域が多い
六 七世紀より前から差別されてきたのかと思う 大化改新の後百済からの帰化人は根刮ぎ東国に移配されている
天智天皇5年(666年)、百済人の男女2000人以上を東国に移住させる。凡そ緇素(出家者と非出家者)を択ばず。癸亥年より3年間、同様に官食を給賜する。 >>444
姓だけじゃなく、中臣氏に代々受け継がれてきた神祇信仰も捨てた
中臣鎌足と藤原鎌足って同一人物なのか? >>498
吉野ヶ里から直接ではないけど詫田西分遺跡出土鳥形木製品(佐賀県重要文化財)だろうね >>500
竹内宿禰の紙幣がミステリアスで良い感じ >>500
50にもなって18時から24時まで5chに張り付いている出来損ないのくせに偉そうなことを抜かすなよ。
おまえいっつもググって他人に対してマウント取ろうと必死じゃねえか。
そしてなんかカッコイイ言葉を長年間違って使っていた人生絶望しかないアルバイト爺さんw
宮台"IPアドレス"真司並みの知ったかぶり間抜け爺
p://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1598616243/753
>ヘタレだと思われたらそりゃ政権運営とか支持基盤とか
>スベカラク、ダメポになるわけでね。
「スベカラク」の用法間違ってるぞ間抜けwお前は何十年も延々と格好つけたつもりで恥をさらしてきたわけだ。
さすが出来損ない。 >>508
藤原鎌足って死後の呼称で
本人が生きてるうちに藤原を名乗ったわけじゃないからなあ。 石上神宮の布留の謂れは、刀が【流れてきて】布で受け止めたら留まったというもの
フルは現代朝鮮語では流れるという意味の単語
偶然にしては興味深い
布留という単語が出てくる鎮魂歌という祝詞にはアチメという単語も出てくる
アチメは現代朝鮮語で朝日という意味の単語 中臣氏は代々神道なのに息子の定恵をわざわざ百済に留学させ僧侶にしたんだよな 藤原不比等の時代に捏造ってできたんだろうか
潤色だったり話を盛るってのはできただろうけど
失われてしまっただけで金石文や文書や木簡がその時代には多くあっただろうし 現代まで残ってないだけで不比等の時代にはいろんな勢力が
いろんな金石文、文書、木簡を記してただろうしあからさまな捏造なんてするかな
実在の人物を持ち上げたり誹ったりはできても、居た人間を居なかったことにしたり
居なかった人間を居たことにできる時代じゃなかったと思うが 中臣鎌足は豊璋かと問われればその可能性は高い
そして郭務悰が来日して中臣鎌足は死亡した
そして郭務悰が2000人の兵とともに再来日すると
天智天皇が死亡した
太宰府が唐に占領されたことは日本書紀はおくびにも出さないが
郭務悰は藤原鎌足と名乗った形跡が有る 日本書紀は平安初期の写本である「田中本」が最も古く、古事記は1371年から1372年にかけて写筆された「真福寺本古事記三帖」が最も古いとされています
ちなみに古代の歴史書なんて
当時の為政者のための歴史書なので、
正確に史実を伝えている訳じゃございません
気にするな >>496
皆仏教がジャマだと思っていてムカついてたからいつ襲われてもおかしくないと思って
恐ろしくなって「和を以て貴しとなす」と言って牽制したんじゃないの 最新の中国の歴史教科書では
聖徳太子もジンギスはんも居らんかった事になっとるやろ >>496
革命防止理論じゃないかな
蘇我にとって代わるような敵対勢力(藤原 クーデター)が結局出たわけだけど キリストの一族か
後から来た秦氏ユダヤに見つかったんだろ 1万年前は日本海は今ほど広くなかったからな
日本列島には簡単に渡れたらしい 610年ごろの元興寺の塔露盤銘の文に
聖徳太子の名前が有麻移刀等刀彌々乃彌己等(厩戸豊耳命)と出てくる やっぱり!世界に影響ある有能な民族だった!
本国はおかしくなってるけど 虐殺されたとされる十数名あるいは二十数名とも言われる人々の、取り分け上宮家の当主であり「聖徳太子」の嫡男であったと言われてる山背大兄王の墓がどこにあるのか、それすら不明 うちも、押し入れ整理していたらアイロン台が電気で過熱する仕様のテーブルと
タバコの包装で傘を作る部品の切り出し用の型の入った箱入りセットを発掘したわ。
あんなしょうもないモン流行らした人は凄いと思うわ・・・。
当時どこ行ってもなぜか目にしたもんなァ・・・。 聖徳太子は実在しなかったが今のトレンドじゃないんかよ 聖徳太子なんて名前からしてキリスト伝説の日本ローカライズって感じだな
厩戸皇子、馬小屋で生まれたキリスト あれ?韓国の歴史教科書だと
新羅と渤海で南北朝時代って教えてるんじゃ
無かったっけ? どっちかっていうとしょうとくてんのうのほうがすきかな 飛んで聖徳太子を暗殺した連中が出世しちゃってるから怪しいよな >>540
ソープバスケットとか言っても今の人には通じんやろな
一時期すげぇー流行ったんやけど
そんなのがひょっこり出てくると懐かしい時間に包まれる >>544
実は中国から伝播された仏教にはキリスト教のエッセンスが入っている 主催田川広域観光協会 第17回古代史講座 白村江の戦い 御笠団と遠賀団 講師:福永晋三
https://youtu.be/uji41Q4Sn0w
何だか複雑だわ
北九州にあった倭国本朝と倭国東朝説 >>276
昭和天皇が一般人と結婚したとかデマ書いてるんじゃねーよ
皇族出身だろ 蝦夷ってのは蛮族の名前だし馬子と入鹿は卑しい動物の名前が入っとる
権勢を誇った一族の長がこんな名前のはずがない
本当の名前は別にあったはずだ >>276
昭和天皇の妃、香淳皇后は藤原氏で皇族出身なんだが…
>>556
動物の名前なぞ逆賊でなくとも当時はいっぱいいた
犬だの兎だの羊、鳥、鯛、烏賊etc
鵜野讃良皇女だってそうだな
動物名=侮蔑はもうだいぶ前から否定されてる >>495
毛人じゃなくて入鹿 散々言われている馬屋古王女で成人した姿が出てくるけど、まさに好漢 記事の内容ちょっと理解できてない人がちらほらいるから超簡単に説明するけど
・今回の発見で聖徳太子は実在したと証明された
・日本書記の正しさが証明された 聖徳太子然り死因がはっきりしていないのは多いよね。お墓に共に埋葬されているのも正妻とされた人ではないし。自分の死期を言い当てた説もある。 >>561
聖徳太子暗殺説の根拠にもなってるがな
死期を悟った=命を狙われてたとも解釈できるし >>491
自分もそう思う
日出処の天子の続編が「鮮らかな日没」で締められて終わる
長編だったらあそこまでくっきりとした印象は残らなかったんじゃないだろうか
ほんとあの頃の山岸涼子は絵も話も神がかってたなあ >>542
韓国の人は聖徳太子と豊臣秀吉が嫌いです。 >>562天然痘とかの流行病説・自殺説。身代わりが亡くなった説。身代わりが亡くなったなら厩戸はどこにいたのか?と妄想が妄想を呼び秋の夜長の楽しみ方のひとつでもある。山背も入鹿が嫉妬する程優秀…近親婚で親子二代優秀になれるものかしら?と現代的疑問もわく。 藤原氏は皇族でなない。香淳皇后は昭和天皇と結婚する前から良子女王。 >>529
当時ペルシャの王子が来日はしていた
亡命で >>6
荻野真って死んでたのか・・・今まで知らんかった
夜叉鴉の途中くらいまでは読んでたんだけどなぁ >>466
お前バカすぎ。中臣氏の神道系を否定するなら日本史を語る資格なし。
もともと神道系だった中臣氏の鎌足が山階寺をつくったのは大化の改新以降でこれは画期的なこと。
つまり対立していた仏教系との融和路線。神仏習合を始めた最初です。
日本における宗教観がこのときに形作られたといってもいい。
これらのことは春日大社を調べれば全て明白にわかる。その山階寺が移転して興福寺になった。
仏教が伝来する以前は土着の民間宗教が幅をきかせていて、それは小さなコミュニティーの神様という扱い。
よって、それは争いの心理的源泉ともなった。それはよくないということで仏教を導入したのが聖徳太子。
中臣氏は物部氏との関係から、その民間宗教の一番大きな神事を司る系統だったと。
よって、仏教が導入されて蘇我氏に非常に圧力を受ける関係にあった。それが乙巳の変につながっている。
和を持って尊しとして取り入れた仏教の力を背景にマウントとってくるのはおかしいだろっていうこと。
それで改新勢力が権力を取ったときに今度は仏教勢力との融和が必要になったという流れ。それが神仏習合の始まり。
神道系の中臣氏が仏教系とも融和したことで藤原氏は強い勢力を持つになった。
壬申の乱以降は再び仏教系が幅をきかせたが今度は改新勢力についた神道系が収まらず。
冷や飯だった藤原鎌足の息子の藤原不比等が再び表舞台に呼び戻される。
日本書紀や古事記の編纂にかかわり。現在の天皇の原形を規定した。男系であるとか元号とか。
また土着の民間宗教としてバラバラの状態だったものを神道として、逆に仏教組織を参考に体系化した。
そして神仏習合の基礎を作り乙巳の変以降の対立軸を終息させた。 藤原が蘇我系皇室乗っ取って蘇我のせいにしたたと思うわ天智は暗殺されるぐらいだから御輿だろ >>557
状況から察するに当時はあえて悪名をつけるのが流行ってたのかもよ
江戸時代や現代でも子供にあまり良すぎる名前をつけると
見えない存在の目を引いてあの世に引っ張って行かれるという考えがある >>561
死因は日本書紀にあるところだと病死
まあ想像を逞しくすれば毒殺とかいくらでも考えられるが 白村江(はくすきのえ)と習ったが、今では(はくそんこう)なのね(笑) 談山神社の元になった寺が創建されたのは七世紀で神仏習合の形になったのは十世紀だな >>579
山階寺は7世紀。つまり興福寺の実質的な創建は7世紀。ここが神仏習合の始まり。 >>11
中大兄皇子系=>弥生系
蘇我京=>縄文系 >>263
初期は藤原一筋とは程遠い流動的な都だったんだな 談山神社は当初は時流から寺として創建されたが、中臣氏は神社系がルーツなので神社となったともとれる。
興福寺や春日大社と対立していたグループがかかわっていたことが伺われる。 >>581
中大兄皇子系統は現在の天皇家の血筋で縄文系であることが確定している。 古代の史書は君臨する正統性をでっち上げるのが役割りだろ >>584
談山神社のもとは仏教僧になった中臣鎌足の長男(天智の子説あり)が
作ったんからじゃなかったか? この当時は言葉は悪いけど自分の嫁の払い下げが頻繁だったかと。十月十日の概念があったかはわからないが、実は前夫の子とかあり得たかもね。大海人から中大兄に嫁いだ有名な嫁「額田王」もいるからね。中大兄から鎌足に嫁いだり、娘を嫁にやったりしているし。現代と医学的にも貞操概念もないのでは? 天皇家は縄文系なの?
令和天皇なんか平面的な顔で弥生系に見えるが はいはい、灰
自作自演
これは聖徳太子が、子供は永遠の悩みである
とかいって自分の一族は消える呪いを墓にして立てたせいだよ
ミカドだけ生きてればいいとかでな 最近の教科書じゃ聖徳太子って名称は消えたってホント?
厩戸皇子になったとか >>593
明治天皇とか孝明天皇はギョロっとしてるよ
香淳皇后がのっぺりとしてるからそのせいかもな >>596
香淳さんの顔立ちのDNAが強くて凄すぎると前に誰かつぶやいてたな むかしの帆船時代のセントエルモの光
風とか強いとマストが自然発火する
日本にみえて、完全なアメリカとかイギリスとか海外の工作だな
航空機燃料も無茶苦茶粗悪にしてるのか >>162
そそそ
だこら現代で誇らしげに藤原苗字の人がうちは藤原の〜なんて言ってたら笑ってあげればよろしい >>598ひかえよ〜島津久光公の曽孫さまでござるよ。 >>595
聖徳太子(厩戸王)から厩戸王(聖徳太子)に変わっただけだよ。 福沢諭吉なんかにするから聖徳太子の存在感が薄れたんや
日本の概念を打ち立てたのに、外交的立場、国内的宥和 >>6
作者、亡くなってたのか。
エロ漫画で抜いてたわ。懐かしい。 >>193
北野天満宮の宮司さんの息子が高校受験失敗した話は当時の京都の中学で話題になったよ
みんなの代わりに落ちてくれたんだと 日本書紀には山背大兄王が蘇我入鹿に襲撃されて法隆寺(斑鳩宮)が焼けたとある
その通りに法隆寺には一度焼失して60年ぐらいあとに建て直された跡がある
その後に焼けた記録がなくて建築様式も当時のもので
法隆寺は現存する世界最古の木造建築とされている
つまり日本書紀に書いてある蘇我入鹿の山背大兄王の襲撃は事実だった可能性が高くて
山背大兄王は聖徳太子の第一子なので日本書紀の通りに聖徳太子も実在だった可能性が高い >>607
それはオプレッシャーすごいやろな
それより静岡県の知事なんとかしてほしいわ
あれ京都人やろ?東大落ちたクチかな? >>334
でも邪馬台国はどこかにあったはずで、教科書にも載ってるよね
聖徳太子自体を教科書から消すまでのことって相当強い意志が必要だね >>153
私にリプしてんのか知らないけど、そんな一生懸命に否定するくらいだから多分本当のことなんだろうな
大体ご先祖さまが誰とか家系図遡ると誰々に辿り着くとか、庶民にはかんけいないし、そこしか誇るとこないんかって話。
ラグビー選手に石原慎太郎選手という人がいるけど、試合前の選手紹介の時に名前呼ばれると会場がちょっとざわつく
それくらいに微笑ましく楽しむくらいがよろしい
遠いご先祖や名前なんてね >>610
すごいプレッシャーだったと思うよ
京都じゃ交通安全のお守り売ってる神社の宮司さんが接触事故起こしたり
神社の娘がお寺に嫁いだりと
楽しいよ
静岡県知事のことはごめん知らないです オードリー・タン「日本人は未来に住んでいるようだった」。台湾の天才大臣が語った来日時の記憶 【インタビュー全文:その@】
http://socie.arktis-ag.net/202010/news/cD564sX5on.html >>600
それが謎。
聖徳太子は後世の諡号だから、生前の呼び名が違うのはまだ分かる。
「厩戸王子」なら分かるが「厩戸王」は諸王の呼び名でかなりランク下の扱いになる。
厩戸王子は用明天皇と皇后穴穂部皇女第一子長男で父親の実姉が推古女帝、母の実弟が崇峻天皇。両親共に有力王族の異母兄妹夫婦の子供で生粋の皇族。
妃達も伯母推古女帝の皇女や孫娘、蘇我馬子の正妻との娘と当時の最高権力者の娘が競って後宮にいたことから実質は皇太子扱いであったと見るのが妥当。
推古が長命であったが故に即位しなかっただけで、
後継候補の称号「大兄」も保持していたと推測。実際に長男の山背には大兄がある。
山背は実質「王」であるにも関わらず、である。
聖徳太子はいない!派がおかしいのは、反論されると、いないわけでは無い、聖徳太子という呼び名で無いとか言いながら、今度は有力王族「厩戸王」等とビミョーにランク下げた表現を持ってきてるところ。通説にしようと躍起なこと。
何故そこまでして貶めようとするのか理解しがたい。 >>270
いずれにせよ藤原姓がたくさんすぎてありがたみのない苗字ってことだね >>275
歴史を知る上では面白い話だね
でも現代では必要ないものなんだろうなぁ
淘汰されたものというか >>278
それはもう皇室の方々の意思を尊重すべきだと思うけどね >>279
今の時代にそんなら野心持つ者が出てくるかな?
にわかに信じがたいんだけど
虎屋の今の社長の奥さんってインド人なんだよね
いずれ肌の黒い天皇が出てきてもいいと思うけど >>619
源平藤橘の四姓で朝廷の上層部を寡占した平安後期以降は
姓=出身一族をあらわす記号としては機能してないからね。
有力一族は例外なく別の名字を名乗ってるので
現在の名字として藤原を名乗ってるのは
ほんの一部の下っ端と明治期以降に名乗り始めた平民だけ。 >>310
えー、ほんとに?
Eテレで中村獅童とか大化の改新の歌とか歌ってたけど最近 >>624
ありがとう
そそそ、今藤原を名乗ってる人はそんな感じの人たちばかりってのを聞いたことがあってなるほどなぁっておもったの >>625
大化の改新は中大兄皇子(天智天皇)が権力掌握後に行った一連の改革の呼称。
蘇我氏を倒したクーデター自体は乙巳の変。 おい蘇我入鹿の子孫どうすんだよ聖徳太子の子供を殺した罪を。時間立ってるからもう時効にしてもさ >>618
実は歴史学者や民間研究者の中に
日本の歴史に悪意を持ち出鱈目を言って滅茶苦茶にしてやろうという意図を持つ者がいるらしいよ
邪馬台国九州説とか 丁未の乱の時、泊瀬部や竹田皇子と一緒に厩戸皇子も蘇我一軍で参加しているから厩戸皇子は存在したのでしょうね。この時物部氏は大敗を期している。この時の戦法を生み出して実行させたのが厩戸と言う人もいる。 >>94
当たり前でしょ、んなことッ
そんな無礼な質問あるか
なァァにを無礼なこと言ってるんだッ君は
人格破綻は君だよ無礼な質問して 聖徳太子ネタのスレ開く度に日出処の天子読み返したくなるわ
つか山岸涼子って70代だろ?
ジャンヌのやつ、どれくらいの割合で自分で描いてるのかな 斑鳩宮炎上後に復活した聖徳太子(女)が大活躍する、
ぐだぐだ法隆寺イベントをお待ちしてますとも >>494
天之日矛は?
なんで新羅の王子に天がついてるの? エベンキが偉そうにしてるのが今のチョンコかwwwwww
死ねクソ奴隷wwwwwwwww >>270
残ってないんじゃないの?
