【歴史】そう言えばペリー提督って「黒船」の後どうなった?幕末の素朴な疑問を紹介 [どこさ★]
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そう言えばペリー提督って「黒船」の後どうなった?幕末の素朴な疑問を紹介
Japaaan 角田晶生(つのだ あきお)@2021/05/18
https://mag.japaaan.com/archives/147365
泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四盃で 夜も寝られず
これは幕末の嘉永6年(1853年)7月8日、日本の開国を求めて浦賀(現:神奈川県横須賀市)沖にやってきたペリー提督ら東インド艦隊の衝撃を詠んだ狂歌です。
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黒船来航に守りを固める幕府当局。東洲勝月 「米船渡来 旧諸藩士固之図」より。
上喜撰(じょうきせん)とは上等なお茶で、(略)
幕府に白旗プレゼント…ヤる気満々で日本へ出航!
ペリー(マシュー・カルブレイス・ペリー。以下ペリーで統一)は1794年4月10日、アメリカ合衆国ロードアイランド州ニューポートで、海軍士官のクリストファー・レイモンド・ペリーの三男として誕生しました。
父と同じく海軍に入隊してキャリアを重ね、1852年11月に東インド艦隊司令長官(提督)に就任。フィルモア大統領から日本に開国を求める親書を託され、アメリカを出航します。
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ミラード・フィルモア大統領。Wikipediaより。
この時、ペリーは日本に対して脅しをかけてやろうと「白旗」の贈呈を大統領に進言しました。
「我らが艦隊の威容を見せつけた上で『開国を拒むなら一戦を交えるので、貴国には降伏の印=白旗が必要になるだろう』という、素敵なメッセージを発信してはどうでしょうか?」
万事チカラにモノを言わせ、弱いと見れば徹底的になぶり倒す……ペリーってのは、こういうヤツ(※)です。が、常識人のフィルモア大統領は進言を却下。
(※)日本遠征任務に先立ち、グラハム海軍長官に「日本人は清国人と同じく、友好よりも恐怖に訴えた方が上手く支配できるだろう。それには、バカでも実力差を理解できるよう視覚に訴える最新鋭の蒸気船が有効だ」などと進言しています。
「バカモン!我らはあくまでも平和的な友好を望んでおる……いらん挑発をして、同胞に無用の犠牲を出すでない!」
「はーい、すんませんでしたー(棒)」
でも、いざ浦賀に着くと「どうせ本国にはバレないだろう」とばかり徳川幕府に白旗を差し出してしまうのだから、まったくいい度胸をしています(もちろん、幕府当局でも大騒ぎになりましたが、国際問題にしたくないため、不問に処されています)。
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礼節と文化をもってペリーを敬服せしめた琉球国の尚泰王。Wikipediaより。
しかし、大西洋からインド洋経由(※)で琉球国(現:沖縄県)までやって来ると、礼節正しいもてなしと高度な文化(精巧な建築や街並みの美しさなど)に面食らってしまい、それまでの「忌まわしき野蛮人ども」という認識を若干改めたと言いますから、根っからの悪人でもなかったのかも知れません。
(※)アメリカから日本に渡ってきたというと、現代的な感覚では太平洋を横断してきたかのようなイメージを持ちますが、史上初めて太平洋の横断に成功したのは日本の咸臨丸(かんりんまる)と言います。
エピローグ:その後のペリー
エピローグ
さて、交渉のすえ嘉永7年(1854年)3月3日に日米和親条約を調印、7月11日に琉米修好条約を締結、日本開国の大役を果たしたペリーは香港へ渡りました。
かねて体調を悪くしていたペリーはアメリカ本国に帰国申請を出し、許可が出ると東インド艦隊の指揮権を譲ってミシシッピ号を下船。イギリス船に乗せてもらってニューヨークへ帰還し、1855年1月22日、東インド艦隊司令長官の退任式が挙行されます。
余談ながら「たった四杯」と詠まれた蒸気船ですが、実は浦賀に来航した軍艦4隻のうち蒸気船はミシシッピとサスケハナの2隻のみで、残るプリマスとサラトガは帆船だったそうです。
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ペリーの肖像と晩年の写真。Wikipediaより。
晩年は日本への遠征中に測定した気象情報をまとめたり、遠征の体験記を出版したりなど精力的に活動し、1858年3月4日、63歳の生涯に幕を下ろしました。
永い泰平の眠りから叩き起こされたことで、日本は激動の時代に突入していくのですが、そんなことなどお構いなしで永遠の眠りにつくペリー……何だか、彼らしいと言えばらしいですね。(略) ペリーのflashもう一回見たいわ
つーか黒船からまだ150年くらいしかたってないのか ヅラであることがバレて
辱しめられて自刃でもしたんじゃね? アジア方面の実行部隊のリーダーなんてアメリカ人誰も知らんやろ ラクスマンとかフェートン号は追い払ったのに黒船だけは何であんなにビビったんだろうな幕府 ペリーって、アヘンを清に売りさばいていた 英)東インド会社の雇われ船長やで ♪テテテテーペルルルリ〜 テテテテーペルルルリ〜(゚ω゚)タイガ >>10
兄ちゃんのオリバーはあちらの教科書にほぼ
載ってるレベル >>12
フェートン号って追い払ったというよりは要求全部飲んで
ヘコヘコしながらお帰りいただいただけでは 大西洋からインド洋を経て日本に来たんだな
この時はまだパナマ運河もできていなかったはずで、マゼランルートよりマシという判断だったんだろうなあ それより昔は子供部屋なんかない頃子供に気付かれずに子づくりしてたん? ペリーはマカオから米国に帰港するための補給を日本でしたかっただけ >>20
佐賀藩がこのトラウマで
幕末雄藩になった 日本遠征任務に先立ち、グラハム海軍長官に「日本人は清国人と同じく、友好よりも恐怖に訴えた方が上手く支配できるだろう。それには、バカでも実力差を理解できるよう視覚に訴える最新鋭の蒸気船が有効だ」などと進言しています。
今も昔も・・・ 鎖国と言いつつ、ヨーロッパ諸国とは付き合いあったんでしょ?
アメリカが開国に強行過ぎたの? >>43
今の教科書では鎖国とは教えてないらしいぞ! 南北戦争を見ないで死んだのはペリーにとっては良かったのかな? クジラとるから港に寄らせろよ
脂以外は捨てるけどバンバン獲るぜい
って聞いたけど ペリーが なぜ来たかっていうと、当時、西洋人たちはクジラを濫獲しすぎて数が減り、ランプ用の鯨油が枯渇したらどうするかと思っていた矢先、日本の北方のオホーツク海にクジラが群棲していることが判った。
そこで捕鯨をするには、近くの港で薪(まき)と水、食糧を補給しなければならない。ロシアは当時、まだ太平洋岸には達していない。そこで白羽の矢が立った日本を開国させて補給港にしようと、大統領の親書を携えて来たのがペリー。
つまり鯨が絶滅の危機に瀕しているのは西洋人がランプのために鯨を濫獲しまくったからなのだ。しかも食用ではなく、鯨油を絞ったあとは捨てていた。
鯨を貴重なタンパク源として食用にしていた日本人はヒゲ1本まで余すところなく使いきったとのこと。 黒船の乗組員からコレラが持ち込まれて江戸幕府は大変だった
そのあと南海大地震だったしな https://www.youtube.com/watch?v=0-8J3UPiweE
ペリー懐かしいな
白元のCMに出たりして2000年代にちょっとしたブームになってたよな
最近見ないけど、どうしてるんだろう ペリーと言い、マッカーサーと言い、アメリカ人はこんなんばっかりだよな 白旗ってこの時代から万国共通で
降参の意味だったのか! たった4杯って話は4隻ぐらい屁でもない!じゃなくてたった4杯で夜も眠れずって日本がビビった歌だった気がするが
表現が逆になってない? >>48
江戸幕府って尊攘派のネトウヨと列強のはざまでよくやってたよな
一歩間違えたら植民地だった
まあ時代背景もアメリカは南北戦争、奥州はクリミア戦争の最中で日本にちょっかいかける暇なかった
ってのもあるけど >>34
黒船はペリーが最初じゃないよ。それより前に黒船は日本でつかわれていた。
まめな。 カイコクシテクダサーイ
カイコクシテクダサーイ
カイコクシロッツテンダロクソジャップガマジナメテンノカゴラァ 信長が天下統一して、海外拡張路線となり新大陸にも進出
日本または日本から独立した新大陸国家が、英国等を圧迫するくらいの方が良かった >>55
オランダだかどっかから、アメリカが近々来るよって言われてたのに
何の対策もしてなかったんだよな 凶悪な白人の蹂躙に待ったをかけ、その世界支配を終わらせた日本は人類史の白眉と言える。 東廻りで来たからオランダ商館経由で事前に来航の情報は得ていたらしいね。 泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たつた四盃で 夜も寝られず なんて呑気な句をつくってたあたり
