【江戸時代】4歳で将軍となり、8歳で逝去した「徳川家継」の生涯 [記憶たどり。★]
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https://news.livedoor.com/article/detail/19874240/
270年近く続いた江戸時代には15人の徳川将軍が存在した。歴代将軍の中、最年少で将軍に就任し、
最年少で死亡した人物が徳川7代将軍「徳川家継(とくがわいえつぐ)」だ。
今回は、わずか8年間で生涯を終えた徳川家継の短い人生をご紹介する。
https://mag.japaaan.com/wp-content/uploads/2021/03/Tokugawa_ietsugu-2.jpg
出生から将軍就任へ
1709年。徳川6代将軍・徳川家宣の四男として生まれる。母親は側室の月光院。
兄弟たちは早世し、1712年に家宣が倒れた際に存命していた子は家継のみであった。
同年に父・家宣が死亡すると、遺言通りに7代将軍への就任が内定する。
一説には家宣の遺言には尾張藩主であった徳川吉通を次期将軍とする選択肢も提示されていたが、
家宣の侍講を努め学者であった新井白石の推進により、家継の将軍就任がなったとの見解もある。
1713年。将軍宣下を受け、徳川幕府第7代将軍に就任。4歳での将軍就任は史上最年少記録であった。
家継を支えた2人の側近
7代将軍となった家継だったが、若年であり自ら政務を取り仕切ることは困難であった。
幕政は「新井白石(あらいはくせき)」と家宣の側近であった間部詮房(まなべあきふさ)」が主導し、幼き家継を支えた。
間部詮房は家継の父親代わりでもあり、幼き家継は間部を慕っていたという。
また、新井白石からは幕政の傍ら帝王学を学び将来を期待された。
早世とその後
聡明であったとされる家継だったが、家宣の子は体が弱い傾向にあり家継も例外ではなかった。
1716年に病の床につくと、すぐに死亡した。享年8。風邪をこじらせた事による急性肺炎であったといわれる。
家宣の直系は途絶え、8代将軍には紀州藩主の徳川吉宗(とくがわよしむね)」が就任。
吉宗の就任には間部・新井の幕政に反対する勢力が加担しており、家継の死亡により政治基盤を失った2名は相次いで失脚した。
東京都にある増上寺には家継を祀る霊廟が存在する。早世したため未婚であり、跡取りはいない。
現存している資料には家継の人格や人柄を称えるものが多く、将来を渇望されていた様子が伺える。
病に侵されていなければ、歴代将軍の中でも名君となり得たかもしれない。 8才って小学3年生で死んだのか
その人柄ってやんちゃ坊主いがいにあんのか 江戸時代の繁栄って将軍本人の才覚よりは天候任せな側面大きいと思うわ てか死にすぎだろ
兄弟みんなとか
子供を殺すことになるような変な風習があったんじゃねーか?鉛のおしろいつけてたとかさ 光とか徳が苗字や名前についたらなんでも在日認定かよ!
ほんとマジひでえよおめえら!
徳川家光がその巨大な低身長でカオスに叫ぶ この時代の将軍て病の床につくと頭にネクタイみたいの巻くのは何故なの?おまじない? 徳川宗家の秀忠系統がこれで終了して
暴れん坊系になっちゃう
種無しブドウ綱吉め >>1
新井白石と間部詮房って、今でいうと橋元と玉川みたいなもんだろ。 凄いな。
ところで童貞のまま死んだの? これ速報性のあるニュースじゃないよな
>>1が自分のサイトのPV稼ぐために宣伝してんのか? >>1
>現存している資料には家継の人格や人柄を称えるものが多く、将来を渇望されていた様子が伺える。
>病に侵されていなければ、歴代将軍の中でも名君となり得たかもしれない。
8歳の子供からはよほどのことがない限り明るい未来しか見えないだろ >>9
昔は成人するのが今より難しかったんだよ
神社で七五三の祝をやるのは、その年齢までに亡くなる事が多かったから さすがに8歳でしかも病弱ではセックスも無理だったか >>1
お前ら、金正恩の息子が夭折したとして、興味ある?
徳川もそんな感じだな >>9
あまりに吉宗に都合よく人が死にすぎてる
という研究があったな
結論としては吉宗が暗殺を指示してた 昔はおしろいに鉛が含まれてたから、おしろいを日常的に使える財力を持ち
乳母を雇えるような身分の高貴な家ほど子供の死亡率が高かったなんて話もあるな
逆に女も土にまみれて働いてた田舎では間引きが横行するほど子供が増えまくってた >>32
子供は農作業の人手だよ
しかし飢饉になると… ケンガンアシュラの第2話
拳願仕合の発端はこの子だったか… >>6
欧州国が植民地拡大してた時期に鎖国してたのもあるね あれ?
確か吉宗の周りにいる忍びの者が家宣に連なる人間を暗殺しまくったんじゃ? 少し奥に入ればこの世の極楽だったのに本当に極楽だったのに本当の極楽に逝くとは 8歳じゃ精通もしてないから
いくら頑張っても子作りできないな 家康の家系が7代まで
8代目の吉宗から血統がかわる 4歳じゃ何もわからんだろ
実際には側近政治でいいようにやってたのだろう
紀伊から吉宗が来たら、側近も反対して抵抗勢力で排除されたのか
政権争いは今も昔も変わらない 将軍って精のつくもの食わしてくれなかったからね
魚で好まれたのは淡白な鱚
なぜなら魚編に喜ぶって書くからだってw
今みたいに肉をガンガン食ってれば長生きして子孫もたくさん作れたのにね 山村武彦
感染症と大規模災害が同時に発生する複合災害は、過去何度も起きている。
例えば平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。
5年後の貞観地震(869年)のときもまだ咳逆病は収まっていなかった。
そこで朝廷は、京都の祇園社(現・八坂神社)に祭られていて疫病を打ち払う神と敬われていた牛頭天王(ごずてんのう)と素戔鳴尊(すさのをのみこと)の祭り「祇園御霊会」を挙行。
当時の国の数に合わせ66本の鉾を立て巡らし、諸国の悪霊が宿るように仕向け、そこへ祇園社の神を祭り、みこし3基を送り込んで諸国の穢れを祓い厄払いした。
以来、毎年7月30日が祇園祭として今日まで定着している。
江戸時代の南海トラフ地震ともいえる宝永地震(1707年10月28日)と、その49日後に発生した宝永富士山噴火(12月16日)のときもインフルエンザが蔓延していた。
100キロメートル離れた江戸でも、新井白石の自叙伝『折たく柴の記』に「夜に入りぬれば、灰また下る事甚し。『此日富士山に火出でて焼ぬるによれり』といふ事は聞えたりき。
黒灰下る事やまずして、十二月の初におよび、(中略)此ほど世の人咳嗽(しはぶき)をうれへずといふものあらず」と書かれており、降灰とインフルエンザ(咳嗽)で呼吸器疾患者が続出したといわれる。
現れた4つの預言一気読み
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/contemporary/1561503978/ 3代、5代、8代、15代くらいしか憶えてないわ
9~14代は何やってたんだろ まだ幼い、甘えん坊将軍だったのに
吉宗が壮絶にすべる この後、吉宗と根回し合戦して将軍の座を競り負けた尾張徳川が
なんやかんやと幕府に仇成す悪党の最終的な黒幕をやってるというのが時代劇のテンプレ… >>9
最近は鉛中毒っていわれてるね
将軍家や大名家、公家などの母親や乳母が鉛を含んだ白粉をたっぷりと使い、顔から首筋、胸から背中にかけて広く厚くぬったため、
抱かれた乳幼児が乳房をとおして鉛入りの白粉をなめたうえに、
乳児にも白粉を顔や首にべったりぬられたため、鉛が体内に徐々に吸収され、
鉛中毒の症状である貧血や歯ぐきの変色、便秘、筋肉の麻痺などがおこり、脳膜の刺激症状が出ることもあった。 0歳 乳母を投げ飛ばす。
2歳 兎2羽を捕まえる程の俊足を得る。
4歳 岩を投げてクマを撃破。
6歳 遊郭に入り浸り、城の金を使い込む。
8歳 賭場において酒の勢いで博徒達と大喧嘩。
8歳までのを載せたけど、
光月おでんの方が凄くないか? 秀頼も4歳で関白に就任させればよかったじゃん。
そしたら家康も頭上がらなかっただろうに。 将軍さんって暖かい食事が取れなかったんでしょ?
魚は脂を落としてから配膳されるんだって聞いた
そら、そんな不味い飯ばっか毎日出てきたらチビ虚弱ばっかりなのも当然だろ >>48
よしながふみの男女逆転大奥だと
各将軍のキャラ立ちがすごくて、全員完璧に覚えられるw ただの風邪でも死ぬんだよ
たかが風邪と馬鹿にするなと昔から言われてるだろ
ただの下痢で死んだりする時代だからな
まぁ、何をもって「ただの」と言ってるのか知らんけど
麻生が言い放った「ただの風邪」発言も、そんな程度で死ぬなら寿命だろと言ってると受け取っても何ら違和感ねえわな
でも実際はそう、ただの風邪なんだわ
ただ、そのただの風邪の甘く見すぎてる事こそが大馬鹿野郎って話であってな
リーマンショックの時も「そんな大事では無いだろう」からの、記者の追及に「え?そんな事なってんの?」なんて半笑いで返した総理とか記憶に残らん訳がない
そいつが今、日本の経済がどう向かうかの鍵を握ってる大臣だっつうのがもうな
「ただの風邪だろ」や「給付金なんて貯金されるに」だの、日本の害悪としてはダークホース的に麻生の存在があると思うわ
最近は露出控えてるけど 普通ならこども園の⚪⚪組に行ってるのに将軍だったのか 男って幼児の時は迷惑なほど体弱いよね
大人になれば犯罪者だし…
そりゃ女の子が欲しくなる気持ちがわかるわ >>59
なんでそこだけ興味が湧いてるんですかねえ… 光圀が立ち寄った納豆屋で助さんが印籠を取り出して拭いてたら
店長が前にも来ましたねといいがかりをつけて代官所の役人が来て
ラストは痛快に店長のさらし首 第10代将軍家治も子供のときは神童ともいわれ、将来を期待されていたが
大人になったら只の人になってしまい、主体性のない何でもそうせいしか発言しない
「そうせい公」になってしまった
しかも嫡子の家基は不可解な死をとげて跡継ぎがいなくなり、一橋家に乗っ取られてしまった
子供のときに死んだ方が未知の未来お妄想できるのよね >>2
僅か4歳で大将軍に就任した8年の生涯を描いた感動の長編時代劇大河ドラマか
全て子役で終わるな >>59
女は尼さんや男装娘に萌えるタイプだったみたいだからなあ。 >>73
家基は聡明だったらしいからね
彼の死は怪しいね >>5
生誕 宝永6年7月3日(1709年8月8日)
死没 正徳6年4月30日(1716年6月19日)
今だと小学校1年生だね。
なお婚約者はいて本当なら初の皇女降嫁の予定だった。
吉子内親王(霊元法皇皇女)
生後1か月で婚約、1才7か月で後家になって17歳で出家させられた。 >>57
特に学生さん達はこれで15代将軍を覚えよう(戦隊俳優多数出演) 将軍家とか近親婚しまくってるから体の弱い奴が増えて限界になるんだよ 将軍のくせに冷や飯食いってひどいよな
毒味毒味でせっかくの料理が冷めきっちゃうんだぜ >>1
名前からしてとりあえず“継ぐ”のが目的だったんだから目的は果たせたんだろ? >>90
ドリフのコントで毒見役が殆ど食ってしまい、
将軍のブーが嘆くのがあったな。 80訂正 18歳で出家
>>85
近親婚が多いのは公家で徳川将軍は全然近親婚じゃないよ。
正室は飾りでよくて旗本出身、庶民の娘が側室になって子ども産んでるから。
ここまで子どもが死にまくるのは化粧の鉛中毒だろう。 徳川将軍の名前に偏が付くと跡継ぎに恵まれないって話があったな。
4代家綱、5代綱吉、6代家宣(綱豊)、
7代家継、10代家治、13代家定(家祥)、
14代家茂(慶福)
偏がつかない吉宗、家斉、慶喜は長生き 今の時代だと8歳で風邪をこじらせて急性肺炎なんてめったに死なないよな >>69
どうしたらそんなに性格歪むの?親が悪いの? >>30
吉宗といい2Fといい和歌山にはロクな奴がいないな >>96
ドリフのコントて、忠臣蔵とかの歴史ネタあったりして面白いなぁ 漫画では8代あばれん坊が実質7代から10代までヤイヤイやってた >>101
江戸時代どころか戦前ぐらいまで子供は簡単に病気で死んでた
子供死亡の予備として子供多く作ってた もしかして今の時代の軟弱な子供と重ね合わせようとしてる? 吉宗は母親が大和の薬売り。
紀州で行き倒れて保護された後なぜかお城の湯殿係に。
息子が将軍になった後はお庭番の監督をしていた。
黒幕はこの人とそのバックだろう。 >>101
冬でもストーブもヒーターも無く絨毯も毛布もセーターも無く
床板も畳も無く地面にゴザ敷いて暮らし入り口はドアも無い簾を垂らしただけの
雨漏りのする風呂無しの簡素な小屋に住んで手袋もマフラーも靴下も靴もなかったら
現代人の子供でも死ぬと思う >>101
そりゃ当時は抗生剤とか無かったろうからなあ 吉子内親王は家継死んで尼寺送りと家継正室で大奥幽閉のどっちが良かっただろうか >>109
家康って下っ端時代長かったから、そういう人は健康に生きられるんじゃない?
馬鹿も見慣れてるから、馬鹿対応も出来てて、ストレス少なそう
馬鹿な母親や婆さんに育てられて「私たち親子に気を遣え」みたな子供だったら、軟弱な豆腐メンタルになるけどw 3代目と7代目に危機がくる 今の日本は戦後3代目の世代が多いから危機的状況
ここを乗り越えてもさらに7代目はもっと厳しい >>115
条件はもっと簡単で
抗生物質のあるなし 第5代将軍綱吉の生母は八百屋出身の玉。
あまりの出世に玉の輿って言葉ができたっていうのは豆 やっぱり家康みたいに下っ端経験が長くて
年取ってから天下取るのが一番だね
若い時に持ち上げられるほど、馬鹿に足引っ張られて、潰れそう
若い頃は、いろんな馬鹿や、馬鹿の浮き沈み見てきた方が、年取ってから伸びるんだろうな
同年代や目上の馬鹿もだいぶ自爆してるだろうしw >>2
良いねぇ〜
寺田心くんみたいな子役見つけて、一年を通して成長を見守ると… >>126
母親やバックの手で人を大勢消してのし上がったけど
本人が幕政頑張ったのが救いだね。 宝永地震からの復興期にこれでよく幕府倒れなかったわ >>57
武士ロで家継演じてたのが間宮祥太朗でデカ過ぎる8歳児って言われてたねw >>2
あの時代は吉宗以外はどいつもこいつもアカン将軍ばっかりだったな 子供の頃から大奥の人達にあんな事やこんな事の手ほどきを受けるのかな(*´Д`*) 4歳で将軍就任とかw
当時はネットが大炎上してモーニングショーとかでも叩かれてそうw 元服も迎えない内に将軍職って反感無かったんだろうか >>2
主演は心くんでいいかな?
大きすぎるかな? >>140
慶喜のとこは入ってない。というのか慶喜は代打で将軍になっただけで次は別の後継者がいた。 >>2
面白そう
主役は出番なくて、周りがゴタゴタしてる展開になりそうだけど 8歳の子供に政治ができるわけがないし、実際は何もしてなかっただろ。 >>69
おっさんが、対立煽り目的で書き込んでるな >>69
男に対するマイナスのオーラに満ち溢れた書き込みで草 >>143
あのままだと尾張藩が将軍になってしまうという事情があった。尾張と幕府は初代以来あれこれあって敬遠してたのよ幕府は。幕府と尾張の対立は吉宗以前からあった >>4
お庭番は紀州から釣れてったメンバー
紀州藩の四男なのになぜか父と兄が相次いで急死したし
善政はみな大岡忠相の仕事だし
米相場に介入して大失敗したのが実情 こどもであろうが将軍という権威を利用して事実上の新井、間部政権だったんだな。そりゃ失脚させようとする勢力がでてくるわな。 そもそもこうなったのも
家光がホモで子供沢山作らず
親父の秀忠が恐妻家だった
からやで。 >>6
しょうもない財政削減改革は全部大失敗に終わってるしな >>73
俺も子供の頃は未来を予知できる能力があったよ。臭いで夕飯のメニュー当てれたもん >>22
信長とか家光とか子供時代うつけ扱いされてた人もいるじゃん 北の将軍様は8歳で日本軍を200万回くらい撃退したろ >>1
civ4で15のステージパターンがあるからそれの7番目に使ってるわ。 >>159
そう。家茂はもともとその子を後継指名していたが非常時に継がせるのは問題あったので、幕府関係者や孝明天皇は慶喜を代打にした。
慶喜は水戸藩出身だから旗本や大奥から評判良くないの知っていたので貧乏くじだと辞退しようとしたが孝明天皇に説得されて渋々受け入れた。「将軍より天皇が一番!」の水戸藩で育ったから天皇の命令は絶対やった。 時代は離れるが、意外と知られていない幼小将軍「足利義満」
小6で将軍
中3で花の御所
中高時代 少年能楽師:世阿弥との密愛 正妻の子で将軍になったが家光だけ てのも謎だな
皇室や公家の血を入れたくない陰謀があったという人もいる >>158
ヒ素を使った毒殺が常套手段。
つくづくヒ素と因縁があるんだな>和歌山 >>162
陪臣だからと最初から対象外。
一度家の外に出たってのが問題になった。
結城秀康が家康の後継になれんかったのと同じ。 吉宗の周辺にアレされた可能性あるよね
あの時は将軍候補筆頭で名君だった尾張の吉通とその息子もアレされたらしいし
それで吉宗が八代将軍になった >>171
実は家光も怪しい。
慶喜は正妻腹だけど外から入った人だからね。 徳川家は子供死にすぎだろ
いまの大河でも出てた家慶は14男13女いたのに20歳を超えて生きたのは家定だけとか >>158
ライバルの尾張藩主も急死だっけ
大河の吉宗はその件で中井貴一の尾張宗春が敵対的だったな >>1
「現存している資料には家継の人格や人柄を称えるものが多く、将来を渇望されていた様子が伺える。
病に侵されていなければ、歴代将軍の中でも名君となり得たかもしれない。」
8歳で死亡なら、将来の人となりとか適性とかなんもわからんだろ >>179
実際にそういう憶測流れるくらい暗闘あったのは事実。でもさすがに毒殺は無理。幕府や尾張もそれぞれ御庭番みたいな存在いたし、食い物や飲み物は毒味されてるからな。 >>155
と、事実を突きつけられてオコのマイナスオスジャップでしたとさ
>>154
と、女性に対立煽り目的で女は生む機械や話が長い等と発言するオスジャップwおかげで世界中から非難轟々(笑)
>>102
男親が悪いんだろうな、おっ母をレイプして孕ませたから数々の女性ヘイトがポンポン出てくんだろw
オスジャップは虚弱のガキの頃に始末しておかないと日本の未来はないな 暴れん坊将軍の宿敵で有名な尾張宗春も、地元では「名古屋繁栄の礎を築いた名君」として人気が高い。
やはりドラマなんて所詮は東京史観で作っている一面的なものなんだな。 >>180
七代までは直系子孫。
本家以外で家康直系は尾張と紀伊で、そのうち尾張は直系断絶して残るは吉宗のみだった。
尾張は側室の子供だから格落ちになるんだわ。 >>179
尾張の吉通は大酒のみで
肝臓を悪くして死んだという
説もあるがその息子は食事中
血を吐いて倒れたらしいから
毒殺説は有力かも
それより吉通の先代の当主が
草餅の食あたりで死んだというから
そちらのほうが毒殺の可能性がある マンコはチョロい肉便器だからなっ♪
プゲラプゲラ 11代の家斉が尾張徳川氏に自分の子や孫を次々に送り込んだけど、みんな夭逝して支藩の高須藩から
養子になった茂徳で幕末を迎えるもんな あれも怪しい >>179
その呪いか知らんが吉宗の長男の家重(9代将軍)は幼少期に脳性麻痺を患って言語不明瞭だった
側近達の増長による政治腐敗が始まったのも家重が障害持ちで騙し易かったから >将来を渇望されていた
将来は「嘱望」されるものでは? 家宣は60人近く子をなしたと聞くが男の子が家継一人っておかしくね?
あと部屋住みの吉宗はうまいこと潜り込んだね
就任してから公卿とか続々創立して次代9代目からは実質吉宗の種が入った家からしか将軍になれないようにした >>185
やはり ダントツの無能は13代の家定か >>171
家光ーホモ
家綱ー病弱
綱吉ー種無し
家宣ー晩年にやっと子供できた
家継ー子供
だからな。正室いたとしても無理。あと公家の娘は体質的に弱い人多かったのよ。徳川慶喜の母親みたいなのは例外。皇族なのに30過ぎて子供産んだりとすごいパワフルなカーちゃんだった。 >>187
そっちの御庭番や毒見役を工作して抱き込んでしまえば可能。 >>187
お庭番は居たけども、吉通とその息子まで死ぬのは限りなく他殺だと思うんです
この一件と宗春の件があって、尾張名古屋藩は親藩であるにもかかわらず幕末に幕府方につかずに新政府方につくって話だから、相当恨みを持ってたと考えられる >>203
なるほど
そういや、篤姫が選ばれたのも 薩摩女は丈夫だから との理由と聞いたことある >>185
14代くらいよ間違いなく期待されたのは。
慶喜と後継者争いしただけあって優秀だったしそれを示すエピソードも多い。
何より政敵であった慶喜を起用して事実上政治をさせてるからな。 家督争いで食事に少しずつ毒を盛られて排除された可能性もあるのか >>201
ダントツの無能は9代の家重だと思うが・・・ >>144
3年生ぐらいの身長らしいので配役には問題ないな >>206
動物ならまだいいんじゃね?
霊能者に「僕の前世は?」と聞いたら
『そろばんの玉』と返されたヤツがいる >>2
今の大河ドラマは女性視聴者向けだから
恋愛要素のないお子様は主人子になれへんで 白石さん最近すっかり評判悪くなったというか
昔は持ち上げられすぎてたというか >>208
家茂はその前紀州藩主だったからね
吉宗とある意味同じパターン
でも時代背景が不運だったと
言わざるを得ない >>205
尾張藩は初代から幕府から冷遇されてたし、
幕末になれば完全に他人になってる。というか幕末の尾張藩主は水戸藩系(松平容保の兄)なんだから倒幕になるのは当たり前。
越前藩も結城秀康以来冷遇されていたのと、
幕末の藩主春嶽はこれも親戚は水戸系なので
あっさり倒幕になった。 この歳でちんこ挿れされられるとか
剥くだけで痛そうだな >>10
徳川は徳川で出自不明というのがほんとに笑えないんだがな
得川が断絶したから得川より朝廷の許可をもらって徳川と名乗るがそもそも松平って何?っていう出自不明なんだけど >>226
もともと本家へ後継出せるのは「尾張か紀伊だけ」と家康が決めていたから水戸からは出せなかった。秀忠が外孫の越後高田藩主を家光の養子にしようと考えていたと思われるがそれ除けば基本は尾張か紀伊だったからな。 家治の長男家基が立派に成長したけど18歳で鷹狩の途中で死んでるんだよね。
それで家斉がめでたく世継ぎになったがのちに持病の頭痛の原因はその方だと言われて
言われるまま寺建てさせたり。その家斉の孫世代はボロボロ死ぬし。
吉宗はうまくのし上がれたけど子孫はいろいろあった。 いくら体弱いつっても今じゃ8歳で風邪こじらせて死ぬとかありえないな
江戸時代は普通だったのか? >>204
どうやって?お毒味や御庭番なんて選抜されたエリートやぞ?出自や思想等で絶対に裏切らないやつを据えてきてる。 >>234
いまみたいに小児科なんて発達してないし、予防接種なんてのもない。乳児死亡率が糞高い時代。五人産まれて一人育ったらマシと言われた時代です。 >>57
この歌、いいよね
一番好きなのは信長と蘭丸のだけどw >>231
吉宗の次男はまだマシだったようだが
長男は言葉もろくに話せず常にヨダレを垂らしているような人やったというね >>229
藤原氏の松平です、っていってたはずか
いや平安時代に三河にきた清和源氏の得川の子孫だったですわー、
徳川に復姓します!って朝廷に申請したんだっけ
近衛の養子になって藤原氏になり、後ほど天皇から直接に豊臣の新姓もらった秀吉の方がどうどうとしているな
まあ、農民だから詐称もできんかったろうけど この手の血の人は4歳辺りからチャクラ開いちゃってるよ 慶喜は12代の家慶に大変気に入られていた、そのまま13代で嗣いでいたらと考える。 >>55
後半重商主義の尾張とライバル関係になる設定だったのに
ドラマでは病弱な家重が主役になってしまってたな 慶喜が水戸藩なのに将軍になれたのは
12代将軍の甥であった
将軍から才能あり気に入られていた
将軍から「狩りの共させたい」(共は跡取りの証)
水戸藩の親戚が有力藩の藩主に大量になっていたから
という話があったからよ。 >>223
母性本能くすぐる系の話にすればお姉さま方のハート鷲掴み 家茂の死因は脚気か
将軍でも栄養学を無視した食事だったんだな >>235
3代続けて当代が急死なんて毒見役が仕事をしなかったのか、
ただただ不運だったのか。
後者でも何かやった可能性あるな。真言密教の総本山がついてるし。 腹の中にいる時に毒盛られて赤子殺されたり生まれても病弱だったりと大奥ってわりと効率悪いシステムだったな 子役が主人公の生涯を演じきる大河ドラマ「こども将軍 家継の野望」 >>242
それすると長子相続という幕府の定めた大原則崩れてしまうからやれなかった。封建時代だから家康が決めたことは絶対だったしそれやると家康否定になるから。
それに長子を廃嫡するとその扱いに困る。 >>254
多くで使われていた白粉に鉛が含まれていたために夭折する子が多かったと指摘する人もいるな 感情で誰かの生死が決まってたんだろうな
あいつ嫌いだから切腹ねwみたいな 折たく柴の記は、後半の政治家になってからの自慢話より初めの方の父親との思い出とかが面白い >>235
原作の子連れ狼の終盤に出てくる毒味係はどうしようもない奴だったの思い出した 乳児の場合は病死が多かったがさすがに8歳で病死の可能性低い >>16
やめろよ、次から宴会芸に見えちゃうだろw 家継というより、新井白石主人公で大河とか面白いな
ま、俺が面白いと思うだけで視聴率は爆死だと思うけど笑 >>268
遅効性の弱い毒を入れられてた恐れもあるだろ すぐ死ぬんじゃ疑われる >>251
精製されたコメばかり食ってたし
多分運動不足だったし
ストレスかかりまくりのポジションだったからね >>40
日本全土焦土にしといてよういうわ
恥を知れ俗物! 徳川将軍はだいたい陰キャでつまんない奴ばっかりでうんざりだった
それに比べて足利将軍はほとんどみんな陽キャで面白い奴ばかりだったよ >>147
答になってない
慶喜の男系子孫で徳川姓の人はいないのか?
慶喜は子沢山だったはずだが 4年も日本の頂点に君臨したなら十分だろ。
ワシなんか80年日本の底辺やで >>283
全員知ってんのか?
足利将軍こそ無名ばっかりだろ >>156
初代?家康ん時なんかあった?
騒動は忠輝と、結城家では? >>288
風邪気味なのにカーチャンに能の鑑賞連れていかれて悪化して死んだって説がある >>285
横だけど、いるよ。少し前に問題になった徳川康久(靖国神社宮司)とか。
ちなみにその人には吉宗の血統は入っていなさそう。 >>285
数年前に無嗣断絶した。
「徳川慶喜家」で検索 昔の人は
こうやって子供の頃病気で死んじゃう人が
すごく多かったんだよね
今は幸せな時代だよ 家治は将棋が強かった
棋譜を調べると今のアマ高段者くらいの実力があったらしい >>292
初代とは尾張の初代。尾張藩の初代義直は「家康の子供」というプライド高くて幕府とあれこれトラブル起こしてる。勝手に大軍で江戸に向かってきたり、家綱産まれたときお参りにお供するようにという命令に「俺は家康の子だし、幕府とうちは別家でしょ?」と断ったり。
だから幕府が扱いに敬遠しまくってた。
>>285
徳川慶喜家は断絶したよ最近当主が亡くなり、本家断絶して血統は絶えました。残るのは当主の姉が嫁いだ平沼家くらいだが再興はされない。 慶喜の子女 厚、池田仲博、慶久、誠、勝精、鏡子、蜂須賀筆子 その他
徳川姓を継いだのは厚、慶久、誠の3人でこの子孫が現在も徳川姓のはず。
カメラマンやって本書いてた直系(慶久)のところは離婚したんだっけ。
ここの子どもたちはどうなってるんだろう。 >>281
名前の字に偏と旁がある将軍
家綱、綱吉、家継、家治は断絶してしまったので後に縁起が悪いとされて
13代将軍は家祥から家定に改名したそうな >>295
倹約に力を注いだ人物だよ。大奥経費も削減する為に美人女中は貰い手があるだうろと解雇し、
ブスは貰い手に苦労するだろうと引き続き雇い続けたブス専でもある。 >>304
離婚した奥さんがいてそこに息子が二人いる。
この息子たちが再興するかどうか。 >>41
徳川将軍は全員家康の系列じゃないの?
吉宗から秀忠の系列じゃない、というのは分かるが >>301
家来の家に養子に出ていたから。将軍からみたら陪臣になるから格下になるし、年齢もいい歳だから後継者なくまた断絶する危険性あった。
事実、清武系は断絶したし >>310
再興しない。当主がそれ望んでなかったんだから。岡山池田家や鳥取池田家とも同じでそのうち断絶する >>311
父親をたどるとそうなるけど
嫡男が宗家だから >>310
妻側についていったのなら
戸籍上で徳川姓でも
もはや徳川慶喜家ではないよ。 >>14
吉宗は正直言って怪しいと思っているんだけどね。 >>311
吉宗までは本家の血筋、吉宗からは紀伊という
分家の血筋。本家か分家かで当時は差があったんです。 側室がいても世継ぎ不足だったんかよ
4歳に継がせるほどみな早逝ってさ >>315
可能性あるとしたら平沼のとこに嫁いだ当主の姉の子供が再興というパターン。平沼家は今のところそれに興味無し。 そもそも将軍てなんなの?
今でいう総理大臣みたいなもん? 再興しないにしても徳川慶喜家って谷中に立派な墓があるけど
あれは誰が管理するんだろう。 大正日王?だっけ?
賞状かなんかを丸めて望遠鏡〜とかやってた知恵遅れ >>319
北朝鮮みてたら分かるが血筋でも本家が重視される。
>>307
本家は「家」の字継承。というか三河時代は
「家」の字と「忠」の字を交互に継承してきたけどな。
松平清康
松平広忠
徳川家康
徳川秀忠
と家光がそれを変えて「家」の字だけになった。本来は忠綱になるはずだったんだよ四台目は >>325
将軍は15人だよ。徳川宗家は今18代目。 射精の気持ち良さも知らずに亡くなるとは可哀想に、大奥も無駄になるよな。 >>51
「薬屋のひとりごと」っていうラノベ思い出した。
舞台は違うけど、それに纏わるエピソードがある。 >>322
統合幕僚長が
防衛大臣
総務大臣
最高裁長官
を兼務してたようなもん。幕府というのは軍指令部みたいなもんで。 >>51
明治天皇の子供が亡くなる率高すぎなのはそれだよね
割と近代なのに もし長生きしてたら吉宗時代もなかったし結果オーライですよ >>9
医療レベル低いし、幕府の医者が保守的で民間医よりも遅れていたから。
病気になっても治療が悪いから助かるわけない。蘭学医導入しようにも蕃社の獄で蘭学は関東方面では壊滅停滞してしまったからな。
蘭学医は西日本で活動続けていまの医者の系統に行き着く。いまでも日本で医学に東西格差あるのも江戸時代の影響な。 病弱なのにむりやり8歳でセックスさせてなんとか子供産ませようとしたから、肺炎になったのかな? 尾張藩から将軍が出ていたら日本史は全然違っていただろうな >>51
お家の存続は一大事なのに
何で誰も原因究明しなかったんだろうか。
現代の統計学に相当する算術を駆使すれば
吉宗のように幼少期に白粉環境になかった群が長命と分かるはずだが。 尾張大納言て中尾彬がやってたっけ?
暴れん坊将軍では? >>334
庶子だからよ。同じ庶子でも吉宗は二代目藩主の倅、方や継友は三代目藩主の子供と血筋的には吉宗のほうが本家に近い。加えて尾張藩は幕府から基本的に敬遠されていたから、徳川一門の長老格であった水戸の綱條(光國の子)のと家宣正室(家継の嫡母)の裁定で吉宗決まり。 >>338
宗春が将軍になったら日本人が陽気になってたかそれとも財政破綻したか。 >>328
というか徳川将軍でそっちが元気だったのは
家康ー運動大好き、漢方薬マニア
家斉ー乳製品喰いまくり
慶喜ー運動大好き
くらい。吉宗は仕事忙しいのかいうほど子供できなかった。 徳川宗家も家廣で断絶するがやっぱ水戸から迎えるんだろうか
尾張は堀田の養子だし
紀伊は婆さんで断絶だし
今後も徳川は水戸の無双が続くな >>345
ブスの女中ばかり残したからチンコが勃たなかったのだろう。 >>336
武田信玄「俺でさえ最初の子供作ったのは小6だぜ?」
お松「利家の最初の子供産んだのは小6ですわよ?」
徳川家康「俺は両親が高2の時の子供やで?」 >>347
当人は顔より体格重視した話があり家康と同じで。 >>2
日本式だと8歳もアラサーくらいの俳優使うだろ 徳川慶喜家の通字がなぜ慶なのか、水戸徳川家の現在の通字がなぜ斉なのか違和感しかない
その通字は元々将軍の偏諱じゃねえかおかしいだろと >>285
慶喜さんの子孫は徳川姓でカメラマンやってるよ。今の徳川宗家は容保さんの子孫で徳川姓。慶喜さん容保さんとも水戸徳川家で光圀のお兄さんの子孫。 将軍様なんてもう幼少期から御つきのお姉さん達に
オネショタで毎晩鍛えられるのワニってね羨ましい
それで逆に女嫌いなったショタ将軍もいたそう >>345
吉宗は経費節減のために手をつけた奥女中が妊娠すると家臣に出世と引き換えに
子どもごと下げ渡してた。いわゆる拝領妻ってやつ。 >>345
なんて53人も子供作ったのにな
水戸に宗家を掠め取られておまけに実家の紀州が断絶なんて悲しすぎよの 八代将軍吉宗の、間部詮房役の石坂浩二と新井白石役の佐藤慶が格好良かった。 >>322
>そもそも将軍てなんなの?
>今でいう総理大臣みたいなもん?
日本人か?小学校と中学で習うことだぞ! >>359
拝領妻始末とか見たけどまあまあイカれた風習だよな。
…と思ったが蒲田行進曲みたいな事例は今でもありそう。 >>64
ものには順番というものがあってだな
然るべき官職に就任できる年齢は決まっているから、いくら天下人の嫡男でもそれは無理 >>28
でも、そのころだと日本も西洋も
虫歯率が今よりかなり低い。
当然、今みたいな歯ブラシはないし
歯磨きの習慣もあまり定着してないけど
その理由は砂糖が高価で今より摂取量が
ずっと少なかったから
砂糖が口内にあると虫歯菌が活性化する
だから、この時代に虫歯になるのは
砂糖入りの菓子が食べれる。当時の
上級民だよ >>351
最初静岡に葬ってから日光に移動してもう一回葬る流れ >>77
主人公そっちのけでおっさん共が権力闘争を繰り返す陰湿な密室ドラマになりそう
セット代はかからないけど、脚本次第では飽きる >>43
武士が出てきたころは、当時の貴族が
仕来りにこだわった食生活で不健康なのに
対し、野山で狩りをして肉を食ってたのにね >>139
今でも条件次第ではゼロ歳児が天皇に即位するシステムだよ?
ネットで叩くの? >>329
それ、スクエニが漫画化して、後で
小学館も漫画化して2社からコミック出てる
舞台は清朝あたりの中国がモデルの国で
主人公は宮廷勤め 大奥の風紀は乱れてたよ。奥女中は将軍様のお手付無ければ暇を持て余し、変装して市中に出て歌舞伎役者や参拝と称してなまぐさ坊主と恋仲に。慶喜さんの時代の政局は京都中心だから二条城や大坂城で大奥にはいない。 子供が将軍に就くようじゃ、いくらなんでも徳川の世は終わりって印象しかなくなるよなあ。 >>251
当時の栄養学って今のような西洋医学
ベースじゃなく中国由来の
陰陽学に基づくやつじゃなかった?
○○を食べると、縁起が良いとかの 新井白石や間部詮房って今でいうと竹中平蔵みたいなの? >>381
子どもがトップでも問題無いくらい、政権運営システムがうまく機能しているという解釈も成り立つ >>2
もうなってるよ。「吉宗」で一番面白い部分がここだった。 >>381
家康が秀吉を反面教師にして制度を整えた。 白粉に関しては経験則で気付いてた人もいただろうけど、
それを言い出せるような環境じゃなかったんだろ >>308
そもそも大奥って採用の時点で容姿重視で
やってるんじゃなかったの? 表向きの口実で五月蝿がたな奥女中のリストラ策だよ。美人と認定されてるから大奥を出ていかないと行けない。 >>43
だから、肉が大好きな15代慶喜は長生きしたのにな。 >>27
終戦直後、結核になった大叔父が出始めのペニシリンを投与された時、一気に青空が広がる心地になったとか
確かゴミ捨て場のメロンのカビだったかな 幕府という組織の中で権力争いが普通にあっただろうから、そういった中で毒殺されたんだろう >>345
家康は、自身が薬研で調合した薬で治癒した成功体験から絶対的な自信を深め、家臣が止めろというのいうのに、処方を誤った自家薬の副作用で死んだという説もあるな
実際のところ漢方も副作用が強いし >>390
なってたね
4歳で将軍は無理だろうと
尾張の人を次の将軍にしようとした
演じているのが羽賀研二受刑者なので
再放送が不可能になっている >>290
これでおしま〜い これでおしま〜い ルルル〜ル〜ル〜♪
( ;ω;)カワイソスギ >>326
家光は家忠となるところが、花山院家の初代と被るという理由で家光になった。 >>353
田安、一橋両家が宗を通字にしてるから創設された代の将軍からの偏諱を通字にするということでは一定の法則性はある。
水戸家の戦後の名付けはよくわかんない。 平安期から酪農やってたら誰かが種痘を発明してたかなあ >>73
将棋は強かった。
家治がIQ高かったことは間違いない。 >>1
まさかこの人物画、その8歳児じゃないよね?
どうみてもおっさん・・・ 側室はおらんかったのか?
オネショタ将軍みたいんじゃが >>416
これは嘘
すべて天寿を全うしたようですよ
歴史的事実 >>55
津川といえば家康ってやつが多いけど
大河吉宗の綱吉ははまり役津川雅彦 >>417
60歳越えは15人中6人
70歳超えは内2人、家康と最後の慶喜だけ >>48
室町幕府も初代、3代、8代、15代くらいしか分からんしそんなもんだろ >>420
天台座主だったけど
比叡山燃やした足利義教は
リアル信長キャラ 室町幕府って江戸幕府と年数あまり変わらないのに
いまひとつパッとしないね >>422
足利さんが軍事力少なすぎるんや…
だから周りの大名にちょっと嫌われただけで将軍が殺される 家斉とかセックスしかしてなさそうな気がするけど
綱吉とか吉宗とか政治もしてそうだけど
実際政治に関わってたの? >>422
中央集権してないどころか混乱が絶えない室町
南北朝のどさくさ成立で
継承権ある足利の子孫が将軍になりたがらなかった罰ゲーム状態
後半はそのまま戦国時代に >>193
おまえが老いさらばえた時が楽しみじゃのw >>28
徳川家茂は虫歯で死んだらしいな。甘党で側室を
取らず奥さんだけを愛した男。享年21歳。 >>227
容保はガチ幕府に、殉じたのに(´・ω・`)
まぁおかげで龍馬が動きやすかったわけだがw >>433
仲間由紀恵が主演だった映画だと
井川遥 >>30
紀伊にいた頃の吉宗は悪い奴で
いい奴の影武者が本物殺してなり替わり
将軍になった、なんて創作物があったな >>400
ペニシリンは結核に効かんはずや。
ストレプトマイシンだな。 吉宗の孫の10代将軍家治は武芸に優れ、しかも自分で将棋の本を書くほど頭が良かった。
世が世なら名将軍になれた逸材だけど、その頃の将軍は部下の考えた政策に形式的な承認を与えるだけのお飾りになっていたから特に大きな功績を残すこともなくこの世を去った。 征夷大将軍の身で自ら敵を斬ったのは義輝ぐらい、尊氏や家康も多少あるかも知れんが。 >>51
大人が塗るのはまだましかもしれんが、乳児が口から体内に取り込むのは非常に問題ありそうだな。
おしろいとか見たこともない庶民のほうが健康そう。 >>64
摂関は藤原に返しておくべきだった。
藤原にはそれしかないんだから。
裏に表に奪還しようとするだろうから、潜在的な敵になるからな。
秀吉は関白になってからは将軍に興味がなかった様だが。
武家を統率するなら征夷大将軍でしょ。 >>414
こういうのは、威厳をもたせるために
あえて実年齢より上に見えるように
描かせてるかもね
ましてや、今と違い父権性がある
社会だったし >>440
そういえばそうだった
恐怖政治の独裁者を
目指してる奴としては
あまりにもうかつな行動をとって
そのためにまんまと殺されてしまった >>426
でも最初から軍事面が弱かったわけじゃないだろ?
それなら、政権取るのさえ無理だったろうし >>449
観応の擾乱で
執事で戦上手高師直死んじゃったしな
義教が奉公衆強化したけど どうでもいいわ。ほとんどの日本人女性は日本史に興味ないから!日本史ほどつまらない学問はない 今でも財閥の家とかに生まれると子供の頃から帝王学なんだろ?
庶民で良かったわ >>283
基本文武両道にいそしんでた清皇帝と
ぶっ飛んでる奴が多い明の皇帝のちがいみたいだな >>449
尊氏は戦争は強かったけど政治機構を作るとか下手だったのかな >>456
強いったって相当負けまくりだぞ
しかし弟に惨敗して降参してるのに偉そうに講和調停を仕切るという恐ろしい肝の持ち主 暴れん坊は、街へ出て庶民と同じメシ食ったり
一人で複数の敵と戦って負け知らずだし
弓矢を放たれても、刀で全部の矢を落とす神業だからな >>51
可哀想だよね健康に産まれた
子供がどんどん調子悪くなっていくなんて >>454
徳川宗家18代目の嫡男の配偶者は
ベトナム人だけど >>422
そりゃまぁ基本ずっとグダグダの内乱してるからな
わりと安定してる3代、4代辺りでもやっぱりグダグダしてるし 家光だったかな
男色にはまりすぎたので、側近がこれではまずいということで
美女をかき集めたら徐々に嗜好が変わったという >>422
足利尊氏が気前良く、地方守護に土地をやり過ぎた。それが後々の下剋上の元となるんだが。
収入基盤は貨幣経済で、将軍家が支配してるのは京都だけみたいなもの >>465
ガチホモと思われてた家光が尼さんと仲良くしてる
↓
春日局「ボーイッシュな娘が好みだったんかい」
こうして家光好みのタイプの女性を大奥に入れ、
無事世嗣誕生 >>467
家光のいるお風呂に小姓の姿にさせたボーイッシュな女を放り込んだらあっという間に懐妊したんやと。
小姓の尻ばかり追いかける家光みて「小姓風にしたらいけるのでは?」と思い付いた >>465
そもそもその側近とホモ達でしたからね。
家光死んだとき殉死も出てる この時期までの武将はバイセクシャルが当たり前だったからね。 >>421
むしろ天台座主だったからこそ躊躇い無く焼けたんじゃないかな >>422
いやむしろ南北朝将軍暗殺応仁の乱土一揆国一揆宗教戦争享徳の乱戦国と
無茶苦茶華やかやんか >>468
男装させられた女性はどんな気持ちだったんだろう… >>471
小姓に手を出したみたいな話があったりするけど、
実際は男装させた女だったと思う。
そうすれば男子禁制の寺社や戦地に同行させても
問題ないから。 意想外に盛り上がる2ちょんの歴史スレだけど
さすがに4歳で即位戴冠し、8歳で崩御では話題になりませんなあ。
むしろその後、が話題になるわけでねえ。将軍継嗣問題www
ところでマイナー(!)な江戸将軍といえばその家継公の次
紀州吉宗公の次代、九代家重公だよなあ。
こら、誰だ小便公方などといった奴はwww
それにあの肖像画は、これはなあ…病気の故とは思うが、あまりにもあんまりだ。
父君、吉宗公にも期待されなかったというし、気の毒なことだ。
ただ、でも、喋ってることさえ家臣の誰にもわからないという
2ちょんねらみたいな状態であった将軍だが
唯一、それがわかった、心が通じた大岡忠光の話と
その大岡が決して将軍の発話と称して国政を壟断しなかったこと
これはねえ、本当に、いい話だと思うよ。 >>482
一生懸命ありあまる知識を披露してくださってるとこ申し訳ないんですけどそれ全部有名な話なんですよw >>478
時代は家光の御世より随分前のことではあるが
歌舞伎の創始者なんていわれることもある
出雲阿国なんてレジェンドなアイドルは
女だてらに男装したうえで踊りを踊ってフィーバーしたわけで
ユニセックスな恰好させられるのは、別に抵抗なかったんじゃない?
ってかそもそも当時のソックスそのものが野郎なら両刀デフォで、
しかも将軍やら大名クラスなら家臣のホモダチは
死んでからも添い遂げる(殉死)ような、そういう時代だからねえw
あ、さすがに女性はそこまでいかないが、でも将軍クラスになると
お相手の将軍逝去後は落飾し、尼となってその後は菩提を弔うのが普通のようだけど。 江戸時代は平和なイメージあるけど普通に将軍毒殺企んでる奴もいたし側室と正室の命をかけたやり取りも裏でやってたし
短命だった将軍とか勘繰ってしまう 将軍家の子供が育たなかったのは大奥で使われてた白粉に含まれてる鉛が原因という説があったかな。
だから養子で入った将軍の方が健常だったりする。 悪政徳川は江戸城の金庫からカネ盗んで今の生きる徳川の末裔
何故東京裁判で徳川家系を始末しなかったんだうね
昭和天皇より金持ってた事実 余の顔を見忘れたか
カーン
カーン
(`・ω・´) >>492
写真も映像もない時代に、たまにしか会わない人の顔を忘れたとしてもダレも責められないだろ。 >>493
14歳で、5歳の正妻と無理矢理やろうとして
傅役に咎められた将軍思い出した。 >>494
>>492
この時代将軍の顔なんて簡単に見れない。
「見る」ことが不遜とされるからうっかり顔見てしまうと 目付が後から飛んできて叱責食らう。
勝海舟が徳川家茂と会見したとき、家茂ガン見で政策説いたがそのあと目付からそのことを詰問され「今の時代こんなこと言ってる場合か!」と言い返したなんて話ある >>308告発状を入れられる目安箱を作って町人の訴えを聞いたり、富士山大噴火後は、大岡越前と民間から治水指揮者を抜擢したりデキる人だったんだね >>1
吉宗は先祖をならって政権を簒奪したってことか 徳川将軍で一番の長生きは、最後の慶喜
徳川将軍で二番目の長生きは、最初の家康
この二人のみ、生前に将軍を退位している >>501
大岡越前は伊勢山田奉行やっていたのを吉宗は知っていた。紀州藩の隣(松坂あたりまで紀州藩)だったので紀州藩とトラブル等やりとりすることもあったらしくその手腕を吉宗が評価したとも >>485
ん? そのあおりについてはこれはちょっと真顔で言うが
2ちょんじゃ有名(とも思わないけど)なことを書いちゃいけないのか?w
まあ何をもってして誰にとってそのネタが有名っていうか知らないけどさw
いやいやいや、これは結構大事な話っすよwww
ウリは2ちょんはネタ、ってか情報のバザールみたよなもんだと思ってるけどね。
玉石混交でラグジュアリーもジャンクもイカモノも十把一絡げに交じってるが
なんか活気があって面白い。そんなもんじゃねえの?
あ、あとねえ、コモディティー商品ってね、堅い人気はあるんだけどな
だからでしょ? みんな「お約束」を書くっていうのはwww
そういうのはね、たまにレス受けることがあるんだけど、
愉快ではないというか、困ったもんだね。
まあそういうノイズな野次が入るのも2ちょんの妙味といえばそうだけど。
ひろゆき御大の聖句じゃないが「転んでも泣かない」、かwww
スレに関係ない話なのでsage。
今日はほかにも知識をひけらかすスレがあるのだwww 本当の父親説もある間部詮房は大河ドラマにしてもいいくらい波乱万丈だね 王位の取り合いなんだから化かし合い殺し合いだったんだろ
知らんけど >>493
まあ、その遊びが何を指すのかはわからないがw
前にもなんかのスレで書いたけど、
将軍のソックスにはお相手のほかに監視人がいるからねえ。
どこまで楽しめたかはわからない。
ちなみにその監視人はもちろん大奥だから他の女官だけどさw
監視というかお相手の女がベットで「おねだり」しないための制度だけどさ。
翌朝は睦言とか然るべきところに全部報告されるからねwww
あの、傾城なんて言葉があるけど寵姫やその一族がね、
色におぼれた権力者を操って国政を壟断し国を亡ぼすなんてことは
古代中国殷王朝の妲己の昔から知られていたわけで、そこは警戒するよなあ。
>>503
ん? 家康公はもとより二代秀忠以降生きながら大御所として
次代に将軍位を譲ることは累代割とあったような気がするけど
あれはなんだい、正式な辞官じゃないのかないな? 新井白石って蘭学者じゃなかったっけと思ったら、それは杉田玄白だった >>149
やっぱおまじないなのかあれ
>>269
コロナ禍抜けたら忘年会ででもやってくれ >>503
>この二人のみ、生前に将軍を退位している
ば〜か 徳川家も足利家も3代目と8代目が名君で7代目が子供で早死にで15代目で滅んでいる >>424
そうだな
視聴者を選ぶけど、俺は観てみたいな
出来が良けりゃ、少なくともおっさん共にはウケが良さそうw >>510
新井白石は蘭学者とは一般にはいわないが出自は学者だね。
そして外国の知識といえば白石が実権を握っている際、
国禁を犯して国内でキリスト教を布教しとっ捕まった
シドッチって密入国者の取り調べにじかにあたって、
直接いろいろと情報の摂取をしているね。
そのときの記録も自ら書き残してんじゃないかな。
で、これも前に書いたんだけど、たぶんねえ
白石とシドッチの間に、そう何度もあったわけじゃないんだけど
志のあるインテリ同志として取り調べる権力者と罪人という
立場はあまりにも違えど、そこに一脈相通じる友情みたいなもの
これねえ、あったんだと思うよ。なんかそれは思ったな。 超安定政権ならあり得るが、普通は元服前はならない。信長の嫡孫もならなかった。カザリン・ケートヘンみたいな傀儡になる場合が殆ど。 >>515
大河の吉宗でやってるけどな
天英院が草笛光子月光院が名取裕子
間部が石坂浩二 >>466
守護に必要な権威を将軍家が提供し、将軍家に必要な軍事力と経済力を守護が提供する、謂わばウィンウィンの関係で成り立つミニマム政権
応仁の乱後、守護在国が常態化して、ある者は滅び、ある者は将軍家権威を必要としない戦国大名化して、幕府の存在意義が薄れていった 紀州徳川家から吉宗が江戸に入って将軍になったけど、吉宗を良く思わない江戸徳川総本家の重鎮からは
紀州の山猿め!とか悪口言われてたんだっけか >>492
うーむ!もはやこれまで
上様とてかまわぬ!斬り殺せ!
上様がこんな所に居るわけが無い!
上様の名を語る不届き者だ!斬り殺せ! >>519
そうだったな
しかし本編の前フリならともかく、全編それってのはかなりマニアックかも 徳川将軍は12代以降もボロボロだよね。早死にや統合失調みたいなのやら というか、江戸時代のお殿様って戦国時代と比べて子供すくないよな。
戦国時代って世継残すプレッシャーすごかったんだろうかね >>500
芸州浅野家の殿様による回顧録でも、将軍の前では平伏し通しで畳の目しか見られなかったと書かれている
国持大名でさえそんな扱い >>528
12代は普通だけど
13代は糖質気味だし
14代は病弱だし
15代はついに政権を投げ出しちゃった >>161
でも秀忠もさるもので、ちゃんと他のところに子供を作ってた。
その子供が家光やその息子を補佐し、傾きかけた幕府を立て直した。
運命はどこでどう繋がっているか解らないよ。 >>531
お飾りが100年くらい続いたから15代は普通の脳みそ持ってるってだけで家康以来と評価されたのかもしらんw >>144
あいつ家の小2の息子より小さいぞ(笑) >>255
家の繁栄が絡んでいるから、みんな必死で表向きは笑顔で裏側はどす黒い陰謀を張り巡らす。
現代日本なら負けても何とかなるが、あっちじゃ負ければ針のむしろで一生を終えるか死に等しい生活しか無い、だからみんな必死になる。
現にその様を見てきた家光は女を恐れ、衆道に走った。 ID:3WsuKalR0
2003年くらいから来た人発見w 家継以外にも、正室との子もみんな幼児期に死んでたと記憶。家宣の血が原因としか言いようがない。乳幼児死亡率が高かった時代とはいえ、先天的な遺伝病か何かだろうな わずか8年の短すぎる生涯で大河ドラマにもならんやん 徳川家は吉宗が継いで良かったんじゃないか
時代劇でしか見たことないから史実は全くしらんけどw 家継の父親の家宣が徳川将軍にしては珍しくお公家さん趣味で
時の現役関白を何か月も江戸に招いて饗宴したりしてる
当時は京の関白様が江戸に下向なんて異例中の異例
息子の家継にもわずか3歳で天皇の娘と婚約させようとしてた 代々、ひ弱なお姫様の子供を後継にするから
どんどん蒲柳になっていくんじゃないかなあ >>1
室町幕府も7代目の将軍・足利義勝が数え10歳で病死 赤痢だっけ? >>183
吉宗の兄、頼職役は野口五郎。
陰険な性格の設定だったな >>50
時代設定か吉宗より25年以上遡る水戸黄門でも尾張家は悪役だったな >>163
古今問わず
今も昔も日の本の国は御上が無能 というか、家茂の体が丈夫だったら長州征伐が途中で終わらなかっただろうし
その場合長州潰れてたんじゃないのかね。日本の近代史がすごい変わっていたかもね 10代将軍が一橋に暗殺されて田沼失脚の原因になったという説は信憑性有るな 吉宗なんて名君のように言われているが結局御三卿なんて物を作り
自分の身内しか将軍にさせなかったクソ野郎 >>514
足利の8代目なんて日本史上屈指の無能将軍だぞ >>547
水戸黄門の黒幕ポジは主に柳沢吉保だったかと…
あと老中の堀田備前守。 >>16
悪霊は頭から入り込むっていう民間信仰があって、病人や神憑り系の巫女は頭を守るためにハチマキをしてた。卑弥呼やアメノウズメを描くときに頭に装飾をつけたり時代劇で死人に三角の白布をつけたりするの見たことあるだろ? >>1
江戸の後宮はほとんど鉛中毒で子供ころしてるので
この子も生まれてすぐ障害者であった可能性が少なくない
治療法もなく苦しい一生だったと思うとかわいそうだな
なお江戸患いもそうなんだけど子の死亡率も町の人口死亡率も地方のほうが元気だったというね >>50
経済理解してるのはいつの時代も尾張徳川家の方。 >>519
それ覚えてる
天英院が間部を見捨てるところ >>526
そういう血筋入れた方が丈夫になるんだよな >>531
13代は吉宗の息子と同じく脳性麻痺じゃないの 10歳までに死ぬケースが多かった
その後の平均寿命は今とさほど変わらんと見てるんだけどね >>560
江戸時代は将軍家に限らず、
天皇家や公家、大名家でも乳幼児の死亡率がやたら高いね
それ以前の時代はそうでもないのに
家康や秀忠の子供達もみんな成人してるし >>500 くんからの将軍の顔の話題だが
>>530 くんがレスしているように大名格だって
そうそう真顔で御竜顔を拝することなんてないわけさ。
来る前から頭を下げて、去った後に頭を上げるんで
誰が誰やらさっぱりわからないんだね。
これは…誰の本かね、やっぱり回顧録で読んだ覚えがあるよ。
530くんが目付っていうんで思い出したんだけど
将軍と謁見、まあ謁見たって先述の通り頭下げっぱだけど、
そのときの土下座、指はねえ、畳のヘリにつけちゃいけないんだけど
うっかりついちゃうとね、将軍御成りの前に目付が咳払いして教えてくれるぞw
さすがに公儀のお役名でも直接上から目線で指摘しちゃうと
武士に恥をかかせることになるからこれはNG
インポライト(イムポw)のみならずインサルトになりかねないからねえ。
なんせ大名なんて自らの家名を守るためなら命を懸けるバーサーカー
年中武装して訓練している藩士なんてのが百人単位でいるんだからw こわやこわやww 家綱の後を家宣の弟が引き継げば白石、間部も安泰だったのに。 徳川家って短命なんだっけ
以前、そのことだけで昔は平均寿命が短かったとババアがマウント取ってたな >>543
本妻の兄が関白とかじゃないの
年上の本妻に影響されたんだろ
天英院はやりて
江島生島事件でっちあげて月光院追い出したし >>544
母親がそんなお姫様ってあんまりいないぞ >>572
将軍御台所の息子は家光ぐらいだし
皇帝の母ずっと奴隷出身のオスマンほどではないが 最近、「家基」って居たの知った
>>131
治済の暗躍の結果か・・・・・ どせー逃げ上手の若君に影響されて徳川とか言い出したニカワだろ >家宣の子は体が弱い傾向にあり家継も例外ではなかった。
近親相姦の弊害かな? こいつが死んだおかげで暴れん坊将軍が来て江戸が平和になった >>572 くんのいっていることは面白くて
公式には将軍という高い官位を持った貴人にはべるわけで
正室正妻御台所はともかく、側室になると公式には
それなりの家からの出自ということになってるんだけど
まあ実際のところは、どうなんですかってところはありますなあ。
マザコン将軍こと犬公方、綱吉公ねえ、その母親の桂昌院さま。
三代家光公の奥様ですが、まあ当時から噂はいろいろあって
結局は「わからない」わけなんだけどね。
あと、話は全然変わるんだけど十五代将軍慶喜公、
その愛妾、側室とはあまり言われないんだけど
江戸の代表的な侠客である新門辰五郎の娘がいたっていわれるのは
すごいなあといつもおもうね。
この新門辰五郎については勝海舟も『氷川清話』で
名前をあげて高く評価しているんだけどね。 戦後に墓所の増上寺にて改葬が行われて発掘調査があった。
家継将軍は八歳という事もあり遺骨は全て土に還ってしまっていたので詳しい事が分かっていない。 >>396
「この子会社にはエースを送らなきゃいけない」
って出向を納得させるようなもんだよな。 なお戦後の増上寺改葬では和宮さまの墓所も発掘調査が行われていたが
右手首の遺骨が確認されなかった事から様々な説が存在する。
先天的に欠損していたのでは?など。増上寺の改葬時発掘調査は二冊の本が存在する。
徳川家マニアは必見、 >>579
桂昌院は京の八百屋の娘と言われてるけど、
あの時代に都に店もってて公家と繋がりあるぐらいだから、一般人とはいえ富裕層の出なんじゃないかと思うが
公家が裕福な町方と繋がりもつのはよくあったことだし
八百屋といっても現代のそれとは違う >>561
尾張は贅沢してたから今でも徳川美術館なんか
あって裕福らしい
質実剛健の水戸の子孫が愚痴ってたと聞いた 8歳ということは乳母からオナニーの仕方を教わらないうちに死んでしまったのか
気の毒に… >>550
徳川ナントカさんが「耐えがたきを耐え〜」
の放送してたか 吉宗はデスノートで殺しまくったから呪いで長男がああなっちゃったんだな 政略結婚による血筋の近さや急速な公家化は、脆弱な子を招く遠因だ。
鍛えようにも元が弱いから難しく、感染症治療は免疫頼みだと益々
難しいだろうね。庶民だと40歳前後で亡くなる人も多かったそうだ。
これって現代の研究では、野良人間の寿命と大差ないレベルなんだ。
それだけ日本は風土病が多い気候で、将軍であっても例外無しだと
いえる。うがい・手洗い・清浄な水の重要性も分かってないだろうし。 >>585
徳川義親が
私財管理力あった当主
美術館作った人 >>18
間部は元々は猿楽師
日本史上唯一のタレント政治家出身の総理大臣 吉宗を将軍にするために毒もったんだよな
吉村の兄弟も不審死してるし 薬で無理矢理勃起させられて
搾り取るように射精させられたんだろうな4歳から8歳まで 徳川家宣自体が
え?自分の番がきちゃった?って感じだもんな >>449
後醍醐天皇がアカン人やったから政権の方から転がり込んできたというべきではないかw? >>585
水戸は光圀さんが日本史の編纂の為に大金使ったから財政がマジでヤバかったとか 家継って発音はイエトゥグなんだよな、綱吉はトゥナヨシ 秀忠…無能な働き者
家光…女装癖、両刀遣い
家綱…種なし
綱吉…傍系の養子、動物フェチ
家宣…エントリーシートに得意科目なし、性格凡庸と書くレベル
家継…シーツのしみ
家綱の時点で終わっていてもおかしくなかった 将来を渇望されたっておかしくね?ふつう嘱望でしょ? 一番知名度が低い徳川将軍は誰だろう
やっぱりこの人なのかな >>1
聡明つっても8つじゃなぁ。
今で言えば小学2年生だろ? 家康 後陽成
秀忠 後水尾
家光 明正
家綱 後光明
綱吉 後西
家宣 霊元
家継 東山
吉宗 中御門
家重 桜町
家治 桃園
家斉 後桜町
家慶 後桃園
家定 光格
家茂 仁孝
慶喜 孝明
同じ15代 鉛中毒のせいらしいが、やたら夭折するしガイジ率が高かった 岡崎だっけ?徳川の菩提寺みたいなのがあるのは
歴代将軍の等身大の位牌がズラーっと並んでてチラホラ小さいのがあったから昔の人は小柄だな〜なんて思ったけど子供だったのか… 大河ドラマ「家継」
第一話「出生」
第二話「死亡」 旦那にはこの話振らんでおこ
歴史が異常なほど詳しくてTV見ながら1尋ねると20くらい返ってくる(;´д`) >>610
孝明天皇が急逝しなかったら今の政治家も変わってたかな
後の世で今は薩長時代と呼ばれるのかなーとたまに思ったりしてる 家継は8歳で人格や人柄を称えられて生涯を遂げたというのにオマエらときたら50や40にもなって子供部屋で坂道がどーたらこーたら、、、 >>567
栄養とか、食糧事情なんて家康秀忠の時代のほうがまだ戦乱の名残があって悪いんだけどね
結局、食料はあっても栄養も偏るとダメだし、
外国もそうなんだけど、中世〜近世は都市部に人が集まると環境汚染が深刻になって毒物も垂れ流し流行り病も多くて
弱い女・子供が死んじゃう >>594
三角大福中の頃の話なら100年後の時代劇にもなりそうだけど
竹下以降は無理 >>618
サンデーサイレンス並みの種馬として全国に産駒を送りつけまくってたじゃん >>578
よくぞ言ってくれた。昭和では言えなかった。 >>77
精通はまだか!精通はぁ!!と発狂する側近 >>618
50年大奥に入り浸った
世界史に残る性豪 14代は脚気で亡くなったんだよね
白米ばかり食べるから >>618
結局一番の勝ち組将軍は家康でも家光でもなく、徳川政権の春を謳歌したこの人なんだよなw >>626
チンギスハンとか
マイセン作ったザクセン選帝侯アウグスト2世みたいな
桁違いがいるから >>567 将軍家の子どもは乳母が育てたけど、その乳母の待遇が悪くて乳の出が悪くなり子どもが栄養失調になったという説もあるようだ
乳母の食費がピンはねされていたらしい 夭折したとき徳川の世もこれで終わりかと思っただろうな
まさかその跡を継いだのが史上最高レベルの将軍になるとは思わんよな 光國は助さん・格さん・八兵衛・弥七・お銀の生活費も出してたわけでしょ
年中旅してるわけだし
大金使うわな 世継ぎに毒盛ってたり
田舎でのんびりしてた親戚に跡継ぎの順番が回ってきたり
いろいろ大変そう >>431
いや家茂は脚気
その奥方の和宮がむし歯が酷かったようだ 家茂も酷い虫歯 骨の鑑定でわかってる
夫婦そろって甘党で虫歯だらけだったようだな >>621
子供を諸大名に送ることで血縁関係結び、
関係良化狙ってとかいう設備もあるな。 幕末になると将軍の毎日の食事が酷すぎて、
全然栄養取れないからとお菓子ばかり食ってたんだよ家茂は。そりゃ脚気になるわ。和宮もだが偉い人ほど栄養あるもの食えなかった 白粉が原因の鉛中毒で幼児の死亡率が高かったんだっけか? >>621
水戸藩のほうがその上いってる。
幕末の主要な藩の関係者は水戸系ばっかり。
水戸藩主は斉昭筆頭に子沢山でその子供が
全国の大名家へ養子に送り込まれてる。
徳川慶喜
高須4兄弟
その他有力藩
越前藩
が水戸系列。 >>608
4:左様せい様
6:もとは甲府宰相綱豊
9:小便公方
10:将棋大将軍 >>610
孝明天皇は毒殺説があるね
同時代の島津斉彬も なんで尾張は将軍になれんかったの?
一番名門ぽいけど >>648
徳川一門筆頭だけにプライド高過ぎで幕府も扱いやりにくかった。初代の義直からして幕府とあれこれいざこざ起こしてる。
それでも家光がホモで跡取り厳しそうと懸念あったので、養子として尾張の光友か紀州の光貞と死ぬ前に秀忠が計画していた。
結局家光に子供出来たので立ち消え 4歳で大奥でヤりまくりとか、じつにうらやまけしからん生涯だな >>467
春日局がアノ手コノ手で
家光の上半身は複数の美形小姓が責め、下半身は打掛けカーテンして、小姓のフェラーリ後、お種だけを女が狩り取ったという説も聞いたなw >>648
8代の継承争いで紀州に皆殺しにされたから 大奥ハーレムを堪能する年齢になることなく死ぬとは
何という悲劇 >>653
吉宗の質素倹約、法で縛るコジキ生活に真っ向挑んだ尾張の徳川宗春
結局、宗春の経済政策で、名古屋は空前の活況を呈し、景気よくやって商業や民衆を活性化させるのが正しかったんだよな
http://yattokame.jp/2019_teaser/wp-content/uploads/2018/08/butai02_1.jpg このころからKOLONA UYLUTHってあるようだ >>657
その時代は農本主義だからしょうがない。
宗春は経済活性化を謳ってたのに財源は従来の農民の年貢だったんで
当然歪みは出る。後から商人からも冥加取るようになったけど時既に遅し。
田沼意次も自分は好きだけど、あの時代幕府が貿易を独占してたんで
商品作物ばかり作られるとカロリー不足で普通に餓死者が出るんだよな。
人間、菜種油すすって生きられるわけじゃないから。 ルイ16世の子供はフランス革命時8歳で売春婦にレイプされて性病をうつされ、センズリを教え込まれたってwikiがゆってた
精通なくてもぴゅっぴゅできるもんなんかいや? >>660
ぴゅっぴゅはできないがオナニーでオーガズムはちゃんと感じられる
俺がそうだったからな 家康並みにとまで言わないが秀忠も3人くらいは側室がいたら徳川政権も色々と違ったかもな 側近含め有能どころか無能やんけ
だから紀州藩から徳川吉宗来て旧側近を追放し紀州藩から人材派遣させて天保の大改革行ったやん 紀州から連れてきた連中とやった経済政策は失敗したけどね
教科書には成功と書いてあるがw
まあ、吉宗時代の後期にやった経済政策は成功したからまるっきりウソってわけじゃ無いけど
それを提案したのは生まれの育ちも江戸っ子の大岡忠相 大岡越前は吉宗が紀州藩主のときから知っていたから起用された。大岡は紀州藩(三重県の松坂以南は紀州藩)と隣接した天領で仕事していたことあり当然紀州藩と調整や交渉やっていた。その時の手腕が評価されて町奉行なりに抜擢されたようなもん 家を継ぐ為だけに生まれ、家を継いで責務を果たして死んだ。 >>30
将軍になっても質素倹約しまくりで自分に厳しかった吉宗が
わざわざ暗殺までして将軍になりたがる訳ないと思う 吉宗の享保の改革は改革と呼んでもいいけど、松平定信と水野忠邦のを三大改革として並べるのはおかしい。アレは、ただの反動だ。 >>671
たとえ吉宗が野心家でも、父と兄二人を暗殺するというのは物理的、心理的ハードルが高すぎてまず実行しようは思わない。 >>671
経費削減と自ら書類添削して
役人に返却してたハードワーカー清の雍正帝も
継承で黒い噂あるし 月光院と間部詮房がデキているというストーリーの大奥は面白かったな 後漢の皇帝殤帝は生後100日ほどで即位して翌年に死亡している。 しかしまあスレがスレなんでねらーのおっさんどもが
年甲斐もなくソックスの話ばかりしているけどw
あのお、どうでしょうねえ。享年8歳なら無理じゃないですかwww
と、いうのも江戸時代でもっとも性豪だったヒーロー
井原西鶴の『好色一代男』の主人公「世之介」この人だってねえ
はじめてソックスしたのは9歳ですからねえw
行水している侍女を遠眼鏡で覗いてそれでってんだからすごいですね。
まあ話を戻すと将軍といい、大名というけど、
無事に子どもをこさえるのがお家大事な「生きる意味」な種馬人生なわけで
その後の政治とかあれこれはあくまでも余芸なんだよw
だからメイクラブならぬメイクベイビーがすべきことであり
そのほかは儀式儀礼の先例にすべて縛られてて、やなもんですよそれ。 さすがに徳川家継は父親と血が繋がってないとか言う人居ないんだな
継体天皇は「継」の字があるから血が繋がってないと言われてるのに
しかも、家継は同時代の人が付けた名前だろうけど
「継体」は200年後の人達が文書もろくに無い時代の人に対して付けた名前 継体はそもそも五代も前が天皇という所縁で継承した胡散臭さだ
家継とは全然話が違う 鎌倉幕府のように外戚に乗っ取られることもなく、室町幕府のように身勝手な有力守護に振り回されることもなく、将軍が多少アレでも幼くても盤石な体制を作った江戸幕府の強さ >>679
磯田見ると、継体は請われて天皇になった説が有力
北陸の大金持ちの実力者 一般人から見ると5代前は全然分からんかもしれんが
一般人じゃない金持ち有力者だから
まさか、その辺の農民が天皇に成ったと思ってんの? >>683
血だからね。地方に行けばいち豪族でしかないけどそこらの民草が豪族になんてなれる時代じゃないってのを理解してない人は多いよね >>609
昔と今とじゃ寿命が違うからな
10代半ばで世継ぎを設けるのが当たり前の時代
当時の8歳なら、今なら差し詰め中学生くらいの感覚か
未熟ではあるが、幼児とは言えない 生母の月光院さまのドラマあったよね
あれ大奥じゃないかな >>677
もともと跡取り(順帝)いるのに跡取りが迫害されて即位できませんでしたといういきさつある。だからこの皇帝のほうが暗殺されたんじゃね?と思える >>683 くんのカキコだけど継体天皇の話?
そんな古代の天皇なんて万世一系伝説がデフォの
後代から遡ってみればって話であって
実際のところはどうかわからないんですよ。名乗ったもん勝ちw
一応遡ってこさえた系図上の正統性はあるものの、
実際にそうなの? ってところはあるw
それはもう誰にも分らない。
あの古代の昔に皇統譜おろか戸籍もおろか紙もペンもないからねwww
これ結構大事なところで記録がないんですなあ。無文字社会www
あ、あとねえ、天皇、当時は大王とかいてオオキミか知りませんが
大中華の歴史書『宋書』にある倭人武王(雄略天皇)の上表
「自昔祖禰 躬擐甲冑 跋渉山川 不遑寧處 」じゃないけどね
昔は天皇もまた自ら武装して戦った戦闘者なんだけどね。
東の55国とか西の66国とかぞろ目の数字の国を征服したとか自称しているけど。
そういや神功皇后の旦那の仲哀天皇はおそらく戦死をしているしなあ。 >>681
過去の例を参考にして出来たんだよ江戸幕府は。徳川家康は鎌倉幕府の歴史書東鏡の読者だったからそこ参考にしてる。
中国のそうだけど後から来る王朝ほど、前の王朝の失敗に対する対策やって作られていくから完成度が高くなる。清は明を参考にして王朝作ったので馬鹿な皇帝はほとんど出ず、宦官暗躍なんてことが起きなかった。 >>671
吉宗本人でなくとも側近の悪い奴らがそう望んで仕向けたのかもよ >>684
トンスルマシッソヨwww
そんな変なことを書いているつもりもないんですけどねえw
えーと、あの無嗣断絶ってわかる?
大名家なんかトップに子供いないと改易同然のお家取り潰しでヤヴァイんですよ。
古の2ちょん用語でいえば「ミンナハサーン」なわけでさ。
家老も末端士分もわけへだてなく全員失業の全員浪人ですしwww
昔はないよ、失業武士のためのハローワークとか。
だから大名なんかそうだけど子作りが仕事の人生のすべてっすね。
まあ一家一門を有する者は士農工商関わらず
次代継承家門継承のため子息をこさえることが
生きる意味の結構なウェイトを占めてたと思うよ。 一般人の5代前を調べるのは大変でも
鳩山さんや安倍さんの5代前なら分かる
有力者ってそういうもんだ
5代前だと知ってるって人が生きてたりもする
20年位で代替りが多いし 成人になるのが12、3歳なので
当時の精神年齢みたいなものは8歳は今の高校生くらいなのかな? >>34
あと夜暇だから子作りしまくってたせいもある >>648
貴族でいうところの筆頭公爵だもんな
まぁ血が近すぎるんで忌避されたみたいだし、尾張藩自身もそんなに将軍職には熱意がなかったようだ 吉宗が自分の子孫に独占させようと御三卿作って尾張紀州水戸締め出したからな 吉宗って野心家で悪い奴だったの?
すっかり気さくな新さんのイメージなんだけど この子供将軍だったら、「お金をいっぱい発行したら江戸幕府の財政は良くなるね」と言っただろうに
残念 >>601
それよか光圀が若い頃に悪い仲間とつるんで辻斬りした話とか犬を何十匹もぶち殺して綱吉に送りつけた話やれよ >>685
継体は、一豪族というより、貴種であり、国内屈指の金持ちのイメージ
例えるなら長屋王みたいな感じかね >>701
悪い奴って言うより良い事もやってるけど独りよがりな事もしてるって感じかな >>635
史実の話をすると水戸徳川家は「在府」と言って藩主は江戸常駐かつ家族は江戸屋敷
なので水戸の殿様は生涯領地に行った事のない人もいる。水戸で生まれて隠居して領地に住んだ光圀の方が例外的
まあ光圀が洋物大好きで浪費癖があったのは本当らしいね(肉食を好んだらしい) >>645
現代で「徳川」名乗ってる人達は
大抵水戸斉昭の子孫だしな
徳川家斉は53人も子供作った割には現存する子孫は意外と少ない >>422
幕府は弱体だったが、茶道など日本らしい文化は室町期からはじまっているそうだ
司馬さんが書いてた 床の間とか和風の部屋や茶の湯サロンは足利義政考案だからな >>711
単なる死の商人だった
坂本龍馬を賛美した
張本人は司馬遼太郎 吉宗が家継に毒を盛って殺したと予想
風邪とか肺炎とかは後から吉宗ならいくらでも捏造できる >>712
同時に唐物(中国舶来文物)珍重文化の全盛期
銀閣もかつては中国趣味の文様で華麗に荘厳されていたことが明らかになっている
日本文化の真髄を侘び寂びに求め、その源流は東山文化にあるとした文化史の常識は再考の真っ只中にある >>714
その辺りを真田の残党が徳川に復讐するために紀州家を乗っ取り吉宗誕生から将軍になるってエンタメ歴史小説があって結構面白い
逆に尾張家が徳川家存亡のために動いているのもいい >>27
有栖川宮は唯一の跡取り男子が虫垂炎になって断絶 >>711
司馬が言わずとも小学校の歴史教科書レベルの知識だろww 三英傑時代を描いた司馬はまだいいが
幕末を描いた司馬は・・・ >>712
政治家としては三流だったが
文化人としては一流だった義政
足利家に生まれたのが間違い 俺がタイムマシンで抗生物質届けてやったら、大名に
してもらえたかな。。 >>550
それはないねw
幕府軍の鉄砲と長州軍の鉄砲の射程距離が違うw
幕府軍のほうが短いw
それに井伊の赤揃えとか目立つ鎧きていい的になるとかなw
要は幕府軍は旧態w 幕府軍が負けて当然www >>565
9代は母親に問題ありかと思ったが
吉宗自体の劣性遺伝子なんだろうなw
まあ元々 御三家自体家康が60代のときのガキだから
精子自体が劣性遺伝子含んでいるけどなwww 8歳のわりに老けてるなw
今でいうところの13歳ぐらいかね >>727
「劣性遺伝子」の使い方を間違ってる。もっとも最近は「潜性」というらしいが。 >>690
清
最後はババアに言い様にされて滅んだけどなw 近代以前の社会じゃ先祖を敬うってのは、イデオロギーとしてあったけど徳川家にしてから
が幕府を築いた家康が最上位でせいぜい家康の父親くらいしか顕彰してないのな。
さらに遡る先祖は、スルーに近い。
先祖崇拝も先祖ってだけじゃダメなんだな。 丈夫で多産を期待されて選ばれた篤姫も子ができなかったな
家定の方に問題があったのか >>731
自称源氏がバレるからだろw
新田の坊主が三河の山賊の松平に入婿で源氏てさw 大久保彦左衛門も記述しているから、歴代家臣の間じゃ周知の事実で徳川の源氏は、
便宜的なものに過ぎないって了解あったんだろうな。
忠誠が先にあるような歴代家臣なら、事実がどうであろうがどうでもいいことだが、さすがに
天下にあまねく権威を示すには、不都合な真実になるだろうか。 >>735
三河松平郷の小規模な国人がルーツというのは足利一門の今川や守護大名の武田など周辺の有力大名に比べると大分見劣りがするもんな
多少なりとも粉飾しないと他から低く見られるし 肥後細川家は、松平姓の下賜をうちは細川でいいですって断ってるからな。 前田も。江戸時代後期の大名は松平だらけ。明治維新になると皆捨てちゃったけどw 確か、長州の毛利にも松平姓下賜と時の将軍の一文字与えられてた
長州征伐で幕府と対立した時に、松平姓返上と将軍の一文字を改名してるはず >>693
麻生さんの先祖の方が凄いよ
麻生太郎さんは現代の貴族 麻生さんのご先祖様は系図的な意味じゃ直系先祖じゃないんだよな。
大久保、牧野、吉田、全部苗字違うw
麻生家そのものは、成り上がりになるんじゃない? ワイワイの血筋も数百年経って混血しても顔変わらんし。
たまーにヨウセツしたり自閉症も出てきまっせ。
結婚するなら覚悟が必要 家康は名門好きだったと言われてるようだが、
血統コンプレックスの裏返しだったのか >>744
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E6%B0%8F
麻生氏は鎌倉初期に関東から九州に移り住んだ宇都宮氏の庶流で歴史のある一族
麻生太郎の先祖は庄屋なので庶流のそのまた庶流くらいだろうけど >>720
足利幕府が幕府を開いているのが間違い。鎌倉や江戸にくらべて
支配力の源泉となる経済力軍事力の裏付けがまるでない。有力大名間の
協調で成り立っている脆弱な体制だった。 >>726
それは古い思い込みだな
長州征伐当時の幕府陸軍はフランス式訓練を受けた完全洋式軍隊
武器もミニエー銃、エンフィールド銃など、最新式ライフル銃を装備していた
敗因はそもそも幕府側に戦意が乏しかったことと、諸藩兵との連携を欠いたことにある >>730
別に西太后のせいじゃない
なんでも中国は女性権力者は悪者だが則天武后といい、庶民への政治はまずまずだった
あれでイギリスがアヘンなんぞ大量に売りつけなきゃまだ清国はやってただろ >>723 くんがおもしろいイフ論を述べているが
医者がその大功で大名になったって話は聞かないなあw
もちろん格や権勢としてはえらくなりゃ凄かったろうが
江戸時代の医者って坊主とか茶人とかアーティストとか
そういう技能職なくくりでしょ?w
大名の大前提である士分じゃないから、難しいんじゃないかなあ。
あ、いきなり出てきて現代医学でVIPを助けるところまではできたとしても
当時の奥医師とか守旧派とかからは憎まれるし、
宮廷権力闘争にまきこまれるから、あんまり未来は明るくないかもねwww
ついでにいえば治療で名を挙げた歴史の人物といえば
まあ古代なら怪僧・道鏡が孝謙女帝から寵愛を得たキッカケは
病気の女帝の看病()を一生懸命にしたからだっていうわいなあwww
いやあ、どんな看病だったんでしょうかw しらんけどwww >>750
様式化精兵は一部で大半は旧来のまんまじゃなかったか?
最新銃に相応する軍服を着せるだけじゃ、軍隊として機能しない。兵制から構成員
の意識まですべて変革する必要がある。
これを行うと伝統的な御家人、旗本などの身分序列を解体することになりかねない。 >>690 くんの御説に>>730 くんが反駁し
さらに>>750 くんがアンサーをつけているが
まあそうだろうね、皆さんいいのではないですか。
と、いうのもさすが大中華は史の国であり文の国であるから
中国歴代王朝は治世において歴史故事を重視するわけですなあ。
もちろん儒教が大事なんだが、孔子こそが一面の歴史家であり
その教えは「昔はえらい」ってテーゼなんだからw
まあ明も清もね、過去を顧みてよくハンドリングしたと思うけど
でも清朝は、最後西太后の御世は、、、これはどうなんですかねえ。
確かに色々意を尽くした統治機構でも、女性が自ら政権をとるとは
これは則天武后以来だろうからね、抑えていなかったんですかねえw
まさにアウトオブ眼中だったのか、これはわからない。
でもまあ、さすが歴史の国でね、これは俗説なんだろうけど
西太后の遺言はあれでしょ、「以後、女性を国政につけてはならぬ」だっけ?w
まあ出来過ぎな話で史実化といえばそんなことはないと思うけどさ。
でもこれ1908年のことだから20世紀の話なんだよなあ。女性解放の一世紀ですが。
敢えてこういうネタを書いてPC的にいいのかしらwww
(気になるから文革四人組がどうこうみたいな話はやめておこうw) >>750
NHKで放送してた鳥羽伏見の特集でも装備は幕府軍の方が優れていたと言ってたな
なのに、幕府軍を指揮してた滝川具挙が相手が発砲するとは思ってなくて弾も込めずに進軍したとか
幕府の権威を信じ切ってたんだな 伝習隊は武士の志願者がほとんどいなくてやくざとか博徒とか火消しとかアウトローみたいな連中をかき集めて隊員にした
だから町に繰り出すとあちこちでヒャッハーやらかして江戸の町民から恐れられていたとか
その代わり部隊としては精兵で結束も強かったので、一部は北海道まで行って五稜郭の戦いにも参加してる 幕末の旗本八万騎は貴族化して、実戦の役には立たなかったんだろな
上野戦争で旗本連中が挙兵したが、
指揮官が俺に付いて来い!
と言って後ろ振り向いたら誰も居なかったとか 彰義隊はただのあぶれ者の雑魚集団だからな
まともな連中は大鳥達に付い行くか慶喜に従ったし 今年の大河で幕末が舞台になってるが、当時の人は写真が残ってるからちょっと萎えるな
篤姫なんてゴリラみたい 何で昔は寿命短かったの?
ガンとかは昔の方が健康的な食事で少なかったはず。 >>764
環境の衛生状態が悪いとか、色々あると思うよ。
今が恵まれ過ぎてるだけ。
コロナなんてもし昔だったら
「奇病でいっぱい死んだ。文献なんて書いてられないねこまったね。」
くらいのもの。 >>764
衛生状態や栄養学、医学などの知識が今に比べて悪く未熟だったから。
例えば、上流階級の乳児は、乳母が母乳を与えていたが、お歯黒を施していた。
当時のお歯黒には、鉛成分が含まれていて乳児の健康を著しく害していたことが
分かっている。
今じゃ病気とは言えない病気でも死に直結するわね。
盲腸炎を患えば外科手術で盲腸摘出が必要になるだろうが、江戸中期の日本じゃ
死ぬしかない。 >>765
蘭医学書をベースに
三日コロリ(コレラ)対策マニュアルはつくってたな。
手洗い洗濯換気推奨したが
検疫含め全て対策無視した外国人せいで広まったり。
あと玄関に病魔退散の札はって引きこもってる、
今で言うステイホームやってる人いたり、
今回のコロナでも使えそうな教訓も結局あった。 >>757-758
承久の乱の鎌倉武士は一致団結して朝廷に歯向かったのにな… 話しは時間と共に盛られて真実とは全く異なるようになる
一切の例外はない >>722
落ち着いてる相手に落ち着けってw
流石ガイジwww >>769
鎌倉時代に水戸学の勤王思想なかったから
源氏なんて安徳天皇水死させてるし >>769
徳川の時代は 島原の乱以降は黒船が来るまで
太平だからな せいぜい百姓一揆があるくらい 家康以前から松平は源氏と言っていたよ
徳川の源氏が仮冒と言い出したのは山口の学者
権力取った側が前任の権力者を汚すあれだよ >>767
三つ子の魂100まで言うからな
大体性格人柄は分かるよ >>773
>百姓一揆があるくらい
その百姓一揆で藩が潰れたりとか…… >>764
単純に子供の死亡率が高かった。
産後の肥立ちが……っていうセリフが時代劇であったが、現在でもそれで死ぬ人はある程度いる >>17
終了してなかったけど他家に養子に行ってたから将軍にしなかったのよな
その後絶えたようだが >>764
速水融という人が江戸時代の人口動態について調べてるけど
宗門帳改という戸籍調査みたいな帳面の変化から
上でも言及されてるけど、出産や乳幼児の死亡が高い
江戸などの都市では、疫病で若い人もどんどんと死んでいく
(江戸町人の半分は梅毒に犯されてた、という報告もある)
農村は子供の頃を生き延びればあとはかなり長生きする
って傾向が出てるそうだ 俺ですら殺すぞと煽られるけどな。
でもオマエラも存在意義皆無だし。
殺す動機が希薄だとしても、殺さない理由は全く無いよな。
しかも殺しは専売特許じゃないんだし。 晩年自炊して過ごした慶喜が享年77で家康の75より最長というのは、何事か物語っている
短命の将軍は、そうあって欲しいタイミングで実に都合よく短命 >>764
あと明治の頃の死因は脳溢血が多かったみたいだから塩分取りすぎが影響してたかも でも鳥羽上皇が出てきたら戦わずに降伏しろ!と指示出してたとかなんとか >>737
物を知らない田舎者だな
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>773
由井正雪「せやな」
天一坊「せやせや」 >>48
二代秀忠公は名君だったと評価が見直されている >>744 嫡流ではないが母系の直系だよ。嫡流だったら吉田姓とかになる。 >>774
公家の日記に徳川さんが藤原から源を名乗るようになった
と書いてた >>774
そりゃあ先祖は何処の馬の骨とも知れない遊行僧、乞食坊主ですとは言えないからなw
別に藤原氏でも良かったんだが、将軍就任時には源姓が役に立った 物を知らない田舎者だな
源姓を名乗っていたのは松平信光から
信光は天皇とダチの凄い奴だ
3代目松平信光創建
・信明光寺(1451年創建) 1479年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
・妙心寺(1461年創建) 1481年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
信明光寺を開基した坊さんの師匠は新田義貞の孫だ
この孫は増上寺を中興した 三河生まれ=日本の名門になってしまうんだよ
■今川記(1553年成立)より
松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘
一色満範の娘の仮定する
源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
■熊野国造家 和田家系図より
松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
家康とやらに源義家、源義国(源姓足利氏・新田氏の祖)、足利義兼(初代源姓足利氏)、一色公深(初代一色氏)、今川国氏(初代今川氏)、吉良長氏(初代吉良氏)、源為朝、安達盛長、足助重範、楠木正成の遺伝子イン >>30
死んだ途端に松平健が「(将軍は)オーレーオレーマツケンサンバー♪」 三河に生まれれば、源氏の名族など珍しくも何ともない
源氏だから源氏と言っているにも関わらず、征夷大将軍云々言っている奴は物を知らない田舎者
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>798
初代は他国からの流れ者で、酒井家次いで松平家の入婿だったって徳川家が自分で言ってるじゃんw
流れ者の素性を新田庶流に結び付けようとしたのが家康
新田の末裔に系図よこせと言って断わられたりしている
源姓は征夷大将軍就任に必要だったからに過ぎず、仮冒も良いとこだよ >>799
だから源姓主張は家康が生まれる100年前、信光から言っているだろ
チンパンジーめ
源姓を名乗っていたのは松平信光から
信光は天皇とダチの凄い奴だ
3代目松平信光創建
・信明光寺(1451年創建) 1479年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
・妙心寺(1461年創建) 1481年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
信明光寺を開基した坊さんの師匠は新田義貞の孫だ
この孫は増上寺を中興した >>803
三河の一土豪兼足利将軍家御料所管理人の何処が凄いんだよ
全国どこにでも居た陪臣または陪陪臣の一人に過ぎん
三代目が源姓を名乗ったり賀茂姓だったりしたことすら子孫は忘れてて、家康が征夷大将軍就任に利用価値を見出して改めて名乗っただけの話 >>799
そのコピペキチは嫌儲に常駐しているガチ池沼だから無視しておけ >>804
何処にでもいたとは、三河以外だと何処なんだい
御料所の管理は政所が担当し、伊勢氏が監督していたんだが
ご存知のように、松平は伊勢氏の家来だった
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>537
そういうシステム作ったのは男なのに女を恐れるって見当違いな気がするけども 大奥が現存したら世界遺産だったのにね
見てみたかったなもったいない 後宮だろ。婚姻関係にない女性も侍るが外出は禁止なんて幽閉と言われかねん >>809
広い世界には今でもあるんじゃないの?
一夫一妻制は限られた時代、地域での婚姻システムに過ぎず、人類普遍のものではない >>648
パゴヤ城の面積4倍の城、岡崎城の城主が仮想敵として監視じていたんだぞ
パコヤが馬鹿にされ監視されるのは今も昔も変わらない ただの風邪だと思ってたところの肺炎
どっかできいたことある話だけど確か結局四回目の感染
むしろさすがに将軍だけあってよく持ちこたえた方 >>809
江戸城本丸御殿だよね。
名古屋城立て直したんだから江戸城の御殿文字再建したらいいのに。図面も障壁画の下書きもあるんでしょう? >>811
あ、そういう意味じゃなくて建築物、素晴らしい内装などが世界遺産になったのではないかと >>799
得川親氏は実在の人物で
吉宗の時代に武蔵府中で墓が見つかっている
徳阿弥が松平郷へ来る30年前に死んでた >>735
当初、近衛に頼んで藤原氏になったろ。てか源氏長者の足利が不在だっけどw
>>738
幽斎は足利将軍の落胤説もあるしな
>>740
慶喜が朝敵になったから本姓に戻るよう明治政府が命令した いい加減にしろ、低能
世良田が2つに分かれて、その一つかわ藤原で三河守になった記録があるとか言われて、家康はしょうがなくだろ
家康にしてみりゃ、世良田以外にも源範頼がなっているだろうと、突っ込みたい所なんだろうが
吉見氏
■正法寺(三河県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する >>703
保有する金以上のお金は作れないから無理
質落とすと途端にインフレしてなお貧乏になるし >>713
小説家は嘘ついて人を楽しませるのが仕事やぞ そのフィクションを史実だと思いこんで恥をかいたアホ共が
今ではそいつみたいな必死なアンチジジイになっているのだろうなあ >>713
著者本人がそう思ってるなら別にいいだろ
違うと思えば自分で調べろ 人の評価なんて観点が違えば違ってくる
司馬遼太郎がいろんな史料を読み込んでそう思ったんならそれでいいじゃないか
どうせ司馬批判の本を読んで知ったかを言ってるだけだろうけどw 家継さまは数え6才なら可愛い盛りだったろうに月光院さまもおつらかったろうなあ >>651
ボーイッシュな女の子見つけてきて、小姓の男装させて、抱かせたって話もある。 家光公の寵愛を受けた元尼さんのお万の方は公家の出だったから妊娠しても流産する薬を飲まされていたって話もあるよね
貴重な子宝なのに >>818
源氏長者は久我家がやってたよ。村上源氏。 >>764
カビの生えた物=発がん性あり
なので今よりも高齢の人に限定すれば多いかもしれない
切腹でがんと思われる病巣を抉り出して死んだ戦国武将もいる
>>765
「今年の風邪は質が悪い」って
毎年のように風邪のような症状が出ていたと考えれば多分花粉症w >>830
>切腹でがんと思われる病巣を抉り出して死んだ戦国武将もいる
kwsk >>5
小学3年は満9歳
4〜6月生まれは違和感ある >>831
丹羽長秀かと。
自害の一説には胃癌の痛さに耐えかね切腹、
自ら抉り出した病巣を秀吉に送ったとか。 明治維新以降支配してるアホが邪魔だから
尊皇攘夷の逆やっても良いんじゃないかと思うけど
他国に対して徹底した排外政策やってた割には
ウチみたいな血筋もいるし。
何だか不安なんだよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています