【ダイヤモンド】北条時宗はモンゴルから日本を救った英雄に非ず 非礼を重ねて無闇に国を危険にさらす★5 [みの★]
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鎌倉時代、2度にわたってモンゴルに攻め入られた日本。そんな大国の侵攻から日本を救った英雄とみられているのが、北条時宗だ。しかし、モンゴルが日本に攻め入った経緯を踏まえると、むしろ北条時宗が日本を“危険にさらしていた”ともいえることが分かってきた。世界最大の帝国が小国・日本を2度も攻めた理由とは何だったのか。
※本稿は、本郷和人著『「失敗」の日本史』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
● 疑われることがなかった 「北条時宗=英雄説」
そもそもなぜモンゴルは日本に来襲したのでしょうか? 実は戦前、この疑問について考えられることはほとんどありませんでした。
面積として世界最大の帝国をつくったモンゴルは、言わば侵略マシーンです。だから日本に攻めてくるのは、彼らの本能からして当たり前。それで話は終わり。
一方、北条時宗は疑問の余地もなく、モンゴルから日本を救った英雄とされ、また、どこまで信じていたのかわかりませんが、太平洋戦争当時、日本はいざとなれば神風が吹いて救われる国とも言われてきました。
そのようなニュアンスで、モンゴル来襲については「時宗が国を救った」ことばかりが強調され、そもそもなぜ攻めてきたのかについて、真面目に考えられることがなかったのです。
● なぜモンゴルは 見返りの少ない日本へ来襲したのか
それが戦後になって、ようやく変わりました。日本の歴史家があまりしっかり研究してこなかった問いでしたが、むしろ東洋史、モンゴルの専門家の方々が調査し、考察し始めたのです。それを機会として30、40年前あたりから、認識がかなり変わってきました。
趙良弼(ちょうりょうひつ)という元の使者が書いたレポートがあります。モンゴルは文永の役と弘安の役の2度にわたり、日本へやってきたわけですが、この人はその文永の役の前にフビライ・ハンのもとから派遣され、日本にやってきています。そして1年近くも日本に滞在し、様子をよく見て、報告したのです。
ではその趙良弼がどのようなレポートを書いていたかと言えば、まず「日本という国は狭いです」と。そして「ろくな作物が育たず、豊かではない。人間も野蛮で、皇帝陛下がわざわざ日本を征服しても、何の見返りもありません。だから、やめるべきです」と報告していた。
そうした事実がわかってきたので、あらためて「ではなぜモンゴルは、そんな日本に攻めてきたのか」という疑問が論じられるようになったのです。
…続きはソースで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc7937965ffa8f463c8d2be484cd0ae0fdfe95ab
2021年5月31日 6時01分
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1622639567/
★1が立った日時 2021/06/02(水) 11:46:37.74 攻めてきたけど、台風が噴いて、沈没しただけ。
日本は特に何もしていない。
先生が言ったました。 使者を打ち首にするとはw
ジャップは世界一 野蛮な国 上から目線で服属を迫ってきたモンゴルにまず非がある 学説が通説なってから記事にしろ。
学説ってだけならなんでもアリなるやろ。 >>3
普通に日本に負けてるんだけどな海でも陸でも
壱岐奪還戦で日本に海戦で破れ
鷹島の決戦でモンゴル軍10万が日本軍に壊滅させられてる 現代の政治家も時宗を見習って、韓国からの使者は全員打ち首にして、生首をクール宅急便でムンに送り返して欲しい。 ハンバーガーを食わなかった満州キムチハゲみたいなやつか 野蛮なのはわかるけど、お手紙の返事書いて使者送って朝貢したら属国扱いになりませんか?
その歴史的を根拠に現代において対馬や尖閣の領有を宣言されたりしちゃいませんか?
下手したら中国どころか韓国北朝鮮にまで文化的に下に見られたりしませんかね
大昔のこととはいえ、属国になることを拒否したのは結果的には良かったと思うんだけど 武家政権の権力の源泉は基本的に武力。
外敵に対して戦わずして屈するという選択はまずあり得ない。自身の正統性の否定に他ならないから。
乱暴な物言いだが、舐められたら負けの極道の論理に近い。 対馬、壱岐の島民が虐殺されたから、戦わなかったら侵略されてた 英雄だと認知した覚えもない
元寇の際に時宗は傑出した策はとっていない ま、使者の首をはねるなんて土人と言われても仕方ないよな >>14
たしかに
この手の論法時々出くわすな。まず定説を創作して、そのあと「ワタシが定説をくつがえしました」!と こないだ14-0で返り討ちにしたばかりじゃん(´・ω・`) いや絶対来てたから
緩やかに奪われてたか戦うかの選択肢しかない
日本の外患は常にこれ ヤクザなり暴走族なりに俺の下につけって言ってるようなもん
弱く出たら下から突上げがくるから強く出るのはデフォ あのさ、控えめな手紙って言うけどそれでも上から目線である事は自分で認めてるだろ。独立国がヘコヘコ出向いた結果国民が良いように扱われない保証あるのか? >>16
痛いとこつかれたのか?
はやめにパヨは卒業しろよ モンゴル土人と武士は戦う運命にあっただけ。日本にもモンゴルにも勝算があったから戦争しただけじゃないの?結果、日本のほうが強かった。当時のベトナムも戦ってるし、勝算どおり勝ったほうが正しい。負けた朝鮮はそれ以前と同様にずっと属国になったままでした。 >>18
あるよな
稀に証拠の遺物まで発掘しちゃうゴッドハンドの持ち主もいたし 今どき、勝因を台風のおかげなんてどんだけ周回遅れか
海が荒れてくるのに陸地に野営できなかったのはなぜって考えれば
野営できるような状況を作らせなかった当時の武士の働きがわかろうに
大体、本郷は「令和」の説明で1日のうちにテレビ局に忖度してNHKとテレ朝で真逆のことを
言うような変節漢で、かつそれを自分から語るような露悪趣味なやつなんで、
人としての信頼性は全くない、かかわっちゃいけない人種 しかし神風で偶然勝ったと思ってるようなのがまだいるとはな 第2次元寇は、台風と言う神風で元軍は壊滅したと言うのはウソ。
台風のを避けるために鷹島の影に元の軍船は避難したが、久留米湾独特の地形で
南風と言う突風をうけて軍船は大混乱となる。その後、鷹島周辺で戦いとなり
元軍が敗走。海戦でも負けて14万の大軍勢の殆どは戦死もしくは捕虜になり壊滅。
2度目の元寇を失敗した元は第3次元寇を計画するも、ベトナムにおいて「白藤江の戦い」で
大敗北を期した事で中止となる。
しかし、元の属国と化した高麗は民族浄化と文化の破壊が行われ、その後、元が
崩壊したら、今度は明の冊封国となる。
チョンはその後、日清戦争で日本が勝つまで奴隷として中国の支配下になるw 大国の尻尾を踏むのが趣味の命より名を惜しむ真正既知外民族日本人
現代でも命の方が名誉より軽い 台風がなくとも楽勝だった
海上戦、地上戦とも日本の武士が斬って斬って斬りまくった この記事書いた奴はバカなのか
モンゴル帝国はもう存在してませんよ? 「以至用兵、夫孰所好。王其圖之 」
兵を用うるに至りては、夫れ孰(たれ)か好むところならん。王それこれを圖(はか)れ。
↑
はい、はっきりと用兵と書いて脅して来てますね。
曹操の赤壁での共に狩りをしようなんてレベルじゃない明確な脅迫。 当時はアメリカ大陸なんて存在も知られてなかったし、元にとってはあえて日本を侵略して太平洋への道を開く理由はなかった。
にもかかわらず二度も出兵して日本を攻撃したということは、やはり時宗に人をムカつかせる何かがあったということだな。 秀吉もスペイン人を処刑してる。侵略に対して戦うのは日本の基本的な行動パターン。 >>20
古代日本人はすぐコロヌマンだから仕方がない。
庶民の喧嘩が発展してその後ろ盾の寺社や武士同士の合戦になることだってあったし。
徳川綱吉が出るまでは喧嘩上等命は軽しの民族だし。 大陸ヤクザの蒙古一家が「舎弟になれ、元を父だと思え、ワシらとしても軍を送らずに穏便に済ませたいんじゃ」という
超上から目線の中華思想の非礼な脅迫状を送ってきたから完全スルーしただけだ これから100年単位で中国に媚びへつらって生きていくためには、
こういう過去の不都合な歴史に封をする知恵は必要なんだが? 朝青龍と白鵬が侵略して来たら、日本負けてただろうな 日本から見たらモンゴルは強くなかった
時宗は正解だよ
なにせ六波羅幕府本軍が到達する前にモンゴル軍は壊滅したから
なんでそんな連中に臣従しなきゃならんのだ
15万で攻め込んで拠点すらつくれないレベル
当時の大陸の戦場が如何に温いかということ
後の文禄慶長の役で
同じく中国四国九州だけで15万で朝鮮に上陸したが
上陸拠点すらつくれないなんてありえない
しかも15000の肥後半国の小西軍は20日で漢城を陥落させている
つまりモンゴルがそんなに強ければ一月で京を占領している 学者の意見だな
戦争に負けることがどういうことかわかってない 非礼っつーか、そもそも頭ヒャッハーな鎌倉武士に
礼を求める方が根本的に間違ってる訳で・・・ 当時は気に入らなかったら使者殺すのは普通だからな
別にな そもそも元に恭順する理由はない
ユーラシア大陸の各国のありさまを知ればなおの事 >>20
敵対してる所から来た使者を殺すのは良くある話やで ホラズムもモンゴルの使者をぶち殺している
こちらは瞬殺された
日本は勝てて良かったなっていう
それだけの話 未開土人としての日本人→「舐められたら殺す!!
」
没落国家としての日本人→「舐められたら舐め返す(ケツ穴を」 てか礼を尽くしたらうまくいくって発想自体がパヨパヨ思考だよ
礼を尽くしても通じる相手と通じない相手がいるわな 国書として慇懃無礼な脅迫状を送ってきた大陸の野蛮人に返事してやる義理はない 当時の日本は宋と付き合いあったから
元に恭順することは有り得ない
リスクを犯すのが馬鹿だというなら元や高麗の
方が馬鹿だろ
負けてるんだから >>46
使者の首を送り返すのは完全な拒絶の表明だもんな
送る側も当然それわかってるから普通はそれなりの弁舌家向かわせるし
殺されるような奴を使者に出したのがそもそも舐めてる >>50
有史以来、生まれつき中国人のケツ穴を舐めてる人たち=朝鮮人、なのかな? >>50
日本は平安時代には既に世界10位圏内の文明国
以来未開だったことは一度もない 本郷和人のこの記事を東欧の連中に見せてやりたいわ
礼節を尽くさなかったから皆殺しにされたんだぞプギャーやからな ヤクザ相手に礼を尽くせば侵略されないと考えるパヨチンの机上の空論なのか >>59
本当にな
何百万人殺されたか分からんって話じゃん
非礼とかのレベルの話じゃねえ バイバルスの
アインジャールートの戦いは凄いなって思う
釣り野伏包囲十八番のモンゴルを逆包囲 >>59
東欧の連中はまさにハーンに逆らったからだろw >>1
朝貢に応じた高麗も滅ぼされた、はい論破
何だかんだ理由を付けて侵略されるに決まってる
なんでスルーしてもらえると思うんだ 当時は宋と貿易してたから、いきなりそれ全部ひっくり返すわけいかない
上から下まで利害関係人いるのに、そいつらの利権剥奪したら幕府がひっくり返る
勝ったんだからいいだろ別に 外夷を退けた大将を英雄と言わずになんと言えばええんや 鎌倉幕府自体、血で血を洗う凄まじい権力闘争で出来上がった政体だし
武士と言う存在は「他者に隷属する」と言う状況がどのようなものか
骨身に染みて知っている
ましてや異国の訳も分からん勢力に臣従なんて選択できるわけもない >まず「日本という国は狭いです」と。そして「ろくな作物が育たず、豊かではない。人間も野蛮で、皇帝陛下がわざわざ日本を征服しても、何の見返りもありません。だから、やめるべきです」
金貰ってもいらんエリアだな >>60
GDPは平安時代以来ずっと世界10位圏
昔は金銀も山ほど取れた 中国やヨーロッパは戦乱や疫病で何度も人口が激減している
日本は戦国時代でも人口は増えてる
相対的には平穏で豊かな国 この時と封建社会、儒教社会の江戸の武士を混同するやつが
ゴーストオブツシマをリアル!とか言ってしまうのよな
あれかなりひでえ描写だらけなのに日本人は間違いすらわからなくなったか 遠回しに何がいいたいんだ?
何のきっかけもないよな?
もしただ急に鎌倉幕府近辺を取り上げたくなっただけなら申し訳ないがカウンセリングを受けた方がいい 若くして国の長となり侵略帝国を退けその後すぐ死亡とか完全に英雄の要件を満たしてる >>4
屈服しろという死者だろ
ジャップ連呼はキチガイだな >>76
日本好きの外国人が日本を描写してくれたぞホルホルホル、だからな
ポーキモーンで女はヤレルし、ジャップチョロいわw >>72
アホなのは元の方
3回目やってたら国が傾いてた
モンゴルの馬鹿殿はやる気満々だったが、周りは必死に止めた 朝鮮人が対馬島民を盾にして攻めてきたってバレると都合悪いもんな その時に日本人は中華人民共和国日本省を選ぶだろう。今と同じだから問題は無い。 なんか何も知らずにみたいになってるけど
南宋から情報全部伝わってたみたいだからね
ぶっちゃけ攻めてくる時期まで筒抜け 本当の英雄は九州で戦った武士だよね
確かに時宗じゃない >>46 >>20
文永の役で元が攻めてくるまでは日本も使者の首切ったりしてないよ
記事の趙良弼ってやつは文永の役直前の使者だかそれも帰ってるし
だからクビライにレポート報告出てきてる
日本も普通に挨拶感覚で使者ホイホイ殺してたわけじゃない >>72
必死に止めるときに、日本は凄く価値がありますけど!って言うとでも?笑
貧しい国にあんなエリート軍団を大量に抱えられるわけがないんだよ 実際勝ったからいいけれども、負けてたら日本全土が対馬みたいになったわけだし、それを否定してもなw >>86
この論法最近よくみるね
コロナにうちかったのは国民だって去年言ってたけど、感染が広まってきたらやっぱり政府のせいにしてる
いいとこだけ庶民という顔のない群でかすめとろうという卑怯な論法 モンゴルが最初一応親切だったのは南宋がまだ片付いてなくて
南宋と日本の繋がりを断とうとしてたんだから当たり前だわ >>38
文永の役まで4回も使者が来て、
時宗は1回目からもう蒙古が凶心持って日本窺ってると警戒して、
文永の役までに防衛準備も進めて、
それでも文永の役で元が攻めてくるまでは使者を斬らなかったんだから
逆に直ぐ使者殺すマンではなかった、ってことなんじゃ
他国だと開戦前からモンゴルの使者が殺されたこともあったしそっちよりはまだマシ >>90
これよ ホント醜い
部下の手柄は上司のもの 上司の失敗は部下の責任を地で行ってるわ 華南の世界有数の生産力に比べると、農地改良前の日本の生産力が粗末の極みな印象になるのは否定しない 弘安の役での元軍20万vs日本軍25万の陸上決戦は実現して欲しかったな >>92
基本的に戦わないで降るなら厚遇するってスタンスだからね って言うか、ネトウヨの日本スゴいがキモい
ちなみに俺はナチス大好き よく見かけるこのコピペは本当か?
元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた 左翼メディアって恐ろしいな。
時代を遡って鎌倉時代ですら政権批判かよw
そもそも中華思想を受け入れなかった日本が悪いとかどこ目線なんだよ。 蒙古軍はロシアやイスラムにも侵略行為をして大陸で残虐非道なジェノサイドしまくった
日本が外交で礼を尽くせば蒙古襲来はなかったって反日学者は馬鹿なのだろうか >>96
元軍がせっかく上陸しても、早々に日本軍に反撃されて船に追い返されてるわけだからな
無理ってものだろ 殺されても良いような人物を差し向けてきたんだろうけど
白旗を掲げた軍使を斬るのはなあ
ちょっと野蛮すぎじゃあないかとは昔から思っていた
日本の決意を内外に(特に内部に向けて)示さないと国論を保てないと
見て取ったものか >>95
そもそも日本は寒冷すぎて稲作に向いてないのに無理して米作ってるからw
稲作は華南や東南アジアみたいな温暖なところでやれよ >>34
時宗とクビライには直接の面識はないんだが
クビライは手紙送ったけど日本は返書してないから文通すらしてない
>>14 >>86
時宗は文永の役も弘安の役も何年も前から防衛について命令しているし防塁も建造させているし、
御家人を九州に行かせて戦力を主戦場に集めたり、戦力増やすために御家人以外も動員できるようにしたり
九州だけじゃなく中国地方にまで防衛を敷いたりして、実際長門からも攻め込まれたがそれで撃退してる
時宗は直接戦ってはないけど、防衛に関する事前の準備は指示は時宗がかなり出してはいる >>103
最初の使者はかなり詳細に日本のことを見て回って調べて報告してるからな
まあ単純に日本が外国との戦争を孕んだ外交に慣れてないのがあったにせよ、元は他国にも使者を斬り殺されて、それを理由に開戦ってのがあるから、日本に限った対応でもなかったろつ 中国好きなんだろ
本郷和人
中国は才能を重視し、科挙によって官僚を選んで国家を運営させました。一方、日本に科挙のような試験はなかった。
代わりに、世襲で続く天皇と貴族が長きにわたって世の中を動かしたのです
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00086/093000004/ 殺し損ねた今がこれだよ
日本がなければコロナもテロも2度の世界大戦もなかっただろうね >>99
8は1度目じゃなかった?
1度目は大分辺りまで上陸されてる 北条時宗が英雄かどうかの話には全く興味ないけど、元寇が鎌倉幕府滅亡の遠因になった説を信じてみると、北条家としては元に恭順する方がお得だったのかもしれない(キツい要求されて結局決裂しそうな気もするが..
元寇未発生で鎌倉幕府の国力温存/延命されちゃう未来だと、足利尊氏や楠木正成が表舞台に立ってなくて太平記好きとしては困るけどね。 >>90
この手の論法は昭和の頃からずっとあるね。
法隆寺を建てたのは聖徳太子ではなく大工さんみたいな言い草。 >>91
好き放題に搾取された。死んだ塀の殆どは宋の投降兵と高麗の属国軍、元の士官の言うまま戦って海の藻屑になりました。船を作ったのも高麗の人たちですね、すべて無駄に終わりました。高麗は元の属国で良かったのでしょうね。 元の方は元寇での失態のせいで世界に無敵ではないことが知られてしまい滅亡へと向かうんだけどな
さすがやほお記事 内容が馬鹿過ぎw 日本の英雄を貶めたいのが見え見え 完全に考え方が憲法九条論者www
七百年以上も前の、侵略国家に対する対応に平和ボケ憲法の考え方を
あてはめようとする左翼の馬鹿チョン学者ww
もう、みっともないとしか言いようがありません。 守備側有利な海外遠征で守り勝ったくらいでホルホルすっから嫌いだわ元寇
勝って当たり前だしこっちから攻めたって同じだろ >>99
ほぼ嘘だよ
似たようなもう一つのコピペもよく見かけるがそれも嘘
なんJで捏造されたものなのに本当に最新の研究だと真に受けてコピペしてる奴多すぎるんだよな この俺ならもっと上手くやれたパターンどうにかならんかね >>115
どうでもいいけれども、9条は国連との合わせ技だからな
個々人が武装せず、警察(国連)に任せるべきっていう至極真っ当な考え
肝心の安保理が冷戦で機能不全になったから、直接用心棒(日米安保)が必要になったが >>116
まだ辺境でトーテンポール建ててたんじゃね? 二度目の襲来で来寇したモンゴル高麗兵は絶望したようだ
何十キロにもわたって防塁が築かれ整備されている
話しがちゃうやないか
こういう所への着上陸作戦は、まず徹底した艦砲射撃と空爆で
敵防衛線を破壊しなければならないと20世紀の教本に書かれているが
15世紀の総帥や軍師も、方法はともかく理解したであろう
これでは上陸作戦は成らないと
台風が来ても来なくても、結果は変わらない
北条氏は流石に抜かりなかったね >>116
高麗も江華島にこもって30年ぐらい戦ったよ。でも踏み潰された(降伏)。 >>107
中国こそ裏切りと腐敗の国なのに、この人の目には何が見えてるんだw
別に好きに主張すれば良いけど、こんなんに大河の監修させるのは絶対ダメだな >>103 >>106
日本の場合は一度目の元寇までは使者を殺してないから
使者を殺されてそれを理由に開戦したわけじゃないよ
使者を殺さなくても元が攻めて来て開戦 中国の歴代王朝は科挙のせいで政治が腐敗したのにww >>123
モンゴルは万里の長城を秒で突破した経験があるだろw >>116
戦って負けた
王族は何年も逃げ回ってたよ >>116
そもそもアイツら戦って勝ったことあんのかな? >>128
そのせいで明の皇帝は狂ったように長城を補強し続けたんだよね >>132
使い物にならないぞw
だって進軍の時ここ通らないもん
国境線の意味合いの方が強い。 >>131
趙良弼はたとえ戦争反対だったとしても一年じっくり日本を調べる事前偵察の役目を果たした
そしてその情報が後の侵略に活用された
日本もそれは知ってて後に明の使者が来た時にまたかと疑われてる >>128
地上に築かれた高さ5mの長城なら、何千キロあろうと弱いところを見抜いて
抜くのは容易だよ
だが、海岸線に築かれた防塁の前に着岸して攻撃することの困難さは陸上での
攻城戦とは意味合いが違う
攻者三倍の法則もあるけれど、この場合は攻め手はさらに多数の兵が要っただろうし >>130
随には勝ったよ籠城戦で
兵糧がつきて随軍は撤退した >>3
その教師蒙古襲来絵巻すら見てないのか
あの有名な切り取られた絵だって戦ってる最中を描いたものだろうに
何もしてなかったらとっとと上陸拠点作られて台風が来ても持ちこたえてる
戦ったり事前に防塁築くなどの準備したりしたからそれを防げたのにな >>99
鎌倉武士が馬上から「我こそは○○の○○で」と自己紹介してる最中に銃で撃たれたとかいう話は聞いたことある >>136
よく知らないけどさすがに嘘情報上げたらバレた時に頃されるからそこら辺はしょうがないのでは?
ドラマになりそうなお人ではないのかな モンゴル帝国は思いつきで西へ進んだわけではなくて、
アヴァール(ハンガリー)のマネをした?
>>109
1日で帰っていった そもそも元寇は高麗の王に唆されたからだと言われてるね
死んだのも高麗の兵だし沈んだのも高麗の船なんだけど おかげに元は名を落とした
>>138
民族が違うw 知らない奴も多いが日本海側で上陸しやすい地形ってかなり限られてんだよね
航空写真で見ると面白いぞ >>113
いや、フビライの死後が元の最盛期じゃんww
ばかなの? 対馬の幼女達がモンゴル人に狩られて慰みものにされたんだよなあ >>130
軍人がモンゴルに根絶やしにされて
王様が
くるくる回って土下座三回の儀式だっけ?
