41歳で余命知った肺癌医師が遺した死への記録 2001年ブログもなかった頃にPHSで書いた日記 [朝一から閉店までφ★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
41歳で余命知った肺癌医師が遺した死への記録
2001年ブログもなかった頃にPHSで書いた日記
古田 雄介 : フリーランスライター
著者フォロー
2020/10/23 5:00
死を覚悟した医師による「肺癌医師のホームページ」(筆者撮影)
https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/9/b/1140/img_9b249c19e537a5c572ccc81daa92cc5b126790.jpg
故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。中には数万件のコメントが書き込まれている例もある。ただ、残された側からすると、故人のサイトは戸惑いの対象になることもある。
故人のサイトとどう向き合うのが正解なのか? 簡単には答えが出せない問題だが、先人の事例から何かをつかむことはできるだろう。具体的な事例を紹介しながら追っていく連載の第4回。
https://toyokeizai.net/articles/-/381708
死を覚悟した病床で綴ったホームページ
2001年2月17日(土)
「お父さん、長生きしたい?」
内心ドキッとしながら答える。
「長生きしたいよ。(でも、中学生になった君たちの姿は見られないだろうな)」
「お父さん、何かしたいことある?目標は?」
「そうだな、自分のホームページを作ることかな。(本当の目標は、来年の君の10歳の誕生日まで生きていることなんだけど、ちょっと難しいんだ)」
(闘病日記より)
半年、1年先まで生きていられたら。少なくとも完治は望めない──。子どももまだ小さく、働き盛りで仕事でもやりたいことがたくさんある。そんな時期に、自らの命がまもなく終わりを告げると知ったら、人はどんな人生を送ることができるのだろう?
「肺癌医師のホームページ」というサイトがある。故郷の愛媛県で内科の医師として活躍してきた、ハンドルネーム「どじつき」さんのホームページだ。更新期間は2001年3月から2002年3月で、どじつきさん自らの更新は2001年11月までとさらに短い。根治が難しい癌の治療を続けながら、病室でPHS通信することを特例で認めてもらい、この短い期間に自らの闘病日記や医者のとしての提言をアップしていった。
自らの体がどんな状況にあり、将来どうなっていくのか。医師ゆえにかなり正確につかめる。奇跡的な回復を遂げる可能性もゼロではないが、大半が辿るプロセスは統計的にわかっている。末期は思考がまとまらなくなることも念頭に置かなければならない。すると、自分に残された時間はとても少ない。
どじつきさんが残したテキストを読むと、そうした現実を受け止める覚悟がひしひしと感じられる。それでいて文体は理性的で、とても落ち着いている。目前に広がる死と真正面から向き合った、ある種究極の記録かもしれない。
→次ページ「あの人に比べたら、自分にはまだ時間がある。」
https://toyokeizai.net/articles/-/381708?page=2 だらだら生にしがみついてる老害より
輝きに満ちた美しい人生だな ネトウヨ余命一年の記録
スク水の女小とエッチしたい 40歳も生きれば大概のことはやってきたはずなので特に気にかける必要も無かろう 初めて携帯電話というものを知ったのが1997年だった。
1000円以下のもあるし安いよ
と聞いて後で調べたら、安いのは電話機だけで
通話料が高くて驚いた覚えがある。 今「闘病ブログ」が熱いよ
読みだすとそんじょそこらの小説やドラマがカスみたい
みんな死ぬ前でも結構明るいのが特徴 >>3
お前そういう下らないこと書ける時点で人間性がおかしい 余命宣告されたとしても
なにか特別なことが出きる訳じゃない >>9
「10代の女性達へ・・・セックスするときはコンドームを使おう」って啓蒙だった 病気の医師、痴漢の司法書士
みなさん頑張ってみえるんですよ お前ぜったい殺されるこ?
お前ぜったい殺されるき
お前ぜったい殺されるくる?
お前ぜったい殺されるくる?
