たとえば>>121みたいなやつね。
「長文うざい、キモイ」「〜までよんだ」「ポエム乙」「連投で顔真っ赤で発狂してる」などの長文アレルギーの人は、
「本当に頭がいい人は難しいことをサラッと分かりやすく話す」という自己中心的でうぬぼれた考え方を持ってる。
自分がすんなり理解できないことは、理解させられない相手が悪いのだという、うぬぼれ。
幼稚な自己中心的な態度だよね。
真実や本質を追求し獲得するという行為は、人間にはとても骨が折れて面倒なことだから、
咀嚼するのにある程度の面倒さを伴うのは避けられない事だというのは大人なら理解していることだ。
それができない子供大人には、ちょっとした理屈でも劣等感を刺激されて説教に聞こえるのだろう。
その不快感があるから、ちょっとしたまとまった考えを言ってるだけでネチネチうっとおしいやつに見えるのだろうね。

自分が感情的に受け入れられない論述には、「長文=愚者」というレッテルを貼ることで、
自分のコンプレックスから逃げようとしている。情けない姿。
物事を好き嫌いだけで見て、何も考えることなく生きていて、
自分の快にならないものなら拒絶する赤子のような態度。
思考しないまま来ているから咀嚼する力がないため、
長い文章を嫌い、屁理屈や能書きだ、キモイと言って遠ざける。
咀嚼する面倒のある考えを屁理屈や能書きと言うには、
それを論破できる程度の話はできる人じゃないと言えないことなのにね。

ネットの1000文字程度を長文と言う人は、大学入試の現代文でも、
「もっと簡単に短く読みやすく書けよ、何言ってるのか分かんねえよ」と思うのかな。
おまえごときが世の中の文章をすべて理解してかみくだけるほど世界は浅くはない。
馬鹿は無知で身の程もわきまえられないから、自ら醜態をさらしているのに気がつきもしない。