【社会】秩父宮、軍紀の乱れ懸念…日中戦争初期の書簡見つかる [朝一から閉店までφ★]
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【独自】秩父宮、軍紀の乱れ懸念…日中戦争初期の書簡見つかる
2020/11/15 05:00
昭和天皇の弟宮で陸軍軍人だった秩父宮雍仁やすひと親王が、日中戦争(1937〜45年)初期に旧日本軍の戦略や軍紀の乱れを懸念した書簡が見つかった。秩父宮が日中戦争に否定的だったことは陸軍関係者の証言などで知られていたが、秩父宮自身がその思いをつづった当時の文章は、研究者の間でも知られていなかった。
書簡は、同じ軍人皇族で当時、中国・華北地方に出征していた閑院宮春仁かんいんのみやはるひと王(1902〜88年)宛て。1937年12月30日(便箋4枚)と38年2月22日(同5枚)の2通あった。元宮内庁書陵部編修課長で、昭和天皇記念館(東京都立川市)の梶田明宏副館長が、神奈川県の小田原市立図書館の所蔵資料から確認した。
関係者に取材した伝記「秩父宮雍仁親王」(72年)によると、秩父宮は日中戦争中、陸軍の中枢で、東京にあった参謀本部に在籍していたが、中国大陸での戦線拡大に批判的で、速やかな収拾を求めていた。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.yomiuri.co.jp/national/20201115-OYT1T50028/ >>中国大陸での戦線拡大に批判的
ここちょっと違う。正確には早期決着を要求してたのであって
拡大ではない。 >>3
お飾り。まぁまぁ戦死と認定されるのは一人だけ。 軍の命令に従わない関東軍は軍紀の乱れとかそういうレベルではないわけでw 陸軍が勝手に動いてネトウヨが支持してどうにもならなかった じゃあなぜ東条などを首相に任命して日米戦争などをやった
皇族も戦争責任の罪は免れない 海軍軍令部総長伏見宮も
艦隊派の台頭の原因で
開戦に向かった原因は作ってる 満州の最後の守りとして瀬島龍三が大本営から送られた時に
皇族の後任だったからその若さで満州任されるっておまえは皇族じゃないのかって
瀬島はソ連軍に疑われたらしいな
瀬島が農家の三男出身だって言っても
まぁ満州はほとんど守れなかったけど
陸軍の満州の部隊がどんどん南方に送られてスカスカになってたからな 軍の命令無視とかいうとアレだから
軍紀の乱れとか言ってしまうあたり
昔から日本人は変わらんなあ >>6
憲法上政府の下にないからなあ
まあなんだかんだ言って最後には従ってたよ
よその軍政に比べりゃかわいいもん 批判や懸念を示しても何も行動に移さないのが昭和天皇も含めた皇族の実態 1937年12月30日(便箋4枚)と38年2月22日
南京占領の時期だな。 この開戦派をそっくりそのまま
人民解放軍に当てはめるとこy
だからある意味蓄財とか腐敗のが
戦争に向かわず正しい工作だw まあ日本軍が参考にしたドイツ軍も
モルトケの頃までは中央の命令なんか聞かなかったけどなw 民間人の家に押し込んで鶏泥棒とかしてたんだって?ジャップ軍?? 昭和天皇も軍が暴走したって言ってるからマジなんだろう 昭和初期の日本は荒れまくってってたんでな
陸軍も統制派の軍務局長永田鉄山が軍刀でぶった切られたり
メチャクチャだったし
(´・ω・`) 昭和天皇は、聞く耳持たなかったのだろう。
やっぱり昭和天皇は、戦争責任は免れないだろう。
>>3
最前線には行かんやろ。 >>24
ついでにそこの姑娘犯してやったとか、いまじゃ醜聞だけど昔の兵隊の感覚じゃ自慢話の類だからな
九州の兵隊とか戦後しばらく経ってもそんな感じだったろ >>27
旧憲法でも天皇は任命はしたけれど
選んだ訳でないし拒否も出来ない
君臨すれども統治せず
それならば今の憲法でも内閣総理大臣は天皇の任命なので
戦争が始まったら天皇の責任問えレペル 有名な話、徴兵制かつ戦争が長引くと、必然的に兵士の質が悪くなる。
少数の職業軍人は指導を諦め「戦ってくれさえすれば良い」って感じで匙を投げるレベル。
