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新羅と百済は日本の属国だよ。

『梁職貢図』
『梁職貢図』に記された皇帝に対する周辺国や少数民族の進貢の様子の中に、倭国の記載がある。

倭国についての記述
倭国は南斉の建元(479年〜482年)に、上表した。

斯羅国(新羅)についての記述
「斯羅國,本東夷辰韓之小國也。魏時曰新羅,宋時曰斯羅,其實一也。或屬韓或屬倭,國王不能自通使聘。普通二年,其王名募秦,始使隨百濟奉表献方物。其國有城,號曰健年。其俗與高麗相類。無文字,刻木為範,言語待百濟而後通焉」。
斯羅國は元は東夷の辰韓諸国の中の一小国であった。魏の時代では新羅といい、劉宋の時代には斯羅というが同一の国である。或るとき韓に服属し、あるときは倭に服属していたため、国王は使者を派遣できなかったとしている。普通二年(521年)に、募秦王(法興王)が、初めて、百済に随伴し朝貢する使節を派遣した。斯羅国には健年城という城があり、習俗は高麗(高句麗)と類似し文字はなく木を刻んで範とした(木簡)。百済の通訳で梁と会話を行った。


414年『広開土王碑碑文』

百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘加羅新羅以為臣民 百済と新羅は高句麗属民で朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百済・加羅・新羅を破り、臣民となした