九評共産党

毛沢東が「文化大革命」を総括したとき、「国内が大いに乱れ、そして泰平の世となった、七、八年後にまた同じようなことになるであろう」と述べた。
はっきりと言うならば、つまり七、八年ごとに政治運動を行い、七、八年ごとに、再度大量の人たちを殺すことと言える。

共産党のこのような殺人には理論的根拠があり、現実に必要なことなのである。理論から言うと、共産党が「プロレタリア独裁」と「プロレタリア独裁の基での継続革命」を信じ、政権を打ち立ててから、
「地主を殺す」という方法で、農村の生産秩序を解決し、
「ブルジョアを殺す」ことで、商工業の改革をなし遂げ、都市の生産秩序を解決する。
この二つの階級を抹殺してから、経済における基礎的問題をほぼ解決した。イデオロギーの問題も殺人によって解決しなければならない。
その中に、「胡風の反党集団」を絶滅させることと「反右」を含み、それをもって、知識人たちを粛清する目的を達成する。
「民間信仰団体及び結社」を殺すことで、宗教問題を解決する。「文革の人殺し」は文化及び政治に関する党の絶対的な指導権問題を解決するためである。
「天安門事件」の殺人は民主化を求める問題を解決するためであり、政治危機から逃れる為である。

このすべては、みな中共がその地位を強化し、その統治を維持する過程で、
絶えず、経済危機(政権を打ち立ててから、物価が高騰し、文革後の経済が崩壊する寸前に)、
政治危機(一部分の人たちが党に服従せず、一部分の人たちが党と政治権利を奪い合う)、
信仰危機(旧ソ連の解体及び東欧激変事件、法輪功事件)を解決するうえで起った、必然的な反応である。
すべての政治運動は、中共悪霊への充電であり、革命意欲を掻き立てる過程は、即ち党の組織に対する検査で、全ての党の要求に符合していない党員は、一切淘汰されてしまう。