庶民は案外冷めた目で見てたのかね
ペリー来てからまだ160年
人生二個分しか隔ててないのかよ 提督は凄かった
今でも提督以上はいない
元帥も以下
すごい >>59
その頃から、コロナが来るよと言われてたのに対策をしなかった事の片鱗がうかがえるんだなw モンゴルにぶん殴られイスラムに封鎖されていた欧州が船という翼を得て世界に飛び出してから風向きが変わった。 海軍の提督なのに戦艦とか空母の名前になってないんだよな
名前が付いてるのはなんかジミな種類の艦だった気が >>61
オランダ国王から警告されてたんだよな
幕府は「陰謀論おつw」って感じで放置してた >>1
>史上初めて太平洋の横断に成功したのは日本の咸臨丸(かんりんまる)と言います。
なんでこんな大嘘を堂々と書いてんだ? 日本史からしたら突然やってきたならず者のギャングだからな。 >>13
風雲児たち幕末編は未完で終わるんだろうな
作者の年齢からいって
もう何ヵ月も休載だし
ベルセルクより残念 >>9
しかも食べるタメじゃなくて鯨油を採るためで、あとは捨ててたらしい。
生き物に対する侮辱だよ。 >>44
100年後の教科書は半島帰化人に日本の歴史を抹消されてそう。 白人が来る前の東アジアの平和と秩序を考えるべき。
やつらが欲望と破壊と死を運んできたのさ。 >>28
取ってつけたような前半の大冒険はウンコだけど後半のヨーロッパ到着してからの展開はまさに名作。 ぺりー『開国シナサーイ』
とらんぷ・ばいでん『・・・』 >>72
ほんとだw
堂々とデマ書きすぎててスルーしてたわ
その300年前にマゼランが太平洋横断どころか世界一周してるのに >>1
>史上初めて太平洋の横断に成功したのは日本の咸臨丸(かんりんまる)と言います。
違うだろ
江戸時代初めにスペインが太平洋渡って来てるし、日本人なら慶長使節団が太平洋渡ってる >>76
キリシタンは明確に生命差別主義者。
神の名を借りたテメーらの勝手な尺度で区別しているんだから傲慢以外の何者でもない。
なので仏教の方がはるかに優れていると言わざるを得ない。 咸臨丸のくだりで全く歴史を知らない人が書いた記事だと分かる
つまり価値0の記事 >>28
ペリーヌを思い出そうとするとフローネが出てきます 宮崎吐夢禁止といいたいが、さすがにこの書き込み数では書いてる人いるだろうな >>78
一年前に来るよーってお知らせあったじゃん確か >>50
そんだけ日本人は小さいからなめられてたって事だろう
まずは見た目なんだよ、相手の事を知らなければなおさら ねぇ ペリー? 開国して欲しい? ねぇ
でも駄目 まだ 待って もうちょっと待って
んもう 強引なんだから 第二次世界大戦で日本が降伏したときにも
わざわざこのときの旗持ってきたんだよな >>28
お母さんがインド人で、ロバに引かせた馬車で移動写真館しながら旅暮らし 咸臨丸は正確には「日本人の操縦による」初の太平洋横断だな >>104
ウィスキーたんまり積んできて、日本の使節に飲ませたり時の将軍に
1樽贈ったりしてたらしい。 >>106
江戸時代の日本人はウイスキーどんな感想だったんだろ
麦焼酎で似た味わいのはあるよね >>16
マフィアの親玉かよ。
吉田松陰がこっそり乗り込んで
ちょっとした大騒ぎになったっぽいが。 ペルリは帰国後海将補にまで登ったからな
軍人としては一流だった >>19
オリバー・ハザード・ペリー級フリゲートの1番艦か クラークは日本に半年しかいなくて
すぐ帰って事業に失敗してすってんてんになったって聞いた
もちろんアメリカでも誰も知らない人らしい 日本に来てからたった5年で死んでたのか知らんかったわ 沖縄には通称「ペリー」という地区がある。
以前に沖縄行った時にタクシー乗って行き先を告げたら、運ちゃんが「あっ、ペリーですね」と返され「???」となった。 ハリーポッター以降スネイプ先生にされるのが定番になった 幕末の日本当時で西洋のことは知っていたろうけど、白旗が降参の意味だと理解した人は
どのくらいいたんだろうか?
むしろ白いものを贈られて、死に装束のつもりで来たと解釈されてもおかしくないと思うが。 開国してくださーい
ガラスの仮面バージョンがみたい >>68
ひでー
せっかくの情報を…
もったいない ペリーが来た時に幕府の役人で英語通訳がいたんだけどどうやって英語覚えたんだろう
凄いロマンあるよね
江戸時代にどうやって英会話レッスンしたのか 何年か前のアメリカの政府高官にペリーの子孫て人がいたような。 そういえば、ペリーなんてアメリカでは誰も知らないって聞いた事あるな
日本に行った事なんて、アメリカ史ではいちいち話題にする程の事では無いんだな >>121
平和ボケしてたんだろうなあ
現代と被るわ >>62
それって後年の創作なんじゃないの
少なくてもリアルタイムじゃないよね
たいへいの眠りなんて
大局的に見すぎててなんかあやしい 水戸斉昭みたいなクチだけ番長が引っ掻き回してますます国難が酷くなった いやーペリー来てくれて良かったわ
もし来なかったら今頃日本にネットなんて無かっただろ >>125
そりゃそうだろ
マッカーサーなら少しは知られているのかな >>93
フローネが出てくると
牧場の少女カトリ思い出します。 ペリー来てなかったら、お前らみんな貧しい百姓になってた
肥溜めにウンコ溜めて畑に撒いてた
畑を耕して一生終えてた その昔
ペリーと言えば
開国して下さいよ
ピアノ教室が有名だったな >>129
それは無いな
ペリーどころか最近までアレだったマサイ族が今ではほとんどスマホ持ってるって話だし
少し遅いか早いかってだけ >>123
最初の浦賀でのやりとりの際の通詞が堀達之助で幕府が用意した書面は仏文
上陸後のやりとりにもちろん通訳がいるみたいだけど誰かは書いてない
書面でのやりとりは米側が英文、漢文、蘭文、幕府側が日文、蘭文の書面を用意したとある。
(「天皇の世紀」の記述から)
英語が飛び交うような感じではなく、オランダ語が主体のやりとりだったかも >>136
日本はやがてマサイ族にも抜かれる
向こうは学校の授業は全部英語だからな >>118
室町時代後期には、伝わってたんじゃなかったかな?俺の勘違いなら謝る 捕鯨 しかも鯨油のためだけの補給基地要求なんだからな
いまの批判と言い 身勝手と言えば身勝手だがハリスインパクトもあったしなぁ
☆令和3年度総火演 電子戦システムの活動状況など画像多数
https://blog.goo.ne.jp/axxxxxa0000/e/55cb5e6a639bc97a43aa1a8b65efee8f 慶長遣欧使節が太平洋横断してるが、咸臨丸の何が史上初なんだ? >>14
俺もよくザビエルに似てるっていわれるからそっちのほうが親近感あるな ペリー来てなかったら、お前ら今頃は苗字も無かったぞ
◯◯村の何とかさん、で終わってた
男は亀吉とかゴンベエ、
女はマツ、フク、シゲ、
みたいな名前だったぞ 確かビルマかなんかに派遣されて疫病で死んだんじゃなかったかなぁ 当たらなければどうということはない
↓
打ちどころが悪いとこんなものか 敗戦後の調印式は、戦艦ミズーリの甲板で行われた
その時、甲板ではためいていた星条旗は、やく90年前ペリー来航時の黒船ポーハタン号のものだったもよう お台場の砲台が完成していれば
幕府の戦力はそうそうナメられたものではなかったとかなんとか >>151
ジャッキーとかガブリエルって名前になってたかもしれんぞ 江戸時代には小笠原諸島にアメリカの捕鯨船が物資や燃料、水の補給にやってきて幕府も黙認そうだよ。 東インド艦隊って名前カッコいいよな
アメリカも第七艦隊止めて東インド艦隊にすればいいのに でも最初に来た黒船が、合衆国のペリー艦隊だったので日本は助かった。
アメリカは開国と居留地、貿易は望んだが、日本に領土的野心は無かった。
これがロシアだったらほんとにやばかった。今頃日本の北限はよくて青森、へたすれば東北や新潟もロシアだよ。 >>54
> 尊攘派のネトウヨ
どっちかっていうとパヨクの系譜だよ
自分と少しでも意見の相違があれば徹底的に糾弾して刺し殺してしまう排他性がドンピシャ アメリカ大陸のことをインドと勘違いしたのでヨーロッパ人の中では
アメリカ大陸=西インド
アジア=東インド
と言うことになったのだが、当のアメリカが東アジアを東インドと呼ぶのはどうなのか。 >>163
蒸気船でなくても、当時の欧米と日本は、武力(砲火器)があまりに違うからやっぱりやばい。 >>1
琉球王は形式上もてなしたけど、清国の冊封使より明らかに下位の料理を出して、早くお引取りくださいという意思表示をしたんだけどな。 今でいうと空母4隻来たようなもん。
そりゃ大騒ぎだったさ。 >>152
>色々冒険した末に
>原住民に喰われたんじゃ
それはマゼランじゃ。
マクタン島という小さな島で、調子に乗って弱いものいじめで現地人の町を焼いたりしてたら、怒ったラプラプ王様の兵士に囲まれて殴られたり切られたりして死んでもうた。 ペリーだかハリスだかが当時の将軍家定に謁見した時の記述が面白い
将軍は落ち着かずに手足をばたつかせて目をぎょろぎょろさせてた
あきらかに池沼w 当時の兵站能力で日本に戦いしかけても自滅してただけじゃね クニヲ ヨコセトハ イッテナイ!