お前ぜったい殺されるクレ
お前ぜったい殺される恋👩❤💋👩 余命なんとかに乗せられて犯罪者になったネトウヨ
今どうしてる? >>1
え?余命半年の夜回り先生がまだご存命なのに? 困ったときにの神頼みっていいうのがありますが、
これは根本がおかしいのです
「神様が決めているのか?」
いやいや自分が決めていますw
問題は自分が選択したとは思ってないことです
自分が選択したのなら、自分が考え方を変えたらいいだけです
決めてるは自分なのですから。
これがよく理解できないのはわかります
人間っていろんあものをどんどん無意識に押し込めていくんです
その無意識も自分です そして意識からの指令でもあります
結論は、人間は寿命以外では死にません
だから寿命でなければ、いくらでも助けてもらえます >>8
ワイは若い頃は仕事漬け
40からやっと仕事も含めて人生が楽しくなってきたわ 当時のPHSでそんな事も出来たのか。
PC向けページ閲覧がWillcomのPHSから、漸く出てきたころじゃないかな。 そういえば探偵ナイトスクープで病気のお母さん出てたけどあの人どうなったんだろ
本人たち笑ってたけど見てるこっちは暗い気持ちになった >>11
使い放題コースとかなくてちょっとiモードしすぎで通信料15万とかあったなあ 闘病中の彼を攻撃していた人っていうのはどういう精神構造だったのだろう 2001年ってブログなかったっけ
5ちゃんはダイアルアップでアクセスしてたなー >>32
亡くなってた
あれからすぐ亡くなったのによくあんな明るく振る舞えたなと思う 現代人は素晴らしい言葉を発明しました
エネルギーです
エネルギーの特徴は、「変化させることはできるが、消すことはできない」です
何かを願う時に、変化を願えばいいのです
「特定のエネルギー形態じゃなきゃだめってことはないです」
これを特殊な形で見せてくれる生命エネルギーもあります 猫です
猫は飼い主のエネルギーを変化させてあげます
現象として、飼い主の身代わりになってくれる場合があります
猫が死ななきゃならないってことではないです >>1
ある意味死ぬ時期がハッキリわかっているのは羨ましい
大抵の人間は自分がいつ死ぬか、60か70か80か知らんが、とにかく死ぬ直前までわからない中で生き続けなきゃならんから >>36
闘病ブログでは普通の話
死ぬ前にジャニーズ行くなんて当たり前 >>28
通信がPHSって意味
iBookでページ作ってPHS接続でアップロードしたんだと ジオシティーズとか流行ってた頃かな
あの頃はPHSの初期設定で出会い系ツールが入ってたりして、中高生と簡単に知り合えたな <ヽ`∀´;>ネトウヨーネトウヨー
これが日本にウジャウジャいる朝鮮人の正体なんですよー皆さん 90年代学生のとき1日タバコ100本吸っていながら
いまだに2chでしょーもない書き込みをしている自分がいるのであった >>38
そんな時にはキジトラ猫を飼いましょう
人生の悩みの98%はキジトラ猫を飼うことで解決するとの研究結果も出ています。
諦める前に一度キジトラ猫を飼ってみてください。
これコピペなんだろうけど割と真理だと思うわ キョウハ シュジュツデス コワイデス ニゲタイデス
ジブンヲ ユウキヅケルタメニ シュジュツガ セイコウシタ
アトニ コノ メールガ トドクヨウニ オクリマス
ワタシハ チャント ニゲナイデ シュジュツヲ ウケタデショウカ
ワタシハ チャント イキルコトガ デキタデショウカ
ソシテ ソノ アト
ワタシハ チャント イイタイコトガ イエタデショウカ
ズット イエナカッタ キモチヲ ツタエラレタデショウカ
センパイニ ダイスキスデス ト イエマシタカ?
アナタハ ナンテ コタエタデショウカ
コワイケド シリタイナ
ソレトモ モウ ワタシハ アナタニ アエナクナッテ シマッタデショウカ
ワタシハ アナタニ アエテ シアワセ デシタ
コノ メールヲ ヨンデイル アナタノ トナリニ
カノジョ トシテ ワタシガ イレバ イイナッテ オモイマス
ソレデハ
マタ
アエルト イイネ
サナエ >>35
あったと思う
ろじぱらとか侍魂とか兄貴とか
てか、初めて2ちゃんに書き込んだやつもまだ残っててビックリした とっとと安楽死にしてやればよかったのにな
今なら安楽死ライブ配信で映像が残るし はてなダリアリーとかあの頃じゃないっけって思ったけどそんでも2003年か
でもブログやってた人結構いたような気も なんで人類は癌に対して手も足もでないのか
>>1から約20年、技術もかなり進歩したし世界は変わった
しかし未だに癌は死の病だ >>59
そうでもない
40年前だったらガンというだけで死刑宣告
余命何ヶ月
家族には伝えて本人には伝えないというのが普通だった ブログもなかった頃っていうかこの頃日記サイト的な奴がめちゃくちゃブームだったろ
俺もやってたわ
保存してたファイル見たら2000年の8月だったし >>58
自分は死んでもこどもに遺伝子を継がせてるから正確には生き続けるんだよね
だからこのお医者さんは死んではいない >>3
それが本人的に充実してるええんちゃう?
おまえはくだらん人生食いつぶしてそうだが 人生ってやっぱり65歳くらいまでだよ
若いうちは好きな事した方がいい
我慢とか節約とかできればしない方がいい
最近立て続けに近親者亡くしたけど
この人の人生は他人のためだった
って思うとなんか切なかった
好きなことやった方がいい
将来のために我慢するとか
気がつくとその将来が来てて
もう身体が自由に動かないよ
金はあるけどもう
遊ぶ体力や気力がないさ
人生は一度なんだからね 2001年ならホームページとか普通に開設してただろ?
「ガンガン生きよう」みたいなタイトルの白血病患者のサイトとか読んでたと思う ガンってけっこうウイルス性なんだよね
あんまりヤリ過ぎるなら覚悟しないと 40過ぎても結婚出来ない人間の出来損ないの高齢独身が死ねば良かったのにな。 >>66
浅いなぁ
他人に何かしてあげるって事は自身の為でもある
そもそも自分と他人の境界なんて本来あいまいなものだから 2001年と今では
肺癌医療も様変わりした
遺伝子変異ごとに分子標的治療やら
免疫坑PD-1、坑PDL-1抗体療法とか
全然なかったしな
手術も今はダ・ビンチのロボット手術
放射線もピンポイントだし
治療成績も段違い 2001年は猿みたいにスタビやっててパケ死してたわ >>17
飛行機の操縦が出来れば、ヤフオクにある中古のゼロ戦でシナ船に突っ込めよ
靖国神社に奉られる 41歳で肺癌になる為には、夜酒で毎晩、肺をアルコール焼け必須 >>6
2001年だろ?
ホームページビルダーくらいは使われてた
無料でFrontPage Expressもあった >>66
人のために何かするのが生きがい、ってタイプも少なくないということは覚えていてほしい
特に母親 オプジーボがなければとっくに死んでた森元は悪運が強いよな 酒を飲まなければ肺癌にはならないからな
タバコのせいにするのは医者がアル中だからだぞ >>79
今は薬物療法の進歩で
あ、これはあっという間に死ぬ
という例でも何年も何年も死なない >>68
あったよね
漫画家の人が壮絶な癌の闘病記を残していた
元は仕事の日記だったから、体の不調から検査に行って、癌を知るまでの経緯がリアルすぎて…
死後も兄弟の方が残されていた >>79
友達もオプジーボのおかげて余命宣告されてから4年くらい経つな >>40
それは思うね、癌は神様からの贈り物
なんとか80歳までには死なせてほしい ブログはあったよ
まだ略されずにWebLogって言ってたけど >>59
かなり治せるものが増えてきてはいるよ
癌そのものは細胞や免疫系の老化だから
発生は不可避ではあるけど >>68
BIGLOBEのブログやってたしgooもブログあったよね
kddiか東京Cellularのブログもあった 「魔の山」とか読むと放射線治療とか
第一次世界大戦以前から大して治療法は変わってねえよな プロバイダと政府のホームページぐらいしか、目ぼしいものがなかった頃でも、
そういうのが好きな個人がホームページを作っていたからな 抗がん剤で延命できるとも命を縮めるともどちらとも医学的に実証されてない
じゃあ何故するの? 外科治療できないから余命を過ごしてくださいじゃあんまりでしょ だから意味がないだろうと医師がわかってても標準治療だからする訳
抗がん剤治療をする前は自分で歩き食事も取って軽い運動までできてた人が、入院して抗がん剤治療をしてからほとんど寝たきり2ヶ月後に死亡ってのを何回も見てきた PHSってAirエッヂのことかね?
当時NTTが妨害して常時接続のネット回線が引けなかった田舎者にとっては救世主だったな >>98
お前の脳みそ昭和か
iPhoneの時代に黒電話時代の話してるようなもの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています