【北海道】「戦もなく平和な時代が1万年も続き、人々が融和的な生活を送っていた」 函館西高校で縄文文化をテーマとした講演会 ★2 [樽悶★]
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縄文文化をテーマに生徒が学んだ講演会
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210226-00000002-hakoshin-000-1-view.jpg
函館西高校(佐藤裕之校長)は25日、世界文化遺産登録を目指す北海道と北東北の縄文遺跡群をテーマとした講演会を同校で開いた。道の縄文世界遺産推進室、特別研究員の阿部千春さんを講師に招き、2年生237人が縄文文化の成り立ちや世界遺産としての価値に触れた。
2年生の「総合的な探究の時間」の授業の一環。地域の課題解決に向け、来年度生徒が各自テーマを定め取り組む探究活動の参考にしてほしいと「探究STEP講演会」の第1回として開催した。
阿部さんは約2万年前の氷河期に温暖化による気候変動で生態系が変化して、縄文時代が始まったとし、「生物多様性に富み、人々は農耕をせず、狩猟採集で定住生活を送っていた。戦もなく平和な時代が1万年も続き、自然との共生のもと、人々が融和的な生活を送っていた」と説明。「函館から世界遺産が出ることを誇りに感じてほしい」と語った。
また、同校卒業生で世界文化遺産登録を後押ししようと活動する「縄文DOHNANプロジェクト」の山田かおり代表も来校。縄文をテーマとしたグッズ製作やガイド育成などの取り組みを紹介したうえで「次の世代に縄文文化をつないでいくのは皆さんのような若い世代。登録は後世に価値があるものとして残していくという意義がある」と呼び掛けた。
函館新聞 2/26(金) 9:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210226-00000002-hakoshin-hok
★1:2021/02/27(土) 19:20:33.64
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1614421233/ 争いがない訳ないだろ。
なんでわざわざそんなお花畑説晒すかねえ。 2 じゃなければ大谷高校出身の俺が西校生を大量に殺害 >>4
考古学者たちがいろいろと推論を重ねて
「比較的平和な時代だったんじゃないかなあ」と考えている、ということらしい 1万年以上前は争えるほど人間がいなかった側面はある >>12
多発していたという証拠がないだろ、ということらしい 思うよりもっとずっと前から農耕はやってるし殺人もやってるけどさすがに2万年前から1万年の話ならそりゃそうかもねと言える 教科書に書いていないことは想像力で埋めるしかないからね。想像力を働かせる材料はまだまだ少ないのだろう若いから。 当然と言えば当然。
面積当たりの人口比率が極端に低い。
1km平米0.01人とかのレベルじゃねーの。
これじゃ、土地争いしたくても相手がいない!
集落が発掘されるがせいぜい女をめぐる争いくらいか?(笑
おまけに武器もそれほどない。
ケツ骨に矢じりが刺さった骨が見つかったが、どうやら
誤射した矢が刺さったものと解釈された。
やぶこぎするときはよく注意しようね、そこのハンターさん!! 外部から人が入って人口が増えると争いが増えるし、感染症も蔓延するようになる 狩猟採集民は他の部族と揉めても平和的に物を分け合った。
戦争を可能にするような中央集権的権力もなかった
農耕民族になり王や兵士や官僚や職工などが生まれ中央集権的になり次第に
帝国化していく
人間同士の殺し合い、つまり戦争は農耕民族化することで可能になった 三内丸山を含め
こうした北東北〜道南の一万年にも及ぶ平和な繁栄文化を求めて
イエス・キリストははるばる中東から青森十和田まで来日したのだ
地球上で一番平和な理想郷がこの辺にあると
恐らくイエスは直感で判ったのだろう 今より温度が高かったから
青森とか地上の楽園だっただろ 弥生時代に入ったら、階級が生まれ、争いが起きるようになったとでもいいたいのかね。
縄文時代なんて、天候不順で木の実が不作だったら餓死するしかなかったんじゃない?