ミズト ショクリョウヲ ヨコシナサイ! >>175
東京湾封鎖すれば海運できなくて
江戸の人間餓死確実で幕府権力失墜確実 >>52
お茶にもカフェイン入ってて眠れなくなるからね >>161
1792年にロシアの軍人ラクスマンが日本との通商を求めるために根室にやってきた
しかし交渉はまとまらずそのまま帰国
蒸気船では無かったようだし江戸から遠く離れた辺境の地だしで当時は重く見られてなかったようだな >>175
東京湾深く侵入されて、江戸城や江戸の町を砲撃されたら、日本には対抗する手段がまったく無かった。
(武器が違うといっても上陸して武士の大軍と戦う馬鹿はいない。)
それで十分だったし、実際にその脅しが効いて日本は開国したわけで。 ゴローニン捕まってるな
何やってんだこの人?今で言えば
北海道警察対イージス艦みたいなもんか?
西武警察かよ >>134
肥溜めの堆肥作成方は人類史上で画期的で、発見できなかった西洋人が悔しがってたとか聞いたぞ
熱で寄生虫がほとんど死滅らしい >>173
コロンブスも原住民の人に散々酷い事していたらしいな
だがコロンブスは仕返しはされず帰ってからは英雄扱い
梅毒って嬉しくないお土産は持ち帰ったようだけどw >>168
ジョン万次郎の生涯は、読んでみるとなかなか面白いんだよな。
偶然にも、この人は無学の漁師だったが、潜在能力があったらしく、すごく有能だった。
拾った船長に気に入られてアメリカで養子にされて、学校にも通ってるしね(いまの日本でいえば短大か大学教養学部くらいの高等教育。) 元々来る前から病気だったし
日本に来たのもあまりに使えないんで
壮絶にやらかしての懲罰人事だったしな ペリーはその時の琉球王国の様子を書き記していますから、ご紹介します。
「農民は奴隷に等しく、メキシコの債権奴隷以外でこんなに貧しく
悲惨な人々を見たことがない。」 >>187
ざっと調べたらアメリカに拾われた当時14歳くらいだったんだな
漂流しなければそのまま無学の漁師で終わってたかと思うと感慨深い >>4
室町幕府も江戸幕府も200年以上続いたけど
明治政府からの流れを汲む今の政府はまだ150年
この先どうなるかわからんね >>190
万次郎は、黒船来航後は、幕府に呼ばれて旗本の身分に。勝海舟の咸臨丸に乗って再び渡米してる。
ちなみに勝海舟も渡米後はかなり英語上手になっていた。江戸明け渡しの直前に勝海舟は単身横浜に行き、ノーアポイントメントで英国公使パークスに会ってる。通訳無しの二人だけで話し合いをした(内容が歴史上の謎になってる)。
パークスは勝海舟と意気投合して、今晩はここで食事をしないか、停泊中の英艦の船長もいい奴でそいつも呼ぶから一緒に飯食おう、と言われて3人でディナー。
話がはずむくらいには英語ができてる。
薩長側では伊藤博文も維新後外国経験を積み、英語できたらしいけどね。 ペリーが最初に交渉に来た時は
通訳に英語を話せる中国人を連れてきたんだぞ
日本は中国語の文化圏だと思ったんだろうな(琉球では中国語で交渉できたと思う)
しかし、日本では中国語が話せる役人いなくて困ってしまい、役人がオランダ語を話したら、ペリー艦隊一行にオランダ語が話せる水夫がいて話が通じたらしい
アメリカは何にも下調べしてなかったのが分かる一例 確かいとこが海軍大臣かなんかやった教科書に載るレベルの偉い人で、
ペリーの方は無能な親戚なんじゃなかったかな?
ちなみに赤ら顔もアル中のせいだという噂。 >>156
早くから砲台準備してやる気まんまんだった薩摩がイギリスにボコボコにされたぐらいだから無理だろ >>1
>浦賀来航(西暦1853年)の際に幕府に旗を2本贈っているが、旗の種類及び贈った目的は不明である。
ペリーの交渉態度が高圧的かつ恫喝的と見られたせいか、砲艦外交と呼ばれる。
仮に白旗渡したなら幸福って意味だし、
白は源氏旗なので意味がない ペリー「あの〇〇はなんと言うんですか?」
翻訳「知らん」
その後アメリカでは〇〇のことをシランと呼ぶようになった
みたいなエピソードないの? >>198
バカ!長崎市から浦賀まで何日かかるんだ >>197
双方の損害を比較すると人的損害は英国側のほうが大きい。
薩摩
戦死1負傷9,大砲8門、汽船3隻、市民死傷9 鹿児島城下焼失
英国 戦死13、負傷50 旗艦ユーライアス大破(艦長・副長戦死)中破二隻。 >>200 >>138
日本側の文章は中国語はなくオランダ語 >>195
最初に来た時の通訳は日本語話せるポートマンとウィリアムズだぞ。
しょーもない嘘つくなよ、特亜猿。
そもそもペリーは来航する前にかなりの文献を読んで日本研究している。 >>199
オランダ商館の連中がいるのはもちろん、アヘン戦争によって幕閣レベルなら西洋での白旗=降伏ってのは常識的な知識として知れ渡ってたんだよ
最悪戦争になったらそれを千代田の城に掲げなさいって渡してんだ >>195
馬鹿ネトウヨが歴史の話題はやめておけ。
ペリーは日本に行く前に、当時の日本研究の書物を集めて読み込んでるよ。
シーボルトの本もちゃんとチェックしてある。 日本人には有名だが、アメリカ人は誰も知らない。それがペルリ提督w >>201
ペリーが浦賀で売女を買ったがその子孫がお前 >>138
会話はオランダ語がメイン
ただし、ついてきていたサミュエル・ウィリアムズが日本語の語彙表を作ったり、マタイ伝と創世記を日本語訳するほどの実力者だったから日本人の発言はほぼ理解できていたらしい。
もともと日本で布教の許可を得たいと思っていたから、日本語もそうとう話せたらしい。 >>211
>>195は奇形チョン猿
つまりおまえ 何で小舟で乗り込んで攘夷派は斬殺しなかったんだろ? 江戸幕府って外に対する軍事力をどのように考えてたのかよくわからない 今でいうなら自衛隊すらない? >>62
蒸気船と上喜選っていう人気のお茶葉をかけたいい歌だよね
濃くて飲むと夜眠れなくなったというのと蒸気船が4隻=4杯で夜も眠れず
と韻を踏んでるわけだよね >>16
今のアメドラでも麻薬のやり取りしてる海軍兵が時々出てくるよね
根深いのね >>151
祖先の江戸時代の戸籍謄本調べてみ?
ちゃんと苗字載ってるよ
苗字は侍以外公式の場で名乗ってはいけなかっただけ 日英同盟繋がりでユーロとかあるんだろ?そこを関東連みたいなんが嫌うんだろ 日英の王室繋がりで日本共産党の立ち位置は説明できるし、それがわかってないから
自民党が機能しないんじゃないか 幕末に死んでたのね
63歳なら当時としては妥当な没年 日本人が描いたペリーの絵って似てないな…
西郷どんの絵も信長の絵も本物とは似てないんだろうな >>214
吉田松陰の書簡を英訳した人か、さんきゅ >>63
驚くべき事に、日本が明治になって30年もしないうちに、
今でも残っている林道整備や護岸工事やってのけている。
測量は陸海軍が功を競ってやっていた。その一方で清や
ロシアとも戦争やっていて、そこから更に30年ほどで
第二次世界大戦に至ってる。そして大戦が終わって75年
経過してるんだ。今の停滞日本も、昔は凄かったんだよ。 >>218
ほぼ陸軍しかない。
青森みたいな場所でさえ、守りの大砲一門置いてた程度。 >>235
西郷さんはもっと細面でシュッとしていたと言われてるね。
奥さんが銅像を見て似てないと嘆いたのは有名な話だ。 wiki見ると
あのモリソン号に乗船していたというなら、そりゃあ日本人と会ってるな
ギュツラフとの交流もあったんだろうなあ、琉球情報も持ってそう
面白いわ 石原莞爾が極東裁判で全ての元凶は鎖国してた日本を砲艦外交で開国させたペリーが一番の戦犯だとか言ってなかったっけ 友だちのいない外国人に「ペリーさんと似てますね」と言えばとても懐いてくる 当時の琉球国はジャップランドではなくも中国文化圏だったから民度が高いのは当然 >>245
当時の琉球も日本もキリスト教の布教から逃れてるのはなんなんだろうな >>240
沖田総司の肖像画も姉が全然違うとバッサリだったよな >>247
教会とお上の二重権威を受け入れられなかったから
むしろ王政と教会の権威が並立できたヨーロッパの歴史が変なだけ >>247
先祖崇拝だから
宣教師がキリスト教徒以外は地獄に落ちると布教したが
日本人や琉球の人は、先祖が地獄に居るなら先祖と一緒の場所が良いと言って聞かなかったそうだ ペリーが来て徳川幕府終了したんだよな
マッカーサーが来て天皇も終了したし、日本て大したことないんだよな実は >>249
西欧人が中国で布教した結果で太平天国の乱という国難があるだろう
琉球も中国文化圏なら、なぜそうならなかったのか
という感じでレスしたんだわ >>245
民度はゴミカスだろ。
たんにシナ猿文化圏に近い思考回路だったから、強い相手に媚びて応対したのが受けただけ >>255
日米和親条約にならって琉米修好条約結んだみたいな書き方が>1だけど
真相はどうなんだろうなあ >>257
ノンノンノンミキコサーン
ドじゃなくてソ! 義和団の乱のとき、日本は新鋭艦の一等戦艦「富士」を、イギリスも新型戦艦を派遣したが
アメリカは米西戦争、米比戦争と戦争続きで余力がなく、元蒸気フリゲートだった旧式輸送艦を派遣したが
それを見た日本海軍の将兵は、「なんだアメリカはまだ旧式な『黒船』を使っているのか」と笑ったといわれている >>138
>最初の浦賀でのやりとりの際の通詞が堀達之助で幕府が用意した書面は仏文
そんなわけねーよ
蘭語だろ >>12
長崎や北海道みたいな僻地に来るのと、江戸の近くまで乗り込んでこられるのとでは、ぜんぜん違うわな。
それに、ラクスマンやフェートン号のときは、まだアヘン戦争で清国が完敗する前なので、欧米列強の強さが認識できてない。 厳密に言えばペリーは代将(コモドア)なので、当時のアメリカ海軍の階級制度では「先任大佐」という扱いで提督(アドミラル)じゃないんだな
しかもアメリカは戦時以外では大佐が最高階級だったりする
軍隊では階級によって扱いが違うので、少将(リアアドミラル)と大佐(キャプテン)では結構差があるらしい
しかも国によってコモドアは大佐扱いだったり准将だったりするからややこしい
でもそもそもペリーを「合衆国海軍大提督」と言ったのは幕府の方なので歴史用語としては正しい >>12
実は当時の欧米外交暗黙のルールで欧米外の国と国交条約を結んだ場合、その国とは最初に欧米国と結んだ条約と同じ条件で他の欧米国家も条約を締結するという習わしだった。
そこで幕府はあえて当時の欧州列強とは一段国力の劣るアメリカと国交条約を結ぶ事で出来るだけ有利な環境で交渉出来る相手としてアメリカを見ていた 「天皇の世紀」を見るかぎり、浦賀でのやりとりはオランダ語介してたはず
アメリカ側にはサムパッチという日本人が乗船してた
ただし、処罰をビビって上陸はしなかったと記憶
ジョン万次郎と同じく難破、漂流中にアメリカ船に救助された
ジョン万次郎役はマコ岩松だったよ >>1
バカだな
悪人、善人って決めつけてるし文章が稚拙
考え方のものさしが幼稚園児みたいや >>12
蒸気船があったから。
帆船なら風次第なので日本の侍が切り込みをかけて焼き討ちすることは不可能ではない。フェートン号の時も佐賀藩が規定の人数を派遣していれば長崎奉行は実力行使したはず。
ペリー来航の七年前にアメリカの帆船が浦賀に来航した時には幕府は国書受領を拒否している。
蒸気船は小回りが効くから切り込みをかけるのが困難。
蒸気船というおそろしいものがあるという情報は日本にも伝わっていたからペリーが実際に蒸気船を率いて江戸湾に来ると幕府は国書を受領せざるを得なかった。 >>4
算数が出来ないのか
2021-1853=168 >>47
なぜクジラが日本近海にあると分かったんだろう。
群れが自分のところより頻度が高いからか?
目視による感覚しか判断ないよな。 これもし戦争してたら
ww2みたいに一方的に負けないんじゃないの?
だって相手は強大でも戦闘機もないし大量の兵と物質を継続的に輸送しなきゃなんないし
上陸しても戦車もミサイルもないただの歩兵でしょ?
幕軍だけじゃなくアルカイダみたいな血の気の多い各藩の侍たちがゲリラ戦で徹底抗戦したら収集つかないでしょ
戊辰戦争くらいの兵力が国内で動くわけでしょ?
アメリカの歩兵がちょっとくらい上陸したくらいじゃ倒せなくね? >>279 泥沼の国内戦を覚悟するなら、WW2でも、もっと粘れたよw >>280
国内総沖縄化と北半分ソ連領のおまけがついてくる。 >>280
いやいやWW2は粘っても必ず占領されたけど
ペリーの頃の米軍なんかに占領されないでしょ
あの時代の歩兵がちょっと上陸したくらいじゃ江戸城まで来れなくね?
戦車やマシンガン持ってるわけじゃあるまいし航空機の援護もないただの歩兵じゃん
幕軍や藩兵の数には勝てないよ
つーか占領終わるまで継続的に大量輸送できるの?
補給が続かないでしょ
バーサク状態の数十万の藩兵たちに袋叩きにされて全滅するだけだと思うけどね >>278
漂流して鳥島でサバイバル生活してたジョン万次郎を救助したのもアメリカの捕鯨船だったたから日本近海まで鯨を追ってきてたんたね。 今の大河ではモーリー・ロバートソンがペルリ提督役だったが本人はヅラ被ってたので適任だと思いました どうなったも何も例に漏れずお爺さんになって死んでいったよ >>7
軍艦の名前にもなった兄貴(O.H.ペリー)の方が有名。 >>37
実は今もまだ存在する。何故採掘しないかについては、採算コストがかかり利益が薄いからである。 >>103
お前ジェノバから来たのか?
俺もジェノバっ子だぜ。 ペリーヌ物語のその後って
おじいさんが死んで工場を支えるもその後第一次世界大戦だよな
戦争特需で大儲けしたか工場壊滅したか
マロクールって戦地になったんか? >>279
戦国時代に世界で一番鉄砲持ってた国は日本って話もあるしね
当時は武士という軍人がたくさんいたし、蒙古軍よりちょろいわね Are you ready for ready for 仕返しにお前ら白人の植民地政策ぶっ潰してやったわ、ざまあ 同じ「開化」ジャンルで有名なコーンパイプのオッサンはその後失脚 >>47
>ロシアは当時、まだ太平洋岸には達していない
アラスカを領有してたのに?
ウラジオストクを建設してたのに? >>148
ね。自分もそうと思ってた
この前ちょうどサンファンバウティスタ号見てきてたから、頭こんがらがってるなう。 アメリカみたいな新参がシマ荒しして、
オランダ・スペイン・ポルトガル・イギリスは黙って見てたの? >>307
>弟の従道
興味あるんだよねー
ロマンス的に >>279 くんや>>296 くんの話題だがw
まあ欧米とは距離があるんでどうかわからんけど
ガチでウェストミーツイーストな戦端開いたとして
南北戦争のヤンキーたちと関ヶ原同然の武士団がぶつかって
純粋に戦闘問題として日本側が勝てるとは思えないけどなあ。
あとこれはアメリカじゃなくてエゲレスの話だけど
当時の欧州とアジア(中国)は意想外に近くて
一番茶の早物入荷の最速を目指してティークリッパーなんてやってたでしょ?