アレをするまでは
中国への服属は形だけで
独立しているという気概はあったし
軍隊は、割と強かった
モンゴルに服属した一代目と二代目は
まだ、自主独立の機運はあったが
三代目くらいから
いまの朝鮮気質になった
隷属も三代経てば、日常となるわけだ
日本も他人事ではないよ 野蛮という表現でやべー奴らだって言ってんだからそこは聞いとくべきだったな
ほんっと血の気が多くてすーぐにカッとなるからな 「どきがむねむねしてたんだよwさすがのこの
時宗様もよォ!あん時はさぁw」
っていいたいためだけに無理をして御家人には恩賞もねえし
「寒いギャグだが恩賞のかわりに場を冷やしてやったぞw
手痛い恩賞w低体温症になったかえ?」
まさに外道!時宗のこの態度が後の倒幕の機運につながった まだやってたのか
時宗みたいなただのアホなんてどうでもよくね >>126
俺は最初の使者を殺したと書いてないよ笑 モンゴルお得意の騎馬戦術に持ち込まれてたら、貧弱な日本馬じゃ相手にならず、あっという間に太宰府を包囲されただろうなw
防塁とか逆茂木で機動力を削いだのは正解 元は台風で勝手に負けたって言う人はなぜ上陸しなかったのかは考えないよね >>112
そういう話はしてないんだがね
高麗が滅ぼされたと言うのは間違いだろとしか言っていない
すり替えないように >>161
そんな都合の良いプランが調っていれば勝てたなんてのは、良くできた仮想戦記より酷い戯れ言 >>162
来てすぐ台風にあったかのように思ってるような人もいるけど
弘安の役では台風吹いたの2か月後なんだよな >>162
そもそも上陸したけど、それでも負けて船に戻って継戦したってことも無視しているな >>161
鹿でも行けるなら馬でも行けるべって崖を降りる
いくさバカどもだぞ
平地でやられるような戦いはしないし
そもそもそんな広大な平地はない >>12
袋に入れてから撲殺するとか?
(モンゴル流貴人処刑法)
>>1
>モンゴルは、言わば侵略マシーンです。
>だから日本に攻めてくるのは、彼らの
>本能からして当たり前。それで話は終わり。
よくあるサヨク論法でワロタ
相変わらず知能が低いな フビライはんはようやっとる!
チンギスたべっこどうぶつ >>146
そうなんだよな
上陸後も易々と進軍できない地形だし
アメリカが本土上陸ではなく原爆にした一因とも言われてるな >>167
むしろ馬背負って崖降りただろw
つーか別に騎馬戦やるのに広大な土地が必要なわけでは無いってか、鎌倉ならむしろ騎馬戦メインだろ >>107 >>125
コイツは中国共産党と仲良さそうだな。
NHK歴史番組の御用らしいし。 >>20
すでにモンゴルが普通にやってましたが
で、そういう情報を日本は大陸から収集してましたが NHKの平清盛で微妙な時代考証やって作品を半壊、視聴率もボロボロにした張本人だっけ。 >>113
元寇のせいと言うのは過大評価だな
他でも敗北は喫しているし、その一方でそれなりに元が栄えるのに役立った戦争も経済システムも構築してるし >>107
その科挙やって精鋭役人が運営して栄えてたハズの中国の歴代王朝はなんで滅びたんだろね。 >>172
まだ擲弾兵の方がしっくりくるな
>>154
今の韓国の主張に基づき朝鮮人と言って差し支えないだろう。 >>161
そもそも
弓の射程が短い
弓の威力が日本の鎧に通用してない
って時点で
モンゴルの戦術の前提が崩れている
そして
略奪しながら攻め上がり
苛立った相手を待ち受ける騎行戦略は
平地の少ない日本では効果は薄く
むしろ、山間で奇襲を受けることになる
てわけで
モンゴルにとっては天敵だったの
モンゴルが弱いとは言わない
地平線の彼方まで部隊を連携しながら展開するような離れ業は
電信が使えるようになるまで不可能だった
ただ、ホントに相性が悪かっただけ ソースみたら元記事のタイトルは「モンゴル帝国から日本を救った北条時宗が「英雄」とは言い難いワケ」なのに
スレタイは「北条時宗はモンゴルから日本を救った英雄に非ず」にしてるのなんで?
言い難い、と非ずでは微妙にニュアンス違って後者の方がより否定的になるけど >>181
トルコ短弓は射程が600m以上あるとかネットに書かれてるけど、実際はどんなもんなのかな?
イングランドのロングボウは射程200m以上あり、10cmの樫の板を貫いたとか聞いた。
和弓の射程はよく知らないけど、貫徹力は古墳時代とかの出土品から推定して板厚4cm程度あり、日本で盾が発達しなかった理由とか聞いたな 国書の最後の方に、誰が武力を用いることを望んでいようかみたいなことが書いてあったじゃん。
ヤる気満々だよ。 >>175
なるほどねー東大教授らしいし真に受ける人も多いだろうから
プロバガンダ要員として中共が目を付けて当然ですね
ていうかそれぐらいしか使えない学者くずれってことだね 大鎧ってそんな性能いいんかね
防げる言うてもたかが知れてると思うが具体的にどうなん?
こっちから進行してモンゴル騎兵に勝てる気まったくせーへんけど >>107 >>179
内情みても乱世とかぶっ飛んだ悪政とか酷吏の不正や悪行とか山ほどあるからなあ中国史
そんな手放しで絶賛できるような運営だったかどうか
つか中国の皇帝も殆どは世襲だったし 尖閣諸島の海は完全に中国のものになっている。
米軍の軍事力は2020年代に中国に抜かれるのである。
米軍が日本を守れない時が迫っている。
日本が中国の属州になり、民族浄化が始まり
日本語が否定され北京語が第一言語になったらどうするのだろう?
日本国民は危機がすぐそこに迫っていることに
気づこう。
日本が中国の属州になる日は近いのである。 >>181
源平合戦見てると山陽道での戦いだったが、双方山間で奇襲なんてやってないがなw
っていうかそういうふうなゲリラ的戦いってあったっけ?
まー細かい話をすると、奇襲にはそれこそ斥候と部隊の高度な情報連携が必要で、それこそ鎌倉時代にできるような話ではないが
情報が伝わった時にはもう敵は別な場所にいるわけだから >>146
日本の護岸工事率はほぼ100%、自然海岸はとっくの昔に消滅してる
現代の航空写真から当時の海岸線を知るのは不可能だ 一度コケたら起き上がるのしんどい中世の鎧とか日本の山で使えへんわな >>184
何で古墳時代で比較するんだ・・・・・・・・ >>187
イングランドの軽歩兵の革鎧は軽いのに防御力そこそこで結構パフォーマンス良かったらしい。 ぶっちゃけた話で元寇で来襲して好き勝手やらかして滅んでった馬鹿どもはモンゴル兵なんか極少数か皆無だったっていう
じゃ誰なのか?っていうと征服された高麗と南宋の敗残兵がヒャッハーして壱岐や対馬でやりたい放題してただけ
そんで北条時宗は執権として活躍してた訳でなし御家人におんぶにだっこで特宗弱体化の契機をこさえて死んでっただけ
ただただ御家人の世界最強重装騎馬弓兵がモンゴルもどきを蹂躙して海の藻屑になるように追い返したというだけのはなし >>1
この手の記事で本当ありがちだけど
「北条時宗=英雄」っていう前提がまずこじつけなんだよな
勝手に前提捏造して自分の都合の良い記事を書く典型的な日本の三流記者のやり口 日本遠征に限らず降伏勧告に行く使者って過酷な役割だよな
牢屋に入れられたり顔に入れ墨で落書きされたり皆殺しにされたり
やりたくねーw >>196
バトウみたいなのが本気で来たらやばかったろうな >>181
あなたの方が詳しそうだけど、1回目(文永の役)では日本側が劣勢だったのは何故なんだろうか?
武器の優劣や相性もあったのかもしれないが、
補給の維持が困難なこと、2回目(弘安の役)では日本側がしっかり対策したことが勝因だと個人的には思っていた。 >>161
無理じゃね?
日本海側から攻めたら大雪で。 >>194
縄文時代は1.2m程度の短弓が主流だったけど、弥生時代には2.4m程度の長弓になって、それ以来あまり大きさは変わってない。
鎧や盾で装甲化したのは古墳時代ぐらいからでしょ?その後、弓の威力が高さから盾が重くなり過ぎて廃れてしまってからでは?と書いてた気がする。
平安時代は盾って使ってたの? >>187
放物線上で降ってくる弓に関しては頑丈
まず刺さらない
直線上で撃ち合うと脆いが
それは貫通力に特化した弓の威力で圧倒する考え方
なので
接近戦での集団戦術のゴリ押しに弱かったはずだが
元寇での鎌倉武士団は
その弱点を数でカバーしてた
戦士集団というのは質は高いが
数が少ない
ってのが普通だが
元寇のときに万単位で集まってたのが
異常なだけ 大陸の人は、誰ひとりとして
大雪に気付かなかったから
独立保てた。 >>196
時宗はむしろ執権のとしての権力を振るってたし強化もした人物だよ
執権になってからしばらくは前執権で北条氏の長老格で
執権を時宗に譲った後は連署になった北条政村のサポートがあっただろうけど
元寇の直後はむしろ得宗家も幕府も強化されてる
時宗があんなに早く亡くならずもっと長く政務をとっていたら後のグダグダはなかったかも
後に専横した御内人のことも時宗は制御できてたし 使者いえば聞こえはいいが
裏の仕事は
隠密の探索方でしょ 西へはモンゴル人が占領しやすい土壌があった
んだな。実は。
アヴァール。 >>190
そりゃお互い
焼き討ちしながら移動とかしてないじゃん >>199
その海を越えて出せる本気とやらが知れてるだけだろ
騎兵なんてどんだけ持ち込めるんよ >>196
それと元に対しての防衛は文永の役も弘安の役もその何年も前から行われて
その命令は「相模守」、つまり北条時宗名義で出されてる
執権としての活躍というか、執権として元に対抗するための命令を出す
ということは時宗はやってたしそれが防衛にも役立ちもした
ただ鎌倉で執権職についてるだけだったわけじゃない そもそも隋や唐、宋だって日本に国書なんて送ってこなかったろ
逆に日本から行って遠くからご苦労といろいろもらったりしたわけで
何度も使者出してくる時点で中華の覇者としていかがなものかと >>192
そもそもあの手の鎧はとにかく死なないことに振り切ってるからね
攻撃力は二の次 >>200
上陸地点が良く分かんなかったから
だと思うよ >>196
お墓残ってるんだなあwwwww
処刑された人の >>218
しかもそれが
万単位で揃ってた
モンゴルは不運としか言いようがない
50年前後時期がズレてたら
ああまで武士は揃ってなかった >>199
バトウは大して武力高くない
息子のバチョウのほうが武力高い 大鎧は騎馬戦で弓の撃ち合いに徹した鎧だから、そりゃ蒙古の撃ち逃げには最強だと思うよw
ただもちろんしょせん鎧で無敵みたいに言うのも過大評価だとは思うが
当時の武士同士の騎馬戦でも、いわゆる中力みたいな感じで、引ききらず騎射していたらしいし ツシマおもしろかったけど
武器とか兵器とか装いとかやっぱファンタジーだったな
そして中華思想はやはり身勝手だな >>220
三国志の馬騰じゃなくて、モンゴル帝国のバトゥじゃないの? >>161
馬鹿すぎる
当時の船で騎馬侵攻できるほど馬を輸送できるとでも思ってるらしい(笑) >>213
そもそも元自体に中華皇帝の意識がさほど高くなかったのではないかと。戦争前に降伏勧告の使者を送るのはモンゴル軍のやり方ですし。 というかそもそもモンゴル人自体そんなにいるわけないし、あの手の遊牧帝国は寄せ集めが普通だよ >>226
前スレじゃ製鉄技術すらないアイヌを出してきて
アイヌと組んで北から攻めて来たら簡単に征服できたと言い張るキチガイもいたんだぞ >>226
モンゴル風の騎馬戦・機動戦するなら一人につき複数頭必要ですね。ただ防塁や逆茂木が高麗・南宋歩兵上陸の足止めに役立ったとは思いますよ。 >>203
武者の画像見ながら何となくイメージ出来た確かに曲射はそれなりに防いでくれそう
鎌倉武士団はエリート戦士だけど遊牧民の強みはそのエリート騎兵を
特に意識して訓練せずとも量産出来る生活観にあるんだろうな
馬の領分に限れば何なら女子供でさえ武士より達者だろうし 時の幕府に「国の混乱の原因は為政者の宗教にあり」と諌めた日蓮は、日蓮の一門を自称する公明が与党に入ってからのこの国の混乱を見てどう思うか 結果的には対馬を犠牲にしたのが良かったのかもな
対馬で水際作戦取ってたら日本側も補給に困るし、朝鮮半島に近過ぎる
ソ連のように相手の補給が伸びきるところまで引いて反撃したのがよかった
通常、敵の侵攻路が不明な時は散らばるよりも絶対に通ってくるであろう対馬や壱岐に布陣するんだろうがそれが無かったのは意外
元軍も初戦の島嶼戦があっけなかったんで調子に乗ってしまったのかもしれないね 東大にいると科挙みたいな役人腐敗システムを礼賛するようになんのかなあやっぱり モンゴルの話になると使者を切ってる国は他にいくらでもあるのになぜか日本だけ使者を切って野蛮って言ってる奴今だにいるよね。 >>196
ちなみに、
処刑されずに生き残ってる高麗人がいることに気付いて
感謝する書状を日本へ送ってるぞw
原本残ってる。 三国志でも見とけよ
普通に使者の首を刎ねよと言うからw >>230
>製鉄技術すらないアイヌ
あんたそればっか言ってるな
くだらね
当然ながらアイヌもナイフや刀などの「鉄製武器」は所持してたわ
交易で手に入れてたがな >>230
安藤氏+アイヌ軍なんかね?
樺太にモンゴル軍の拠点残ってるけど。 服従しろって使者だからな。
その後は弾除けに使われるだけだし。 >>113
一番大きいのは壱岐対馬五島の連中が中朝を親の仇として略奪に励み、
それが現地中国人にも広まり大量の反乱者を出し、
元の穀倉地帯から首都への海路を遮断しちゃった事だな。
明代に入るまではやられ放題で北京を捨てモンゴルに引き篭もるるしかなくなった。 >>239
使者を切ったのは日本だけで他国はそんなことしてないと勘違いしてる人もぽつぽつ見かける
他国だと開戦前から使者斬った国もあるのにな 知ってるー
だから現代でもアベより二階先生のご指導に従うべきなんだよな 外交音痴は日本の伝統十八番だからしかたがないとは言え
送られた文書はかなり無礼だったはずだぞ 元の国書を翻訳して吟味して助言したのは宋の亡命僧侶たちだろ?
時宗も乗せられたと思う ちなみにアイヌの人って体力が化け物みたいな人が多いわな
和人とはDNAが違う
訓練詰めば相当な戦力になっただろうな >>249
まあ服従してたら高麗みたいに金や処女を貢物に出さされてその後クーデターで滅んでたろうから、
戦って正解だったな。 鎌倉武士の刀で蒙古軍の鎧を着た戦士が斬り殺された
蒙古軍は腰を抜かした
日本刀すげ〜
みたいな話もよく見かけるよね 今の政治家だったら金積んで女抱かせたらイチコロやのにな
昔は難しかったんだな >>107 インチキ記事と思てたが、こういう人か。属国要求した元をひいきし、野蛮やら時宗は無能やら無茶苦茶なこと言ってる。
独立を捨てて中国属国にでもなりたいのかよ。国書を突っぱねて戦争しかなかっただろ。歴史学者ではなくくだらない思想家だな >>3
台風のおかげってことにしとくと武士に報酬出さなくて済むからな >>252
剣が必殺の武器として扱われる国は少ないからな。
たいていは叩く突くために使われ、斬るなんて事は考えない。 この人、陸に上がらせなかったので、海上にいるしかなかったのに、台風のおかげで助かったなどと、デタラメ言ってるし、陸続きではないから、鎌倉武士は本当に強かったのに、内容無茶苦茶。
あの対応は正しかったと思う。 >>238
政府からなんか要求来てるのかのよ?
この記事にしても、外国に強硬反対するよりは、緩やかな服従が素晴らしいんですてプロパガンダくさいし。
オリンピック反対ではなく受け入れ。
アメリカや海外の要求は反対するよりは受け入れましょう的なうさんくささあるわ。 >>203
大鎧は直線で飛んでくる矢には強いが
放物線を描く矢には弱い部分がある
足軽の弓兵が増える南北朝期以降こういった
放物線の射撃に対策がされた鎧が出てくるぞ ♪使者を斬る〜 二人〜
となり同士
あなたと あたし 大乱戦 >>183
なんでその返しが出てくるのか本当にわからない
どういう発想なの? >>1
まず非礼を働いたのはどちらかって話なんだけどそれすら解らない馬鹿は死ねば良いと思うよ 日米安保で苦しんでるはずなのに元への臣従を唱える左翼の頭ってどうなってるの? この記事の本意は現代日本人はアメリカと手を切って早く中国の軍門に下って中国に貢げニダって言ってる訳よねえ。
バカめが、嫌なこった御断りだ >>259
オリンピックはまた別だろ
自分たちで立候補して根回しして持ち込んだものなんだから押し付けられたものではなく自ら害悪を招いたもの
いわゆる親中派みたいなもんだよ 朝貢を迫る使者じゃねーか。
日本と元は対等なのだから、無礼千万。 ありえない非礼の重ね方!
もう、オリンピックは中止だな 実際日本を征服しようと思ったら最低でも30万の兵力が必要だよ
対馬壱岐の補給線を確保してそれでようやくスタートって感じ
元寇は最初から元の負け戦でしかなかった 貴景勝も直江の言いなりだった愚将の名前を即刻やめて、貴北條とか貴時宗とでも改めればどうだ。 和弓とブリカスのロングボウは威力、射程ともに
良い勝負だけど
和弓を使う武士の練度が世界一優秀だから
モンゴルのパシリだった
チョンやチャンコロを
大量に死なせることが出来た!
神風が無くてもモンゴル+チャンコロ+チョンを圧倒して
いた武士、マジ世界最強!w 独立国なんだから他国に隷属する必要ないだろ
ダイヤモンドは暗に日本は中国や朝鮮に隷属しろと言いたいみたいだな >>258
この学者はデタラメを平気で書くので
他の本も信用できないと思うね きみら「ぼくが軍師をやっていれば台風なんて必要ないんだよなぁ」(ニチャア) >>273
さすがに土俵に神風吹かせないとモンゴル勢に勝てないかな >>260
乗馬して鞍で胴を支える構造になってるから下馬すると胸元がガラ開きになるからね
放物線を描く矢には弱い
大規模な集団戦が増えて集団で矢を曲射する戦術が確立してから
徒武者用だった胴丸を上級武士も着用する様になったね 現実的には当時の船でちょっとやってきて『征服』は考えてなかったんじゃないの
『略奪』が目的では 俺は自民党嫌いな左翼だがこういう独立のための戦いまで否定する奴はお断り 反日ダイヤモンドイライラ
もう経済誌ですらなくなった 習近平から中国のイメージアップ作戦が指示されたらしいが、中国人にイメージアップを考えさせるとこう成るらしいw
馬鹿が元寇で日本に御免なさいで土下座が先だろうが馬鹿チャンコロがw完全に逆効果w
是でこそチャンコロw 反日ナマポチョンがファビョーンして書いたラクガキw >>101
最近、TBSゴゴスマでも「日本のネットが近隣国を叩くのが悪い。ネットがなければ、北朝鮮はミサイルを作らなかった」も言い放ってた。
北朝鮮が悪くなったのってずいぶん最近なんだな、左翼や在日の中では。 最後まで記事読んだら未だに神風で幸運にも助かったって書いてあって呆れた 世界最悪のジェノサイド帝国に狙われて土下座せよと
どこのバカ学者か知らんが常識で物を考えろ
実際に土下座した高麗はどうなった
永久奴隷国やぞ >>281
南宋兵に農具を持たせてたから、あわよくば「植民」は考えていたと思うよ。ただ蒙古人上層部はいつもの「略奪」意識で博多まっしぐらだったのかも。 >>242
つまり鉄器輸送しなきゃいけないんだぞ
君自身が>>226で発言した内容を振り返って考えて見なよ
その発言がどんだけ頭悪いか >>278-279 実際地上戦で勝てずに上陸出来ずに船上から降りれずに食料不足や疫病でボロボロwそれが台風が来なくて沈まなかったからって何だって言うw >>287
旧ソ連の核技術を手に入れて核武装ってのは、北朝鮮だけの発想じゃなくて、サダム・フセインのイラクとかも同時に動いてるからな
まあ、個人的には北にも核を持つ権利はあるとは思うが >>287
おパヨさんは日本が悪いってことにしないと発狂して死んじゃうから そういえば高麗史とかいう文献によると
高麗軍が日本兵をバッタバッタと薙ぎ倒し日本兵は怯えて逃げ回る有り様であったが
モンゴル人の損害が激しく高麗軍の足を引っ張りやがったので仕方なく停戦した
らしいぞ >>288
歴史学会ではとっくに否定された神風説ね
そもそも戦況は逐一報告され恩賞と官位も発布するのに公家が神風説を信じる訳がない
武士嫌いの一部の公家が神風説を捏造し坊主がのっかった
悪質なのは江戸時代でもまだこの神風説を執拗に流布したことだ
正しい理解が学会で生まれたのは激戦地の発掘が進んだ近年だ
しかし学者なのにいまだ神風説はトンデモナイな チョッパリだけモンゴル様に支配された黒歴史が無いのは許せないニダー!<ヽ`∀‘> ブサヨ「神風を信じろ!」
ネトウヨ「神風なんかねーよwww」
もうコレ分かんねーな モンゴルは降った国には比較的寛容だったという(全部の相手国が死に物狂いでかかって
こられたらシンドイので、案外寛容だよという風分を流した)
しかし、一たび刃向かったら情け容赦なく攻め滅ぼした(比喩でなく滅亡させた)
ナアナアでは示しがつかないし、徹底せざるを得ない
日本に使者が来た段階で、どちらかを選択せざるを得なかった
存亡をかけて戦うしか道が無かったとも言える。二度目も、ええ加減に
降らないと分かっているな、という挑戦状だから、軍使を斬るのも止むを得ない
今、慎重に検討してもモンゴルの征服は不可能という結論は出ているが、やはり
当時の日本武士は死に物狂いだっただろう。存亡がかかっていた 一回目で兵を用いるとフビライが脅しておいて二回目は役所発行の露骨な脅迫になってるんだわ。
こんなもん送ってくる連中のどこが平和的な外交なんだか。
中書省牒
ここは聖天子がすべてを包容してすべて一体であるとの意向をよく心得て、
よろこんで恭順の誠意を示し、とくに重臣に命じて、来春を期して闕下に表文を奉り、
天を畏れて大に事えるの礼を尽すようにせよ。
保証して高麗国の例のように処遇して、きっと約束に違うようなことはない。
それでもなおも国の堅固を恃んで、当方を何とも思わず、遠方ゆえ来ることもないと考えるようなら、
それこそ天威は怒 りが火につき、武将に命じて軍隊を出 し、万艘もの戦艦でもって、ただちに王城をおし潰そう。
そうなったら臍をかんでも及ばないとの後悔をするばかりである。
利害は甚だ明白であり、あえて殿下に布告するのである。
ただ殿下、まことに重ねて検討されるよう。謹んで牒す。 神風なんて無くても鎌倉武士がヒャッハー状態で
モンゴル兵殺しまくるからw >>284
高麗(朝鮮)のボロ船できたので
目的は集団自殺か? 日本人の男女を捕まえて手に穴開けて紐通して連行したり船にぶら下げたりしてた奴らに礼なんぞ必要ないだろw 文献に残る女、子供への非道の数々
史実書ではモンゴルと高麗連合軍となってるが コリアンは高麗はモンゴルに侵略されて仕方なく侵略に加わったって
言い逃れしてますん アメリカは独立のときにイギリスと戦い、米西戦争でスペイン、WW2で日独伊、朝鮮戦争で中共、冷戦でソビエトロシア、その他アラブやキューバなど世界中のほぼすべての国と戦争してきた。
建国からの年数を考えると、スパルタもびっくりの戦争国家だ。よほどニッポンは平和国家といえよう。 当時の船でも朝鮮半島の策源地と1週間もあれば往復出来たんだから
予備兵力と交代させりゃモンゴル勝てたんじゃないの?
大陸に戻ればモンゴルは予備兵力が無限大なんだし >>299
当時のインテリゲンチャは坊主や神官だった訳で記録を残す彼らにとってみれば加持祈祷で勝った事に
しないと自分達の立場が無い
長く続いた寺社は当然記録の保存性も高いから後世の人間はそれを信じるしかない
仮に武家で教養の高い者が居て記録が残されてもその武家が滅びたら失われるし >>305
>高麗国の例のように処遇して
高麗国って当時既にフビライから「俺ら家族なんだから俺の戦争にはお前らも協力しろよ!米と戦艦も用意しろよ!」と要求されたり
王子は人質として元にとられたり(後に帰国した時にはすっかり元の習俗に染まって髪型も服装もモンゴル風だった)
元が派遣した行政長官の高麗国内への駐留など従属国としての義務を果たすようにネチネチ言われてたんだよなあ
その高麗のように、ってあたりが元に従った場合の日本の待遇を物語ってる >>37
>フビライを唆したのは高麗
>つまり今の朝鮮
結局DNAレベルで汚ねえ民族なんですね。 >>279
解説で有名だった神風さんの名を襲名するのがいちばんいいかも。
絶対噛むけど貴神風もあり。 当時の朝廷による神風プロパガンダに毒されてる東大教授 こういうの見るとホラズムのイナルチュクも捏造だったんじゃないかと思いたくなるな >>308
高麗船は頑丈で嵐の被害も少なかったのに何言ってんだ? 泳げない連中がワザワザ危険冒してまでなんで海を渡って侵略に来たん?
船に乗ってる連中が泳げない時点で負けじゃんね (´・ω・`) >>320
高麗は半島だし南宋は海に面してるし海に近い地域や元々海軍の兵は泳げたんじゃないか >>107
このオッサンは本当に歴史学者か。
日本なんかより中国朝鮮のほうが血縁重視だぞ。韓国の大統領は
必ず血縁に利益誘導して退任後に逮捕されている。
日本も領地を巡って命を懸けるような一所懸命の時代は信じられるのは
血縁の絆だったのは当り前。でも「家」制度は○○家を存続させるために
外の有能な血を入れる日本人の知恵。
歴史学者なら家系図をちょっと調査するだけで養子で家が続いていることに
気づくはず。日本は一芸に秀でていればクラスチェンジも可能な社会だよ。
むしろ、科挙制度は弊害が多すぎる。まず四書五経なんてカビの生えた学問の
エリートが上に登るから新しい事が理解できない。
日本の霞が関の役人がデジタル社会に適応できないみたいな事が起こる。
そして科挙に合格できるのは金持ちの子弟だけ。参考書や家庭教師に金が
かかりすぎて、文字すら読めない下級国民には縁のない話。
これは東大生の親の平均収入は平均のはるか上という話に似ている。
金持ち特権階級が科挙の特権を独占しているんだよ。金持ち権力者の
権力の再生産が科挙の実態。科挙なんて開かれた公平な制度じゃない。
そんなものを持ち上げるバカは歴史学者の名に値しないと思う。 >>320
船が難破した後兵士の多くは陸上に避難してたぞ
その後将校や一部の兵士のみ逃げ去って残りは
殲滅された >>3
開戦から台風来るまで二ヶ月、元寇のおっちゃんたちは海岸近くに船並べて遊んでたんだなw
馬鹿は救えねぇなぁ 上陸第一波は確実に死ねる。それくらい、遮るものの無い波打ち際で地獄図絵になる
ノルマンディーでも、あれこれ装備を40Kg以上背負わされた米兵が随分と溺死しているし
ようやく浜にたどり着いたら遮蔽物の無いところで独軍のMG-42で掃射されてミンチにされる
第二波、第三波が押し寄せて、ようやく橋頭保を築けるのだが
オマハではもう少しで米軍が海に押し返される危険な事態になっていた
上陸作戦は楽なものではない 3度目があったらどうなっただろうな
さすがに元ももうちょっと考えて攻めてくるだろうけど、それでも日本征服するのはマズ無理だろうな >>320
奴隷狩りだろ
対馬で捕虜になった人は全員連れ去られたし。 >>319
ほんと、史実を曲げてまで他国or自国を貶したり、過大評価したところで、何の意義も無いよね。
文献によって描かれ方が違うので、何が事実だったと考えるのが自然か?という検証は必要だけども。 そもそも小国日本と言う辺りこの記事がどんな意図を持ってるか分かるな >>305
大正義海将軍おったらこんなん従う義理も義務もないわ謹んで開戦致せ
個人的には鎌倉武士よりベトナムのがスゲーと思う >>327
元寇の後もクビライは同族やベトナム等と戦ってる
もし3回目をやってたとしたらタイミングによっては
日本との戦争中に、それおそらくは弘安の役の時以上の大軍を送った後に
地続きの敵と戦うこということになる
文永の役の時も南宋と同時に相手にしてるとはいえ4万と14万以上の軍を出すのとは違うしな >>324
元じゃないけど、紙製の鎧は中国でホントにあったみたいね。厚く積み重ねて作ると衝撃吸収力が高くてこん棒や殴る系武器に強く軽い利点が
あったけど、お察しの通り火攻めに弱くてすぐに廃れた。 「日本という国は狭いです」
「ろくな作物が育たず、豊かではない。人間も野蛮で、皇帝陛下がわざわざ日本を征服しても、何の見返りもありません。だから、やめるべきです」
ジャパン・・・
笑 >>327
財政的に厳しくて各地で反乱祭りで諦めたから
元が早期に滅ぶだけでは 元軍視点の鎌倉武士は水陸両用戦車みたいなモンスターだろ >>105
あの時代にしては何気に先手先手打ってるんだよね。 >>1
学の無い人間が書いた論文は読むに値しない
何周遅れの知識で語ってるんだよ >>336
もし3回目があったら弘安の役以上の造船負担が
元の中でも旧南宋に集中するだろうしな
南宋は弘安の役の前に征服したばかりでそれまで長くモンゴルと戦ってたし
反乱祭りが史実以上に盛り上がりそう >>335
意訳
あんな奴らと戦って勝てるわけ無いだろ無理じゃボケ 欧州方面の遠征も一部の国がしぶとく抵抗を続けてた上に結局元の後継者争いで元自体が分裂して
遠征どころじゃ無くなったしな。 古いタイプの歴史学はプロパガンダ担当みたいなやついたな。まだいたのか。
事実誤認も多く分の筋道もいい加減。思想が売り。筆者は恩賞不満にこだわって書いてて、そんなのいつの時代の説よ。だまされちゃいけない >>328
対馬は反抗したからモンゴルの慣例から言って、滅ぼされるのが当たり前だろw >>340
高麗の船のが高性能だったから更に高麗の造船負担が増えるだろ
3回目が有ったら滅亡するのは日本じゃなくて高麗だと思うよ >>340
造船は実際命じられていて結果盗賊祭りになった >>344
元が攻めてきた時に対馬は何事かと使者と通訳を送って事情を聴こうとしたのに
それを殺害して侵略してきたんだよ
最初から対馬に従うかどうかの交渉すらしてない >>41
朝青龍はともかく休んでばっかいる横綱例にださっちも・・・ 結局フビライ側近も大反対したわけで悪の皇帝フビライの異常な征服欲がまず先にあった
ヤクザにおまえを奴隷にしてやる、と言われたに等しく外交ではなくただのカツアゲ
これに命を捨てて対抗しボコボコに撃滅した鎌倉武士は日本史上最大の英雄である
ボケーとしてた無能公家は神風だと喚き立てる
そんな無能公家だから政権を永遠に喪失したんだよマジでな >>345
沈没船の調査から高麗船はあまり沈んでないから
また一から艦隊再建しないといけない江南地方の方がやばい >>340
元と高麗の船が出土したニュースがあったけど
元の船の竜骨はまっすぐだったが高麗の船の竜骨は
グニャグニャに曲がってたのが印象的だった
既に2回目の遠征時で高麗の木材資源は失っていて
こんなのしか使え無くなってた訳だから、3回目を
出すのは不可能だっただろうしね >>344
日本の慣例からすれば、そんな非道な元軍や高麗軍の捕虜を皆殺しにするのは当然だし、対馬や隠岐の住民が倭寇となって報復するのは正当な行い。 孔明みたいに矢を敵から奪う感じで、日本に元軍が攻める度に
拿捕した船で日本の海軍力が増していく >>27
本郷和人って、真実を追い求める学究肌ではなく、寧ろ学者風芸人だな、そのエピソードからしたら それまで不敗のモンゴル軍が日本を征服できずに大きく破れて敗退したことが、
ほころびとなりその後にモンゴル帝国は滅びた。 >>345
実際に、高麗滅亡の原因の1つだと言われてるし、
船を作らされて影響で高麗国内の山がハゲ山ばかりになったらしいね。 >>200
軍勢の規模を見誤った。
当時は俯瞰で空から偵察なんて不可能だし。 >>357
朝鮮に禿げ山ばかりなのはそんな歴史があったのか
飢饉で木の根っこ食ってるからだと思ってたわ こういう意図が先行してそれに史実をつまみ食いしても妄想重ねる研究大嫌い
研究とも呼びたくない >>357
日本統治時代の植林で再び緑の山野となるまで、600年以上もそのまま放置されてたってのが凄いよな。 戦って余裕で勝てる相手に服従するなんて末代まで語り草になるレベルの大恥だぞ >>355
最近は逃げ若にも関わってるけどコラムがネットで散々酷評されてたなあ
逃げ若好きなのに先が不安 当日の日本が元寇を退けられたのは本当に幸運
上陸軍の指揮官が有能なら九州などに上陸せずにそのまま瀬戸内海に入り難波あたりで上陸して一気に京都を襲ってたら京の朝廷や帝は皆殺しされ町や寺など仏像は焼きつくし破壊つくされてたわ >>350
高麗船のが沈んでないなら高麗艦隊の規模を大きくする方がいいと思う
>>351
よく分からないのが南宋の船のが損害が大きいんだよね
外洋貿易に慣れてるから造船も航海技術も優れてる筈なのに >>359
元寇の時には造船のせいでの飢饉もあったらしい
沢山の船作るには男手も沢山がいるけどそれを集めれば当然他の人手は大幅に減る
農民の男手もとられて残った女子供老人では足りずに飢餓 現代でも中国が攻めて来たら降伏すれば良いと言う人もいるけど
それで仮に戦争が終結してもその後が悲惨な事になるよ
大陸の歴史やウイグルチベット内モンゴルを見れば分かる 敵国の日本に艦隊をプレゼントする戦略を続けていたら
鎌倉武士団の世界最大の大艦隊で逆侵略されたら滅びると感じてた参謀は優秀だな >>190
名乗りを上げないのは不名誉だってことで奇襲とかもっての他だったらしいしな
義経が活躍出来たのは奇襲をタブー視しなかったからってのもあるんだろう
九郎判官さん空気読めないしな >>366
途中で海賊に襲われてたどりつけないと思う
夜間に放火されたり 現代になってこの先生に
「戦わなくても大丈夫だったよ」と保証されても
タイムマシンで当時に戻ってやってみたら
やっぱり日本占領されちゃいました、的なことに
なるんじゃないだろうか >>366
瀬戸内海の複雑な潮流を舐めすぎ。
鈍重な大型航洋船なんて、地元の水軍の餌食になるだけだろ。 >>366
中国地方にも防衛体制敷いてるんだから地の利のない元軍がまごついてる間に
追いついた中国地方の軍勢と戦うことになってただろうし
その間に各地からの援軍も京や戦地に来るだろう
地の利のない異国でスイスイ目的地に進めるとも思えないし >>356
いうほど無敗でもないぞチンギスも初期から結構負けてるやん >>371
日本も蒙古に降伏してたら禿山だらけになってて現在の日本は無かったかもね >>5
馬鹿だなこいつ
それはアメリカの黒船も同じ
徳川が同じようにバカでペリーを無礼討ちしてたら今頃日本は合衆国Japan州だな
まあその方がよかったかもしれんけどなw >>1
そんなことより、ハニトラの感想を聞かせてもらおうか 現代知識を持った主人公とライバルが文永の役の頃の日本と元にタイムスリップするなろう系小説誰か書いて >>378
匈奴=フンだから
「フンナ(Hun-na)」説に関しては、五胡十六国時代のタリム盆地などにおいて匈奴人(前趙)のことを「フン」と呼んでいた事、現代モンゴル語で人間を表す単語が「Khunii(フンニー)」であることなどから、
18世紀から現代に至るまで直接的に結びつける物から一部に関連があったとする物まで、様々な匈奴とフン族を結び付ける説(フン=匈奴説)が提唱されている。 >>381
海軍力に差はあったにしろ日本攻め落とすだけの技術差や兵站が当時のアメリカにはあったのかな? >>383
無理やろせめて戦国時代にしないとモヤシ即死やで >>383
まず鎌倉武士に認められるまでがハードル高過ぎ >>385
当時の日本の統一国家はない
イギリスのインド攻略と同じ分割統治の手法で楽勝だ
だいたい薩摩も清も地球の裏側からやってきたイギリスにボロ負けしてる 最強の命知らずの海兵隊が乗船してる鎌倉武士団の上陸作戦に
元軍は阻止できないだろうな >>20
陳興道「さようか」
バイバルス「ごめん。ワシはもっと酷い方法で使者を殺した」 >>388
主力落ちを抜けなかったのにな
弘安の役なんて2ヶ月近く抜けなかったから台風シーズンに入って壊滅なのにさ 嘘臭えー なーんか嘘臭えー
ウリナラマンセーではないが
いきなり日本叩き >>390
江戸幕府なんなんだよ
海軍力で差があったから薩摩が負けたのは当然だが小競り合いじゃなくて元寇みたいな戦争になったら勝ちは無いにしろ負けも無いと思うわ
鯨だけのためにガチで日本取りにくるにはメリット薄いし
ただあの段階で大政奉還&開国してなかったら明治以降終わってたのは間違いないが ヴァイキングが廃課金装備した感じが鎌倉武士団
モンゴル帝国もそんなヤバい国がこの世界に存在してるとか
ヴァルハラに行きたかったのか >>396
幕府と諸藩は建前上は対等の関係ということになっている
幕府は自分の意思決定を尊重するように諸藩に「お願い」することはできるが
強制力はない >>399
帝に勅旨して詔打てるだろ
それ以前に外患には絶対団結するわ薩長みたいに >>390
薩摩がイギリスにボロ負けって薩英戦争のこと?
油断してたのだろうけど、戦死者はイギリス側が大半じゃなかったっけ?
で、「お前結構やるな。戦うより組んだ方がお互いのためやな!」という共通認識になって、盟友関係になったと。 >>366
いまと違って敵の頭目をやっつければ戦争は終わるし、いい案だね。
ただその場合、包囲されるのを覚悟で難波方面に上陸する部隊と、
九州で敵をけん制しながら控える部隊のニ手に分けたほうがいい。
難波方面の部隊が劣勢になったら救出に向かわないといけない。 >>394
元軍が二軍という人は多いが日本側も戦力分散してて主力落ちなのを語る人は少ないね >>401
どんなネトウヨウリナラマンセー史観w
薩英戦争でボロ負けしたことが日本は(清と違って)列強の軍事的脅威を軽視せず
に済んだ一因に決まってるだろ >>397
幕末日本に来航したペリー提督、その部下は日本を見て
「このような未開の島国などすぐに占領できます、やりましょう提督」
それを聞いたペリー提督
「よく見ろ、この国の成人男子は皆頭に鉄砲を載せて武装している、このような軍事国家には勝てない」 >>370
大平洋戦争で本土決戦をやってたら、今の幸せな日本はなかったと思うよ こちらは高麗が日本に送って来た国書だけど、余計なお世話にも程がある。
『高麗史』元宗世家元宗八年(1267年) 八月丁丑条、『高麗史節要』
国書に曰く、我が国、蒙古大国に臣事し正朔を稟けて年あり。
... 今、好みを貴国に通ぜんと欲して、寡人に詔 して云う 、日本は爾(なんじ) が国と鄰(となり)為り、
典章政治、嘉するに足る者あり、漢 ・唐而下、屡(しばし)ば中国に通ずと。 >>405
別に僕はネトウヨでもウリナラマンセーでもないのだが..
外国に手痛い目にあったのは薩摩じゃなくて長州だったと思って確認しただけなんだけどね..
確かに薩摩も薩英戦争で鹿児島の町を焼き払われてはいるが >>316
相撲解説者の神風さん、久しぶりに思い出した
自分が相撲初めて見たのが、父貴ノ花が引退し千代の富士時代が始まった頃
神風という名前が何かカッコよく、元寇の神風より先に相撲で神風を覚えたのかもしれない
調べたら若貴ブームが始まる前に亡くなっており
30年以上解説を続けてたみたいで、自分は解説者晩年の数年しか知らんが
自分より年上の相撲ファンにとって、相撲解説といえば神風さんの印象が強いんだろうな 蒙古は本当に水の戦に弱いんだな
高麗攻めでもあんな近くの目と鼻の先でしかない江華島に逃げ込んだ相手に攻めあぐねてあんなに手こずるんだからな >趙良弼「日本という国は狭いです」「ろくな作物が育たず、豊かではない。人間も野蛮で、皇帝陛下がわざわざ日本を征服しても、何の見返りもありません。だから、やめるべきです」
わかっていたなら、使者なんて送るなよ
野蛮人だから、首くらいはねるだろ 元寇って呼称、明治時代に出てきたらしいね
それ以前は元寇という言葉はあまり使われなかったらしい
呼称から言って日本中心の考え方だからね
当時の中国の正統政権の元を賊扱いだから モンゴルが辺境の小国に対等でソフトな外交対応などした例はない。
武力征服か隷属しかない。そんなの当時の北条幕府も既に知っているから、抵抗を選び使者を斬った。
結果として、日本を守りきれたんだから、北条は英雄だよ。
全て為政者は結果で評価されるんだよ。
モンゴルの侵攻を戦ってくい止めた国は世界でも少なくて、元寇の日本(北条幕府軍)と、エジプトのスルタン・バイバルス(マムルーク朝創始者)くらいだ。 >>417
日本の話なんだから日本中心なのは当たり前だろ
脳味噌腐ってんのか? ホラズムもモンゴルの使者が無礼を働いたんで手討ちにしたら
次は侵略されてサマルカンドは灰塵と化したな >>417
日本は南宋と長く付き合っていましたが。 尊大な使者派遣して挑発するのが
モンゴルの常套手段だった
比較すりゃ直ぐに判るはなし >>412
モンゴルと比べ日本は海に囲まれており、船の需要が大きい歴史であったはずだが
海戦は数えるほどしかないな
水軍同士の戦いといえば壇ノ浦と、大阪湾で行われた村上水軍と織田の九鬼水軍の戦い
陸軍の戦いに水軍も加わったのは結構あるが >>419
江戸時代の人は元寇なんて言葉知らなかったと考えるだけで
歴史の見方ちょっと変わるだろ
明治以降のナショナリズムを反映してるわけだ むしろなんで鎌倉の日本はそんなに朝貢が嫌いなのかって点にスポットライトがあたる。
日宋も私貿易。 東アジア全体で見たとき、日本は古代から存在し中国と相当関係があったのに、中国の属国になっていない珍しい存在。
倭の五王やそれ以前は中国に臣属する外交形式があったが、聖徳太子以降は一貫して中国から独立した国。
「中国から独立した国であり続けること」
日本を日本たらしめるのはこの点だろ。 >>417
幕末の長州征伐は、徳川幕府視点からの名称
幕長戦争や長州戦争など、他の呼び名もあるけど
その後徳川が負けて、長州の時代になったのに
今でも幕府視点の長州征伐が一般的名称になってるな >>426
そもそも学校みたいなとこ私塾ぐらいしか無かっただろうにどこで歴史学ぶんだよ キエフルーシ、キエフ大公国なんて
長年対立してた東方の諸部族と和解し
平和だったのに
その諸部族からタタールの侵略受けてるから援軍送って来れと言われて、
援軍だしたらそれを口実に侵略されて、美しいキエフルーシは灰塵と化した
日本が三別抄とかに援軍出してたら
それを口実に侵略されてたよ 主権を放棄して服従すれば事もなしってかw
腰抜けのお利口さんが言いそうなこった
戦って撃退してなお負けたらどうする?なんて責められたんじゃ時宗も何も言えないわ 日本全体を攻撃するだけの軍隊が、どうやって昔の小舟で海を渡ってくるのよ。
まして鎌倉の武士政権の時代だし。
藤原氏の時代なら、武士も居なくて中国と戦う力がないから、元の言いなりになってしまうのもわかるけど。
舐めんじゃねえと非礼な態度をとるのも当たり前。
応ずれば中国の臣下になるのと同じだから。
>>1
ダメな歴史解釈だわ。 そもそも元寇での勝利は村上水軍によるゲリラ戦での功績が大きい
その戦術が伊予出身の秋山真之に受け継がれ
明治の日本海海戦にてバルチック艦隊撃退に繋がる 「主権」は17世紀の欧州のウェストファリア条約以降、現在まで慣行となっている国家間の
対等の関係のことを言い、13世紀の当時にはなかった。 こんな大学の教育を受けた人たちが日本の高級官僚になって日本を動かしてるんだから
そりゃ乗っ取られるわな >>332
ベトナムは後に朝貢する屈辱を味わってるぞ
九州武士みたいに一方的に勝利して元軍に恐怖を刻み込まないと駄目なんだよ >>429
長州征伐は天皇の勅命に基づく。
薩摩藩も征伐側だった。 >>430
江戸時代だって、知識層は当時なりに日本の通史の知識はあったよ。
馬鹿にし過ぎ。 結果的に負けたのならまだしも、何を言っているのだろう。 北条時宗の時代はまだ鎌倉幕府の体制が上手くいっていたから危機にもそれなりに対応出来たんだろな
これが鎌倉末期の北条高時の時に元寇されていたら高麗と同じ運命になってただろな
北条高時はさしずめコロナとの戦いに右往左往して支離滅裂の今の自民党の菅内閣みたいなもんだわ モンゴル軍はバグダードの戦いでは何十万冊もの書物を燃やしている
正真正銘の野蛮人だった 江戸時代に寺子屋や塾のようなところで読めた日本の通史の本って、何だろうな。
それが思いつかずに、むしろ資治通鑑が先に頭に浮かんでしまう。
当時の日本人も中国史のほうが詳しかったんじゃないだろうか。 >>426>>430
歴史教育は武家の嗜みだぞ
兵法だって元を辿れば「こういうことがあったので参考にしましょう」の集合だし
身分の高い人は家庭教師みたいな人が教育していた
例えば藩主の一族の場合、その藩に仕える家老とか摂政とかが交代で教育するとかな
身分の低い人は寺子屋
農民ですら寺子屋のぞいて勝手に学んだりしてたんだ、門前の小僧の例のごとくね >>434
村上水軍の記録初出は14世紀。水軍の強みは瀬戸内の急な流れを読みきったところにあるのに、玄界灘に打って出てきたんですね?どこのトンデモ本で元寇に参加したって書いてあるんです?
あと松山城下で育って上京した秋山真之が、山一つ向こうにある芸予諸島の村上水軍から何才ごろどんな影響を受けたんですか。 何が非礼なモノか
むしろ弘安の役の後にこっちから書状を出して
「キミ、うちの主力が着く前に全軍壊滅だけどどんな気持ち?」
とか煽ってやれば良かったのに >>439
唐突に知識層の話かよw
知識層でも時系列で並べられた教科書みたいな歴史なんか学問として教えるねーよw 返事しなかったら攻めてくるって、キチ外国家じゃん。
こいつフビライを美化しすぎだろw >>451
何言ってんだ?
歴史って因果関係があるから時系列を学ぶのは今も昔も変わらないが >>430
今の義務教育のような均等な教育じゃないから。
武家は藩校で歴史とかも含めた色んな知識を得て、それ以外の農民や町民は寺子屋で読み書き算盤。
ちなみに算盤って言っても和算も農民がやる。
レベルはとても高いもので、高等数学に等しいモノだった。
なぜ、そんな学問を農民がやったかっていうと、測量がベースにあるから。
少しでも合理的な農地を整備したり、年貢の取り立てに対抗するためだろな。
だから、明治以後、欧米の文明(技術)が入ってくると、日本は途端に発展し始めたのよ。
特に鉄道を全国に敷いたり、土木技術なんて早かった。
江戸時代に農民まで含めた教育のベースがあるから。 >>447
それと歴史はイコールじゃねーよ
歴史のほとんどはただの知識
趣味の分野だ >>454
読み書きそろばんの話なんか誰もしてないし
当然そんなことは知ってるわ >>434
壇ノ浦では源氏に付いたみたいだが、平家の家人だった松浦党
最初反乱したが鎮圧され、また従い壇ノ浦ぐらいまで平家に付いた菊池氏
源氏というより義経という軍事の天才に負けてしまった平家だが
元寇では旧平家だった水軍が大活躍
平家は100年前に滅亡したが、後の世に残したものはあった
漫画アンゴルモアでは、対馬に安徳天皇が子供のまま生存した事になっており
元寇で平家の残像を記してくれたのは嬉しく思った 習近平にイメージアップ作戦を指示された結果がこの記事よ
もしかしたら、中国を更に嫌わせる為の国士様なのかも知れないw >>451
紀伝体と編年体の違いって知ってる?
浮世絵は町人層に好まれた版画ね。もしかして読み書きそろばんができれば良かった農民層が元寇しらなかったから俺様勝利とか思ってる? 野蛮人ジャップランドに侵略する価値は無し
中国の属国にしたら勝手に兄弟分だと思われて困るだけ >>455
それは単に君がそう思ってるだけの話だね
ひろゆきに感想ですよねって言われるオチ >>461
なら戦に出る武士が元寇を学ぶメリットあんの? 都市伝説を科学する
(問)九州の将兵は最強か? (答)YES!
https://www.sankei.com/article/20140930-67PBW5QW4BINTFT2PVOGE5TJMM/
>広く流布した話ではないが、関係者に根強い伝説がある。いわく「九州の将兵は強い」。九州は古代から、わが国防衛の最前線であり、先の大戦をはじめ、勇猛ぶりは敵将をさえ驚かせた。
現在の自衛隊を見ても、「最強」の呼び声も高い部隊が集まり、南西防衛を担っている。「九州最強説」はどのように生まれたのだろうか。(九州総局 大森貴弘) 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという
>>455
よう愚者 >>455
アホなんだろうけど。
まず、朝廷の正当性から始まる歴史を知らなきゃ、武家だって自らの地位はなぜあるのか。
そこから理解できないだろ。
警備員と違うぞって言えないだろ。
歴史を深く細かく知ることで、武家って形が存在する。 >>464
あるよ
当たり前じゃん
相手はどういうルートで攻めてきてどこを上陸ポイントに考えてどうやって防衛したか
こういう地歴を知ってることが兵法の基礎で武士は知ってなきゃおかしい 荻生徂徠なんかでも、「政談」で政策を提案するときに中国の例を出してくるので、当時はそれが
説得力があったのだろうし、鎌倉時代の吾妻鏡によればこうこうなんて献策はかえって受けが良く
なかったかもしれない。 >>462
朝鮮は紀元前から歴史が続く文明国だが? >>426
江戸時代までは蒙古襲来と呼ばれてたみたいだな
今でもこの呼び名を使った文章を、何度か見た記憶があるが
「寇」=あだ。かたき。外敵
人質救出など元寇の敵討ちから始まった倭寇
倭寇の名は中国朝鮮側からの侮辱名称だが、明治になり倭寇に対抗し元寇と呼ばれるようにしたのかな? 明治になる前は元寇じゃなくて何て言ってたのかな?
蒙古襲来? >>467
北南 それとも知らず この糸の ゆかりばかりの 末の藤原 >>472
13世紀末にちょっとだけ初出の三国遺事ですね。生誕地の延吉はツングース族の故地でしたね。恥ずかしくないですか? >>473
明治になって二字熟語をたくさん作ったのと関係してると思う
二字熟語の音に慣れて蒙古襲来よりも元寇のが語呂がいいと感じたんじゃないかな >>405
薩英戦争のウィキ見てみろ
イギリス海軍は艦長と副長やられて横浜に撤退して終わってるわ
下関戦争と勘違いしてるだろ >>478
薩英戦争の凄いところは、停戦後、地方政府に過ぎない薩摩が世界の大英帝国と密貿易のパートナーとして成立しているとこ。そこらのジャンプ漫画より熱い展開です。 元寇は徳川光圀の大日本史が初出
蒙古襲来は竹崎季長が有名 >>326
2年かけて練り上げた分刻みの揚陸計画は悪天候と混乱により第一波を下ろした時点でゴミクズになり、5700隻の船舶と700万トンの補給品、20万人の兵士が行方不明になるところだった。
満を持して投入した機動浮橋マルベリーA, Bも嵐により10日で破壊されたしな。また直して使ったけど。 >>477
幕末までは欧米からの知識は、蘭学を通して伝わってたので
医学目的で開いた適塾では、入門した生徒に蘭学を教えた
大阪大学医学部は適塾が母体だと言われてるので、卒業生の多くは医学で活躍したはずだが
大村益次郎や橋本左内や福沢諭吉や大鳥圭介など
蘭学を通して医学以外の知識を得て、別なる道へ進んだ人もいた
この適塾関係者が和訳し、新たな日本語をたくさん作ったって聞いた事あるな
特に福沢諭吉や、兵術関係を大村が >>335
真面目に書いたら
「喜べ。お前の責任で交渉しろ。手柄はお前の独り占めだ。あ、失敗したら処刑な」
になるもんな。 >>407
髪一重で日本の独立は守られた。
髪に感謝を。 >>482
ブリカス「だからパンジャンドラム使えばよかったんだ」 >>427
鎌倉は大陸から遠すぎるんでねえの?
西国の勢力ばっか大陸貿易で潤うのは政権的によろしくないべ 蒙古軍は日本本土上陸をやらなくて正解であった
やったら、真田幸村や楠正成みたいなのがわらわら出て
山の中でなぶり殺しになってた 最初のすれ違いw
日本は昔から南宋と交易あったし元より南宋優先
高麗は抵抗中の三別抄からの使者もあったりしてどうやら混乱してるし決めかねてたんしょ
文永の役あってもう両国は戦争状態でしょ
幕府はやる気満々、戦争準備万端の状態なのに、
上から目線の降伏勧告ともいえる書状持って来るのは遅かった >>428
中国と言っても、漢王朝のながれをくむ南京政府でないかな。
多分、隋や唐は中国とは認めてなかったと思うよ。古代中華文明は完全に滅亡した。
聖徳太子からしたら、なんでお前らに服従せなならんのやとの思いだろう。 >>479
全然凄くない。それ薩摩が英国の軍門に下ったってだけのこと。
実際、鳥羽伏見や江戸進軍の時の要所要所で、薩摩というか西郷は英国に判断を仰いでいる。 >>487
鎌倉は坂東武者って荒くれ者(例:平将門)がいたから無理。京都は六波羅探題が頑張って。九州は大宰府残して鎮西奉行決めたから彼中心に頑張って。そんな感じ。 >>491
最新式の銃を薩摩は仕入れてるんですが。それに負けた幕府軍は偉いんですね。君の中では。 徳政令に繋がるくらい参加した大名や侍は貧乏くじだけどな >>402
鎌倉時代は敵の頭目をやっつければ戦争は終わる、という状況なのかどうか
当時は皇族将軍、鎌倉にいる将軍は後嵯峨天皇の孫
当時の武士の気質だと京落されて帝や上皇が殺されても戦争終らないんじゃないか
鎌倉幕府は承久の乱で既に一度、上皇の軍勢と戦い、帝を廃立して上皇を流罪にすることすらしてる
その後は幕府の意向で本来帝位から遠い皇族が即位したり上皇になったし、
それが絶えた後のやっぱり帝位から遠かった後嵯峨天皇の即位も幕府の意向
将軍なり他の皇族なりを旗頭にして鎌倉や各地の御家人は戦い続けると思う
皇族が将軍だったように朝廷は無力なわけじゃないけど、
皇族内でのすげ替えは既に幕府もやってるし >>493
何をするにも英国に判断を仰いがないといけない状態なのと
最新式の銃を英国から購入する事と、何か関係あるの?何が言いたいのかわからん。 >>215
重装騎兵自体はローマ末期のカタフラクトとか時々出現する
鎌倉武士がネジ飛んでるのは重装弓騎兵な事
しかも長弓で複合弓よりも速射する >>498
で?最新式の銃を買うと何か立場が変わるの? 救ったのは鎌倉ゲッターと後世で呼ばれている名もなき武士たちだものな >>496
ヒントだけあげるね。
薩摩が英国の指示で動かなきゃいけなかったら、徳川・フランスと大戦争しなきゃいけないの。そうならなかったよね。 どうせなら反撃して旧南宋領くらい占拠してしまえば良かったのにw
豊かな南宋の領土なら御家人も大満足であろう。 >>501
英国は仏蘭西との戦争は避けるように指示してたのにか?
不思議なヒントだな。 >>499
第二次長州戦争を調べてみよう。これ僕が中坊の時の知識。 >>430
江戸時代だったら識字率と出版技術の向上に伴って
書物の文化も隆盛した時代だから歴史に関する本も出てるよ
貸本屋もあるから安く読む手段もあるし >>503
足利義満が明に、へいこらしたけど植民地にはなってないな >>504
直接戦争と代理戦争の違いがわからないんですね。薩長を誰が支援して、幕府を誰が支援していたのか把握してますよね。 >>508
明と元とでは朝貢も、従った相手に求めるものも違うよ
元は宋とも明とも違うから、他の王朝を例にして考えるのはどうだろう >>502
当時は大兵力の渡海輸送自体が困難だった
元寇が大敗した最大の理由がコレ
当然日本側も大陸に大兵力輸送してなんて不可能だったんだわ
なのでそれは無理
大陸側に拉致された人達の救出活動とかもその後行われてるけど、それは無防備なところを狙って少数での急襲とかで行われてる
倭寇って連中が言ってるのがそれ 慶喜が列強に万国公法に基づいて
戊辰戦争は内戦だからって、厳正中立を要求したから
フランスは介入出来なかった
ロッシュは食い下がったが
慶喜は拒否 >>510
元寇のあと、鎌倉幕府は元との貿易路線にシフトしていったけど別に何も要求されてない 代理戦争をさせられた薩長と、薩摩の立ち位置をきちんと理解してるなら。それで充分じゃね。 >>508
明が攻めてきても、応仁の乱以前の武士とはいえ撃退できただろうな >>513
いや元寇後の鎌倉幕府は元と貿易してただけで
従属も朝貢も全くしてないんだからそりゃ要求されないよ
けどそれと従属や朝貢してても同じだったか、というのは全く別の話 >>516
そうだよあんたが上で言うように大戦争にならなかったのは幕府側がそう動いたから。
そんだけで、そこに英国に全てのお伺いをたてていた薩摩の意向は全くない。 >>519
結果、薩長主導の元老院政治へ移行ですね あほか
クビライはどのみち日本を征服する気まんまんだったろ >>416
元の使者は文永の役前でも従わないと戦争だとかなり高圧的に脅してた
それでも日本は使者を切らなかったことで舐められたのかもな
当時他国だとモンゴルの使者は開戦前から斬られたり返されないことがあったけど
それにくらべると開戦までは使者を生きて帰してる日本は忍耐してた方だし
そんな日本も流石に文永の役で堪忍袋の緒が切れたわけだが 当時の使者って使い捨て前提で気の毒だな。
出国前は1日くらいは家族と別れを惜しむ時間を与えてもらえたのかな。 >>522
文永の役の前に日本は国使を元に派遣したそうです。順調ではなかったようですが。こういうことを東大教授は拾ってくれませんけどね。 >>521
クビライが日本と南宋を討たんと欲すると発言したのは
高麗の史書によれば1268年の5月
はじめて日本に来た使者の潘阜が高麗に帰ったのは1268年7月
使者が帰ってきて日本が返書も従属も朝貢もしない、と伝わる前から
クビライは日本を征服する気満々なんだよね
その後も使者を送ってたのはまだ南宋と戦争中だし
使者を送って脅し気味に要求するだけで従わせられるなら
手間も金も兵もかからないから一応その策もとってみただけだろう >>524
新羅は連合軍の後頭部を殴ってますね。韓国人的に誇らしいですか? そういう意味では返書をださないというのは部下の命を大事にしたとも受けとれる。 >>491
「西郷が英国にいちいち判断を仰いだ」ってどこか文献に残ってます?良ければ教えてほしい。
江戸総攻撃反対を英国が主張して、西郷の判断に影響を与えた、というのは聞いたことあるけど。 >>528
まあ従属も朝貢もごめんですなんてはっきり言ったら
その使者は生きて帰ってくるかわからないからな
南宋もモンゴルへの使者は監禁されてるし
その前に南宋もモンゴルの使者監禁したお返しかもしれないけど クビライは日本を南宋に軍事物資を送る支援者と思ってたふしがあるな。 >>524
新羅に、じゃない
新羅と唐の連合軍に
白村江は日本&百済VS唐&新羅の連合軍対決 元・高麗連合軍を撃退できたのは九州四国の御家人の奮闘のおかげだと思うわ。 無礼な態度を示した日本に遠征して日本を征服した蒙古フビライは鎌倉幕府の武士や京都の朝廷の人間や帝を全て討ち滅ぼした。
フビライは日本民族の抹殺を宣言して700万人以上いた当時の日本人は30年余りで全て抹殺された。
2200年代に日本人の生き残りと自称するとある科学者がタイムマシンを発明して1281年の弘安の役の時代に行き気圧変圧装置により神風と呼ばれる瞬間風速80メートルの暴風雨を発生させて蒙古軍の全てを壊滅させ歴史を改変した 唐やら元やら明やら清やらロシアやら英米やら
国の規模のわりに喧嘩売ってる相手みたらどう考えても頭おかしいな >>517
元と大ぴらに貿易してたおいたさんはどこですか?倭寇がローカルでやってるようですが。 >>537
日元貿易も行われてたし幕府もそれは禁止はしてないよ
ずっと第三次を警戒はしてたから元の動きで一時規制されたことはあるけど
元の方も日本の商船の入港は許可してたし
送ったのは民間だけど鎌倉幕府公認で送られた建長寺船というのもある
ただし元の方ではハーンというより地方の官吏が
警戒したのか欲のためか商人の上陸禁止や、
関税の引き上げ、補給の妨害といった冷遇をしてたので
それに対して商人が対抗して攻撃したりもして
平穏に行われてたわけでもない 征夷大将軍の執権って
今でいうと防衛大臣の事務次官かな? ローマ帝国が島国スコットランドに攻め入ったみたいな この手の言説で疑問なのが、時宗を過剰に下げる一方で
クビライを過剰に挙げているというか甘く見すぎてること
時宗の方はそりゃ完璧ではないし苛烈な面もあったけど
それでも元寇の前から色んな準備も命じてたしそれは役立ってもいるのに
記事ではそれについても大した準備してないみたいに書かれてるし
一方でクビライが従属した高麗を父と子の関係に例えながら(国書)
実態として高麗に対してどうしていたのか、
元に従属後の高麗がどうなって朝貢に何を送ってたのか、
といったクビライにそれに従った国の実態はスルーしてる
時宗に批判的な言説でもちゃんと時宗が何をしたのか
功績も失策も両方取り上げて分析したものもあるから
一概に時宗批判する言説を叩く気はないけど
流石にこんな風に時宗の実像もクビライや高麗の実像も
スルーしたり過剰に上げ下げしてるの言説は参考にならないなあ >>538
それ地方でちまちまお目こぼしもらってた話で、あんまり公式にすべき話じゃないです。そういうレアケースを国境武勇談でアップして後続者がNGくらうケースもあります。 つまり時宗は土下座しとけと
現在も日本は土下座しろとそう言いたいわけやな >>540
征夷大将軍を現代風に訳すなら、東部方面軍総司令官といったところ
執権は参謀長とか軍政部部長じゃね >>545
西部は治まってるけど、東部は荒い。
どう現すべきかは任せます。 鎧兜と肩当ては、矢が飛んでくる方向に頭を向ければ
<←感じで弓矢を受け流す盾みたいに使えそうだから、
弓矢も効かない、廃課金装備の鎌倉武士に勝てる訳がない >>502
南宋じゃないけど文永の役終了後と弘安の役終了後の
計2回高麗への侵攻反撃計画を幕府は立てていたらしいよ
1度目は防塁築造を優先するため中止
2度目は戦後資金難のため中止になったらしい >>437
ベトナムは多分朝貢を必ずしも屈辱と思ってないだろうね。むしろ朝貢なら勝ちと思ってる。
ベトナムが本当に敗北したのならモンゴルに皆殺しに遭ってますよね。
緒戦でガツンどぶっ叩いたうえで講和に持ち込み、支那に朝貢してやる。
侵略に失敗しても支那は面子が立ち、ベトナムも独立を守れてwinwin。伝統的に支那とベトナムの関係はこれ。
支那朝鮮の宗主国と属国関係とは少々性格が違う。 日本の豊田有恒氏は元寇の神風は未来人による歴史の干渉である可能性があると自身の著書に書かれている 中国人や朝鮮人より日本人て気性あらいよな、今でも
キレかたが他のアジア人より怖いと感じる 鎌倉武士は元軍の弓兵にお辞儀をして
元軍の必殺技の弓矢攻撃を無効化していたのかもしれない つか確か亡命してきた多くの南宋人が時宗に抗戦のアドバイスをしてるんだよな。 >>518
稼ぎ時だからなw
武家の恩賞を貰うボーナスタイム 何度も中国と全面戦争を行った日本は漢字を捨てる気はサラサラないのに
朝貢国だった朝鮮とベトナムは漢字を廃止するって本当面白い
まあ漢字は便利だしクールだもんな >>554
84年ロス五輪柔道決勝で怪我をしていた山下の右足を攻めなかったエジプトのラシュワンは
フェアプレイを讃えられたが、一説では試合前に山下がラシュワンににっこり微笑んだ
という話がある。
これを聞いた古舘伊知郎は「それはひどい反則技です。それでは、攻められません」と言った。 >>562
三回目の元寇で日本人がモンゴルの奴隷になり、隠れクリスチャンとしてレジスタンスになる小説を書いた人 >>553
何言ってんの中国人のバイタリティに敵うとでも?
あっちはで農民が反乱して国を傾けたけど
日本人って家畜同然で反抗しねえじゃん 日本の歴史は一揆の連続だけどそれを言うとウヨから文句言われる この悪代官おらゆるさねえだ。
おらたちにもこめさくわせろ。
もうがまんできねえべ。 >>558
そのフェアプレーの美談話あまりに間に受けないほうがいいかもよ
柔道家曰く
痛めていない足を攻める
→残った痛めている足だけでは体重を支えきない
→結果投げ飛ばしやすくなる
という戦法もあるという事 そんな美談があったんか。
つかロス五輪っていつよ? >>557
ベトナムでアルファベット導入したのはフランス人な >>557
朝貢していた朝鮮は、あっさり母国語を捨てて
中国語をメインにしてしまった反動じゃねえの? 今の中国人見てればわかるでしょ
こっちが下手に出ればその分つけあがり、こっちが譲歩すればその分だけ要求を強めてくる >>566
お隣のカンボジアはクメール文字発明したのに
ベトナムは独自の文字を作る事はなかったな
中国に近すぎたからか >>568
先に降伏して奴隷になったのは朝鮮人。モンゴルに反抗した三別抄を攻撃したのは朝鮮人。日本攻撃をそそのかしたのも朝鮮人。 剣盾より槍の方が強いし、乱戦なら両手剣の方が腕が疲れないし
密集してガン盾防御しても火炎瓶で、簡単に崩壊されちゃうし
鎌倉武士は世界最高の廃課金装備だな >>570
クメール文字の母体は南インド。ビルマ文字とラオス文字の間ぐらいに思ってくれるといい感じ。
ベトナム文字はチュノム言って、中原の漢字が広東省辺りまで来てややこしくなって、さらにベトナムで声調が増えてもっとめんどくさくなった感じ。フランス人がアルファベットとアクサンシオン(声調記号)にしたるってのが、今のベトナム語。 そんなもんやろ
日本人やぞ
日本人が国策で外国に出るときはろくな動機ではないよ
そんなん戦争みればわかるやん
畜生国家やで モンゴルが博多湾じゃなくて
若狭湾に強襲上陸してたら
京都は灰塵に期してたろう
そして鎌倉もすぐに陥落
日本終わってただろうな >>560
易姓革命理論だと中華皇帝に得がなくて
天皇にはあったということなのだろう。 >>569
戦後の日本がヌルいだけで、
日本が戦前に袁世凱政権に突き付けた21箇条の要求とかえげつないで 高麗王と朝廷が丸ごと島に逃げ込んでモンゴルの要求を拒み続けたもんだから
40年に渡って国土は破壊され領民は殺されるか奴隷として連れて行かれたからな
日本の占領時代なんか快適そのものだよw >>575
若狭湾コースいう人いるけど、どういうルート前提なの?特に南宋からの船団。 >>575
そんなスイスイ日本の重要地点を行き来できるほどの日本の知識が元にはないだろ 日元大激突の原因は日本が作った。
日本はベトナム高麗の奮戦のおかげで助かった。
元は恐るべき大量殺戮兵器てつはうを所持するなど準備万端だったのだが日本側の準備はすべてにおいてお粗末だった。
日本は終始苦戦したがなぜだか知らんが勝ったというか負けなかったというか元がエビデンスに基づいて撤退したみたいだ。
元寇は元の失敗に終わった事件だが歴史学的に見ればどうって事のない些事。
こんなあたりが歴史学の定説だろう。本郷という人だけが特にみょうちくりんな説を唱えているのではないはず、多分、よく知らんけど。 >>524
新羅が勝った為に朝鮮は中国の属国の道を
歩む事になった
日本や隋にも勝利した高句麗が朝鮮半島を統一
してたならそんな情けない事にもならなかった
だろうに >>583
新羅は高句麗(ツングース)の後頭部を殴った国な。遺跡はお笑い石像だけ。 >>129
高麗王朝の王一族、元滅亡後に怒れる国民からフルボッコにされて虐殺されたって聞いたわ
観光ガイドが故に王姓の韓国人はいませんとか言ってたの思い出した >>581
確かにこの手の説は他にも唱えてる人いるけど流石に定説化はしてない…はず >>584
しいらぎのギって、韓国語での蔑称な。シイラの奴らって意味。何百年前から韓国人って嫌われてるんだよ。 >>586
それなら良いんだが俺の印象だと歴史学における元寇はこんな文脈でしか語られていない感じ。
ところで大した資料の残ってない元寇において武士はああだこうだという人が少なくないようだが、太平記における鎌倉滅亡の箇所にこそ俺は大感銘を受ける。滅びの美学なんてものには興味は無いが。 >>1
鎌倉時代の武士なんて
売られた喧嘩は親を質に入れてでも買うわ
闇討ち不意打ちは寧ろ誉れな
フィジカルモンスターな
ナチュラルバーサーカーだろうに
脳筋に外交なんか出来ないと馬鹿にするのはまあ有りとしても
>>1の言い分は無いわ 武士たちの中で元側について幕府と戦おうなんてこと考える奴はいなかったのかな?
当時はまだ愛国心なんてものはあまりなかっただろうし
元が切り崩し工作みたいなので幕府に不満を持つ武士を味方に引き入れられればどうなってただろ? >>575
対馬〜壱岐〜博多ルートは、貿易などで地理や海流など詳しかったので攻めやすかったと思う
そこが長い城壁出来てたのを知り、手薄な港に変更となると
当時は無線などなく、船同士の連絡は小舟を使いやってたと思うが
時間がかかっただろうな、当初からそんな予想も踏まえて計画立ててただろうか?
海軍が有利なのは、好きな場所へ移動し攻撃できる事だが、その地域の地理に詳しい事が条件
日本の地理に詳しくないだろうモンゴル軍は、海沿いに移動し適当な場所で寄港できたとして
そこから陸軍をどの方向に移動するか?獣道さえ無い密林を移動する訳にいかず
結局その地にしばらく居座り、住める建物建設になろう
鎌倉軍は博多だけ守備してた訳でなく、他の海岸地域にもそれなりの守備兵がおり連絡網もあったろう
当初はモンゴル軍の寄港に気づかなかった鎌倉軍も、いづれ知る事になり兵が集まっていき逆襲が始まる
隠岐や佐渡島を制圧し前線基地とし、そこから本州へ攻めるという方法もあったと思う
博多よりも遠い場所への移動なので、困難さは増しただろうな
モンゴルの大艦隊の数は当時のレコードで、経験のない大規模なだけに不備が一杯生じただろうな >>497
そんなに変なのか?
全部盛りを追い求めればありそうな組み合わせだが。 船同士の連絡は、弓に手紙を付けて連絡する方法も考えられるな >>551
ベトナムがフランスの植民地になったの
実は明治時代、
フランスは丁度幕末の頃にベトナムに侵略、ベトナムは抵抗したがフエの王室以外は全てフランス領に
慶喜が厳正中立を要求してフランス公使ロッシュを袖にしたのはそういう背景があった >>39
本郷某はそれは隠して丁寧な信書だったとのたまう
一方で、聖徳太子の「日出処の天子」は上から目線という
こいつ自身が中華思想の持ち主
中国人でもないのに
要するに本郷某は自大主義であり、朝鮮人の精神構造をしている >>587
今明かされる「きさらぎ駅」の所在地
因みに千葉県には無い。 使者が同盟と言う建前の中、南宋を攻めろと言ってきたから使者の首はねた?でOK? >>593
重装“弓”騎兵なのがヘンタイなんですけど。西洋でそんなヘンタイいますか? >>591
そういうのモンゴルの常套手段ではあるけど元の使者は文永の役前は九州への滞在のみに留められて
文永の役では九州に上陸拠点も作れず、文永の役後の使者は処刑され、
弘安の役では九州に上陸すらできなかった
元には日本のどの勢力が不満持ってるか調べたりそれと接触して唆したりの工作も難しかったと思う
>>575
元が地理を調査できたのは九州だけ
そういう作戦のつもりもあったのか使者は京に連れて行くように言ってたけど日本は頑として受け入れなかった
京が具体的にどこにあって近隣のどの海が上陸できてそこからどう行けばいいのか
わからない状態でそんなことはできないんじゃないかな
やろうとしたとしても直ぐにとはいかないだろうからその間に武士からの攻撃も受けるだろうし >>581
>日本は終始苦戦したがなぜだか知らんが勝ったというか負けなかったというか元がエビデンスに基づいて撤退したみたいだ。
なぜだかは分かってるよ
時の執権時宗と総大将北条実政が地の利を生かした準備をしたから 北条政権は北九州だけでなく今の山口県などにも地侍を中心に
防衛を促している
九州は何と言っても地元の侍たちの奮戦だろうな
多分日本の何処に攻めてきても、返り討ちにあったんだろうと思う
何しろ建国以来の「国難」だったから、本気で守っていた >>603
イングランドのロングボウ馬鹿にすんな。機動性はないけど。 >>598
南宋包囲網が狙いだったって説もあるけど、文永の役までの使者は殺されてないよ
使者が殺されたのは文永の役の後 >>604
防御戦せで新しい領地を与えられなかったのが痛恨。 >>589
ゴーストオブツシマブームに乗って元寇の本色々読んでみたけど
平成になってからの本はそんなの滅多になかったなあ
それに平成になってからの本は日本侵略の動機について
従来の金に加えて硫黄と南宋包囲網にも注目してる
趙良弼のレポート自体は古くから取り上げられてはいたけど
それでもそれを鵜呑みにして日本の価値をこんなにも低く見積もって
だから侵略する気なんかなかった、というのは初めて見たし
神風についてももう1回目は台風吹いてない、または撤退中に暴風があっただけ、
2回目も台風のおかげだけじゃないってのが定説じゃないかなあ >>605
戦争が長引くとつかいものにならなくなるあれか。 >>599
確かに伏射から膝撃ちにすると途端に当たらなくなるもんな。
拳銃なんてちょっと振っただけで外れまくるし。
そう考えると全速で駆ける馬から撃つとかおかしいな。 >>1
なんか、最新の元寇関連の色々な知見を完全に無視して、明後日の方向の論説を展開してるな。
変な意図があるんだろうな。
チャイナへの忖度。 >>609
疲れたら弓を土に刺すってのをみてこりゃダメだと思った。 元寇撃退で結果オーライ。
局地戦に留めて圧倒的勝利。
何の問題もない。 >>610
そこで、凸凹を全速疾走しながらでも砲身がピタリ制止する
日本軍の10式戦車の技術ですよ
これは鎌倉時代からの日本の伝統の具現化です(キッパリ) >>608
海を渡るのが大変だから止めましょう。
なんて意見も出てて、フビライが嘘つくな!
とか言ってるよね。 >>600
ちょっと調べたらヨーロッパと起原が違うみたいだな。
ヨーロッパでは槍騎兵突撃やら切り合いの為に重装化したが、日本では弓兵の撃ち合いの為に重装化したのか。 >>603
え?そうなの??
漫画世界史では撃ちまくってた気が。
>>614
でも極度に市街地化が進んでいる上に山谷川田圃だらけの日本で機動戦車戦が発生するのかなあ?しかも直ぐに木が生えるので視界悪いし。
阿蘇高原ぐらい?平で開けてススキばかりなのは。 >>506
サンバルテルミの大虐殺の方が
よっぽどやばいと思うが
日本史しかやってないのか >>599
流鏑馬の鎧はギリなんとかできても手綱が無理 非礼なのはモンゴルっしょ
化外の地の天子に大して無礼すぎるわ >>618
てっきり対戦車ジャイロピストルを片手にケルベロスみたいな装甲を纏って米軍のBigDogに跨がるような兵科かと思ってた。 >>593
超高コストユニットだもん
馬を乗りこなすだけ弓使いってだけでも習得が大変なユニットなのに
馬上で弓を使いこなすましてや長弓を使いこなすって
頭おかしいレベルの習熟度wさらに運用コストもお高い超エリートユニットよw
こいつらが国内の小競り合いの中で発生し高められて行き着いたのが鎌倉武士
超変態ユニットだよwしかもモンゴル相手に二度撃退という素晴らしい実績付きw
ロマン兵種だわw >>597
しいら+ギ
きさらぎ
この違いがわからないって何歳児? >>577
ぬるいわ、絶対返さない借金の担保だぞ
しかもドイツ権益の賠償とかこんなのだし、
@フォルクスワーゲンが土地を買って工場を建てた
A中国は土地代を受け取った
Bトヨタが工場を買収したので中国に名義書き換えを要求
C中国は拒否して工場を接収した >>585
日本遠征は高麗の王がクビライに阿って
上奏して国民は悲惨な目にあったからね >>627
二回も船作って攻めるための人員養って兵糧もたせて送り込んでるからなw
二度目なんて見切り発車で予定より早くに送り込まざるおえないぐらい
国内は疲弊しきったw材木も枯渇し人員も奪われ手が回らない結果飢饉発生w そもそも時宗が英雄だなんて思ってる人どこにいるんだ?
一般的な理解は元に苦戦したけど神風吹いて助かったって感じだろうし
もう少し詳しい人だとあの時代にあれだけの距離を海渡ってそれなりに人口いる日本に元が勝つのはそもそも無理ゲーって感じだろ スペインポルトガルが攻めた南米の原住民みたいのだったら、遠征でも行けると思う
ただ残念ながら日本には、戦闘のプロである武士がいたw >>630
日本語が怪しくなってるのはやっぱりテヨンなのかな? >>607
普通に恩賞出て好評だったよ
「(参戦してない関東の)武士は(当たり前だが)恩賞が出なかったので不満だった」
という1の本郷さんや杉山さんの言葉足らず >>630
中央集権体制が整ってたのもある
なんか大陸がきな臭いってので権限強化のために整えたのもあるけど
そう考える北条時宗ってやっぱ英雄だわ
元寇という国難のために生まれ死んでいった英雄 >>632
何なら三度目期待してたのに来ない元の野郎!ムカつく!俺に手柄立てさせろ!
ってレベルで三度目期待してる武士もいたしなw >>628
平安北道から木材もってこれないもんね。 ここで奴らを撃退したから、二度と攻めてこなかった訳だろ。
そんなこともわからないとか、どんだけ馬鹿なん? >>637
しかも古来から日本の主要輸出品が材木ってぐらいには
そんな良い木材って大陸にはなかったのもある
もともと育ちにくかったり使いつくしたり
高温多湿な日本は古来よりいい材木の輸出国 >>633
中央集権は言い過ぎだよw 一応鎌倉幕府が仕切ってたけど、各豪族の独立心は旺盛だった
本格的な中央集権は明治を待たねばならない。幕末だって天皇と幕府と雄藩、どこと交渉すれば
よいか列強が困ったくらい。それがむしろ植民地化を阻む要因にもなったわけだが >>639
そういえば日本の輸出品って木材でしたね >>640
あの時代としては十分だと思うよ
一回目は流石に準備不足だけど二回目に関しては
あのレベルなら十分なレベルで国難に対して纏まってるよ >>640
追記近代国家レベルの中央集権体制は無理だわw
流石にwそれはあの時代どこの国でも無理よw 北条得宗家って意図的に小さく扱われてるのかね、こういう説を見ると闇を感じる >>624
よく分かりました。確かにロマンだわ。
WWUのドイツ重戦車大隊が北九州に集結して、上陸軍を海に追い落としたみたいな、
ロマン展開と言うことか。 >>644
まあ明治政府自体武家政権を倒してだから
そりゃ武士の功績にはネガキャンはいると思うよ この人いつも倉山満が手を出したところに逆張りで被せてくるよね。 >>645
だから戦が頻発した戦国時代になると廃れる
鉄砲もあるけど補充が追いつかないし金がかかりすぎるからねw >>647
誰が言ったじゃなくて、何を言ったで考えないと道をあやまるよえ 戦って負けたなら考察する余地もあるが、見事読みどおり勝ったんだから英雄そのものだろう。 >>87
趙なにがしが帰国できているんだから確かにそうだな >>651
そうだよねモンゴルなんて降伏か虐殺か?って感じだし
なんなら降伏しても普通に利用価値なくなったら虐殺ってパターンもあるわけでw
実際筆者いわくエリートの高麗がどうなったかと言うとねw
圧倒的貧困国家wぺんぺん草も生えないレベルw
その後の李氏朝鮮も超貧乏国家wこれを懸命な判断とは口が裂けても言えないわw 鎌倉もひどかったけど朝廷ももっとひどかったからな
さんざん立ち入っておいて清盛入道みたいに自分等の利益にならんとわかると
東に丸投げ いつ裏切るかわからない南宋兵と高麗兵を日本に処分させに来ただけだろ >>591
庶民からの意見書が数百通あって鎌倉幕府が保管したのが幾らか残ってる
ナショナリズムは既にあった。天照以来の天皇を戴く日本国ってね
蒙古國牒状は庶民にも知られてて
「上天眷命」「祖宗受天明命」にイラツとしていた「それうちの天皇さまじゃね」と
その証拠に元寇後に広く神国思想が発生した 実際、11世紀くらいの体制で元寇を迎えたら武力の動員できたのかね。刀伊の入寇
でも対応やっぱ後手後手感あるし。そもそも九州以外から軍勢を動員できたか怪しい
よな、軍団制もないし太政官符出しても集まるか結構微妙そうだし >>657
刀伊の入寇ぐらいだったら対馬民だけでなんとかなるんじゃないって思ってそう >>418 非常に惜しかったのが、
戦闘で負けなかった「イヴァイロ」 (豚飼い→第2次ブルガリア帝国皇帝)
モンゴル帝国・東ローマ帝国、の両帝国軍を相手に勝ち続けたが、クーデターで失脚
>>299 神風信仰については
・寺社勢力(西大寺など)が幕府に影響力あったから、の他も
ほぼ西国武士のみでの圧勝で、幕府軍の出る幕が無く
・幕府(と寺社)が、西国勢(要注意の武装勢力)の軍功を称えたく無いから、の話もある
※江戸幕府の敵を、薩摩藩と長州藩だけで片付けたようなもの
防衛戦に勝っても、十分な恩賞(てか土地)を幕府が用意できないが
「神風のおかげ」とすれば、祈願した寺社にゼニ払えば終いにできる
さらに、東西で武士団は性格違う
西国武士(瀬戸・九州の水軍など)は海戦が得意、東国武士らは騎馬戦が得意で
西国武士(東vs西で源平・承久など対立)は幕府の監視対象の勢力 元軍が遮蔽物の無いところで独軍のMG-42で掃射されてミンチにされたんだよね知ってる WWUのドイツ重戦車大隊が北九州に集結して、上陸元軍を海に追い落としたんだよね知ってる >>655
今で言うところの在コ(高麗人+南宋兵)一掃セールだもんな。船代は高麗と南宋持ち。 無礼な国書には無礼な返書すれば良かった
それ口実で攻めてきたら、返り討ちにする
無視したうえ、使者を斬るのは完全に宣戦布告 >>664
死者切ったのって攻めてきた後なんですけど クルップ社製の88ミリ砲列が火を噴いたんだよね知ってる ただ残念ながら日本には、戦闘のプロであるパンツァーグレナディアがいた >>666
モンゴル自体攻めるときは十分に敵情集めて切り崩し工作もしまくってだしな
それを許さなかった時点で超有能だしそもそも無礼働いて攻めてきたのもモンゴルだしね
ちゃんと撃退したし北条時宗超英雄だわ アハトアハトまではまだぬるいでしょ。ドーラ出すまでは待ちましょうよ。 すでに鉄道網を完備していた日本軍はドーラ列車砲を玄界灘に並べていたんだよね知ってる >>1
東大教授の記事ってマジかよ
どこの日韓ゲンダイだよ >>669
逆に高麗と南宋経由で元の情報収集されてるのにね。赤マフラーは役に立ったっけ。 仁川上陸作戦 〇攻め:アメリカ ●守り:朝鮮
ノルマンディー上陸参戦 〇攻め:アメリカ ●守り:ドイツ
博多上陸作戦 ●攻め:モンゴル 〇守り:日本
なんかすげーヤン 本郷先生はたまにとんでもない説唱えるんだよね
そういうトンデモ説はまず歴史学会で発表した後に学者たちの理解を得てから世間に言えって
逆に礼儀を尽くしてたら以後日本はずっと中国の属国化してた可能性
北条時宗のおかげで助かった
下手すると日本人全員弁髪になってたっての >>630
秀吉が長崎を接収した時にフロイスが
本国に援軍を要請した兵士数が200人
程度だからね
そもそも米作の日本は昔から人口が多い
上に武士は中国、韓国みたいな士気の
低い徴兵では無く職業軍人だから戦闘力は
全然違うわな モンゴル軍はロクに上陸も出来ないザコでというのは正しいが
モンゴル軍は上陸したらボコボコにされると恐れて沖の島にいるうちに海戦でも何度もボロ負けし
3ヶ月も海上に足止めの上、最後は当然来る台風で始末されたw
陸でも海でも鎌倉武士が異常に強かったわけ 蒙古の軍船に夜間小舟で強襲を繰り返したというのだから
日本軍の戦意は旺盛だね
そうでなくても草原がフィールドの蒙古軍は船内生活だけでも疲弊した
食料も水も限られているし疫病も流行る。夜も寝られないとなると
確かに早晩詰むだろう 日本の英雄を馬鹿にする無知系左翼が学会によくいる
本当の左翼ですらなく無知の結果、変な中韓媚びの学説を唱えるわけ
聖徳太子が非実在ってのもアホ学説の代表だがアホ過ぎて
今は教科書でも厩戸皇子(聖徳太子)と併記になったらしいな >>684
こい言う人って気持ちはわかるんだけど。何の意味があってやってるのかわかんない。 鎌倉武士は世界で類例を見ない重装騎兵
ファイアーエムブレム重騎兵をレベル50まで育てたような感じ 朝鮮人の敗残兵が余ってて、朝鮮人にそそのかされて派兵したって聞いた モンゴル皇帝親書を持ってきた使者を切り捨てたってホントなのか? いまの大相撲見てもわかる 元が上陸していたら今頃ここは中国 モンゴルは皆殺しにするぞと脅してきたんだぞ。
今日の世界を基準にしてるんだろ。
さすがに朝日の御用学者は言うことが違うな。 チャンコロのロビイストに成り下がっている可能性がある
東大の中国思想の小島毅ってのが聖徳太子はケシカランあのせいで日本が中国の冊封体制に入る機会を失ったと英雄たちの選択でほざいてた
東大だけかわからんが中国に臣従せよって論の輩に注意 >>692
朝鮮人は無抵抗の対馬農民をなで斬りにしました。無抵抗の人には最強の韓国人です。 そういやベトナム戦争のときも
韓国軍は非武装の村人ねらって虐殺レイプ繰り返して何十万人もの混血児を生み出したけど
武装したベトナム兵と遭遇したら即逃げ回ってたんだよな
虐殺レイプした村人をベトコンっていって戦果報告してた話もある >>692
朝鮮人が生き延びてることがパラドックスですね 既に神風説なんて10年前に否定されてるのに
東大バカ(中国臣従学者)は神風で偶然勝ちを拾ったと連呼するからなあ
東大って中国の大学かと思うね
まあ学問の自由だがやりたきゃ中国の税金でやれよと言いたいわ どうでもいいけど
和泉元彌の大河ドラマはクソつまらんかった >>698
東大の歴史学は程度が低いな。特に、東洋史は京大の足元にも及ばない。 >>686
重装弓騎兵な
重装騎兵なら普通によくあるし
モンゴルも運用してたから >>692
根底に話し合えば分かり合えるw
酒を飲んで仲良くなれば争いは回避出来る思想持ってる人間だからなw
歴史好きでとことん学んでそう思える人間って逆に凄いと思うけどねw >>694
モンゴル兵は督戦隊、前戦は朝鮮兵です。無抵抗の村民に最強なのは朝鮮兵です。 >>699
この大河は概ね>>1で言ってる歴史観に沿ったドラマだった。
国際的な視点で行動する元と、視野が狭い日本との対比といった構図。
どうでもいいと看過していられない内容だと思ったね。 相模太郎 膽 甕(たん かめ)の如し、防海の将士 人 各々 力む。
蒙古来る、吾は怖れず、吾は怖る 関東の令 山の如きを。
時宗公は大国難に天から遣わされた救国の英雄なんだろうな。若くして病没しているし。 朝鮮半島を征服してる時点で見返りがどうとか考慮してないのがわかる >>1 が正しい世界観ならクソだな。それにおもねった朝鮮人もクソ。 わが韓国には国家的英雄と呼べる人物が一人もいない
ノーベル賞受賞者も金大中のみ。科学部門ではゼロだ
なんの努力も貢献もせず、ただ強国の意のまま、時を過ごしてきただけ
なのに我が国の教科書には歴史的に世界に冠たる民族だの、
東アジアの中心的役割だの空しい美辞麗句ばかり
そんなのにかかわらないでもっと本質的学問を追及してはどうなのか
民族の性質としてまったくその素養も持ち合わせていないと、つくづく思い、悩む。
我が国が発展するには、まずこの貧性な民族性から脱却しなければならない
元に降伏した高麗国王・元宗の子の王世子・ェ(しん、後の忠烈王)はその地位を保証してもらうために軍船300隻を作り日本侵攻を申し出た。
我が国の英雄とされる李氏成桂大君も明の威と謀略をもって朝鮮国王になった。肩書は高麗知事だ
豊臣軍を打ち払ったとする李舜臣将軍は、講和成立の後に勝手に襲い掛かって勝手に戦死した愚かな卑怯者だ
安重根に対してはなんの敬意もない、ただの殺人犯だ
大韓民国初代大統領李承晩は数々の自国民虐殺事件を起こした後、国を捨てて逃亡した >>711
李舜臣もあまりにタレントがいない悲しい中で絞り出した捏造レベルの英雄だしなw
現代でもそれに縋ってる朝鮮は本当に憐れみを感じるw
正直三別抄の方がガチの英雄だと思うわw
李氏朝鮮と言う暗黒時代の中のでなんとか英雄を
絞り出さないといけなかった苦しさを感じるw 安重根が英雄はマジで笑えるよなw 伊藤は朝鮮に対してハト派だったのにさ >>713
本当に憐れみを感じるレベルでタレントいないよなw
高麗時代のモンゴルに抵抗してたのが一瞬の煌めきと言っていいレベルで
ガチでタレントがいない・・・なんでこんな不毛なの?ってレベル
近年なら白善Yとか朴正煕は英雄だと思うけど親日派として糾弾されてるらしいしなw クビライは最初の使者の帰国前から日本攻める気あったけどな
299不要不急の名無しさん2020/05/17(日) 02:31:15.54ID:RGQPRm2d0
>>116 >>134
なんか使者派遣と元寇の順番を間違ってる人が何人もいるんで、使者派遣〜第一次元寇〜使者処刑までの順番まとめた
1266年8月 一回目の使者・黒的、殷弘が選ばれ、高麗経由で日本に行くが途中で引き返す
1267年6月 クビライは再び黒的、殷弘に日本行きを命じる
1267年9月 高麗王は「海路は危険なので皇帝の使者が行かなくても」と自分の側近の潘阜を二回目の使者として派遣する
1267年1月 大宰府に潘阜が到着、クビライの国書「大蒙古国皇帝奉」を日本に届ける
1268年5月 クビライが「朕、宋と日本とを討たんと欲するのみ」と発言
1268年7月、潘阜が高麗に帰国、日本からの返書はなし
1268年10月 クビライが「或いは宋、或いは日本、命に逆らえば征討す」と発言
1268年12月 黒的、殷弘が三回目の使者として日本に向かうも、対馬で拒まれ引き返す
1269年6月 四回目の使者・高麗人の金有成が来日、国書を届けて大宰府に長期滞在するが日本からの返書はなし(金有成は弘安の役後の十二回目使節)
1269年12月 五回目の使者、元の秘書監の趙良弼が派遣され国書を届ける
1271年9月 返書はなかったが趙良弼は弥四郎ら使節団を連れて帰国
1273年6月 趙良弼が六回目の使者として再来日、大宰府まで来るが帰国する
1274年10月 第一次元寇・文永の役
1275年2月、七回目の使者として杜世忠が送られる
1275年9月、杜世忠処刑
以上の通り、元高麗からの使者は元寇までに六回送られているが、六回とも殺されてない
またクビライが「日本を討つ」と明らかにしたのは最初に日本に来た使者・潘阜の日本滞在中で、
使者への対応でクビライが戦意を抱いたわけでもない
殺された七回目の使者・杜世忠は第一次元寇・文永の役の翌年に来日した使者なので、
当然のことながらこれは文永の役の原因にはならない 日本人の心情として源氏政権の簒奪勢力である北条氏に肩入れしにくいからな
かといって異国人である元朝など論外ではあるしどっちもどっち
現場で戦った武士達には祖国日本の独立を保ったことに関して感謝はするが
子供の頃初めて元寇を学んだ時は日本勝って良かったと思ったものさ 元に頭下げて穏便に済ますというのも一つの手だが
それで国内が治まっただろうか
鎌倉政権の武威が低下して内乱がおこったのではないだろうか >>715
南宋落とすために日本を懐柔しようとしたとは言え
最初っから上から目線で非礼だわいう事聞かないと攻めるぞって脅し付きの
くっそ無礼な国書送ってきたのはあっちだしwそりゃ無視しますよw
当然ですよだって独立国家ですしw
そもそも南宋落とす為の段階で最初からこれなら結局攻めてくるしw
無視して当然だと思うわ >>717
それに乗じてガチで征服されただろうなw
モンゴルってそういうのに漬け込んでと言うか
そういうチャンス待って落とすぐらいにでやり手だし
ワンチャンそれ狙ってたと思うw >>717
当時は宋と貿易やってるから収まるわけない
利権持ってる奴らが発狂する >>508
明はゲルマン民族大移動を引き起こしてないだろ アメリカだって日本に一目置くのは、先人たちが勇敢に戦った過去があるからだろう。
頭を下げるだけだったなら、いまの国際社会における日本の地位はなかっただろうな。 安重根は天皇信者で朝鮮併合賛成派
併合慎重派の伊藤は天皇に不敬だという理由で発狂した 秀吉も明の冊封体制を受け入れている
しかし最終的には軍事的に決戦した
朝鮮半島はただの戦場 >>14
知らんだけじゃんw
防塁や武士団の動員など幕府の指揮なくして実施できんぞ。
時宗が直接采配ふるってないといわれたらそうだが、時宗はイギリスでいえば
国家指導者で戦場で指揮を採る立場じゃない。
第二次のチャーチルの位置だ。 >>561
割と最近まで結構暴れる民族だったよな
安保成田以降変わったんだろうか >>722
それはあるよね
元寇で二度に渡ってボコったからそれ以後後の中華は日本攻めなかったし
その後も新たな脅威のロシアとも徹底抗戦して前評判覆して勝ったし
ボロ負けしたアメリカに対しても二度とやりたくないと思わせるぐらいには暴れたし
さらには欧州はアジアの植民地結局手放すぐらいに暴れたしw 貿易と安全保障は別の問題
経済的にズブズブでも軍事的に対立することは有り得る
というか戦争は大抵隣国同士で起きるのだからそれが当たり前
今のクワッドだって経済的には中国に依存してる >>256
それな
基本倒した相手の土地を味方に分配して報酬とするのに
外国相手の戦じゃそれができない >>717
>>720
治る(おほもる) 治まる(あろそまる) 納まる(あろそまる) 収まる(あろそまる) 秀吉が朝鮮なんかで遊んでないで
アメリカ大陸を征服してれば、今頃日本人の天下だった
痛恨の極みである 幕末に咸臨丸でやっとこ日本人の操船で初渡米なんだからw >>731
最終的に明王朝を打倒した後金(清)の動員力は、
日本より下。
実施時期、地理的位置、異民族戦争の経験など他の要因もあるけどなw >>731
だって明がケツ持ちとして超頑張ったし
皆が憧れる引きこもり皇帝!クソ無能な皇帝の万暦帝が唯一仕事したと言っていいしw
日本としても戦国時代で余った戦闘員それも中央の驚異になりそうな奴らに
負担追わせた時点目的は達成してるしな太平の世への第一歩ですよ 朝鮮出兵、大坂の陣、天草の乱
これらの背景には、武士(牢人)人口過剰問題があるな。 対馬や隠岐の殺戮は悲劇だったが
残された敗残兵の日本武士による殺戮も相手にしたら地獄だったろうな 南宋遺臣は、寛大な処置がとられたらしい。
長年日本と関係深かったし同情されたんだな。
問答無用に処断されたのは、モンゴル兵と日本侵攻を先導した高麗兵 >>715
なんとわかりやすい。ありがとう
日本が初めから使者切り捨てたわけじゃないんだね
攻め込んできた後じゃないか >>256
「お祈りして台風呼んだのは私です。褒美下さい。」と時宗に書状送っていた坊さんがいたはず ああ、本郷ね
日本の文化は朝鮮から〜って言ってるパヨクでしょ、、
テレビやらマスゴミによく出てくるよね >>692
朝日の御用達というが、こいつ、自民党の講演会出て、安倍と一緒に出席もしてるんだがな。
日本会議の関係者じゃねーの? モンゴルを承継している中国は賠償しろよ。利子もつけて。 ほっとくと睨み合いから殴り合いそして切り合いに発展する武士連中に共通の敵を認識させて
協力関係にまとめ上げた手腕は評価されるべき >>1
本郷の言い分を認めるなら、「そちらで一緒に猟をしようぜ」って手紙を送ってきた曹操に対して赤壁の戦いを仕掛けた孫権も間違っていたということだな。
けどそんなことをしたら、魯粛が孫権に向かって「あなたは降伏したらポイ捨てですよ」って言っていたとおりになったはず。
専門バカ、ここに極まれりって感じだな。 この人は高麗・李士朝鮮による対馬侵攻もアクロバット解釈してきそうだな 曹操が水軍の提督を粛清してなかったら呉は負けていた >>748
献帝や劉禅孫晧みたいに篭の鳥になるだけだろうけどな
にして孫家って代々サイコパスの家計だよな 田舎の蛮族を懲罰するぜーと意気揚々と海を越えたらそこは天地人全てが地獄だった 憲法九条史観w
憲法九条を崇める立場から元寇を解釈するとこうなるという(史実より世界観優先) 日本だからたいていの人は流すだろうが、時宗や奮戦した武士団を冒涜してね?
こんなの外国で同じこと言ってたら、批判されまくるだろうよ。 むしろモンゴル侮られてかなc
ワールシュタットなんて芸術的な手並みだけどな
アレでも鎌倉武士団最強とか思う? >>755
誰がそんなこと言ってんねんw
僻み根性、相対化したい思いがそう見えちゃうんでは?w >>755
この頃の元軍に対する認識は精々中華王朝への略奪者ぐらいなイメージで
まあそれでもビビるには十分だが
ワールドワイドに世界征服中なんて鎌倉の中の蛙に知りようもないかな
もっともモンゴル側にしたところでワールシュタットをやるためには
モンゴル兵だけでなく騎馬も渡海させなきゃならんし
更には騎馬が縦横無尽に駆けられる戦場を設定しなきゃならんから日本戦線じゃ難易度激ムズ >>163
形だけ残れば良いというなら別だが
事実上滅びてるだろ
日本が同じ状態になってたらと考えればよろし >>759
高麗を事実上滅亡したと言うのはさすがに無理があるな
それならば実際に王統も国の形も滅びた国々のことはなんて表現する?
属国になるのは滅亡ではなく一つの生き残り方だぞ
しかもありふれた生き残り方だ 鎌倉武士の長弓、イギリスのロングボウ
同じ島国で同じような強力な弓が兵器として重要な位置にあったって
何か不思議な感じだよね
島国うんぬんは、ただの偶然なんだろうかね?
それとも島国だと弓がどんどん威力を高めていくような必然性があるのかな? 歴代大陸王朝は、朝鮮半島を直轄支配するより間接支配にとどめるのが基本だった。
軍をすすめても半島で他の地域への展開が難しい、生産力が限定的などが要因かなぁ。 なにが僻み根性か知らんが防衛戦なんぞ勝って当たり前
「倭寇」が侵略出来たってんなら自慢してもいいと思うけど >>764
その当たり前ができない国が多かったから
元の領土があんなに広大なものになっていた >>764
防衛が簡単なら高麗も属国にならなかったろ (教科書で習う元寇)
「やぁやぁ我こそは・・・なっ!名乗りを上げる前に不意打ちとは卑怯なり!」
「なんじゃあの兵器は!これはたまらん!退却じゃあ!」
(悠々と船に引き上げる元軍、しかしこの後台風が元軍を襲う)
↓
一夜にして消え去る元軍
「わ、我々は勝った・・・のか?」
史実
(文永の役)
元軍の上陸に九州武士の参集が間に合わず、博多で迎撃をする作戦を取るが
赤坂に陣を敷いた元軍を発見すると元軍を襲撃
赤坂の戦い、鳥飼潟の戦いで勝利し元軍を敗走させる
鳥飼潟の戦いで敗北した元軍は軍議で撤退を決めるが、撤退の途上暴風に会い多数の軍船が沈む
(弘安の役)
元軍は東路軍と江南軍の二手に分け、東路軍が先発するが
対馬・壱岐で日本軍の猛攻を受け疲弊してしまう
江南軍と合流後、鷹島を占拠し大宰府に侵攻するという作戦を取るが
元軍の船団に日本軍船が集結
鷹島沖海戦、御厨海上合戦で元軍をフルボッコにしてしまう
その頃、幕府正規軍6万騎が北九州に向け進軍中だったが
中国地方の長府に到着した頃には元軍は壊滅していたという 史実を研究するのが歴史学者だろ
こうやってればどうのこうのなんていらない >>762
小規模な砦の奪い合いやってたら弓が重要になんじゃね
基本的に陣地防衛用の武器だから >>762
図星だった?
武士団が世界一最強なんて誰も言ってないと思うぞw
あなたがそう思った記述を示してほしい。
防衛戦に勝利したことを日本人が先人の功績として評価
するのが気に食わないのか?
ナショナリズムを感じて許せない?
韓国人が朝鮮出兵での李氏朝鮮側の抗戦を称賛している
のはどうなんだ?
倭寇w
お里丸出し隠す気もないのね。
前期倭寇は、日本統治機構、支配層になんら服属してない
ただの私掠団。
なんで軍に数えるんだ? >>766-767
見事に陸続きですね、つーか朝鮮って地政学的に地獄だよな
当時は日本も地続きだったん? >>767
高麗も島に籠って3年ぐらいは抵抗した
やはり上陸作戦は難しい >>773
お前のレスには防衛戦は勝って当たり前としか書いてねーだろ 敵が上陸したら追い払い、陸に拠点を
作らせなければ、その内、嵐もあろうと
考えるのは当然のこと >モンゴル帝国は高麗が30年間抵抗する間、
>6度にわたり朝鮮半島全土を蹂躙し、
>60万人の高麗人を拉致して遼河デルタに移住させた[13]。
モンゴルに負けるってのはこういうこと >>776
武士団ホルホルしたけりゃすればいいじゃないですかwすごいねー武士団
(海外遠征無理ゲーなんて>>1でも指摘されてんだけど) 平和に入植してくるんじゃないからな
先祖伝来の土地全部没収されて僻地に流されて、弱い奴らは奴隷
そりゃ必死に抵抗するよな ベトナム(陳朝)パネェなぁ。ここまでくるとなぜフランス軍に負けたのかと思えるw >>769
今時神風吹いたって寝言言ってる奴は信用しない方が良い
金方慶とか10万もの兵を鷹島に置き去りして無事高麗に逃げ帰ったし
海戦で船破壊されて10万を高麗に戻す事すら出来なかった
そしてそこにエンジョイ&エキサイティングな九州武士団が鷹島掃討戦を展開
7万が殺され3万が捕虜になった >>782
高麗の船は意外と頑丈だったらしいな
南宋の船がヤバかった >>786
農機具とか積んでたみたいだし軍船というより入植用の船だったのかもね >>781
防衛に成功した武士団を日本人として讃えるのが、そんなに気に食わない?
韓国人が李舜臣評価するのを見て、「日本を征服できると思ってんのかww」
なんて言って否定する日本人なんていないだろw じぁあ来るなよ?
来たから追い返したんだろ
只それだけ
ベトナムと日本だけだよ追い返したのは >>788
ネタで憲法九条史観なんて上のレスに書いたけど、案外ガチかもしれん。
防衛戦争の意義を認めるってのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」 を否定しかねない。 李舜臣は何もしてない
休戦成立してから日本軍襲って自爆して死んだだけ 博多行くと歩道沿いに防塁に似せた石垣がある
で、道路挟んだ海側に中国と韓国の領事館があるけどそこだけ防塁無い
やっぱ気をつかってんのかなw >>791
東大なんて「8月革命説」の牙城ですからね。そこでお偉くなるには、こういう考え方が必要なんじゃないですか。 >>256
そういう見解を教えてこその教師だよな
まあ>>3が聞き漏らしたのかもしれないが >>792
IDを追ってレスの経過を追ってくれ。
ナショナリズム離れて純軍事的な評価ってのもあっていいと思うし
否定しないよ。
なんかケチ付ける人が流入してんだよ。 鎌倉武士って戦うモチベーションは恩賞の土地をもらえるために
命がけで戦った、ってだけで日本に対する愛国心なんてものはない
そもそも愛国心の源泉になる民族主義が生まれたのがどこの国でも近代、19世紀に入ってからって常識になっている
現代人の感覚からいうと外国人と同胞との区別が曖昧って感覚のほうが理解しづらいけれど
民族主義に芽生えたのって、かなり近代に入ってからだと言われているんだよね
だからこそ西欧列強は民族主義に芽生えていなかったアフリカ、アジアを次々に植民地化できたって言われている
しかし日本のような島国だと、日本人と外国人とは海を隔てて明確になってしまっているから
案外、大昔から民族主義のような感情が芽生えていて、そういう意味で強い国だったのかも知れないなと想像できそう 2回目が博多湾じゃなくて、
鎌倉の由比ヶ浜だったら、果たして勝てただろうか?
由比ヶ浜に上陸した元軍により、投石器で撃ち込まれる無数のテツハウ。
テツハウの一部は鶴岡八幡宮へも到達。
鎌倉は焼け野原になっただろう。
そして騎馬に蹂躙される関東平野。
1ヶ月後、関東平野はモンゴル人の牧草地として定住が始まる。
半年後、完全降伏し、寝返った関東武士団を組み入れたモンゴル部隊100万の軍勢が、東海道と中山道から京に攻め上る。
そしてテツハウ投石器で京の都、及び南都奈良も灰塵に期す。 李舜臣の実態はただの駄目軍人
wiki眺めればすぐに分かる >>797
自己紹介かな?オッサンってすぐ政治と宗教と野球の話にもってくから嫌なんだよね
スレタイも>>1も読めない文盲が何しに来てるのか意味不明
何だよナショナリズムって電化製品か? >>798
民族主義が近代以前になかったってのは、疑問がある。
五胡十六国時代の冉閔は、民族浄化を行ったという記録がある。言語、文化が
ことなる民族を異質と感じるのは、近代、近代以前と関係なくあるんじゃないの? >>801
鎌倉から山のように中国陶磁器やら銅銭が出土してますやん。
博多から全部担いで来たん? >>802
武士団を世界一とホルホルしてると批判してスレの流れ変にしたのおまえじゃんw
そのレス出してくれよw >>798
九州に武士団が置かれたのは平安末期の刀伊の入寇で、平氏を西国に送り
それが鎮西平氏となって九州武士団を形作ったのが始まり
松浦党とかも鎮西平氏に含まれる
最初から高麗からの侵入に備えた武士団だったわけ 実際モンゴル兵って数が多いだけの雑魚だったし北条の判断は正解じゃん >>804
定説ではそうなっているんだけれど
やっぱり現代人からすると理解しにくいよな
島国である日本人ならなおさら そうかの信者いわく「本当に日本を救ったのは日蓮大聖人さま」
この点はライバルの顕正会も全く同じ
やはり日蓮系は頭おかしい >>803
そりゃ対馬や壱岐あたりで、風待ちして、ベストコンディションの時期を見計らって出港でしょ。
途中、熊野串本あたりで中継基地を作るって寄港するもよし。 >>1
時宗を大統領に置き換えれば韓国の歴史そのものだな >>799
どこでも同じ
上陸しても全く歯が立たず毎日船に逃げ帰るだけだったんだから
で、台風が来ても上陸できずそのまま沈むのだから弱すぎる。
恐らく騎馬戦以外はクソ弱い軍隊だったのだろう。 >>811
冉閔は漢族出身だから、北方からなだれ込んできた民族を蔑視していたと考えられる。 >>808
ワールシュタットの戦いで、掻き集めのヨーロッパ連合軍が大敗北したの知らない人ですか?
日本も同様に、地方から掻き集めた御家人の烏合の衆。
当時は方言という言葉の壁もかなりあったでしょう。 そもそもモンゴル帝国からの使者を問答無用で打ち首にした
という事件をモンゴル帝国は知っていたのだろうか? >>799
そんなめんどくさいルート通るなら舞鶴か敦賀から京都に南下したほうが確実だと思うんだが >>814
そんな事はない。
陸戦に持ち込めば、有利なのはモンゴル。
早々と上陸して、浜にパオで司令部建設すれば良い。
夜は夜通し、かがり火焚いて夜襲に備える。 結局のところ、スペイン潰したオリバーレスと
日本を潰した李家と北条氏は同じって事じゃないですか。
無策無能のくせに専制極めて大失敗っていう。 >>816
ヨーロッパ軍がさらに弱すぎただけだわな
まぁモンゴル軍が騎馬で戦えたんだろうけど 当時の日本人はサイヤ人だぞ
モンゴルの支配下に入れと使い送られたから切り捨てて
かかってこいやってやってたのが北条時宗 >>817
それは一回元寇受けてからの対応
最初は拒否してお帰り頂いてる r
>>819
だから陸戦では歯が立たなかったから毎日船に逃げ帰って漂流してたわけで
何日もそうやって逃げ帰り続けてるうちに台風が来た
台風は神風でもなんでもなくただ陸戦で圧倒したからモンゴル軍が上陸して起点を作れなかっただけ しかし、日本史の分析も酷いよな。
時代の経過で新しい情報が出た結果として認識が変わったのではなく
分析の側面次第で変わったというように読めるからな。 >>827
いや、スタグフレ起こしまくって
AI社会にする気満々だったでしょ。
ハプス○ルクが解決したけど。 しかし何だろうね。
どうして何時の時代もこのパターンに嵌るんだろうな。
人間って学習能力あるのかよ。 >>819
モンゴルが陸戦無敵だったのは
騎馬兵の機動力戦法が使えたから
日本への侵攻では、十分な数の騎馬は持ってこれなかったし
そもそも騎馬戦に有利な大陸のような広い野原が日本には少なくて
そういう戦場になりにくい
だからモンゴルは日本軍相手に苦戦した 北条の後詰本隊六万騎が九州に到着する前にモンゴル壊滅するんだもの >>832
一回目の侵攻の戦略目的は
元が侵略するのに手間取っていた南宋の
背後にいた日本を滅ぼすことで日本の南宋貿易ルートをつぶして
日本から南宋に供給されていた軍事物資を止めること
朝鮮の進言とかはメインの理由じゃない 服属したのが後になるほど下位に扱われるというモンゴル支配体制で
新参の高麗人は、自分より下の民族を作りたかったのかな? >>819
夜襲に備えてたけど四方八方から死ぬほど夜襲が来て耐えられず舟に戻った
その舟にも夜襲が連日連夜きて地獄絵図になった >>835
日本側じゃ高麗兵は殺処分対象になってるよね?
先導した協力者と認識されてたんだろう。 >>831
モンゴル騎兵に背水の陣で戦えというのはヒットアンドアウェイのアウトボクサーに相撲で勝負しろみたいなもんなんだろうな >>835
だったら寧波あたりを陸路で潰した方が早いじゃん。 >>835
戦略目的上はそうだけど、制圧したばかりで不安定な朝鮮を借り出すには
自発的な協力がないとハードルが高いわけだから
朝鮮の進言は発端ともいえるのでは? >>819
ID:4TNTASnH0
そんなことよりも、チンコが短くて得したことを教えてくれよ
チョン >>841
制圧したばかりって当時の高麗はモンゴル王室の親族じゃないの? 日本出兵に高麗側の戦略的メリットなんてないよね?
政治的打算としか思えない。 北条が駄目になったのは時宗より次代の貞時の時代
御家人の内紛から、有力御家人の壊滅から人気取りの為の徳政令まで
得宗家弱体化は明らかだった >>839
狭くてパルティアンショットも糞もないからな
河原なんて石がゴロゴロか背の高いすすきや葦だらけだろうし 千を越える部隊が数十の武士相手に逃げ回ってるようでは最初から勝ち目なんて無いけどね
重装弓騎兵て何??って感じだったのかなw >>849
限られた恩賞地の目録には多数の御家人が名を連ねているね。
実入りはほぼなかったと思われる。そりゃもめますわな。 大半が朝鮮人と中国人で
モンゴルの騎兵なんか来てないんじゃないの? >>847
竹崎季長とか5騎で5000の兵に突撃するし 戦争って莫大な金がかかるからな
土地も賠償金も何も取れなかったら破産するよな >>847
そもそも世界史的にもレアだからな…
弓騎兵が白兵戦もめちゃくちゃ強いなんてたまげるだろう >>850
少数で殴り込みかけてくるし、
ウンコ手りゅう弾をなげつけてくるし
モンゴル兵士たちにとっては日本兵ってゾンビみたいな恐怖感あっただろうだろうな >>853
旧日本軍の舩坂 弘みたいなのが何万単位でいるんだろ…
しかも機関銃とか照明弾とか音の探知とかがある訳でない状態でしかも敵地
絶対無理だろw ×「やあやあ我こそは」
○5騎で先駆け、多数のモンゴル兵の首を取って帰陣するエンジョイ&エキサイティングな竹崎さん 三別抄「ウリたちが元から日本を守ってやってるから援軍をよこしてチュセヨ」
朝廷「はて、何のことでおじゃるか」
時宗「無視していいです」
元、大軍を派遣
三別抄「早く援軍よこすニダ」
朝廷「無礼でおじゃるな」
時宗「助けてほしいなら助けて下さいって家」
三別抄「た、助けt」→滅亡 >>1
返答の使者をたてないだけで一国を滅ぼす理由になる思ってるんのは流石にアホだろ 2回目の元寇の時には農機具などを大量に持ち込み
博多に拠点を作ってそこにどんどん兵を送り込んで日本を征服する
という考えだったようだ
しかし元軍って地上戦でも地形などを事前に索敵して
じぶんの有利な地形におびき寄せて一気に叩くという戦法で数々の戦功を立てたが
少数の集団で四方から襲ってくる日本兵にはどの道苦戦する事になりそうだな
地方の御家人がそれぞれ地形を熟知してるし >>830
鄭和の大航海って知ってますか?
万単位の人員が上海から大船団で出港、マラッカ通過して、更にモルディブ諸島経由で、インド洋を縦断してペルシャ湾に到達してます。
途中のジャワ島では軍隊繰り出して、戦争に介入までしてます。
元の次の時代、明の初期ですけど
航海術はそれほど進歩してない時代。 >>857
本郷先生は歴クラの中でも、ちょっとあれな扱いだから…
とはいえ、こういうニュースになってくれるだけでありがたい存在ではある 弱いとか言うつもりはないが鎌倉武士無敵みたいのは疑問だな
欧州の重装騎兵をちょっと軽くしてオプションで遠距離の攻撃力をつけたぐらいで
そらまあ準備の整ってない雑兵の集団に突っ込めれば強いんだろうけど
集団戦で欧州重装騎兵の破壊力出せるようにも思えんし
兵種としては金がかかる割には使い方難しそうだけどなあ 元寇はモンゴルだが、日本にsemete
来たのはモンゴルの属国であった
朝鮮韓国。モンゴルの意図は日本への
親書えあったら、韓国の蛮行で
元寇が勘違いされている
説も最近は濃厚になっている。 日本って東アジアの中では馬の育成で考えると
関東平野があるから有利な場所らしい
しかし、それでもユーラシアみたいな大平原が
無いからモンゴル騎馬軍が活躍できる事は無い
わな >>850
竹っちは、恩賞貰うために話しを盛ってないか? 文永の役と弘安の役の間に南宋が滅びているし
ジャワあたりの東南アジアにも出兵しているから
日本にだけ友好的だったみたいな主張にはムリがあるだろ >>819
今どきパオなんて言ってるあたりよっぽどの老人かシナチョン関係だろお前 >>755
全盛期の四狗四駿が精鋭率いて来たならそら蒙古ぱねえってなるけど
実際はヒマしてた高麗人と南宋人連れて来た結果アレだからな
鎌倉武士ビビらせたきゃ百眼の妖怪でも連れてこいや >>861
欧州の騎兵は槍持って突撃だけど日本のは敵陣まで乗り入れたら下馬して刀振り回してたんじゃね >>855
大河ドラマ時宗で、先駆けしたダンガンが口上の途中でテツハウの直撃食らって討死するシーン思い出した。
それ見た竹崎は、外国と日本は戦争の仕方が違うことを学んだシーン。
外国の戦は勝てば何でもありだと。 地上戦でも個々に独立した複数の勢力が、いい意味で統率も取らずに四方から攻めてくるというパターンも
元軍にとって未知の戦いだったのでは?と予想する >>851
なので、追撃論も出たらしいな。
朝鮮南部あたりを割譲しようとしたけど、対馬や博多商人が猛反対した。
攻めるより、貿易で儲ける方が何倍も利があると。
実際、次の時代、室町幕府は貿易で利を得て繁栄したし。 >>772
>>715の通りだから使者殺したことは文永の役の後、弘安の役の前に入れることになるな 例のあの絵はてつはう食らいながら逃げてる図だからこりゃまずいなって後から元兵を描き加えてるよな >>861
別に無敵と言うつもりはないが、遠距離攻撃をオプションと軽視するのはどうかね
むしろ遠距離攻撃は戦において常に最重要だぞ
むしろ重装騎兵が、遠距離攻撃と機動力を活かして戦えるってのは相当優位性がある
欧州の重装騎兵ってのをどうイメージしてるかは分からんし、なぜ武士団にその破壊力が出せるとは思えないのかもわからんな
そして戦は常にその環境や状況に応じ、歩兵から騎兵に至るまで各種特徴の異なるユニットを、適切な組み合わせやタイミングで投入してこそ勝利を得られるわけで、重装騎兵の破壊力という曖昧そのかつ局所的な部分で語るのはあまり意味はないな >>861
まあ強いかどうかは分からんが、日本の地形での元軍の迎撃には適してたんじゃないか
刀や槍をもった重曹弓騎兵の軍装や編成は健児(数十人で一国の治安維持をしていたエリートソルジャー)の派生という説もあって
少数の運用のほうが合ってる気もする
実際、乱戦で討ち死にが多くなると高コストが故に足軽にとってかわられるわけだしな >>867
実際、パオは機動力の要だよ。
何処でも30分で組み立て自在だし、大雨降っても獣の脂を染み込ませたフェルト生地は水を通さない。
ワールシュタットの戦いの時、こういう優れた野営設備を持たなかったヨーロッパ連合軍は、雨に濡れて低体温症で多くが命を落とした。 >>876
槍はこの時代には廃れて存在しない
薙刀ならある >>855
竹崎はあの時首とってないよ
少数で多数の敵兵に先駆け突撃したことと(一騎討ちではない)
やあやあ我こそは〜はなんて言ってない(そもそも味方にしか声かけてない)のは確かだけど、
劣勢になってやばかった所を後からきた白石通泰たち百人くらいの武士に助けられたって場面
首級はあげてなかったから直ぐには恩賞もらえず、
後で鎌倉で恩賞奉行に訴えて先駆けの功績を認められて恩賞もらった >>859
ムスリムの鄭和ですね。基本は敵対せずに航海してるんですよね。あなたの案は敵地を突っ切る計画ですが。
ジャワについては内乱に乗じてスラバヤを急襲してますけど、内乱中で良かったですね。ジャワ島ではどこで風待ちしたんですか? まあ元にしてみれば、支配下に置いたばかりの朝鮮や宋の軍事力を削っておかないと
反乱されたら、厄介という意味もあって
日本を攻めて日本を支配下におくのは最良の結果だが
日本と激戦になって、宋や朝鮮の軍事力を削るのも目的の一つだったんだろうなと考えれば
負けても、最小限の目的はかなえたことになるんだろう 海外で元と戦った軍隊って簡単におびき寄せられて
司令官を討たれて、壊走して追討されて殲滅っていうパターン多いけど
正直戦下手だよね >>871
良い見方かもね
大規模な陣形を組んだ集団戦って、あまり訓練されていないし戦意も忠誠心も高いわけではない大勢の兵士達が、指令が届く範囲で局所的あるいは大ざっぱな指示に従うことで、簡単に逃散されず効果的な戦力とする方法だからね
めっちゃ意識高い系の、機動力と打撃力を兼ね備えた小規模な集団が、わらわらとやたら突っ込んでくるのを繰り返すってのは勝手が違ったところもあるだろうな 小名ほど功名に流行って抜け駆けをするもの
抜け駆けが横行すると陣も乱れ、敵方に付け入るスキを与えまする
ここは一層の軍紀の粛清が肝要かと >>869
本当に山肌を駆け下りたかどうかは知らねど機動力でかく乱して勝利を得るってのは義経流ではあるかな
本当はタイミングと目標が分かってないと暴れてるだけじゃ意味はないけど
まあ元寇に限れば上陸直後で統制が取れていないところに突っ込んだのは正解かもね >>883
カルカ河畔の9日間偽装撤退は
スケール違うなって思うw >>884
隊列を組んで戦闘するのは相当な訓練が要るよ >>861
強いっちゃ強いだろうけど過度な神格化はねぇ・・・
神風民の事言えんわ
>>868
彼らも大々的な上陸戦は知らないし出来る訳もないし
大陸での戦いぶりを見る限り無敵としか思えないけどやはり活動限界ってあるわけで
海の向こうなんてそれこそ限界の更に向こうですわ趙さんもそう言うてはる >>882
それよく言われるけど、敗戦によって元はそのために費やした莫大な戦費や各種資材を全く無駄にしてるし、さらにそれを行うことで治安も乱して、日本攻略のために準備したあらゆる軍需物資や兵たちを投入することになったりと、全然メリット無いぞ >>843
元寇の直前に帰国した忠烈王がフビライの娘を妃にしてる
(高麗は従属国なので王子は人質として元で育つ)
日本攻めましょ私も協力しますよ戦艦とかも出しますよと進言したのはこの王子
ただクビライはその前から宋と日本を討たんと欲するとか言ってるので言い出しっぺはクビライの方
ちなみに日本への最初の使者の帰国前に言ってるので
攻める気のなかったクビライが日本にスルーされたから怒って攻める気になったわけじゃない >>890
旧支配層の高級軍人だけ処分して支配すればいいだけだしな
この頃の兵なんて庶民と同じで貴重な労働力でもあるのに >>888
俺はそこに訓練がいらないとは全く書いてないし、示唆もしてないんだがなあ >>892
その通りなんだよね
国民国家ではない時代の統治の仕方として、全く不要かつ有害な方法だよね >>799
そもそも具体的な鎌倉の位置、どこの海からどう行ったら鎌倉を責められるかを元も高麗も知らないのでは
綿密な軍事作戦を立てるには地理情報が必要になる
モンゴルは戦争の前に偵察の役目でもある使者を送るし
日本に対してもそうだったけど文永の役前の元や高麗の使者は九州にのみ滞在させられて
使者が京に行くと言っても日本は行かせなかったし鎌倉にも行かせてない
だから記事に取り上げてる趙良弼って人も一年も日本にいても見たのは九州だけ
文永の役直後の使者は鎌倉に送られたがそこで斬首された、
その次の使者は鎌倉にも送られず博多で斬首された
それにてつはうって後世の爆弾よりずっと威力は劣っただろうし
焼野原にするほどの威力があったとは思えないけど
大量に持ってこれてたかもわからないし
それに将軍と執権こそ鎌倉にいるものの日本軍は鎌倉に集中してるわけじゃなく
弘安の役前からは九州はもちろん中国地方にまで防衛体制を拡大していて
そっちには北条得宗家の人間も行ってる
時宗の後継として他の北条得宗家の男子が九州中国地方の軍勢を率いて戦うんじゃないかな
将軍は既に源頼朝子孫じゃなく皇族将軍だから適当な皇族を天皇に任命してもらえば次代も続くし >>875
騎馬での集団戦とか想定もしてないし訓練もしてないでしょ
重装騎馬の突破力はただでさえ恐ろしい騎馬が集団になって押し寄せてくるところにあるんで
単騎駆け多数じゃ威力半減
ってもともと騎馬の集団戦するような地勢ないからしょうがないんだけど
長弓も集団で撃てれば機動力と相まってそれなりに強力な武装だろうけど
やはり単騎がばらばらにでは指揮系統が機能してる大軍にさして意味があるとも思えないかなあ >>895
米軍の日本上陸作戦ですら最初は南九州に拠点作る戦術だからな
日本側の想定とほぼ一致していて軍事学の常識ってもんがある 昔の軍隊は侵略してないと死んでしまう病気
無駄な公共事業と同じ
ピラミッドも万里の長城もモアイも全部そう
上から下まで利権の構造が出来るから、国が倒れるまで止まらない >>895
長門にも防備敷いてて、実際に長門にも襲来が来たわけだから
実際に来れるところは限られてるんだろうな やっぱ、モンゴルは馬を使わなきゃ駄目なんだよなー
日本って山ばっかりで、馬使えないんだよなー
で、最初の脅しで屈服してくれなきゃ、
どうにもならんかったんだろうなー キングダムで例えると一般兵士が武神ホウケンみたいな武力を持つ
桓騎軍みたいな鎌倉武士団だったと思えば、合従軍でも勝てる訳がない >>799
一生懸命って言葉は元々、一所懸命って言葉だった。
鎌倉武士などが正にそれで、自分の領地を守ることに命を懸けた。
西国の御家人には、元々東国に領地を持っていた御家人が多く、源平合戦の恩賞で広い領地を得て
移り住んだ者たちが多く居るわけだから、九州の御家人が強いのであれば、東国の御家人も負けず劣ら
ず強い。
しかも鎌倉は背後が山なので、海からの攻撃に対しても、山にこもって守れる立地。
九州で人工的な石積み程度で守れた相手に、天然の要害にこもって防戦して負けるわけがない。
山だから騎馬の活躍の場はないし、山にめがけて鉄はうなど投げても届かないか、戻ってきて誘爆するか
だろう。
日本側の長弓は、ただでさえ射程が長いのに、重力に反することなく上から下に目掛けて射るのだから
威力は絶大。
それに、仮に鎌倉を抜くことができても、関東平野は平野など名ばかりで、防備に長けた高台も多い。
兵糧を根こそぎかき集めて、諸城にこもられてしまえば収奪など出来ないから、継続的な補給手段がな
ければモンゴル軍は飢える一方だ。
そこへ各地から馳せ参じた御家人達が集まれば、モンゴル軍など大量虐殺されるのが落ちだ。 >>900
ところがどっこい馬も来てんだよねえ。
あまり知られていないが蒙古襲来絵詞に馬に乗ってるモンゴル兵が
描かれている。 >>896
書いたとおりなんだが、その突撃だって適切なユニットとの組み合わせ、或いはタイミングやその状況に即していなければ、効果は低くなる訳よ
重装騎兵の突破は無敵じゃない
ちゃんと対策されれば突撃をしようとも思わん
さらに隙ありと重装騎兵で突撃して突破しても、実は策にハマっただけで歩兵どもにわらわらと包まれて消滅ってことも珍しくはない
集団の兵士たちに対して騎兵が強いのは、まず機動力なんだよ
大規模な歩兵たちによる陣形って、実際かなり融通が利かないからね
横から機動力を活かして騎兵が来たら、一斉にそっち向きになって対応するってことが出来ない
そう言うときこそ騎兵の質量と移動エネルギーが効く
陣形が乱れ動揺したら、兵士たちは一気に瓦解しかねず、それはもはや戦力ではないからね
集団戦法はその陣形が崩れればもう負けで、その点あちこちから機動力を有した重装弓騎兵が突撃と撤退を繰り返したら、陣形を維持した戦力を保のはなかなか困難で効果的よ >>904
騎兵も描かれてはいるんだけど、歩兵の方がかなり多いんだよね
まあ絵巻に書かれた兵だけで割合を図ることはできないだろうけど
渡海戦だしもってこれはしても大量に持ってこれたか?というとまた疑問
>>817
文永の役の前の使者のことならそんなことしてないよ
使者はみんな生きて帰ってるし、趙良弼のレポートも
帰国した後にクビライの問いに答える形で報告したもの
文永の役の後に殺された使者のことなら、
日本が使者を殺したことを伝えなかったので遅れたみたいだけど
それでも弘安の役の開戦前にはもう元に伝わってる >>905
いやまあ
そのユニットを組み合わせるにあたってなかなか難しい兵種である上にコスパ的にどーなのよって話で
元寇に関して言えば上陸直後で体制の整ってない相手を強襲するには適してたんだろうけども
騎兵の機動力を迂回なり横撃なりの打撃力に繋げるためには集団戦の訓練は欠かせない訳で
鎌倉武士はそういうユニットではないから機動力といっても戦場までの移動が主なんだけどな どこをどうみても中国大陸制覇した奴に呼び出されるなんて、体育館裏に番長から呼び出し受けるようなもんだろ
いくらなんでも、友好的とはおもえんわ >>799
東路軍は4万程度なのにそれで上陸戦から地理も知らず戦って関東武士にそうそう勝てたとは思えない
全軍が西日本に集結してたわけじゃなく東日本への襲撃も考えていたのか東日本にも軍勢はかなり残されてたし
最初は奇襲で混乱させたとしても1か月を待たずに態勢を立て直されるんじゃないかな
当時の鎌倉は御家人同士の戦いが起きることもあれば地震での被害から再建もされてたこともあるし
戦場になったり一部が焼けたとしてもそれで絶望したり降参するほど弱々しくもなさそう
江南軍が合流するまで待ってから移動してたら途中で台風に遭いそうだし
てか寝返った関東武士団を組み入れたモンゴル部隊100万の軍勢、って元軍は何十万の想定?
2回目の弘安の役の時は大きく見積もっても15万人くらいだし
元にはそれ以上の軍あっただろうけど、その軍を運ぶ船と船員がなければ日本には運べないよ
その船と船員の供出は高麗と旧南宋の沿岸部に集中してるし
元軍を仮に50万と想定したら、弘安の役の三倍以上もの造船と船の徴収と船員と造船工人の確保って
攻めてくる前に高麗と旧南宋が干上がるか流石にキレて反乱起こすんじゃないかな
特に旧南宋は弘安の役前に元に征服されたばかりで弘安の役後にも反乱起きてるし >>899
そういうのも幕府の、北条時宗の命令でされてるんだよね
幕府からの命令でなされた事前の防衛準備は多々あったのに大した事してないで済ませてるし
勝ったのは神風のラッキーとあるけど台風来るまでに持ちこたえたのだってその準備の効果と
武士が戦った結果2か月後の台風の時期になったからだし
評価すべき所を評価してその上で不足を指摘するのならともかく
端からろくに評価してないってのはね… 鎌倉時代には結束のあった武士団だが、応仁の乱ぐらいになると
とんでもなくグダグダになるな
あのときに元が来てたら確実に終わっていただろう 外敵はまた別だろw だから中国は日本を悪役にしてくる。国内がまとまる >>230
>>230
その件、アイヌ(侵略者)側から樺太・大陸を侵略して、元から懲罰されて負けて服属した
まず北海道周辺に、先住民(モヨロ・ウィルタ・擦文・ニヴフら)がいたところ
新たに、
13世紀ごろアイヌ文化が成立(オホーツク系と交雑)し、先住民を征服して勢力拡大
(その拡大過程で)、アイヌ(加害者)が樺太・大陸のニヴフ(被害者)を渡海侵略
〜アイヌに害された地元民が元に訴え
〜地元の訴えを聞き、元軍がアイヌ賊軍に防衛出動を重ねる⇒アイヌは負け元に服属
※以降アイヌは、歴代の中国王朝に朝貢 (アイヌのサンタン交易:古代中国への朝貢交易)
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83%82%83%93%83S%83%8B%82%CC%8A%92%91%BE%90N%8DU/5/
≫ 日本では鷲羽は、アイヌ交易の代表品として捉えられており[25]、
≫ アイヌは鷹羽・鷲羽流通の掌握を狙っていたと思われる[26]。
アイヌ(侵略者)に対し、元軍が船・ソリ(犬・トナカイなど)で排除+懲罰を重ねると、アイヌは服従
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/hakubutukan/education/d061522_d/fil/tatakai.pdf
★> アイヌはサハリンに侵入するだけでなく、
★> 大陸に渡って村々を襲い、略奪をおこなって. 元軍の手を焼かせていました >>874
書き加えられたと言われる真中の三人の濃い元兵を除いた状態だと、
左側の逃げる多数の元兵に対して竹崎季長が向かってる構図になるよ
てつはうも後から書き加えられた説あるけど、それを別にしても竹崎季長と馬の負傷は矢傷で
てつはうでの負傷は絵からは確認できないし詞書にもてつはうのことは書かれてない
それに竹崎季長は自分が窮地に陥ったこととそれを味方に助けられたことは正直に書いてる >>913
いや、さすがに外敵きたら一気団結したと思う
国内でもめてる場合じゃねーぞってのはよくある話
で、片付いたらまた揉める 組み合わせに関して、日本の場合は小集団で重装騎兵と歩兵複数人が基本ユニットでしょ
その小集団が集まり合った軍団が、ある程度の組織として機能させることくらいはちゃんとやれてたわけでさ
元ががっちりした集団戦なら、日本軍は緩い集団戦、ただしめちゃめちゃ戦意が高い
だから元に対して対抗できていた
あと移動だけってのは間違いだろう
なにしろ大鎧は馬上から射る事に主眼がおかれた装備だし、反りの大きい太刀も同様に馬上での戦いに最適化されているからね >>913
まあ時宗の時代は軍事政権な上に得宗独裁も成立した一番強固な時期だからな >>899 >>895
日本は北方からの侵入も警戒してたし、敦賀(当時の国際港)も武士で防衛してた
ただし…そもそも元は、アムール川以東の地域を詳しく知らなかった
>刀伊の入寇 - Wikipedia
>また、いわゆる元寇(文永・弘安の役)前後に
>日本側は北方からの蒙古の来襲を警戒していた事が知られているが、
>これに反して元朝側の資料で
>アムール川以東の地域の地理概念上に日本は含まれていなかったようである。
>この認識の差異も内陸のアムール水系への
>交易路のシフトが大きく原因していることが推測されている[9]。
さらに、「太平記」より
> 此企兼てより吾朝に聞へしかば、其用意を致せとて、
> 四国・九州の兵は筑紫の博多に馳集り、
> 山陽・山陰の勢は帝都に馳参る。
> 東山道・北陸道の兵は、越前敦賀の津をぞ堅めける。
不凍港を使ってすら、北回りは海流の関係で非現実的だ
もしくは、
アイヌ(加害者)の盗賊集団を元が征伐した際のように
間宮海峡が結氷する時期、ソリや徒歩で樺太に渡って基地設営する?その維持は?
ここの「北回り」や「鎌倉狙い?」なんて、地図も海図も無線もGPSも無く、
当時の操船技術では帰路(偏西風と海流に逆らう)が超困難な、片道切符のアホ作戦 だいたいモンゴルが取ったのは平原地域だからな
平原地域での騎馬戦法は圧倒的だったんだろうな
しかし山岳地帯になると、かなり弱くなる
さらに古くは、フン族なんかも、おそらく少数で騎馬戦法によって
ヨーロッパの平原地域を席巻した感じ >>799
てつはうを大量破壊兵器かなんかと勘違いしてない?
てつはうで鎌倉を焼野原にして京都も奈良も灰燼にって
どれだけてつはう大量に持ってこないといけないんだよ >>919
欧州型の重装騎兵なら戦場の趨勢を決める役で突破力に特化してるし
モンゴル軽騎兵なら機動力を使って横撃迂回陽動とか使用目的が割にはっきりしてるけど
鎌倉武士は基本個(君の言葉で言えばユニットね)の強さを追求する方に分化してるので
大規模な戦闘の際にはよほど使いどこを選ばないと埋没しちゃいかねない
まあ小競り合いや混乱時には力を発揮するんだろうし実際元寇の上陸では役に立ったんだろうけど
弓はいやまあそういう風に作られてるだろうし実際撃てたんだろうけど
最初にぶっ放したら獲物変えて基本は戦場に乗り入れて下馬して戦闘じゃね
じゃないと褒賞貰えないしなあ >>866
それこそフビライが「小国」の日本にそんなに気を遣って友好的で平和的に、
ってするような義理も理由もないからな
高麗がどういう支配をされたかをみれば決して従属国に優しい宗主国の皇帝でもない
国書ではやたら高麗に対して優しい俺様アピールしてたが嘘つけとw モンゴル帝国といえば中世の悪夢じゃねーか。そんなものを友好関係を築いた国がどこにあったと? 非礼の理屈が、大国が挨拶に来いって言ってるのに行かないのはおかしいみたいな言い分で気持ち悪い
武の頭領がおいそれと他国に頭下げて秩序が保てるかよ >>883
平地少なくて山川ばっかなら
そんなことにならねぇんだよって
当時の将軍たちも言いたかろうよ >>822
使い送られて切り捨ててかかってこいやまではしてない
使い送られても従わずに使いは生きて帰して、
相手が攻めてきてから次の使いは切り捨てた
文永の役前から攻めてきたら迎え撃つ準備はしてるから
かかってこいや返り討ちにしたるわ!とはなってたかもしれないが 先ず、ソース元をご覧下さい
news.yahoo.co.jp
半島・大陸寄りの記事多し >>820
日本を潰したって何のこと?
記事のように元寇が北条時宗のせいだとは思わないけど
例えそうだとしても元寇は2回とも勝ってるんだから日本は潰れてないが
その後の鎌倉幕府の倒幕を恩賞問題のせい(これも古い説で最近は違う説もある)としても
潰れたのは鎌倉幕府で日本が潰れたわけじゃない
結果論で見ても意味が分からない >>933
スレタイにあるようにソースはダイヤモンド・オンライン
Yahoo!記事にはコメントをつけられるけどあっちでも批判や疑問多数だな 第二に、
高麗が再三日本を侵攻するように
モンゴルをそそのかす 高麗がモンゴルに日本へ侵攻を教唆
↑
ここ重要
時宗がどう足掻こうと、
ハナから日本侵攻
時宗自体は居ても居なくても
結果は変わりません 半島の思想では、全部日本のせい
今も昔も変わりない >>936
目玉焼きにはしょうゆ派なんだわ
ソースがいるような話してないけど一応何に対してか言うだけ言ってみ >結果、激怒したフビライは、今度は10万人からの軍勢を送ってきた。
>しかしこのとき、恐らく本物の幸運で台風が来て、軍勢は難破してしまった。
>つまり、たまたま台風が吹いて難を逃れましたが、国を危険にさらす外交をするうえ、
>運任せで勝ったリーダーを、とても英雄とは呼べないのではないでしょうか。
https://diamond.jp/articles/-/271977?page=5
>西暦一二八一年に強行された第二次日本遠征の結果はあまりにも有名である。
>日本軍の果敢な抵抗と記録的な悪天候によって、元軍は退却を余儀なくされた。
>主将たる范文虎は、数万人の兵士を日本に置き去りにして逃げ帰った。
>日本軍は数万人の捕虜のうち、モンゴル人と高麗人を、尽く殺した。
>この時高麗は、積極的に日本遠征に協力していたからである。
>だが、旧南宋人たちは、全て助命された。
>日本の為政者たちは、大陸の状況をかなり正確に知っていたのだ。
>旧南宋人たちが、侵略者に強制されて無理矢理連れてこられた被害者であることがわかっていたのである。
田中芳樹「海嘯」(1997/5/1)
20年以上前の小説、しかも南宋がメインのものですら台風だけじゃなく「日本軍の果敢な抵抗」に言及してるのに
今時、それも元寇メインの記事で台風のおかげって… 北条時宗の判断はミスだったのか正しかったのかは
IFにすがるしかないが、もしも元と同盟組んだら、日本はなし崩しで元の支配下になっていたかどうかだよな
でも戦って日本は元を撃退したんだから、結果オーライだし、取るに足らない仮想だけど
こういうのも考察する意味は多少はあるんだろうな >>878
一応、船上ではなく陸では
当時の武士のナギナタvs「元の槍衾戦法」の槍衾が日本側に印象を強く残した
集団運用に向き、刃筋気にせず素人を戦力化しやすい「槍」の普及につき
元軍の槍衾で「あんな使い方が」と触発された説があるし
元寇で奮戦した菊池一族が、後世「菊池千本槍」の槍衾やったのは何か関係あるかも ?
(※もちろん武士の主要武器は弓↓) 三井資長、蒙古兵を撃退する
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e03.htm
>>342 遊牧国家は、近視眼的な過度の実力主義で、分裂内乱から滅びていく運命
遊牧国家 ゆうぼくこっか ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
>実力主義で王位を継承することが多かったため
>争いが頻発し,いずれも分裂したり, 短命国家に終わることが多かった。
(詳細)
*遊牧民の慣習:「領地領民の分割相続」により、君主の弱体化・内乱を誘発
*征服した各地の文化に染まり、モンゴル文化が薄くなる
遊牧民は王族同士がガチで争い、クーデター・分裂図る構造的欠陥があり
さらにモンゴル帝国の場合は
「四方八方戦争吹っかけて回ったツケ」 で周囲は敵だらけ、各国が叛乱 >>942
本郷は学校で教えてもらったことを未だに信じてるんじゃね 上陸出来なくてそのうち台風が来て自滅しただけじゃん
むちゃ弱っちいやつなんか相手にする必要もないわ
自業自得だしw 武神ホウケンと桓騎将軍が合体したらごく普通の鎌倉武士が出来上がる 無礼な使者をぶった切ったのは文永の役の後で
それも屈服しないなら次はもっと大軍で攻めるぞという
脅しの使者やからな
まったく非礼もクソもない
アホ学者はもう一回小学校からやり直せ >>943
そもそも中華思想に同盟は無い
自分以外は配下かそれから野蛮人って思想だから
モンゴル人だとしても中華の皇帝になったら
その考えでいくしか無い 兵站が全く出来ていないことを看るとただの棄民・廃兵だったのかもな >>943
文永の役の前の使者が交渉してた頃の元は、南宋と戦争中
しかもその頃クビライは高麗に対して俺の敵はお前の敵理論で戦争への協力を強いてる
高麗には三別抄という反乱軍もいた
もしも日本が元と同盟あるいは従属してたら俺の敵はお前の敵理論で
南宋なり三別抄なりと戦わされてたかもね
しかも日本はその南宋と、正式な国交や朝貢こそしないまでも貿易が盛んで友好的な関係だった
その南宋と戦ってる元とはたとえ同盟だとしても組める状態じゃない >>951
東路軍は本来はもっと遅く出撃して
江南軍と九州近海で待ち合わせる計画だったけれど
朝鮮半島に兵を集めてしまって、朝鮮半島の食糧の供給能力が間に合わなくなって
このままじゃヤバいってんで持っている食糧が尽きる前に出撃したらしいからな
まるでインパール作戦みたいなものだよな
失敗するべくして、失敗したのが日本侵攻作戦だろうな モンゴル軍の糧秣は数十日分の行動が可能な干し肉でできた携帯食で
足りない分は現地調達でしょ。 >>950
当時のモンゴルにもそういう思想あったから中華思想じゃなくても変わらないしなあ
クビライの国書では自分は皇帝を名乗り、一方で日本の天皇のことは国王と呼んでる
日本のことを小国とも言ってる(まあ国土を比べたら小さいけど)
さらに天から明らかな命を受けて中国を支配した、とも誇示してる
高麗との関係は君臣だが父子のようとに例えてるが当然父親は元
周辺国との関係を家に例えてるがそれも同じ
モンゴル、その皇帝たる自分こそが中心にあり周辺を支配や従属させる、
それは天の命令という理であるという思想があった >>953
まあその計画で江南軍とすぐ合流できるくらいに遅く出撃してたら
それはそれで来てすぐ台風にあってただろうねw >>925
もちろん下馬はしただろうね
それは俺も否定せず書いたつもりだったけども
移動が主だと言うのに対して、それはどうだろうねって趣旨で書いたからさ
結局日本が戦場だった分、その地勢的特性に馴染んだ装備や戦法が日本に味方したってことじゃないかね
それと元軍も実質三カ国の連合軍で、尚且つ日本の国土では高度な組織戦闘も能わず、戦意の高い日本軍に対してしばしば陣形も乱され、効果的に戦えなかったって感じだろう
矢を放っても止められず、接近戦に持ち込まれそして離脱され、って繰り返され、抗しきれず船に撤退し、そこにも突入され続けって感じだからね >>956
江南軍のほうは逆に出撃が遅れに遅れていて
東路軍と九州近海で待ち合わせする日時でも
まだ出撃していなかったので
計画通りなら台風の前に合流して、九州に上陸していたはず 山川草木障害物豊かな日本だとモンゴル弓騎兵は真価を発揮できないし
大平原広がる大陸では急襲近接攻撃が得意な武士も真価を発揮できないだろう
大切なのは地形適正 >>958
防塁もあれば前回以上に戦力を集めてもいるし、
東路軍を防いだ二か月よりも台風までの期間も短いし、
防塁と武士の抵抗でまごついてる間に台風、って可能性もありそう >>758
井戸の中の大蛙に調子こいて乗り込んだら逆に呑まれたでござる
ユーラシアから離れたオーストラリアは毒蛇の宝庫だし
辺鄙な所にはおっかない物が有る事も多いのだw 時宗にしたら、南宋から来た僧にけしかけられたんだ。モンゴル人の悪逆非道を。
実際凄まじい虐殺を平気でやる連中だったし。
奴らが日本に来たらやばいですぜ、と >>957
日本の地勢に馴染んだ戦いっていうか
見敵必戦的なスタイルが上陸戦に上手いことfitしたってことだろうと思うが
でまあ拠点築かれて大軍を活かす戦いされたら幾ら寄せ集めとはいえ厳しかったと思うけどなぁ
強いとか弱いとか以前に基本1対1想定だから陣形がぶつかるような戦いだと消耗するしコスパが悪すぎる
まあ鎌倉武士が活躍して水際護り切ったから緒戦でボロ負けして泡食って降伏なんてことにならずに済んだわけだし
始めっから弱いとか働きがないとか言ってる訳じゃないけどね >>820
北条時宗は元寇に対して無策無能じゃないよ
これは学校の歴史でも習ったと思うけど文永の役後は九州と中国地方の一部にまで防塁建造してる
それに異国警固番役もその原型は文永の役前からで、文永の役後、弘安の役前には制度化されてる
九州中国以外の御家人にもそっちに行かせて戦力を集めたり、非御家人も動員することで戦力を増やしもしてる
主戦場は九州で、弘安の役では中国地方の長門にも元軍の一部が襲来してるから、実際に幕府の事前の策は役に立ってもいる
そういう指示は幕府から追加法という形で出されて、そこには相模守、つまり北条時宗の名前もある
策が足りなかった、ならともかく無策というのは明らかに間違ってる くだらねーこと言いやがる
仮に自ら危機を招いたとしても勝ちゃあ英雄なんだよ >>966
そもそも自ら危機を招いたのかも
疑わしいから
あの場合に一時的に元と友好関係を結んで
南宋を見捨てたとして、日本は独立を保てたのか
むしろ南宋が滅ぼされる前に一度元と戦っていたほうが
その後の展開は日本に有利になったのではないかと思えるからな 何でここまで日本の武士最強神話を信じて止まない人が多いのでしょうか?
モンゴルの版図は西は東欧、南はペルシャおよび大理に及ぶ大帝国ですよ。
これが何を意味するのか?
無敵なんですよ。当時の人類最強軍団。
もしもチンギスハーンが死去しなければ、ヨーロッパ全土はモンゴルの手に落ちてたでしょうし、インドと制圧されてたでしょう。
そして、下手したら大西洋超えて、アステカ帝国やプレインカ文明圏に到達してた可能性さえある。 東日本政権であった鎌倉幕府と江戸幕府は、敵対相手に畿内を陥落されたら
その後すぐに瓦解し滅亡してしまった
もしもモンゴル軍が九州を無視し山陰から畿内を制圧したら、鎌倉幕府も大した抵抗もできず瓦解したのだろうか? >>968
モンゴルがいくら強くても海を渡って戦う力が無かった >>970
拠点作ってしまえば、どうなったか。
とりあえず九州占領してから本州に攻め込む算段だったかも知れない。 >>964
まあ宮脇氏は既に出ている著書でもそういう説には反論してるしな
特に下の引用文でもう「フビライは当初は日本を攻めるつもりがなかった」とか
「日本の対応の不味さがフビライを怒らせて戦意を抱かせた」ってのは否定されるし
>フビライ・ハーンの言い分を唯々諾々と受け容れて、モンゴルと通好すれば、モンゴルはたちまちのうちに日本を征服しようとするでしょう。
>かといって、曖昧にでも断りの返書をすれば、それを口実にやはり攻め込んでくるでしょう。
>フビライが南宋と日本を攻めたいと言う
>六月、フビライ・ハーンは入朝してきた高麗の宰相・李蔵用に、「朕は宋と日本を討たんと欲するなり」(前掲井上靖『風濤』)と言い、
>南宋と日本を攻めるために、米を三千から四千碵ほども載せられるくらいの大きさの戦艦一千艘の建造を命じます。
>フビライの高麗に対する造船命令は、日本へ使者として行った高麗の潘阜が帰国する前に出されました。
「世界史のなかの蒙古襲来 モンゴルから見た高麗と日本」宮脇淳子 >>971
モンゴル艦隊の中に馬はどれぐらいたんだろうか?
拠点を築いても馬が少なければ、得意の騎馬戦術で攻め込めないしな
どれぐらいいたか知らんが、数ケ月船で彷徨いながら戦ったが
船内で生活した馬も弱体化しそうだが >>986
日本の武士が最強かどうかはともかくとして、現実として元軍は文永の役でも弘安の役でも日本を落とせてない
九州に上陸拠点すら作れてない
チンギスハーンの時代だったら、という仮定は大軍をどうやって日本に送るのか、という条件がつく
まだ南宋落としてないから弘安の役の時のような南宋の海軍力は利用できない >>976
ペストはチベット地方の風土病だったらしく
中国では何度かパンデミックが繰り返されてきた
モンゴル軍のヨーロッパ遠征中に、ペスト患者が出て、その死体を敵国城内に放り投げたりし
モンゴル皇帝が死に後継者争いになって、モンゴル軍は撤退しヨーロッパは制圧されずに済んだが
ペストが大流行してしまい、人口の半分近くが死んだと言われてる 中国本土とは通商してきた日本だが、明治まで奇跡的に日本にペストは上陸しなかったらしい
ヨーロッパみたいな大きな被害ではなかったが、明治後そこそこ患者が出たらしい
もしもモンゴル軍が、ある程度日本を制圧してたら、ペストが持ち込まれた可能性があるが
日本はペストに強い何かがあったかもしれん
中世ヨーロッパで大流行したペストだが、ポーランド地域だけ被害が少なかったらしい
アルコールで消毒する風習があり、それが原因か?と言われてる 歴史は因果論にすぎないのに
善悪を持ち込みたがるやつが多すぎる。
歴史において善悪語るやつは100%思想活動してるやつだ。
現代だって立場が変わると善悪ひっくり返るのに。 >>969
朝廷や上皇や、国内の貴種で鎌倉幕府の有力御家人でもあった足利とは違うからなあ
足利は頼朝と同じ河内源氏で、鎌倉時代も一貫して有力御家人で北条も代々娘を嫁がせてた
相手が元軍だったらたとえ鎌倉落とされても他の地方御家人が反発して戦いは続くんじゃないかな
時宗も北条氏も鎌倉の御家人も、相手が外敵の元だったらもっとしぶとく戦いそうだし
それに元寇の時は、戦う前から戦力を西日本にも配備してるし東国から来てる御家人もいる
時宗の弟や甥も守護として西日本に行かされてるし、
鎌倉にいる時宗が打ち取られたとしても北条は得宗家ですら断絶しない
新たな北条得宗家の当主を旗印に西日本に集まってた戦力で戦うことになりそう >>963
んー、やっぱちょっと過小評価してるな
そんな誰も彼も単発で寡兵なのに突っ込んで寡兵で戦い抜いた訳じゃないんだぞ?
そう言う例が合ったからって、それが全体的なやり方って思うのは間違い
そして拠点を築かれてたらと言うが、そこまでいったら、全て俺のプラン通りなら勝てたって言うしょうもない話だわ
それを言うなら、日本が始めから海岸に塁壁や逆茂木や掘りを造れてれば楽に勝てたってのだって許される
攻めると決めて攻撃を仕掛けたのは元なのだから、自分たちが戦い抜けるように作戦や装備や体系を整えるのは当然でしょ
うまく行かなかったのならそれは、元の見込みが甘く、日本軍を舐めていたと言うことでしかない >>979
中世ヨーロッパは、より不潔になることで対抗しようとしたからなあ…
せっかくローマ以降あった入浴の習慣も、そこら辺で消えたはず >>979
大航海時代とか欧州から入ってこなかったんかな?
アステカとかそれで滅んだものだけど >>969
鎌倉・江戸の両幕府があっさり倒れたのは、
畿内を制したからではなくて、
朝廷の権威と反幕勢力の武力が合体したからだろう。
モンゴルが畿内を制圧して、朝廷を指揮下に置くことに成功したらそうなる可能性もあっただろうが、
天皇を殺してしまったり、東国に逃がしてしまった場合は、同じようにはいかんかと。 >>983
鎌倉と江戸幕府は朝廷を圧倒する権力を保持し、天皇のいる京から遠く離れた場所で権力を行使した
この時の朝廷は権威は健在だったが権力が無かった、しかし権威だけでなく権力も復活した時
東日本政権を圧倒し幕府を滅ぼした
モンゴル軍が京を制圧し、天皇を退位させ新たな王を立てる、もしくは天皇を傀儡にし権力を振るう
この場合、モンゴルの支配する王のいる畿内を、地方の人らはそれを権威とし認めるか?
認めた場合鎌倉幕府も瓦解していくだろうが、おそらく認めず抵抗した可能性が高いかな? モンゴルを朝鮮人がそそのかしたんだろ
そして大量の朝鮮人が死んだ
歴史上あいつらと組むと必ず負けフラグ 元にしたら、征服した宋や朝鮮の兵を、まとめて葬り去ってくれた日本はありがたかったのかな。
口減らしができたわけで >>799
アホですか?
坐礁しますよ
だからワザワザ六浦を外港にしてたのに
六浦から上陸されたら?
切通しでフルボッコだろうなぁ >>986
アステカは天然痘やな、日本も遣唐使などで奈良時代に人口の1/3が死んだ
アメリカ大陸には天然痘が全く流行せず、コロンブスにより大流行し
人口が8割ぐらいだったかな?激減してしまい滅亡へ
南蛮貿易で日本に入ったのは梅毒が有名やな、加藤清正とか結城秀康とか
麻疹もそうだったかな?他にも幾つか入ってきたはず >>863
短弓じゃないよ、複合弓
構造的には複合弓の方が優れてる…ハズなんだけどねぇ >>984
鎌倉武士がスーパーだったから勝ったみたいなことを言う連中が結構いるから
大軍がぶつかるような戦場になったら一騎討仕様じゃ結構弱点あるだろっていってるだけなんだけどな
ゲリラ戦みたいな少数での襲撃や上陸時の乱戦みたいな戦場なら十分力を発揮するんだろうが
装備に金がかる分数揃えるのきつくなるし
小規模の機動ならともかく大規模戦闘で機動活かす術も持ってないしなあ
で拠点築かれて大軍の利を生かされたとき対応できるかってのは大事だと思うんだけど
2,3年耐久出来れば対応する戦法は編み出すだろうけどそれまで半端なく消耗しそうだし
その手の理由で鎌倉末期に戦闘が激しくなっていわゆる我こそは!って類の鎌倉武士は消えてったんだと思うが
勝ったんだからそんな想定意味ないと言われればそれまでだな >>988
承久の乱の時には院宣があっても実権を握ってる後鳥羽上皇に大勢が従わなかったわけだし
上皇でもとは天皇の後鳥羽上皇にすらそうなら、
元が立てた天皇や、天皇を傀儡にした元にはそれ以上に従わないんじゃないかな
幕府にとって都合の良い皇族を天皇や上皇にするというのも承久の乱後に幕府もしているし、
京が落とされても鎌倉が無事だった場合には皇孫の将軍惟康親王もいるし、
互いに互いにとっての都合の良い天皇を掲げた上で戦うとすれば、
地方御家人は鎌倉幕府と惟康親王の方を支持しそう >>996
高麗に技術なんてなかったので奪いようがないすわw 朝鮮人がけしかけたから
攻めて来たんだろ
あいつらろくなことしない >>968
ありえん
チンギスの寿命が200年くらいあるならそうなったかもな
実際には兄弟で分裂して各ウルスになり、次かその次の世代くらいで全く別の国家となって協調はしなくなる このスレッドは1000を超えました。
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