ドングリ不作で熊が里に出てくるの見ればわかるでしょ。
食べ物がなくなりゃ奪い合いの争いもあったんじゃない?
農耕を始めて、食べ物備蓄するようになって、飢饉に備えたんでしょ。
当然有能なリーダーも必要になる。
縄文時代がいいなんていう人は社会の発展をどう考えてるんだろう。 共産主義のストーリーとしては大昔がそうあってもらわなくては困るからそうだということにされた時期もあったけど、
人間なんかもともと動物なんだから動物らしく多少は争いもやってるよ 社会が未発達だから私闘のレベルにとどまってただけでは
自分は病気、野生動物や災害に無力な時代に生きたいとは思わない 北海道、東北では
環壕や防柵を備えて要塞化された集落が発見されてるだろ 平和ボケして何の進化もせず縄文土人を1万年も続けてたって事か 人は過去と未来にユートピアを見る。つまり現在が最悪なんだ。 日本列島は世界中で食料革命起きて耕作始めても農業に頼らないだけの自然の恵みがあったんだよね。
大陸から爪弾きされた人達が来るまでは平和だったてじいちゃんが言ってた 戦争がなけりゃ平和ってことなんだよ。紛争やテロやジェノサイドが日常的に行われてても戦争さえしなきゃ平和なんだよ。
つまり中国も北朝鮮も平和。尖閣も竹島も北方領土も平和。
嫁や娘がレイプされ自身はリンチされても平和。 >>37
縄文遺跡って大抵海や湖沼が見える高台にある
貝でも拾えば餓死はしないんじゃね >>37
どんぐりが主食じゃねーよ。
動植物、果て魚介類まで多岐に渡る。これから察するに当時はいまと違って動植物や
海産物は豊富にあったとみるほうが自然よ。なんせ、人口が少ない分、口数やケツ穴
も少ないからいいあんばいにローテーションしていたんだろ。
遺跡から当時のクソを分析するとおどろくべき食通と研究者は驚かせたとあるね。
もし、死に絶えていれば我々現代人の存在も危ういものになっていたかもしれない。 >>1
アイヌは北海道の先住民ではなく、エミシなどの縄文人直系の末裔でもない
.
北海道のアイヌは、北海道の先住民(縄文人)とは別の
北方から南下してきた『オホーツク人』
.
アイヌには、縄文人や現代の本州日本にはほとんどない
ハプログループY遺伝子を20%の比率で持っており
「アイヌ」と「オホーツク人」との“遺伝的共通性”も判明している
HLA IおよびHLA II遺伝子、ならびにHLA-A、-B、
および-DRB1遺伝子頻度の遺伝分析では、アイヌをアメリカ大陸の先住民族
特にトリンギット島などの太平洋岸北西部沿岸の住民と関連性が高い
.
アイヌといくつかのネイティブアメリカングループの主な祖先は
シベリア南部の旧石器時代のグループに遡ることができると示唆されている
北海道大学の増田隆一准教授らは『オホーツク人』のなかに
「縄文系には無いが、アイヌにはある遺伝子」のタイプを確認した
.
北大の天野哲也教授(考古学)は「アイヌは縄文人の子孫ではないことが
明らかになった」と、分析結果を評価する
.
同大学院の加藤博文准教授(考古学)は「オホーツク人は最後は消えた
という表現がなされてきたが、アイヌ民族の形成にかかわった集団も
いた事が示され、アイヌ形成の多様さを遺伝子から指摘する研究成果だ」
.
「弥生人の渡来等、日本列島へは移民の波が何度かあったが、オホーツク人南下は
その最新のものだとわかる」(国立遺伝学研究所の斎藤成也教授=分子人類学)
.
