銀座の「ニック」 人知れぬ最期 世田谷のアパートで白骨遺体
2012年4月7日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012040702000090.html

 東京都世田谷区粕谷で二週間前、取り壊し寸前の都営アパートで見つかった高齢の父子とみられる遺体。白骨化していた父親とされる男性は、住人の倉田弥兵衛さんとみて警視庁が身元確認を進めている。大正生まれの倉田さんは英語が堪能で、七年前まで銀座の真ん中の交番を拠点に外国人観光客のボランティアガイドとして活躍した。「ニック倉田」の愛称で呼ばれ、警察から感謝状を贈られるなど、銀座では知られた存在だった。
 白骨遺体は三月二十三日、アパート一室の布団の中でみつかり、死後数年が経過。倉田さんは生きていれば九十三歳になっていた。室内では息子とみられる男性(62)が首をつっており、死後数日がたっていた。成城署は息子が倉田さんの遺体を放置したまま、自殺したとみている。
 倉田さんの知人によると、十代の時から、倉田さんは貿易会社で働いて英語力を磨いた。その実力を買われ、戦後間もないころには米軍相手に通訳も。ニックの愛称は米軍関係者が付けたという。
 英語を生かそうと銀座でガイドを始めたのは、貿易会社を定年退職後の一九八〇年ごろ。外国人観光客に道案内などをするボランティア団体「東京SGGクラブ」(台東区)の発足(八三年)にも関わった。
 バブル景気を先取りするように華やいでいた銀座一帯。当時は「ボランティア」という言葉が一般的ではなく、ガイドを示す札を身に着けて行動した。
 いつも立っていたのが「築地署銀座四丁目交番」前。いつしか、倉田さん専用のイスが交番前に設けられるようになった。銀座の商店主にも顔なじみが増えていった。「交番で倉田さんが新人の警察官に道を教えていることもあった」。商店主でつくる「銀座通連合会」の一人は懐かしそうに語った。
 SGGクラブは現在、会員約百三十人。都内四カ所を拠点に年間四万人の外国人を案内する。長年、倉田さんと親交のあった会員の北川トシ子さん(72)は「胸元にスカーフを着けるなど、おしゃれでダンディーな方。誰にも親しまれていました」と振り返った。
 倉田さんは長年のボランティアの功績が認められ、二〇〇三年には緑綬褒章を受章。銀座の名物ガイドとしてテレビ出演したのは〇五年のこと。この年、惜しまれながらガイドを引退した。
 妻と娘に先立たれていたという倉田さん。北川さんは「近年は体調を崩していたと聞き、心配していた。まさかこんな形で亡くなるとは」とやりきれない表情を浮かべた。
 都会の片隅で長期間放置されていた白骨遺体。倉田さん父子は五十年近く現場の都営アパートに居住していた。アパートは解体が決まっていたが、住居棟で転出していないのは二人だけになっていた。