ちょっと時代は下るけどスコッチで有名な帆船
カティ・サーク号とかさ。それこそ『八十日間世界一周』のノリですよwww
だからまあ江戸幕府だって、末年を見ればあんな調子だし
結構黒船ショックってね、大きかったんだと思うよ。
経済史の世界なんかそうだと思うけど、
日本近代史の起点が明治維新じゃなくて黒船来航にあるのは、
これ結構ガチなんじゃないかと思うよ。
それだけのエポックメイキングなんだよ。あれ。 >>306 くんのカキコだが、まあ江戸時代のオランダは
最初期はもちろんポルスペの旧世代を追い越して調子よかったけど
江戸時代後期ごろはすでにナポレオン体制に飲み込まれてたからねえ。
長崎出島との通商は祖法としてオランダの東インド会社相手にやってたけど
だいたいフェートン号事件とかいってアジアの海の覇者、エゲレスに
フランスの傀儡なにするものぞと長崎港までやってこられる
しょうむない体たらくなんだからなにをかいわんや。
のちにウィーン会議で復活して東南アジアに搾取をキメるくらいの元気はあったが
ジャップ国まで武装蘭兵を送り付けてランページ(!)とはいかないとおもうよwww
いわんやその紅毛人オランダの繁栄の前に栄えていた大航海時代の立役者
ポルトガルやイスパニアといった南蛮人はもう当時は
日の沈まぬ帝國どころではなくアジアじゃ全然ぴゅぴゅぴゅのぴゅーですな。
まあフィリピンには依然としてヌエバ・エスパーニャの皆さんがおられましたが。 ちなみに、真珠湾攻撃の際
湾内の戦艦4隻を攻撃して
ひきあげたのは、黒船の恐喝に
対する恨みを晴らす意味でそれ以上の
攻撃をしなかった説もある。
真珠湾攻撃は開国の恐喝に対する
返礼である。 ところでこのスレって何だっけ?
ああ、亜米利加國水帥、ペルリ提督のスレねえ。
で、後にペルリは何になったかって?
これは言うまでもない、みんなが知っていることだ。
そう、「日本の偉人」になったんだよwww
まあ砲艦外交、ガンボートディプロマシーつうんすかね
突然現れて武力でむりくり国交をひらかせて
どこが日本の偉人なのかイマイチわからないところでありますが
マ元帥とならんでペルリは日本の偉人ということになってるから
これはまったくしょうがないよなあwww
>>293
キンメル提督なら知ってる >>76
鯨油は当時の照明で使われていたランプ用だから >>194
伊藤博文は英語が話せたから初代内閣総理大臣になった
対抗馬の三条実三は英語が出来なくて総理になれなかった >>72
そりゃ、ネトウヨ(≒朝鮮人)だからでしょ。 >>310
あいからずキモい文体だな。
あの時代にそんな戦いが実現しても日本人の圧勝だろ。
機関銃はまだそんなに使われてないし、欧米人には夜襲の概念すらほとんどなかった。
後世で批判される旅順戦やバンザイ突撃のやりかたが通用しそうな時代だから、日本人の戦闘意欲に白人がドン引きして敗走しまくるだろう。 豆知識
1 スリーマイル島原子炉があったのがサスケハナ川の中州
2 ペリー艦隊が日本にコレラを持ち込み約10万人が死亡 >>7
そんなのは結構ある
樋口季一郎だって日本人よりもユダヤ人の方が知ってる比率高いだろうし、オーストラリアでは抜群の知名度を誇るアスリートヤスナリイワタなんぞ、日本では競馬見ない人は誰も知らない シカト、鹿とスルンデスカ?
カーイコークシテクダサーイヨー >>279
その視点は面白いね
ただ史実は薩長=イギリスVS幕府 なんか調子悪い・・・
史実は薩長=イギリスVS幕府=フランスで
内戦の末植民地にされる一歩手前だった
欧州列強は巧妙だからな >>320
制海権握られて海からボカボカ砲弾打ちこまれて町が焼けておしまいだろう
ナショナリズムを共有してない町民がそれに耐えきれるとは思えん >>194
この辺りを夢枕獏がメリヴィル作「白鯨」と合体させたぶっ飛んだ小説書いてる。
面白いから読んで損は無いと思う。 >>212
旧ソ連で一番有名な日本女性は岡田嘉子みたいなものか。
日本に一時帰国したとき「粛清されず未だ生きていたのか」と言う反応だった。 日米メキシコのザックリした流れ
米墨戦争が勃発し米国勝利!メキシコの領土をゲット!
旧メキシコ領から大量の銀が出てシルバーラッシュ
ペリー「ヨーロッパに売りさばいたけど銀が余ったな・・・どこか売るとこねーかな」
大砲を散らつかせペリー来航、金と銀を交換する
黄金の国、日本から大量に金が流出
ぺリー「へいへい!日本幕府ビビってたな儲かったぜ!金が余って仕方ねぇまた行こうかな!」
アメリカ南北戦争勃発!!
日本の金を持ち帰ったアメリカ人達は金を売りさばいて武器を買い集め
南北戦争の戦費にしましたとさ
めでたし!めでたし!
ペリー「ちょwww戦争始まったのか クロフネの後はカレンチャンとソダシくらいしか知らん オマイらの書き込みを元に今日日本近代史ググったらおもしろかったわ
一人で歴史の本読んでても、進まないから
こういう書き込みに参加するのが一番、歴史を楽しめる
ありがとな >>335
アメリカの南北戦争で余った武器を
更に戊辰戦争で売ってみる >>338
その発想はアメリカ人ですぞ!やめて〜w
あと>>335で書き忘れたが
幕府も幕府で今のお台場に台場
つまり砲台つくって戦争に備えたりしてたようですな
スレチすみませんでした!その後を知ってる人は
知識を書き残してつかぁさい!では >>329
艦船の大砲と陸上砲で打ち合って艦船が勝てるわけないだろうw >>334
関係は悪化するけど、当時のアメリカもたいしたことないからな。
それに極東に来るにはアフリカ南端を通る航路しかなかったから、いちいち大船団で外征してたらアメリカは破綻する。 マッカーサーが来た時に婆さんが何されるんだと恐れたらしいから、異人のペリーとか宇宙人に見えただろうな >>340
当時の日本の大砲はライフリングの無い先込め砲で射程距離も短く命中精度も
低いし砲弾はただの鉄球。
それでも英国艦隊に大きな損害を与えたからな。 >>312
人生(自由時間)の殆どを5chで他人にマウント取るために費やしてるゴミクズ爺さんが
またググった知識でマウント取っているのかw
おまえさあ、俺が教えてやるまで数十年ずっと「すべからく」を「すべて」のカッコイイ表現だと思っていたよな。
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1598616243/753
>ヘタレだと思われたらそりゃ政権運営とか支持基盤とか
>スベカラク、ダメポになるわけでね。
典型的な似非インテリ、しかも人生終わってる↓
使えないバイト爺だと自白。
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602713634/122
>平均時給が1117円? これは肌感覚からして高い気もするなあ。 >>303
ジャクリーヌって命名しようと思ったが大袈裟だからやめたんだっけ ペリー来航からWWU日本敗戦まで100年も経ってないんだよな
終戦時、ペリー来航の記憶がある人もまだ生きていたかも知れないと考えるとそう遠い昔でもないような気がする
因みにペリーは琉球に5回も寄港して滞在中に地形や植物生物なんかを調べていた
沖縄戦でペリーの地図は役立ったという ペリー提督の子孫の老婦人が以前日本のテレビに出てたけどこれぞ貴婦人って感じの嫌味のない上品なおばあさんだった
ペリー提督はやっぱ名家だったんだろうな >>4
俺の先祖はペリー来たとき案内役やってたよ
米兵からハンカチっぽい布貰ったみたいで代々保管してる
なんでも鑑定団に出したら面白そうと思いながら1000円とかだったら恥ずかしくてな >>350
親父も兄も将校だし、祖父は裁判官だろ
日本と違って欧米の軍隊で士官学校行ってたのは名家の子息だからな。 >>249
日本も、武家政権時代は政治の実権を握る幕府とお飾りの宗教的権威だけを持つ名目上の元首である天皇=朝廷との二重権威が並立してましたけど?
>>250
戦前の日本の帝国主義・軍国主義の元を辿るなら、ペリーが砲艦外交で開国させたのが発端なのは事実であり、石原完爾は何も間違っていない。 ペリー「白旗を渡します」
徳川「楽勝だった。可哀相なので不平等条約にサインしてやれ」 諸星大二郎先生の短編が面白かった
佐助花号とかになってる逆転SF >>355
不平等条約結んだのはハリスな。
軍出身のペリーは交渉が苦手で日本
でも琉球でも丸め込まれて帰ってきた。 >>12
爆裂する大砲持ってたから
その気になって江戸にぶち込んだら大火発生数万人が死傷する事態 >>1
>しかし、大西洋からインド洋経由(※)で琉球国(現:沖縄県)までやって来ると、礼節正しいもてなしと高度な文化(精巧な建築や街並みの美しさなど)に面食らってしまい、それまでの「忌まわしき野蛮人ども」という認識を若干改めたと言いますから、根っからの悪人でもなかったのかも知れません。
あれ🤔?
