韓国三田渡碑、独立門の脇に設置すべき「三田渡碑」・・・韓国王が九回頭を地面にこすり付けて清に謝罪するところ
http://park6.wakwak.com/~photo/image/min05.jpg 大清国属高麗国旗 http://park6.wakwak.com/~photo/image/min03.jpg
(大清皇帝功徳碑(だいしんこうていこうとくひ)の設置場所が、移転するらしい。大清皇帝功徳碑(だいしんこうていこうとくひ)は、ソウル市松坡区にある、清の皇帝ホンタイジの功徳を称える石碑だ。
もちろん清や清の皇帝が設置したものではない。
李氏朝鮮の16代国王、仁祖の命令で設置されたものだ。(まあ設置をせざるを得ない状況に追いこまれたのだが)この石碑は、当時としてはたいへんインターナショナルなもので、
同じ内容が3ヶ国語(中国語、満州語、モンゴル語)で記されていた。石碑の内容は、だいたい以下のとおりだ。
@愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らった。
A清国皇帝は、愚かな朝鮮王をたしなめ、この大罪を諭してやった。
B良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
C我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。
なぜ朝鮮の王様が自国領の中に、しかも自らの手で建立するのだ?と誰もが思うはずだ。
1637年に清と朝鮮とのあいだで丙子胡乱という戦いがあった。朝鮮は、清の皇帝ホンタイジ本人が率いる軍勢の前に首都漢城(現ソウル)は陥落し、事実上国家はいったん滅亡した。
しかし皇太子を含む2人の王子を清の人質に差し出すとか、外交権は放棄しますとか、貨幣はもう作りませんとか、黄金100両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭、女性3000人など20項目余りの物品を毎年献上しますということで、
ようやく国家滅亡と朝鮮王の一命は救われた。
この時、皇帝ホンタイジと朝鮮王仁祖のあいだで交わされた約束を「三田渡(さんでんと)の盟約」と呼ぶ。このとき朝鮮王仁祖が皇帝ホンタイジの前で9回土下座(三跪九叩頭の礼)したレリーフは、問題の石碑のそばにある