これが現実、勿論国内ではそんな事しないが、警察や知り合いの目が届かない外地では日本人だろうとなかろうと規律が弛む。 軍紀が乱れてたからあの悪名高い「戦陣訓」が出来たんだよね >>30
昭和天皇が、開戦にも、戦争遂行にも、終戦にも、大きく関わったのは歴史的事実。 兵站や補給を無視すれば飢えて野党に成り下がるのは当然
まあ、イギリスの当て馬役が勝っては困るからわざとそうしたんだろうけどな 大正のシベリア遠征中も気に入らない将校ボコったり無茶苦茶してたんだろ? この人は実際、中国戦線で指揮を
摂ってるから 意見として
拝聴できる >>10
原因は作っているっつーか元凶そのもの
対米開戦に一番積極的だったのが伏見宮 秩父宮は中枢で軍案練ったり有能だった
皇族はノブレスオブリージュで成年男子はみんな出征してけっこう戦死してる 当時の中国人、日本軍のことを皇軍にかけて
「蝗(钴)軍」とも呼んでたらしいけど
「兵站能力もマトモにないまま、何の戦略意図性もなく(自分らでも分かってない)
ただ惰性でなだれ込んできて国土と民衆を踏みにじっていく勢力」
ってまさしくイナゴって感じだな
日本軍の中国戦線の行動ほど、戦略的な虚無やっているのは世界でも珍しい
良く言っても「蒋介石政権の縦深防御戦略にハマった無能」って感じ 日本は一次大戦の頃は捕虜のドイツ兵をめちゃくちゃ人道的に扱ってたのに
どうして急激に落ちぶれたんだろう 秩父宮は肺病で死ぬんだが死ぬまで陸軍の統帥権突出を止めずに
戦争遂行に協力したとしか言えない。
今さら日本皇室の良心顔されても皇国国民は浮かばれない。 シナと長期にわたって戦争していて泥沼化していたのに
米英と戦争始めちゃうんだから、朝鮮人にすらバカにされる
いまのヘタレジャップスからは考えられないほど
当時の日本は好戦的だったんだな これは ホタルの光じゃない
コロナだ
吉野家で牛丼 コロナだけが 知っている
記憶を無くした
豊島園のメリーゴーランドで 秩父宮をかついでクーデターをおこすと息巻いていた連中はどうするんだよー(´・ω・`) 明治維新に参加できず発言権が無かった連中(旧幕府系の地域・府県)が遅ればせながら政治経済に入り込むプロセスで国政や軍政の方向が脱線したのが大正から昭和の初めの時代。 部下に恋愛感情を持っていたと日記に書いてたな
ゲイであるのに結婚して妃殿下は黙認していたが日記のその部分もあえてさらしたところに静かな怒りと悲しみが感じられる
高円宮殿下がのちに(男系存続のため)皇族に生まれたら血を吐くような思いで結婚を余儀なくされたものもいると発言されていたけど秩父宮を偲んで語ったと思われる >>28
日中戦争 指導者
松井石根 愛知
西尾寿造 鳥取
畑俊六 福島
岡村寧次 東京
香月清司 佐賀 >>3
戦場にはあまり出なかっただろうけど、
男性皇族がみんな軍人になった理由は「軍部のわがままを抑えるため」
しかし実際にはまったく抑制などできずに、
逆に昭和天皇の指示にさからってやりたいほうだいだった宮様もいた模様 >>55
それは高松宮じゃなかったっけ
秩父宮妃は一度妊娠したけど、二・二六事件勃発で夫君とともに
赴任先の青森から急いで上京した無理がたたって流産した >>7
当時の朝日新聞などマスメディアがメディアスクラム組んで戦争を煽ってたからなあ >>4
陸軍
「その、早期決着をさせる為に、戦線を拡大させてるんだけど。南京陥落は必須だ。」
ベトナム戦争時のアメリカの北爆開始とか、インドシナ全域への拡大とかそういうのと同じ事を軍はしていた。 >>53 それって、226の時の話では?そうなら、日中戦争より前だろ。 日本人兵士は死を恐れぬ勇猛さだけど、基本的に戦略を練る
頭が無いんだよな
これは今も全く変わらない >>61 ネトウヨって戦争肯定するのに、なんで当時の朝日新聞を責めるんだ? >>31
格差社会の下で、金で釣って戦場に行かせるのが、現代のアメリカ正規軍な訳だけど、
その正規軍よりも、さらに選抜されたエリート部隊なのが、シールズとか、グリーンベレー等の特殊部隊。
彼らの規律ってどうなんだろうな。 >>1
昭和天皇はなんでもっと早く戦争やめようって言ってくれなかったの?
知らなかったで済む問題なの?
【問】 1930年代日本と支那って戦争していたの?
【答】 当時のユーラシア大陸東南部はおおくの国に分裂し並立していました。
なのでまとな国民は「戦争」ではなく「紛争」と呼びます
−−−−−
★『「日中戦争」しられざる真実』(光人社/黄文雄 2014)
<日本介入前(-1937)>
■1911年辛亥革命で清は滅亡したが、南京の中華民国(孫文)と
北京政府(袁世凱)間で争いが絶えず、1916年には各省の独立が続いた。
全国で省対省、県対県の紛争が絶えず四川省だけでも500回の
軍閥抗争があった。更に階級闘争という縦の戦いもあり混沌としていた。
■国民党内でも蒋介石派と反蒋介石で激烈な紛争があり1930年前後7年で
犠牲者は3000万人に及ぶとされた。
■治水も食料政策も無いので災害も絶えず、1928年の西北大飢饉で餓死者が1000万人に達した。
1927年の華中水害で900万人、1929年では5000万人、1932年の
冷害では6000万人が被災した。被災者は流民となり匪賊になった。
■日本軍の顧問は各軍閥で重用された。有名なものは張作霖の
町野大佐、張学良には松井少将。ドイツもゼークトなどを派遣。
「支那軍は近代戦は不可能だが遅延戦術による抵抗は可能」と分析した。
■日本が1931より支配している満州国では20世紀初頭に1千万人だったところが
流入が激しく1945には4千5百万人に達した。 >>26
石原莞爾の満州事変は大成功だったが、処分やその他を誤った為に陸軍大暴走の支那事変を招き日米開戦に繋がった
俺的には石原莞爾を中心に幹部を重営倉と陸軍刑務所にぶち込んで予備役か軍籍を剥奪して、甘粕正彦みたいにするか・・・後付けで昭和天皇の承諾を得て密命だったとでっち上げるか・・・のどっちかをすべきだったと思う
<日本介入中(1937-1945)>
■日本-中華民国間紛争は武漢三鎮占領で戦闘は終わった。内面積で
本土の50%にあたる151万平方km人口の4-5割主要都市を
ほとんど支配下におき工場労働者の90%生産額の94%に及ぶ。
兵員では圧倒的に少ない日本軍だったが。これ以降、日本軍は持久体制に入った
■日本-中華民国間紛争1937の最初の1年で北京,天津,南京,上海,広東,漢口の6大都市の
全て、大港湾の全て、鉄道網の9割、工場の大部分が日本軍の
手中に落ちた。ソ連や米国の援助が無ければ蒋介石は抵抗できなかった。
■日本軍が最も悩まされたのは支那軍の攻撃ではなく不衛生さによる風土病疫病だった。
ペスト、マラリア、赤痢、コレラ、梅毒、腸チフスなど。
戦傷病死者は戦死者をはるかに上回った。
■日本兵と支那兵の損失交換率は大体1対10。
米国人記者チェンバレン著「戦える日本」でもそう分析されている。
昭和14年陸軍省発表で被害10万人。支那側は100万人だった。
■『支那軍の特性』(参謀本部発行)では、「支那兵は自己中心的で責任感が
薄く、よく危険回避の行動を取り、流言飛語に弱く形成不利となると
潰走する。指揮官が部下を捨てて逃走することも多い」と分析。
■華北や華中も日本支配の後は、華中(北)開発株式会社などを設立し、
その下に華中交通、華中電力、華中綿花、華中鉄道、華中電信電話
など設立し開発を進めた。鉄道などは1千kmも建設した。 >>72 松井の処刑は気の毒だが、トップってそういうものだから… >>32
畑俊六、板垣征四郎、東條英機、山田乙三、今村均、鵜沢尚信、浦辺彰、島崎藤村、土井晩翠
この辺の連中が作ったのが『戦陣訓』
あの中身に関しては当時の官職を考えると、今村均、鵜沢尚信あたりの責任が重いと思われる 昭和天皇は弟たちの中でこの人だけをあまり信用してなかったのでは
早くに亡くなった事もあるけど、オレはこの人は分からない >>68
最近、オーストラリアSASRのアフガンでの殺害戦果競争が明らかになってる
米軍人が一緒にやりたくないってさ
