垂仁紀の中にこういうのがありますよ
日本と朝鮮半島との文化習俗の違いがよくわかるエピソードです


若狭に来たツヌガアラシト(頭から角が生えてる人)が自国の朝鮮半島にいたときの話

一に云はく、初め都怒我阿羅斯等、國に有りし時、
黄牛に田器を負せて、田舍に將往く。黄牛、忽に失る。
則ち迹の尋にこれを覓ぐ。跡、一郡家の中に留れり。
時に一の老夫有りて曰はく、「汝の求むる牛は、
此の郡家の中に入れり。然るに郡公等曰はく、
『牛の所負せたる物に由りてこれを推れば、
必ず殺し食はむと設る。若し其の主覓め至らば、
則ち物を以て償ふのみ。』 即ち殺して食むなり。


当時の朝鮮半島ではそこらじゅうで動物を捌いて食べてたみたいですね
牛の姿が見えなくなっただけで、牛を連れて行って喰っただろう、と
いきなり疑ってますから動物の肉食が食習だったのでしょう

これは半島南部の話で百済南部から釜山の間くらいの話ですから
穢族の扶余が多かった半島南部も貊と呼ばれた半島北部とほぼ同じ食習
だったようですね