【歴史】戦国時代にもいた外国人助っ人!? イタリア人武将・山科勝成は実在したのか!? [樽悶★]
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甲冑を身にまとった外国人。戦国時代に外国人武将は実在したのか?
https://newsbyl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201129-00210087-roupeiro-000-5-view.jpg
■助っ人の重要性
プロスポーツでは、もはや欠かすことができない外国人助っ人。それどころかワールドワイドな社会になったので、企業でも外国人の採用者が増えている。
実は、戦国時代にも山科勝成というイタリア人武将が存在したというが、それは事実なのだろうか?
■謎の外国人武将・山科勝成
戦国時代の日本に渡来した外国人武将としては、イタリア人の山科勝成なる人物が知られている。その生涯は神秘のベールに包まれており、存在を疑問視する研究者もいるが、真相はいかなるものなのだろうか。
天正5年(1577)、ロルテスというローマ人が蒲生氏郷のもとを訪ね、仕官を求めてきた。携えた紹介状によると、ロルテスは軍人であり、天文・地理や兵法に優れているばかりか、張良や孔明(古代中国の軍師)を凌駕する才覚を持つと記されていた。
事実ならば、かなり優秀な人物である。早速、氏郷は家中で仕官を認めるべきか議論をし、最終的に認めることになった。ロルテスは「山科羅久呂左衛門勝成」と日本風に名を改め、火縄銃などの武器製造に携わったという。
■活躍した勝成
その後、勝成は蒲生氏のもとで目覚ましい活躍を遂げた。天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いでは大いに軍功を挙げた。
さらに勝成は武器を買い付けるため、蒲生家の12名の家臣とともにローマを訪れた。天正10年(1582)に天正遣欧少年使節が大友義鎮(宗麟)らにより派遣されてから、わずか2年後のことになる。
ローマで鉄砲30丁を現地で買い入れた勝成は、帰国後、氏郷から500石を加増され、以後もローマとの貿易を続けたという。
その後も天正14年(1586)にはじまる九州征伐、天正18年(1590)の小田原合戦に従軍し活躍したが、以降、勝成の姿は史料上から消えることになる。
■根拠となる史料とは
上記の根拠史料は、寛永19年(1642)に蒲生家の家臣・大野弥五左衛門が著した『御祐筆日記抄略』である。この史料を分析した辻善之助は、以下の通り疑問を示した(『増訂・海外交通史話』内外書籍)。
(1)紹介状を書いた人物の名が記されていないこと。
(2)勝成のローマ派遣が不審であること。
(3)当時の航海技術では7年の間にローマ・日本間を4回も往復するのは困難なこと。
(4)勝成がほかの史料に登場しないこと。
特に(3)については、天正遣欧少年使節の場合、片道だけで2年余もかかっているので、考えにくいスピードである。
■信用できない『御祐筆日記抄略』
そもそも『御祐筆日記抄略』は、成立当時に使われなかった言葉が用いられており、寛永19年(1642)より成立年が新しいのではないかといわれている。
つまり、依拠した史料そのものが怪しいということになろう。したがって、現時点において、勝成の存在は疑問視されている。
■勝成の最期
外務省が編纂した『外交志稿』(明治17年・1884)には、勝成の最期が記されている。文禄元年(1593)、氏郷は朝鮮に出兵すべく、船の建造を勝成に命じた。
勝成は遣欧船でヨーロッパに向かったが、途中で船が事故に遭い、現在のベトナムに流れ着いた。漂着した勝成は現地人に殺害されたというが、この話も怪しいと言わざるを得ない。
結論を言えば、山科勝成は想像上の人物だったのである。
11/29(日) 9:55
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20201129-00210087/ 花の慶次にカルロスという人知を超えた強さのスペイン人が出てきた。 ポリコレ臭い黒人のハリウッド映画より、こっちでいいわ
何故、
秀吉はバテレン追放令を出したのか?
その原因は、バテレン追放令にも書いてあるように、
布教の陰で神社、仏閣が破壊されただけでなく、
日本人が 「 奴隷 」 として海外で売買されていたから!
その史実を知らせず、一方的に
「 かつて日本が酷いキリシタン弾圧をした 」
と語り継ごうとするのが極左が主導した世界遺産登録! ( 怒り )
>>10>>11
当時のイタリアのパスタは麺じゃなくてニョッキ的なものだったから
その名残りが、「すいとん」とか「ダンゴ汁」って日本料理に 武器を買いにいくといって金を持ち逃げしたやつか
まあ待遇悪かったしそれに不満だったから仕方ないとこはあった パスタ自体が支那の麺のパクりでカンスイなくてああなったからなぁ
何故、
秀吉はバテレン追放令を出したのか?
その原因は、バテレン追放令にも書いてあるように、
布教の陰で神社、仏閣が破壊されただけでなく、
日本人が 「 奴隷 」 として海外で売買されていたから!
その史実を知らせず、一方的に
「 かつて日本が酷いキリシタン弾圧をした 」
と語り継ごうとするのが極左が主導した世界遺産登録! ( 怒り )
11 >>4
慶次がすでにケンシロウみたいに人知を超えてただろ 宣教師の回し者じゃないのか?
たまたま腕力が強かったから >>1
なんでこんな架空設定の武将を作ったんだろね
蒲生家にとっても魅力ないだろに。いくらキリシタンとはいえ
ましてや推定執筆年が禁教真っ最中 日本人の侍とスペインの騎士団も戦争してたからな
こないだのNHKは面白かった
家康が天下統一して侍は失業
その侍に目を付けたのがオランダ
スペインがインドネシアを植民地にしてたが新興国のオランダもインドネシアを狙っていた
しかしスペインは強くオランダは敗退
そこでオランダは侍を傭兵として雇い
オランダ海軍の軍艦で砲撃しながら侍は上陸しスペイン軍と交戦し勝利
それがしっかり記録として残ってるのが面白いよ 沖田畷の戦いには、有馬方にインド人とアフリカ人の傭兵も参加してる 弥助はNHKによく出るアフロの黒人ハーフがやればいいと思う 中韓あたりからツルッパゲや弁髪の巨漢の傭兵とかならわかる
何故、
秀吉はバテレン追放令を出したのか?
その原因は、バテレン追放令にも書いてあるように、
布教の陰で神社、仏閣が破壊されただけでなく、
日本人が 「 奴隷 」 として海外に売り飛ばされていたから!
その史実を知らせず、一方的に
「 かつて日本が酷いキリシタン弾圧をした 」
と語り継ごうとするのが極左が主導した世界遺産登録! ( 怒り )
三浦按針の先輩にあたるディルク・へリッツゾーン・ポンプという砲手は
リーフデ号より32年も前に来日してるのにほぼ誰も知らないね
オランダに銀山情報をもたらしたのはこのディルクポンプでほぼ間違いない
歴史を変えた無名の庶民だよ 武人じゃないけど、浮世絵師の写楽とか
あれ絶対SHERLOCKだろ 呂布を金と美女で雇えば天下布武なんてたやすかっただろう >>1
もにすごい「ぼくのかんがえたさいこうのぶしょう」感 >>41
そんな事を言い出したら
長崎に港を作れって進言したポルトガルあたりの誰かは名前も知られてない
そんなのばかりだよ 確か室町時代だかに明とかは既に現代で言うBARスタイルの酒場があった。
レンガ作りのカウンターで女性が接客する感じで。
貿易で欧州文化が入って来てた。 >>7
フォークでパスタ食うようになったのは18世紀末。
マリー・アントワネットの姉貴の旦那がきっかけ >>41
当時の日本は、
明に向けて銀をバカバカ輸出してたんだから銀山の情報なんて誰でも知ってただろうよ
何故、
秀吉はバテレン追放令を出したのか?
その原因は、バテレン追放令にも書いてあるように、
布教の陰で神社、仏閣が破壊されただけでなく、
日本人が 「 奴隷 」 として海外に売り飛ばされていたから!
その史実を知らせず、一方的に
「 かつて日本が酷いキリシタン弾圧をした 」
と語り継ごうとするのが極左が主導した世界遺産登録! ( 怒り )
11 博多華丸の川平慈英のものまねで
「フォワードは、田中、マルクス、そして 闘莉王のお三方」
といったところで大吉が
「それ一人だから」というツッコミを思い出したわw 現代人が描いてる戦国時代・戦国武将のイメージの9割は
江戸時代のなろう小説家がエアプで書いたファンタジー世界だから >>31
ニコニコとyoutubeに東インド会社の解説動画があってそれにも傭兵になった侍が出てきてたから移住した日本人も意外といたのかもな 水戸光圀の蝦夷探索に黒人が雇われてた、って聞いたことあるけど
検索しても出ないんだよな
聞き違いか釣られたかわからんが 三浦按針とかいたわけだし
大砲とか鉄砲も買ってるし
長崎の大名はスペイン船と海戦してるし
彌助もいたし
南蛮武士がいたとしても不思議でないんじゃないの? >>27
何とかして「グローバリズム」と「新自由主義」を進めようって魂胆ありありw ディルク・へリッツゾーン・ポンプ
初来日は1568年とだいぶ早いオランダ人
日本の素晴らしさを盛んに宣伝したためディルク・シナの異名を持つ
三浦按針のリーフデ号船団にも同行
さて三浦按針の航海は偶然が重なって途中で日本行きを決意したとされるが
日本通のディルク・シナが同行していた点を考慮すれば初めからオランダには必須の銀貿易が目的だったのではないか
リーフデ号はオランダ政府の貿易交渉の密命を命ぜられていたとすれば、家康と按針の奇跡的に家康に有利な交友も
従来の通説とは大分異なる予め仕組まれた交友だったことになるように思うね この頃のローマ人自称ってドイツ人の事じゃね
この頃はイタリアの西ローマもバルカン半島の東ローマも滅亡しとるわ 日本からタイに渡ってタイ王朝を征服しようとしたが結局暗殺された武将も居た。 途中で殺されたんだろ?
バテレン禁止令がでるくらいやし
それか渡航中に死亡やろ
今と違って
小さな船やし
もしくは
病気かな
昔はそんなに衛生的でなかったし
ペストが流行るくらいやし 紛争中の外国や革命が起ころうとしてる外国ってのは世界の大国からするとチャンスなんよ。
勝ちそうな戦力に加勢して政府樹立の後に利権を得る。
今のシリアの内戦もそれだし。 >>60
なのに鎖国していたと頑なに教わったのも懐かしい
何故、
秀吉はバテレン追放令を出したのか?
その原因は、バテレン追放令にも書いてあるように、
布教の陰で神社、仏閣が破壊されただけでなく、
日本人が 「 奴隷 」 として海外に売り飛ばされていたから!
その史実を知らせず、一方的に
「 かつて日本が酷いキリシタン弾圧をした 」
と語り継ごうとするのが極左が主導した世界遺産登録! ( 怒り )
12 優秀なイタリア人ていうのが嘘くさい
ローマ人の血がまだ濃く残っていた人物だったのか 日本視点のローマ派遣って要は東南アジア辺りのカトリック勢力圏の港まで行って買い付けただけでは? 男衾三郎絵巻に描かれてる金髪白人は?
鎌倉時代の山賊、野武士集団の中におるやつや 内戦状態では色々な国が裏で介入してたのがおそらく本当の史実なんでしょうね
通常ポルトガル、スペイン、リーフデ号以降ぐらいしか習わないが
イタリアもオランダも視察員を送り込んで必死に情勢分析してたと見るべきだろうね 陸続きで言語が似てる白人同士ならともかく、よく日本語なんか覚えれたもんだ。
戦国時代の日本語なんて現代の日本人でも読解もヒアリングも不可能。 >当時の航海技術では7年の間にローマ・日本間を4回も往復するのは困難なこと。
どこかで適当に時間つぶして凄い成果上げたように報告する方法は幾らでもありそう
そういうの外回り営業にたくさんいるじゃん 江戸時代のおかげでそれ以前の時代がぼやけてるのよね
研究者はそうじゃないけど >>58
東南アジア諸国の沿岸部には戦国〜江戸時代に渡った日本人由来と思われる名字や名前を持つ人間が多い集落(集落名も日本語っぽい)や墓地が複数あると何かで読んだな
ヨーロッパだと天正遣欧少年使節団だか支倉使節団の現地居残り組の子孫の家系は未だに続いているらしい 平安時代にはイラン人の役人もいたんだろ?
この時代までは何国人かは知らないが普通にいたと 妄想するのは自由だけど、世界史をもっと勉強した方がいいよ >>31
オランダ人に雇われて侍が植民地化してその後末裔の日本軍に解放されるとはインドネシア困惑w
何故、
秀吉はバテレン追放令を出したのか?
その原因は、バテレン追放令にも書いてあるように、
布教の陰で神社、仏閣が破壊されただけでなく、
日本人が 「 奴隷 」 として海外に売り飛ばされていたから!
その史実を知らせず、一方的に
「 かつて日本が酷いキリシタン弾圧をした 」
と語り継ごうとするのが極左が主導した世界遺産登録! ( 怒り )
13 こんな面白キャラの設定があったのか
実在か否かは関係なく
このまえ、NHKの歴史番組でやってたけど、信長時代の頃にはもう鉄砲は国産の物が出回ってて、
しかも製造技術の違いから、国産の物の方がヨーロッパ製より、品質が高かったとか この頃、日本から何を輸出してたんだろ??資源なんて少しの金銀くらいしかないし
鉄砲なんか一体何を対価にして売ってもらえたのか?? >>61
信長には大陸遠征の野望はあったかもしれないが
今のケケ中=ガースー移民党のような
露骨な売国グローバリズム新自由主義の思想はねえよw >>88
小学校で教えてもらえと本気で言う日が来るとはな 全く関係ないけど、外国人侍の存在より、
大昔、小笠原諸島で日本人と外国人が一緒に生活しあってた歴史の方が不思議な感じする >>77
あれは金髪じゃなくて帽子
昔は身分の低いものは変な顔に描かれたから
現代人が見ると外国人っぽいってだけの話 戦国時代の外国人って宣教師以外だと織田信長が登用した黒人ぐらいしか知らないや >>93
>昔は身分の低いものは変な顔に描かれたから
今の漫画のモブキャラみたいなもんか >>95
近いっちゃ近いね
昔の絵巻なんかだと高貴な人物はオタフクみたいな輪郭で
目は一本線で鼻は小さい三角って顔(引目鉤鼻と言う)
こういうのが美男美女の表現
対して身分が低い連中は丸顔じゃないし目も鼻も大きく描かれる
これが当時の不細工キャラで見ようによっては外国人ぽい
漫画のメインキャラとモブの描き分けと同じようなもんかも >>10
スパゲティナポリタンを日本に持ち込み広めた事でも有名な人 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています