>>741
清洲会議って言葉くらいは聞いたことあるだろう。
信長亡き後の相続人を決める会議。
結果から言えば、織田家は死んだ当主、
信忠の嫡男である三法師が継いだ。
だがこれはあくまで形式上のことで、
3歳児に政治なんてできるはずもなく、
その後見人である秀吉が織田家の実権を握ったわけだ。
もちろん、家臣団筆頭の柴田勝家などは猛反対して挙兵したが
あっさり討伐された。
柴田勝家でも敵わないのに、他の有力武将が
敵うはずもなく、次々と懐柔され秀吉の権力体制が確立されたという流れ。