ネトウヨがいうには、沖縄は土人じゃなかったの? >>323
インパール作戦のスリム将軍とかもそうだな
牟田口廉也は有名だけど、スリム元帥は日本人は誰も知らない、どころか本国でも無名
スゲー名将かつ圧倒的戦績なのになぜ? で黒船は引き渡した後どうなったの?書いてないじゃん ペリー提督とマッカーサー元帥は今でも日本では大人気
日本国民を解放した偉人として誰よりも尊敬されてる
今でも日本が選挙できるのも
米軍のおかげ、アメリカのおかげ
大統領に感謝して生きるのが日本人
米軍て日本政府、日本の政治家から日本国民を守ってる >>353
明治時代あたりは、武家の子供が士官学校に進学してたらしいぞ。 >>371
ママさんママさん
クッキングストップ! >>340 砲槓兵器の技術がある程度近ければそうだけど。
それにペリーも初回は警戒して浦賀で接触を図った。
陸上砲台が必ず有利かというとそうでもなくて、砲台の地形が険しいと弾薬の補給が海上勢力よりも難しい場合もある。 >>370
日本は軍学校が無償だったから貧しい家庭の子息が高等教育を受けたくて入学した例が多い >>376 同じ砲なら高い方が遠くまで届く
艦砲で、高地の平原は撃てない
砲台から艦隊は丸見え
艦隊は攻めるも退くも自由に選べる
陸警兵力を乗せてる場合、沿岸砲兵など取るに足らない
なので海峡防衛側は、戦況が切迫した時に中央部に機雷を敷設する >>363
ウィリアム・スリムは名将ってほどではないだろ。
撤退しながら、アメリカの力で日本軍がボロボロになってからどうにか戦えた程度の戦績だし。
現場に出て士気を上げるのは上手かったから、能力的には辻正信よりちょい下くらいのレベルじゃね? >>377 幼年学校は無償ではなかったのと、海軍に相当する機関がなかった。
なので小学校もしくは高等小学校から陸海軍の士官学校に直結できなかった。 >>378
四か国連合5000人で襲いかかった下関戦争ですらキルレシオは長州藩の侍2000人に負けてるだろうw
しかもあの時、長州の主力は禁門の変で京都に行っていた。
当時のアメリカ単独じゃその程度の外征も無理。 補給の面で大西洋経由しか無理なだけだろ。
大西洋超えればあとはちょくちょく寄れる場所がある。
太平洋はほぼないからマジで地獄の海路なだけ >>12
幕末当時、今の外務省に当たる組織や、
海外に大使館相当の機能を持つ拠点は
あったのだろうか。
先日根岸の競馬場遺産の話題があったが、
あれは大政奉還前にできたものだが、
その時代の海外との交流に興味があるね。 >>377
学習院に通ってる華族とかも陸軍士官学校とか海軍兵学校に進んでたらしいよ >>1
中学生の自由研究か。
調査不足や事実誤認があり、文章も稚拙だな。 >>342
そりゃ、鬼畜米英と教え込まれ、占領されたら乱暴狼藉の限りを尽くされると思い込まれたからな。 ていうか、船の砲弾なんていずれ尽きるんだから好きなだけ打たせとけばいいんじゃね。
。 >>235
信長の絵は実際に信長に仕えた人が奉納してるから、特徴は似ていると思う。
本人の死後に口伝で絵師に特徴を伝えて書かせているのと、若い頃の美化が入っていると思われるから細かいところは違うと思う。
信長本人に一番近いと言われているのは木像の方。 >>7
ルーク・ペリーの方が遥かに有名かもしれんな >>7
そりゃ、日本が当時の朝鮮に送った朝鮮開国の特使が誰だったかとか
日本人の誰も知らんだろ。 Wikipediaのミラード・フィルモアの英語版の記事
日本に関する記述は記事全体の1%(500字/50000字)だけ
米の日本に対する関心なんてこんなものだ >>398
歴史無知な奇形チョン猿
アメリカがどれほど日本を恐れたのかも知らないんだなあ。
だからこそ、対米 7割とか軍縮交渉までやってたのに。 >>24
58年前のワイのトーチャンが20歳の頃、50歳55歳定年の
おっちゃんらが縁側でビール呑んで将棋とかしてるのを
見て羨ましかったらしい。
その人ら、その後2〜3年で皆死んでったらしい。
そんな時に出来た年金制度だぞ。と良く言ってるわ。 >>4
ちなみに曲作者の宮崎吐夢はflashを作っておらず、
あのflashをあまり気に入ってないらしい。 1871年に大阪湾で乗っていたボートが転覆して溺死してしまったアメリカ海軍提督がいたことは誰も知らないw >>393
不平等条約も真面目に守るなんてしないですっとぼければ良かったんじゃないかと、韓国の外交見てると思う事あるわ。 >>385
アヘン戦争もあの映画見てて思ったわ。
焦土作戦でいいんだよな。 白旗をもらっても意味がわからなかった。布切れくれてケチな国だと思って将軍のフンドシにした。 >>354
山形での極東軍事裁判では、あんな作戦やったから日本は負けた!
俺ならこうする!って大演説ぶちかまして、外国人記者が喝采したんだっけか。 >>12
江戸湾を海上封鎖されたから
東廻り航路、西廻り航路が寸断され、日本の物流が終了。
鉄道が無い時代なので、江戸100万人の生活物資を賄う大量輸送は海路しかない。 本当に提督だったの?
だとしたら、返事次第で一戦やる気だったの? >>407 東回り航路は江戸湾口通ってないからね
西回り航路は、あまり依存度が高くなかった >>409 マルコのお母さんはねえ。もう死んじゃって会えないんだよって姪を泣かせた。
老後復讐されると思う。 >>234
確か幕府の米国使節団がペリーの家を弔問しているんだよね。
残された婦人に会って、姿形は違えども人情において異なることなし、と感想を述べてくる。 >>403
まさに今のIOCと日本
不平等条約で賠償金を要求されてる 幕末の幕府はもっと評価されていい
攘夷派は勝手な事ばっかり言ってテロしまくるし
朝廷はとっとと攘夷しろとかパワハラ上司みたいな無理難題
薩長はちゃっかりイギリスと手結んでるし
幕府の采配が無かったら日本は内戦で植民地にされてた 高杉が彦島をガンとして譲らなかったのはさすがだわ
海軍に近くの島つまり補給基地を与えるといつでも陸兵の上陸占領が可能になるしね
大村も幕軍は最初に大島に来ると見抜いてるし カーイコクシーテクダサーイヨ
flashだったっけ?何が面白かったのか流行ったよなw >>320 くんからのレスに気が付いたので反応しよう。
×あいからずキモい文体だな。
〇あいかわらずキムチいい文体だな。惚れ惚れするぜ。
だなw 親韓左派のウリが正しい日本語に添削してやったぞwww
で、まあねえ、こういう歴史のバトルなシミュレーションは
なんとも言えないところはあるんだけどさあ。
やっぱりね、兵器の質って大事っすよ。特に海戦とかはねwww
まあ軍事ネタはようしらんけど薩長軍が幕軍をコテンパンに倒したのも
西洋の最新兵器があらばこそ、じゃないんすか?
(つづく) (>420つづき)
で、あの、機関銃があったから戦況が変わるってw
そんな、映画の「ラストサムライ」史観じゃないんだからwww
ガトリング砲とかね、戊辰戦役当時国内に3門(だっけ?)しか
なかったのを2門もっていた河合継之助の長岡藩って負けてますしおすし。
それにね、あの、バンザイ突撃の殲滅戦?
まあバンザイ突撃はやってないけど苛烈な大量死を出す戦争
まさに南北戦争でねえ、やってるんだよねえアメリカ人。
一日日がのぼり日が暮れる間に何千人も蒸発しちゃうみたいなさ。
もちろん南北戦争はペリーの来航から10年くらい後のお話だけどね。 ちなみひペリーは希望峰回ってアフリカ経由だからな。大西洋渡ってきたんじゃねーぞ ところで、以下は親韓左派の両班であるウリの根拠レスな私論でございますが
ペルリ艦隊って浦賀沖に現れる前に、琉球と香港だか上海だかに寄港してんでしょ。
でねえ、これはウリの想像なんでございますが、大中華の寄港地のどこかで
おそらく偉大なる大韓の密使と邂逅密談し、
大韓王からの王命書を拝受していると思うんだよなあ。
曰く、貴艦隊の能力があれば東夷の倭国を鎧袖一触、
朝飯前のサムゲタンのようにホロンぼすのは容易い。
しかれども歴史的に倭国は兄の国大韓の支配下にある植民地、
しかも倭人とは遠き昔に大韓からやってきた
渡来弥生人の末裔であり、大韓民族と同一民族である。
故に一切の砲撃はこれを厳禁とする、ってね。
そうであらばこそ、ペルリの砲艦外交がブラフに終わったこと
これが説明つくと思うんだよなあ。ああ、ホルホルwww ペリーのものまねで
クニヲアケナサーイってやつ
初見は大笑いした サイダー売って儲けたんじゃないの
開国してくだサイダー >>423
お前が韓国に親近感を持つのはドウセエニスの長さかなんかだろうけどさ、
お前みたいな貧乏な上にコンプレックス丸出しのゴミ屑はどこへ行っても嫌われると思うぞw
使えないバイト爺だと自白。
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602713634/122
>平均時給が1117円? これは肌感覚からして高い気もするなあ。
現におまえ「須らく」を「全て」のカッコイイ表現だと思って眼鏡をクイックイッさせながら何十年使い続けたのに、
誰もこっそり指摘してくれなかったろ?