ちなみに陸自はそれ察知してたのか特戦群は第二コマンドーと演習してるな
ドイツのKSKは極右ナチ思想の浸透て問題が出てきた >>66
当時のネトウヨ相当の連中は以下
・マスメディアに煽られるリテラシーの低い情報弱者
・組織的工作員
前者は郵政選挙でマスメディアに煽られて小泉政権を支持するような連中で、
後者は電通や統一教会、創価学会の関係者みたいな連中
戦前のマスメディアや海軍上層部には英米の息のかかった連中が多数居たようだね >>20
安全区委員会から抗議があった。
「姿を見せない神出鬼没の日本兵が強姦・虐殺・略奪を犯している。
(被害者は中国兵の犯行と言ってるけど、オレら親中だし、まあいいか)」
抗議を受けた上海の偉いさん達、前線司令部に叱責。
前線司令部の参謀達は嘲笑して取り合わず。(現場は日本兵がいない場所なのは確認済み)
上海の偉いさん達、「軍紀が乱れている」と怒り。←これと
安全区委員会が犯人を確保……「中国軍便衣兵の犯行でした」テヘッ
前線司令部「知ってたw」
上海の偉いさん達、「オレは悪くない」←これ さすが秩父宮様だ
武藤や田中を処刑しておけば、対米戦争にはならなかった 日本 は
南京 満州 政略
蒋介石は 利用された だけ >>77
というか軍人か神輿に担いでクーデター計画してたからな
それが嫌だから昭和天皇は軍自体を潰そうとして太平洋戦争になった >>85
蒋介石はアメリカの犬
犬をけしかけてボコボコにされたら飼い主自ら出てきただけ >>59
皇族の長老格だった伏見宮博恭王に至っては艦隊派のボスとして戦争を煽ってたよ もう死んだ親父が言ってたが、昭和10年頃からどんどんノリが変わってったそうだ。
俺自身も年寄りだが、昭和のその頃は、学年が2年3年違うだけで、国家による
小学校教育での洗脳とか新聞やラジオによるそれの違いで、今で言えば20年ぐらいの
ノリの違う別の世代みたいだったそうだ。
父と数歳違う母は、もろに軍国教育で小学校でナチスの旗持って振らされてた世代で
親父にいわせりゃとんでもねえ世代。母は終戦直後のあまりの方向転換に政治不信で
その後の左翼の間での内輪もめでもあきれて、右派も左派も信じねえ世代に。
この記事で言えば、まだまだ何でもありで国家の統制もきかねえ野生みてえな
原始の世代が大正まで居て、特に農村部のノリなんて今の留学生作業員への
むちゃくちゃな使い捨てみてえなひでえのが練度もないままに軍に召集されてて
軍もまだ大雑把でいい加減で全体主義や統制を極めてなかったんでねえのかと。 >>44
そのプロパガンダが本当なら、重慶に攻め込んでるだろう
兵站計算から不可にされ続けたことと矛盾する
村々の食糧を焼き払うのは撤退する軍が敵に使われない為にやる
中国軍の文書にも焼土作戦の実施は書かれている 南京事件を当たり前の事実として書く記者の資質からすると読むにすらあたらない。 一夕会の永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中信一
ここらの思想と戦略から
石原莞爾は日本とアメリカの世界最終戦争が起きるからそれに備えて資源確保で
満州事変を起こして処分曖昧
で永田がドイツの敗戦から資源確保は必要と同調
その後226などで陸軍の綱紀粛正どころか権力拡大
そのご永田の後を武藤が引継ぎ華北など確保へ
日中戦争始まり武藤田中が主導権を握り泥沼化 >>44
陸軍には、戦争を以って戦争を遂行させる
という自己目的化の戦略()があって、
只々戦域を拡大させて、占領地に軍票で経済圏を作って
そこで得られた金でまた戦争する、という・・・ 日本 は シナ には
戦意は ありません
対米戦争は 自衛です >>93
いまだに否定してるのなんてカルトウヨ以外にいるんだな 真珠湾攻撃は
1年前から 準備して
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