アイヌには熊を使う儀式など縄文の系統には無い文化の要素を持っており
同じような習俗がオホーツク文化にもあったことが確認されている
https://blog.goo.ne.jp/ainunews/e/ce5b14119ea056cc0903be78e906bdfc
ゲノムワイドなSNPデータ比較を使用した遺伝学的研究によっても
北海道アイヌは東北に住む和人(エミシ)とは遺伝的に異なる事が判明している
(国立遺伝学研究所 集団遺伝研究室 教授 斎藤 成也「北海道アイヌの特徴」)
The Ainu are genetically different from Mainland Japanese living in Tohoku
.
北海道のアイヌは、北方渡来のオホーツク人(pre-Ainu)が進出してきて
その後、先住民である北海道の和人(擦文)の遺伝子を取り込んだものであり
近代に至るアイヌは、縄文人直系の末裔(縄文→続縄文→擦文)ではない
.
つまり、オホーツクより北海道に南下してきた毒矢を使う好戦的な民族が
縄文時代から北海道にいた人々を征服したが、これらの侵略民(アイヌ)は
女性と子供は殺さず、女性達に自分達の子供を産ませたり、現地の子供達を
自民族に取り込んだ結果、北海道アイヌに縄文人のDNAが混入されてしまった
.
アイヌの縄文DNAは後天的に獲得したものと北海道庁も議会答弁で認めている
(平成24年12月18日第4回北海道議会当該質問者の小野寺秀元道議への回答)
.
アイヌ伝承で「アイヌ渡来前に先住民がいて迫害して北方へ駆逐した」という
背が低く竪穴住居に住み石器や土器を作っていた“北海道先住民説”がある
.
>>45
天文考古学とかズレ修整したら縄文遺跡のレイラインと合致するとか神社掘り起こしたら遺跡出てくるとか
住みよい場所って昔から変わらんのよね そりゃちょっと山やら海やらに行けば直ぐに食べ物手に入るし
大規模家族で相互補助バッチリだし緩い貞操観念で娯楽もバッチリだしな
みんな楽しく生きていけるよ >>21
猿は戦争するんやで
別種の猿を襲ったり、余所の集団にカチコミ入れたりしてる
チンパンジーみたいな人類の近縁種ほど、賢い上に群れで動くのでヤバい >>.45
貝や魚だけで生きれるのかね。
病気になっても医者もいない。
地震や台風が来れば膨大な被害に見舞われ、
寒さも竪穴のの中でしのぐ。
もっと、進んだ文明を持った民族が攻めてきたら、あっと言う間に征服される。
そんな時代がいいのかね。
左翼の妄想の中の原始共同体なんて、聖書のエデンの園みたいなもんかなあ。 縄文時代って本当に平和だったのかな?
武器による穴が開いた頭骨とか見つかってなかったから? >>52
戦がない平和って事で
個人の小競り合いは流石にあったでしょ 動物を獲る武器があったのなら人に使うやつだって絶対いただろ >>1 >>47
そもそも、アイヌは北海道の先住民ではなく、北方渡来の“オホーツク人”
エミシなどの「縄文人」直系の末裔(縄文→続縄文→擦文)でもない
Y染色体ハプロ遺伝子解析では、アイヌには北方シベリアから樺太を経て
南下してきたと考えられる、和人には殆どない遺伝子が確認されている
.
mtDNA分析でも、「アイヌ」と「オホーツク人」との“遺伝的共通性”が判明
縄文人や現代の本州日本には殆どない遺伝子も20%の比率で持っている
.
ゲノムワイドなSNPデータ比較を使用した遺伝学的研究によっても
北海道アイヌは東北に住む和人(エミシ)とは遺伝的に異なる事が判明している
北海道庁もアイヌの縄文DNAは後天的に獲得したものと議会答弁で認めている
.
> 縄文の人々とアイヌの人々についてでございますが、
> DNA分析などの最近の科学的知見によりますと、
> アイヌの人々は、縄文の人々の単純な子孫ではないとする学説が有力であり、
> 大陸から北海道に移住してきた北方民族に特徴的な遺伝子なども
> 多く受け継いでいることが判明してきているところでございます。
【平成24年12月18日第4回北海道議会定例会第1分科会:山田享文化担当局長回答】
そもそも、北海道アイヌには「アイヌ語」(古シベリア諸語)や「熊を使う儀式」等
縄文系統の和人には無い「オホーツク系」の“文化”や“言語”がある
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/images/201802/kthr00new.jpg
.
●北海道 縄文人 : 竪穴式住居・かまど有・炉無・煮炊きは土器
●北海道アイヌ人 : 平地式住居・かまど無・炉有・煮炊きは鉄鍋
.
擦文時代に自製していた土器は、アイヌ時代には作られなくなり鉄鍋が使用される
住居も縄文時代から続く竪穴式住居から、地面と同じ高さの床を持つチセに
擦文時代の住居に備えられていたかまどがすたれ、煮る焼くは囲炉裏でのみ行われる
【Wikipedia『アイヌ』より】
.
(・擦 文 人 : かまど有・炉無・生業は農耕とサケマス漁)
(・オホ−ツク人: かまど無・炉有・生業は海獣狩猟)
.
北海道の同時期にあった続縄文文化・擦文文化とオホ−ツク文化は異質の文化である
【Wikipedia『オホーツク文化』より】
image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/a83817dc1d0e40cf21df3cf52eaef93a4242a01e.75.2.9.2.jpeg
.
つまり、北海道のアイヌは縄文人直系の末裔(縄文→続縄文→擦文)ではなく
北方から北海道に渡来して来た『オホーツク人』(pre-Ainu)の末裔で
古代中世から近世に至るまで道内の縄文系和人を駆逐し勢力を拡大した“侵略民”
.
阿倍比羅夫は660年に大河(石狩川あるいは後志利別川と考えられる)のほとりで
粛慎(オホーツク人)に攻められた渡島の蝦夷(縄文系和人)に助けを求められている
.
【齊明六年三月「伐肅愼國」】於是、渡嶋蝦夷一千餘屯聚海畔、向河而營。
々中二人進而急叫曰「肅愼船師多來將殺我等之故、願欲濟河而仕官矣」。
(その時、渡島の蝦夷が千数百人も海岸に集まって、河に向かって来た。
その中の2人が進み出て、突然叫んだ。「粛慎の水軍が多く来ていて、
私達を殺そうとしているので、河を渡って朝廷に仕えたいと思っています、
お願いします」と言った。)【『日本書紀』第二十六巻「斉明天皇紀」】
.
戦の概念が違うでしょ
日常的に小競り合いや闘いはあったはず
集団化する知能が備わってなかっただけじゃ 食べ物がさらに豊富で気候が良い南国だと、
さぞかし平和だったのかね
琉球とか >>15
いやでも割れた頭蓋骨見つかっただけで昔は争ってたとか傷のある骨見つかったら昔は人食ってたとか結構極端な言い方してるじゃん >>31
インドの孤島に住む狩猟採取民は訪れるものに槍と矢の雨降らせて漂着した漁民や
訪問しようとした宣教師を殺害してる
狩猟採取民は平和的なんて幻想よ、そんなことないって言うのならそのインドの島で
狩猟採取民と友好してみたら?
宣教師を殺害したインド孤立部族、侵入者拒む歴史
最後の手記には「矢が聖書を貫通した」、過去にはナショジオ取材班も
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/113000522/?P=1 単に戦争をするほど人が多くなかっただけだろうね
自然の恵みが多くて取り合う必要もない >>47
>>55
北海道のアイヌは先住民ではないから
イデオロギー優先で建造された民族博物館には展示すべき物が無いw
歴史展示物なのに、なぜかオーケーブランドの現代工業製品が…
【必見】国立アイヌ民族博物館の展示が捏造品【現地取材】
https://youtu.be/i_E5Kli9nFE?t=356
『オーケー印』の短刀やマカサリまで展示される謎のアイヌ文化
anonymous-post.mobi/archives/1515
.
アイヌは文字を持たない文化だったから過去に何があったか判らないはずだが。 良く分かってない物事に対して、自分の主義主張に利用しようとするの本当嫌い >>51
現存するアフリカ土人やアマゾン奥地のような人々がかつて日本にもいたって
ことだよ。個人間の争いは長老の酋長が采配してその指示に従う。
そうでないとそこでは生きていけない。そうやって現代まで延々と生き継がれて
きたんだよ。医者なんざ祈祷師みたいなオカルトだろうね?。ついさっきまで
日本も同じことをやってきたわけよ。今じゃ東洋医学だ、西洋医学だとか巷は
うるさいが・・。 >>34
南部vs津軽の青森からは想像できないねw >>46
そもそも狩猟採取生活だと、人間一人を養うだけでも広い土地が必要になる
その上、人類は常にその土地の生産性上限一杯にまで人口を増やしていくので、
結局土地の広さは戦争をしない理由にはならないよ >>55
>>67
北海道のアイヌは先住民ではないから
イデオロギー優先で建造された民族博物館には展示すべき物が無い
伝統舞踊もモダン創作ダンスに捏造せざるを得ないw
600ニューノーマルの名無しさん2020/10/27(火) 09:48:47.00ID:P1z2T3ks0
>> 1
>スタンドマイクで明らかに創作ダンスじゃないか。何が伝統だよ。
https://twitter.com/nipponkairagi/status/1315237108844429313?s=20
※リンク先に、 「自称アイヌ伝統舞踊 = 創作ダンス」 の動画
.
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>1
縄文礼讃って“江戸しぐさ”と同じニオイがする。 キリスト教文化でもないのに楽園追放思想に走るってのもどうなんだか。 狩猟採集は農耕よりは色んなもの食えて栄養価は高い
米だけ食って脚気になるやついないし
農業で将来の食料不安がないと思っても近代以前は不確定
人類は穀物に操られてるんだよ >>47
比較 6 集団のなかで,北海道縄文・続縄文人に最も近い距離に あるのは
北海道アイヌで,北海道縄文・続縄文人が
近世北海道アイヌの母体になった集団であるという従 来の言説を追認した。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/asj/advpub/0/advpub_121212/_pdf
p1 >>63
そうね、そのあたりをどう論じ分けるのかは、
考古学者(の代弁者?)さんに尋ねてみてほしい
前スレでは御活躍だったので、そのうちあらわれるかもしれない >>66
自然の恵みに依存してるなら
侵入者はゼッコロだろ
旧石器時代に少人数バンドで移動しながら暮らしていたのが、複数世帯で共同定住するようになったわけたが
新しい生活様式を受け入れずに集落のテリトリーを侵す旧文化の民を生かしておく理由はない
交易民にジョプチェンジするか、定着して自分のテリトリーを作り縄文人になる以外
旧石器人に生きる道はない、 >>76
特に、山口敏先生と百々幸雄先生は
北海道の人の成り立ちを「縄文からアイヌへ」という流れが
スムーズにたどれることを 明らかにしました。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/jomon/zyoumonnsekaikann.pdf
p2 昔の方が弱肉強食だろうな
各地域の食物連鎖の頂点のオオカミとかワシとか見れば
ちょっとの異常気象で激減したりする理由がわかる >>67
>>76
北海道のアイヌは縄文人直系の末裔(縄文→続縄文→擦文)ではなく
北方から北海道に渡来して来た『オホーツク人』(pre-Ainu)の末裔
「北海道アイヌ協会」幹部に“チュチェ思想”崇拝者がいて
“アイヌ”と“チュチェ思想”が深く関わっている
中朝では、「北海道はアイヌの独立国」とプロパガンダ!
アイヌを利用した“日本分断”や“侵略工作”が進行中!
「アイヌ協会」と“チュチェ思想研究会”の目論見!!
このままでは北海道が洗脳される!
https://www.youtube.com/watch?v=wk4QYutNa3g
「チュチェ思想」から国民を守る会 設立記念シンポジウム
https://youtu.be/oHBh6fxsLdg?t=51
.
. 縄文時代は交易のネットワークが存在したし石も交換していたので、貨幣経済に近い商業の発達した、ヴィンランドサーガの世界から金属を無くしたかのような平和な世界 狩猟時代と農耕時代では、戦争のあり様は全然違う。
ジェノサイドは後者から始まる。 開墾し耕しよりそれを奪う方が楽
農耕が争いを激化させた 原住民的に言えばアメリカのインディアンなんかも平和的なイメージがあるが
実はインディアン内でも縄張り争いが激しい戦国時代で
どこそこの部族が敵対する部族に勝つために白人と協力したとかいう話もあるしな
結局全部白人に乗っ取られたわけだが フランスはインディアンと同盟を組んでイギリスと戦争したし >>94
外部の文明との接触がローカルな世界に競争の種をまく、ということは
わりとよくありそうな話ね >>1
「戦もなく平和な時代」というと、人々が幸せであったように錯覚するが、
そんなことないから。
まず何よりも米が食えない。
人はつねに腹がすいた状態。
米を食った後に感じるあの満腹感。
あれを感じることがない。
縄文人が米を初めて食ったとき、こんな満腹になる食い物があったのかと、
とても驚いただろう。
そりゃ、稲を育てたくなるわ。 >>90
ヨーロッパの方じゃ、先史時代の成人男性の死因の半分は他殺(戦争)だった、
みたいな研究発表をどっかで見たね
単純に、日本じゃあんま研究が進んでないだけじゃないかな
縄文人だけ世界でも特別穏やかな気質だった、なんて方が信じられないよ http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/
>菊兵団(福岡)っちは九州の、ほれ、ものすごい強い、有名な兵隊やったんやけど
>会津は、福島県は65、これはもういちばん優秀で。
>支那の蒋介石が「一番強いのは6師団(熊本)で、そん次強いのが日本の兵隊だ」っち言うぐらいに、6師団なら、ちっと荒っぽいけど強いんじゃということを、わたしたち教え込まれ、たたき込まれました
>ええ。もちろん山下さんや大本営の言う、日本最強の軍隊は関東軍であると
>まあしかしね、東北の兵隊はよく頑張った。石にかじりついてでもアメリカ軍と戦おうという姿勢をね、最後の息を引き取るまで貫いていったというところにね、私はすばらしさがあると思うんだ
>当時、まあわたしらがね、言い伝えられたことは5師団(広島)全体がですね、日本最高の軍隊じゃというふうに、徹底的にそういう先入観を持たされたですよね
>関西の人はね、口は上手ですよね。したら、実行しないって。北海道のね、兵隊は言われたことは必ず実行してくれるって、北海道の部隊は受けがよかった
>大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな、鹿児島はもう、日本でも優秀なあれやったじゃっどん
>それでまあ、いちばん日本で強いのは6師団なんだよ、熊本の。うちの部隊にも何名か大阪の、大阪人がいましたよ。もうこんな、「贅六」っていってみんなから蹴飛ばされてたけどね
>大阪の兵隊とか、京都の兵隊は途中で会ったけど、「これはあかんわ」ちゅうて。「ばかやろう、『あかんわ』で物がおさまるか」というわけですよ、僕はね。その場でびんたですよ、「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん
>やっぱり九州男児ちゅう、いろいろななんがあったから、少々のことで泣いたりあれしたりけがしたりとか、そんなことは絶対なかったですね
>やっぱり、日本一強い部隊っていうのはですね、昔からですよ「菊兵団(福岡)」っていうのはですね
>やっぱり茨城の人ですから剛胆だから、富田保二っていう人はね。下妻一高から陸士を出た方でね。
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