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1598616243/753
>ヘタレだと思われたらそりゃ政権運営とか支持基盤とか
>スベカラク、ダメポになるわけでね。
典型的な似非インテリwwww
女性はみんなお前の事を陰で馬鹿にしていたと思うぞ「頭スベカラクくん」とかいってさw 失礼、確かに5chごときで校正は全くしないわけだが、意味が通じないのはさすがにアカンw
X お前が韓国に親近感を持つのはドウセエニスの長さかなんかだろうけどさ、
O お前が韓国に親近感を持つのはどうせペニスの長さかなんかだろうけどさ、
余談だが、日本はその後自分が不平等条約を改正するのに必死だっだが、
国としての体を成していなかった弱小国の韓国に不平等条約を押し付けたりしているw >>127
ロシア船やイギリス船の来航とかあって
異国船打ち払い令も一時出してた
異国とどう付き合うかで議論が起こり
蛮社の獄まで起こった
ペリーが来て始めて騒ぎ始めた訳じゃない >>428
林修すらそれ使ってドヤ顔キめるんだよな
似非文化人だよな >>349
大政奉還から日本海海戦まで40年ほど、ライト兄弟の初飛行からアポロ11号の月面着陸まで70年くらい
国の変貌やイノベーションの進行ってすさまじい >>323
台湾の治水に尽力した八田與一なんかもそうだな 黒船ファンクっていう曲が好き
開国しなさーい ポテトも一緒にいかがデスか♪ >>421
軍事ネタはよう知らんって自分で書いてるじゃねーか。
機関銃で戦局が一変したのは歴史や軍事に詳しい人間なら常識レベルの話。
そもそも世界が機関銃の軍事的有効性にようやく気付いたのが、せいぜい日露戦争ぐらいの時期だ。
ロシア陸軍のほぼ半数というキチガイみたいな兵数で猛攻された黒木軍がなんとかもちこたえたのは、わずかだが機関銃があったからだ。
兵器の技術優位がそれほどでもなかった1850年代なら、外征軍は弓と槍のアフリカ原住民相手でもしばしば苦戦している。 >>418
司馬遼太郎の小説では、高杉晋作は講和会談において終始魔王のような態度で欧米列強に対峙したように書いている
これは通訳官アーネスト・サトウの回顧録が元なのだが、原文をみるとだいぶ違う
「日本の使者の態度に次第に現れてきた変化を観察すると、なかなかおもしろい。
使者は、艦上に足を踏み入れた時には悪魔のように傲然としていたのだが、
だんだん態度がやわらぎ、すべての提案を何の反対も無く承認してしまった。」
高杉が魔王のような態度だったのは最初だけで、だんだんおとなしくなって、最後は列強の要求を全部きいてしまったのだ
サトウはこれを面白くみていたのである ペリーは提督(艦隊司令)ではない
階級は代将(大佐の上くらい)で、せいぜい一戦隊の司令だ
一艦の艦長が司令兼任したようなもんだな >>434
ペリーです ペリーです
もう一度いうよ
ペリーです >>437
ペリーの役職を「提督」と日本側が訳したんだよ
だからペリーは提督でいい >>437
https://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_C._Perry
コモドールへの昇進
ペリーは1840年6月、海軍長官が彼をニューヨーク海軍工廠の司令官に任命したときに、
提督の称号を授与されました。アメリカ海軍は、1857年まで船長よりも上位にランク
されていなかったため、提督の称号はかなり重要でした。公式には、将校は戦隊の
指揮任務が終了した後、彼の恒久的な階級に戻りますが、実際には、ペリーと同様に、
提督の称号を受け取った将校は生涯の称号を保持していました。 >1
頭の悪さが滲み出た稚拙な文章だな。
馬鹿なのは仕方ないとして、
咸臨丸が史上初めて太平洋を横断したなどという大嘘を書くな。 Admiralに昇進するには議会の承認が必要であり、
現実に最初のAdmiralが認められたのは南北戦争中の1862年であった(この時点ではペリーはすでに死亡している)。
したがって、ペリーの肩書きもCommodore(代将)であり、Admiralではなかった。 ペリーの子孫は、ビール造ってる
Double Nickel Brewing Co.
https://dnbcbeer.com/our-story/
DREW PERRY
HEAD BREWER AND CO-FOUNDER
これの宣伝か
ペリー提督直系の子孫と幻のコラボが実現!黒船ビール来航!(ペリーが浦賀に来航した6月3日に発売開始)
https://www.jiji.com/jc/article?k=000000003.000052324&g=prt >>47
わざわざランプの油取るために太平洋まで来るわけ無いだろ間抜け。
鯨蝋は、低温でも固化せず、高温でも分解しないから
交換できない部位の機械油としては、唯一無二だったんだよ。
今でも合成鯨蝋使ってる。 ミシンを発明したのはドイツ人だが、ミシンを一般に普及させたのはアメリカ社会。
ペリー来航四年前に世界的ミシンメーカーのシンガーが作られている。
んで、このミシンとやらは、当時としては最先端の精密部品で鯨蝋が必須だったんだな。
つまりペリーはミシンを求めるアメリカ社会の要請に答えて日本を開国させたわけだ。
ちなみに、ペリーは来日の際に徳川将軍家にミシンを送っている。
当時のアメリカがどれだけミシンを重視していたかがよく分かるエピソード フランシスコ・ザビエルのその後がめちゃくちゃすぎて面白い。 若い者は信じられないかもしれないがつい40年前までは田舎じゃ
外人なんかモルモン教の自転車二人組のあんちゃんしか見たことなかったんだぞ
つまり何が言いたいかというとペリーのころと40年前の日本と
あまり変わってなかったって言うことだ オマイらの、おかげで、幕末や近代世界史を楽しくググったり勉強してるよ
このスレ落ちても続けるわ
いつもありがとな 薩摩ではこの30年近く前に宝島事件により危機感を持ってたんだよな 白旗は降伏の旗なのに日本人はずっと騙されたまま
函館空港にMig25に乗ってやって来たベレンコ中尉は
近づいてきた函館空港の職員を見て
思わず大笑いしそうになったそうな
ベレンコ中尉が白旗上げる筈が
空港職員が白旗上げてたんで
日本は降伏したのかと思わず大笑いした
と彼の回顧録には書かれてた 占い
Q竜馬さん、そういえば黒船ってどうなりましたか
「リサイクル」
Qペリーさん、ペリーさんはその後どうなりましたか
「なにかを作る仕事」
Q竜馬さん、黒船が来たときどう思いましたか
「集合性のなかでの生き方の確立」「集合性のサイクルのはじまり」「閉じこもっていた人は」「はじめて、他者との本当の意思疎通を実現」
Qおじいさま、黒船が来たときどう思いましたか
「まったく気がつかない」 おじいさまのは当たってないか冗談かと思ってましたが
1853年ですか
本当かもしれません >>453
それ、空港職員だろ。
政治亡命であることが明確な状態で、軍人を刺激しないのは間違った判断ではない。
そもそもベレンコ中尉ってキチガイ同然のものすごく頭おかしい奴だからな。
今のロシアも練習機だけで日本の自衛隊機より多い、日本を空爆するなど簡単だと吠えたり、日本の航空戦力なんて無いと言い切ってアメリカにまで激怒して日本人様に土下座謝罪させられたw
当時も今も日本の空軍力の大半はアメリカ製だからな。練習機だけで西側二位の軍事大国の航空戦力に勝てるほどなら、アメリカにだって負けるわけないし、ソ連が世界を支配できただろう。
そんなに威張れるほどすごい国からなんで亡命してくるねんって感じw
しかも確保されてからは「ここが日本で一番安全な場所です」と騙されて刑務所に入れられてたんだぜw
おまけに近所の出前を出されて「信じられないほど美味い。これは貴賓に出される特別料理ですか?」と涙を流したそうだ。
日本経由でアメリカに亡命してずいぶん経つから、当時のそういう恥ずかしい話はいっさいせず、日本やアメリカ蔑視発言を繰り返すクズにすぎない。 >>453
ペレンコがアホなのか嘘なのか知らんけど
空港で使う白旗は振っていなければ停止していろ
振っていれば指示に従って進行しろって意味だったかと 韓国は丙寅洋擾でフランス艦隊、辛未洋擾でアメリカ艦隊を撃退したのに
日本はペリーに戦わずして降伏かよ
当時アジアの強豪だった韓国とまではいかなくても戦って負けた薩摩や長州の方がマシ >>449
ミイラにされて、十年に一度御開帳。
右手だけ切り離してローマに。 そもそもあんな蒸気船ごときで太平洋を渡って来れること自体が嘘だと誰も思わないんだよね
歴史なんて全部嘘
お前らは「馬鹿」だからなんの疑いも持たずに洗脳されっぱなしだけどな 英語を勉強してるオッサンだが
英語番組の前にロシア語講座があって
ロシア人から見た日本の大昔の文学の翻訳
も教材にしてて意外と面白く結構聞いてた
江戸時代あたりの奴が中心ね
日本と関係ないロシア文学で面白いのもあった
ロシア語は非常にめんどくさそうだてのしか
語学的にはやらないし、覚えてもないけどねw >>401
なのにホワルバアニメではカメオ出演を果たすという 米使ペリーの来航に
鎖国の扉開かれて
曙こうを眩くかいがいに おや、>>435 くんからレスを貰ってたことに気が付いた。
なに、チミはあれかい? かの有名な名著
ジョン・エリス『機関銃の社会史』とか読んだ?
