【緊急事態】東京でトリアージ開始!医師会「すでに医療崩壊。このままでは医療”壊滅”に繋がる」→新規感染数は一向に止まる気配なし [1号★]

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408ニューノーマルの名無しさん2021/01/14(木) 00:06:00.67ID:qdV7no610
発展的解消
明治時代中期に入ると、1883年、ロベルト・コッホがコレラ菌を発見し
、予防や治療への道筋が徐々に立てられるようになったこと、近代的な
教育システムにより医師や看護婦の充足が見られた。

避病院は、徐々に医療機関としての機能を発揮するようになり、赤痢や
腸チフスなど他の伝染病も守備範囲に収めて常設化していった。

東京府の本所・駒込・大久保の3病院は1886年11月にそれぞれ
東京府○○病院の形で常設化の上改称されたが、これは東京弁
では避病院(ひびょういん)が「死病院(しびょういん)」に
なってしまい、紛らわしいことも一因であったと言われる。
熊本の場合は明治12年8月5日に飽田郡古町(現 熊本市二本木)
に病院を設立、二本木避病院と称したが、明治29年に熊本市九品寺
(くほんじ)に熊本市立避病院を設立、大正3年に熊本市立白川病院
と改称。実質は伝染病病院であった。

1897年3月、伝染病予防法が制定されると、避病院は法的に伝染病院
(でんせんびょういん)として位置づけられる法律の庇護も受けられ
るようになったが、避病院の名は俗称として長く用いられた。

その後も伝染病院は、スペイン風邪などの流行時にも機能を見せ、徐々
に総合病院化して行く。第二次世界大戦が終わり、公衆衛生が飛躍的に
向上すると伝染病患者は激減。

1960年代までに多くの伝染病院は、隔離病棟を廃止したり一般病棟を
拡充するなどして総合病院となり発展的解消を遂げた。

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