「近衛」「九条」「鷹司」「二条」「一条」
あたり。
奥州藤原家も、下総藤原家も。
現代の藤原さんは親族や近かった人が勝手に名乗った。 >>627
大化の改新もそっちよりのちの孝徳天皇を重視する考えも最近はある わけわからないよねw
藤原の名前捨てて中村とかになってるのに、
そのまわりの人が藤原姓名乗ったの? 徳の字が名前に入ってる皇族は最期がヤバイらしいけど仁徳天皇も? >>618
穿った見方をすれば、
浄土真宗のなかでの聖徳太子のプレゼンスは絶大でそこを否定されると教義がヤバイ。
浄土真宗を強烈に仏敵と意識する集団が政権についた。 >>634
それは間違いない。それ故に彼女は大きな権力を持ち得た。
それよりも天武のほうがよくわからない。個人的には古人大兄王だと思っている。
日本書紀で一番ぼかして書いてあるのが天武天皇で年齢が不詳で天智より年上の可能性がある。
ここらあたりのことがあるので、持統天皇の影響力は非常にでかかった。
この系統は最終的に女系を指向して途絶え。男系の光仁天皇の系統に移ったという流れ。
つまり、天皇位につく人を天智天皇の女系を無視できなかった天武系統というのが奈良時代で混乱が起こった。 >>276
大正天皇については乳母が使用していた白粉による鉛中毒説もある へえー
でもおとなりの韓国から見ればサル山のサル同士の共食いみたいなもんたよねw いわゆる男系女系論争というのは奈良から京都へという流れで決着の付いた話し。
それを今更蒸し返してる連中は日本の歴史を私は知りませんといってるに等しい。
>>621
そのとおりで、このことに皇室の方々が一番イラツイテおられるのは間違いない。
なぜなら、上皇陛下ご夫妻が奈良を訪問された際に天武・持統稜に参拝されなかったが光仁天皇陵に参拝された。
泉涌寺の家系図に天武系の系統は存在せず。天智天皇を祖として現皇室に連なる男系の家系図があり。
日本書紀にはない弘文天皇は、大友皇子は即位されたとして明治天皇が天皇として正式に認められた。
秋篠宮の宮家の名前の由来は奈良の秋篠寺からで、この寺の創建は光仁天皇。
今上天皇のライフワークは水路の研究で、具体的には淀川水系と琵琶湖疎水。
いわば天智天皇のお膝元の研究。
天智天皇の男系であるということが、天皇の要件だということを現在の皇室は強く意識されている。 天智天皇が祀られている近江神宮は昭和天皇による創建。
GHQによる社格制度廃止が執行される当日に昭和天皇が官幣大社にされた。
http://oumijingu.org/publics/index/93/
このことからも天智天皇がいかに重要なのかということもわかり。
大王から天皇へと変遷した重要な背景がそこに存在し、天智天皇の男系であることがその天皇の要件となった。 日本書紀というのは男系継承(男系であれば嫁は問わない)の正当性をうたうために、
天皇家の祖先は大王の時代からずっと男系の継承がなされておりそれさえ満たせばいいのではないかという書物。 男系継承となったのは天智天皇が男だったからその痕跡を継げるのが男系継承だったということに過ぎない。
もし持統天皇が大化の改新をおこしていたのなら女系による継承が成立していたかもしれないが、
持統天皇は天智天皇の娘であって大化の改新の祖ではない。
ただし、その存在も大きく天皇の娘は天皇になれるというルールになった。 妾がいなければ男系継承はできないとか、この医学が発達した時代にアホかという話。
1人の女性の高年齢での出産も可能になってきている。
また、どうしても現在の天皇と家系的にに近い人でなければ嫌だというなら。
彼女たちが男系継承者と結婚した場合は宮家とするルールにすればよい。
単純に家督相続的な発想でその家系に税金を投入することは憲法に抵触する可能性すらある。
日本の歴史の継承者として、犠牲を払って存在されるのだから国費投入して保護していく必要があるというと。 斑鳩・鵤・鳩・ハト…秦氏…秦をハトとは読まないよね…
伝書鳩を使いどこかの国の誰かと遣り取りをしていたとするならば、斑鳩もわからなくはない。鳩が多く住んでいたとしても…そんなとこにわざわざ宮を造るかしら? >>653
どの史料も天智が兄。年齢逆転説の手口は
A史料の天智30歳天武20歳から天智を抜き出し
B史料の天智50歳天武40歳から天武を抜き出す 豪族から取り上げた記録を元ネタにして書いてるから混乱が有るんだろ
同じ出来事を何度も書いて水増ししてると思えるとこも有る死 >>661
秦氏はともかく
当時の固有名詞の大半は音ありきの当て字だと思うよ。 >>662
日本書紀で年齢不詳って理由がわからない。 日出るなんとかって漫画のおかげで聖徳太子が嫉妬深い美少年として記憶されてしまった >>489
推古天皇の時代、隋書に登場する倭王は
阿毎アマ多利思比孤タラシヒコ
つまりバリバリの海部系なんだよね。だから歴史の表舞台から消された
この系譜は、後の世にあるお役目があって
あえて裏に隠れて存在を消した
今の世で、表に出てるのはみんなダミー アマタラシヒコは天照彦と言う意味なのではないかな
聖徳太子の棺は天皇と同じ絹に漆を塗って重ねて板にしたものが使われているよね
棺の寸法から身長が178cm前後と見られている >>649
寧ろ、聖帝扱いされている仁徳天皇と同じ「徳」の字が入っている。
不幸亡くなったけど、怨霊等にならないでって意味だと思う。 多人数の言葉を聞く事が出来たーと言うより、各地域からの情報収集ができた人じゃないかな?それかその当時稀な各国か数カ国語が理解出来た人。 >>661
>>664
>665
>668
服部、羽鳥 >>223
馬屋古女王の話も収録するつもりだったのなら丁度1冊分になったのかもな
編集長が変わったかなんかで、角川に移籍したんじゃなかったかな >>301
帝塚山大は奈良三重を領土とする近鉄グループやからなぁ。金持ち。 協力して物部氏倒すくらい蘇我氏とはマブダチだったのにな
あまり調子こいてデカい顔するとダメなんだよな >>682
マブダチではなくて、厩戸皇子(聖徳太子)もその息子も事実上は蘇我氏の一員。
皇族だから蘇我という氏を名乗らないが。 つまり自殺は日本の伝統芸でありますwwwwwwwwwwwwwwww >>671
隋書のその部分は裴世清が隋の正規の使者として倭を訪問して数カ月滞在したときの情報。
日本史では推古天皇の時代の筈なのに、倭の大王は男王。
当時の隋の政府の実務官僚が、珍しい国に出張して帰任後の報告だから、記録として信頼性がある。
少なくとも後年に書かれてイザナギから日本が始まるような本である記紀よりは圧倒的に信憑性が高い。
女帝推古天皇などいなかったし、「摂政として政治を行った聖徳太子」の実在は嘘だろうね。 聖徳太子が十七条憲法を制定しても、当時のネトウヨは十七条憲法で国が守れるのかパヨクとか言ってたんだろうね 聖人が輩出される背景には、想像を絶する人心の荒廃があるんだろうね >>116
642年に百済義慈王により国外追放を受けて、列島に亡命してきた百済武王集団の中の「翹岐王」が
「日本書紀の言う中大兄(後の天智)」で、彼の血統が現在の天皇家に継続している。
だが彼の没後、後継者である大友皇子が新羅の皇子である金多遂に破れ、金が天武天皇を名乗り
中央集権的な王朝を作った時が実質的に日本国が誕生したときと言って良いだろう。 >>671
アマって普通に考えたら海じゃなくて天の方
タラス=支配する ヒコ=日子
天を支配する日御子
個人名というより大王全体の総称とか別称でしょう >>682
聖徳太子の父用明天皇の母が蘇我堅塩媛。
聖徳太子母穴穂部皇女の母が蘇我小姉君。
二人とも姉妹で同じ欽明天皇の妃となっている。彼女らの弟が蘇我馬子。
馬子の娘の刀自古郎女は聖徳太子の妃で跡継ぎ息子山背大兄王子の母。
聖徳太子は両親とも蘇我系皇族で妃も蘇我氏。幼児期から後見してたのもおそらく蘇我氏と見て間違い無い。
ほぼほぼ身内。
ただ蘇我氏は同じ皇族の甥でも言うこと聞かない崇峻天皇(母小姉君)の方は暗殺してるからね。中々緊張感ある関係ではあったと思うよ。
馬子から見れば推古天皇も姪。
推測だけど、同じ姉妹でも堅塩媛の子供(推古、用明)のが優遇されてる?らしいから、彼女は馬子と同母で小姉君だけ異母姉かもとは言われてるね。 >>691
アマタラシヒコという言葉はどうみても個人名ではなくて一般呼称(美称)だよな。
じゃあそれが厩戸だったのか?
というとそもそも記紀の記述が最初から信じられないわけだから、なんとも言いようがない。
言えるのは、「信頼性が高い中国側の記録では、当時男王がいて和人は男王をアマタラシヒコ等と呼んでいたらしい」ことくらい。
そのころは推古天皇がいて聖徳太子が摂政で、というのは明らかに歴史事実ではない。 >>687
ネットは無いからたぶんネトウヨは居なかっただろ >>693
裴世清は、第二回目(中国側のカウント)の遣隋使に対する答礼の使者で、遣隋使メンバーと一緒に倭に渡航している。
倭国の遣隋使を派遣した政府の君主に会って、帰国してから記録を報告した。
別の国ということはないだろ。 >>695
でも今ならネトウヨになるような連中が、厩戸皇子のことを外国かぶれだ非国民だと悪口言ってそうだなw 厩戸皇子は別名が多すぎるのだが上宮王という名前は注目だ。多分上宮王は厩戸皇子在世中の名前であり建物由来の言わばあだ名であり最も一般的な通称だった可能性は高い。それと上宮王の王は本当は当時のどういう言葉に当てられた漢字なのか。上とは何だ?とか。
厩戸王という言葉は何だかんだで歴史学用語として浸透しているが、王を日本語なまりの中国語読みしてのOh!なんて何かおかしい。他方聖徳という言葉は結構古いらしく下手をすれば聖徳太子が亡くなってほどなく聖徳という名前が奉られて人々は聖徳の中国音日本語訛りにて慣れない異国語で「ショートク」と言っていた可能性無きにしもあらず。 ごちゃごちゃ書いたが要は、厩戸皇子こそが日本語に漢語が侵入するその最大の契機ではなかったのか、先ずは名前官職名において、という事です。 聖徳太子の正体
https://youtu.be/1nlHYGD-2tk
北九州の筑紫朝の天皇アマタラシヒコ
現在の天皇家は豊国朝の皇統
という説 聖徳太子のいた頃の都は大和だよ
遣隋使のことが書かれてる隋書にも倭の都は邪摩堆(大和)すなわち
魏志にある邪馬台の事であると書いてある 異説とか逆説は面白いものもあるけど、古文書やら史料等とを照合して辻褄を合わせる、基本中の基本が出来ていない以上ただの妄想でファンタジーの域を出ないけど史実化しようとする輩がいるのはなんなのだろうと常々思うが
>>629のような事情もあるのだろうな
何かムチャクチャ突飛な説を平然と言ってたりするけど
トンデモ話の声が大きければやがて常識化して後世に継がれていくのであろうな 嘘も100回言えば本当になる、を実践してる勢力が現実にいるってのがすごいよなぁ
壮大なロマンだ
ものすごくみっともないことなんだけど。 >>690
中大兄と天武天皇の両親は舒明天皇と皇極女帝なんだけど何言ってるんだ? >>45
古代エジプトのファラオは王の娘としか結婚できなかったため
兄妹婚など近親結婚ばかりだった。
神話に基づく王朝は、王位の正当性を保持するため、大概そうなる。 >>700
聖徳太子は北九州にいたのに斑鳩に法隆寺を建てたの?w >>706
王の娘としか結婚できなかったわけではない
王権が王家の女性にだけ伝わるものなので
王家の男子でも王家の女性の配偶者にならなければ王になれなかったが
それ以外の女性とも結婚できた
で、後継者には近親婚ではない結婚で生まれた子が選ばれたと言われてる エジプト王家はしまいには男性でも腰回りが女性のようになるという
ホルモン異常らしき特徴的な遺伝病が常態化してたらしくて
ファラオの彫像とかにも表出されてるらしい その点日本の天皇家は古代王族の中では近親婚はない方とも言われている 折口信夫による「妹(いも)の力」だね。
一族を代表する乙女に巫女的霊力があるから、それを妻としたものが権力=王権を得るという考え方。
妃の多さは好色さでは無く、それだけ多くの部族から能力を見込まれて一族の娘を献じられた証。
天皇は当然王族の后がいて、それをオオキサキとし、さらに他部族の乙女らを献じられる。これが古代の王権のあり方。 >>254
遅レスだけどあの時代やると衣装からカツラや調度品まで全部新調しなくてはならなくなるから予算の都合で難しいみたいだね
他の時代なら主役級以外の物は倉庫の品を使い回しできるから 聖徳太子こと厩戸皇子は実在した
ただし、冠位十二階や十七条憲法などの業績が厩戸皇子によるものかどうかは疑わしい
実際には蘇我馬子の業績かもしれないということ >>713
それもよほど慎重にやらないと自称専門家があれこれケチつけてくるからな
一々諸説ありにしないと断り入れないとならないのも窮屈で、せっかくの題材も扱えにくいってのも変な時代だよなぁ
頭にフィクションと入れても影響力が何たらかんたらと責任押し付けてくるのもなぁ
娯楽が許されないって難しいね
一人残らず万人が納得する歴史なんてありえないんだけどなぁ あとどうしても絵面が地味なんだよね
衣服も装飾品も当時のものを再現しようとすれば華やかとは言い難いし >>718
なるほどねー
いっそ衣服や建物とか言葉とかは現代だけど、中身は詳細に史実に基づいて、ファンタジーらSF要素抜きにやったらどうなんだろうかなぁ
気持ち悪いだけか >>687
今で言えば永田町や霞が関の人たちに向けた
御詔勅だったのではないか
私利私欲の党派的争いをせず国民のために身を粉にして働くべし
あれっ今のこと? >>690のような無理矢理日本の皇族や重要人物を渡来人認定するやつはなんなんだ?
どうみても当時の百済は日本よりずっと国力が下で、日本に王子を人質に出してたレベルの属国同然
その上に当時の百済は唐と新羅に滅ぼされて滅亡してるのに、
百済に日本を征服したり軍事力を背景に王権を奪うような力なんかあるわけがないし
暗殺とかで無理やり奪ったら豪族が従うわけないし、
従わせるような力もあるわけがないだろうに
新羅にしたって唐の助力で白村江で買ってはいるが
単独で日本に勝って王権を奪う力なんかあるわけがない
唐の助力があってだったら唐の史書に残らないわけがないし
荒唐無稽すぎるものを論拠もなく事実のように捏造するなよ
どんだけ百済と新羅に妄想ファンタジーしてるんだ 一時期、聖徳太子はいなかったって教えてたよな?
復活したんだな なんか憑依されそうです…
こんばんわ、初めまして、聖徳太子です
なんでも質問してください >>234
ヤクルトの秦も知らないうちに引退してたやん 古代日本では近親婚のタブーが母親を同じくする兄弟姉妹だったので
何らかの母系制の影響があると思われる
ちなみに妻問婚で複数の妻がいても
それぞれの妻の実家に夫が通うシステムだったのに
上宮王家(聖徳太子の一族)は全ての妻と子を同居させていたので
それが当時の常識から外れた鬼畜の行いと思われたとの説もある >>726
いまで言うとマスオさんシステムが普通だったのか
サザエさんすげえな >>727
平安時代だって通い婚じゃないか
何人かの妻のうち実家の力とか愛情とか色々勘案して正妻決めたら同居する様になる
でも他の妻とも切れるわけじゃない
子供たちはそれぞれ妻の家で育つ
鎌倉くらいからなのかな?嫁取り婚になるのは あっちこっちで子種撒き散らしていたのか
それも公認で >>729
現代では便宜上通い婚と呼ばれているだけで
当時は天皇家以外には婚姻制度自体が無かったからね。
婚姻制度がないのに不倫が成立するはずもない。 >>719
しかも今の日本のドラマ制作力からしてクソ確定
ここ最近の大河見たらわかるだろ 日本はなかなか認めないけど法隆寺は景教寺院だろ
この話のように迫害弾圧されて残骸しか残ってないけど
日本に最初に伝来したのはキリスト教だった >>733
戦国時代の武将が戦嫌いの平和主義者の設定だったりとかな
時代的に有り得ないだろ >>730
昔は、遺伝子もDNAも、更に精子・卵子などの知識もないから、いっぱいすればするほど、優秀な子供が出来ると信じられていた。
だから、父親が誰なのかもあやふやで、女性中心の通婚が主だったらしい。
その内に、似ている似ていないで、父親を特定してきたが、もしかして一人の男だけしかしなかったら、父親が特定出来るのではないかと気がついて来たものの、その頃は目が合えばしちゃう時代だから、紆余曲折しながら、試行錯誤で血族主義が固まって来た。 >>736
近年のNHKの方針で、主人公を平和主義者にしないと企画が通らないらしい
たとえ戦国武士であっても >>735
厩戸皇子が厩で産まれた自体、キリストがネタ元臭いところはある 日本人は艱難を共にすることは出来ても安楽を共にすることは出来ない
なぜ滅んでないか不思議なものだ 聖徳太子の死後間もなくのうちに太子信仰が生まれているから
実在はほぼ間違いないし当時からすごい人だと思われていたんだろうな >>740
それは太子様の広めた鎮魂護国の法 仏教があるからですよ >>735
認めないというか認めるほどの根拠がないだろう
仮に日本に景教が伝来してたとしてもそれを仏教より先だという証拠もないし 聖徳太子自らが廟地として選定された磯長廟は、奈良県から二上山を越えて河内に入った叡福寺境内の北側にあります。
叡福寺は推古天皇30年(622年)、先に葬られた太子の母の眠る御廟に、太子と妃の大郎女が合葬された折、推古天皇より方六町の地を賜り、
霊廟守護のために僧坊十烟(墓守の家10軒)を置いたのが始まりと言われています。
太子は実際に農業奨励のために、大和・河内・山城の地に灌漑用の池や水路を作り、国ごとに朝廷直轄の穀物貯蔵庫のある農園を置きました。
また社会事業として、四天王寺に悲田院(貧窮孤独者の救護院)、施薬院(医療施設)、療病院(病院)、敬田院(仏法僧院)などを創設されました。
こうした太子の愛民治国の姿勢は、生前から人々の間に「太子信仰」を生みました。
奈良時代に入ると、本地垂迹説(神仏習合思想の発達したもの)の広がりとともに、本格的な太子信仰が始まりました。
太子は、中国天台宗第二祖で般若思想の実践者でもある慧思禅師の生まれ変わりであるともいわれ、最澄はこれを固く信じ、永く比叡山は太子信仰の伝統を守りました。
叡福寺は聖徳太子を慕う人々のかけがえのない聖地であり、
空海、親鸞、叡尊、良忍、一遍、日蓮、證空など高僧の参籠の地でもありました。 叡
@あきらか。さとい。かしこい。「叡才」「叡達」 A天子・天皇に関する尊敬語。「叡感」「叡旨」「叡覧」 摩尼教の宇宙図が日本から発見されたり、日本はユーラシア文化のタイムカプセルになっている 冠位十二階の十二という数字はイエスの十二人の弟子から来てるのかもしれない マニ教の12の教師が冠位十二階の由来かも知れない
摩尼教と景教は、キリストの神性と人性を分けて解釈するグノーシス由来の思想がある 聖徳太子って今で言う官房長官くらいの地位だろ?
特命大使を中国に派遣するような権限あったのか? >>755
いや総理大臣に相当する
天皇の代わりに政治を執り行うから 数日モヤモヤしている。誰の漫画だったか思い出せない。聖徳太子と小野妹子が超能力が使えるやつ…。 中国側の記録では使者を派遣したのはアメノタラシヒコで後宮に沢山の女を抱えてる男性 日本昔話。
かぐや姫とか桃太郎とかと同じようなもの。 流刑された王族の翹岐が中大兄皇子で有る可能性はゼロだよ
豊璋は中臣鎌足である可能性は高いけどね
また中臣鎌足と藤原鎌足は別人の可能性も高いよ
それこそ藤原鎌足は郭務悰の可能性が高い >>749
まあ数字そのものに霊力があるという考え方は
古代ギリシャの数秘術のように洋の東西を問わず
割と一般的な考え方ではあるなあ
(ピタゴラスがまさにピタゴラス教団の開祖様のように)
それいえばさ一七条の憲法の17条ってなによって話でねw
だから後のさ鎌倉幕府の御成敗式目も51条でしょ? 17×3の。
なんかあるんだよな、そういうの。
>>755
時期によるけど推古帝の摂政だからねえ
摂関はまあ総理大臣と言っていいんじゃないの。
それいえば今の内閣総理大臣だって
太政大臣というよりは摂関みたいなもんだと思うけどねwww
それにしても今の内閣と皇室の「助言と承認」関係って
ケンキョなんだかゴーマンなんだかよーわからんねw 鮮やかだったとおぼしい天寿国繍帳が残ってるのに、なんで服が白くなるんだ。 >>721
何言ってんの?「渡来人」とか「帰化人」なんて言葉自体無意味なくらい、
支配階層の半島系は支配的だったのに。半島遺伝子も、最も濃い畿内は90%
以上なんだが。大王の嫁や親戚でも、直接百済や新羅の王族が山ほどいるわ。
それぐらいつながりが濃いから、超大国唐相手に百済の要請を受諾して無謀な
防衛戦を挑み、壊滅して進駐食らったんだわ。
アホは脳みその1%でもいいから勉強しろよな。 ? 帰化人はみな日本人ですよ シナチョンは邪まな考えを持たないでね 陰陽五行説だと奇数は陽の数字だから十七や五十一には違和感感じない >>759
という事は今の天皇って詐欺師の末裔なんか? 北宋の資治通鑑に豊璋は捕らえられて流刑の記録があって一方の中臣鎌足は阿武山古墳の被葬者と怪我の箇所や冠やらが記録と一致しているわけで
豊璋と中臣鎌足は死亡した時どころか国すら異なり、決して同一人物とはなりえない明らかに別人なんだが というか蘇我一族自体が景教(耶蘇教)なんじゃないかな?
名前が独特すぎるけどこう考えるとなんとなく納得
蘇我馬子 マイケル
蘇我蝦夷 エマニュエル
蘇我入鹿 ルカ 特アの人達は日本の歴史に茶々入れようとしないで
自国の歴史の研究でもしてろ 厚かましい 天皇が仕事を手伝って欲しいと呼び寄せた日韓ハーフの名前が木満致
蘇我馬子の父親・蘇我稲目の父親の名前が蘇我満致 室町以前になると
信頼度ガクッと落ちるよな
国を挙げて寛永諸家系図伝作った家光は偉大だった!
単純に二度と反乱起こさないように作ったんだろうけど。 小野妹子って別に本名あったんじゃないかな
当時の妹って恋人っていう意味だろ
すごい変な名前 外から日本に移住して乗っ取ろうとしても
大変なはず。
徳川政治のおかげ。
ニセモノの天皇とかなら乗っ取れるかも知れないけど、
在日ネットワークで日本全て乗っ取るの大変だろうね。 鎌足の家系も神功皇后に半島に使いに出されて何世代化して日本に戻ってきた家系なんだよね >>761
豊璋が中臣鎌足ってのも無理あるだろ
弟の子孫が百済王氏になってるのに藤原氏から特別扱いされるでもないし
百済人なら百済王氏のように普通にそんな姓もらえばいいだけで
既に存在する中臣氏をのっとるのも不自然 >>764
そっちが何言ってんの?
支配階級の半島系ってなんのこと言ってるのか知らんが
蘇我氏とかのことなら半島系だなんて証拠はないぞ
東漢とかの蘇我と関係深かった渡来系は大陸系の方も多いし
半島遺伝子ていつの時代に渡来したかもわからんのに
中大兄皇子とかの千年前に渡来しかかもしれないものがに何の証拠になるんだよ
しかも大王の嫁や親戚でも、直接百済や新羅の王族が山ほどいるわ。
そんなもの古代でもまれな例だわ
しかも当時、大王の正妻は皇族でないといけなかったから
半島の皇后なんかひとりもいなかっただろ
側室クラスですら有力なのは蘇我氏など国内豪族
繋がりが濃いといっても、百済との関係は所詮
百済が日本に従属的になるという形での繋がりであって、
天皇になったりのっとれるほどの支配力があった証拠にはならないし
764はそれこそ1パーセントの証拠にもならないものを曖昧に出してるだけじゃん
誰かひとりでも、百済や新羅の王族の皇后とかいたか?いないだろ >>770
入鹿ってそのまま海のイルカの意味で動物由来だよ
別に入鹿や馬子などに限らず色々な動物名がみられる >>764
大体、そもそもの皇室自体に別に百済や新羅からの渡来なんて証拠もなければ、
百済や新羅の血が濃くなるような系図でもなかったんだし、
皇室を「支配階級の半島系」認定するのはどう考えても無理だろ
百済の支配階級って意味なら、それこそ王子が日本に人質にくる程度、
白村江の時も人質として王弟が日本に残ってて
だから兄と違って唐に連行されずに百済王氏の祖になってる
しかも百済王氏はそんなに高い身分ももらってない
百済の支配階級やその子孫の扱いを見ても、
百済人は王族ですら天皇になったり成り代われるような力なんてないよ 歴史なんて学者の筋書で本当かどうかなんか誰にも分らない 物部とは弓矢を作ってた渡来人の職人集団
それを率いていたのが物部氏 聖徳太子が存在しないと言い張る池沼が仕切ってきたのが日本
在日や反日がアカデミックに存在し続けているのは日本人は朝鮮から渡来したと言い張るキチガイ集団な >>764
つうか764の話は曖昧な言い方すぎて何を指してるのかわからんわ
>大王の嫁や親戚でも、直接百済や新羅の王族が山ほどいるわ。
例えばこれとか、山ほどいるというなら具体的に名前を書いてくれ山ほど。
天智天皇と天武天皇の父親の舒明天皇の嫁でいうと皇后は宝皇后(皇極、斉明天皇)、
他に推古天皇の娘の田眼皇女に、蘇我氏の法提郎女と手杯娘、
あとは粟田香櫛娘と蚊屋采女という女性がみられるが、
百済や新羅の王族なんていないしもちろん皇后にもなってないだろ
先に書いておくけど、桓武天皇の母親とかは該当しないからな?w かつて日本人は自ら太白(呉)から渡ってきたと言っていたような事が
魏略に書かれているよ 大海人は新羅の人では?それなら現在の宮内庁の扱いもわからなくはない。 肉食禁止しなければ日本人の体格もあんなに悪くならなかったのに キツ〜イ、🇷🇴警察や🇷🇴検察や🇷🇴裁判所
に大量に侵入させて
在日犯罪者バイパスしたりとかなら
出来るかも。🙏なむ まあ、日本は世界の果ての島なんだから、いろんなものが最後に辿り着く場所なんだよ この時代蘇我氏が天応打たという説もあるが隋書の記述と矛盾するのがな
使者が蘇因高で蘇我氏だとすると大王のアメノタリシヒコは蘇我氏じゃない >>764
>超大国唐相手に百済の要請を受諾して無謀な 防衛戦を挑み、壊滅して進駐食らったんだわ。
日本は百済に出兵はしたけど日本までの進駐なんかされてないよ
仮にされたとすれば新羅単独ではありえず、それも唐との連合軍になったはずだし
それで王が変わったなら、はっきりと唐の記録に残らないはずがない
地図みればわかるけど半島はそもそも日本より面積が少なく
しかも百済と新羅はその全てを支配していたわけでもない
面積と人口からいっても古代においても日本とは段違い
大陸から入ってくる先進文化にしても既に日本にも入ってきたし
直通も大陸系渡来人からの伝来もあってもう大きなアドバンテージじゃない
あくまで大国なのは唐であって百済や新羅じゃないし、
その百済や新羅が王権奪取するほど軍事力を保有できるはずがない
唐が出張れば不可能ではないけど当の唐がそんなこと書いてない 日本書紀には筑紫に来てたらしい記述があるんだよな
武器や船を提供して恭順の意志を示して関係修復を図ってる 小学校の校庭ぐらいの狭い土地で政敵同士が犇いててびびる 壬申の乱で大海士皇子が勝利したのは唐軍が筑紫に進駐してて近江朝が西日本の兵力を動かせなかったからか >>8
こうやって言うってことは自分たちの行いが愚かなことだって言うのはわかってるんだw。
それでもやらずにはおれないんだねw。
もう半島ごと冥王星の向こう側にワープしたらいいのにw >>738
日本国民を洗脳して去勢する目的がNHKだろ
受信料は強制的に巻き上げるわ、半島ニュースばっかり流してるわで >>742
逆に蘇我氏を慕う勢力がないよな
物部氏の本体は生き地獄コースで艱難辛苦だったろうけど 一部生かされたのもいてたような
平家は全国に末裔を称する人たち居てるけど、蘇我氏はいないな
関東どこか千葉?に地名もあったような気がしたけど、何かつながりあるのかね
もうひっそりしていたいのか >>812
蘇我氏は乙巳の変のあとも中枢で権力を保ち続けたし
蘇我蝦夷の末裔は石川姓を賜って宗岡氏を名乗って普通に現存してるからね。
まあ蝦夷の末裔っていうと今の天皇家もそうなんだけどさ。 そりゃ蘇我氏そのものは天皇にはならんさ。
蘇我の血統から数人の娘が天皇の母親になっただけだ。
乙巳の変を起こした中大兄皇子にも蘇我の血は流れてる。 よっしゃ、あいつは家ごと焼いたれ、で殺しちまうんだもんなあ。
今の水準で考えると、こいつらホントはアホなんじゃないか。 >>816
それなら藤原とかの方が多いんじゃないか >>818
藤原家にも蘇我の血は流れてるね。
鎌足の子 不比等の最初の妻は蘇我娼子で
有名な道長を出した藤原北家を含めて藤原四家のうち三家の祖は彼女の息子だ。 そうだったのか
まあ天皇家ってのはその時代の有力者の血が母系として連綿と入ってくるものなんだよな
すごいもんだよ
戦国江戸時代は知らんけど 間抜けなやつは傀儡をみて日本人だと思うだろうな
現在でも植民地政策を受けているし
総理や都知事、大阪府知事も過去帰化人だったことを忘れてはいけない
歴史は事実が重要なんだよ 鎌足の長男は一人息子なのに出家したんだな
その後で不比等が生まれたから結果オーライだけど
等しく比べる物なしって、一人息子に付けそうな名前だな >>34
また聖徳太子が居なかったことにしたい左翼学者の説を撒き散らして。 大阪府八尾市には昔の大日本帝国時代の空軍空港がある八尾市 河川の下の地下道地下鉄などの
人口地震用に潜んだ北朝鮮民主主義人民部落共和国大韓帝国統一朝鮮省などによるテロや人工地震テロに
注意すること
恩智川
平野川
長瀬川
楠根川
荒川
落堀川
加美巽川
箕後川
法隆寺も四天王寺も朝鮮寺 斑鳩寺や飛鳥寺などの斑鳩のあたりが厩戸巫女王子をイエスキリスト に見立てたソビエト蘇我朝鮮共産主義仏教共同体のテンプル寺院 >豊璋が中臣鎌足ってのも無理あるだろ
豊璋は朝鮮人ソビエト共産だったんだから、中国共産党社会党系の中国人に化けるなよ中朝国境で 聖徳太子の実在を否定したいのはアンチ・仏教のキリスト教徒か神道信者だと思う。 弟の久米皇子は任那復興のための軍の将軍になったけど九州で病気になって死んでるんだよな
母親と再婚した異母兄の家系は残ったんだろうか >>816
蘇我氏にも平家(伊勢平氏)と平氏一般みたいな概念あったのでは?
宗家が全滅しても一族は姻戚関係などで耐えず形を変えて残った 天智、天武の後宮にも蘇我氏の娘がそれぞれ入って
皇子皇女を産んでいるし
藤原不比等の妻も蘇我氏でその子の4兄弟のうち3人は蘇我氏の血 盛者必衰。
天皇の外戚でも権勢を振るわなかった氏族は滅ばずに長続きしているんだよね。 法隆寺、平群郡、龍田、
聖徳太子はこの辺とも関係がありそう
当時法隆寺周辺にはどのような勢力がいたのか?
聖徳太子廟があるのは磯長シナガ
龍田の神は級長シナ津彦命、級長シナ戸辺命 >>260
聖徳太子は中国馬鹿にしたから
中国シンパの日教組から抹消された 藤原家ってあっさり権力の座についたみたいな印象をもたれているが、どうみても苦難の歴史だろ。
藤原不比等だって復帰できたのは驚きだし。その後の藤原四兄弟を天然痘で無くすとか。
あるいは藤原の姫君が兵隊に無残な目にあわされたとか、日本史の負の部分を背負ったところもある。
あるいみ生き残ったのは奇跡的。 聖徳太子って実在したの?キリストのパクリだって話も聞くけど本当はどうなの? >>837
藤原氏が陰謀で他氏を追い落とした例の方が多いと思う。
応天門の変とかね。 むかしはすぐ焼き討ちだ毒殺だと物騒だったよな
逮捕されないから この時代の刀って切れ味悪そうだろうほとんど撲殺なのかな >>837
あっさりどころか、藤原氏が地位を築いたのは、権力闘争に次ぐ権力闘争を勝ち抜いたからだろ。
出発が、いちかばちかのクーデター(中大兄皇子と組んで、権力者蘇我氏を一気に滅ぼす。)だし。
鎌足だけでなく子孫も有能な人間が生まれたのも勝因か。(鎌足の遺伝子は優秀?)
戦争でなく政治闘争だからわかりにくいが、藤原氏の戦いの歴史はドラマにしたら波乱万丈。 >>839
応天門は権力をとったあとそれを守るためだからある意味ありそうな話し、
権力に昇る過程では完全に追い詰められたと思われるところから逆転している。 聖徳太子の1万円札を保存しておいたはずなのにいつの間にかなくなってた・・・ 日本人は現代になるまでずっと人殺しの歴史で嫌になる。 >>847
でも、現代を生きる俺たちは皆、勝者の子孫だよ。
敗者は子孫を残せない。 >>841
そもそも日本刀全盛の平安鎌倉からして打撃武器やぞ
騎突の勢いにのせて叩き斬る >>847
誰も人を殺さなかった歴史の国があるなら教えてくれ
ファンタジーじゃなくて現実で >>824
日本書紀に聖徳太子の子山背大兄王が蘇我入鹿に襲撃されて
斑鳩宮(法隆寺)が焼けたとある
その通りの跡が見つかっててその後は焼けた記録もなくて
法隆寺は現在世界最古の木造建築
つまり日本書紀に書いてある山背大兄王が襲撃された下りは
本当にあった可能性が高い >>838
たぶん当時は聖書が日本になかったからパクッて書くのは難しいんじゃないの
中国に伝わったネストリウス派キリスト教の景教の影響とも言われるけれど
景教の経典は割とざっくりしててキリストが馬小屋で生まれた話とかが載ってなかったりする >>852
「隠された十字架」だっけ?
太子の子孫たちが全滅した土地に太子を鎮魂する寺を建てたって説 >>853
そもそも、キリストは馬小屋じゃなく、家畜小屋(牛・ロバ)の方が
正確なんだが。 >>847
日本とか人種間闘争も宗教迫害もないから世界標準に比べたらずっと緩い方だと思うけどなあ
族滅とかも中華の容赦なさに比べたら及ぶべくもないし >>856
間違えた
ないからってことはなかった あるけど緩いでした
人種間闘争は縄文末期から続いているとは言えるし
宗教迫害や対立は幾らでもあるわな >>822
長男は唐から帰国直後に急死しているが、恐らくは尋常の死ではない
不比等の素性についても不可解な点がある
今となっては真相は闇の中だが、色々あったんだろう
因みに鎌足がつけたとされる本来の名前は「史(ふひと、使用人の意)」だよ 百済系、邪馬壹国系、大和系
三主流があたんじゃないか? 蘇我入鹿は当時としては珍しく女性権力者
俺は子孫だと言われてるが伝承では卑弥呼のような女性であったと言われている >>864
は?、だから何で馬限定にしてるんだよ。 >>686
『日本書紀』の成立は、720年で唐(618年 - 907年)の時代
『隋書』の成立も、636年で唐(618年 - 907年)の時代
『魏志』(倭人伝を含む)は
台与につづき五王が、まだ朝貢している280年から297年の間に、西晋(265年 - 316年)が書いたもの >>843
中臣氏は代々祭祀をつかさどる一族なのに、鎌足だけなぜ戦闘なれしてるのか…
中臣鎌足と藤原鎌足は別人なのか? 特に、ほぼおなじ年代に、同じ皇帝の名で、おなじ唐の国の人間が編纂した
『梁書』倭人伝(629年完成)と『隋書』倭国伝(636年完成)の差が興味深い
『梁書』倭人伝(629年完成)では
南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行くには、対馬から
一支国−末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て邪馬臺国
となっているのに、そのあとすぐに完成した
『隋書』倭国伝(636年完成)では
【南朝梁(502年から557年)の時代から、わずか24年後の】
隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行くには、対馬から
一支国−【竹斯国】−秦王国−十余国を経て難波津−奈良
となっている
これは、
末廬国、伊都国、竹斯国、秦王国は、同年代の倭国に存在していた
ということであり、
南朝梁(502年から557年)から隋(581年 - 618年)に変わる間に、
一支国(壱岐)から本土への上陸地点が
末廬国、伊都国付近から、北九州の竹斯国、秦王国に変わったということである >>822
不比等の名前の由来は史だって言われてるけどね。
中臣本家のカバネは「連」だけど
当時の朝廷の下級文官は「史」のカバネが多かったから。 それではなぜ、大和政権が
南朝梁(502年から557年)から隋(581年 - 618年)に変わる間に、一支国(壱岐)から本土への上陸地点を
末廬国、伊都国付近から、北九州の竹斯国、秦王国に変更できたのか
それは「ヤマトタケルの西征」の結果だ >>868
中臣氏のカバネは連だから豪族だよ。
物部氏もそうだけど、当時は神道系の祭祀はまだ権力と分離していない。 一族焼き討ちにした蘇我氏が異常なのか。
一族焼き討ちに合うほど聖徳太子が異常だったのか。 天皇の系図も改ざん
s://blog.goo.ne.jp/nagusa777/e/211613c8af39a80747b47b626a28769b >>865
別にしてないけど?
馬だって家畜だ
つまり厩は家畜小屋とも言える 日本の記紀と、
台与につづき五王が、まだ朝貢している西晋(265年 - 316年)が、280年から297年の間に成立させた『魏志』(倭人伝を含む)
北宋(960年 - 1127年)が、改めて1600年に成立させた中国の正史『唐書』(新)
によれば【倭奴国】は、
九州の筑紫城を首都とする
関東地方の国々も支配下に置く大国で
初代の「天之御中主神」から
高御産巣日神
神産巣日神
宇摩志阿斯訶備比古遅神
天之常立神
国之常立神
豊雲野神
宇比邇神・須比智邇神
角杙神・活杙神
意富斗能地神・ 大斗乃弁神
淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
伊邪那岐神・伊邪那美神
大綿津見神(豊玉彦)
まで、代々、男王が跡を継ぎ
九州の筑紫城を首都として、関東地方の国々も支配下に置く安定した大国で、
畿内や出雲も、九州の筑紫城を首都とする【倭奴国】の支配下の、辺境のド田舎の地方のひとつだったわけだ
しかし、伊邪那美神が死亡した後、伊邪那岐神が、
出雲と伯耆の堺近辺の「根之堅洲國」出身の女性との間に、天照大神・月読命・建速須佐之男命の2女1男の三人の子供を授かって、
歳をとってからの子供は可愛いとばかりに溺愛しだしたところから、話が急転していくわけだ キリスト
受胎告知
馬小屋で生まれる
私に願う事は何でもかなえようと言っていた
12人の使徒
大工をやっていた
未来予知
聖徳太子
生まれる前に母親が西方の救世観音が腹に宿る夢を見る
馬小屋で生まれる
十人の訴えを同時に聞いて適した助言を与える
冠位12階
現在でも大工が集まって加護を願う太子構という祭事が存在
未然を知るつまり予知能力があったとされている
これはもしかして
もしかするかもねえ >>880
結局、馬小屋に限定してんじゃねえか。
>http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~hiratuka/essays/stable.html 600年 第一回遣隋使 使者が言うには「倭王以天為兄以日為弟云々」
607年 第二回遣隋使 国書が言うには「日出処天子致書日没処天子無恙云云」
第一回遣隋使段階から大隋国は倭国にとっての基軸でなく宗主国でもない。すなわち第一回遣隋使=第二回遣隋使であり全てはちゃんと計画された通りの外交だった。 物部との戦いの時に聖徳太子は自ら四天王の像を彫った >>884
聖徳太子が摂政を務めてた頃って物部が最も没落してた時期だろう?
領地の大半を失い、朝廷では役職者を一人も出せない没落豪族と摂政がどう戦ったんだ? >>887
呼び方というか後で字を当てなおした印象があるよね。
蘇我蝦夷の本来の字は「恵美子」だって話があるように
「厩戸」も読みは同じでも漢字は違った可能性が高い。 >>885
蘇我が物部守屋を破った戦いに若き厩戸皇子も参戦した。
そこで四天の像を彫った話が有名。 聖徳太子といえば一万円札。
これそうとうな年だな。 >>889
有名だけど丁未の乱の時点で厩戸王は13歳。
創作の可能性が高いし
事実だとしたら参戦したというより支持を表明したレベルでしょう。 >>891
年端も行かない皇子が自作の仏像作成ってのは
戦意高揚にはいいネタではあるよね >>883
返信になってないぞ!
お前の言い分なら鳥小屋や豚小屋でも 同じ家畜小屋だから
馬小屋って言い張ってる様なものだぞ >>893
家畜小屋の中に馬小屋が含まれる
つまり家畜小屋⊆馬小屋だね >>894
イエスの生誕場所はイザヤ書では牛とロバを飼っている家畜小屋。
ローマ・カトリックでは単に小屋。
正教会系では洞窟で生まれたことになってるね。
新約聖書には生まれたばかりのイエスが飼い葉桶に寝かせられたとしか記述がない。
馬小屋と解釈するのは結構な飛躍かな。 >896 途中で送信しつぃまった!
だから、聖徳太子誕生を キリスト誕生の影響って無理があると思うし
仏陀誕生の影響を 記紀に記した方がいいよね。 >>838
聖徳太子は実在してるし今も子孫が生きてる。
天皇家と曽我蝦夷の血を引いてる。 >>897
聖母マリアは婚約者ヨセフとセックスしてないのに妊娠したので
ヨセフと街の人の怒りをかって逃亡先でイエスを産んだからね。 >>838
そもそもキリストは日本で修行してイスラエルに行って3年で伝説になってるから
日本がオリジナル。 >>895
けど馬も家畜なんじゃない?
となれば馬小屋も家畜小屋 聖徳太子も実は子孫がひっそり生き延びてて
自分が知らずにその子孫という事もあるかもなあ >>904
中国に流れ込んだ耶蘇教は正教会系だから
イエスの生誕の地はベツレヘム周辺の洞窟と解釈するのが正しいと思うよ。 日本の記紀と、
台与につづき五王が、まだ朝貢している西晋(265年 - 316年)が、280年から297年の間に成立させた『魏志』(倭人伝を含む)
北宋(960年 - 1127年)が、改めて1600年に成立させた中国の正史『唐書』(新)
によれば【倭奴国】は、
初代の「天之御中主神」から
高御産巣日神
神産巣日神
宇摩志阿斯訶備比古遅神
天之常立神
国之常立神
豊雲野神
宇比邇神・須比智邇神
角杙神・活杙神
意富斗能地神・ 大斗乃弁神
淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
伊邪那岐神・伊邪那美神
大綿津見神(豊玉彦)
まで、
代々、男王が跡を継ぎ、九州の筑紫城を首都として、
出雲地方や畿内はおろか関東地方の国々も支配下に置く安定した大国で、
畿内にあった邪馬台国も、九州の筑紫城を首都とする【倭奴国】の支配下の、辺境のド田舎の地方の國のひとつだったわけだ
しかし、伊邪那美神が死亡した後、伊邪那岐神が、
出雲と伯耆の堺近辺の「根之堅洲國」出身の女性との間に、天照大神・月読命・建速須佐之男命の2女1男の三人の子供を授かって、
歳をとってからの子供は可愛いとばかりに溺愛しだしたところから、話が急転していく >>891
古代ならどこの国でも13歳の王族男子が初陣を飾ってまったく不思議はない。
生まれてすぐ言葉が話せて、長じて10人の話を同時に聞き分けって対応していた厩戸皇子にとって、13歳にもなれば部隊を指揮することやその合間に四天王像を彫ることなどいともたやすいこと。 153518103515af0
中尾二さ15351810351510ん(おじいちゃん)
中尾京子さん(おばあちゃん=株式会社ゼロ役員)
中尾嘉宏さん(株式会社ゼロ社長=ちきちーた=FOX=夜勤=せしりあ等)
中尾八千代さん(奥さん)
中尾吏美佳(娘)
中尾優美子さん(前の奥さん=株式会社ゼロ役員)
中尾祐太さん(息子)
札幌市厚別区も、みじ台南、七丁目5番10号
自宅電話番号 011-897-7012 >>908
>10人の話を同時に聞き分けって対応していた厩戸皇子
実は半島や中華大陸の言葉を聞き分けて、翻訳も出来たのではないか?という話もあったかな。
バイリンガルみたいな。 >>908
戦国時代でさえ満13歳は元服してるか微妙。
丁未の乱は純軍事的には蘇我側が押されまくっていたわけで
子供の箔付けのために兵を割ける状況だったとは考えにくいけどね。 >>902
イエスキリストは韓国人ってなかったっけ? >>895
随分いい加減ですなw
そもそもイエスの生誕物語は、4福音書のうち、マタイ福音書とルカ福音書。
マタイは、ベツレヘムで生まれて三博士が拝みにいったということだけ。ルカでは、両親がナザレを離れてベツレヘム滞在中に生まれ、滞在先の客間の場所が無かったため、乳児イエスは飼葉おけの中に寝かされた、と書いてある。
なぜ家畜小屋という伝承になったかは、イザヤ書1:3からだとかも言うがコジツケで、結局『飼葉おけ』からの連想としか。
東方の教会では洞窟で生まれたというのは『ヤコブ原福音書』という新約外典から。この福音書はさすがに作り話がひど過ぎて正典に採用されなかったイロモノ。
***************
学術的に確かなことを言えば、
最も古いマルコ福音書が書かれたときは、まだイエスの生誕伝説ができていなかったので、マルコにはイエスの子供の頃の話はまったく書かれていない。
ベツレヘムで生まれたのも、飼葉おけの話も、全てその後にできた伝説であることが、学術的な新約研究でははっきりわかっている。
(多くの教団は聖書無謬の建前からこういう話をしないだけ。) >>907 つづき
九州の筑紫城を首都とする【倭奴国】の国王の座を、すでに息子の大綿津見神(豊玉彦)に譲位していた伊邪那岐神は、
九州の筑紫城から遠く離れた畿内周辺諸国を天照大神に割譲することを決めてしまい、さらに建速須佐之男命を、大綿津見神(豊玉彦)の次の国王にしようとする
【倭奴国】の国王である大綿津見神(豊玉彦)にとってそれは、当然面白くないことであり、天照大神・月読命・建速須佐之男命に対する反発を強めて、とうとう月読命の命を奪ってしまう
九州の筑紫城で孤立無援となった建速須佐之男命は、父である伊邪那岐神に「俺はこんなところはいやだ! 母の住んでいる出雲と伯耆の堺近辺の「根之堅洲國」に行かせてくれ」と直訴
伊邪那岐神は、育て方を間違ったと建速須佐之男命を九州の筑紫城から追放し、大綿津見神(豊玉彦)への面目を失って、そのまま隠居してしまう。 >>915
ついでに加えると、もちろん最古のマルコ福音書には、イエスの母マリアが処女懐胎したとかも書いてない。 >>1
イスラム教が生れたのは、ほぼこのあたりの年代。 >>911
聖徳太子に平均的な人間の能力しか無かったと想定してしまったら、それはもはや聖徳太子ではないだろうww この手の「発掘」でいつも思うんだが、なぜ埋まるのかね?
ということは、現在の日本は1400年前よりも海抜がかなり上がっているということ?
その土が積み重なった分、山が低くなってるのか? >>918
まあまあ福音書の成立が古い新しいを言っても仕方ないと思うよ
12使徒とかその他キリストに親しかった人の証言をそれぞれ集めて出来たと思えばね
それぞれの福音書が参照したとされる原資料のQ資料というものががあると想定されてるけど
Q資料の正体は当時キリストに接した人々の証言だったと思うね
なので各福音書で少し違いながらも共通している話は
それぞれの視点で事実を伝えているとも考えられるな >>921
史跡が全て埋まるのではなく
たまたま何らかの理由で埋まったものだけが現在まで残ってるのよ。
埋まらなかったものは壊れたり紛失してるの。 聖徳太子がもし万が一キリストで子孫が生き延びていたとしたら
キリストの血を受け継ぐものがこの日本に実は・・・ 或いは入鹿と聖徳太子は同一人物だったのかもな
祟りを恐れて2つに分け聖徳の称号を与えて鎮めたと >>921
畑やってるとわかるよ。
草が生え、それが腐って堆積する。雨が降れば、泥水が流れる。
何処からか落葉がやってきて積もる。
家自体も腐って、下に落ちる。
木造平屋んて、あっという間に埋まっちゃうよ。ほんの数年。 聖徳太子つまりキリストの血を受け継ぐものを
世界の闇を支配する黒魔術教団が殺そうと密かに探し回ってるかも知れない
みんな気をつけろ
というネタでラノベ書こうと思うんだけどどう >>922
アカデミックな裏付けのある本で、ちゃんと知識を得てから他人に議論を吹っ掛けましょう。
>まあまあ福音書の成立が古い新しいを言っても仕方ないと思うよ
アホか。それは研究上の核心だったんだよ。新約のテクストのできるだけ古い形を見つけるのがテーマなのだから。
マルコ福音書が最初に書かれ、それと別に現代には伝わっていないQ資料と呼ばれる資料(おそらく断片的伝承を集めた資料集)が存在し、この2つを参照しながらマタイ福音書とルカ福音書はそれぞれ別の著者が別々の地方で書いた。
マルコ福音書はQ資料をもとにしてはいない。
なお最後のヨハネ福音書はまったく趣の違うかなり特殊な立場の本。
なお当然福音書のほとんどは伝説と布教用の教団による作り話。
その中から、『これは教会の後世の創作だとすると変だから、イエスの実際の発言がかろうじて残ってるん部分じゃね?』というものを学問的に洗い出していく作業が、現代の新約テクスト研究。 厩戸の時代何カ国も話せたり他国の情報を瞬時に知り得る事はなかなか難しかったと思う。隋の滅亡寸前の状況を知っていたから「日処る…云々」と書けた気がする。下手すれば小野妹子の命が危なかったわけだし。よって…厩戸はエスパーだった。う〜歴史は浪漫だわ。 >>930
えっマタイとヨハネの福音書を書いたのは12使徒のマタイとヨハネ
マルコやルカはペテロやパウロと一緒に布教した人物じゃないの 当時は変な名前つけるのが流行ってたのかもね
戦国や江戸時代あたりでも子供に良すぎる名前をつけると
目に見えない存在の目を引いてあの世に引っ張って行かれるという思想があった >>930
テキストが古いからといって正確かどうかはわからないのが面白いところ
むしろ新しい方が新しい事実が発覚したのを載せてたりして正確だったりする事はよくある
福音書はマタイマルコルカが12使徒とそれに近かった人々の証言を集めたもので
ヨハネは最後に書かれたらしいけど3つの福音書を認めつつ
12使徒のヨハネがこういう話もあったという補足的な書き方をしたのではないかと思えるね 蘇我馬子の名前が元々厩だったのを馬に改ざんしたとすれば興味深い オードリー・タン「日本人は未来に住んでいるようだった」。台湾の天才大臣が語った来日時の記憶 【インタビュー全文:その@】
http://xdwer.adisen.net/202010/news/7t24U123uL.html 聖徳太子=蘇我入鹿説が大分浸透してきたな あの漫画の影響か 蘇我入鹿が聖徳太子なら
山背大兄王は聖徳太子の子だから入鹿はわが子を殺したという事になるが >>4
大化改新なんて言うと分かり難いけれど、
要するにクーデターなんだよな。 漫画っつーか原作的なものは関裕二のトンデモ本だけどね でも辻褄はあってて面白い トンデモだけど 馬子にも衣裳
皇子に厩戸なんて呼称つけさせたのは、おれの露払いだくらいの気持ちだろう? これも冤罪なんだろうな
ホントは中臣鎌足と中大兄皇子の大悪党コンビがやった事を蘇我氏のせいにしたんだろ ヒント:今も昔も突然変異で凄まじい知能(脳)を持った人間が現れる。その者の行動や振る舞いによって
ある時は神、またある時は預言者だったり魔女、悪魔にもなる。 現代風に言えば、予知能力も持ち合わせていたって事ね。何かの「事情」があり、生年・没年月日が正確には不明。死因も「噂」並。後世「祟りや怨霊」を恐れて聖徳太子になったわけね。やはり公文書も黒塗りか昔だから焼却済みかもね。知るのは皇族の方のみかもしれませんね。 蘇我厩戸(そがのうまこ)は倭王で入鹿は厩戸王朝の皇太子 かも 創価学会の嫌がらせの手口について、10年以上前に、現役会員が手口を暴露した事実がある事をご存知だろうか?
> 627 名前: クロトワ(新潟県) 投稿日: 2008/06/23(月) 16:30:00.90 ID:ql5UinYO0
> >> 608
> 集団ストーカーなど存在しない。
> 地区幹はその地域の個人一人一人の電話番号、住所、
> 詳しい地図、身辺情報などを網羅したデータベースを作って持っているいるだけだ。
> 気に入らなかったら3人ぐらいの学会員にストーカー、引越し(最悪自殺)に追い込むための
> ネガティブキャンペーンをその人間の住んでる地域で行うだけ。
> それが集団ストーカーに見えちゃうなら仕方ないな。
投稿者の素性は、他の投稿から、親と姉も学会員の学会3世
姉は成績優秀だったが、創価大学に進学させられた姉が統合失調症を発症
信心すれば治ると信じて疑わない両親が適切な治療を受けさせなかった為、統合失調症が悪化
自身も重度の糖尿病を患うに至り、中越大震災で家が滅茶苦茶になり、母も入院、父の会社も不況で倒産寸前
他にも様々な苦労や不幸があり、脱会したくても脱会できない立場で
学会に深い恨みを持つようになり、この暴露に至った、と判明している
ネットでは、創価学会が集団ストーカーを行っていて
電磁波攻撃や思考盗聴や音声送信、テクノロジー犯罪を行っている等という投稿があるが
あれら投稿の正体は、その多くが、被害者を偽装した学会員だ
創価学会は確かに、集団ストーカーと呼ばれる組織犯罪を行っている
しかし、電磁波攻撃、思考盗聴、音声送信、テクノロジー犯罪等は一切行っていない
実際に行っている集団ストーカー犯罪に、これらを抱き合わせた上で、異常な言動を合わせる事で
創価学会が集団ストーカー行為を働いていると主張する者は
学会の主張通り『統合失調症』という印象を持たせる目的で、そのようなネット工作をしている
本当に異常極まりないカルト、それが創価学会の実態だ
以下、創価学会が行っている集団ストーカーと呼ばれる組織犯罪の手口と目的
(ベースは裁判所に提出された、某企業が某宗教団体に依頼して従業員に行った集団ストーカー関連の公開文章)
>不都合な人や始末したい人がいる際には、まず集団ストーカーと呼ばれる手口で、
> ・ その人の周辺に複数の人間が常につきまとわせて、その人に精神的苦痛を与え続ける
> ・ その事によって、その人がたまらなくなって、怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする
> ・ もしくは、精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける
> ・ 被害を訴える人に対し、医師に誤診させて、統合失調症の診断書を作り、被害者の発言の信憑性を低下させる
> ・ その上で医師が治療と称し措置入院等を行う事で、報道、捜査機関、裁判所等を欺いて対応が出来ないようにする
> ・ 社会的に抹殺し、絶望させる事で、被害者を自殺や泣き寝入りに追い込む。
また15年程前、2chに集団ストーカー業者が現れて独白した際に、語った手口の一つが下記
> 『ターゲット周囲に人を仕込み、日中、例えば、メロンというキーワードを喋らせて、ターゲットに繰り返し聞かせる
> 翌朝、ターゲット宅の玄関前に、メロンを置いておく。すると朝刊を取りに玄関に出たターゲットはメロンを見て驚く
> このようにターゲットを精神的に追い詰める事を無数にやり、気が狂うように仕向ける。ターゲットは会社役員だったが自殺した』
> ※ターゲットに対する精神的虐待をガスライティングと言うが、これはその一種と思われる(学会の集ストでも当然行われている)
創価学会が行う嫌がらせは下記の通り
・ スマホとLINEを使用し、組織的に連携した尾行や監視、付き纏い行為
・ ターゲットの居住地域、ターゲットの職場で、悪評を拡散し、人間関係を破壊して孤立させると同時に、引っ越しや退職に追い込もうとする
・ 就労妨害、昇進昇任妨害、営業妨害、ターゲットが経営する店や会社を倒産させようとする工作
・ 精神的苦痛を与え続け、ターゲットの自殺を誘発する行為を意識的に行う
・ (現在は取り締まり強化でなりを潜めたが)煽り運転、交通事故誘発狙いの危険運転をターゲットの運転車両に行う
・ ネットストーカー行為全般
・ その他、警察が違法行為として取り締まりにくいタイプの卑劣で陰湿、悪質な嫌がらせ行為全般
●関連スレ
各地方で起きている村八分に関して
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/mayor/1600855369/1-19
cp >>3
馬子と入鹿、合わせて馬鹿。
蘇我蝦夷なんて名前もつけているし、どう考えても、捏造された記紀。
その他の書物は焚書されてしまったしな。 >>1
>>21
旧天皇家である蘇我氏の業績を、一人に集約すれば、そら聖徳太子のようなスーパーマンになるわな >>933
蘇我も、じゃなくて、蘇我が天皇だった。だから、国記と天皇記を所有してた。
残念なことに、日本書紀をでっち上げた一族によって、それらの書物は焚書されてしまった.。 >>960
トンデモ本って、古事記とか日本書紀とかのこと? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。