ウリは前に書いたけど別に軍事とか戦争とかそんな関心ないけど
これは面白かった覚えがあるね。もう中身全然忘れたけどwww
(当時の軍事エリートが強すぎるがゆえに機関銃を軽蔑した、みたいな
なんかそういうところは覚えている…この本だったかな?w)
ま、それはともかく、どうだろうねえ。
黒船に接舷攻撃しようとする仮想スイカ商船(!)を攻撃するわけじゃあるまいしw
嘉永の日本列島で起きた(かもしれない)ヤンキーVS旗本八万騎の
仮想戦争で機関銃が数丁あってそんなドラスティックに戦況変わるかねえ。
やっぱり一般兵の手にする鉄砲の300年のラグの方が戦況に影響しないっすか。
(ま、貴見の通り知らんこと書いてるんでアレだけど)
>>462
偉大なる大韓は今も昔も地上最強の戦闘民族国家だから
日本と比べるのはちょっと気の毒だがw まあそうだろうね。 あと>>458 くんのカキコを見て思ったんだけど
ウリがヤングの頃、日本の歴史みたいな本を読んでいて
幕末の攘夷/開国論のところで「うわあ」と思ったところがあってさ。
幕府から「異国船(無二念)打払令」とかいって
「ツベコベ考えてねえで外国船は見つけ次第ぶっ飛ばせばいーんだよー」みたいな
おいおいどこの蛮族だよ、みたいなやたら景気のいいオーダー出していながら
のちに阿片戦争で清朝ぼろ負け香港植民地とか知ったら、すっかりビビっちゃって、
「あ、やっぱ今のなし、なし。薪やって、水やって、きぼんぬ」とか
薪水給与令なんか出してヒヨっちゃってね。いやあみっともないなあと思ったよ。
この幕府の対応はシャバイね。シャバ僧すぎでしょとは思ったねえ。
あ、もちろんウリがそれを知った当時はまだ「シャバい」なんて
愉快な言葉はなかったけどさwww >>466
お前いい加減現実の惨めな自分から逃げ出す為に、見知らぬ他人相手にマウント取るのはやめろよ。
そんなだからお前は素人童貞だとバレるんだぜ?w
「くん付け」とか「チミ」とかググった「知識ひけらかし」とかほんとみっともない。
爺になるまでそれが異常な事だと誰にも教わらなかったんだな。
幼稚なバイト爺さん。 >>466
ああ、SF的に白人vs日本人が総力戦するんじゃなくてアメリカ軍が外征して日本に攻め込むだけか。
それなら機関銃すらいらない。引き込んでゲリラ戦する程度でも勝てる。
上陸したアメリカ軍の仮設陣地なんか要塞ですらないから、簡単に突っ込んで白兵戦でギタギタにされる。
機関銃の社会史は読んでないが、軍事史なら分かる。
>>435 に書いたように日露戦争の頃なら機関銃一丁は千兵にも勝る効果があった。
秋山支隊はオチキス機関銃を10丁配備していたが、8000人でコサック騎兵10万の猛攻を撃退した。
当時のクロパトキン軍すべてでも55丁くらいしか持ってなかったはず。
もっと時代が下って第一次世界大戦になると敵の重機関銃一丁に歩兵一万人くらいが釘付けにされて戦線膠着している。 >>1
なんでそんな嘘っぱちなことばかり。
そもそも、黒船はデモンストレーションの効果はあっても、それだけじゃ、戦えない。
大砲があったからって何なの。
むしろ、航海に疲れてしまってたり、水や食料がないから開国を求めた位なのに。
逆に戦国時代からサムライの怖さが広まってるから、恐る恐る、近づいてきただけじゃん。
で、怖くてしょうがないから圧倒しようと強気に出た。
アメリカは南北戦争の渦中だから、戦争なんてできないし。 日本を開国した呪いで早くに亡くなってしまったんだな・・・
260年の開かずの扉を開いたんだから呪いがあったんだな
ツタンカーメン的な・・・ >>446
なぜビールなんだ
名前的にペリー酒にしとけよw フツーに生活してたみたいよ。日本から持ち帰った狆を飼ってたとか。 >>470
>そもそも、黒船はデモンストレーションの効果はあっても、それだけじゃ、戦えない。
おまえ鹿児島がイギリス艦隊に丸焼けにされたの知らないのか?w >>474
主力は京都に行ってて留守番兵が応戦しただけ。
田舎でもそれくらいだから、幕府が国策で防衛戦すれば外征艦隊のショボい戦力なんてひとたまりもない。 >>1
日本の少女を10人程度誘拐して帰国 その後、飽きたら食べて終わり アメリカでペリーと言えば兄のオリバー・ペリーことなんだよなあ。 >>55
伊達政宗が黒船作らせたし、意外に歴史が長い黒船 琉米修好条約には琉球国中山府 総理大臣 尚宏勲が署名している
琉球では薩摩侵略以前から久米(中国人)村の村長を総理唐栄司と言っていたから「総理」は大昔からあるかも知れないけど
「総理大臣」は漢字圏でこの時が初出
なかなか近代的でセンスが良い琉球語だと思う サスケハナ→ Susquehanna
ちなみにサスケハナ川という川はニューヨーク、ペンシルベニア、メリーランドの3州にまたがって流れてる >泰平の 眠りを覚ます...
この泰平って、泰平洋のことな。
泰平洋の向こうの亜米利加がやって来て
泰平洋の泰平を揺さぶるってことだ。
今では何故か、泰平洋 を 太平洋 って書くが。 開国シテクダサイヨ〜
イイジャナイ開国!
ヘルモンジャナイシ〜 >>1
1945年9月2日の大日本帝国降伏記念日、戦艦ミズーリの甲板に「星条旗」が2枚掲げられた。
1枚は真珠湾攻撃の時、ホワイトハウスに掲げられていた48星の「星条旗」
3日かけて首都から運び込んだそうです。
もう1枚は1853年にペリー艦隊の旗艦である蒸気外輪フリゲート艦サスケハナ号が掲げていた31の星を描かれた「星条旗」
メリーランドのアナポリス海軍士官学校博物館から取り寄せ、額装のまま掲げたもの。
ダグラス・マッカーサー(1880〜1964)の強い要望で届けられた。
式場には「日の丸」はもとより、署名する他の連合国の国旗も掲げられませんでした。
大統領トルーマンの出身地ミズーリ州と同じ名の戦艦で降伏式典をして大統領にゴマをすった?
マッカーサーはその「ミズーリ」をその92年前の旗艦「ポーハタン」が停泊したのと緯度・経度がまったく同じ場所に停泊させた。
ていうか、日本とアメリカの確執はポーツマス条約の裏取引の失敗が決定打だったのよな 幕末以降は違う国だからな。
俺的には真面目に勉強しなくて良い感じ。 >>435
ソ連参戦直後、ソ連側に送った日本軍の軍使が全員射殺されたのは
白旗持って降伏してるのに
日本軍が武器を捨てようとしなかった為何だよな
日本側は白旗を交渉の旗だと思ってたから仕方なかったけど
ソ連側は日本側は白旗で騙そうとしてるって認識だった
おかげで樺太は酷い悲劇になった >>489
泰平が太平洋なら時代と合わないと思う
推測が違うか、この歌が後世の創作かどっちかだろうね ここで話題になってたジョン万次郎について調べてたら
養父がマサチューセッツ州というのが、個人的に引っかかって
マサチューセッツ州の歴史について調べてたら
もともとはイギリスの清教徒、ボストンティーパーティー、独立戦争につながって
おもしろかったわ
ありがとう >>489
平和な世の中と言う意味であって太平洋とは無関係 黒船は木造に黒い塗料を塗ったものにすぎず
火箭によってこんがり丸焼きにできる >>494
そう、ソ連兵がジュネーブ条約を全く理解していなかったんだよな 日米修好通商条約や安政の大獄の時にはペリーは死んでた 我が艦隊には、後退とか迂回とかまどろっこしいものは載っておらん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています